2005年10月29日

書評『私・今・そして神 −開闢の哲学−』永井均著,講談社現代新書

この世界を成り立たせているのは私という主観の存在か(デカルト)、それとも現前するものそのものが世界なのか(ライプニッツの主張)、はたまた客観的世界が先に存在しているのか(カントの主張)。この命題を中心に、神の限界性、時間の相対性、心とは何か、身体論、多世界論、果てには私的言語論までたった200ページで論じてしまう。…と概容を書いてみたが、おそらく多くの人にとっては「なんのこっちゃ?」という感じだろう。というか自分もそうだった。そして読み終わってなおあまり理解していない。

それでも何とか最後までたどりつけたんだから、説明はうまいと言っていいのかもしれないが……正直理解が追いついてない。この内容を200ページで収めたことが無謀であり、説明不足といわざるをえないだろう。これがファーストトライでばっちり理解できる人は既によほど哲学詳しいか、相当の理解力の持ち主だ。だからこの本、非常に評価が難しい。


私・今・そして神―開闢の哲学
  

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2005年10月28日

恒河沙128号レビュー

今回も当然のように買ってしまった恒河沙。特集は夏休み明け恒例の「殴り込み東大模試」だった。今回はちょっと趣向を変えて、異種格闘技戦となっている。

まず、東大模試と京大模試を両方受験。京大模試のほうが合格判定が高かったのはいかがなものか。次に理一が東大文系で受けるというもの。笑ったのは日本史の解答。「大日本帝国憲法と日本国憲法の違い」という、いかにも社会系の好きな駿台の出しそうな問題に対し、「近年では憲法改正の動きすらあり、再び軍靴の音が近付いてきている」という真っ赤な解答を書いて提出したクオリティの高さにびびった。こいつは只者じゃない。ちなみにこの解答15点中4点だったそうで。

あとは小学生に混じって中学模試を受けていた。どうみてもロリコン以外何者でもない。国語の問題が「子供の頃からお勉強に力を入れさせられて育つと人生勉強がおろそかになり人間関係構築能力が(ry」な文章だったらしく、模試製作者が何を考えているのかわからない。あと算数が90/150だったそうな。ちなみに

510÷15+510÷85=5.1(不正解)

この筆者がどういう思考回路でこのような解答を作ったのか、想像してあげよう。きっと涙が出てくる。大丈夫か文一、そして日本の将来。どうでもいいが、珍しく恒河沙にまともな広告が載っていた。いつも嘘広告しか載せないからものすごく疑ってしまった。というよりも恒河沙に広告を載せるとは、正気の沙汰じゃないと思うのだが。

次の記事は高校別東大合格者数のランキングの推移を、過去50年分さかのぼってみるというもの。そんなこと恒河沙でやらなくても読売ウィークリーでやってるのだが…つっこみ自体は的確だったが、恒河沙らしからぬ記事だと思う。どうせやるなら、留年者率ランキング2005を作って欲しかった。その次は、今年の進振り異常事態の一つであった(過去形)、印哲に志望集計段階で底が着いていたということのネタばらし。原因はお前らか。見事に釣られたよ。結局いつもどおり、いや少々多い3人でとどまった。

次はもはや恒例双子ネタ。しかし、双子の実名が「しおり」と「さおり」というのはギャグだよなあ…ゆうなとまいなじゃないだけマシか内容は昔の人は皆ロリコンだった、というもの。まさにその通り。最後のネタは、1号館のトイレ改修工事停止に関して。理由は工事を請け負っていた会社が民事再生法の適用を受けたから。こんな学校に経済学部は存在しないに違いない。東大?どこの学校ですかそれ?

