2025年01月31日
2025年01月01日
2025 賀正
例年に従って,今年の目標を書き並べておく。(ここまでコピペ)
ゲーム:昨年のエロゲは目標設定なし,結果は1本であった。『魔法少女消耗戦線』のファンディスクのみである。全年齢のゲームを含めても,『Satisfactory』の製品版をプレイ途中のみ。去年・一昨年に比べればまだ時間がとれそうな気がするので,今年はもう少しジャンルを問わず,ゲームをしたい。
美術館:昨年の目標は訪問数18としていて,結果は24であった。春・秋に面白い展覧会が多く,かなり数が伸びた。しかし,感想記事を書く方が間に合っておらず,秋のものは年末にまとめて書く体たらくになってしまった点を反省したい。今年の目標は20とする。
旅行:2024年は賀正の記事で「以前からの目標である関西の東方の聖地(弘川寺や信貴山等),未踏県の秋田には行きそびれているので,今年こそはこの2つに行きたい(ということを賀正記事に長らく毎回書いている)」と書いていて,結局未達であった。これらの目標は2025年にも残しておきたい。
登山:昨年に登った百名山は九重連山・阿蘇山・赤城山(黒檜山)・四阿山・早池峰・岩手山・八幡平・焼岳・那須岳・巻機山・大菩薩嶺で,新たに登ったものは9座(八幡平と大菩薩嶺は二度目)。合計では41座になった。目標の4・5座よりもかなりハイペースで,人生の目標50座があと2年ほどで達成しそうである。残りの候補地としては甲斐駒ヶ岳・立山(雄山)・丹沢・恵那山・白山・尾瀬・蔵王山など。また,奥多摩・秩父の山を少しずつ攻略しているが,登りそびれているのが御前山・川苔山・秩父丸山辺りなので,これらは今年のうちに登っておきたい。
2024年12月29日
2024年11〜12月に行った展覧会
SOMPO美術館のカナレット展。17・18世紀にイギリスの貴族の間で大流行したグランドツアーは,若者をイタリアに旅行させる修学旅行である。その際に若手貴族が土産物として買って帰ったのがイタリアの都市景観画「ヴェドゥータ」であった。ヴェドゥータはイギリスのみならず全欧的に人気で,都市景観画の画法に強い影響を与えている。ヴェドゥータというジャンルで最大の画家はカナレットで,ヴェネツィアのヴェドゥータで活躍した。本展覧会はヴェネツィアという都市史と,カナレットの画業の2つに焦点が当たっていた。個人的にもヴェドゥータは好きなので単純に目の保養になった。
カナレットについてもイギリス渡航時代の作品が見られたのは貴重な機会で嬉しかった。オーストリア継承戦争のためグランドツアーの旅行者が減少したのを見て,逆にイギリスに渡航してロンドンを描きに行ったというのは商魂たくましくもあり,本人が旅行者の地元を見ておきたかったというのもあるだろう。弟子のベルナルド・ベロットの作品や19世紀のヴェネツィア景観画も多く展示されていたのもよかったが,あえて言えばこれだけあってベロットのドレスデンの絵が無いのは画竜点睛を欠くか。ベロットは師匠と同様にオーストリア継承戦争の影響にヴェネツィアを離れており,師匠とは違ってそのまま帰らなかった。その際に長期的に滞在したのがドレスデンで,ベロットがドレスデンで多くの作品を残し,留学に来たC.D.フリードリヒがその影響下でロマン主義風景画を生み出すことになるので,ベロットのドレスデン滞在は西洋美術史上でかなり重要である。今回の展示はスコットランド国立美術館から借りてきたもの中心なので,なくても仕方ないが。
なお,今回の展覧会はキャプションがけっこう凝っていて面白かった。一番笑ったのは下記のツイートの通り。
おまけ。キャプションで「この人は何をしているのでしょう」とツッコミが入っていたが、まあ、その、うん…… pic.twitter.com/Rf3qtPpPJB
— DG-Law/稲田義智 (@nix_in_desertis) October 24, 2024
東博の埴輪展。過去に例を見ないレベルの大規模な埴輪の展覧会。古今東西の有名埴輪・レア埴輪が集められていることに加えて,きちんと発掘調査の成果に基づいた埴輪の形象の変遷を追っており,学術的関心の点から言っても良い展覧会であった。無記録による断絶が強調されがちな弥生時代と古墳時代だが,埴輪の先祖と推定されている土器が展示されていたのも良かった。また,挂甲埴輪は彩色復元や挂甲の実物もあったのも良かった。白と赤のツートンカラーと想像されているのだな。
なお,隣の表慶館で開催されていたハローキティ展は混雑による混乱が報道されていたが,私が埴輪展に行った時も,すでに事前予約制が導入されていたにもかかわらず1時間待ちとなっていた。この後に待ち時間は2時間まで伸びたようだ。埴輪展もそこそこ混んでいたのだが,会期末はこちらも1時間の入場待機列が発生したそうで,大人気である。合わせて東博内の混雑が想像を絶する状況になっていたのでは。埴輪の持つ緩い雰囲気が受けているのではないかという分析を報道で見たが,それについては私にはよくわからない。
