2005年07月31日

K-1GP 2005 in Hawaii

久々の実家更新。といってもK-1観たくらいしかめぼしいことが無いが。なんだかんだ言って、藤原紀香が出てこないとK-1という感じがしないのはもはやお約束か。なかなか好カードが多くておもしろかった。一回戦から振り返ってみる。

藤本は全く期待してなかったが、正直スコット・ジャンクにも期待してなかった(笑)彼は総合に専念したほうがいいんじゃないか?あまりに戦い方が立ち技に向いてない。にしても、完璧なカウンターだった。ゲーリーは年なのにがんばるねぇ。てかキャベツって(苦笑)まあ、ゲーリーが勝って当然か。K-1はパンチだけじゃ勝てないということを、証明してくれた感じかな。

ノードストランドは初見だったけど、あれは本物だ。相手がここまでレミー、武蔵じゃ悪すぎだが、他の相手なら勝ってただろう。これから本格的にK-1入ってきたら台風の目になるのは間違いない。武蔵はさすがといったところ。武蔵のテクニックとガードで戦うスタイルは、いかにも日本人という感じがする。どんなスポーツでもそうだけど、日本人という時点で体格の不利は絶対的背負ってるわけだし、攻めて勝つというのは日本人の気風には合わない。

バタービーンとロイスターの試合は、どっちもテクニック無さすぎでむしろ笑えた。修行しなおして来い。カーター・ウィリアムスとゲーリーの試合は事実上の決勝かと思ったけど、いやいや、ゲーリー強かったね。むしろ藤本ががんばったお陰で、ちゃんと決勝が決勝らしくなって良かった。藤本ももうちょっと足技鍛えればいいとこまでいく素質はあると思う。

曙?そんなやつ出てたっけ?(笑)  

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2005年07月24日

書評『ローマ人の物語1・2・3』塩野七生著,新潮社

説明が不要なほど有名な本だろう。塩野七生の名著である。ではこの本がなぜこれほど売れているのか? 自分の意見を言わさせてもらえるならば、それは二つの理由、ローマ人というテーマ設定と独特の筆致だと思われる。「ローマは永遠の都」という言葉どおり、西洋はここから始まった。そして今なお、精神的な中心地といえる。「ローマは三度世界を征服した。それは領土、法、キリスト教だ」という言葉も存在する。いかにその影響が大きいか、よくわかる。一方で、文化面にも注目したい。ローマ人は質実剛健な一方、意外なほど陽気だ。これは現在のラテン系諸民族にも共通していて、親近感を覚える。もう一つ格言を出すならば、「2世紀は全世界にとってもっとも幸せな100年だった」と、イギリスの歴史家エドワード・ギボンは言った。つまり我々は、ローマがいかに永遠の都となり、三度世界を征服し、もっとも幸せな世紀の中心となりえたのか、興味を覚えるのだ。誰だって、幸せになりたいというのは共通しているだろう。

第1巻「ローマは一日にしてならず」では、ローマ人がいかに都市国家ローマから領域国家を作り上げて言ったかを描いている。技術でも体格でも知識でも文化でも他民族に劣るローマが、自らの特性を用いてうまく立ち回り、やがて征服する側になっていく様子が非常におもしろい。

第2巻「ハンニバル戦記」は第一次〜第三次ポエニ戦争を描く。カンネーやザマといった、現代戦争史や陸軍学校の授業でも出てくる名勝負が繰り広げられる。戦争形態がいかに変わっていったか、ローマはなぜ戦争に強かったのか、そしてどこが現代でもお手本とされているのかが中心に描かれており、そのおもしろさは全作中でも1,2をほこる。やはり名将と名将のぶつかり合いは、血が騒ぐ。三国志と並んで、男なら避けては通れない歴史戦争ものではないだろうか。

第3巻「勝者の混迷」はポエニ戦争後の「内乱の一世紀」を描く。「ローマの歴史1000年間(BC753年〜AD395年)には、歴史上の全ての事件が含まれている。」といったのは、丸山真男だ。これが誇張であるにしても、やはり類似した状況はこの千年間に存在しうると思う。この時期のローマは、ちょうどベトナム戦争期のアメリカに重なる。ユリウス・カエサルが現れて解決するまでの、ローマ人にとってはあまりにも長い100年間であった。この巻では、政治闘争がメインに描かれている。だからけしておもしろいとも、読みやすいとも言いがたい。しかし、多くの血を流し悲劇を目の当たりにしつつも、常に前向きなローマ人に心打たれる。そして、いよいよ世界史最大級の英雄、ユリウス・カエサルの登場である。


ローマ人の物語〈1〉― ローマは一日にして成らず



ローマ人の物語〈3〉― 勝者の混迷
  
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2005年07月23日

あやうく家がなくなるところだった

今日はまず強い地震があった。渋谷区は震度4だそうだが、埼玉県や千葉県では震度5強だったようだ。我が下宿はさすがに耐震という感じで、微動だにしなかった。家具類も一切。