ちなみに実は今回の刊行、例年より少々遅れてたわけだが、理由は編集長が某魔法学校に転入、学校に来なくなったからだそうな。合掌。  
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2005年10月26日

西洋絵画の美女たち

Guido_Reni昔「美の巨人たち」という番組で「絵画史上の美女ベスト10」という企画をやっていたのを偶然見たので、その結果を転載。

絵画史上の美女ベスト10・「美の巨人たち」250回記念
1.ヨハネス・フェルメール「真珠の耳飾りの少女」
2.レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナ・リザ」
3.グイド・レーニ「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」
4.ラファエロ「小椅子の聖母」
5.ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」
6.アングル「泉」
7.ミレイ「オフィーリア」
8.モネ「日傘をさす女」
9.ラファエロ「ラ・ヴェラータ」
10.モーリス・カンタン・ド・ラトゥール「ポンパドゥール夫人」


けっこう同意できるところがある。ミレイの「オフィーリア」は先日講義でハムレットを扱ったばかりなので印象深い。「落穂拾い」のミレーとは全くの別人なので注意が必要だ。筆致が違うので絵を見ればわかるか。にしても美人すぎる。これではハムレットも心変わりしてしまうんじゃないか。ラファエロの「ラ・ヴェラータ」だけ知らなかったのでぐぐって見てみたが確かに美人だ。しかしどうせラファエロは一つランクインしているので、誰か違う人の作品をランクインさせるべきではなかったか?「小椅子の聖母」に関しては納得。彼は聖母ばかり描いているが、中でもこれは温かみのある一作だ。

有名所が多い一方で、「ポンパドゥール夫人」を推したいマニアックな人は少ないだろう。ロココも嫌いじゃないんだけどなあ。画家の名前が長いのは、時代違いで血のつながていない同じフランス人の「ジョルジュ・ド・ラトゥール」という画家がいるからである(過去記事参照)アンリ・ファンタン・ド・ラトゥールという画家もいる。

「モナ・リザ」はなぜランクインしているのか謎。美女か?少数ではあるもののダヴィンチ本人の女装説すらあるのに。これは皆様にも聞いてみたい。あれは美女か?どうしてもダヴィンチをランクインさせたいなら……「聖アンナと聖母子」か。モネの「日傘を指す女」は複数あるので画像に困ったが、一番有名っぽそうなのを選んだつもりだ。しかし、モネならもっと別のがある気もするのだが…

一押しはグイド・レーニの「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」。個人的には一番美人だと思う。薄幸の人生を歩んできた様子がにじみ出てるのがすばらしい。しかし「美の巨人たち」が選んだ一位も納得ではある。やはりか、という感じ。もっとも、フェルメールはレーニの影響であの絵を描いたという話もある。日本にも「見返り美人図」はあることを考えるに、振り向き様の女性が最も美人に見える、ということなのかもしれない。
  
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2005年10月24日

Life is beautiful

昨日のブックレビューとイタリアつながりで、というわけではないが「Life is beautiful」を見た。戦場のピアニストと似たような路線で、要はホロコーストの話だが内容は大きく違う。

戦場のピアニストは主人公がけっこう静かな人で、ポーランド系ユダヤ人。つまり迫害の理由十分な人で、これでもかというくらい次第に最悪な状況に追い込まれていく。期間も非常に長い。作中では詳しく語られていなかったように思うが、10年近い逃亡生活だったのではないだろうか。そして、彼は常に一人である。生きる意志は最初はいろいろな理由があったのだが、物語途中から(特にワルシャワ陥落直前あたりから)純粋に生きたい、という自己目的化しているような感じが強い。

一方Life is beautifulの主人公はすごく陽気な人で、典型的なイタリア人だ。ユダヤ人と言われても納得がいかないくらい。さらにイタリアということでユダヤ迫害開始も遅く、終戦も早い。こちらも詳しくは語られていないが1年か2年じゃないだろうか。主人公の陽気さもあって、また彼が一緒に連れてこられた妻や子供のため生きようとしている姿もあって、あまり悲壮感は無い。「楽しくなくては生きる意味が無い」というよりも、「生きているからこそ楽しくしよう」というのが伝わってくる。