東博の埴輪展。日本中から重要・珍しい埴輪を集めた大規模展覧会。基本の円筒型に家型、舟型、挂甲埴輪とそろい、特に挂甲埴輪は彩色復元や挂甲の実物もあったのが良かった。ほぼ全点撮影可。発掘地も全て書いてあり、やはり畿内と関東が多い。 pic.twitter.com/RQwikBrhUx
— DG-Law/稲田義智 (@nix_in_desertis) November 17, 2024
近美の「埴輪と土偶の近代」展。江戸時代に博物学・考古学的な流行から埴輪や土偶に知識人の関心が集まって以降,近現代の日本でこれらがどう扱われてきたのかを追った展覧会。近美らしいコンセプトである。やはり戦前の昭和期には国威発揚のための歴史利用として埴輪が使われ,これが戦後直後から60年代になると,国内の古墳の大規模な発掘が進んだこともあいまって,皇国史観ではない自国の歴史を見つめ直すためのアイテムになる。その大規模な発掘の様子の記録映像・当時の報道も展示されていた。一方で,埴輪の造形そのものに注目が集まり,プリミティブアートとして現代アートの題材にもなっていく。ここは近美の本領発揮で,岡本太郎やイサム・ノグチあたりは当然いるとしても,よくもこれだけ埴輪や土偶に関連がありそうな現代アート作品を集めてきたものだと思う。それはそれとして,埴輪や土偶をプリミティブアートとみなして現代アートに活用するのには限界があると思われ,私が現代アートの素養が無いことを抜きにしてもあまり面白くなかった。その中で,谷川俊太郎の詩集も展示されていた。ちょうど亡くなられたニュースが流れていた頃に展覧会に行ったので,偶然に少し驚いた。
1970年代以降はハイアートからサブカルに変わり,サブカルが埴輪や土偶を扱ってきた様子を描く。下記のツイートに貼った通り,この年表は永久保存版の価値があろう。
近美の近代の埴輪・土偶展。昭和前期には国威発揚に、戦後直後から60年代にはプリミティブアートとして現代アートに、その後はサブカルにと利用されてきた古代遺物の受容史を追う。コンセプト通り受容史としては面白かった。このサブカル年表はよくできているのでは。 pic.twitter.com/e9pLKU0LPL
— DG-Law/稲田義智 (@nix_in_desertis) November 19, 2024
十日町市博物館。巻機山への登山の前日に訪れた。市の規模に比して立派な博物館であるが,これだけの建物を建てたくなる気持ちがわかる展示物であった。展示は大きく3つ,縄文時代・雪国の暮らし・越後縮に分かれている。やはり目玉は縄文時代の展示室で,国宝や重文の火焔式土器が陳列されており,迫力がある。この展示室だけは東博と比肩する。翌日に巻機山に登るとどんぐりが豊富で,博物館の展示を思い出しながら登ることになったという点でも,この博物館には行っておいてよかった。雪国の生活を紹介する展示も充実していて良かった。流石は『北越雪譜』の舞台である。婿投げは奇祭だと思う。越後縮も全然知らないものだったので,新鮮だった。苧麻から始まって絹織物も作るようになった歴史が紹介されている。
十日町市博物館。国宝や重文の火焔式土器がごろごろしていて迫力があった。実物を見ても造形センスが現代。あまりにまんまな石棒もごろごろしていて笑った。企画展は縄文時代の漆器と称して北東北出土の母胎が土器の漆器の展示があって面白かった。 pic.twitter.com/xnhwKdXhJ2
— DG-Law/稲田義智 (@nix_in_desertis) November 2, 2024
箱根ガラスの森美術館の香水瓶展。儒烏風亭らでんコラボのため,自分としては非常に珍しいことに音声ガイドを聞くべく企画展に行った。企画展は,普通に目の保養という感じ。ガラスの展覧会としてはさして珍しいものはなかったが,やはり良い声の音声ガイドを聞きながら鑑賞できたのは良い体験だった。常設展は現代アート中心で,売っているギャラリーもあり,高額のガラスがケースに入れられずに売っていたから少し怖かった。あそこで転んだら大変なことになりそう。
箱根ガラスの森美術館は庭園もすばらしく,陽光できらめくガラスのカーテン,その奥に大涌谷の噴煙が見え,立地が活かされている。晴れの日に行ったのも大涌谷の噴煙が(珍しく)激しい日だったのも,紅葉の時期だったのも幸運だったか。レストランも美味しかった。
