2006年06月30日

まともな授業を取ろう

今学期はやたら某人とフリーメーソンと工兵ネタで騒いでいたが、ともにそれだけインパクトのあるテーマとわけのわからない授業内容だった。今日も今日とて明治期の工兵について。暑さもあってばたばたと人が倒れていく中、今日は割とまともな授業だった。こんなときに限っていない某人は何やってるんだ。あれか、サッカーのために寝溜めか。

言うまでも無く、工兵は戦争の中心である。Victoriaの折はそれは大層役に立った。あの時代においては工兵は塹壕の構築スピードを上げ、敵の鉄道を中心とするインフラを破壊し、橋を架けて自軍の行軍スピードを上げる。通信も彼らの業務だ。工兵こそが近代式陸軍の証であった。その集大成WW1の大塹壕長期戦といえる。

20世紀に入ると、戦争の形態は大きく変わる。戦車や空軍の登場は塹壕の必要性を下げ、空軍は輸送にすら革命をもたらした。しかし、彼らの重要性は変わらない。戦車の輸送手段は相変わらず鉄道だったし、電撃戦になったからこそ通信が重要な仕事だった。何より簡易式の空港敷設が主な仕事と言っても過言では無い。その極致はやはりWW2である。そして日本が太平洋戦争で負けたのは、工兵を重視していなかったからだ。ではなぜ、日本は工兵を重視しない軍制になったのか?


………を紐解くための授業で、非常に興味があって授業に臨んでいたのだが、あと2回で夏学期が終わるというのに、いまだに日清戦争やってるんだけど。逓信大臣黒田清隆とか聞くと悲しくなってくる。本当にテーマが完遂するのか?甚だ疑問である。

フリーメーソンはもっとひどい。18世紀フランスのフリーメーソン、フランス革命とフリーメーソンのかかわりという触れ込みだったのに、ようやく先週18世紀に入った。だがやってる地域がずっとスコットランドで、フランスのフの字も出てきていない。正直詐欺だと思う。まあこの辺が、陰謀好きなフリーメーソンたる由縁ということか。  

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2006年06月26日

I've in Budokan Open the Birth Gate DVD (Disc2)

後半はえい子先生からスタート。ということはラストがあの人なわけで、大物二人がさすがにトリか。えい子先生、衣装がめちゃくちゃ派手で笑った。あれはさらに豪華にすれば小林幸子を目指せるものがある。歌唱力に関しては心配すること無し。「砂の城」「Around the mind」「Automaton」と、代表曲三曲。

次はえい子先生のコールでスペシャルゲスト、レオンハートさんの登場。が、I'veの観客層は格闘ファンの観客層とはあまりかぶっていなかったようでw、反応が薄かった。そしてそのレオンハートさんが選手入場のノリでI'veの作曲陣をコール。メンバーでI'veのデビュー曲「FUCK ME」を演奏していた………と言っても、中沢は踊ってただけのような気はするが。まあ彼もほとんど楽器はできないらしいので仕方ないか。高瀬のギターがうまいかどうかは、自分がギターについてさっぱりわからんので判断つかず。

そしていよいよ大御所、KOTOKO登場。いきなり「Collective」から入る。こんな曲効果使いまくりでライブでできるのかと思いきや、すごい再現度。あの声、喉から出てたのね……さすが七色のボイスを持つ女と評されるだけはある。というか今までの歌い手と違って、明らかにライブ慣れしてる。KOTOKOは写真写りが悪く、Re-sublimityのジャケ写とか見るとメークさんのがんばりが見て取れるが、動画で見ると悪くない。

二曲目が「涙の誓い」。とらハファンにとってこんなに嬉しいことはない。三曲目にはゲストの佐藤裕美が登場して「Second flight」。佐藤裕美、今日はかなりファンシーな衣装で、いつもの地味目な衣装のKOTOKOと対照的。

さらにゲストで怜奈登場。KOTOKOの教え子だから、新たな島宮ファミリーと言っていいだろう。曲は「Close to me」1曲だけで、「Isolation」を歌って欲しかった人も多かったのではないだろうか。声量は多いが低めなので、SHIHOやMOMOの後継者といったところか。Isolation以来最近歌っていないのが不安だが。

