2005年11月27日

書評『青の美術史』小林康夫著,平凡社ライブラリー

実は自然界に、純粋な青色はほとんどない。空や海の青は色素による青色ではなく、光の屈折によるものだ。藍色や紫といった、似ている色は多いが、純粋な青色は存在しないと言ってもいいくらいだ。ゆえに金色と並んで青色は古代より特権的な地位を占めてきた。神秘の色、根源的な闇の色という両義性を持つ点で、片方しかない金色よりもさらに特権的かもしれない。

この青色がいかに絵画に登場してきたかを追いながら、美術史を概観しようとしているのがこの本だ。実は、この何かの概念の変化に着目してパラダイムシフトを観察する手法はミシェル・フーコーの手法であり、それを知っているとなお楽しめる本だと思う。内容もおもしろい。けっこうマニアックな画家まで踏み込んでいる一方で、肝心なところも落としていない。

欠点は、はっきり言ってけっこう読みづらい。筆者は根拠無しに自分の感覚で相当な部分まで踏み込んで断言してくる。自分の言葉に酔っているようなところも少々あるかもしれない、と思えるくらいだ。しかし、理解しがたいなりに読ませてしまう、読者を行間に引き込んでしまうこの人の文筆家としての才能はたいしたものだと思う。読み終わってみると、個々の事象は理解しがたかったものの、全体を通して一貫の姿勢を保っており、読後感は凄く良かった。あと、カラーの部分が少なくて、いまいちだった。値段を上げてでももう少し増やせば、相当いい本になったと思う。

にしてもこの人、絵の好き嫌いが激しい。マネやゴヤは好きだけど、ルノワールやドラクロワは嫌いとか。好き嫌いの基準が明確だから、わかりやすくていいんだけど。自分とは正反対の感覚のようで。


青の美術史
  

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2005年11月24日

恒河沙129号レビュー

また出たのでまた買ってしまった。既に過去に二回ほどこのブログでレビューを書いてるわけだが、毎回このレビューをやるときだけブログ内(VIP)クオリティとテンションに違いがあるという指摘が各所からなされているが、気にしてはならない。読者諸君にはここだけ異次元であるという認識をもって以下の文章にあたってもらいたい。今回のクオリティは非常に高い。抱腹絶倒という形容がふさわしかった。思わずインスパイアしてサブタイトルを「高等遊民」に変えてしまったほどだ。

まず特集が教科書逆評定。これはまあまあといったところ。かなりマジメに作ってある。なお我らがPrismenは極普通の評価だった。個人的には伝説のラテン語教科書"Classica Grammatica Latina"がまともな評価だったのが残念で仕方が無い。優とっておいてなんだが、あれは教科書としてはどうかと思う。この次のページに前編集長文科故爐気鵑某魔法学園にて金剛賢者になったことが報告されているが、果てしなくどうでもいい一方で気になっている人もいそうなので一応伏字で書いておく。その次は国家公務員ネタ。時錯内文一率が高いのか、最近このネタが多い。が、非常にマジメに作ってあって、本当に恒河沙を買ったのか懐疑に至りそうになった。国一を受けようと考えている人には必読だろう。

900番講堂の落書きを調査してみるという企画もあった。不覚にも一番笑ったのは「えーりん、えーりん」(AA略。何のことかわからない人はわからないままのほうがいいだろう。にしても確かに落書きが多い。そして今回一番笑えたのが「高等遊民のススメ」。高等遊民とは夏目漱石の造語で「高等教育を受けても職業につかない煩悶青年」を指す。簡単に言えばニートの一種としか思えない。さすが夏目漱石、時代を超越している。高等遊民適性テストが載っていたのだが、20問中13問も当てはまった自分はどうすればいいのだろうか。杉崎美香を知っている時点でもう戻れないのかもしれないが。(わからない人は「めざにゅ〜」でぐぐってみよう)いや、ほんと高等遊民にはならないほうがいいよ、と実感をもって言ってみる。

その次は駒場のトマソンについて。お墓とか燈篭とかあったのか。知らなかった。今度行ってみよう。駒場もまだまだ、謎が多い。小ネタを少々はさんで、女装化企画。けっこう笑えた。が、本文中の言葉を引用して感想を述べるに『どう見ても男です。本当にありがとうございました。きんもーっ☆』としか言いようがない。的確この上ない指摘だと思う。

とまあ他いろいろ。力作なので買ってやってください。  
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2005年11月22日