この後は時間が余ったので,ついでに岡田美術館に行った。岡田美術館は日本・中国の陶磁器と日本美術を中心に収集している美術館で,常設展中心である。規模がかなり大きく,ついでで行くにしては少し無理があったが,何とか全ての展示品を見ることができた。特に中国陶磁器のコレクションは相当なもので,唐三彩がこれだけの数そろっているのは珍しい。また,岡田美術館は全般的に収集者の美意識・趣味がわかりやすいのが面白いところで,続けざまに見ていくとだんだん「これだけそろっていてあれやそれがない」という欠けている部分から,なるほどこういうジャンルのものは嫌いなのだろうという推測が立っていく。
なお,岡田美術館は警備が尋常じゃなく厳しく,展示室ごとを区切る扉も分厚い。創設者の来歴を見るとさもありなんという察しがついてしまうが,自覚があるだけに厳重なのは良いことだと思う。
昨日行った箱根ガラスの森美術館。儒烏風亭らでんコラボを機会に行っておくことにした。良い声で幸せ。展示はヴェネツィアングラスと現代アートが中心だが,世界中の様々なガラスを集めている。現代アートは売っているギャラリーもあるが値段が普通に6・7桁万円。そりゃそうだ。 pic.twitter.com/hlexOxnbvn
— DG-Law/稲田義智 (@nix_in_desertis) November 24, 2024
最後に,今年に行った展覧会約25個から,良かったものベスト3を選ぶと,SOMPO美術館の北欧展,都美のキリコ展,そして東博の埴輪展になるか。来年も良い展覧会を期待したい。
2024年12月27日
2024年7〜10月に行った展覧会
今回の展覧会の目玉展示は有名な伝源頼朝像で,やはり文覚つながり,なるほど神護寺の所有物なら伝源頼朝となった理由もわかる。また日本史クラスタなら必見の紀伊国桛田荘絵図が展示されていた。これもまたこの展覧会で初めて知ったのだが,桛田荘は神護寺の荘園だったのだな。他では「風信帖」か。これは東寺の所蔵品であり,本展覧会のために借りてきたようだ。その他,国宝・重文指定の仏像が多数展示されていたが,仏像の国宝・重文は多いのでさして珍しくもなく。やはり見どころはどちらかというと史料系の展覧会だったように思われる。
昼間に行った東博の神護寺展。和気清麻呂が建立し,空海が経営した真言宗の古刹。火災に遭って院政期に崩壊したが,「鎌倉殿の13人」にも登場する文覚が源頼朝の支援で再興したという。大河だとかなりアレな人物だったが,こんな真っ当な方面で歴史に名を残していた。その孫弟子がかの明恵である。 pic.twitter.com/0dntotGhlf
— DG-Law/稲田義智 (@nix_in_desertis) July 21, 2024
サントリー美術館の英一蝶展。狩野派に学んで確かな技術を持ちながら,ユーモア混じりの風俗画に全力を注いだ元禄期の奇才。吉原では有名な太鼓持ち(幇間)であったらしい。松尾芭蕉に学んで俳諧の道にも進み,こちらの面でも活躍している。今回の展覧会では俳諧師としての英一蝶が重点的に紹介されており,彼の作った俳句が載った句集の展示が多かった。しかし,遊びが過ぎて47歳から58歳までの約10年間,三宅島に流罪となった。この島流しの原因について,展示では生類憐みの令を風刺した作品を描いたからという説と,幇間として活躍しすぎて武家の風紀を乱した(ある殿様に花魁を見受けさせた)からという説を取り上げていた。この流罪の間も伊豆諸島の社寺に作品を納めているほか,江戸から発注を受けて画業を積んでいたから,流石は当時の人気画家である。通史の画集に載っているような代表作もこの「島一蝶」の時期に描かれた。後に恩赦で江戸に戻ると,一度は脱風俗画宣言をして仏画に専念するも,結局風俗画を捨てきれなかった。ユーモアの業は深い。実際に江戸に帰ってきてからの作品の方が垢抜けていて面白いように思われた。
サントリー美術館の英一蝶展。狩野派に学んで確かな技術を持ちながら、ユーモア混じりの風俗画に全力を注いだ元禄期の奇才。遊びが過ぎて三宅島に流罪になり、約10年後に恩赦で江戸に戻ると、一度は脱風俗画宣言をして仏画に専念するも、結局風俗画を捨てきれなかった。ユーモアの業は深い。 pic.twitter.com/h55GD00NY2
— DG-Law/稲田義智 (@nix_in_desertis) October 18, 2024
三井記念美術館のバーミヤン大仏展。展示品は東博の東洋館と根津美術館の常設展に行けば見られるようなものが多く,期待していたよりは面白くなかった。一応,バーミヤン東大仏の天井に太陽神が,西大仏には弥勒菩薩が描かれていることに掛けてそれぞれの信仰の伝播を追う形でまとめられていたのは特徴的だったか。文明の十字路に位置していただけあって,西はギリシア・イランから,南はインドから様々な図像が流れ込み,バーミヤン石窟の図像を形成している。しかし,そろそろ目新しい,2016年の東博のアフガニスタン展を超えるような,シルクロードメインの企画展を見たい。