KOTOKOが着替えて再登場。今度はドレスチックな衣装で、もう何がやりたいかわかる感じ。予想通り曲は「Change my style」で、これまた加工だらけの曲だろうと思いきや、素で歌ってるよこの人。さすが七色の(ry にしても楽しんで歌っている印象。電波ソング、好きなんだろうなあ。

ここで一端終わって、お決まりのアンコール。メインメンバー7人そろって「See you」。えい子先生と川田は涙を流していたが、それも仕方ない。KOTOKOはさすがに気丈だったけど。そして今までの出演者全員で最後に「Fair heaven」を歌って終了。ここで歌に佐藤裕美やLiaが混ざるのは一向にかまわないのだが、MELLのときの男性ダンサー。なぜ貴様が混じっている。最後の最後で笑ってしまったじゃないか。


さて、ぜひとも第二回をやってほしいところだが、SHIHOとMOMOが引退してしまったので、彼女らがゲストで呼ばれることはあっても正規メンバーが完全にそろうのはこれが最後なわけで。そう思うと貴重なDVDかもしれない。

I'veの方々にはこれからも躍進していってもらいたい。そう思わせるライブだったと思う。
  
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2006年06月25日

I've in Budokan Open the Birth Gate DVD (Disc1)

買ったので早速視聴。henriは「歌のうまさがはっきりしてしまうから見たくない」と言っていたが、それは覚悟の上である。また彼は島宮ファミリー以外が怖いと言っていたが、果たしてどうだったか。


トップバッターはMELL。しかも「砂漠の雪」スタートで、そりゃもうびっくりした。歌声はCDの時とさほど変わっておらず、さすが古参といったところか。衣装は年相応のセクシーさで、無理してないところに好感が持てる。ところで砂漠の雪の時の男のバックダンサー、目立ちすぎ。上半身裸でゲイっぽい踊りをするので思わず吹いたw

二曲目が「FLY TO THE TOP」で、この選曲は意外。この曲はMELL曲ではずば抜けて明るく、キャッチーと言ってしまってもいいと思う。三曲目が「美しく生きたい」。MELLのデビュー曲であり、I've最初期の曲である。今回ほとんど全員自分のデビュー曲を歌っているが、Open the Birth Gateということか。


二人目がSHIHOで、ここで残念ながらhenriの不安、というか予感が的中することになる。一曲目のBelvediaは原曲に比べてひどくゆっくりだったし、二曲目のEver stay snowや三曲目のBirthday eveはかなり声に張りが無い。選曲は順当だったと思う。特に三曲目、やはりSHIHOと言ったら元長ゲー(※)の曲だろう。

三人目は詩月。この流れで詩月は合わないだろうと思ったが、そこは選曲で工夫。「僕らが見守る未来」としっとり系で攻めてきた。二曲目は「Scenecio」でちょっとテンションを上げ、三曲目の「Do you know the magic?」で爆発、と。やはり彼女には電波ソングが似合う。この三曲目のとき詩月が観客にマイクを向けたりいろいろやるんだが、観客からリアクションが無かったりずれてたりで本人も観客もライブ慣れしてないのがよくわかる。まあ仮に自分が現場にいたら、全く人のことは言えないのだが。さすがに島宮ファミリー、声はよく出てる。が、いかんせん彼女の持ち歌自体ライブには向かない気はするが。

ここで鍵関連のゲスト登場。まずは綾菜で「Last regrets」。往年の名曲といった感じでやっぱりI'veにとってはこれは記念的だったなとしみじみした。自分がI'veに出会った曲でもあって、もう何年前になるやら。しかし綾菜もだいぶ辛そうに声を出していて、CDのときは相当加工してたんだな……と思うと、覚悟はしていてもやはり悲しいものはある。

続いてLiaと折戸伸治による「鳥の詩」。これもまた記念的名曲である。未だに聞くと鳥肌が立つ。そして今回は折戸氏による伴奏で、実は全く楽器が弾けない折戸氏はこの日のために猛練習していたらしい。えらすぎる。Liaは心配もしてなかったが、圧倒的な声量と歌唱力を見せ付けて帰っていった。それにしてもえらく豪華な衣装で、しかもかなり化粧が厚かったのは気のせいか。

