2007年06月28日

超一夫多妻制

どっかの誰かさんが二次元上結婚をなされたので、自分もはてなの流行に乗ってみよう、ここはライブドアだけど。

「俺の嫁」言説に関する解釈は環氏に全くの同意である。付け加えておくならば妻ではダメで嫁なのは、実際超えられない次元の壁があるから。妻というには既定事実があまりにも足りない。ヲタがこういう言説をするときには、必ずこういった自虐的皮肉が含まれている。ゆえに「何こいつキモイこと言ってるの?」という指摘はタブーである。9割方のヲタはそんなこと百も承知の上で、半分ネタで言っているだけなのだから。

それに、ぶっちゃけて言えば、馴れ合うのが楽しいのである。「○○は俺の嫁」「いやいや俺の嫁だって」「いや貴様は××で我慢しとけw」などと、身内で語り合うのが。某連中には有名な話だが、自分とORATORIOが同じ作品に触れるたびに必ず俺の嫁戦争が起きる。属性が近いとどうしようもない。ただ、確かにこの言い回しがあまりにも便利すぎて乱発されすぎている感はある。皆様節操なすぎ。せめて一作品一人まで。まあそれでも普通に何十人になってくるんですがね。そもそもこの業界、無意味に作品が多すぎる。浪費されていく作品が。

「俺の嫁」発言の系譜だが、俺の記憶だともっと前からはやってたような。こめにも燕にも聞いてみたが、やはり2、3年前とのこと。燕曰く「ORATORIOから聞いた」。こめ曰く「東方界隈には、自分がやり始めた頃(=3年前)にはすでにあった。そしてORAに聞くと「やってたエロゲとか考えると少なくとも一昨年には言い始めてた。」

ここら辺を総合するに、少なくとも我々の界隈ではハルヒ以前からブームだったことになる。ここで思い当たったのは、ヲタク内でも自分が中心に据えるジャンルは大きく異なり、たまにそのジャンルを超えて流行する作品が登場する,という話。つまりこの言葉が生まれそして先に流行したのはエロゲや東方界隈といった、よりキャラ萌えが強く、かつネットスラングとの親和性の高い分野であるのはほぼ疑い得ないことであろう。

その上でジャンルを超えて流行した作品として、「俺の嫁」という言葉を他のヲタク分野、つまりアニメや漫画、ラノベ業界にばらまいた作品こそ『涼宮ハルヒの憂鬱』だったのではないか。おもしろいのは「俺の嫁」発言が出現したのはパソゲ業界だったにもかかわらず、『ハルヒ』はラノベ、アニメが出自ということだ。このインタラクティブ性には、『ハルヒ』という作品性という理由が考えられる。これはラノベ出身といってもその物語構造はかなりギャルゲに近く、挿絵ののいぢもエロゲ出身だ。「俺の嫁」発言をするには極めて親和性が高い。

つまり、漫画が主戦場の環氏をはじめ、はてなで「俺の嫁」言説を書いている漫画・アニメが主戦場な方々なわけで、ハルヒが発端のように思っても仕方ないのではないか。こんなところにこの業界の、狭いようで広いというパラドックスを感じるのである。


こういった全ジャンルを網羅するような作品の登場を「祭」と表現するのならば、祭自体は常に起こっている。現在ならばさしずめらきすた祭かアイマス祭か。確かに、自分が熱狂的に参加した祭が終わったときの寂しさはたまらないものがある。自分の場合はマリみてのアニメ2期が終わったときの虚脱感はすさまじいものがあった。

「晴れハレ」を聞いたら泣きそうになるのはそれとは別の青春時代に対する憧憬だと思うが、青春時代が人生上の「祭」という意味では、これに全面的に同意せざるをえない。かく言う自分もLost my musicを初めて聞いたときに、あまりにも郷愁を感じすぎて普通に泣いた。だんだんエロゲでごく普通の学園モノをプレイするとアレルギーが出るようになってきたのは、そういうことなのかもしれない。  続きを読む

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2007年06月26日

それが文化村の限界か

prague文化村のプラハ国立美術館展に、こめとDiLと行ってきた。プラハといえばハプスブルク家の首都だったわけで、ネーデルラント(オランダとフランドル)絵画が多く集められていた。なかでも今回はブリューゲル一族とルーベンスにスポットが当たっていた。

