2006年07月30日

聖女の本質

この間宗教学のレポートを書き終わったのであるが、テーマは聖女テレサ(テレジア)であった。彼女の思想を授業で聞いているうちに、自分にとある考えを抱かせた。それは授業を聞き終わったときに核心へと至った。しかし、あまりにもぶっとんだ、かつ破廉恥極まりない内容だったので、とてもレポートには書けなかった。悔しいのでここにぶちまける。以下、その内容。


彼女の思想は、いわゆる神秘思想である。彼女によると、まず引きこもること大事。できれば静で雑念の入らない場所で。修道院とか完璧である。そして祈る。キリストへの愛を想いながら、ひたすら祈る。そして妄想を続けるとふとした瞬間急にエクスタシーに陥る。これは最初、とても痛い反面段々気持ちよくなるらしい。それは神に近付き、神の光を浴びたからである。それを彼女は「神とのお見合い」と表現した。すでにお見合いより先に進んでしまっている気がするが、気にしてはいけない。

それでも祈り妄想を続けると、彼女は次の段階に入る。最初は痛かったエクスタシーが次第に快楽だけに変わるらしい。それは神の光に慣れたかららしいのだが。重要なのはこのとき、神が降臨なさって自分と交わっちゃうらしい。この段階を「神との婚約」という。

それでもたくましく妄想を続けると、行き着く先は「神との結婚」である。結婚しちゃったよ、おい。この段階になると毎日楽しくて仕方が無いらしい。彼女はこれを「神との合一」と言い換えており、そこはかとなくエロくてよろしい。

もう一つ大事なのは、彼女は自分の妄想神との交流を書物に著すべき」と主張している点。すなわち、同人誌だ。彼女は実際自分の同人誌著作を数冊書き残しており、これが現代でも全世界の修道院で読まれている。うん、壁だろう。



………どうみても腐女子です、本当にありがとうございました。  

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2006年07月29日

飾るには仰々しいが

galleガレの作品を見るのは、これで三度目である。一度目はフランスに行ったときオルセーで、二度目は江戸東京博物館の特別展で。ガレのガラス作品は、何度見てもすばらしい。

前にも書いた気がするが、ガラス工芸というのは工芸品の中でも格別美しい。透明な部分と不透明な部分が入り混じり、光がゆらめく。見る方向で印象が違う。

そしてガレの作品がまたすばらしいと思うのは、植物や虫といった題材、すなわち自然の織り成す曲線が、ガラスとの相性が抜群に良いのだ。アール・ヌーヴォーの面目躍如足るところか。

夏休みに入って、手持ちの画集や図書館の画集を見て勉強していたが、やはり本物は違う。インパクトとでも表現すれば、一番近いだろうか。そうそう海外にはいけないので、やはりこうやって向こうから来てくれるのはありがたい。そんな当たり前のことをいまさらながら実感した。

今回のコンセプトは「エルミタージュ美術館所蔵」だったので、ガレの最高傑作の一つといえるような作品が↑くらいしかなかったのが少々残念か。そこまで求めるならオルセーに行けということなのだろう。  
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2006年07月27日

昭和の雰囲気

本郷キャンパスの弥生門(安田講堂から左に行ったところの門)を出てすぐに、小さな美術館があるのを知っている人はおそらく少ないだろう。その名もまんま弥生美術館、そして隣接しているのが竹久夢二美術館である。

竹久夢二というのは戦前に活躍した挿絵画家で、弥生美術館のほうも戦前の今で言うイラストレーターの展覧会を中心に運営しているようだ。昨日自分が行ったときは少年誌の小説挿絵で勇名だったらしい人の展覧会をやっていた。両方合わせて1時間かからずに見終われる。

ぶっちゃけ近いから行ったというのが大きくてそんなに竹久夢二に興味があって行ったわけではない。実際見ても夢二の絵に関してうまいとは思ったが、けして好きではなかった。

鑑賞しているとなにやらご老人二人が入ってきて「懐かしいのぉ、子供の頃よく読んだわい」と語り合っていた。ということは今80くらいの人たちなのだろう。ここはそういう人向けの美術館なのだ、ということに今更気づいた。

ちなみに入場料は600円と規模の割に少々高いが、中に国立博物館とかの割引券置き場があって大量に余っており、適当にもらってきたから結局ほとんど入場料タダだったかも。穴場である。

