2008年01月31日

『FORTUNE ARTERIAL』レビュー

最後になんという隠し玉を用意してくるのだ……! オーガスト…………!!!


というわけでFAクリアした。普通におもしろかった良作、と最初に言っておこう。プレイ時間はだらだらとやって20時間くらい。ネタばれ的に当たり障りの無い総評をしておくと、相変わらず諸分野において高水準を保っていたし、Hシーンも濃かったし満足した。どのシナリオにも言えることだが、バカップル自重しろ。ニヤニヤしすぎで死ぬかと思った。顔面筋が戻らなくなるくらいニヤニヤした。今回目を見張ったのは演出の強化だ。今まで高水準ながらどこかバラバラ感のあった立ち絵や背景、BGMをうまくつなげて活かすように組んであったように思う。ヴォーカル曲も申し分ない。Liaが出てきたときは少々驚いたが。

あと、さりげなく今回主人公かっこいい。かっこよければいいってもんでもないのは確かだが、周囲が有能で根回しが早いこともあってさくさくシナリオが進んでいくのは好印象だった。今までのオーガストの主人公は皆空気だったので、これは大きな方針転換かも。その他、男キャラが皆かっこよかった。『リトバス』然り、これはこういう風潮なのか。TRUEルートの征一郎と伊織のかっこよさは異常。

しかし、思いもよらぬ欠点もあった。それは生命線でもあるべっかんこうのCG。なぜかHシーンに限ってパースが崩れているのが少しだけあるのはなぜだ。使えなくほど気になるレベルではなかったが。あとCGの枚数自体がやや少なかった。『明け瑠璃』に比べて非HシーンのCGが明らかに減っているのが気になる。あと、テキストにおいて今まではそこまで気にならなかった、榊原拓とそれ以外のライターの違いが今回は顕著だった。できれば統一してもらいたい。せめて用語は。パンツとパンティーが使い分けなく混在しているのはさすがに……

シナリオに関して一つ思ったことがある。同じような吸血鬼の設定を持ち、同じようなテーマを掲げたシナリオを用意した三つの吸血鬼系作品、『FA』と『彼女たちの流儀』、『MinDeadBlood』はそれぞれ比較してみることで、浮かび上がってくるものがあるのではないかと。


以下、個別ルート及び解題。ネタばれ有。
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2008年01月30日

べた褒めも応挙だから許される

円山応挙の《雪松図》を見に行ってきた(なぜか画像が貼れないのでこれで)。三井住友銀行本店の7階という立地条件のため入るのに若干緊張した。「さっきまで秋葉原にいました。昼飯松屋でサーセンwwwwww」という雰囲気が漂っていたが気にしたら負けなのでずけずけ入っていった。中は意外と混んでいた。まあ皆セレブなおじ様、おば様方だったが。

展示品は茶器と絵画で構成されていて、茶器のほうは良い品だけどどこの博物館にもあるもの、といったものが置いてあった。珍しかったのは赤楽、青楽茶碗。おもしろい品ではあるが、茶器としては趣味が良いとはあまり思えない。けっこう三井家の方々自らが絵付けしてたりする品が多くて驚いた。

絵画のほうは江戸中期狩野派と四条(円山)派を中心としたコレクションが展示されていた。狩野派は中期なだけあって、うまいのだけれど型にはまりきって面白みに欠けるものが多かった。型にはまりきっていること自体が悪いことだとは思わないが、あそこまで探幽の劣化コピーだと……ねぇ。

やはり目を引いたのは《雪松図》を中心とした円山派、というか円山応挙の作品群であろう。《雪松図》以外にも豊富に展示されていて、一つ一つに応挙の才能が感じられた。中国の文人画のような描き方もすれば、琳派のような装飾性にあふれたものも描く、実に多彩だ。しかし、若冲を思わせる細密な描き方もしていたが、それはやはり若冲に比べれば見劣りはした。