三井記念美術館のバーミヤン大仏展。展示品は東博の東洋館と根津美術館の常設展に行けば見られるようなものが多かった。一応、バーミヤン東大仏の天井に太陽神が、西大仏には弥勒菩薩が描かれていることに掛けてそれぞれの信仰の伝播を追う形でまとめられていたのは特徴的だったか。 pic.twitter.com/AW8gmqw8cy
— DG-Law/稲田義智 (@nix_in_desertis) October 19, 2024
三の丸尚蔵館の花鳥風月展。三井記念美術館の後にはしごで行った。秋の花鳥風月を表す江戸後期から大正期の工芸品・絵画が展示されており,全般的にまずまず良い。途中で犬山城と竹島を描いた掛け軸が出てきて東三河民として微妙に嬉しかった。風光明媚な観光名所ではあるが,まさかここで出会うとは全く思っておらず。犬山城はともかく,竹島を明治・大正期の美術作品の題材として見たのは初めてだと思う。
三の丸尚蔵館の花鳥風月展。秋の花鳥風月を表す江戸後期から大正期の工芸品、絵画を展示。全般的にまずまず良い。犬山城と竹島を描いた掛け軸が出てきて東三河民として微妙に嬉しかったり。 pic.twitter.com/5q8KLnKPIr
— DG-Law/稲田義智 (@nix_in_desertis) October 19, 2024
2024年12月23日
ルワンダ側のメリットが大きそうなのがねぇ
→ 貴重な取材の記録。女子割礼が無くなっていくのはもちろん良いことであるが,女性器切除がなくても,若者は年長者に従うという慣習を徹底させるイニシエーションという本質は変わっていない様子が見て取れる。いきなり一気には変わらず,次第に風潮が変わっていくのだろうと思う。
・ガザ虐殺の経済的背景(松尾 匡)
→ イスラエル人自身の経済的な階層分化が激しくなり,下層労働者層が出現したので,パレスチナ人の安い労働力が不要になって,扱いがよりぞんざいになっていったという。これが虐殺がエスカレートした背景・要因の一つと思うと,話が邪悪すぎる。そこまでイスラエル人の貧富の格差が広がったとなるとイスラエルの団結も綻びそうなものだが,団結が崩れると周囲のアラブ人国家に対抗できなくなるという危機感がそうさせないのか。それとも将来的にここからイスラエル国家が崩れていくことになるのか。
・英 “不法入国者をルワンダに強制移送” 法案が議会で可決(NHK)
→ こっちはこっちで。元いた国には返せず,自国でも面倒を見きれないとなると,難民条約締結国の第三国に輸送してしまうのは一つの解決策であり,絶対に問題があるのだけれど問題点を指摘するのが意外と難しい。似たようなことはオーストラリアもやっていて,こちらはナウルでの生活の質は低すぎるためにすでに問題化している。不法移民や難民の解決策として他の先進国にも広がってしまうと,あっという間に国際問題になりそう。
・『清朝の宮廷に仕えていた猫たちの絵画』外国人画家によるリアルな絵はかわいいだけじゃない「この時代からいたの!?」(Togetter)
→ これらを描いたイグナティウス・ジッヘルバルト(中国名:艾启蒙)の生没年は1708-1780,清朝に渡航したのは1745年とのことなので,カスティリオーネ(郎世寧)の20歳下,また郎世寧から遅れること30年後のことのようである。この活躍年代には少し驚いた。受験世界史では経緯や背景が頻出の典礼問題により,郎世寧の活動中の1724年には清朝宮廷でのキリスト教布教が禁止されていて,もう布教再開の見込が薄そうな状況であったはずだが,イエズス会は諦めずに宣教師を送り込んでいたのだ。一縷の望みにかけて布教の再開が認められれば潜在的な信徒は多いと踏んで人脈を絶やさないようにがんばっていたということだろうか。
2024年12月22日
反省して長命寺も食べるようにしよう
→ 元から神道にとって重要な山であったところ,神仏習合で仏教が入って修行の山となり,仏教用語に多い呉音で読まれるようになった(あるいは維持されて漢音に直らなかった)という説は説得力がある。大山に登った時に歴史は軽く調べたが,その実感にも合う。
→ 山をセンと読むのは山陰地方に多いという話は深田久弥も『日本百名山』の大山の章で書いていた。呉音であることよりもそっちのほうが気になるが,定説は無いようだ。記事中にある中では「説3「大山にあやかって、地元の山を“せん”と呼んだ」説」が一番説得力を感じた。説1は九州でも“せん”と読む山が多くないと矛盾が生じてしまうが,そういう話は無い。説2は日本中が山がちなのでなぜ山陰だけというところを説明しきれていない。
→ それはそれとして,大山は非常に良い山だったので,読者諸氏にも勧めたい。氷ノ山や蒜山も登りに行きたい。