  
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2006年07月25日

夏学期総括

夏学期を振り返ってみると、けっこういろいろやったなと思う。一方で、ほとんど予想通りのことしか起こらなかったという気もする。別に日常に奇抜さを求めているわけではないので(いや、求めているのも確かだが)、予想通りでいいのだけれど。

やはり、新しい人と親しくなるのはおもしろい。いろいろな発見があるから。J高校にも、駒場にもいろんな奴がいたが、美術史にもいろんなやつがいた。そして今回も未知の人格がたくさんあった。


今学期は割と雑多に授業を選んだと思う。そしてコマ数16は多すぎた。冬はもう少し減らす、というか通年の授業+美術史、学芸員系の授業で12コマくらいにはなりそうなので、とって+1〜2コマか。

迷いどころはいくつかあって、まず火曜2限の某神秘思想。興味が無いわけではないので沙羅ポアがとるなら付き合おうかなとは思う。

次に火曜5限の美芸。カントの『判断力批判』を原典で読むらしい。『判断力批判』は自分のやりたい時代では必須の文献だし、確かに後期は水曜5限のドイツ語をとる気はなく、ドイツ語が週2回から1回に減ってしまうので、ドイツ語の負荷を維持するならとるべきだろう。ただ、維持するどころか今学期より負担が増加しそうで、せっかくコマ数減らした意味がなくなってしまいそうで怖い。とりあえず夏休みに『判断力批判』の日本語版を読んで、かつ第一授業に出て「判断」しようかと思う。

最後に金曜4限。ネーデルラント絵画と中世ヨーロッパの死の表現が重なってしまった。おそらく多くの美術史の生徒が悩んでいるのではなかろうか。今のところネーデルラント絵画のほうに出る予定だが、こういうことは勘弁願いたい>教務課


まあ目下最大の懸念は集中講義に出るかどうかだけど。9/11〜16なんていう微妙な時期に設定しないで欲しかった。前か後ろに1週間ずれてくれれば出れたのにね。  
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第69回「ローマ人の物語14 キリスト教の勝利」塩野七生著 新潮社

コンスタンティヌス大帝の死後も、ローマ帝国はその息子たちによってキリスト教国化が進んでいった。しかしそれは現代の我々から見れば一神教の弊害がどんどん見え始めることであったが、古代人には「歴史」という経験が足りていなかった。そして次第に人間ではなく神が世界を支配する、中世への道を突き進んでいく。

しかしそんな中、一神教の弊害を見抜いて立ち向かった皇帝が一人だけいる。背教者ユリアヌス。だが彼は観点こそ良かったが、時代の流れに逆らうほどの、そうたとえばカエサルのような、英雄としての力は持ち合わせていなかった。そして混乱する帝国を統治したのは皇帝ではなく神の代理人である、とある司教だった……

13巻でも感じたことだが、この巻は読んでいて悲しくなってくる。もうこれはローマ帝国ではない、別の国だ。とうとう街からは石像彫刻が消える。神殿は閉鎖され、教会を建てるための材料として切り崩される。

物質的なものだけではない。戦乱から商業は衰え、都市そのものが衰退する。神学の発展と同時に哲学は二流とされ、家庭教師たちも姿を消す。何よりローマ法がキリスト教の秩序に勝てないのだから、伝統などあったものではない。カエサルが、ハドリアヌスが消えていく……

だが、この寂寥とした漠寂感がまた歴史のロマンだと思う。ここまで来たのだ。最後まで付き合おうじゃないか。


キリストの勝利 ローマ人の物語XIV
  
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2006年07月18日

こんなこと書いたら消されるかも

とうとうフリーメーソンのテストが終わった。長きに渡る奴らとの抗争だった。


テスト勉強していて思ったのだが、フリーメーソンの象徴体系や入会儀礼はどうもありがちなRPGやラノベの設定に思えて仕方が無い。たとえば経験値を積むとレベルアップするシステムとか、レベルアップすると新しい呪文を教えてもらえるとか。火、水、土、風が四大属性とか、それ以外に闇属性と聖属性があるとか。新しい街に行ったらまずその地の会所に行くとか。大体、グランドマスターという役職名からして設定が中学生っぽい。

つうかフリーメーソンの起源神話はそもそもが居酒屋での下級貴族4人のよた話が発端のでたらめ話なので、いつの時代も男の想像力など同じということか。彼ら曰くアダムもノアもソロモン王も全部フリーメーソンだったらしいし。こう聞くとフランス革命やWW2の引き金になるような陰謀結社とは全く思えない。