両者に共通していることは、「とにかく生きよう」という意志だ。しかしその根源も結果も違う。偶然ではあるが、うまく好対照となっている。細かな共通点としては、両者とも現地民、すなわちポーランド人とイタリア人の妻がいるということだ。これは簡単に別離の悲劇を演出できるし、再会の喜びも演出できるという物語構成上の理由だと思われる。しかし、これは単純に戦場のピアニストを先に見てしまったという理由であってLife is beautiful自体は悪くないのだが、正直二度も同じ手段を使われると冷めてしまった。

自分としては「生きているからこそ楽しい人生を」という姿勢には非常に共感できるし、この姿勢こそまさしく美しい。特に、ウィットの効いたジョークがたくさん出てくるところがおもしろかった。だからLife is beautifulも好きだが、単純な映画としてのインパクト、感動できる具合としては、戦場のピアニストのほうが上だと思う。やはりあれだけの衝撃は絶望的なまでの悲劇じゃないと演出できないのだろう。あとシンドラーのリストを見れば、ホロコースト系の有名作品はコンプリートと言えるかもしれない。悪いが、東大教官がなぜか口をそろえて賞賛するショアーは講義中少しだけ見たが、長い&歴史は動いた的誇張が多いので、見る気がしない。  
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2005年10月22日

お酒の神様

毎週金曜本郷の日。今日も少々遅刻しつつ(半蔵門線が止まるとかありえない)、東大前でプラトンに挨拶して講義を受けてきた。金曜日は本郷という場所、受けている授業、そして一緒に行動する友人の性質上、文学青年になった気分がするね。気分だけは。

東大総合博物館に初めて入った。ローマ彫刻が新たに発掘され、いままで万博に展示されていたものをイタリアに持ち帰る前に東大に持ってきたらしい。それを見に行ってきた。すばらしかった。ほとんど完全な形であれだけの彫刻が残っているというのは非常に珍しい。古典期の彫刻は、写実的でかつ理想的な美が追求されているから好きだ。ちなみに発掘された2体のうち1体はディオニソス(バッカス)で、自分が信仰せずにはいられない神だったのは何かの偶然ではあるまい。

展示は彫刻だけでなく、生物の分類を示した展示もやっていた(確か展示名は「標本は語る」)。なぜか分類は鉱物から始まったが、鉱物系も好きだ。貴金属はその性質から美術の一端だと思う。生物の展示も学生としてというよりは単なる好奇心で楽しめた。展示が工夫されていて見やすい。特にウニの特別展示。種類が豊富で、こんなのもウニの一種なのかと驚かされた。岩にしか見えない。「ブンブクチャガマ」という名前のウニもあった。気になる人は行ってみよう。

ついでに、なにやら東大土産店ができていたので行ってみた。全体的に高い……が受験生は買っていくんだろうなあ。個人的に目に付いたのはTシャツ。通常の大学Tシャツは趣味が悪く、大学名が堂々と載っていてとても着る気にはなれないが、あれなら何とかネタとして着れるラインだと思う。そんなに目立たない。あとはやはり東大製造泡盛。次に実家に帰るときには買ってくか。
  
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2005年10月19日

薔薇の名前

さてようやくツタヤで借りて来れたので、見た映画のレビュー。珍しくマイナーな映画でも。というかまた古いな…(1986年制作)

原作は有名なイタリアの文学者ウンベルト・エーコー。主演はショーン・コネリー。けっこう本格的な推理物だった。時代は1327年。つまりバリバリの中世。主人公はアリストテレス信奉者の現実主義者だから、現代から見ると当然の行動なのに中世ゆえに白眼視されている光景がおもしろい。訪れた修道院で殺人事件が起こってそれを解決しようとするわけだが、キリスト教内の宗派同士の教義による対立、権力争いが重なって実におもしろい。確かにこれは時代設定を中世にしないと描けないだろう。

