(旧題 神だって眠いはず)
『神曲』を読み終えた。感想を一言で書くなら「眠かった」。これほど自分を眠らせた本は、小説か否かを問わず初めてだ。
正確に言えば、地獄編はそこそこおもしろかった。地獄の刑罰の様子が次々と紹介され、ダンテとともに周遊する。そこには歴史上の人物も多数登場し、これは死後の世界の醍醐味と言える。当時日本の地獄草紙について調べる必要があって、この本を読み始めたという事情もあり、興味があって読めたのも大きい。
中巻の煉獄編から、苦痛が始まる。煉獄は和訳が誤訳に近く、地獄というよりは天国の一部である。本当は天国に入れる資格があるのだけれど完全にきれいな体ではない人々が、天国に入る前に罪を清めるための場所である。罪の種類に対応して罰が用意されている点は地獄に似ているのだが、登場人物が皆心清すぎて、つまらない。
ひどいのは下巻。いや、ひどいと言ってはダンテの顔が立たないかもしれないが。天国なので大量の聖人が出てくるのだが、どいつもこいつも説教臭い。おまけに、それだけダンテが博識だったのだとは思うのだが、どうでもいい神学論争が続く。現代人には注がついていたところでさっぱり理解できない。
致命的だったのは、岩波文庫の『神曲』は文語調だったということだ。まあ口語調でも理解できた自信は無い。420ページ中220ページが注という異常事態が、3冊続く。そして注は本文以上に理解不能だった。
ルネサンスは一応この本あたりから始まったことになっている。なぜならこの本はラテン語ではなくイタリア語で書かれた、初の本格的な文学だったからだ。しかし出版当時、ペトラルカを始め多くの文学者には「内容的にラテン語で出版したほうが良かった」と言われている。自分はペトラルカに同意する。これは大衆向けの本ではない。この本の神学論争が理解できる人なら、ラテン語を読めただろうに。
一つだけ、ダンテと意気投合した箇所があった。それは永遠の淑女、ベアトリーチェの描き方。美しい理想の女性の持つ至高性は理解できるところであり、「萌え」に限らず人類普遍にあるものじゃないかと思う。(※)
神曲 中 岩波文庫 赤 701-2 続きを読む