逆のことも言えるかもしれない。いまだにフリーメーソンが生き残っているのは、いい年した親父たちが童心に帰って妄想設定を楽しみたいがために組織してるからだとか。むしろゲームやラノベの製作者が、メーソンを元ネタにして作ってるとか。


世界三大秘密結社というとフリーメーソン・ユダヤ教・イエズス会らしいが、まあ後者二つよりはまだマシな集団なのかな、と思わないでもなくなった、そんな授業だった。まあ多分後期とらないけど。  
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2006年07月16日

第68回「宗教の理論」ジョルジュ・バタイユ著 湯浅博雄訳 ちくま学芸文庫

バタイユの書いた、宗教現象学的な宗教起源論……なのだが、どちらかといえば宗教社会学といったほうが正しい気がする。言っていること自体はいつもと同じで禁止やら侵犯やら、至高性やらの話なのだが、彼の著書で注目すべきところは、同じテーマについてさまざまに違った分野から切り口を入れるということであろう。たとえば主著『エロティシズム』は哲学から、『エロティシズムの歴史』は読んだこと無いがタイトルからして歴史学だろうし、『文学と悪』は文学、『呪われた部分/有用性の限界』は経済学、『エロスの涙』は美学、といったように。それで今回は社会学なんじゃないかと思う。

最近気づいたのだが、バタイユの思想は別に特異なものではない。もっと正確に表現するならば、哲学史上いきなり登場したわけではないということだ。ただし、哲学者以外からの影響が大きいため、哲学史上では特異な存在のように扱われているのではないかと思う。たとえば『消尽』という考え方はモースからもらったものだろう。『内的経験』はニーチェともとれるが、どうもジェームズの影響も大きい気がする。彼の神秘体験に関する説明は、バタイユの内的経験に通じるものがある。今回の参考文献一覧の名前をざっと見ても、モースの他にウェーバー、デュルケーム、デュメジル、フレーザー、ブランショ、ロバートソン・スミス、そしてエリアーデと、宗教学者の名前か、社会学者の名前しか出てこない。

そして逆にバタイユの影響を受けた人物というと、バタイユの理論をさらに過激にして「宗教の本質は暴力だ」と説くジラール、やバタイユを「20世紀で最も重要な思想家の一人」と評したミシェル=フーコーといった面々が出てくる。そのイメージとは違ってしっかりと系譜を残せているのではないかと思う。


さて長い前振りになってしまったこの本だが、前述の通り社会学的宗教起源論である。宗教がいかに生まれ、社会の中でどのように変容していったのか分析する。バタイユの著書の中ではわかりやすいほうではあるが、いきなりこれに突っ込むのはやや無謀か。これの前に『エロスの涙』あたりに触れておくことをお勧めしたい。はっきり言って「至高性」についての説明は、訳者後書き以外の部分ではほとんどなされていないので、そういったことを期待すると裏切られるだろう。


宗教の理論
  
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2006年07月09日

新宿西口歩いて10分弱

前から常設展示が気になって、東郷損保ジャパン美術館に行ってきた。驚いたことに、何も知らず偶然行ったら「開館30周年記念日」だったとかで、入館料が無料だった。1/365の運をこんなところで使いたくはなかったのだが……今更拒否もできぬ、ありがたく受け取っておくことにしよう。

入ると特別展コーナーが先にあって、アメリカ現代アートをやっていた。相変わらず理解に苦しむ作品群だ。ウォーホルやリキテンシュタインのポップアートあたりはまだわかりやすいのだが、ネオダダが入るともうさっぱり。改めて思ったが、やっぱりこいつら嫌いだ。

置いてあったパンフレットを見ると、先週まではなんとボタニカルアート展をやっていた模様。ちょうど独文のレポートをボタニカルアートをネタにして提出したところだったから、こっちなら多大なる興味をもってみれたのに。チェック不足を恨む。


んで、常設展に入る。ここで、東郷美術館に行ったことある人なら今日のオチに気づいていたと思うのだが、常設展はほとんど無い。2部屋だけ。入ってびっくりした。そもそも東郷清司の絵が10枚くらいしかないじゃないか。羊頭狗肉ですよこれは。

