どっかの誰かさんが二次元上結婚をなされたので、自分もはてなの流行に乗ってみよう、ここはライブドアだけど。
「俺の嫁」言説に関する解釈は環氏に全くの同意である。付け加えておくならば妻ではダメで嫁なのは、実際超えられない次元の壁があるから。妻というには既定事実があまりにも足りない。ヲタがこういう言説をするときには、必ずこういった自虐的皮肉が含まれている。ゆえに「何こいつキモイこと言ってるの?」という指摘はタブーである。9割方のヲタはそんなこと百も承知の上で、半分ネタで言っているだけなのだから。
それに、ぶっちゃけて言えば、馴れ合うのが楽しいのである。「○○は俺の嫁」「いやいや俺の嫁だって」「いや貴様は××で我慢しとけw」などと、身内で語り合うのが。某連中には有名な話だが、自分とORATORIOが同じ作品に触れるたびに必ず俺の嫁戦争が起きる。属性が近いとどうしようもない。ただ、確かにこの言い回しがあまりにも便利すぎて乱発されすぎている感はある。皆様節操なすぎ。せめて一作品一人まで。まあそれでも普通に何十人になってくるんですがね。そもそもこの業界、無意味に作品が多すぎる。浪費されていく作品が。
「俺の嫁」発言の系譜だが、俺の記憶だともっと前からはやってたような。こめにも燕にも聞いてみたが、やはり2、3年前とのこと。燕曰く「ORATORIOから聞いた」。こめ曰く「東方界隈には、自分がやり始めた頃(=3年前)にはすでにあった。そしてORAに聞くと「やってたエロゲとか考えると少なくとも一昨年には言い始めてた。」
ここら辺を総合するに、少なくとも我々の界隈ではハルヒ以前からブームだったことになる。ここで思い当たったのは、ヲタク内でも自分が中心に据えるジャンルは大きく異なり、たまにそのジャンルを超えて流行する作品が登場する,という話。つまりこの言葉が生まれそして先に流行したのはエロゲや東方界隈といった、よりキャラ萌えが強く、かつネットスラングとの親和性の高い分野であるのはほぼ疑い得ないことであろう。
その上でジャンルを超えて流行した作品として、「俺の嫁」という言葉を他のヲタク分野、つまりアニメや漫画、ラノベ業界にばらまいた作品こそ『涼宮ハルヒの憂鬱』だったのではないか。おもしろいのは「俺の嫁」発言が出現したのはパソゲ業界だったにもかかわらず、『ハルヒ』はラノベ、アニメが出自ということだ。このインタラクティブ性には、『ハルヒ』という作品性という理由が考えられる。これはラノベ出身といってもその物語構造はかなりギャルゲに近く、挿絵ののいぢもエロゲ出身だ。「俺の嫁」発言をするには極めて親和性が高い。
つまり、漫画が主戦場の環氏をはじめ、はてなで「俺の嫁」言説を書いている漫画・アニメが主戦場な方々なわけで、ハルヒが発端のように思っても仕方ないのではないか。こんなところにこの業界の、狭いようで広いというパラドックスを感じるのである。
こういった全ジャンルを網羅するような作品の登場を「祭」と表現するのならば、祭自体は常に起こっている。現在ならばさしずめらきすた祭かアイマス祭か。確かに、自分が熱狂的に参加した祭が終わったときの寂しさはたまらないものがある。自分の場合はマリみてのアニメ2期が終わったときの虚脱感はすさまじいものがあった。
「晴れハレ」を聞いたら泣きそうになるのはそれとは別の青春時代に対する憧憬だと思うが、青春時代が人生上の「祭」という意味では、これに全面的に同意せざるをえない。かく言う自分もLost my musicを初めて聞いたときに、あまりにも郷愁を感じすぎて普通に泣いた。だんだんエロゲでごく普通の学園モノをプレイするとアレルギーが出るようになってきたのは、そういうことなのかもしれない。 続きを読む