・関東地方で桜餅を騙っている簀巻き野郎について(増田)
→ 落ちに笑った。文章が上手い。簡単に調べてみると確かにこの増田の言う通りらしく,知らなかった。こういうものは何でも西日本が発祥で歴史が古いというのがありがちなパターンなので,関東の方が古いというのは珍しく思える。私も道明寺の方が古そうという先入観を持っていたので反省しよう。
→ でもまあ道明寺餅は道明寺粉で作られていることに重点が置かれているので,道明寺粉の歴史は桜餅よりも古いから,関西側にはそこで勝っているということでバランス(?)をとってほしい。
→ 単純にお菓子の味だけで言えば,私は道明寺の方が好きだ。幼少期に育ったのが富山県と愛知県民なのでそちらの方が馴染み深いというのもあるが,根本的に道明寺粉が好きなので。それはそれとして,最近は東京でも道明寺が売っていて関東風(長命寺)があまり売っていないような……
・写真を撮るとき「ピースサイン」するの、なんでなん?(NHK)
→ 永久保存版の記事では。私もチャーチルのVサインからベトナム反戦あたりまでの経緯は知っていたが,その先は知らなかったので新鮮だった。井上順さんのコニカの広告,あまりにも良い笑顔で印象深い。井上順さんがアメリカでピースするように求められたことを考えると,1972年頃のアメリカでもすでに政治色がやや薄まっていそうである。そういう意味ではむしろアメリカで廃れてしまった方が不思議かもしれない。
→ なお,異説としては1972年の札幌五輪に出場したアメリカのフィギュアスケート選手ジャネット・リンの影響によるものという説もあり,ジャネット・リンが平和活動家であったので来日中によくピースサインをしていたためとされる。これはこれでそれっぽく,時期も同じなので両方あってアメリカの(政治色の薄い)流行と半ば誤解されて定着していったのかもしれない。
「ワイ、戦国武将・長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)の末裔説」を本気で検証してみた。佐賀の『はじまりの名護屋城。』をきっかけに遠い先祖(?)へ思いを馳せる(電ファミニコゲーマー)
→ 非常に面白かった。多方面から伝わっている伝承がぴったり当てはまっていくので,実証史学としての確実性を横に置いておけば真実性を感じる。特に鐙という物が伝承しているのは素晴らしい。ここまでやったのであれば,関係する寺院の蔵をひっくり返して調べれば歴史家が採用するレベルの証拠になりうる一次史料が出てきそうなものではあるので,佐賀県かコーエーがもう少し継続してスポンサーになってみてほしい。
2024年12月12日
ニコ動・YouTubeの動画紹介 2024.11月上旬〜2024.12月上旬
たいたぬさん。リアルにコントローラーが故障してゲーム画面が「メーデー!」状態と化す。
これもたいたぬさん。VRの案件動画。VRでいつもの危険飛行をやるとさらにスリルがすごそう。
もう一つたいたぬさん。大型旅客機できりもみ状態になると迫力がある。フランスに飛ぶのでみんな大好きBEA本部ビルも登場し,「メーデー!」回があった後なだけに良い。
神風P。年単位での久しぶりでクリティカルヒットしたダンスPVを見た。
違いが明白で面白かった。モンゴルの短弓による流鏑馬もかっこいい。
思考実験として面白かった。日本は二大政党制になっておらず,動画中でもあれこれ試しているように,右よりの野党をどう評価するかで結果がかなり変わってくるが,按分すると拮抗するものなのだな。
これも面白かった。県庁所在地が県の中央部に無かったり,鉄道網が貧弱だったりすると非常に不利で,福島県の縮小っぷりがすごい一方,交通の要衝にある山梨県や岡山県の拡大っぷりもすごい。
2位をきっちりと取っていく八奈見さんはすごいし,公式がテンション上がってこういう動画を作ったのもわかる。
正直割れると思っていなかった。共振で割れるんだなぁ。
将棋の日記念動画。むちゃくちゃなルールの競技なので成立している事自体に驚き。詰将棋作家は指し将棋のプロとは別の才能なのだというのが如実にわかるという意味でも面白かった。
これも将棋の日記念動画。面白かったので,指し将棋でもやってみてほしい。有名な対局ならわりと成立しそう。
2024年12月11日
登山記録38(巻機山,坂戸山)
〔標高〕1967m
〔標高差〕約1240m
〔百名山認定〕百名山
〔ヤマノススメ〕ー
〔県のグレーディング〕4B
〔私的な難易度と感想〕4B
11月上旬に登山。宿の都合で9:30登山開始と遅い出発となり,コースタイム8時間半超であるから,日没前に下山すべく巻きペースでの行程となった。結果的に休憩時間込で6時間40分で踏破,約2時間巻いた形となり,完全に明るいうちに下山できた。かなり疲弊したが,やってみたらできるものだ。午前は曇り,午後は快晴という天気予報を信じて登り,ちょうど山頂で晴れ,下山時は眺望が開けた。この日は完全に賭けに勝った。