ここで終わればわざわざ日記に書くまでのことではないのだが、その3時間ほど後。のん気にオールスターを見ていると窓から何やら怪しげな匂いが。気になって外に出ると一面煙だった。素でびびった。よく見ると

隣家が焼けていた。

その直後に消防車が3台やってきて「避難してください」とか叫ばれる。ああ、まだ夕飯食ってないのに……どうやら自分はきづくのが早いほうだったらしく、外で待っていると住人がぞろぞろと追い出されていった。中には寝てた奴もいた。完全に閉め出され、「KEEP OUT」の外側でじっと待機。腹減った。聞いたところによると、ゴミ捨て場からの不審火。気づかれるのが遅く、建物の1階半焼。2階から上と我が家は無傷という、奇妙といえば奇妙な結果に終わった。で、2時間ほどたってようやく帰ってこれた。なんだったんだ。まだ多少家の中が煙くさいんだが。


皆様、隣家の火事と地震には気をつけ……ようがないか。にしても、去年一年間一件も火事が無かったのに、今学期入ってから自分の知る限りで既に3件は火事が発生している(しかもうち2件が不審火、今回含め)事件の匂いがする…
  
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2005年07月21日

恒河沙127号レビュー

新しい恒河沙買ってきた。今回の特集は「東大生VS他大生」で、自分もアンケートに参加したわけだが、けっこう採用されていた。

以下、特徴的な問題と自分の解答と結果に対する突っ込み。数字は問題番号。なんか割りと長くなった&内輪ネタが多いので、暇な人だけどうぞ。まあハイライトは4−4から後なので、忙しい人はそこから先だけどうぞ。

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2005年07月20日

Mission impossible(4)

今日の1限。やってきた。なんかもう疲れたが、責務として書いた答案をさらす。どうでもいいがテスト出席率4割ってどういうことだ。皆切りすぎだろ。また、「裏まで埋めてくれますよね?」と教官が試験中に言っていたのに対し、ほとんどの受講生が表すら埋まってなかったが、自分はきちんと裏3/4まで埋めた。いろんな要素が重なって、けっこう有利かもしれない。とりあえず、詭弁をごまかすべくいろんなところから権威となりそうな人物を引っ張ってきて、いかにも「教養あふれた文章」となるように細工したつもりだ。友人Tには「カップラーメンからベンヤミンのパサージュ論を持ってくる奴は初めて見た」といわれた。そりゃそうだろう。本人だって思いつきなんだから。感想を一言で言うなら、こんなことするくらいならまともに解いたほうがよほど労力がかからない。


以下問題。

次の4題から2題選んで論述せよ
.轡腑◆次淵曠蹈魁璽好函砲砲弔い董特に記憶との関連において
記憶と自己同一性の関係
デカルトと存在神論について
ご攅颪痢嶌─淵魯鵝法廚砲弔い

試験時間 80分 持ち込み不可

以下、解答。ほんとにそのまま載せる。細部やら言い回しが多少違うだろうけど。

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2005年07月19日

虚構とは何か?

現代日本、いや現代世界ほとんどの国家は民主主義である(一応)。では、民主主義の根幹の考えは誰か作ったものか。それはロックである。ではロックはなぜ民主主義国家でないと良くないと考えたのか。それは人間は自然状態ではうまく生きられないからと、彼が考えたからだ。では、ここで考えたい。自然状態とは現実にあったか?いやあるはずがない。ロックの仮定なのだから。ロック自身もそれは認めている。つまり自然状態とは虚構である。その仮定に立脚するロックの思想全体が虚構であり、すなわち現代の政治体制は虚構である。一例でロックを出しただけで、マルクスでもウェーバーでもケインズでも何でもいい。誰にせよ、政治理論は虚構を元に作られている。

では経済は?もっと言わずもがな、といった様相を呈することは考えるまでもない。「神の見えざる手」とは何か?そんなものが現実に存在すると思うか?市場均衡は人間に感情が存在せず、国家や税金という概念が無いなど、限りなく理想的な世界でしかありえない。

文化なんて本当にいうまでも無い。小説にしろ演劇にしろ美術にしろ音楽にしろ、一つの現実とは違う別の世界を作り上げる作業であって、虚構性からはけして脱却できない。ノンフィクション小説にしたって、文字化された時点で全くの虚構性が無いとはいいがたいだろう。

つまり、人間が理性的に生きていく以上、そして想像力を働かせて生きている以上、現実は虚構に立脚しない限り存在することすらできないのである。人間は複雑なこの世界をそのまま直視できるほど、賢くはない。しかし想像力は無限である。だから単純化して考える。ここに虚構性が生まれる。単純化された世界はその時点で現実とは切り離され、人間の想像力によって別の世界として拡大する。こうして政治、経済、文化が生まれた。

すなわち、虚構に生きるということはけして現実を捨てるということではなく、現実の裏側に生きる、とでも言うべきだろう。またけして虚構の世界こそ、つまり現実の裏側こそが真実であるとも主張しない。現実とは、表裏合わせて初めて立体的に真の姿を現すものであると思うからだ。だから自分は虚構に生きる。あまりにも大きすぎるこの世界を、単純化された欠片の世界を通して、出来る限り多くの真実に肉薄してみたい。  
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2005年07月17日

