2006年02月26日

駒場教官教務逆評定(4)

今日は昨日に引き続き、ほぼ同じメンバーで飲み会だった。筋肉痛を引きずりながら。和民を使った。飲み放題を外したせいか、非常に安く終わったのでよかった。あれだけ飲み食いして一人2千円とはね。

にしても今日はテンション高かった。皆頭の中身がピンク色に染まりすぎ。あれだけの下ネタは、あのテンションの中でなければ話せないだろう。それでも「ゴマダレってエロいよね」という言葉の真意はどうにも理解できなかったが。それを言い出したら、ドロドロの液体状のものはなんでもエロいことになる。そんな発想ができるのは中学2年生くらいだろう。

話は一気に変わるけど、ここからはいつもの逆評定。とうとうB系列に突入する。改めてみるとB系列多い…歴史系だから当然だが。そういうわけで、B系列前半だけになってしまった。


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2006年02月24日

第48回「イメージを読む 美術史入門」若桑みどり著 講談社

若桑みどり氏の美術史入門書第二段。特徴としては、向こうがテレビ番組の収録という関係上、多くの絵画を取り扱い、短く、少しずつ解説しているのに対し、こちらは大学の集中講義なので一枚の絵に対してかなり長く語りを入れるという形になっている。

確かに、美術史とはいかなる学問かを考えるにおいては、向こうよりもこちらのほうがわかりやすいかもしれない、そういうテーマの下で書かれているのだから。しかし、本人はこっちのほうが簡単だ、と書いているが、実際の絵画に関する説明としては向こうのほうがわかりやすいと思う。そこら辺は人それぞれなのかもしれない。

なお、扱っている絵画は「最後の審判」(ミケランジェロ)、「モナ=リザ」(レオナルド・ダ・ヴィンチ)、「メランコリア1」(デューラー)、「ラ・テンペスタ」(ティツィアーノ)の4枚であり、それぞれ違う題材の絵画を扱っているので入門としては非常に妥当な選択だと思う。ただ、こっちもイコノロジー読解になっていて、向こうとの違いをもっと明確に見せてほしかった気もするが。また、まだ「ダヴィンチ・コード」が世の中に広まる前に出版された本なので、そういう視点から見た「モナ=リザ」の解説もおもしろかった。

読むかどうか迷うなら、「絵画を読む」を読んでから考えてみると良いと思う。



イメージを読む
  
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2006年02月23日

駒場教官教務逆評定(3)

実家帰ってやることも激減したので、ブログでも更新しようか。サッカーは、前半なにやってなんだろうね。パスミス多いよ……怖いなあ。ああいうケアレスミスに近いような、細かいミスから崩れるんだよ。

トリノはまったく見てない。メダルとれてないらしいね。だから見てないというわけじゃないけど、何か興味わかないんだよね。ソルトレイクはまじめに見てたから、冬季の種目が嫌いというわけではないんだけど。

特にボブスレーは「クールランニング」という映画以来注目してるな。ジャマイカの選手がボブスレーに挑戦するという映画だったけど、おもしろかった。この映画、事実をもとに作っていて、ジャマイカの選手がボブスレーに出場したことがあり、結果は当然ぼろぼろだったけど世界から喝采を浴びていたね。長野のときはジャマイカ参加してたはず。ソルトレイクのときもジャマイカじゃなくてどっかのアフリカの国が参加してた覚えがある。今年は……雪降る国ばっかりだ。つまらん。


そんじゃ、今日も楽しく逆評定行ってみようか。  続きを読む
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2006年02月22日

駒場教官教務逆評定(2)

今日から実家で更新。何か今回はずいぶんあわただしく帰ってきた感じがする。本当は明日帰る予定だったんだが、母親にはさからえない。なんだかんだで、新下宿に行ってからやることは多かった。特にネットの手配とインフルエンザ。別にずっとヨーロッパで戦っていたわけではないということで。

というわけで、今日は逆評定二回目、その他必修編と論基礎。論基礎は正直総合科目との違いがわからんかったな。制度が変わるらしいから、俺らはたたき台だったってことか。


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2006年02月21日

駒場教官教務逆評定(1)

何か誰も付いてこないとか言ってカシンの化身が拗ねているので、予定を早めてうちでもやろうかと思う。本当は3月中にやるつもりだったんだけどね。ところで、「手偏に幼い」で拗ねるってうまい漢字だと思わないか?……どうでもいいか。評価基準はカシンの化身に準拠。同じ先生にもかかわらず評価がずれることがしばしばなのは御愛嬌。

今日は英語とドイツ語。
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2006年02月16日

第47回「月と六ペンス」モーム著 行方昭夫訳 岩波文庫

(旧題 月と六ペンス)