四人目は川田。Liaの後では歌い辛かろうにと思っていたら、そんなことはない。彼女も抜群の歌唱力で張り合ってくれた。今まで川田の顔をよく見たことがなかったが、彼女意外とかわいかった。今日の衣装の中では割と地味目にまとめてきたのも正解だろう。選曲も「IMMORAL」に「明日への涙」「eclipse」とヒット曲で無難にそろえていた。

それだけに、五人目MOMOはかわいそうだったかも。そもそも彼女の曲は低めのダークなものが多く盛り上がりづらい上に、SHIHO同様声があまり出ていない。Lia、川田の後なだけに目立つ。


こんな感じでDisc1終了。Disc2に続く。  続きを読む
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2006年06月24日

第66回「エロスの涙」ジョルジュ・バタイユ著 森本和夫訳  ちくま学芸文庫

バタイユ自身そう言っているが、『エロティシズム』の簡易版という表現がこの本にはよく似合う。つまり、読む順番を間違えたのだ。とにかく図版が多いことからしても、そのことは言えるだろう。実はバタイユ最後の著作である。なぜ最後になって、簡易版を作ろうと考えたのか。想像してみるとおもしろい。

美術史専修でありながらバタイユファンである自分にはうってつけの本だったわけで、思わず二周も読んでしまった。はっきり言って、論理的説得力という点では他の著書に劣る。ただ、勢いと読ませる力においてはこの本に勝る著書は見つけがたいだろう。

『エロティシズム』が純粋な哲学的思索の結果であり、その証拠として論じるのが主に文学作品であるのに対して、この『エロスの涙』はあえて思索部分をばっさり捨てて簡潔な論理と結論だけを提示する。そして証拠として、わかりやすい視覚資料、とりわけ絵画や考古学的資料を提示する。ゆえに深く読解すれば論理的説得力は劣っても、勢い、ともすれば破壊力はすさまじいものがある。ゆえに入門書としても適しているし、バタイユ著作集の締めとしても有効だと思う。

なおこの本は全面白黒だが、カラーで出版しなくて正解だったと思う。フランスでは長く発禁となっていたらしいが、その理由もわかる気がする。もしカラーで出版したなら、膨大な量の肌色と赤色のインクがなくなっていくことだろう。心臓の弱い方とストイックな方は、読まないほうが賢明だ。特に「清末、中国人の処刑風景」は吐き気を催すだろう。


エロスの涙
  
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2006年06月20日

第65回「ヴィルヘルムマイスターの修行時代」ゲーテ著 山崎章甫訳 岩波文庫

(旧題 恋多すぎる男の物語)

『ヴィルヘルムマイスターの修行時代』を読み終えた。端的に言っておもしろかった。会話文がやたら長かった上にそのほとんどが人生論か芸術論だったが、教養小説ゆえの仕様なのだろう。どちらの議論にしろゲーテの考え方がしっかりと描写されていて興味深かった。

この小説は解説にもそう書いてあったが、大きく三分している。上巻と中巻の2/3までは伏線張りまくりで、謎が謎を呼ぶままに物語が展開していく。特に人物関係。新しい人物、特に女性が何の説明もなく登場し、物語をかき乱してはいなくなる。しかしそれ以上に物語の展開が急激なため、よく言えば飽きさせず、悪く言えばごまかしている形になっている。

中巻の最後1/3から下巻ラストまでの残りは、物語の進行速度が非常に遅くなる。そして今まで張りまくった伏線を一気に回収している。点と点になっていた人物関係が、線としてつながっていくような感覚に襲われ、物語の進行の遅さを感じさせない、先の気になる作りになっている。この二段階構成の切り替えが非常にうまく、ここが一番この小説でおもしろく感じた部分かもしれない。


ラストは明らかに完結しておらず、いかにも次の『遍歴時代』を読んでくれという終わり方をしているが、遍歴時代はつまらないらしいと聞いていて複雑な気分。他に読む本も多いし、とりあえずパスか。