スコットランドの画家たち

scotland文化村のスコットランド美術館展に行ってきた。スコットランドの画家なんて辺境すぎて知らなかったわけだが、すばらしかった。特に良いと思ったのは、レイバーンという画家の肖像画とネイスミスという画家の風景画(右)。レイバーンの画像が検索できなかったためお見せできないのが残念だ。彼の描いたとある婦人の肖像画が最初に飾ってあったのだが、このインパクトはすごい。これだけで800円(学生料金)の元は取れた気分がする。

今回の展示はスコットランド地元の画家と、フランス自然主義及び印象派の絵画の二つがメインで、美術史的順番に配置されていたのでわかりやすくてよかった。(だから19世紀初頭という今回の展示では最も早い時期の画家であるレイバーンが最初だったのだろうが、思わぬ副産物である。)どのように新しい技法が波及していったか、非常にわかりやすい。こうしてみると、フランス、特にパリはやはり芸術の中心地だったということが実感される。そしてパリの有名な画家たちが、一度はイタリアに留学したことがある人が多いというのもまた興味深い。

一つだけケチをつけさせてもらうなら、照明の付け方がマズイ。光の角度によっては非常に見づらい絵が何点かあって、もったいないと思った。あとケチをつけるというよりは気になったのは、混むような時間帯(夕方)に行ったのにすごく空いていたということだ。自分が見る分にはありがたかったのだが、不人気なのかな、と。これまた非常にもったいない。有名な絵画はほとんど無いが、純粋に絵画を楽しむなら(人が少ないのでゆっくり鑑賞できる)、非常にお勧めの展覧会である。  
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2005年11月20日

K-1GP 2005 決勝戦

いつものごとく書いていこうと思うのだが、今回はまず総評から。キーワードをあげるなら「強さの均一化」と「新時代」だと思う。

まず前者。今回一回戦は延長2回を含め全て判定だった。何より非常に実力伯仲な試合が多かった。(準決勝以降は全部KOだったのは疲労度の違い。セフォーが風邪引いてなくて、アーツが骨折してなかったら結果は大きく変わっていたのは疑い得ない。)これは全体のレベルが上がっているんだと思いたい。なぜなら、巨大な選手が倒れなくなったからである。だったらレベルは低下したんじゃないかと思われるかもしれないが、自分が言いたいのは体格の良い選手がテクニックを身に着けてきたのではないかということである。

レミーが「K-1の醍醐味は小さい選手が大きな選手を刈り倒すことだ」と言っていた。自分もそう思っているが、これまで簡単にそれができたのはそういった選手が体格に頼って未熟な戦い方をしていたからである。ボブサップなんていい例だ。他にもシウバ(モンターニャね、そういえばジェファーソンもでかいか)しかり、ノルキアしかり。今更チェホンマンやシュルトに驚かずともそんなのはたくさんいたわけで、でかいのはずっと刈り倒される引き立て役だった。それが今回はどうだ。チェホンマンもシュルトも見事だった。何のことはない。彼らはきちんとローキック対策を考えてきたということである。

後者については、何か2、3年前からそんなことは言われ続けていた気はするが(苦笑)、去年一昨年の決勝戦のメンバーや結果を見るとわかるとおりちっともそうじゃなかった。それが今年は8人中3人が初出場で、しかもそのうち一人が優勝してしまった。これで真の意味で世代交代かな、と思う。嬉しいか悲しいかといわれると微妙なところだ。セフォーやバンナあたりにはまだまだがんばって欲しいと思う。

実はシュルトのデビュー01年だからそんなに新人というわけではないとか、そういう野暮なつっこみは入れちゃダメだ。総評の最後に一言。自分はカシンのように専門家ではないが(というかそんな知識無いし)、それでもこう思う。あの解説はありえない。居酒屋の会話並。
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2005年11月19日

書評『批評理論入門』廣野由美子著,中公新書

タイトルの通りの内容である。自分がこれを読もうと思ったのは、実践的なノベルゲー批評に役に立てばいいと思ったからだ。単純な印象批評はもうしたくない。そんなものは既にインターネット上にあふれてしまっている。そこで、理論的な批評をノベルゲーに取り入れてはどうか、と考えた。しかしノベルゲーに関してはおろか、ゲームに関する批評理論はまだ構築されておらず、どうやら自分で構築するしかないようだ。そのためにはまず、小説の批評理論と映画の批評理論が必要だと思ったのである。

内容は前半が小説に使われている技法とそこから読み取れるものについて、後半は現在使用されている学問的な、もしくな実践的な批評理論である。240ページながら簡潔にまとめられていて, やや説明不足感は残っているものの、とても読みやすかった。具体例として『フランケンシュタイン』が使われているのだが、これも良かったと思う。知名度は高いし、『フランケンシュタイン』自身が様々な問題点を抱えているので、こういった入門書に扱われるに適しているテキストであるからである。これほど多くの批評理論があるというのにまず驚いたが、それを全て適用されえてしまう『フランケンシュタイン』という作品にも驚いた。