しかしそれにしても、《雪松図》は神であった。金地と墨、紙の白さのみで構成されているこの作品だが、白は塗ってあるのではないかと思えるくらいに目立つ。それだけ白の部分が浮き上がって見えるのだ。金地の背景に負け地劣らず輝きを放つ雪の白さはそれだけで見るものを圧倒する。しかし、白を浮き上がらせている立役者は墨の黒さであろう。松の葉の部分に注目していただきたい。小さな画面では今ひとつわかりづらいが、葉の塊が雪の重みを受けてしなだれている絶妙なバランスが立体的に描き出されている。屏風の立体性とあいまって、巨大な松が眼前に現前している。異様にうねる松の木は非常に力強い。二隻の屏風全体を見渡せば、右上から左上へと対角線上に大きな動線があるのがわかる。金地も松の周囲を取り囲むように貼ってあり、松ノ木から出ているオーラのようで、この使い方もうまい。ありとあらゆる意味で力強さを感じる作品だと言えるだろう。

この作品は一年に一回一月に、必ず三井本店で展示するらしいので、今回の展示は1/31までだが、見る気がある人で見損ねた人は来年見に行くといいだろう。あの完全なウェーな雰囲気と戦う必要はあるが。なるべく年初に見に行くといいもののような気はする。《松林図屏風》同様、縁起物という位置づけが正しいのであろう。
  
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2008年01月29日

これだけ場所が盛り上がったのは久しぶり

大相撲初場所が白鵬の優勝で幕を閉じた。今場所の話題は朝青龍が復調したかどうかの一点だったように思われるが、あれはまだ完全な朝青龍ではない。朝青龍の特徴は相手への丹念な研究とすばやい動きによって相手が万全な体制になる前に決着をつけるというスタイルにある。今場所の朝青龍は一見して動きは早いのだが、ばたばたと無駄に手足を動かしているだけで、効率の良い戦い方をしているとはいえない。加えてそのような戦法だから長期戦には弱く、しかもそもそもスタミナのあるほうではないので、長引けば負ける。千秋楽の白鵬との一戦はまさにそれが証明されたようなものだろう。右の相四つになった時点で、遅かれ早かれ白鵬の勝ちは決まっていた。

その勝った白鵬はというと、今までは寄りきり一辺倒なところもあったし、朝青龍や安馬、旭天鵬といった他のモンゴル力士には見られる技の豊富さ、器用さが欠けているところがあった。今場所はそれを克服すべく、簡単に寄り切れる状況になってもわざわざ上手投げで倒すように心がけていたのではないかと思う。そのせいか上手投げの威力は日を追うごとに威力を増していった。千秋楽の朝青龍に対して打った投げは天下一品だった。今場所は張り差しも試していたようで、千秋楽の一番でも朝青龍によく効いたに違いない。

体も強いし当分は万全、と言いたいところなのだが、いかんせん彼は朝青龍ほど心が強くなく調子の波も激しい。安馬に負けたときは案の定だと思ったし、よく壊れなかったと言えるくらい千秋楽前は不安だった。勝った取組でもこれ以上なく万全なときもあれば意外と危ういときもある。今後はこの波をいかに沈静化していくかにかかっているだろう。

大関陣は文句を言うべきところは多いが情状酌量すべきところもある。千代大海は最初から休場しておくべきだった。魁皇は終盤の失速具合がもう引退直前すぎる。やっぱ後二場所だな。琴光喜は胆石の手術直後で稽古不足ってだけらしいので来場所からは大丈夫だろう。琴欧洲は地力があんなもんで、一人気を吐いたともいえる成績だと思う。若手陣が伸びてきてる中で大関陣の高齢化が進み、力を発揮しきっても今ひとつの成績、というのが現状ではある。

安馬はますます朝青龍に似てきているような。いろいろやりたいのはわかるが体重が圧倒的に足りてない。立ち合いの汚さは相変わらず。研究され始めてるし、そろそろここら辺を何とかしないと大関は年単位で遠のいていく。地力は強いだけにもったいない。逆に琴奨菊は休場しなければ二桁勝ってたのに惜しい。敢闘賞は彼にあげるべきだったのではないだろうか。しかし今場所その強さが際立ったのは稀勢の里だと思う。旭天鵬と琴欧洲に敗れた二番は物足りなかったが、それ以外は既に大関級の力を持っていることを示したと思う。案外と安馬よりも先に大関になるかもしれない。