ヴィルヘルム・マイスターの修業時代〈上〉
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2006年06月16日

12人の優しい日本人

原作三谷幸喜のちょっと古い映画。日本にもし陪審員制度があったとして、ごく普通の日本人が陪審員を務めたらどうなるだろうか。それが殺人事件で、死刑の可能性のある裁判だったなら…という、日本人の性質を知っている人ならすぐわかる、恐ろしく皮肉のきいたストーリーである。

優しさって何だろう。被害者に加担することか、それとも加害者に情状酌量の余地を認めることか。ご想像のつく通り、12人の優しい日本人たちはなかなか判決を決められない。

具体的にどういう事件でどういう判決になったかは映画を見てもらうことにして、最後まで判決は二転三転する。なあなあで何でも済ませたい日本人、自分が責任を負うことに弱い日本人、他人に対する関心の薄い日本人、平和ボケの日本人。12人がそれぞれの、いかにも日本人的な要素を持っていて、その全ての要素が、明確な判決を下すことには向かないのだ。無用な議論を繰り返すことには、とても向いているが。

ゆえに笑いどころがわからないと延々と冗長な議論をしているだけの映画に見えるかもしれない。日本人のための映画といえるだろう。外国人には「日本人の特徴を極端にするとこうなりますよ」と紹介して見せると、おもしろいかも。

実はこれパロディ映画で、元ネタが「12人の怒れる男」という、ほぼ同設定のハリウッド映画。もちろん登場人物は全員アメリカ人で、議論が活発に交わされ「正義」とか「人権」とかが議論の中心的なテーマとなる。このギャップを楽しむのもおもしろい。

三谷幸喜の笑いの作り方とか、ブラックジョークが笑える人なら、抱腹絶倒間違いなし。現在日本では裁判員という、陪審員とは似て非なる謎の制度が09年に、試験的に導入される予定である。そんな今だからこそ、見る価値が増した稀有な映画であるとともに、もしこの事態を予見していたなら三谷幸喜の観察眼に改めて驚嘆するしかない。  続きを読む
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第64回「吸血鬼伝承 生ける「死体」の民俗学」平賀英一郎著 中公新書

自分が例の基礎演習を書いたときに使った資料の一つ。大変お世話になった。今読み返してもおもしろい。内容は吸血鬼に関する伝承のまとめや、吸血鬼のイメージ像の歴史をたどるものである。吸血鬼という幻想生物への畏敬の念がある人が読む本だとは思うが、民俗学の本として非常に優れていると思う。ソースとなる資料のチョイスやそのまとめ方、そこから見出せる視点の提示が実にうまい。文章の順番も整理されていて読みやすい。

多義的になりがちな吸血鬼という言葉など、使っている専門用語の定義をきちんとしてから本文を始めるのも丁寧で好感がもてる。こういった作業は論文としては当然だが、新書や文庫では読者をなめてるのかページ数がもったいないのかは知らないが、省かれるのが普通だ。

テキストを読みながら場面を想像できる類の人にとっては楽しくて仕方の無い本かもしれない。それほどにエピソードが豊富だ。載っている物語そのものの味付けが十分濃いことを理解してか、筆者自身はほとんど手を加えていない。むしろ筆者の腕が振るわれるのは背景情報の提供だ。もちろんこの本の目的は吸血鬼像を追い求めることだが、その真の目的はそういったエピソードから垣間見える背景、つまり地域的、歴史的影響を明らかにすることにある。吸血鬼像とその背景となる文化が結びつく快感がすばらしい。

ただし見方を変えれば情報の羅列であり、文系的作業になれていない人には辛いかもしれない。あとはあまり興味がある人はいなさそうだということだけが、この本の欠点か。なお、これは欠点というべきではないが、吸血鬼の「群像」を追い求めるのであって、「真の」吸血鬼像を追い求めているわけではない。ここを勘違いして読むと、痛い目に遭うかもしれない。この本はあくまで民俗学の本である。