時間かかったけど読み終えた。時間がかかってしまったのは、テスト期間に重なっていたからなんだけど。400ページではあるけれども、そんなに厚いと感じることはなかった。軽妙な文体だったから、気合いを入れずに読めたのだろう。

モームは「通俗作家」であると非難され、自分でもそううそぶいていたと巻末の訳者後書きに書いてあったが、読んでみて確かにそう言われても仕方ないかと思った。一概には言えないが、文学作品と呼ばれるようなものは、行間を作るのがうまく、自分の文字で全てを説明してしまわないようにしている。ところがこの本は、人間観察が鋭いのはいいことだが、そのせいで描写がくどいのだ。余計なおせっかいだと思われる領域まで説明してしまう。少しは想像する楽しみを残しておいてほしい。

だからこそ、心情が不可解な画家ストリックランドでも、この小説の主人公となりえた、と言えないこともないのも確かだろう。しかし、モームがこの小説を書いてから100年近くたっていて、我々が岡本太郎やポロックのような破天荒な芸術家を知っているからだろうか。はっきり言って、自分にはストリックランドがそんなに奇抜な行動をとっているようには思えなかった。

ストリックランドのモデルはポール・ゴーギャンと本人自身前書きで書いているが、実際のこの二人はかなり違うところが多い。調べれば調べるほど本当にモデルなのかと疑いたくなるほどだが、ゴーギャンとストリックランドの芸術に対する姿勢は確かに同じだ。人として見習いたくはないが、芸術家としては偉大だと思う。

最後に表題について。月も六ペンスも丸いことには変わらないけど、どっちのほうが偉大だろうか、という意味が込められているらしい。さしずめ月が芸術で、六ペンスが現世利益。つまりストリックランドやゴーギャンが月で、自分のような「通俗作家」は六ペンス、自虐ネタなんだろうが、自分は六ペンスの芸術も悪くないと思う。もちろん月も悪くないのだが、常に首をあげているのは辛いし、何より月は欠けて見えなくなるときがある。それよりは六ペンスが常に手元にあるほうがいい。

とは書いてみたけれど、モームのくどすぎる描写はどうも自分には合わなかった。というわけであまり好きではないけれど、もし自分が小説を書いたらこのくらいきつきつの説明をしてしまいそうで嫌だ。じゃあこれは同族嫌悪ということか。


月と六ペンス
  
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2006年02月11日

第46回「絵画を読む イコノロジー入門」若桑みどり著 NHKブックス

美術史入門書。まなざしのレッスンよりかなり短く、一枚あたりの説明量が多いため非常に読みやすい。文章もウィットが聞いてておもしろい。けして笑えるわけではないが。ただし、美術史知識はほとんど常識レベルしか問われない代わりに、少々世界史知識は必要かもしれない。どうしても絵画の描かれた時代と絵画の関係が深いので、時代背景がわからないとなぜそう帰結するのかという論理がわからないかもしれない。そういう意味では、文系向けの入門書か。「まなざしのレッスン」とどっちがいい?と聞かれたら、答えに窮するところだ。

なお、登場する絵画は全て15〜17世紀の範囲、つまりルネサンスからバロック、古典派までである。副題のイコノロジーというのは図像解釈という意味で、まさしく「絵画を読む」行動と言えるだろう。たとえば平和の象徴は鳩というような寓意や、ヴィーナスの誕生というような絵の描かれた題材から絵画のメッセージを読み取る作業をイコノロジーという。15?17世紀の絵画はイコノロジー研究が発達しており、わかりやすいものが多いため、この時代に絞ってこういう副題をつけたものと想像される。紹介されている作品も有名で研究の進んだものばかりで、さすがとしか言葉が出ない選択だと思う。


絵画を読むーイコノロジー入門
  
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2006年02月06日

マグノリア

名高き芸術映画。芸術の部分は電波と読み替えてもらってもいい。まずこの映画、主人公が何人かいて、不自然なタイミングで切り替わるのでしっかり見ていかないと今は誰の話なのかわからなくなる。一応メインはトム・クルーズが演じる講師なのだが、彼の主催するセミナーのタイトルは「誘惑してねじ伏せろ」。セミナーの内容は言わずとも想像がつくだろう。観客は皆ぶさいくな男たちである。この講演会の様子はまるで宗教のようで、ひょっとしたらそれを揶揄しているのかもしれないが、まさかトム・クルーズ自身が宗教にはまるなんて、この映画を作った時点では想像がつかなかったのだろうか。(映画は6年くらい前)

またこの映画はやたら皆Fuck!と言いまくる。映画中に200回くらいは聞いた。180分映画だから一分に一回聞いたと考えると、やっぱりこの数は大体正しいと思う。まあ登場人物は皆ありえない現象が起きて不幸になるので、仕方がないのかもしれない。しかし文句の言葉をFuckで統一したのはうまい。トム・クルーズのセミナーといい、この映画どこか退廃的であって、Fuckという汚い言葉は、それによくあっている。