把瑠都は惜しくも負け越したが、明らかに地力不足なのでここで番付を下げるのは正解だろう。とは言っても最初の二日の取組は勝てる相撲をわざわざ引いて落とした内容だったので、あの二番さえ取りこぼしてなければ勝ち越していたとは思うのだが。豪風は当たりがすごく良かった。ただ、海千山千の番付上位であれが通用するかは疑問。今場所は琴欧洲、琴奨菊には勝ってはいるが、相性の問題で突き押しの豪風が有利だったのだろうと思う。

鶴竜は着実に伸びてるなぁと。今後に最も期待が持てる力士の一人だわ。モンゴル人ではあるが、彼には朝青龍よりも白鵬に近い雰囲気を感じる。グーパンチを放った期待の新星、若ノ鵬はロシア人の力士で、正直まだよくわからない。一年位前の把瑠都を小柄にしたような印象は受ける。つまり、危なっかしい。グーパンチもそんなノリで出ちゃったんだろう。

後は高見盛勝ち越してよかったねってことくらいか。彼が幕内からいなくなると懸賞金の本数ががくっと下がるので、高見盛もピンチながら協会もピンチだ。あの怪しいくらいギリギリな勝ち越し方は、終盤の組み合わせを見ても協会の配慮を見ても少なからず配慮があったのではないかとにらんでみてもいいかもしれない。まあ邪推は高見盛のがんばりに免じてしないでおこう。


あとは、予想番付はっつけておきます。

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2008年01月27日

箱庭世界の極致

《秋冬山水図》冬今日からはゆったり更新できそうな。ネタも貯まってるのでぼちぼち書いていきます。で、昨日の今日でまたカテゴリMuseumかよ!と思われるかもしれないが、東博の《秋冬山水図》が出てるの今日までなんだから仕方が無い。言うまでも無く《秋冬山水図》は雪舟の代表作の一つで、同じく代表作《山水長巻》は山口県の毛利博物館、《天橋立図》は京博に所蔵されているので、いい感じに国宝が分蔵されていると言ったところか。ちなみにあまり知られていない雪舟の国宝《慧可断臂図》は愛知県常滑市の斉年寺というところにある。というか、作品自体は知ってたけどそんなところにあったのね。白描画、魍魎画の名作である。

じゃあ《秋冬山水図》はどうかというと、見方はいろいろあるにせよ、私は自然風景の構図に対する理想化の、一つの完成形であるように思う。言い換えれば、一見すると確かに風景画なんだが、その実はかなり抽象表現主義的なところを先取りしてるのではあるまいか、と。お前抽象嫌いだったはずだと言われるとそれは否定しないが、自分にとって大事なことは物体が物体として存在していること、自然が自然と見える形で描かれていることであって、「自然のオブジェクト化」そのものには反対しない。それを否定するなら私は琳派を全否定する必要が出てくるが、あいにく琳派も大好きだ。

話を元に戻すと、《秋冬山水図》の織り成す風景も、相当にありえない。特に冬側の(画像は冬側)山々はかなり抽象化されている。そもそも右側は空から山が降ってきているような状態になっている。中央や左側の山々は輪郭線こそはっきり描かれているものの、空気のほうが薄い墨で塗られ、紙の素地をさらすことで雪山の形を表現している。それに挟まれた中央では小高い丘の上に中国風の家屋が立ち、文人たちがそこに集まって歓談でもしているのだろう。その真下には階段を登る人間の姿が見える。ここら辺は中国画の伝統に則ったといったところか。

ここでもう一度全体を見渡してみると、すっきりと洗練されてはいるのだが、わざとらしい遠近感の崩れや山々の描き分けが、やはり不自然ではある。あの家屋の奥は、まさに一つの宇宙だろう。昨日の院試で書いてきたことだが、この自然と不自然の奇妙な融合こそが日本美術の特質の一つではないのだろうかと思うのだが、いかがだろう。山水屏風に始まり、山水画、金碧障壁画、琳派へと続く、一つの流れとして。

