2006年04月29日

「考える人」もいた

西洋美術館のロダン・カリエール展に行ってきた。初の研究室全員での見学ということで多少緊張したが、入ってしまえばそこは個人個人のペース。この分野を専門でやっている人もいなかったし、和気藹々としながら見学した。

カリエールというと象徴主義の画家だが、画面全体をぼかす傾向がある。人物画に限ればアカデミーの画家のようなくっきりとした絵が好みの自分としてはあまり好きではないが、ゆっくりとした、それでいてうねるような動きを描こうとしたということは理解できた。また、割と白黒だけで絵を描いてしまう人で、それも影響していると思う。カリエールの絵と同じようなノリの彫刻なのだから当然なのだが、ロダンの彫刻もあまり好きな部類ではない。動きでもしそうな筋肉の様子はすごいと思ったが、彫刻といえばやはりギリシア・ローマ期の泰然としたものが一番好きだ。いつかローマに行ってじっくりと眺めたい。

ロダンの作品はわけのわからない主題も多く、説明のいい加減な西洋美術館らしくわからんまま終わってしまったものも多い。聞こうにも専門の人いないし。やはり西洋絵画は観ると同時に「読む」ものであって、読めてなんぼのものだと思う。昔の絵や彫刻はそれが表面的には神話由来で、裏でその表面をヒントにしつつ「こっそり自己主張していたりでわかりやすいが、現代にさしかかるとそれが完全に個人の想像、哲学的思索の結果なので、「そんなもん専門家以外わかるかい!」という不満が、個人的にはある。

なんかけなしてばっかりだが、彫刻に興味があるならどうぞ。だが、同じ暇があるなら「藤田嗣治展」のほうに行けとは言っておきたい。  

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2006年04月24日

すばらしい乳白色

foujita近代美術館でやってる藤田嗣治展に行ってきた。前回はちょうど去年の今頃のゴッホ展で、悪夢のごとく混んでいた。後から聞くに、来館50万人超で近代美術館最高記録なんだとか。用心して観覧開始予定時刻より30分ほど早く行ったら、案の定30分待ち。ゴッホの2時間待ちよりはだいぶマシだが、ここは嫌な記憶しか残らないということなのか。

藤田の絵を見て驚いたのは、実に多彩な画風を持っているということ。同時代の絵なのに、特徴的な共通点を残しつつもかなり画風が違う作品を残しているのだ。特に驚いたのはキュビズム絵画を残していること。それもかなり秀作な。直接の師匠がピカソなのだから、当然なのかもしれない。

もう一つ驚いたのは、藤田の裸婦にはきちんと陰毛が書かれている点。アングルやティツィアーノの裸婦を見ればわかるとおり、西洋画は伝統的に描かない。というよりも女性器自体を全く描かない。そうすることで実在の人間とモノ化した絵画の中の人間を区別しているのだが、藤田はこれを完全に無視している。とがめられなかったというのは、それだけフランスもリベラルになっていたということか。マネの《オランピア》からまだ50年しかたっていないというのに。

特にティツィアーノの《眠れるヴィーナス》と全く同じ構図の裸婦図をタブー破りで描いていたところを見ると、やはり彼なりの伝統に対する挑戦だったのではないかと思う。ティツィアーノのヴィーナスは眠る女性像の典型として多くの画家にインスパイヤさせてきた作品で、美術史の生徒としては感慨深いものがある。

とかく彼の絵は美女と猫が多い。たいそうな猫好きだった、と説明にも書いてある。すごく友達になれそうな気がした。完全に偶然だが、自分がパリで泊まっていたホテルのすごく近くにアトリエがあることがわかってなんだか嬉しかった(モンパルナス)。だが、奥さんがころころ変わるのはいただけない。そんなところまで師に似なくてもいいのに。

また藤田というと戦争画だが、戦争画の部屋だけかなり照明が暗いのは何かしらの心理効果を狙ってのことなのか。個人的には見づらいだけなんだが。それでも戦争画なだけあって、随分気合が入った絵が多く描写が緻密。これだけの戦争画を描けば、そりゃ日本から追い出されるわなと思った。(晩年の藤田はパリに住んでいる。)  
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2006年04月20日

第56回「ローマ人の物語11 終わりの始まり」塩野七海著 新潮社

幸福な人間は不幸であったときのことを忘れた瞬間、不幸になる。国家も同様なのだろうか。トライアヌスもハドリアヌスも、平和なローマ帝国でありながら国防への配慮を怠らなかった。その結果、アントニヌス・ピウスの時代は彼が内政に集中していれば善政とみなされ、戦争も無く真の意味での平和を享受できた。