吸血鬼伝承―「生ける死体」の民俗学
  
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2006年06月14日

心穏やかでないときは手作業

気づいている人はあまりいないと思うが、少々ブログのカテゴリを整理した。理由は単純そのもので、カテゴリをdiaryにすると更新が異常に重いから。200を超えると一気にダメっぽくなった。

よって当然一番動かしたのはdiaryであり、なるべく他のカテゴリに飛ばせるものは飛ばしつつも、あまり物も思い切って二つに分けてみた。当初はdiaryとdiary(2)は、henriの「日記」と「考え事」を見習って分けたつもりだったのだが、実はそうでもなく相当主観的に分けているので、もはや自分でもどっちに何の記事を分類したか覚えていない。ダメじゃん。

ただ、一応分けている途中に判断基準がぶれたということは無く、単に判断基準を自分の中で言語化できないだけだと思う。それも一つの基準で判断しているわけではなくて、複数の基準で総合的に判断している上に、どれだけ言語化しようとしても最終的には所詮主観による分類である。判断基準の言語化自体が不可能性を内包している。無理無理。

しかも将来計画無くいい加減にカテゴリを作ってきたせいで、sportsがあるのにhorsesとK-1は分離している謎現象。逆に作ったはいいけどmichelinとかこれから増えるんだろうか、心配だ。一応本郷近辺の飯屋には足しげく通って、2が書けそうな状況ではあるけれども。


ワールドカップにかまけている間に、中日が首位になってた。防御率が驚異的な数字で、いかにも中日という成績で何よりだ。やはり投高打低のチームカラーは崩してほしくないと思う。僅差には強いけど負けるときは大敗する癖とかね。  
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2006年06月11日

偉大でもデブはデブ

江戸東京博物館で開催しているナポレオンとヴェルサイユ展に行ってきた。この間のプラドは「量で質を補った」という感じだったが、今回は「質で量を補った」感じ。量は多かった(観るのに1時間半かかっている)が、なんというかおまけ的なものが多く、実質的には少ないと見てもいいだろう。

来ていたのはナポレオンとかフランス革命といえばで連想される、教科書に載っているような絵画。つまり、世界史の教科書ならば必ず載っているし、中学の教科書でさえ載っててもおかしくないものである。『マラーの死』だとか『皇帝ナポレオンの肖像』だとか『ジョセフィーヌの肖像』だとか。世界史の教科書持ってる人はちらっと見てみるといいと思う。

確かに、これだけの大作を持ってきたのはすごい。美術史的におもしろい作品だとは思えないが、歴史的にはかなり貴重なものであるはずで、なかなか貸してくれないものだと思われる。特に巨大な絵画は、額縁から外し、丸めて輸送するために破損の可能性が高く、とてつもない保険料と輸送料がかかる。ナポレオンの発注した絵画は当然のことながら巨大なものが多く、おそらく江戸東京博物館ここ2〜3年で最大のプロジェクトだったんじゃないだろうか。

おまけ的なものが多い、と言ったが、要は宝飾類や家具類のことだ。江戸東京博物館はそういう企画が多く、一昨年もエルミタージュ美術館の宝飾、家具展をやってたし、去年も江戸時代の風俗、家具なんてのをやっていた。そういうのが専門の学芸員でも勤めているのだろうか。個人的には宝飾類や家具類もけっこう見るが、どうやら自分とナポレオンの趣味はイマイチ合わないらしい。単に18世紀末の人間と現代の人間の美的感覚の違いなだけな気はするが。


二つほど、江戸東京博物館に文句が言いたい。まず一つは値段。学生1040円は高い。相場は700〜800円だろう。おそらく今回は予算そのものが莫大で、回収できるかどうか不安だったのだろうが。どうせ美術館に来るような人で、観覧料が思ったより高かったから帰るという人はほとんどいないだろうし。

もう一つは、作品に対する解説がけっこういい加減。時代背景は世界史の教科書、それも山川のからそのまま抜粋してきたような文章が多かった。加えて作品そのものに対する説明は全く無い。あまりに不親切なわけだが、これも予算不足の影響だろうか。