ところで、秋側はほとんどスルーされてるわけだが、確かに冬側に比べると目新しいところは無い。でもあれはあれで普通の山水画として名作だと思うのだが、常に併置される作品が冬では確かにスポットも当たりにくいか。ちなみに、実物は自分が思ってたよりもかなり小さくて驚いた。でもイメージ通りの世界が広がっていて大満足、やはり実物を見るのって大事だ。

今回はさすがに二週間ぶりということで、国宝室以外で変わっている場所はそんなに無かった。個人的な注目作としては、伝狩野元信の《囲棋観瀑図屏風》が出ていたくらいか。これは思いっきり中国風の山水画で、おそらく離合山水なのではないかと。まあ人間の姿が大きいので、厳密に山水画というかどうかは別として。大画面ながら描き込みが細かく大胆ながら明確な構図、さすがは狩野派。

次の国宝展示は、狩野長信の《花下遊楽図屏風》の予定。って、また狩野派か。いや、好きなんですよ狩野派。
  
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2008年01月26日

院試反省会場

外れすぎワロタwwwwww


受けてない人は英語・ドイツ語に関しては読んでもわからないと思うのですっ飛ばしてくれ。  続きを読む
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院試当日

五発目。というわけで今までのは大学院の院試の過去問をひたすら解いて(それをブログの記事になるべく近くなるよう調整して投稿して)いたわけだが、今日のは予想問題である。院試中に更新されるよう予約しておくので、どんぴしゃで当たってしまったらぜひ問題の流出でも疑って欲しいところだ。まあ当然どう洗ってもらっても白なのではあるが。しかし、ちょっと考えてみてもらえば出題傾向はわかるので(というか学内院試組では全員予想が一致したくらい)、まあ7割くらいの可能性であたるんじゃないかと。万が一(学外の)敵に塩を送ることがないように、こんな更新時間にしたが。

ちなみに今更遅いながら、ネタ元を晒すと、『西洋美術研究』のテーマがそのまま院試の問題になっていることが非常に多いため、今年もそう来るのではないかと。重ねて読んでくれればわかるが、以下の答案は『西洋美術研究』の秋山先生の項目と、小佐野先生の『知性の眼』の話の内容をそのまま引用したのみである。当日、もし本当にこの問題が出たならば、ほぼこのまま書いてきているはずである。

さて、当たるか外れるか。帰ってきたら更新してみたい。
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2008年01月25日

このネタはおもしろい

四発目。いよいよ前日。さすがに緊張してくる。いい加減美術史以外のことは考えられない。

今日のネタを書くためにぐぐったら出てきたんだが、これうちの学生だろ……去年のレポートのテーマそのままやん。教えてgoo!で聞いちゃダメだろ。ちなみに、「12歳のキリスト」でぐぐるとうちが3つ目くらいに引っかかって吹いた。意味ねぇ。

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2008年01月24日

見た目は派手だが……よくある話か

三発目。そろそろ気づいた人もいるか。一日10時間も勉強してるのはかなり久しぶり。それが一週間持続してるなんて、もう高三以来ですわ。頭がすっかりぱにくっとるな。


以下、本題。

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2008年01月23日

別の話題に引きずられがちだよね

二つ目。


複製(reproduction)とオリジナリティという問題はベンヤミンを出すまでもなく、美術史においては巨大なテーマである。画家は模写により先人たちの偉業を学び、複製品は時として作品の伝播に役立った。アカデミーでは長く石膏模型のデッサンが修行課程の一つであったが(ある意味今でもそうだが)、これも一つの複製に関わる問題であろう。このような修行を否定するところからロマン派や印象派といった画家たちが独創的な作品を作り始めたことも、この制度の逆説的な恩恵であろうし、もちろんアカデミーの正規の卒業生たちが、画家の質の底上げになっていたという正方向での貢献も忘れてはいけない。

自分の専門分野で行けば、カスパー・ダーフィト・フリードリヒはコペンハーゲン・アカデミー時代、17世紀のオランダ風景画、特にロイスダールを研究しているが、彼は必ずしも本物を見ているわけではない。確かにコペンハーゲン・アカデミーにもそのコレクションは所蔵されていたであろうが、その数はいかほどのものであっただろうか。フリードリヒが注目したのは、当時アカデミー一般に流布していたオランダ人による図像の教科書であり、フリードリヒはこれを模写して訓練した様子は彼の残したスケッチブックからも読み取れる。加えて、後に彼が描いた油彩画のモティーフを見ても一致するところは多い。