批評理論入門―『フランケンシュタイン』解剖講義
  
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2005年11月18日

ルーブル美術館の秘密

ルーブル美術館の開館する前の様子を記録した映画。なかなかに興味深かった。学芸員の方々のこだわりが、やはりすごい。照明の光の角度や飾る順番による印象の違いにとことんこだわっている、1cm勝負の世界。作品の運搬も大変な仕事だ。何しろ数メートル級の大物が多い。狭い廊下や段差に差し掛かるとひどく手間になる。

驚いたのは、作品の修復作業だ。飛鳥大仏が改修されすぎて正式に現存してるのは既に鼻だけ、という話を聞いたときも驚いたが、ルーブルの作品たちもけっこう大胆に改修してしまっている。色重ねて塗ったり、やすりで削ったり。カビも大敵だが、カビの生えた部分を惜しげもなくばっさりと切断してしまったときには衝撃を受けた。残しておけば作品全体がやられてしまうわけだから切り落とすのは当然なのだが…一人の裁量でできるものというのが驚きだった。

作品の収集や選別、管理も重要な仕事だが、35万点もあるとどうしても管理しきれないらしい。とある学芸員のおじさんが「あのティツィアーノどこだっけ?」とぼやいていたのを聞いて吹いた。確かに一つ一つは貴重なものばかりなのだが、こうプッサンやらレンブラントやらがごろごろしていると名作の投売り状態で、感覚も変わってくるのかもしれない。特に美術史上重要な作品でも一般に有名でないものなんかは、表に出さず倉庫に置きっぱなしなようだったし。

どの種類にしろ、作品への愛と情熱、知識、そして何より体力が無いとやっていけない仕事ばかりだ。学芸員の資格は欲しいが、自分に一番足りてないのは体力だろうか……
  
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2005年11月14日

書評『まなざしのレッスン』三浦篤著,東京大学出版会

絵画の見方なんて人それぞれで、正解なんて無い、と言う人が多いが、それはその通りだと想う。しかし、そう言う人は実は一面的な見方しかしていない場合が多く、また絵画が嫌いな人に多い。

絵画は西洋、東洋に限らず、理性と感性の両方を使ってみるものである。上記のような人は感性でしか見ていない。だから見方も一面的になるし、寓意や意図がわからないため、結果的につまらなくなってしまう。なんでもそうだが、「自由に扱う」にはまず「型」が必要だ。食わず嫌いせずに、自分には感性が無いなどと卑下せずに、まずは「型」を学んでみるのがいいと思う。

絵画においてはそれが理性による見方であり、理性が感性を助けることで、より絵画を楽しむことができる。「知識を知ってしまうと、見方が一面的になってしまうから何も学ぶ必要は無い」と言う人がいるが、それは大いなる間違いである。確かに理性だけで絵画を見るならそれは正しいが、理性だけで絵画を見るわけではない。あくまで、理性と感性、両方を使ってみるのだ。だから、絵画知識がいくら豊富になっても見方が一面的になるはずが無い。どころか知れば知るほど、解釈が多義的であり知的好奇心が刺激されることだろう。

一つ例を出すと、絵画の見方は数学に似ていると思う。同じ公式を使う場合でも、当てはめる数字が違えば出てくる答えは違う。問題が違えば、使う公式は異なってくる。そして計算さえあっていれば、美しい答えが解となって出てくる。それと同じである。まずは公式を覚えないと、何もできない。

さて長々と解説してきたが、そんな絵画の、とりわけ西洋絵画の見方の入門書としてお勧めなのがこの「まなざしのレッスン」である。なぜ絵画を見るためには知識が必要なのかを説いた後、絵画に関する基礎知識について概説する。登場する絵画も有名なものが多く、情報量も多すぎず少なすぎず適度。まさしく理想的な入門書であると言える。しいて欠点を挙げるなら、絵がモノクロでわかりにくいということか。カラーにするとどうしても高価になるので仕方ないが。


まなざしのレッスン〈1〉西洋伝統絵画
  
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2005年11月13日

真珠の耳飾りの少女

絵じゃなくて映画のほう。

感想だが、映画としては微妙。無用な描写が多かった。自分が理解できてないだけなのかもしれないが、伏線なのかなと思ってみていると全然関係なかったり。そもそも少女の恋人役として精肉店の跡取り息子が出てくるのだが、こいつの存在理由がよくわからない。確かにラストでちょっと出番が必要なわけだが、恋人である必然性を感じない。少女の聖性を表現したいなら、むしろ逆効果だった。