その代償は、マルクス・アウレリウス帝に降りかかった災難ではなかったか。不幸なできごとばかりに襲われ、賢帝と言われながらも実際には上手に統治できなかったのは、実は彼やその前帝の統治方法に問題があったからではないだろうか。

そして、ローマ帝国は衰亡を始める。そう、山の頂上がなだらかであることは珍しく、頂上を越えればあとは下がっていく一方なのである。ローマの場合は、頂上とはアントニヌス・ピウスの時代であり、マルクス・アウレリウスは自らの治世から下り坂が始まっていることを自覚せざるをえなかった……五賢帝と言われるピウスとマルクス・アウレリウスだが、彼らは本当に賢帝だったのか。ある意味、そこを問う本である。


トルストイの「アンナ・カレーニナ」の冒頭を引用するところからこの本は始まっているが、なかなか考えさせられる名文なので、この書評もこの言葉を引用して終わりにしたい。

「幸福な家族はいずれも似ているが、不幸な家族はそれぞれ違う不幸を抱えている。」


ローマ人の物語〈11〉―終わりの始まり
  
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2006年04月15日

第55回「モンテ・クリスト伯」アレクサンドル・デュマ著 中野義雄訳 岩波文庫

(旧題 日本でアニメ化されてたりする)

モンテ・クリスト伯を読み終えた。内容を知らない人も多いと思うので軽く説明しておこう。19世紀初頭のマルセイユで船乗りをやっていた主人公だったが、有能で美人の婚約者もいたためにねたまれ、無実に近い罪(実は完全に無実というわけではないのだけれど)で政治犯とされ、終身刑になってしまう。投獄先の島で一人の物知りな老人と出会う。彼もまた無実の罪で投獄されていた。老人は主人公に様々な知識を教え、最後に巨万の隠し財産のありかを教える。老人は死んだが、主人公は脱獄に成功。隠し財産を手に入れ伯爵位をイタリアで購入。モンテ・クリスト伯(キリストの山という意味)と名乗り、パリの社交界入り。自分を蹴落としたことで地位を築き上げた人々に対して復讐を誓うのだった……


感想の第一声として、果てしなく長かった。上の要約もかなりばっさり落としたのだが、それでもあれが限界だ。400P×7巻で、読了に半年はかかっている。よくもこれだけ壮大なストーリーが書けたものだと思う。正直冗長だと思うが、技量が無くて冗長なのではなくてわざと引き伸ばしているのだということを読者に悟らせられる辺り、作家の才能をうかがい知れる。henriが言っていたが、当時の小説は新聞連載だったのでうまく引き伸ばす必要があったようだ。

この引き伸ばしの技法は、モンテ・クリスト伯の場合情景描写に当てられる。特に舞台がローマやパリの社交界なので 新聞を読むような層にとっては憧憬の的だったのだろう。これは当時の社会に興味のある現代人にとってもそうで、なかなか興味深かった。本筋とはほとんど関係無いので、斜め読みでも支障ないのがありがたい。

ストーリーの筋自体は割と単調で、伏線がどこでどのように回収されるか誰でもすぐに気づくだろう。だがこの小説は探偵小説ではないのでそんなことはどうでもいい。どちらかというと、人物の行動に不自然さが感じられないにもかかわらず、まるで簡単なパズルを埋めていくかのような手軽さで、伯爵の復讐が次々に決まっていくそのシナリオ運びに脱帽する。おそらく連載期間が長かったこともあって、複雑なシナリオを組むよりもそのリアリティにこだわったのだろう。

基本的に伯爵の復讐に正義があって、悪役が完全に悪いのだが、こうも考えられる。主人公は14年間を棒に振った怪我の功名で巨万の富を得たのだから、復讐の必要は無いのではないか、と。そう思わせるのもデュマの狙いのようで、一見すると伯爵はパリの社交界をけっこう楽しそうに生活をしていて、復讐は片手間にやっているところがある。判断は読者任せといったところだろうか。

知識はまっさらでも読めるが、フランス革命から第二帝政くらいまでのフランス史をそこそこ知っているとさらにおもしろい。時間があれば、お勧め。


モンテ・クリスト伯〈1〉
  
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2006年04月12日

とりとめの無い休日

今日は入学式兼創立記念日ということで授業が一切無かった。いや、どっちにしても無いんだけれども。入学式ということで九段下からわざわざ直行したのか、院の入学式同様けっこうな数の新入生が安田講堂前で写真を撮っていた。それも家族連れで。それが悪いとは言わない。家庭によっては最高の親孝行なのだろう。特に理三生なんかは。

ただ思い出すに、合格発表の時も親子連れが多かった。今ならけっこう客観的に見れるが、自分のときは非常に寂しかった覚えがある。一人で見に来た俺は少数派だったのか、と。その後下宿決めの時も周囲皆家族連れ。中には祖父母までつれてきていたのもあった。たかが大学で、と思わないでもない。このブログ閲覧中の皆様に、親は付いてきていたか?とアンケートをとってみたい。さすがに学食まではどうでもいいのか、学食はとても空いていた。