また、おそらくフリードリヒはオランダ風景画の版画も見てみるだろう。黄金期のオランダはレンブラントのいわゆる100グルテン銅版画を始めとして、油彩画よりも安く絵画を普及させる方法として、版画は一般に流布していた。フェルメールのように寡作で知られ、全く手を付けなかった画家もいるが、多くの画家は版画家も兼ねていたと言ってもよいだろう。特にフリードリヒの場合は、自身が版画家になることはなかったが、素描家・セピア画家としては油彩画よりも先に名を成したため、同じく単色の版画との関係は切っても切り離せないものとも考えられるのではないだろうか。


話を仮に西洋美術に限らないのであれば、模倣と複製に関しては中国絵画でも語るべきところは多い。往々にして真筆は残っておらず、後世の模本がその代役となっていることは多い。中国においてもやはり模倣は修行の一環であったが、中国においては「物そのものの保存」という観点からの複製、という考え方も早々に根付いていた。南北朝時代の謝赫の著した『古画品録』(5世紀末)は中国絵画の規範であり続けた書物だが、そこには既に保存のための模写を奨励すべきことが書かれている。

このような意識は日本にも伝来しており、中国・日本のものを問わず様々な模写が当時の様子を伝えている。特に狩野探幽による探幽縮図はあまりにも有名かもしれない。狩野探幽の整理した狩野派の技法は、数々の模写とともに、日本の画家水準の引き上げに成功したといえるだろう。しかもそこから反発した画家たちは独創的な境地を切り開いていったことは、西洋のアカデミーと全く同じ構図である。

珍しい例では、鳥獣戯画はその成立事情から、成立時点での構成を復元することはほぼ答えの無いジグソーパズルのような状態ではあるが、様々な模本を省みると明らかに足りない部分や、逆に現在では存在している断簡が無い場合などがあり、模本の存在が問題をさらに複雑にしているといえよう。
  
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2008年01月22日

他の芸術分野でもあるんかね?

一発目。


西洋美術には「パラゴーネ」という言葉がある。これは一般的に美術と言われる三分野、絵画・彫刻・建築のそれぞれが、他分野の二つに比べていかなる点が優れているか比較し、議論することのことを言う。簡単なところでは、絵画ではいかに遠近法を使おうとも彫刻の立体性には原理的に勝てない、だとか、逆に絵画ではその場面の全てを描ききることが出来るが彫刻は一つの物体しか再現できない、だとか、そういう議論のことをパラゴーネと呼んでいる。

この議論が最も盛んであったのはルネサンスの前期である。いかにもそんな感じな時代だと思えるのは、やはりルネサンス前期という美術変革の時代であるからだろうか。その具体的な例示は、いくつもの作品に表れている。その最も典型的な作例を挙げるとすれば、ヴェローナのサン・フェルモ教会にあるブレンゾーニ家墓モニュメントであろう。カーテンの面のフレスコはピサネロが担当した傑作である。カーテンのめくられた部分とキリスト像、棺は木彫であり、墓全体をなすモニュメントとしては建築物として教会壁面を構成している。見事な三分野の一致といえよう。

しかし、さらに顕著なパラゴーネが西洋美術に及ぼした現象として、バロック・ロココ期の天井画全般を挙げることができるだろう。巨大な面を使えるという点や人間が見上げなければ目にすることができないという点を生かした、非常に壮麗な作品が多いが、天井が天井たる所以は四方が壁面に支えられている立体的な構造をしているという点にある。天井画自体の構図や色彩、壁画装飾に工夫を凝らすことで、どこまでが天井でどこからが壁面かの判断を困難にし、天井の無窮性を強調させるのだ。

作例はミケランジェロから近代フランスに至るまで枚挙に暇が無いが、あえて一作挙げるとするならばティエポロの《ヴュルツブルク城玄関大広間天井画》を挙げてみたい。階段の間という条件に、太陽神アポロンをあわせることで、人間が階段を上がるという動作と太陽の昇る様子をかけている。


