上野の森美術館のダリ展に言ってきた。シュールレアリズムの溶けた時計で有名な彼だ。
自分がこの画家について好きかどうかを聞かれると、大変答えるのは難しい。現代アート自体が嫌いなので基本的に嫌いなのだが、それでも現代アートの存在価値はわかりにくさにあると思う。しかしダリの作品は溶けた時計然り、わかりやすいものが多く、現代アートとしての位置付けが微妙である。それでもわかりやすいもの自体は嫌いではないので、やはりなんともいいようがたい。
ではなぜダリの作品がわかりやすいか。それは上記のタイトルが全てである。フロイト的に見てとがってるものは男性器でくぼんでるものは女性器だと思えば、おおよそ絵の全体像が見えてきてしまうものが多い。今日一緒に来た友人に「これフロイト的に言うと○○だよね」と、何度言ったかわからない。
そして激しい中二病患者なので、なんとなくかっこいいんだけど実はたいした意味が無いことも多い。Don't think!feel!で伝わってしまう。溶けた時計なんかいい例である。絵のタイトルもひどい発症具合で、長けりゃいいってもんじゃないと言いたい。同じ現代アーティストならデュシャンのような、センスのあるタイトルを期待したい。
ダリの奥さんはすごい浮気性で、ダリはMだったんじゃないかと思う。浮気されるたびに創作意欲がわいたんじゃなかろうか。フロイト的だったり中二病患者だったりするのもここら辺の情緒不安定さが影響を与えていると思う。
置いてある作品は聞いていたよりも大作が多くて安心した。そんなことよりも作品のキャプションの少なさを何とかしていただきたい。それとも作品の説明をしようとも「フロイト的に(ry」だと18禁になってしまうので、できないということか。あとひどい混み具合も何とかしてほしい。もっと入場制限を厳しくしたほうがいい。もっともそれはそれで、今度は採算に響くんだろうけど。
なお、最大の疑問点は今回「ダリ生誕100周年記念展」なのに、ダリの生誕が1904年である、ということだった。