まあ世界史履修者で、ナポレオンの肖像を生で観たい人はどうぞ。逆に美術史専攻にはあまりお勧めできないかも。ちなみに割と混んでいるので、空いてそうな時間帯に行くことを勧める。  続きを読む
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2006年06月10日

ワールドカップ記念

本郷から御徒町へ行く道の途中、地図的には東大の真南に、日本サッカーミュージアムというものが存在するのをご存知だろうか。前から行こうとは思っていたのだが、今日たまたま暇だったので寄ってみた。

中は意外と広く、1〜B2階の3階構成。1階は単なるエントランスに近いが、02年の試合やアジア予選の試合が3つのモニターで流していて、けっこう人がたまっていた。復習にはいいかもしれない。また奥に大型のシアターがあってこれは無料。観なかったけど、どうやらJFA監修の「Road to 2006」とやらを流しているらしい。

B1階はサッカー殿堂とショップ。殿堂は正直さっぱりわからんかった。唯一わかったのは釜本邦茂。国際A級72試合で75点も入れてたんだっけ。ショップは極普通のサッカーファン御用達の品々がそろっていた。

B2階はいよいよ本格的なミュージアムで、500円取られる。逆に言えばここまでは無料で入れるのだが。いかにJFAが儲かってるかよくわかる。その割りにクラブチームが貧乏な気がするのだが気のせいか。あと、BGMがずっとアイーダで、すごくVictoriaをやりたくなってしまった。

展示内容はここまでのサッカーの歴史と、日本サッカーの歴史。当然のことながら02年の日韓大会は大きくスペースがとってあった。バティストゥータとか、かなり懐かしいんですが。当時は高2で今ほど熱心には見てなかったけど、今になって思い返すと、あの時期でも意外と楽しみに観てたんだなあと思う。

その展示に、当時の各国代表がコメントを残しているのだが、スペイン、ポルトガル、イタリアがそろって「不服以外何者でもない」と書いてあったのがおもしろいやら悲しいやら。一方でセネガルが「これはアフリカサッカー史に残る大会だった。アフリカと世界の差はどんどん縮まっている」と書き残していたのが印象的だった。さて、今回はそのセネガルが来ていないわけだが、どこまでアフリカ勢はがんばれるだろうか。

展示の最後に、トロフィーの複製が飾ってあった。現在のトロフィーになったのは確か74年からで、以前のはブラジルが3回目の優勝をしたときに返還しなかったからじゃなかったか。ということは今回ブラジルが6回目の優勝をしたら、彼らはまたトロフィーを永久保持するつもりだろうか。まあ、6回も優勝すれば、その資格を有してもいい気はする。もっともその論理で行くならドイツも3回優勝してるわけで、よくわからない。

あのトロフィーの本物が日本に存在する日が、いつか来ることを願って。  続きを読む
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saving private ryan

リアルな戦争描写で有名なこの作品だが、他の戦争映画では考えられないような血しぶきの飛び方をしていてびびったことは確かだ。真っ赤に染まる海と、腸のはみ出た死体。史上最大の作戦と呼ばれるノルマンディー上陸作戦だが、公開当時アメリカでは15禁になったというのもうなづける話だ。日本は規制が無かったが、緩いのか、それとも日本人が死んでるわけじゃないからか。ちなみに98年だから、当時は自分は15歳じゃなかった。

ストーリーのアウトラインはいかにもハリウッド的スピルバーグで、フィクション100%という感じだが、珍しいのは陸軍上層部を批判していたこと。3人の兄弟が戦死したライアン一家のために、末の弟を前線から故郷へ連れ戻す、という話なのだが、この無茶な命令を出したのは司令部なわけで、実際ライアンを助けるために部隊は多大な被害を受けることになる。それ以外にもよく見ると、随所に「前線を理解して無い司令部」を批判してる節が見られ、ここはハリウッド的じゃないな、と思った。