登り始めは長い樹林帯が続く。白樺や,縄文時代の遺跡が多く残る南魚沼らしいブナ科の落葉樹が茂る。11月上旬だったので紅葉も終わりかけながらまだまだ見応えがあった。樹林帯が切れると今度は足元が階段に変わる。これらの階段は整備された年度が書かれているが,新しいものでは令和6年のものもあり,こまめに整備が入っている様子がうかがえた。ここでもまだ眺望はあまり無い。階段を登り切ると前巻機で,ニセ巻機とも呼ばれる通り,麓や遠くから見るとこちらが巻機山の本体にしか見えない。ここから避難小屋に向かって少し下る。避難小屋は宿泊予定らしき登山者が多く(まだ午前中であるにもかかわらず),確かにこの行程の長さでは一泊する人もいるだろうと思えた。
避難小屋から30分ほど登ってやっと稜線上に出る。登りきったところに立派な山頂の標柱があるが,ここは山頂(最高地点)ではない。ニセ巻機の存在といい,巻機山は登山者を何度もだましに来る。稜線上は穏やかな山容に走る美しいトレイルが特徴的で,湿原が広がるところは西吾妻山にも似ていると思う。眺望も開けてはるか遠くまで見渡せるが,比較的近いところで特徴的な山容を持つ八海山がやはり目を引く。そうして山頂に着くが,山頂自体は特に何も無い。山頂で引き返す人は少なく,ほとんどの人は奥の牛ヶ岳まで行くようで,我々もそうした。牛ヶ岳までの道もやはり笹薮を貫くトレイルが綺麗で,また牛ヶ岳からは奥利根湖・至仏山方面の眺望が開ける。やはり牛ヶ岳まで行ってこその巻機山だろう。
さて,世評を見ていても,巻機山はかなり好みが分かれる山ではないかと思う。眺望が開けるまでが非常に長いので,樹林帯歩きが好きで飽きないかどうかは紙一重だろう。登りきったところの湿原や稜線歩き,眺望は間違いなく素晴らしいが,あの登りに対するご褒美としてはちょっと短い気もする。総合して魅力に富んでいて間違いなく百名山の風格がある山であり,好きな人は上から十座に入れるほど好きだろうが,そこまででもなく百名山の真ん中くらいという評価になるかなと思う。私は後者である。
巻機山・牛ヶ岳 / 稲田義智さんの活動データ | YAMAP / ヤマップ
No.96 坂戸山
〔標高〕634m
〔標高差〕約460m
〔百名山認定〕ー
〔ヤマノススメ〕ー
〔県のグレーディング〕ー
〔私的な難易度と感想〕1A+
八海山登山を計画していたが,前日の巻機山で体力を使い果たしたので手軽な低山に変更。『山と渓谷』2024年11月号「決定! 日本百低山」を片手に低山を選定した。坂戸城は長尾氏の居城で,上杉謙信による大改築を経た後は後北条氏の攻撃にも滝川一益の攻撃にも耐えきった難攻不落の城となった。登ってみるとその険しさがわかるとともに,石垣や居住地の跡が残っていて史跡として面白い。また水場も多く,確かにこれは籠城に耐えうる城であるとわかる。
眺望が素晴らしく,六日町の町並みはおろか,山頂からの八海山が非常に秀麗,八海山が最も綺麗に見える山として売り出していい。その他,巻機山や越後駒ヶ岳,谷川岳等も一望でき,標高がスカイツリーと同じ低山とは思えない見晴らしである。南魚沼の地元民に愛され,これぞ百低山というべき名山で,「決定! 日本百低山」の他の低山も周ってみたくなった。
登山道は北道と南道の二種類あり,北道にあたる旧道は史跡が多く,眺望も悪くない。南道にあたる新道は段差が大きめの階段がずっと続き,素早く登山・下山したい人向きで,眺望は最後まで良い。旧道から登って新道から下山するのが良いか。
坂戸山 / 稲田義智さんの活動データ | YAMAP / ヤマップ
2024年12月10日
登山記録37(栗駒山,屋島,三頭山)
〔標高〕1627m
〔標高差〕約510m(いわかがみ平バス停から)
〔百名山認定〕二百名山
〔ヤマノススメ〕ー
〔県のグレーディング〕ー
〔私的な難易度と感想〕2A(中央コース)/2B(東栗駒山経由)
「神の絨毯」とも称され,日本一の紅葉の名所とも言われる栗駒山に,2024年10月中旬に登山してきた。評判の高さゆえにオーバーツーリズムが心配されるところだが,厳しいマイカー規制があり,バスを運行しているミヤコーバスが最大9台体制で1人も立ち客を出さずに登山口まで運んでくれるので,むしろ他の観光地よりも余程快適な登山が可能である。ミヤコーバスさんには感謝しかない。