まあこの美術館のメインは、やはりなんと言ってもゴッホの《ひまわり》か。バブルのときに80億円くらいで買って話題になったんじゃなかったっけ。そうでなくとも、それくらいの価値はあるだろう。実物を見る日が来るとは思わなかったけど。さすがに警備がとてつもなく厳重。さすが80億。

いろいろ文句は言ったけど、42階で景色は最高だし、無料だったから損ではなかったかなと。10月には今三重県立美術館でやってるウィーン展がここに来るらしいので、次にここに行くのはそのときだろう。  
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2006年07月06日

EU2総括

EU2とVicを比べた場合、様々な違いがあった。この違いというのがいかにも近代と前近代の違いといった感じで、考えてみるとおもしろい。

一番違うのは間違いなく内政面。Vicは超忙しいが、EU2は悲しくなるほど暇。Vicはゲーム時間が85年だが(パッチで105年になる模様)、EU2は実に400年。ゲーム速度が4倍になるくらいのほうがいいのかもしれない。

地域差も全然違う。Vicは基本的に北米・ヨーロッパ最強。アジアは物量こそすごいものの、技術力の差でおいつけない(日本例外)。南米はヨーロッパの次に楽。重要物資と人口に欠けるが、とりあえず文明化してるだけマシ。アフリカは語るまでも無い最弱さだった。EU2では打って変わって、ヨーロッパは技術発展著しいものの無駄な戦争過多で富国強兵している暇が無い。一方アジアは平和な上にVicほどの技術格差も無いので非常に楽。中国かムガールなら世界統一を目指してもいいだろう。逆にVicでは楽な南北アメリカは完全に開拓地で、そもそも国が無い。あってもインカ帝国とか、戦争には全く向かない。

政体の違いもおもしろい。Vicでは君主が交代してもせいぜい国威が上昇するだけで政治に影響は無く、むしろ重要なのは与党政党である。与党によって大きく税率や内政改革のできる幅に制限を食らう。EU2ではまず政党という概念が無い。君主の能力が政治の全てで、暗愚な君主を輩出すると冗談抜きで一代で国が傾く。

外交もそれに伴って大きく異なる。Vicでは政体による。絶対君主は大きな制限をもらうし、共和政は関係改善や同盟締結にボーナスがつく。EU2では外交を左右するのは政体ではなく、むしろ宗教である。プロテスタントとカトリックでは同盟が難しいなど、自由な外交にはかなり弊害が出る。宗教って何それおいしいの?というVicとは大きな違いだ。

またVicでは外交の基本が技術交換、土地交換、軍事同盟の締結にあるのに対し、EU2では婚姻政策と相手国の平和的併合が基本。主権国家体制の成立による違いだろう。技術格差が国力に直結するようになったというのも、Vic時代の特徴かもしれない。


そして注目したいのは、スタックペナルティ(軍隊待機時における損傷)。Vicでは南米の奥地やサハラ砂漠のど真ん中、ロシアの冬将軍でも無い限り、兵数は減っていかない。自国の民族の兵士を使っている限りも逃亡兵は出ない。逆にEU2はこの点で相当悲惨である。ヨーロッパのど真ん中といえど、ある一定人数を越える兵士を領邦におくとどんどん減っていく。たとえば15世紀のザクセンでは、4万人を超えて兵士を置くともう損耗していく。そして戦争が始まるとすぐに逃亡兵が出るため、信頼できる兵士など全くいない。

ただし、EU2でも陸軍技術開発を推し進めていくと19世紀に入る頃には軍隊アイコンが変わり、Vicのような軍隊に生まれ変わる。目に見えて時代が進んだのがわかりこれが嬉しい。しかも超強い。


以上のように比較という形でEU2を振り返ってみた。時代の違いがゲームシステムによく現れていておもしろかったと思う。しかしやはり時代そのもののインパクトとして、Vicのおもしろさには勝てない。はまるかと言われたら、戦争だらけですぐに飽きそうな気もするし。

それならそれでEU2のデータをVicにコンバートして続行できないものかと思うのがプレイヤー魂という奴で、なんとそういうツールが配布されていたりする。現在、ザクセンプレイデータのコンバートに成功。夏休みになったらVicも完走するつもりである。  
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2006年07月05日

第67回「西洋美術史ハンドブック」高階秀爾・三浦篤編 新書館

『まなざしのレッスン』では教科書然としすぎていて、後から参照するには頼りない。『青の美術史』は当然ニッチすぎる。『カラー版 西洋美術史』は時代ごとの特徴をつかむのは得意だが、細かな作業には向かない。『西洋絵画の主題物語』はアトリビュートや元ネタを探すには便利だが、画家の年代や場所はごちゃまぜである。つまり、もう一冊くらい総合的な参照のできる西洋美術書が欲しくなったので買った。