知ってる人には語るまでもないことだが、オランダとフランドル(=今のベルギー)の絵画は根本的に違う。オランダはプロテスタント国家であり早々に市民社会となった。そのために難解な含蓄を含んだ宗教画よりは見目麗しくわかりやすい静物画や風景画といった、身近なものを描くのが主流だった。一方フランドルは長くハプスブルク家のの支配下だったため、本国オーストリアやスペインの貴族が商売の相手であり、すると宗教画や神話画の大作が多くなる。

しかしオランダが独立するのは16世紀末のことであり、ネーデルラントに絵画が花開いたのはヤン・ファン・エイクだとしてもその200年ほど前のことであった。つまり彼らの間には主題選択の違い以外の、共通する部分がむしろ多いのではないかと思う。具体的には背景の風景まで細かく描写するという面や、どことなく戯作的な、そしてマニエリスティックな部分があるという面であり、これらは北方ルネサンスからの特徴であった。

ブリューゲル一族の絵画は17世紀であっても、割とこの未分化な感じを残していたのではないかと思う。一方でルーベンスは完全に貴族的な方向に振り切れている。ブリューゲル一族の絵を見せられて、画家の出身地がスペインだと嘘の説明をされたとしても違和感がぬぐえないが、ルーベンスの絵はイタリアとかスペインと言われたら納得できてしまう。

ブリューゲルやルーベンス以外にもヨルダーンスやテニールスといった典型的なオランダの静物画や風景画が多数持ってきてあって比較という意味において大変ためになった。一つこの企画展に文句をつけるなら、あまりにも複製が多すぎる。現代の複製というわけではなくて当時の別の画家による複製だからマシではあったが、やはりできるならば真筆をもってきてほしかった。

絵はそのネーデルラント風景画の戯作的なものということで、バベルの塔。バベルの塔が持つ意味そのものもさながら、前景のつかれきった人々に至るまで皮肉がきいてて良い。

  
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2007年06月22日

第107回「罪と罰」ドストエフスキー著 新潮文庫

もっとわかりにくくてがちがちな哲学系小説だというイメージを持っていたが、やはりイメージで語ってはいけないなと思った。あらすじとオチだけは読む前から知っていたが、まさかこんなに早々に(ネタばれ)金貸しの婆さんが殺されるとは思っていなかった。

そこからやや冗長かなと思わないでもなかったが、なんだかんだでポリフォーリィ(検事)と主人公ラスコーリニコフの知的心理戦はおもしろくてさくさく読めてしまった。ある意味デスノートとか(同じ世界文学なら『モンテ・クリスト伯』に近いか)と同じ路線かもしれない。そういう観点で見るとあの長ったらしい法律論や正義論も相手に打ち勝つための単なるディベートに過ぎないように見えるから不思議だ。

なんというか、純文学として持ち上げられすぎたのではないだろうか。この小説のおもしろみは、もちろんそういった深い人生哲学にもあるのだが、もっと簡単なところにもあるように思う。まあ一つ文句を言わせてもらうと、ロシア人の名前、覚えにくすぎである。

あと、妹ドゥーニャに萌え。スヴィドリガイロフは一回死ね。氏ねじゃなくて死ね。

罪と罰 (上巻)
  
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2007年06月15日

第106回「明るい窓:風景表現の近代」横浜美術館学芸員著 大修館書店

近代以降の風景画の美術史というよりは、風景という概念についての、もっとメタ的な歴史をたどった本。そういう意味では自分の買った目的とはかなり齟齬があったが、自分の勘違いという非も認めるけども、正直あの序文では誤解されてもおかしくはない。買った目的と違うとはいえ試み自体は好きだしまあまあおもしろかったと思う。特に「近代」とタイトルに冠するだけあって風景表現おとナショナリズムの関連性や、そこに写真が登場した影響と植民地主義に関する考察など、研究の食指が動きそうなものが多かった。

しかし、いくつか不満点もある。まず、あえてこういう構成にしたのか知らないが、日本と西洋を行ったり来たりするわそれに伴って時代は飛ぶわで、すごく読みづらい。それに伴った事情もあり、そもそもテーマが大風呂敷だったというのもあり、全体的に文章が端折り気味でわかりにくいことはないものの読みづらい。何度か眠くなったことは確かだ。あと、オチが唐突。研究としてはそれでいいのかもしれないが、本としてはもう一箇所くらい山があるべきではないか。