ミヤコーバスで登山口まで行った場合,登山道は二種類あり,直答する中央コースと,東栗駒山を経由するコースである。私は中央コースから登って東栗駒山コースで下山したが,結果的にこれは逆の方が良かった。中央コースは極めて整備されていて,完全にスニーカーで登れる。逆に言えばつまらない道を直登させられるので,とにかく早く絶景が見たい人向けの道とも言える。また,舗装されているだけで斜度は普通にきついので,技術は不要だが,標高差500mにひるまない体力は必要である。舐めてかかって倒れそうになっているシルバーハイカーはけっこう見かけた。一方,東栗駒山ルートはバリエーションに富んだ登山道となっていて,登山としてはこちらの方が面白い。多少険しいので技術レベルは求められるが,そう言えば栗駒山も火山だったなと思い出させるような火山岩が見られ,やや長めの渡渉もあり,何よりも東栗駒山から見る栗駒山が風格を備えていて雄大である。技術レベルBに登れるのなら必ずこちらを登るように勧める。私は,次回は東栗駒山から登って須川温泉側に下りるのをやってみたい。
肝心の紅葉は圧巻の一言。生涯忘れない鮮やかさで,これだけ見渡す限りの紅葉というのは人生で初めて見た。眺望も悪くなく,特にどっしりとした鳥海山の姿は心に残った。おそらく岩手山・秋田駒ケ岳も見えた。総合的に言ってこれが二百名山にとどまっているのは信じがたく,深田久弥の基準に照らしても,風格も個性もある。無いのは歴史だけである。深田の頃はまだ有名ではなかったのだろうか。
栗駒山(須川岳)・東栗駒山 / 稲田義智さんの活動データ | YAMAP / ヤマップ
No.94 屋島
〔標高〕292m
〔標高差〕0m(ほぼ山頂までバスで行ける)
〔百名山認定〕ー
〔ヤマノススメ〕ー
〔県のグレーディング〕ー
〔私的な難易度と感想〕0A
屋島は別に旅行記を書いているのでそちらで。登山にカウントしなくていいかと思っていたが,吉田類がにっぽん百低山で行っていたので,カウントだけしておくことにした。屋島寺と屋嶋城が面白く,地元の歴史を追うという意味では確かに名低山らしい名低山だと思う。
No.94.5 三頭山
〔標高〕1531m
〔標高差〕約540m(都民の森バス停から)
〔百名山認定〕三百名山
〔ヤマノススメ〕ー
〔県のグレーディング〕2A
〔私的な難易度と感想〕2A
三頭山は二回目で,初回の記録はこちら。今回はブナの紅葉の時期をねらって登った。11月上旬であったが,ブナの紅葉は1200-1400m付近で最も良く,それより上は枯れ始めていた。前回は春に登ったために霞んでいたが,今回は秋らしく空気が澄んでいたため,眺望が良く,道中では大岳山を中心とする奥多摩山塊が,山頂では富士山とよく見えた。特に富士山の美しさは都内の山では大岳山に張る。
下山ルートは奥多摩湖への道を選んだ。三頭山から奥多摩湖への道は「東京都が管理を放棄したとしか思えない道」と聞いていたが,確かに割と崩壊していた。意外と人通りが多かった割にはブナ林に囲まれているため大量の落ち葉があってトレースが薄く,大量の倒木が放置されている。樹林帯に沈み眺望も無く,奥多摩湖側の眺望は皆無に近い。このルートは確かにお勧めできない。
都民の森から三頭山,三頭山から奥多摩湖へ / 稲田義智さんの活動データ | YAMAP / ヤマップ
2024年12月09日
登山記録36(焼岳,那須岳)
〔標高〕2444m
〔標高差〕約850m(新中の湯から)/約300m(ロープウェー西穂高口駅から)
〔百名山認定〕百名山
〔ヤマノススメ〕ー
〔県のグレーディング〕2B(新中の湯から)/3C(西穂高口駅から)
〔私的な難易度と感想〕2B/3C
北アルプスの最南端。道を挟んで反対側が乗鞍岳になる。主な登山道は南側斜面の新中の湯から登る直登ルートが最も利用者が多い。次に東側の上高地から登るルート,これは途中にはしごが数本あって険しい。よりマイナーなのが西側斜面から登るルートと,北側の新穂高ロープウェー山頂駅から登るルートである。我々は新穂高ロープウェーに乗って西穂山荘の様子を見に行くという目的もあったので,北側から登って新中の湯に向かって下山した。
この北側からのルートはロープウェーで標高が稼げるから楽かというと,全くそうではない。新穂高ロープウェイ山頂駅から西穂山荘までの道は木材が敷いてあり整備が行き届いていた。しかし,西穂山荘から少し焼岳に向かうと途端に道が悪くなり,笹が繁茂しだして藪漕ぎになる。加えて道の谷側が切れ落ちていて,足下が笹で見えないのは非常に危ない。もっとも,転倒したところでその笹に助けられて滑落はしないのだが。稜線歩きとは言い難いが完全な樹林歩きでもない,なんとも言えない道を小刻みなアップダウンを繰り返しながら歩いていく。たまに樹林が切れて上高地や霞沢岳が見えるのが救いだが,総合的に言ってこの道はあまりお勧めしない。