今日は遠出した

Ingres横浜美術館に行ってきた。久々に東京都から出た。……はいいが、友人の「めっちゃ混んでるらしいね」という情報通り、入場2時間待ちだった。

今回のルーヴル展は、新古典派とロマン派に焦点を絞っていた。と言っても歴史ごとに絵画を分けるのではなく、「歴史画」や「肖像画」、「風景画」と言った感じで展示室を分けていたので、見やすかったと思う。とは言っても、正直本日最大のメインであるアングルの「泉」(←参照)が、最初に展示してあったのはびびったが。

古典派の絵画もロマン派の絵画も好きだ。古典派は、ダヴィドのような荘厳な印象やアングルのような女性美がすばらしいし、ロマン派はドラクロワのような、精密でかつ動的な絵画が、純粋に美しいと思う。

小林康夫は「ドラクロワは完成されすぎて嫌いだ」と言っていた。自分は、この論自体は受け入れるが、自分の趣味とは相容れない。完成されているからこそ、美しいと思う。だからアングルの完成された女性美も好きだし、ダヴィドの整った構図も好きなんだろう。  
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2005年07月16日

今日はちょっとセンチメンタル

今日一日かけて、ラブひなを読み返した。非常に懐かしかった。

作品の出来もすばらしいと思う。伏線の張り方や心情描写の細かさ。マガジンに新風を吹き込んだ萌え系の絵柄。ラブひなのヒットがなければ、ネギまはおろかスクランも無かっただろうし、レイブあたりも怪しいところだ。何より、「戦闘要素」を使わずに主人公の成長を描ききったということは、特に革新的だと思う。しかも、受験勉強という暗くて読者の最も嫌う部類に入る行動を通じて、である。

しかし、それを抜きにしても、この作品は自分の人生に大きな影響を与えたのは間違いない。まず、読んでなかったら今東大にはいなかっただろう。別に「ラブひな読んで東大目指した」なんて言うほどとち狂っても無いが(ネタで言うことはあるにせよ)、東大というものに目を向けるようになったのは事実だろう。事実、J高校受験時には6〜8巻あたりを読みふけったものである。

ネタ型思考回路も、この辺から受け取った気がする。中学と高校で随分性格変わったな〜とは自分でも思うが、随分楽天的になったことや、ネタのために身を張るようになったのはこの時期だ。J高校のすばらしい友人たちに出会うことができたのも、ラブひなのおかげだろう。そもそも文化祭実行委員会に入っていたかどうかも怪しい。集団で同じ作品に熱中していたという事実は、我々の結束力を高めた。

KanonやらAIRやらをプレイしても、絵や雰囲気にあまり違和感を感じなかったのはあらかじめ慣らされていたからだろうし。このことはまた、東大受験にもつながってくる。正直、東京に出たかった。秋葉原の近い大学が良かった。そんな、今考えるとくだらない理由でさえも、受験時には恐ろしいパワーになった。

こう分析してみると、いかに自分の半生のルーツだったか、よくわかる。東大におらず、しかも萌えを知らない自分なんて、全く想像がつかない。いい加減本棚のスペースもなくなってきたし、実家に持ち帰ることは現在検討中ではあるが、おそらく一生捨てないであろう。たとえ、萌えることを止めてしまったとしても。  
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書評『進化と人間行動』長谷川眞理子・長谷川寿一著,東京大学出版会

「人間とは何か」を考えるのは、文系の仕事だと思われてきた。いかに生きるべきか、を考えるのは哲学や文学であり、集団としての人間の規則性を考えるのは社会学の仕事だった。しかし、そこに科学のメスが入る。ダーウィンが種の起源を発表し、人間には遺伝の影響を受けた形質があることを明らかにして以降、生物学は驚異的な速度で発展を遂げている。だが、それは簡単な道のりではなかった。特に社会からの誤解が激しかった。遺伝が能力を決めることから人種迫害の正当化に使われたことは、誤解の中でももっとも科学者を悲しませたものであろう。

この本では、そういった生物学、とくに遺伝学の歴史を軽く振り返った後、遺伝とは何か。進化とは何か。そして人間とは何かを問う。特に人間とは何か、という問いに関する議論は、生物学だけにとどまらず心理学や社会学を取り入れ、文系と理系学問の融合を目指している。その論調は鋭い。とにかく誤解の多い分野であるから、慎重に議論を進めている点は好感を持てる。テーマ的に、万人にお勧めできる書物である。特にダーウィンやら自然淘汰やらに胡散臭さを感じる人には必読だろう。


進化と人間行動
  
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2005年07月15日

今日の話題も駒場教養教育の成果……ではない

必要は発明の母というが、実際は発明と必要は両輪のようなものらしい。ちょうど実験と理論が両輪であると、よく言われているように。

奇妙な事実がある。活版印刷は中国(と朝鮮)の発明と言われているが、実はミケーネ文明には既にあった。これは約2000年ほど早い。もっとも、紙にインクや墨で書くのではなく、粘土に金属片で溝を掘って、それを焼くというものであったが、古代文明としては非常に画期的だったといえると思う。