どこにでもありそうな美術入門書っぽい作りなのに、高階秀爾、三浦篤両名は東大教養学部出身であり、書いているメンバーがその人脈なので実はものすごく豪華だったりする。作りがしっかりしていてとても読みやすい。ハンドブックの名の目的を果たしていると思う。

一方、ぽんぽんと専門用語が出てくるので入門書ではなく、中級向けといったほうがいいだろう。内容は完璧に伝記集。有名な画家を陳列し、それぞれについて長い人で2ページ、短い人では一行で説明している。登場人数はやや少なめで、本当に超有名どころを選んでいる。ところどころ、その時代区分の説明や「サロン」といった用語の説明が挟まっている。基本的に一枚の絵を解説するということは重視していない。そういった点でも、ある程度他の本や展覧会で絵を見ていて、挿絵を省いても想像できる人を想定して書いているのだろうと思う。

けっこう知らなかった事実や誤認していた事実を確認できて非常にためになった。特に専攻行く前に触れておいてよかったと思う。特に伝記的な情報は意外と欠けていたので助かった。大きさがもう少し小さければ、そしてもう少し分量があれば、本当に文句が無かったのだが。


西洋美術史ハンドブック
  
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2006年07月03日

EU2 AAR ドイツ版三国志(3)

1687年、とうとうわが国にも探検隊が出現。なんとアラビア半島やカスピ海の地図を持って帰る。すばらしい、と言いたいところだが、そんなところの地図がわかったところで実は全く意味が無かったりする。できれば新大陸かアフリカの地図を持って帰ってきてほしいところだ。ところで我が盟友イングランドがスコットランドに大敗したらしく、アイルランドを全部割譲していた。逆に別の盟主スウェーデンは北方戦争でロシアに大勝。(後の)サンクトペテルブルクを保持する。ロシアは領土が広いだけで、たいしたことはないらしい。またいつの間にか教皇領が消滅。滅ぼしたのはなんとフランスで、イタリアはだいぶフランス領になっていた。考えてみるとこの時代はルイ14世なはずで、まあ奴ならやりかねないなと思った。

1694年、ザクセンの偉大なる君主、アウグスト強王(Friedrich August der Starke)が即位。期待の高まるその能力は……悲しくなるほど弱かった。有名なだけで強かったわけでは無いらしい。しかしここで重大イベント発生することを、俺は覚えていた。

アウグスト強王がポーランド王位を継承:ポーランドが属国になりました


ポーランドといえば、約250年前にはやたらと辛酸なめさせられた国。あのときすでに2万人の騎兵を持っていた、あの国が手に入るなんて……と喜び勇んで詳細を見てみると

全軍隊:騎兵2万人


増えてねぇー!!!何やってんのさポーランド。さすが、史実とおりのへたれっぷりだ。こっちは人口5倍、軍事力も5倍以上に増えたというのに。まあ史実のポーランドなんてこんなもんか、と自分の中にあきらめをつける。その後しばらくはアウグスト強王が死んだり、その息子が神掛かってすばらしい能力だったり、オランダと縁を切って戦争するも引き分けに終わったり、まあいろいろしているうちに50年経過。1740年、いつの間にか我らのスウェーデン・イングランド・ザクセン同盟にロシアが加入していたらしく、ロシアから通達が来る。

軍事同盟の遵守とポーランドに対する宣戦布告請求


あれ?ポーランドってうちの属国だったのでは……しかしここでロシアの機嫌を損ねるわけにはいかないし。というか、ポーランドいらないよな、対して儲かる資源出ないし。というわけで見捨て決定。ポーランドの属国化を破棄しポーランドへ宣戦布告。これがイベントトリガーになったらしく史実より50年ほど早めに「ポーランド分割」が発生。ブランデンブルクとオーストリアがポーランドに宣戦布告。さらにロシアとの同盟関係からスウェーデンとイングランドも宣戦布告。結局6大国から宣戦布告を食らい、一瞬にして歴史から消え去った。ごめんよポーランド……いや、わが国もちゃっかり賠償金もらってるんだけど。