何よりもこの映画を有名たらしめているのはやはり「カエルの雨」だろう。映画中にテレビの天気予報で「曇時々蛙」と出てくるが、何も知らずにこの映画を観た人は見逃すか、目の錯覚だと思うことだろう。だって、本当にカエルを降らすなんて、知っていても想像がつかなかったのだから。あのシーンは、とてもえぐい。多分一千匹単位でカエルを降らせているのだと思うが、当然アスファルトに当たればぐちゃっと音を立ててつぶれ、赤い血が吹き出す。かなりスプラッターな光景である。我が母は両生類が大嫌いだが「マグノリアは最悪の映画だった」と言っていたのもうなづける話だ。

このカエルの意味は何か。カエルであることに意味はあるのか。こういったことを考えさせるこの映画は、やはり芸術映画なのだと思う。180分なのでとてつもなく長いが、おもしろかったので映画好きなら観ても損は無いだろう。

ちなみに自分ではカエルだと表面がぬめぬめしていていかにもグロテスクなことに加えて、カエルの丸みが一番つぶれたときに血が吹き飛びやすかったからではないかと思っている。では、カエルが降ってきたこと自体の理由はというと、映画の退廃的な雰囲気にとどめとして、スプラッターな印象を加えたかったからではないかと思う。エロとグロはよく似合う面がある。もっとも、そのためにカエルの雨という演出をもってくるのは、ずいぶん奇抜だと思ったが。観たことある人はどう思ったか、ちょっと聞いてみたい。

なお、マグノリア(magnolia)とはモクレンという花のことで、薄ピンクの花を咲かせる、妖しげな雰囲気の花である。この映画のタイトルにはぴったりだが(その割に映画中にこの花は目立って出てこない)、花言葉が「威厳」というのは、あまりにも似合わない。  
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本郷から初投稿

引っ越しは無事終了した。ただし、ネットは13日くらいまで使えないので、今は学校から投稿している。法文二号館の某所だ。昨日携帯から投稿しようかとも思ったが、ちょっと忙しかったのでやめておいた。今は落ち着いている。といっても、まだ段ボールの箱が山積してはいるが。引っ越してみて改めて思ったが、学校に近すぎる。窓から正門の赤煉瓦が見えてしまうのだから。前のところよりも広い。ざっとみて6人は楽勝でざこ寝できる。ただ一つ文句を言うなら、夜は電灯がまぶしすぎて眠れない。カーテンを買ってこなければ。

レポートは3つ(スラヴ、英文、宗教)のうち、スラヴは書き終わった。今から英文を書こうと思う。どっかの人も言っていたが、文学部のレポートは想像以上に書きづらいということがよくわかった。スラヴのレポートは四千字前後ということだったが、最初千字と最後千字だけ早々と書き終わってしまって、間の二千字がなかなか埋まらない。文献から自分が参照にした箇所を抜粋して、どのような理由でそこを選んだか書いていくわけだが、自分は読了してから全体を振り返る読み方なので、細部にこだわった読み方はしていない。最終的には該当箇所こそ見つかるが、それを発見するまでに果てしない時間がかかるのだ。これがテクスト読解というやつなのだろう。早くなれてしまいたい。

そういう関係で、四千字×3(期限はそれぞれ8、10,13日)くらい10日近くあるのだから楽勝だろうと高をくくっていたのは4、5日前のこと。結果は引っ越しでほぼ丸二日つぶれたとはいえ、5日でなんとか一つ終わっただけだ。ペース的に終わるとは思うが、意外とせっぱつまってきたなあと驚いている。来年以降へのいい教訓になった。  
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2006年02月04日

空騒ぎ

ケネス・ブラナー監督の『空騒ぎ』。シェイクスピアの映画化というと、この人だ。それでこの作品は原作自体喜劇であるからか、ごく普通の娯楽映画という感じに仕上がっているし、実際すごくおもしろかった。もうね、ベネディックとベアトリスのツンデレカップルっぷりがたまらなく笑える。ツンデレは男もそうでなければうまく成立しないと言われているが、これは好例だ。ベアトリス役とヒーロー役の女優さんがものすごく美人なのがすばらしい。

男役も見事なまでにイケメンでそろえている。それにしても、キアヌ・リーブスが悪役というのは珍しい。いや、もっと不可解なのはその兄がデンゼル・ワシントンだということだ。兄弟で肌の色が違うぞ。それはともかく、ベネディックがかっこよすぎる。単なるイケメンというわけではなくて、立ち居振る舞いが堂々としていて、それでいてコミカルだから、なんだか全面的に敗北したような気がする。男として。