ではなぜ、そのことが歴史的事実として認定されていないのか?それは周囲の国家に広まらず、活版技術が何の役にも立たなかったからである。ミケーネ文明の消滅と同時に滅んでしまった。次にヨーロッパに活版印刷が登場するには、それから1500年ほどあとの、グーテンベルクを待たねばならない。

ではなぜ消滅したのか?この問いは凄く簡単だ。必要が無かったからである。まだ複雑な文字体系も無く(線文字)、複雑な官僚機構も無い。経済らしい経済といえば、オリエント世界との交易だけで、貨幣さえ流通してない。
同じ記号を何度も複製するような、煩雑なものが何も無かったために使用されず、文明の崩壊とともに滅んでしまったのだ。

なんか今更英1の話をしたくないのだが、生命の進化でも同様である。当然、より現在の環境に適用するように進化していったケースも多いのだが、同様に進化した結果新たな環境を手に入れたということも多い。見方によっては、これも「必要は発明の母」といえる。


なんてこと無いことだが、自分としてはけっこうコペルニクス的転回といった感じで、まだまだ自分も視野が狭いと痛感した。余談になるが、これは知識と興味の関係にも適用できると思う。興味を持つことで知識を得たくなる場合が多いと思うが、知識を得てから興味を持つ事だってあるはず。まずは食わず嫌いせずに、何かにつっこんでみるのも面白いかもしれない。案外、駒場の教養教育が目指しているところも、こんなところだと思う。
  
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2005年07月14日

mission impossible(3)

英1の試験も何とか切り抜けて安心したので、いよいよこの計画も本格的に進めたい。

まず、宮本教官についていろいろ情報を集めた結果、「評価は優しいがかなりマジメな人」ということらしい。多分、シャレは効かない。となると、やはり問題にはマジメに答えつつ、何とか話を誘導してカップめんの話を切り出すという方向になりそうだ。

そこでとりあえずカップめんの気持ちになってみようということで、生協と最寄のコンビニから合計6種類のカップめんを買ってきた。そしてここ二日間、カップめん以外食べていなかった。

そのことを話すと友人Sに「スーパーサイズミー(※)みたいになるなよ」と言われた。むしろ縮んでるんだが。常に空腹状態だ、と答えたら、「じゃあminimalize meだろ」といわれた。悔しいが反論できない。果てしなくどうでもいいが、super size meのsizeは -ize(〜化する)との掛詞ということにさっき気づいた。ほんとにどうでもいい。

健康に危険を感じたので、久々に食堂で夕食を食べた。うまかった。既に舌がおかしくなりつつあるのかもしれない。しかし、カップめんを食べるとはどういうことか、この過酷な試練の中でわかりかけているような気がする。多分、爆裂カップめんの中の人もこんな心境だったんだろう。(※2)


人間1をマジメにとっている友人Tに講義の具体的な内容をを聞いてみると、(とは言っても彼もあまりマジメに受けていなかったようだ)

「韓国の恨み、ショアー(ホロコースト)、デカルトと存在神論、記憶と自己同一性から1問または全て」

だそうだ。「1問または全て」ってなんだ。はっきりして欲しい。しかし聞けば聞くほどカップめんなんてぶっこんだら怒られそうな講義内容だ…しかし、今となっては引くに引けない。俺はやる。実際問題、1問ならなんとかする自信がある。全てに解答せよ、と言われたらその時はあきらめるか。

さらに、困ったことに過去問もシケプリもネット上に落ちていなかった。どうやら得られる情報はこれだけのようだ。何か知っていることがあったらどんどん教えてください(平伏)  続きを読む
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2005年07月13日

どうせなので

英1の文章につっこみでも入れてみる。

Session1「なぜ笑うか?」
題材はおもしろい。だが、笑のツボが根本的に日本人とはずれているのでイマイチわかりづらいかもしれない。

Session2「無意味な詩」
自分はけっこう好きだったが、文理共通教科書でやる題材じゃなかろうに。電波。最後まで電波。

Session3「現代の光」(タイトル微妙)
理系内容。なんとか理解できた。ただし内容はつまらない。多分理系にとってもつまらない。

Session4「自然淘汰」
文章は珍しくそこそこおもしろかった。が、内容が陳腐。こんな内容は総合科目でやれば十分。英1にはいらない。

Session5「農業のありがた迷惑」
ここの人は嫌いなようだが、自分は今回で一番面白いと思った。まあこの著者の別の本を読んだからだろうけど(『銃・病原菌・鉄』),十分客観的実証性に富んでいると思うんだけどなあ……しかも医学的に。筆者の視点が偏っているとも思えないし。

Session6「一点への集中の弊害」(意訳)
題材はおもしろかった。でも論理の推移がやや強引。通ってないことは無いけれども。文章はそこそこうまい。

Session7「言葉の生身」
文理共通でやる内容じゃないだろうにパート2。メルロ=ポンティって……文系でもわからん。しかも文章下手。一文長すぎ。今度は前出の方に全く同意。