だがほめるべき点もけっこうある。まず絵画一枚、それもこのような名画からこれだけのストーリーを想像し映画にしたという試み自体に賞賛したい。これは歴史物全体に言えることだが、記録に残っているデータや伝承に残っているその人の性格や容姿に反しないという鉄則さえ守れば、あとはどんな妄想でも繰り広げて構わないと思う。その意味でこの映画は非常に正しい。フェルメールの像を崩さず、少女以外の登場人物は実在の人物を使い、かつ想像のぎりぎりの範囲で物語を仕上げている。

もう一つは、芸術家としてのフェルメールの描き方。多分この監督さんは、芸術家の像に何か確かなビジョンを持っているんだと思う。芸術を解する者への温かさ、芸術以外のものごとへの無関心さ、それでいて機械にはなりきれない人間臭さ。ここまできちんと描けているのは見事だと思った。

絵に興味があれば、どうぞ、という程度。  
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2005年11月11日

書評『プラトーノフ短編集』プラトーノフ著,原卓也訳,岩波文庫

プラトーノフを読了した。作品全体を諦観が支配しているのは間違いないのだが、だからといって不思議と暗い心情にならずむしろ穏やかな温かさ、すがすがしさを与えてくれる。この作者のさりげなくかつあまり多くない心情描写や、舞台となる中央アジアの荒涼とした大地のイメージがそうさせているのだと思う。何より、砂漠の描写が実にうまく想像力を掻き立てられる。

ストーリーは明らかにバッドエンドに向かって走っているように見えるのに、なんだかんだで最後、不自然なくハッピーエンドで終わっているのもさわやかな読後感を与える一因だろう。短編集でいくつかの作品を読んだがやはり一番心に残ったのは「ジャン」か。プラトーノフの代表作となるだけはある。結末があまりに反体制的なためにそのままでは出版できず、ソ連国内で出版された第二版、三版では結末が違うらしいがこの終わり方が一番しっくり来るだろう。むしろ反体制的であることを自覚しつつ初版ではこのエンディングを迎えさせた彼の根性に拍手を送りたい。


プラトーノフ作品集 (岩波文庫)
プラトーノフ
岩波書店
1992-03-16

  
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2005年11月08日

GLADIATOR

グラディエーターを見た。まず、史実と違うとか云々言う前に普通におもしろかった。歴史モノに欲しい要素、つまり合戦の圧倒的な迫力とか、男のロマンとか、そういうのを全部コンスタントに表現できていたのが勝因だと思う。個人的にほめたいのは、致命的な時代考証ミスがあまり無いということ、そして致命的な史実とのズレはおそらくストーリー展開上仕方ないものか、ある程度ローマ史に詳しくないと逆に不自然に感じてしまうものしかなかったので納得してみれたということだ。

たとえば主人公マクシムスが皇帝に戦勝の褒美を聞かれると帰郷を願い出たが、これは実際のローマであれば将軍をクビにしてくれと願い出ているようなものであり史実に忠実にするならばおかしい。しかし、現代人から見ればこれはヒューマニティの表現であり、不自然でないどころか主人公に親近感を持たせることに一役買っているだろう。詳しくは『ローマ人の物語11 終わりの始まり』で塩野七生が詳しい考察をしているので、興味をもたれた方はこの本を読んでから映画を観るとおもしろいと思う。

この映画は暗君コモドゥスに対する、彼に家族を殺された元将軍マクシムスの復讐劇なのだが、コモドゥスの描き方がおもしろい。コモドゥスの父は有名な最後の五賢帝、マルクス・アウレリウス帝であるが、コモドゥスには父ほどの力量は無かった。マルクス・アウレリウス帝のような清濁を合わせ飲む懐の広さも無く、純粋で精神が弱かった。父にも姉にも見放されていて、家族内でも孤立無援だった。

つまりピカレスクロマンに浸らせてくれるような悪役ではなく、むしろ彼自身歴史の被害者だったのではないかと思わせる描き方をしている。民衆のためにがんばってはいるのだけれど、何をやっても裏目に出る。野心や虚栄心は強いけど、それは父やマクシムス、特に姉に対する嫉妬の裏返しだったりするところも、確かに彼は悪に徹しているにもかかわらず、なんだか憎めない印象を演出していると思う。何より俳優さんの微妙に情け無さそうな顔がはまりすぎていた。むしろこの映画の見所はマクシムスではなく、コモドゥスではないかと思う。  
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