それ以外はずっと家でPrismenを読んでいた。使わなくなってから読むといいこと書いてあったりする。いや、Universeでは微塵もそんな気持ちが起きなかったのだが。最初の章のアデナウアーについて読み終えた。日本で言えば池田勇人か吉田茂といったところか。今後はリージョナリズムがはやると踏んで外交をしたその先見の明は賞賛せずにいられない。

Universeで思い出したが、駒場はいろいろ制度が変わったそうで。中でも欠席したら0点扱いの上、進振りに加えるという制度はひどい。神野志に突撃する奴が減るだろうし、それ以外でも積極的に授業をとる気を削ぐではないか。おそらく教務課の仕事削減のためなのだろうが、それならそれであのやる気の無さをなんとかしてほしいというのは、おそらく全学生共通の意見だろう。

さて、明日は実は授業がある。なんでも四月後半に出張で消えるから振り替えで早く始めるんだとか。しかもいきなり西洋美術の演習でちょっと緊張しないでもない。おそらく今学期一番忙しくなる授業なので、気合入れて望もう。

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第54回「絵画の楽しみ方ガイド」太田治子著 成美堂出版

数多くの絵画入門書をこの場で紹介してきたわけだが、図版が多くていいなと思ったのはこれ。全面カラー。しかも学術的に書いてあるわけではないので、ずぶの素人でも全く問題無く読める。まさに万人向け。しかもきちんとポイントは抑えてある。とりあえず、この本をかかえていけば美術館で赤っ恥をかくのは避けれる、という感じ。

逆に言えば、大学生が読むにはなんだか気恥ずかしいかもしれない。自分は恥ずかしがらずに、わからない分野についてはこういう一般向けの本から入るのは全然問題無いと思うし、そうしているが、人によっては気になるレベルだろう。ものすごく平易な言葉で書いてあるので、知ってるよそんなこと、とつっこみを入れたくなったり、冗長な説明に飽きてくるかもしれない。

もう一つの欠点として、扱っている年代は19世紀以降がほとんどである。しかも、中途半端に東洋は葛飾北斎だけ。「絵画」と銘打ち、表紙にも全部扱ってますよという雰囲気を漂わせておきながらこの範囲の狭さは無いだろう。その分一人一人がしっかり説明になっていると言えば聞こえはいいが。


一冊でわかる絵画の楽しみ方ガイド―印象派、写実主義から抽象絵画、シュルレアリスムまで

  
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2006年04月09日

今日はざくろといちじく

昨日は友人と都美のプラド美術館展に行ってきた。二日連続で美術館というのも久しぶりだ。ひどく混んでるかと思いきや、雨のせいか大して混んでいなかった。加えて、知らなかったのだが昨日は早稲田の先生が関連した講演会を催していたようで、そちらに客が流れていたらしい。それでも中はけっこう混んでいたので、平常時の混み方はどれだけなんだと、想像して絶句した。

プラド美術館なので当然中心はスペイン絵画となる。特にスペインが強かった時代、16〜17世紀のものだ。最初はエル・グレコの絵がお出迎え。間違ってもサム・グレコではない。ってこのネタは使いまわしだな。彼の絵は見た瞬間わかるのでおもしろい。

その後いろいろあって、ベラスケスが登場する。総じて非常に大作志向だ。派手好きの貴族からしてみればでかい絵を好むのは当然で、芸術家といっても商売だからニーズにこたえる必要がある以上、そうなるのは当然か。バロックらしく題材も劇的で暗いものが多いので余計に迫力がある。神話系のが少なくてキリスト教系のが多いのは、敬虔なカトリック国ゆえか。

途中ボデコン(スペインの静物画)があった。静物画はわりと好きなのでじっくり鑑賞。静物画の生命線は物の質感だと思う。飾ってあったような絵はプロが描いているので当然すばらしいものばかりであったが、よくも平面にこれだけの立体感を生み出せるなと感心してしまう。ざくろとかいちじくとかスペインらしい果物の絵があったが本当においしそうだ。それも油絵で。そういえば昨日のスイス展では、油絵は実際には完全な平面ではなくごつごつしていることを逆手にとって、画材で立体的な作品を作っていたものがあった。あれもおもしろいと思った。