Session8「人種の偽造」
またもや文章下手。Session6が文単位で下手なら、今度は文章単位で下手。多分文整除や段落整除が出たら俺はできない。(ひょっとして狙われてる?)内容も陳腐。消え去るべし。

Session9「多重人格」
いろんな意味でまあまあ。ただ、結論の書き方がいただけない。もっとはっきり書きましょう。わかりにくい。途中まで普通だったのに。あと、内容が少々時代遅れかも。

Session10「音楽の喜び」
音楽やってないとわからない単語多数。syncopationって何よ?でも、内容はおもしろかった。結論も奇抜でよろしい。


というわけで、Session6から10は消えてしまえばいいと思う。
じゃあ皆さんがんばりますか。  
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2005年07月12日

ちなみに自分は魏延使い

英語1で気が滅入ってる人も多いだろうと思うので、今日はゲームについて語ろうと思う。今日のネタは三国無双シリーズである。

自分はこのシリーズがとても好きだった。真三国無双1はPS2の限界に挑んだ意欲作だった。発売当時は、あの大群衆の中武将一人で切り込んでいくのが爽快だった。敵武将のHP回復システムがやや悪かったのが、ものすごくネックだったが、それ以外には致命的な欠点もなく、新作にありがちなボリュームが少なすぎるとか登場キャラが少ないだとか、そういった文句を除けば、不思議なくらい文句の少ない革新的な作品だった。

真三国無双2は、本当に不朽の名作だと思う。1のいいところを残したまま、武器システムを取り入れ、登場人数を倍近くまで増やし、ステージ数も3倍以上に増えた。敵武将のHP回復システムも改善され、すばらしいゲームバランスになった。過度ではない萌えも、ゲームのリアリティを崩さない程度でよかったと思う。(個人的には無くても良かったが)

ではなぜ過去形かというと、2の猛将伝あたりから様子がおかしくなった。まず、最強ではあるにしろ、けしてメインではないはずの呂布の台頭。あいつは確かに三国志最強だが、あんなにかっこよくないはずだ。加えて、過度の萌え混入。この二つが決定的にリアリティを欠如させた。何より自分をがっくりさせたのは、ゲームバランスの崩壊。いや、この言い方は語弊があるか。呂布が弱くなった。

呂布が呂布たる由縁は、相当鍛え上げた武将であっても倒せないから呂布なのである。初期値ならばもう逃げるしかない。ところがこの作品あたりから、他の武将よりは少々強いくらい、張飛や関羽一人分くらいの強さになってしまった。虎牢関の三騎討ちはなんだったんだろう。もはや鬼神とは呼べない。


3は、なんだか方向性を見失ってる気がする。2で取り入れて好評だった部分を発展させた結果、1から2に受け継がれた良さが消えてしまった。まず、マップが全体的に小さくなって、爽快感が薄れた。武器が十段階になって、武将の成長よりも武器の収集のほうが重要になった。隠し武器を増やしすぎて、史実と脈絡の無いイベントから隠し武器が出現するようになって、ますますリアリティが薄れた。

さらに女性キャラが追加。加えてマイナーキャラの追加。実際戦場に出ていかったり、史書にどんな武器を使ったか残ってないから想像の範囲と言えば聞こえはいいが、これまたあまりにも三国志と脈絡の無い武器やら衣装多すぎ。個人的には張コウや大喬のように、ネタキャラは各勢力1〜2人くらいがちょうど良かった。

この後に三国無双Empiresという、正規の三国志シリーズと三国無双を合体させたような作品が出てきたが、「だったら正規シリーズをやれよ」という気持ちがしてやってない。実際戦闘バランスが激しく悪く、評判があまりよくないと聞いた。4は話を聞く限り2と3の中間のようなゲームで、やや無双らしさを取り戻したらしいが買っていないのでわからない。というか3のせいでもはや買う気が起きなかった。


視点を変えて戦国無双。これは別物と考えたほうがいいだろう。無双としてみるなら失格である。「多対多」でときどき一騎打ちなったりするからおもしろかったわけで、ずっと「一対多」「一対一」の場面が多すぎる。大体城攻めの時は自分しかいないとかありえない。任務がうざくて爽快感に欠ける。

ただ、ゲームとしてみるなら十分おもしろい。まず、どんなにありえない格好でもなんだか許せる。現実にも慶次みたいなありえない奴がいたから納得できてしまうのだろう。まだキャラ数が少ないせいもあってか、隠し武器の由来も納得できる。日本神話由来でそろえたところもおもしろかった(阿国の隠し武器が木乃花咲耶由来とか笑った)。特に、任務を遂行することで時間軸が進んでいくシステムも、無双として考えなければ目新しくて面白いと思う。だからやっぱりこれは別のシリーズと考えたほうがいいだろう。