そのオチのせいか単に本が売れたせいかは知らないが、続編が出ているようなので機会を見て読んでみたいと思う。


明るい窓:風景表現の近代
  
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2007年06月14日

『遥かに仰ぎ、麗しの』レビュー

『遥かに仰ぎ、麗しの』をクリアした。このゲームは肯定的に捉えれば全部よく見えてくるし、否定的に捉えれば欠点はそこら中にあるという作品。たとえば延々と元ネタ集を作ってきたわけだが、それらが半分でもわかれば見事な伏線になるし、全然わからないとただのペダンティックで自慢乙、ということになるだろう。

特に評価が分かれそうなのが、主人公の性格が分校編と本校編でまるで違うこと。私的にはわざとだと思っているし、本質的なところではきちんと同一の存在になっている。しかしうがった見方をすれば、単に細かな設定をすり合わせるのを怠った結果とも読める。それに分校編の主人公には「ヘタレ」の言葉が付き纏うし、本校編の主人公には「完璧すぎる」という注文が着く。結局万人に受け入れられる主人公なんていない以上、主人公の性格はどうあったところで欠点になりえてしまうのだろう。

それと、このゲームは非常に古めかしい。もちろんグラフィックの質やシステムの使い勝手は紛れもなく06年発売なのだが、シナリオ進行の様子が古き良き『みずいろ』や『水夏』辺りを感じさせた。特に本校編はそうだった。これも『車輪』や『マブラヴ』に慣れた層、そこから入ってきた人たちには辛いのかもしれない。

さらに言うなれば、分校編に関する評価は安定しているが、この作品を手放しでほめる人は本校編のほうが好きという人が多い。点数にしてみれば分校編は70点前後で、本校編は50点か100点かのどちらか。かく言う自分も、けして手放しでほめられるほどこの作品がすごいとは思わないが、やはり本校編のほうがおもしろかったと思う。

しかし、これだけ欠点だらけにもかかわらず、思い返してみると雰囲気は「欠点の見当たらない作品」と評される『パルフェ』に近い。確かにテーマとしても同じようなところがあるし、きっとこういうのが最近の流行なのだろう。まあいろいろ書いたがともかく雰囲気が最高なことは確かなので、お勧め。

以下、壮絶なネタばれ。クリアした人か、最初からやる気の無い人だけどうぞ。クリア順に列挙。  続きを読む
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2007年06月13日

そういえば昔ヒデがいたね

ゼミで損保ジャパン美術館でやっているペルジーノを見に行ってきた。知名度からすると他のルネサンスの画家に比べて一段階劣るが、ミケランジェロの前のシスティーナ礼拝堂の壁画を担当した人物、と言えば当時の評価の高さがおおよそ伝わるのではないだろうか。

しかしあの時代というと壁画が多いはずで、どうやってもってきたんだろうと思ったらああいう壁画はけっこう保存のためにはがされているらしい。それに板絵も多く、板絵は湿気ですぐ割れてしまうため、輸送に対して使わなければならなかった神経が透けて見える。お疲れ様です。

ペルジーノの絵は一見盛期ルネサンスなのだが、どことなくゴシック的というか、初期ルネサンスのようなところが多く感じられたように思う。例えば背景の描写が北方ルネサンス伝来の細かなものではなくかなり粗めに描いている。これは今東博に来ている(そしてもうすぐ帰る)レオナルドダヴィンチの『受胎告知』の背景と比べると、とてもほぼ同時代とは思えないだろう。特にある壁画に描かれた都市風景はかなりデフォルメされていて、あれなんかはどう見てもゴシックだ。

ペルジーノは当時「神のごとき画家」と言われていただけあって、その人物描写は非常に精緻なのではあるが、現代用語で言うところの判子絵というか、全部同じ顔に見える。そして特徴がいまいち無い。そこら辺が画家の個性を尊重するようになった現代ではペルジーノの評価がそこまで高くない原因となっているのだろう。小佐野先生が語っていたが盛期ルネサンス当時でもすでに画家の個性>安定感という価値観になり始めていたので、晩年のペルジーノには中央からの依頼は途絶えていたらしい。


今年はこのペルジーノ展に加えて西美のパルマ、東博の『受胎告知』に文化村のプラハ国立美術館展と、イタリアルネサンス〜バロックの名品がたくさん日本に来ているが、イタリアと日本の間に何かあったのだろうか。一昨年はドイツ日本友好年という明確なプロジェクトの元、ドイツ所有の名品がたくさん日本に来ていたのだが、今年もイタリア日本友好年なのか。小佐野先生の仕事量が急増していて、見るからに先生が疲れていることだけは、確かなのだが。  
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2007年06月11日