インディペンデンスデイとかアルマゲドンとか見てチープだなあと思ったら、この映画でもどうぞ。

以下、ネタばれ。  続きを読む
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2006年06月08日

第63回「反社会学の不埒な研究報告」パオロ・マッツァリーノ著 二見書房

第一回ブックレビューの「反社会学講座」の続刊。それが第53回というのもなんだか感慨深い話ではある。

やっていることは前回と同じ。社会学的手法を使って社会学のいい加減さを暴くこと、そして学問をおもしろいものとして扱うこと。前者に関しては、今回は少々スタンスを変えて使える学問は全て使っている。経済学はいいとして、言語学まで登場するから驚きだ。学際的になれといいつつ自分の学問に固執する人たちよりも、それを批判する側のほうがよほど学際的だったという皮肉か。

ただ、扱っているネタがさすがに切れ始めたか、少々ニッチになってしまったのは残念。質が下がったわけではないが、やはりインパクトには欠ける。少年犯罪の話のほうが武士道の話よりも現実的でいかにも社会学らしい話だ。

あと今回は前回よりも様々な文体にチャレンジしているようなところがある。前回は延々と説明文だったが、今回は一部会話形式にしてみたりコントにしてみたり工夫がなされていた。これはこれでおもしろいのだが、別に全文説明文でも十分おもしろいので関係ない気はする。

今回一番面白かったのは、個人的には武士道の話か。パオロ氏の主張する「人間いい加減史観」には思わず賛成したくなるほど、武士道という概念のいい加減さがおもしろかった。パオロ氏が架空の人物であることがほとんど確定したのもおもしろかったか。学歴詐称は、良くない。


反社会学の不埒な研究報告
  
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2006年06月06日

封印されし古代の輝き

pompei文化村でポンペイ展をやっているなんて聞けば、ローマ好きとして行かないわけにはいくまい。というわけで文化村に出かけてきた。サンダルで出かけてしまったことが少々気になったが、古代ローマ人はサンダル常用だったからと自分に言い訳しておく。

ポンペイはナポリ近郊の都市とはいえない程度の小さな町だが、古代ローマとナポリの関係は、距離・立地ともに現在の日本でいう東京と熱海にあたる。海と大火山が近いところまで似ている。つまり相当の観光都市で、それだけにポンペイでも規模の割に豪華な出土品がぽんぽん出てくる。歴史学的には非常に助かるのだ。当時の人々の冥福を考えると、素直には喜べないが。

それで、展示されている宝石類のすごいこと。特にエメラルドが投売り状態で、町の女性全員一人一個はつけてたんじゃないかと思われる量だった。琥珀やラピスラズリ、紫水晶なんかもふんだんに使用されていて、ローマなんかどうでもよくても、これだけで目の保養になるんじゃないかと思う。カーネリアン(紅玉髄)が出てきてなんか喜んでしまったのは秘密だ。(※)ちなみに初めて知ったのだが、緑玉髄のことをプラズマというらしい。ドクター中松……ではなくて、科学用語のプラズマと何か関係あるのだろうか。

金はまだ希少だったが、銀は現在のアルミか何かのノリで使われているのも気になった。居酒屋からの出土品が銀の調度品というのは何かの間違いだと思いたい。銀は残念ながらかなりさびていたが、金は金貨の文字がきちんと読めるくらい、さすがに綺麗な状態で残っていた。硬貨の面目躍如たるところだろう。ラテン語を読むとVespasianusとか書かれていて、ああウェスパシアヌス帝時代のものか、と嬉しくなった。

驚いたのは、まず外科医の医療セットが残っていたこと。そしてそのメスや針などが現在のものと遜色が無いこと。ローマ時代の技術の高さを思わせる。まあ金持ちが別荘をたくさん持っていた場所なので、これが全国基準だったとは思えないが。

もう一つ驚いたのは、フレスコ画が残っていたこと。そしてそれを日本に輸送していたこと。フレスコ画、特に古代の技法のものは非常にはがれやすく、保存が難しい。故にあまり残っていないのだが……火山灰の下は逆に保存状態としては良かったのか。恐ろしく色が鮮やかで綺麗である。そしてそれを、壊さずに日本に輸送した科学技術にも驚嘆せざるをえない。まさに古代と現代が手を結んだ成果だと言えるだろう。


とまあ非常に気分よく帰途へ。文化村は7時まで空いてるので、学校ある日でもなんとか寄れる、ありがたい存在である。  続きを読む
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