以上語ったように、無双は路線を間違えたと思う。このまま進んでいくなら、「戦国無双2」は買うかもしれないが、他の場合はおそらくもう買わないだろう。できるなら、シリアス路線で次は出して欲しいものである。  
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2005年07月11日

別に暑さで脳がやられたわけじゃない

少し前の講義で写真史を取り扱った。写真を芸術として取り扱うとき、常に立ちはだかる壁は「写真は芸術かどうか」ということである。複製可能だから、物への畏敬が薄れる、よって芸術作品とは言えないというベンヤミン路線が主だった意見である。

近年では、写真は芸術の一ジャンルとして確立されたように思う。東京写真美術館なんてのもあるくらいだし。(なお、ここは自分たちが芸術ではないという批判を受けてきた経験からか、新芸術に対して懐が広い。ヴェネツィアビエンナーレに出展した「日本オタク展」の国内公開を行ったのはここだけである。)しかし、写真が芸術かどうか考えること、そして写真がなぜ芸術と認められたのか考えること自体は、芸術の本質を捉えるために有効な議論であると思う。

一つの主張は、「写真は技術を要するものだから、絵画と同じ」というもの。これはもっともだろう。構図やフォーカスなど、熟練した腕が無いと綺麗な写真は撮れるものではない。複製芸術だという批判も、昔からある版画だって複製芸術だという反論で逃れられる。しかし何よりも大きいのは、「写真史」というものが作られ、写真家たちが(便宜的とはいえ)系列別に整理されるようになり、学問として研究されるようになったことも大きいのではないだろうか。そもそもの実力に加え、権威付けられてしまえば反論は出ない。権威ある批評をくぐった作品は、権威ある作品となりうる。

写真がすごくないと言っているわけではない。学問に研究を「させた」のは写真の実力であり、そこに疑う余地は無い。しかし的確な批評を受けたかどうかというのは、芸術作品として必須の条件だと思う。学問が無かった時代には、貴族層や君主がそういったことをしていたということを考えると、今も昔も変わらない。だとするならば、「芸術はお堅い」という批判はもっともである。

やや横道にそれたが、ここで考えたいのは「ではCGは芸術か?」ということである。アニメ(特に映画)や漫画(特に古いもの)は、何だか認められてきた感があり、ゲームも取り上げられ始めたが、一枚絵としてのCGはいまいち話題に上がってこない。むしろ絵画の一ジャンル的雰囲気が強い。分離するのは時間の問題だと思いたい。
  
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2005年07月08日

書評『東大教授の通信簿』石浦章一著,平凡社新書

著者自身も教官である。自分もこの教官の講義は受けたことあるが、説明うまいし、人柄もいい人である。ちょっと怒りっぽいけど。内容は、まずなぜ東京大学にだけまだ教養学部が残っているかというと、学部改革が進んだからだとして具体的に説明している。その改革の一つで、生徒による教官の評価を行っている。生徒の実態をつかむとともに、自らの欠点を発見して今後の講義に生かすためである。

この本がおもしろいのは、その全校生徒による教官評価のデータが統計されて掲載されている、ということだ。それも学科別に。こうしてみると、理系の惨々たる状況が見えてくる。彼らの悲痛な叫びの一部に耳を傾けてみると…物理教官について「声が小さい」、化学教官「専門用語で話されても…僕らこの間まで高校生でしたよ?自分で調べる範疇を超えています」、生物教官「生物未履修の子もいたわってあげてください(理二)」等々。これに加えて、そう大して得意でもない言語に、第二外国語が入ってくるのである。

文系がいかに恵まれているかよくわかる。そりゃ外国語は大変だけど、必修が圧倒的に少ない。何より実験が無い。その他、このデータを元にどの学科が閉塞的か、とか一般的な学生の講義の好みとかが数字になって見えてくる。石浦教官の皮肉の入った筆も手伝って、けっこうおもしろい。これからも東京大学教養学部は改革を続けていく。理系の二外は2年まで必修だったものを1年だけにするそうだし、文系の準必修を増やし、もっと知識を増やす講義ではなく「研究方法」そのものを身につけるような準必修に変えていくそうだ。自分もそのほうがいいと思う。

トップを崩さないためには、それ相応の努力が必要……そう語りかけているかのような一冊である。

東大教授の通信簿―「授業評価」から見えてきた東京大学
  
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2005年07月07日

the PASSION of the Christ

文字や想像力では、表せないものがあると思う。想像力がいかに無限といえども、理性がストップをかけることだってあるから。そういった場合、五感から受容する。そしてそのパワーはすごい。

とにかくグロかった。リアルすぎる。ほんとに12禁?バトルロワイヤルよりよほどエグイよ?日本人で汎神論な自分でこれだけ衝撃的なんだから、西洋人のショックは計り知れない。釈迦の入滅やムハンマドの死があれだけ穏やかだったのに対し、キリストはこれだからね……ピラトーが有能で、キリストを黒海追放の刑にしていたらキリスト教はこんなに広まらなかっただろうと塩野七生が言ってたけど、磔刑のシーンにはそう思わせるだけの破壊力がある。