『遥かに仰ぎ、麗しの』元ネタ集、本校編

長らく続いたかにしの元ネタ集もこれで一旦終わり。プレイしても無いのに単なるトリビア集として読んでくれた人たちどうもありがとう。プレイする人は参考に使ってくれると、俺の労力が報われる。次回、ゲームのレビュー。  続きを読む
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2007年06月08日

『遥かに仰ぎ、麗しの』元ネタ集その7、分校編の残り

分校編終わり。
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2007年06月07日

第105回「つっこみ力」パオロ・マッツァリーノ著 ちくま新書

パオロ氏の著書、三冊目。ただ、だんだん何をしたいのかわからなくなりつつある印象がある。言ってることは正しいのだろうし、まあまあおもしろくもあるのだが、おもしろければいいという思想と正しさの重視は両立する場合もあるが両立しない場合もあると思う。

学問のおもしろみはユーモアだというが、それ以上にインタレスティングな部分だと思う。しかしそこには触れていない。さらにユーモアだとは言うが、相手をこけおろすタイプの笑いの取り方が多くて下品である。少なくとも前作や前々作ではもっと少なかったはずだ。愛と勇気とお笑いの結果がつっこみ力だとは言うが、はっきり言って相手に対する愛を感じない。

しかしそれでも「反社会学」としては優れた本だと思うし、文章の構成をミスっただけという気もする。まあ氏は最近活発に活動しているので、今後に期待。



つっこみ力 ちくま新書 645
  
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2007年06月05日

『遥かに仰ぎ、麗しの』元ネタ集その6、邑那の本棚

さて、今回はどこで切るべきか大変迷った挙句、説明文が長いので細かく分けることにした。というわけで前回の宣言を撤回、終了はその8でよろしく。やや特別編ということで、本作メインヒロインの一人、分校編のラストを飾る邑那さん本棚を総ざらいしてみたい。

それにしてもこの本棚、今見ると伏線だらけで恐ろしい。しかも一見ジャンルがバラバラで、どれが伏線なのかわからない状態になっており、そして実はほとんど全部が伏線といえるという……



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2007年06月04日

30とか正直削れません

某所の動画でKOTOKOランキングがいくつかあるのだが、1つを除いてどれも不評だ。書くまでもなく理由は当然で、全部名曲なんだからどれでも1位になる可能性があるわけで、順位をつけること自体がナンセンスなのである。自分自身、どれが1位とか言われても……ねぇ。思わずひねくれてinside of wildernessとか答えてしまいそうだ。

特にKOTOKOの場合(というかI'veの場合)根深い問題がいくつかある。まず、ゲーム補正が著しいということ。その中でも補正著しいのがLeaf ticket、allegretto、Imaginary affair、同じ空の下で、Face of fact。俺もこれらの曲は当然好きだし、無理にランキングを作るとしたらどれもトップ20には入るんだろうが、自分自身ゲーム補正は全く否めない。Leaf ticketでさえ、パルフェをプレイする前はそこまで評価が高くなかった。

次に、電波ソングをどう評価するか。ランキングに入れるのは無茶があるだろうし、かと言ってどこからが電波かという判断も難しい。青春ロケットやSave your heartはきわどいラインだろう。自分からしてみれば一応前者は電波で後者は普通なんだが、正直後者も電波かなーと思わんでもない。が、ORA辺りからしてみれば、どっちも電波じゃないと言うだろう。

非I've曲の扱い、という問題もこっそりある。上記のinside of wildernessもそうだが、意外と名曲とよく言われるものが多いのだ。ワタシはウタがヘタは出るのが3年ほど遅ければ、MADムービーがたくさん作られたことであろう。これらをランキングに入れていいものか、これも作者・視聴者によって分かれてくるところだろう。

トドメで、古参と新参という問題もある。本来こういう分け方は嫌いなんだが、某所のコメ欄見てるとあまりにも差が激しい……「アンケートは古参と新参分けろ」ってタグもあるくらいだ。実際、メジャーデビュー以降のKOTOKOは(高瀬さんや中沢さんの意向か本人の意向か、ランティスの意向かは知らないが)明らかに作風が違う。(もちろん双方に例外はあるけど。Re-sublimityとか。)元々low tranceだからこそI'veが好きになった自分としてはメジャー以前のほうが好きな曲が多いんだが、やはり古参に分類されてしまうのだろう。UZU-MAKIとか雪華の神話とか、メジャー以後も好きな曲はもちろんあるのだけれど。例外的に好評が多かったランキングは新旧ダーク明るい入り混じってて、さすがによく聞いてるねぇといった感じ。