Sachsen_17451745年、フランスからアルザスが独立。どうやらフランスはどうでもよさげなので、ではとわが国が宣戦布告。アルザス王国の存在はわずか半年だけでした。合掌。久々の領土獲得でとうとう9つ目。ザクセンの人口もとうとう17万人を突破。この数字の伸び方をみると医療が発展したんだろう、Victoriaの時代がいよいよ近くなっていることが実感されておもしろい。

1770年、わが国にもとうとう近代的軍隊制度が確立。軍隊のアイコンが変わって驚いた。今までは怪しげな銃とか槍を持っていたのにライフルに変わったし、何より今までは黒づくめの怪しい格好をしていたのに、服装もいかにも正規軍という感じへ。1790年、なぜかボヘミアが南ドイツを統一。ザクセンによるドイツ統一はとっくにあきらめてはいたが、ボヘミアが南ドイツというのは複雑な気分だ。せめてドイツ人国家でお願いしたい。

1791年、フランス革命勃発。わが国は新生フランスに対して友好的な態度を取ることにする。さすがに奴らは強い。見事にヨーロッパを荒らしまわってくれた。1811年、フランスがイタリア諸国に宣戦布告。わが国が同調するとそこから芋蔓式にハノーファー、オランダ、ブランデンブルクがわが国に宣戦布告。見ると彼らの武器はいまだに前近代的。飛んで火にいる夏の虫以下なんじゃないのか。まずオランダを返り討ち。首都以外全部割譲。ハノーファー占領、ベルリン占領。さあどんな条約結ぼうかな、と思っているとフランスが勝手に講和。盟主が講和すると講和せにゃならんシステムなので、こっちの戦争もしぶしぶ終了。ち、あのフリーメーソンどもが。終わってみると1816年になっていた。オランダから探検地図を奪ったので、かなりのところまで世界地図が完成。日本も発見されている。そこで遅ればせながらわが国もアフリカに植民。セネガル領有に成功する。

このままゲームを終えてもよかったのだが、どうせここでゲーム終了。悪評高くなろうがしったこっちゃないと、平和条約を無視ってブランデンブルクに宣戦布告。当然大義名分なんてない。電撃戦でベルリン再占領。可能な限り領土を分捕る。そして1820年ゲーム終了。

結局最終順位は4位だった。ドイツは見事にわが国とブランデンブルク、ボヘミアで三国鼎立という感じで、プロイセン一強の史実よりも統一が難しくなったかもしれない。ちなみにザクセン市の人口はこのときなんと35万人。最後の150年でさらに5倍に。この時代の人口増加率に恐怖を覚える。

他の地域と順位を。ブリテン島ではイングランドがかなり盛り返したが、相変わらずアイルランドはスコットランド領。アメリカも合衆国に独立され、カナダにかろうじて領土がある感じ。インドに植民は失敗したみたいで、この世界のイギリスはVictoriaにはなれなさそうだ。1位は後半、ポーランドとトルコを叩いてがんばったオーストリア。結局史実並みの領土になっている。2位はフランスで妥当なところだろう。3位はロシア。まあこれだけ領土が広ければねぇ。5位はスペイン。序盤は驚異的なペースで他国を引き離すも、後半失速。名残でなんとか入賞。6位はスウェーデン、7位はなんとムガール帝国。こっそりがんばってんたのね。8位はヴェネツィアだった。次回、総括。


Sachsen_1820Sachsen_1821  
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2006年07月02日

EU2 AAR ドイツ版三国志(2)

そこからまたちょっと暇な時間をすごしていると、16世紀に入った途端思いもよらぬ事態が。なんとカール五世がアウグスブルクの和議に失敗しプロテスタントを完全否認、反乱祭によりオーストリア帝国崩壊。ファルツ、マインツ選帝侯国がそれぞれ独立……これはいけるんじゃね?ということで、前回と同様の手口で20年かけて両国を婚姻併合。ついでにひょっこり独立していたケルンの司教職を兼任してケルン司教領を併合。ついでにルクセンブルクも(ry

Sachsen_1554というわけで、1554年。気づけばライン川中流域にまたがる、7つの領土も持つ中堅国家になっていた。恐ろしいのはここまで1回も戦争をしていないということ。国内にプロテスタントやカルヴァン派が増えてきたので1570年、ようやくプロテスタントに改宗。ザクセンというとルターの保護国で真っ先に改宗した国なはずだったんだが、史実に遅れること50年以上。ごめんよルター。ところで結局、君はどこにいたのかね?と思いログを調べてみると……