何より際立つのが、書物の希少性。たった一部屋の書庫で「この修道院には何て本が大量にあるんだ!」と感動する主人公に、共感を覚える現代人はほとんどいないだろう。当然この書庫が事件にかかわってくるわけだが、それは見てからのお楽しみ。けっこうグロいので、耐性が無い人はやめといたほうがいいだろう。と言ってもパッションよりは相当マシだ。構成がまとまっていて、無駄な部分が無い。さくさく話が進むので飽きないだろう。

この映画で最大の問題点は、古いということだろう。DVDが借りられていてビデオで見たせいもあり、画像が荒い。音声も時々飛んでるし。文化財保護活動者で、テクストの重要性を訴えたエーコーの作品がぼろぼろになっているというのも、何とも皮肉な話ではある。中世ヨーロッパの様子とか、推理物が好きなら是非。  
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2005年10月18日

認知度が微妙なライン

Moreau文化村のギュスターヴ・モロー展に行ってきた。モローというと、自分の中ではサロメのイメージしかないが、前もって調べていくにフランス国立美術学校の教授で、ルオーやマティスが教え子にいたらしい。意外だ。全然似てない。モローは一応象徴主義には分類されるが、独自の道を行っている気がせんでもない。

今日の展示でも神話や聖書の話を多く書いたモローらしく、歴史画重視だった。特にサロメは大量に飾ってあった。さすが。習作を見せた後に完成品を持ってくるという展示の仕方もうまい。こうやって絵画ができていくのね、と勉強になった。ただ問題は、なんか大量の習作でごまかされた気が。あんまり完成品の量が無かったぞ。どう考えても50いってない。これで900円(大学生)は高い。

モローの特徴はある意味わかりやすい。わざとしっかり塗ってないというか。かすれ具合を大事にしているところがある。左のプロフィールに載っている自分の好きな画家を見ればわかる人にはわかるように割りとしっかり塗る人が好きなので、個人的な趣味には合わなかったが、これはこれでおもしろいと思う。王宮の壁の擦れた感じとか、サロメの服の刺繍の複雑さとか、効果的に残している。「夢の中にしか本当の現実は無い」と言ったのはボードレールで、それを絵画にしたのがモロー、と展示冒頭の説明文に書いてあったが、夢よりもっと幻想的な世界への旅路だったように思われる。  
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2005年10月15日

作った人に感謝

atheneそういえば、昨日書き忘れたのだが、南北線東大前駅には粋な計らいがある。壁に大きな絵が飾ってある。それは「アテネの学堂」と呼ばれる作品の抜粋だ。(言うまでも無く上の画像も抜粋)

この絵はギリシアの哲学者を全員集合させたとてつもなく巨大な絵でラファエロの傑作。バチカン市国にある、聖ピエトロ大聖堂の署名の間の壁画である。キリスト教の聖地である場所にギリシア哲学者が全員集合しているというのも何だかおかしな話ではあるが、キリスト教神学にギリシア哲学が援用されだしたことを考えればおかしくはない。

少々浅学ながら絵の解説をしてみると、両側に門の柱を立てることで構図を安定させ、真ん中の二人、プラトン(はげてる方)とアリストテレスの二人に焦点をあわせるというやり方は実にうまい。やはりこの二人がギリシア哲学の代表というのは、二千年間変わらないことらしい。ちなみにプラトンは指を上に指し、アリストテレスは手を下に伏せているという動きも、わかる人にはおもしろい造詣だろう。