次に登場するのがイタリア絵画。ハプスブルク家がイタリアを制覇していたので当然多い。グイド・レーニの絵画があった。生で見たのは初めてだ。クレオパトラが題材だったが、相変わらず死にそうな人の絵ばっかり描く人だ。クレオパトラが非常に青白かった。そしてフランドル絵画へ。ここもハプスブルク家領だったんだよな、と思うと彼らの栄光と斜陽が目に浮かぶ。今日はなんだかプッサンの廃墟も身近に感じる。打って変わってロココへ。さすがに数は少ない。最後はゴヤで締めた。有名な作品は多くなかったが、ゴヤっぽい奇妙な作品だった。


そんな感じで終了。作品数はそんなに多くなく、意外とあっさり見終わってしまって拍子抜けだったが、それだけにじっくり見れたと思う。全体的に絵の説明が丁寧で好感が持てた。人混みが最大の敵だが、まだかなり先までやっているので機会を見計らってどうぞ。  
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2006年04月07日

ケーキが食べたくなった

久々の渋谷の街は相変わらず歩行者過多だった。住んでるときはどうしても好きになれなかったが、いざ離れてるとなんとなく寂しいのだから不思議なもんだ。今回の目的地は文化村。というよりも今後渋谷に来る場合、文化村以外の用事で来ることはめったにないだろう。

スイスの風景画展だった。行こうかどうしようか迷った挙句、閉幕二日前にやっぱりもったいなくなって行くことにした。よくある人間心理だ。風景画は絵画のジャンルの中でも好きなほうなので、行って損は無いだろうと思った。

で、行ってみてやはり風景画はいいなと思った。とりわけ山だ。もちろん生の風景も否定しないが、あえて切り取られた画像というところに、見えない迫力を感じる。スイスの風景画の発端は18世紀後半で、ロマン派の前哨になったらしい。本格的な風景画がスイスではやりだしたのは19世紀になってから。1815年、ジュネーヴがスイスに併合された結果、国民意識統合のため、美しい風景画が利用されたというわけだ。いかにもロマン派らしい理由だ。それが過ぎると今度はセガンティーニとジャコメッティが多く飾ってあったが、サンクトヴィクトワール山には勝てそうにない。そう考えると、やはりセザンヌは偉大な画家だったんだなと再認識した。

風景画にも抽象画はあるらしく、だんだん目が痛くなりそうなゾーンへ。キュビズムにかかれば山もわけがわからないものに変貌する。文化村の展示は時系列を意識して展示してあるから好きだ。クレーの絵もあったが、3色のべた塗りで思わず脱力して笑ってしまった。そういう目的で書かれたのだとしたら、彼の目標は達成されている。そして現代芸術のコーナーへ。ややまともな色彩感覚が戻ってくる。写真の作品も増えてきた。特殊効果を使って山岳地帯を撮った写真なんかは見ていておもしろい。雪が白くない。あとおもしろかったのは、登山用のリュックで山の形を作った作品。発想がすばらしい。

出口のミュージアムショップでミュシャのポスターが売っていた。あとは、ボッスの『地獄』に登場する悪魔たちがフィギュアになって売っていた。確かにコミカルで着眼点はいい。  
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2006年04月04日

第53回「ローマ人の物語10 全ての道はローマに通ず」塩野七生著 新潮社

今回は少々異色で、どこかの年代を扱った政治史ではない。ローマのインフラについて述べた本である。このタイミングでこの本を著したのは、11巻からはローマ衰亡史であるために、けしてなくなるわけでは無いが、新規の建築物が少なくなるからであろう。

この巻で著者が強調していたのは、インフラは経済が発展しているから行うのではなく、経済を発展させるために行うものである、ということだ。何せローマのインフラ建築は、ポエニ戦争前、まだローマが地中海の覇権はおろか、イタリア半島の覇権も保持していたか時代から始まっているのである。そしてもう一つの主張は、いかに堅固な建築物といえど、メンテナンスすることを忘れたとき文明は滅びる、ということ。

この本を読んで痛感したのは、やはり中世は暗黒だったということだ。メンテナンスさえし続ければ、現代までつかえる技術水準のものを。必要性への無知とはかほどに恐ろしいものか。ヨーロッパが、いや、世界が紀元2世紀のローマ帝国のインフラ建築の技術水準を取り戻すのは、実に17世紀以降である。ローマインフラの最高峰、網の目のようなローマ街道の規模にいたっては19世紀になっても追いついたか少々怪しい。現代に近いことを先進的というなら、ローマ人の公共意識は非常に先進的だったといえる。

ローマ人の物語にしてはカラー図版も多く読みやすかった。といっても、9巻まで全て読んでいることが前提であるかのように書かれているので、そういう意味では今まで通り、読みづらいのだが。単に古代ローマの通史を追いたいだけなら、パスしてしまってもかまわないだろう。


ローマ人の物語〈10〉― すべての道はローマに通ず

  
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2006年04月01日

エイプリルフール2006跡地

あけましておめでとう。



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