政府を新しく創ったら大事なのは3代目、というのは日本史を見ればよくわかる話だ。鎌倉幕府は三代目実朝で血筋が途絶えた。室町幕府は三代目義満が最盛期。江戸幕府は三代目家光で鎖国した。それ以外にも世界史に目を向ければ「3代目が云々」というのはおもしろいくらいに出てくる。(中国史はなぜか2代目が多いが)なぜ3代目なのかというと、育ったときには平和だったからどうしても御坊ちゃまになるため、あたり外れが大きいのだろう。
ローマも例外では無さそうだ。「3代目」は非常に評判が悪かった。しかもその直後には知らない人はいないであろう世界史でも最大級の「悪役」ネロが控えている。雰囲気は3巻「勝者の混迷」によく似ているかもしれない。カエサル・アウグストゥスという二人の英雄の築きあげたものを継続するには、やや荷が重過ぎたのか。2、3人の悪政ではびくともしないシステムを構築した、先人が偉大すぎるのか。判断は難しい。
著者は同時代人であるタキトゥスの酷評を元に、この時期の皇帝が本当に愚帝ばかりであったのか検証していく。どうもところどころ欠点があるのは認めるとして、全面的に愚帝と呼んでしまうのはどうか。彼らに功績はなかったのか。ただ、カリグラを除けば再評価されているのがわかっている面々ではあるので、タキトゥスを引いてきて「今までは酷評すぎた」というのはいささか卑怯な気も。
ローマ人の物語〈7〉― 悪名高き皇帝たち