1517年:スウェーデンがプロテスタントに改宗

スウェーデンかよ!えらくまた北まで逃げたもので……そういえばザクセンといえば選帝侯の一つ。ファルツもマインツもケルンも選帝侯の一つだったことを考えると、選帝侯を4つ兼任している自分は神聖ローマ皇帝になってもいいんじゃないのか?という気持ちが湧いてくるが、調べてみるとこのゲーム、神聖ローマ皇帝位は史実に則る模様。つまりずっとハプスブルク家。ち、つまらん。


その後も暇な日々が続く……はずだったのだが、1590年に突如としてフランスに宣戦布告を食らう。やっとのこさ国内を統一して、驚異的な陸軍の量をお持ち。まともに戦ったら死んでしまうので、同盟しているジェノヴァ、オランダに救援を頼むも、なんとフランスの同盟国にあのブランデンブルクとボヘミアが。貴様ら、200年前は戦争し取ったくせに……まあ200年もたてば状況は変わるのは当然というか、考えてみると本来ブランデンブルク=プロイセンになるべき領土を全部ザクセンが持っているわけだから、恨まれても仕方は無いか。

Sachsen_1597
戦火の行方はというと、当然勝てないわけで。多額の賠償金を払わされる。しかしブランデンブルクに払うのはしゃくだったので、講和条件で賠償金の払い先はフランスだけにしてやった。ざまあみろ。しかしブランデンブルク、フランスの同盟は厄介すぎる。なんとかしなければなるまい。ここでふと東方を見ると、なんか茶褐色の領域がバカでかいんですが。ロシアですかそうですか。


金欠から立ち直ってみると、50年経っていた。とりあえず経済基盤を強くするべく国内に工場を建てる。Vicでも儲かる衣服工場と、兵器工場だ。以後財政はかなり楽になる。外交的にもフランスとの友好関係を取り戻し、敵はブランデンブルクだけに。このゲーム、君主の能力が技術発展や外交成果に大きくかかわってくるのだが、さすがはザクセン、名君ぞろいだ。フランスとの講和もこの点が非常に大きい。

そのブランデンブルクはというと、オランダからベルギーを割譲させていた。わが国は完全にブランデンブルクにはさまれた形になり、向こうとしてはいつでも臨戦態勢な模様。こっちはそこまで好戦的にはなれない。ちなみにブランデンブルクは史実だと30年戦争の折に、プロイセンに植民していたドイツ騎士団領と合併した経緯から後プロイセン王国と呼ばれるようになるのだが、この世界ではドイツ騎士団領をスウェーデンとポーランドが滅ぼしてしまっためにすでに無い。というか30年戦争起きなかったし。この先どうなるんだろう。ひょっとしてプロイセン関係のイベント全部消滅か?

1654年、サヴォワの外交官がわが国で侮辱的な行為を振る舞い、戦争の大義名分を得る。サヴォワといえば、ハノーファー、ブランデンブルク、ボヘミアの同盟国。対するわが国のバックにはイングランド、オランダ、スウェーデンがついていて、今回フランスは中立。ひょっとしてこれはチャンスでは?ということで即日宣戦布告。電撃戦でハノーファー、ベルリンを陥落させて講和。圧勝も圧勝だった。ハノーファーからはミュンスターを割譲させ、ブランデンブルクからは50年前分捕られただけの賠償金を支払わせる。これでまた奴らとは新たな因縁ができてしまったが、知ったことではない。本当は奴らからベルギーを奪いたかったが、そこまでの戦力はわが国にも無く、まだまだ修行不足だ。ちなみにサヴォワとは何事も無かったかのように白紙和平だった。注目すべきはザクセンの人口。開始時たったの1万5千人だった人口はちょうど5倍に。これが250年の成果かと思うとしみじみする。


Sachsen_1654  
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2006年07月01日

EU2 AAR ドイツ版三国志(1)

Victoriaの前作、Europe Universalis 2(以下EU2)を初めて完走した。プレイできる年代は1420年から1820年、すなわちVictoria直前までで、ゆえにかなりVictoriaとはシステムが違う。このシステムの違いが「近世」と「近代」の違いをわかりやすく説明してくれていて、なかなか感動物だった。初のプレイ国はザクセン。目標は当然ドイツ統一だが、さてどこまでできただろうか。