キリストの復活で終わったけど、ラストが圧巻だった。そう来たか、という感じ。一見の価値有。

ちなみにご存知の通り、この映画ラテン語とアラム語とヘブライ語で演じられている。ピラトーのラテン語はかすかに数字とか基本動詞くらいは聞き取れたような…アラム語とヘブライ語は、区別すらつかんかった。(登場人物が何人か考えればわかるけど……)アメリカ人にとっては、久々に字幕で見る映画になったと思われる。そう考えると、普段字幕でしか映画を見ない我々にとってはなんだか奇妙だ。
  
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2005年07月06日

誰だって勘違いするもの

勘違いとは恐ろしいものだ。理解していると思っていたことが、誤解だったりする。慢心しきっているから、なおのこと恐ろしい。特に異文化間の勘違いは、より恐ろしい。確かめる術が無く、ひょっとしたら一生気づかない。


今読んでいる『銃・病原菌・鉄』に、以下のようなことが書いてあった。

「経済性より社会的ステータスが重要視され、その結果技術の受容性に影響することがある。……(中略)……日本人エリート層が、効率の良いアルファベットやカナ文字を利用せず、難解で書くのがたいへんな漢字を優先して使うのも、漢字の社会的ステータスが高いからである。」

※ 著者はUCLA医学部教授


このことが紛れも無い誤解であることを証明するのは、非常に簡単だ。ためしに上の引用文を全部ひらがなにしてみよればわかる。

「けいざいせいよりしゃかいてきすてーたすがじゅうようしされ、そのけっかぎじゅつのじゅうようせいにえいきょうすることがある。……(ちゅうりゃく)……にほんじんえりーとそうが、こうりつのよいあるふぁべっとやかなもじをりようせず、なんかいでかくのがたいへんなかんじをゆうせんしてつかうのも、かんじのしゃかいてきすてーたすがたかいからである。」

読みづらいことこの上ない。漢字は、アルファベット系言語における、単語と単語の間のスペースみたいなものだと思う。そうすることで、"a" や"the"や "is"といった単語にはあまり注意を配らずに読めるように、日本語でも漢字部分と語尾だけを飛ばしよみすれば、速読できる。非常にわかりやすい。

もちろん、難解な漢字が社会的ステータスのように扱われるということが間違っているわけでは無いと思うし,漢語が格調高い文章の特徴として扱われることはある。が,基本的には漢語を用いることでより厳密な議論をしやすくなるからであり,社会的ステータスは三の次くらいである。

少々悲しい勘違いをされていると思った。著者に権威があるだけに……ね。  
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2005年07月05日

Mission impossible(2)

レスを返しつつ、戦略を練ってみる。
あと、ごめん。説明足んなかったね。決行は人間1のみ。いや、生態進化学でやってもいいけど、「不可」確定だからあんまりやりたくない。
というか、乗ってきてくれる祭好きの皆様サンクス。


>Q
>まず第1文に「哲学とはラーメンのようなものだ」
ぱっと見はかっこいい。残りの文章も少々考えてみることにする。

>カップラーメンにもいろいろ種類があり、たとえばお湯を注いだ時間によって場合わけして
>それぞれについて面白いことをかくという方法などが考えられますが・・・。
まあそうなりそう。
毎日カップラーメン漬けの日々が始まるのか…

>90分間で詩を書いてさらにそれに曲をつけたら別の意味で賞賛されるに違いありません。しかしそんな能力のある人は東大なんか来ないのでこれも却下。
これはhenriならできそうだが、俺には出来ない。というかむしろやって。>henri


>Uさく
確かハイデッガーは講義に出てきた。わずかに出た講義のときに聞いた記憶はある。ハイデッガーならそこそこ知ってるので、考慮の余地が多いにありそう。

>ta-ki
心はいつもvipper。でもそれは板違い。

>ネ右
爆笑。しかしそのネタはここでは俺にしか通じない。残念。

>henri
それもありか。上の何かとあわせ技で。
しかし、どうせやるなら確かにギでやりたかった…まさかあの時点ではこんな計画を立てるとは思って無かったから、しかたない。

>イタリア紳士
実は「鍵作品について熱く語る(信者を演じる)」というのもちょっと考えたけど、ここの読者の約1/3程がストーリー知らないと思われるので、ネタ的におもしろくない。別のブログならよかったかもしれんけどね。


以下、メールやらメッセやらからの提案。


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2005年07月04日

Mission impossible(1)

東大教養学部には、以下のような都市伝説がある。

「カップラーメンの作り方で、答案用紙の表を埋めたら、可が来る」


まあ普通に嘘だろうと思うが……ここで引き下がるほど、ここの管理人は甘くない!!!