立ち位置も非常によく考えられている。なぜならこれら哲学者は数グループに分かれて立っているが、これは分野別のグループである。そしてそのもっとも注意のあたる位置にプラトンとアリストテレスの二人を中心とした哲学のグループがあるのは、哲学が全ての学問の中心だったということを示している。また、本当の哲学者の顔なんて残っていないことをいいことに(超有名人なら彫刻は残っていたが)、各哲学者の顔は当時のイタリアの芸術家の顔を拝借している。プラトンの顔はレオナルド・ダ・ヴィンチである。こうしたちょっとした遊び心があるのは嬉しいものだ。まあまだまだ解説しようと思えばできるのだが、話の本筋ではないので省略。詳しくは「まなざしのレッスン」におおよそのことは書いてあるので、興味がわいたならそちらを立ち読みしてほしい。


で、何が言いたいかというとこれを一週間に一回ではあるけれども、見ると本郷に来たな、学問の聖地だな、という気になる。満員電車で「もう帰りたい」と思った頃に見るから、余計にすばらしい。何より「アテネの学堂」というチョイスがいい。「モナ=リザ」とか「民衆を導く自由の女神」とかは確かに名画だが、あれを朝から見つめる気力にはならないし、大体東大とは全く関係が無い。とにかくナイスチョイスなので褒めちぎってみたが、通学中もしくは東大見学に来た際、三四郎池なんてどうでもいいから、ぜひ一度はこっちを見ていくべきだろう。  
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2005年10月14日

疲れてます

これまで何度か本郷で昼飯を食べたが、やはり本郷のほうが駒場よりもおいしい。すくなくとも安い。駒場も安いことは安いが、味や量を考えると相応くらいだと思う。しかしそれ以前の問題として、駒場の食堂は外れが多く、ときどきとんでもないものが出てくる。なぜこうも本郷のほうが優遇されているのか。

それは、教務課の仕業だったんだよ!!な、なん(ry


つまり、早く優遇された食生活を送りたければ留年せずにさっさと本郷に行け、という。後期教養と数学科?前者はあまりに高い点数を確保するために人間として大切な何かを既に捨てているので、今更食生活なんてどうでもいいだろう。そして数学科は別の意味で食生活なんてどうでも良さそうなので、気にすることは無い。


まあそんな冗談はどうでもいいにしても、本郷の周辺をもうちょっと探検してみないといけない。食堂は混みすぎだし、地理がわからんわで散々だった。あ、でも授業中寝てたのは単なる睡眠不足と英語学がわからんかったせいです。やっぱ言語学は向いてない。そこそこおもしろいとは思うんだけどね。  
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2005年10月13日

いじめ 良くない

社会学やら教養後期の連中が厳しくて嘆いているようだが、いいじゃないかまだ、君たちは。今日の某S教官(西洋史教授)に「この史学雑誌というのは全ての史学科が参加していて、つまり日西東と、あと考古学ですね」と、思いっきり存在を無視されたわけだが、いつから美術史は史学科じゃなくなったんだろうか。美芸のいる思想文化学科にでも引き取ってもらうか?そもそも今学期、美術史の持ち出し科目が無い時点で何かが間違っている。おかげでいまだに同じ専攻の人に一回も会ったことが無い。ひょっとして本気でつまはじきにあってるのか、と疑いたくもなる。(実際そんなことはないんだろうが)


今日そのS教官が歴史学について云々語っていたわけだが、とにかく眠かった。話し方が眠かったというのもあるが、一番大きい原因は「歴史学とは何か」という駒場で散々聞いたような話がテーマだったからだろう。「全ての歴史は現代史である」なんて言葉、なんかもう耳にたこができるくらい聞いた気がする(油井さんとか柴さんとか山本昌之とかetc、一人一回言ってるんじゃないか?)。

そこまで教養教育を信用していないのか、と思う。このクオリティで半年やるなら、本気で必修ということ意外に受講する意味を見出せないね。せっかく積極的にしろ消極的にしろ、すくなくともあと2年は歴史を志す気の生徒を集めたんだから、もっと生産的なことをして欲しい。ちなみにS教官は古代ギリシアが専門で、ギリシアへの偏愛がすごいらしい。それなら聞く気がするんだが。  
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