どうせなら原作知らないうちにこれ見たかったかも。せっかくの陰謀も、最後どうなるか全部わかっちゃってるわけで、いまいち緊迫感には欠けた。シナリオは原作に非常に忠実だった。セリフ回しまで忠実で、そのまま映像化した感じ。まあこの作品に余計な味付けはいらないかもしれない。

さて、問題はアダプテーションの助けになれば良いと思って映画を見たわけだが、いい映画すぎてアダプテーションが浮かんでこないということだ。やっぱりいっそのこと学園ものにしてしまうか。いや、それだと『空騒ぎ』のシナリオを知っている人ならわかると思うが、完全なただのギャルゲーになってしまうので、教官が評価してくれるのかどうかが果てしなく疑問だが。あの教官なら、大丈夫かな?  
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2006年02月03日

そういえば巨大カキ氷も来年は無いだろうな…

とうとう明日は本郷へ引越しする。現在荷物の整理中だが、少ないように見えてけっこうあるものだ。2年間でこれだけ書物が増えたというのは素直に喜ぶべきであると思う。一方、喜ぶべきかどうかわからない荷物も大量に増えてはいるのだが……ちなみにそれでも、先日薄っぺらい本以外にもいろいろと大量に秋葉原に売却してきた。5桁のお金が手元に返ってきたので嬉しかったが、それに投資した金額を考えるとむしろ悲しくなった。

引越し先の場所は正門から歩いて3分。恐ろしく近い。門基準なら、現在の家よりもさらに近いといえる。駒場の下宿への最初の訪問者は地元の友人某S君兄弟だったが、今回はhenriだった。引っ越した直後は荷物が整理できてないし、何よりレポートで忙しいので遠慮してほしいが、10日過ぎた辺りから暇になると思うので気になる人は来てみてほしい。

なお、今回の引越しで不安定なADSLから光に変えることにした。当初はケーブルテレビを考えていたのだが、どうも友人の失敗によると相性によっては各種IDが取得できなくなり、結果的にブログの更新ができなくなる恐れがあるらしいとのこと。また、大家さんに聞いたところ、光だけは既にマンション単位で線が入っているので工事の必要が無いらしい。そこで、業務連絡的になるが、手続きの都合で最短で13日まではネットが使えない。レポートの作成やブログの更新、メッセへのサインインは学校のパソコンから行うのであまり支障は無いと思うが、今と比べてやや連絡が届きづらくなる。

こうなると駒場も名残惜しい。最後の夕飯も食堂で済ませようと思ったら、テスト期間中は終了時間が早くなることを失念していて失敗した。そこで困ったときの山手ラーメンで済ませた。ここも当分来なくなるな。それを考えると、キッチン南海にあいさつしておくべきだったかもしれない。あそこの名物おじさんと野球談話することもなくなるかと思うと、本当に引っ越すのだなあと今更ながら実感がわくものである。  
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2006年02月02日

第45回「ローマ人の物語8 〜危機と克服〜」塩野七生著 新潮社

ローマの歴史家タキトゥス曰く「紀元69年は、ローマ史上最も存亡の危機となった年」であった。それもそうだ。なんせ、その1年間で4回皇帝が変わっており、ユダヤ人、ガリア人、ゲルマン人が同時に反乱を起こしたのだから。しかも、この時代にはスキピオやカエサル級の天才がいたわけではなかった。しかし、ローマはこの危機を乗り越えて生き延びる。そして、賢帝の時代へと繋げていく。それができたのは、アウグストゥスとティベリウスの作った「大理石の」ローマ帝国の基盤があまりにも完成していたからであった。だからこそ、ヴェスパシアヌスのような、天才とはいいがたい「秀才」レベルの皇帝であっても、十分帝国の建て直しが可能だったのである。

この巻は、ヴェスパシアヌスとその息子ティトゥスの活躍を中心に、このローマ最大の存亡の危機をローマ人たちがいかに切り抜けたか、そして先人の偉業はここに来ていかに役に立ったかが語られる。内乱が、ヴェスパシアヌスの力量自体も当然あるが、どちらかというと「勝手に」終息していく様子が、非常におもしろい。これが健全なシステムというものか、と関心させられた。

この巻に出てくる皇帝たちはけして歴史的に名高くは無いが、読めば必ず印象に残る個性的な皇帝が多い。「庶民派」ヴェスパシアヌス、賢君だが惜しくも夭折したティトゥス、必死の努力は見られるが結果を出せなかったドミティアヌス。今上がった名前に初耳の人も多いだろう。帝国が安定しているため、一見重大な危機に見える紀元69年の事件もなぜか安心して読んでいられる。ローマが存続するかどうかがかかっていた3巻や5巻とは、また違ったおもしろさがあると思う。


ローマ人の物語〈8〉― 危機と克服
  
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