さて、ここに切った講義が二つある。

月2 生態進化学
水1 人間1(宮本久雄)


宮本久雄=いい人
人間1=電波


カップラーメンの一つや二つ、まぎれてても問題ないだろう。


しかし、ここに大問題がある。
時代錯誤社様の恒河沙126号で既に高橋哲哉教官に対して「栗きんとんの作り方」で裏表を埋めるという企画をやっていた。なんということだ。先を越されてしまった。
しかも結果は「不可」…

このまま、「ラーメン」でチャレンジしても、返ってくる結果は予想される…そこで一ひねり加えたい。(既に目的が変わってきてる)


1、「ラーメン」で裏まで埋める。表だけじゃ根性見せたことにはならない。
2、まじめな回答と「ラーメン」を結びつけた上で、作り方
3、いっそラーメンじゃなくて、いやされる話でも書いたほうが「可」がきやすいのでは?
4、ここは青臭い詩でも。尾崎みたいな。
5、その他


さて、どれをやろうか。
ここは、読者の反応で決めようと思う。
↓にレスるなり、直接なり、携帯にメールなり、投票してくれると、管理人ががんばる…かもしれない。  
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2005年07月02日

今日はちょっとはじけてみた

今日は変なもの紹介。

「血の涙」を流すマリア像 - 調査行われるも原因掴めず 伊

まあ読んでいただいたとおりなのだが、調査団の胡散臭さが笑える。しかし何より注目すべき点はここだろう。

>また調査ではマリア像の流す血は人間の男性のものであることが判明しているが、
なんか怪奇というよりは、間抜けに見えてしまう。
うまいと思ったのは、下に引用したレス。

>45.
>そらー子供を身籠るハズもないワケだー。オッサンだーもの。
>あらまぁ、ヨゼフさん(男)、いつものコね? マリアちゃん(男)ご指名ですよー。
>んで、おかまカップルに育てられたイエス君はグレて荒野を彷徨う・・・。
>そして後に彼は愛を説くようになる──汝、隣人を愛せよ。

そう来たか、という感じだが、妙に説得力がある。そういえば、キリストってヨゼフとあんまり仲良くないんだっけ。「万人共通で愛する私にとっては、家族といえども他人である」とか「私は神の子であり、あなたはこの世の仮の父である」とかイエスが言ったものだから、ヨゼフは不快だったとか聖書に書いてあった覚えがある。

ローマ社会は男色は法的には認められていたが、少子化が進んでいて倫理的に問題があった。ユダヤ王国では厳禁だった。そこに「隣人を愛せ」とか言ってる連中がやってきて布教し始めた。このままでは男色が盛んになって少子化が進んでしまう……

そう、ローマ帝国がキリスト教徒を迫害したのは、少子化対策だったんだよ!!!!

な、なんだってー!!

あれ?マグダラのマリアは?………そうか、キリストは両t(ry  
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2005年07月01日

グノーシスから見たドラクエ7

グノーシスの一例として、ドラクエ7について考察してみよう。
(以下激しくネタばれ)
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Posted by dg_law at 21:42Comments(1)

書評『グノーシス 〜古代キリスト教の異端思想〜』筒井賢治著 講談社

新世紀エヴァンゲリオン、ドラゴンクエスト7、マトリックス……

これらは全てグノーシス思想に基づいて作られた作品群である。グノーシスはキリスト教の異端派であるとされている。キリスト教グノーシス派は、そのラディカルな思想にあわず、宗教というより、まさしく「思想」であった。社会変革や個人の救済を目指したというよりは、キリスト教正統多数派への異議を唱える、知識層の知的好奇心を満たすものであった。しかし、その極端な思想はキリスト教正統多数派に「異端」とみなされ、やがて消滅する。しかしその思想だけは生き残り、現代にいたるまで芸術作品へ、ひそかに影響を与え続けており、その貢献は計り知れないものがある。また、キリスト教以外の宗教や哲学にも大きな影響を与えている。ネオプラトニズムや小座部仏教も広い意味ではグノーシスの一派である。

簡単にグノーシスを説明してしまうと、以下のような形だ。「この世界を作った神は偽者であり、人間の肉体を含めた森羅万象は全て偽善である。本当の神は天上界におわし、我々は『認識』することができない。しかし我々の精神には本当の神が与えたまえし『魂』が存在する。我々はその『魂』の存在を『自覚』することで、死んだときにこの偽りの世界にとらわれることなく、神のおわす天上界に帰ることができる。」そして、グノーシスとは、古代ギリシア語で『認識、自覚』という意味である。こう書くと危険な思想に思われるかもしれないが、キリスト教グノーシス派はあくまで無害な知的活動家たちだった。


さて、この本の紹介に移らせていただこう。この本は東大の若手教官であり、日本で初めてグノーシスを専門とした筒井氏による、一般向けのグノーシス紹介本である。一般向けなだけあって、相当わかりやすい。それでいて、グノーシス研究の最前線まできちんと話をもっていく。ユーモアもきいているし、図も豊富。別にグノーシスの肩を持ち上げているわけではなく、その立場はあくまで日本人的な無神論者の平等である。肝心の研究の内容もしっかりしている。内容、読みやすさに全く不満点は無く、個人的には賞賛の嵐である。自らの創作活動にインスピレーションを与えたい人に特にお勧めと言えるだろう。


グノーシス―古代キリスト教の“異端思想”
  
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