焼岳山荘と中尾峠を過ぎてからは焼岳への本格登山が始まる。焼岳の真の姿は中尾峠をわずかに過ぎた小ピークから見る姿であって,中の湯温泉から登るとこの風景が見えないのはもったいない。道は少しザレているが,四つ足になるような急登ではない。むしろいたるところから火山ガスが噴出していて,常に温泉街のような硫黄臭がするので,人によっては気分が悪くなってしまうかもしれない。岩を触ると地熱で温かくて驚く。完全に生きている火山である。噴火のリスクがあるのでヘルメットは持っていった方がいいだろう。それにしても,この山を登るのは許されていて草津白根山の登山が禁止されているのは不思議でしかない。
帰りに使った新中の湯温泉ルートは道が平凡で,眺望も優れているわけではなく,魅力に乏しいように思われた。紅葉が綺麗とのことなので秋にはいいかもしれない。とはいえ新穂高ロープウェイから行くのも前述の理由からお勧めしづらく,はしごを苦にしないのなら上高地から登るのが正解だったりするのではないだろうか。また,中の湯温泉登山口から中の湯バス停はかなり離れていて,1時間以上の車道歩きを要求されるので注意が必要。タクシーを呼んだ方がいいが,繁忙期はタクシーも来ない。
焼岳を登るのではなく眺めるのであれば上高地に行くべきで,自らが噴火で作り出した大正池からは非常に綺麗に見える。
深田久弥は『日本百名山』で焼岳を北アルプス唯一の活火山としていたが,これは当時と今で活火山の定義が違うためだろう。現在の定義では弥陀ヶ原を数えるので唯一ではない(ついでに言うとアカンダナ山も活火山だが北アルプスに含めるかが微妙か)。彼の紀行文を読んでも火山ガスは噴出していて,100年近く変わらない姿のままのようだ。
新穂高ロープウェイから焼岳(北峰)へ / 稲田義智さんの活動データ | YAMAP / ヤマップ
No.92 那須岳(茶臼岳・朝日岳・三本槍岳)
〔標高〕1915m(茶臼岳),1896m(朝日岳),1917m(三本槍岳)
〔標高差〕約230m(ロープウェー山頂駅から茶臼岳まで)
〔百名山認定〕百名山
〔ヤマノススメ〕21巻
〔県のグレーディング〕3B(三本槍岳)
〔私的な難易度と感想〕1A(茶臼岳まで),2B+(朝日岳まで),3A+(三本槍岳まで)
山域が非常に広い那須岳は主峰が五座あり,そのうち三座を周った。それぞれ個性が全く異なって面白い。ロープウェーで上がってまず向かうのが茶臼岳。混雑していたが渋滞が発生するほどではなく,道も広かったため,そこで苦戦することはなかった。茶臼岳は溶岩ドーム型で丸っこく,道はややザレているが岩は小さめで奇岩が転がっているというわけでもない。総合的には歩きやすい。登山客ではない観光客ならここだけ登っても十分に満足感があるだろう。続いて朝日岳に行くと途端に風景が変わり,赤色や黄色の巨岩・奇岩がひしめく。眺望も良く,三座の中では最も面白かった。
そこから三本槍岳に向かって北上するとまたしても風貌ががらりと変わり,湿地帯を挟んで植物が生い茂り,紅葉が美しい山々となる。最初に見える1900m峰は実質的に名もなきピークであるが,なかなか立派な風格で,名前がついていないのはもったいない。1900mちょうどということで切りがよく,かえって誰も名付けていないのであろうか。最後に到達するのが三本槍岳である。名前に反して全く尖っていない,平らな山頂を持つ山で,那須岳の北端だけあって眺望が全く違う。郡山市,安達太良山,猪苗代湖が一望でき,なるほど栃木県と福島県の県境である。朝日岳と同じ稜線上にあるとは思えない。三本槍岳の命名の由来は江戸時代初期に周辺の三藩がここに集まって槍を立て,境界を定めたという故事に由来するとのことで,エピソードが格好いい。難易度は易しく,栃木県のグレーディングでは3Bになっているが,これは朝日岳を含んでいるからだと思われる。朝日岳を迂回するならA+程度の難易度しかない。逆に朝日岳はけっこう危ない。Bでも難しい方ではないか。
今回はその後に朝日岳の脇から下山したが,逆に朝日岳から奥に進むと三斗小屋温泉がある。名湯らしいので,次に行くときはこちらに泊まってみたい。また茶臼岳も裏側の方は噴煙が上がっているとのことなので,それも見に行きたい。
深田久弥は『日本百名山』で,那須岳は歴史や伝説について紙幅を費やしており,那須国造碑,那須与一,殺生石と一通り言及している。殺生石は2022年3月に割れてしまったことで話題になった。登山紀行としてはやはり茶臼・朝日・三本槍で風情が全く違うことに感動している。もちろん温泉街にも言及しているが,現在の那須高原は深田が嫌いそうな完全なオーバーツーリズムであり,行く人は気をつけた方がいい。
『ヤマノススメ』では倉上家の3人で登っており,両親は茶臼岳で帰って,ひなただけが朝日岳まで縦走していた。そのように体力に応じて登る山を分けられるという点でも那須岳は良い山である。
茶臼岳(那須岳)・朝日岳・1900m峰・三本槍岳 / 稲田義智さんの活動データ | YAMAP / ヤマップ