Sachsen_1419

まず初期状況を確認する。見づらいと思うが、手のある場所がザクセン。初期領土はザクセンとアンハルトの二つだけだ。だがザクセンは豊富な鉄の産地で、経済的には恵まれているといえるかもしれない。周囲の状況を見ると、まだまだこの時代は大国と呼べる国は少ない。そんな中圧倒的に脅威なのはポーランド。ちらっと見えるだけで、2万人ほどの騎兵を持っている様子。ザクセンの総人口が2万人なんだが、どうしたものか。

お隣の灰色がブランデブルク辺境伯領、そう後のプロイセンである。今はわが国と同様2領土しかないが、後の歴史を知っているものとしては、仲良くしておきたい。西に目を向けると、フランスとイギリスが戦争中。青いのがフランスで、赤色がイギリス、それ以外がイギリスの属国と言えば、どれだけフランスが押されているかよくわかる。フランスは歴史通りジャンヌダルクが登場するのか。当然イベリア半島もレコンキスタ中でいまだ分裂中だ。なお、白紙の部分は未知の領域。探検隊を派遣しないと地図に書き込まれないらしい。そんなとこも大航海時代らしくていい。


開始早々、いきなりブランデンブルクが軍事同盟の履行とボヘミアへの宣戦布告強制を通告してくる。当時のボヘミアといえば強国で、5つもプロヴィンス持ってるので戦いたくない。仕方が無いので軍事同盟を破ってみた。その2日後、周囲のほとんどの国から宣戦布告を食らう………リセット。なるほど、Victoriaのノリで軍事同盟を考えてはいけないようだ。

19世紀は攻める側より守る側が圧倒的な優位に立っていく時代である。それに国際法がしっかりしているから、大義名分が無い戦争は他の列強の介入を生み、自らを破滅させる。その代わり戦争が一度起こると、それはもう歴史に残る一大事である。ところがこの時代は戦争なんて日常茶飯事で、その代わり白紙和平なんてのもしょっちゅうである。戦争の原因はそこら中に落ちている。列強なんて制度も無いから誰も助けてくれない。ゆえに軍事同盟をどことも組まずに、単独で生き残るという戦法は限りなく無謀なのだ。

というわけで仕方なく、ブランデンブルクとの軍事同盟を履行。ボヘミアに宣戦布告するも、直後に白紙和平。5年後、再びブランデンブルクがボヘミアに宣戦布告、今度はボヘミアの同盟国、ポーランド付。これはもう絶対勝てないと判断、ブランデンブルクとの軍事同盟を破棄。代わりにオーストリアと同盟を組み戦争を傍観。案の定ブランデンブルクは多額の賠償金を両国に支払い、再起不能に陥った模様。これで恨みを買ったのか、以降ブランデンブルクとは長く犬猿の仲になろうとは、思いもよらなかった。

これを最後に、ぱったりと戦争が途絶える。すると、超暇になるのがこのゲームらしい。Vicならこの間に忙しく内政をするのだが、このゲームは内政があってないようなもので、本気でやることが無い。仕方がないから隣のヘッセンとの友好度でも上げることにしてみる。今でいうフランクフルトの辺りだ。婚姻関係もヘッセン、ハノーファー、オーストリアと結び、善隣外交を進める。

そんな風に続けて早50年。1470年代のある日いきなりヘッセンが我が国の属国化。なにやら一定の条件を満たすと他国を平和裏に属国化できるようだ。その条件はまず婚姻関係であること、同じ軍事同盟にいること、高い友好度、そしてどちらかに軍事力が偏っていること、らしい。さらにその20年後、ヘッセン併合。血は一滴も流していない。これは素晴らしい。元々は戦争は極力しない派閥の自分、現実のオーストリア帝国を見習ってこれで領土を拡張しよう。

世界に目を向けてみると、ブリテンがとんでもないことになっていた。どうやらスコットランドがフランスと同盟、突如百年戦争に介入した模様。フランスも息を吹き返して善戦している。イングランドが大陸からいなくなる日も近いかもしれない。自分もいる中欧では、史実どおりハプスブルク帝国が出来つつあって戦々恐々。そこそこ友好国だからいいものの、絶対に敵に回してはいけない戦力だ。東のほうでは、オスマントルコが弱い。ハンガリーに負けている。イスラム世界の覇権もエジプトに取られているようで、史実とは雲泥の差だ。


Sachsen_1494  
Posted by dg_law at 23:19Comments(0)TrackBack(0)