ところで、通史で西洋美術を勉強すると、中世以前の絵画はあまり重視されず、むしろ建築が多いということに気づく。それが近代になればコルビジェ以外の姿を見ず、彫刻もロダンを除けばマイナーな扱いを受け、多くは絵画が引き受けている。それもそのはずで、西洋の価値観はルネサンス以前では圧倒的に建築の優位であり、次に彫刻、絵画は職人芸でしかなかった。このヒエラルキーは長い時間をかけて、ひっくり返されていくのだが、それはパラゴーネの成果の一つであろう。

なぜ建築が優位とされたかという問題に関しては、中世においてはそもそも「芸術」という観念が乏しく、パラゴーネ自体が存在し得なかったこと。ルネサンス期に関しては理性尊重の思想から(理性は神の恩寵であるという思想)、構成こそが美の規範であると考えられ、建築はそもそも構成がしっかりしていないと成立しない分野であるから、最も優位であると考えられた、という回答ができる。しかし、政治権力の中枢が教会から王宮へと移っていったという事情も看過することはできない。教会は神の家であるから力の入れようも並ではない。王宮ももちろん権力の象徴として造営されるのではあるが、直接王の目に映る内装、すなわち絵画や彫刻が重視されるようになっていくのは自然な流れではないだろうか。

現代におけるパラゴーネといえば、絵画と写真であろう。私の好きな現代美術の数少ない一部分野としてスーパーリアリズムがあるが、あれは写真を元に絵画を描くという逆転の発想である。その技術もさることながら、真なるメッセージはその非絵画性による「再現性」を志向してきた近代以前の美術へのあてつけや皮肉にあるという点では、一般的な現代アート(特にポップアート)と発想を同じくするといえるだろう。抽象表現主義やアクションペインティングも、写真には出来ないことをやっているという意味においては、パラゴーネで議論しうる範囲と言えるかもしれない。いずれにせよ、パラゴーネを調べてみると、けっこうおもしろい。  
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2008年01月16日

ニコニコと無機質性

ヴォカロについて、書いた後にわかむらPが「Perfumeとアイマスは無機質なところで似てるかも」と言っていたのを思い出した。これはもちろんヴォーカロイドも例外ではないだろうから、つまりはニコニコの雰囲気に無機質系が合うということだろうか。話を広げれば、アイマスがニコニコに溶け込んだ理由も、ヴォカロにかなり近いところにあるような気はする。

前に環さんたまごまごごまんさんがヘッドフォン娘について、全く同じことを言っていたのは興味深い。今回もこのときの理論はそのまま使えるのではないか。無機質と少女性の奇妙な融合、記号的なパーツとしてのヘッドフォン。萌えの入口としての無機質。ミク自身がメカっぽい格好をしているし、『私の時間』ではそのことにも触れられていた。

アイマスの無機質性はわかりやすい。2.5次元としばしば表現される彼女らだが、この「0.5次元」はいかにも無機質だ。ヴォーカロイドは音楽ではあるが、どれだけ調整してもメカっぽさがどこか抜けないのは、けして悪いことではなくて一つの味だろう。Perfumeの無機質性もそういう雰囲気の曲が多いからであって、チョコレイト・ディスコやPSPSを挙げてもよいが、アイマスサバイバルで優勝したため蔵Pの「メカチハヤの恋」の曲が一番典型的だろう。この曲に至っては歌詞もそのままである。メカ千早との雰囲気のシンクロがすごすぎる。メカ千早がここまで萌えキャラになったこと自体も驚きではあるが。

  
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2008年01月15日

「回線切って首吊って死ね」

2chの死語が急激に増えている件。というか、「〜〜な件」「〜〜な罠」「とか言ってみるテスト」「思われ」「ジャマイカ」をいまだ現役で使ってるんですが時代遅れですか。確かに最近見ないなと思ってたんだ。「逝ってよし」は昔から使ってなかったが、「氏ね」は今も使ってない。そういえば「あぼーん」も死んだか。