しかし一番寂しいのは、エロゲ側にI'veがあまり配信しなくなったことではないか。もっともその隙間が出来たお陰で、fripsideやave;new、デンカレの活躍の場が出来たとなると、それも良かったのかなと思わざるを得ない。しかしどれもI'veとは全く違う路線であって、やはりI'veは高瀬さんたちにしか出せないものがある。

ショートサーキット2はもちろん買うし新曲はかなり期待しているが、正直エロゲ側のファンに対するてこ入れだと思う。まあはじめまして、恋を入れてきた辺りに、I'veの本気を感じたので許せる。知らない電波好きは買ってみれ。何かの間違いで今年の新曲と勘違いされて、今年の電波ソング戦線に乗るかもしれん。



以下、仮に自分が某所にKOTOKOメドレーを投稿したとして、入れる曲30曲。そもそもKOTOKOがヴォーカルやってる曲は150近くあるので(持ってるのは120くらい)、これでもかなり厳選されている(作詞作曲同人曲も含めるとその倍?)、というよりそれでも選曲にすごく悩んで1時間以上かかってる俺は間違いなくアホの子。

電波ソングは除く、他の歌姫とのコラボも除く(よって当然含まれるべきprimeやSee youは無い)。ランキングは上記のように不可能なのでつけない。あくまで好みであって、曲の質に云々言ってるわけでは全くないということ。ゲーム補正はかかりまくり。まあ、参考までにどうぞ。  続きを読む
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2007年06月03日

『遥かに仰ぎ、麗しの』元ネタ集その5、邑那編6話から邑那編8話まで

『かにしの』のプレイ自体は終了。非常におもしろい作品だった。この間のカタハネが優80点なら、この作品は分校80点、本校90点ってところか。正直分校と本校のどっちが好きかは好みによると思う。自分は本校のほうが好きだ。

まあ本格的なレビューはまた今度、この元ネタ集が終わった頃に書くことにして、今はこれを進めてしまおう。やはり全7回になる予定。


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2007年06月01日

出身者が多いのだから、当然ではあるが

先週の某日、芸大美術館の「パリへ」展に美芸の人たちと行ってきた。芸大美術館は二回目だが、やはり綺麗だと思う。建物からして大学の敷地内にあるとは思えない。うちの大学にドトールが入ったときに感じた違和感と似ているかもしれない。あのドトールも今は見慣れたものになっているが、きっとこの建物も芸大生だちにとっては全く普通のものなのだろう。

食堂は今回初めて行ったのだが、さすがに大学らしい雑然とした空間で、なんだか安心した。しかも東大より割高で味もまあ普通と、ここは勝っているかもしれない。もっとも駒場や行ったことのある名古屋の大学等と比べて、本郷の学食が恵まれているのは確かな話だが。私大の学食?それは見なかったことにする。しかし、学食の席に花が生けてあって、そのセンスが芸大だなあと思った。

そして見たのは、まあ普通の明治以降の日本画家による洋画だった。山本芳翠から始まって黒田清輝、藤島武二に藤田嗣治と来られては、王道と表現するほか無い。なかなか良いもの、興味深いものが集めてあって、しかもけっこうそれらが芸大所持なんだから、一大学でここまでできるのか、と感心した。うちにも重文はけっこうあるが、美術品というよりは学術的な貴重品だからであって、見せるものではない。正直うらやましい。展示の構成も見事なものだった。

そして美芸の人たちともけっこう話し合ったが、彼らはマジメだ。たった一人の部外者に対して遠慮していたのかもしれないが、常に話題が学問からほとんどそれることはなかった。そもそも彼らが芸大に来ていたのは芸大の授業にもぐるためであって、自分だけ後から合流した。それにゼミの苦労話等を聞くに、美術史がいかにぬるま湯なのか思い知らされる。自分自身すでに美学のゼミは何個か受講しているが、確かに厳しい。

とまあ、芸大に、身内の美芸に、と様々な他者に感心してしまった一日だった。自分も卒論構想発表日が決まったことだし、ぼちぼち卒論に向けて動き出そうと、決意を新たにせざるを得ないね、これは。  
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