一つ確実にいえることは、kwskやksk、ktkrのような略語が圧倒的に増えて、その分長い言い回しは死んだ。スレでも指摘されてるが、言ってみれば表現がニュートラルになった。現実で使うと奇行にしか見えないのは変わらないのだが、以前のはそもそも使いようが無かったのに比べて、今の略語は使い道ならある、という気がする。それは携帯厨が増えたせいかもしれないし、昔よりスレ消費の勢いが増したせいかもしれない。どっちにしても、明らかに2chの中心がラウンジやネ実からニュー速系にシフトしたせいだろう。

誤変換系もさりげなく、音の間違いから読みの間違いにシフトした気がする。「しる」とか「しますた」「きぼんぬ」が「ガイシュツ」とか「ふいんき(なぜかry」とかに変わった。もっとも、そのガイシュツも死にかけてるらしいが。一体どこに行くんだ誤変換。2chらしくて好きだったのに。

AAの流行は単に飽きの問題も絡んでくると思う。気がつかなかったが、確かにブーンは減った。モナーやギコなんて完全に見ない(そういえばノマ猫騒動なんてあった)。やる夫系のAAが圧倒的に増えて駆逐されたのだろう。そういえば、AA自体の汎用性も高くなったかもしれない。台詞部分だけを入れ替えれば応用が利くもの。これもニュー速的文化か。

それにしても、入れ替わりが激しい。表題の言葉なんて、そもそも意味が通らなくなってしまった。逆に長生きしてる言葉ってなんだろう。「ぬるぽ」はまだ存命だ。「今北産業」も、割と最近なようでもう長い気がする。未来を予測するなら、似たような理由でkwskとかは残るんじゃないかな。利用価値が高いから。  
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2008年01月12日

それなら何でもいいってわけじゃない

フォーチュンアテリアルがマスターアップしたのを聞いて一安心。以前も書いたが、今回のメインキャラで一番萌えたのが意外にも瑛里華だった。今までメインヒロインに萌えたことがあんまり無い私ではあるが、メインヒロインにはそれらしい立ち居振る舞いをしてほしいとは思うがゆえに、直接的に萌えてしまったのは若干不安ではある。

メインヒロイン論なら、やはり丸戸ゲーがおもしろい(以下ちょいネタばれ)。パッケージヒロインと立ち位置的な意味でのメイン、物語的な意味でのメインがそれぞれ違う。ショコラならそれぞれ美里、翠、香奈子さんで、パルフェなら由飛、玲愛、里伽子。こんにゃくは少々難しいが、凛奈と海巳で分け合ってる感じだろう。三番目には、茜を入れるのがある意味正しいのかもしれない。香奈子、里伽子、海巳に萌えた不幸属性持ちの俺は思いっきりドツボですわな。

なぜここから入ったかというと、メインヒロインが複数の意味を持ち合わせているというのは見えてくるからだ。アニメや漫画と違ってエロゲは一本道ではないことが多い、しかしメインヒロインらしき人物はストーリーである以上立てなければならない。人気が特定のキャラに集中しすぎても困るので、けっこう考えながら処理しなければならないと思う。

鍵や八月は開き直って、シナリオを思いっきりメインヒロインに割り振って、それ以外のキャラには萌えの方向で人気をとってもらうことにした形。型月は丸戸と似たような方策で、機能をうまく分散している。アルク、秋葉、琥珀だとか、セイバー、凛、桜だとか。

それで、振り返ってみるとシナリオヒロインに萌えた経験は幾度かあるのだが、パッケージヒロインや立ち位置メインに萌えたことは、やっぱりあんまり無い。それで、瑛里華はどう見てもフィーナの立ち位置で三つ兼ねてるから、パッケージヒロインというのが新鮮に見えるんだろう。パッケージヒロインはどうしても万能的である意味では影が薄くなりがちだ。アイマスの春香さんとかプリブラの聖とかシャッフルのりしあんさすとか、影の薄さを二次的ネタにされる場合さえある。立ち位置の場合は逆に華やかになりすぎる傾向があって、自分の属性ではない。だからこそ、瑛里華はよほど特殊なんじゃなかろうか。


………何か、ある程度気心の知れた読者諸氏から「単に吸血鬼だからじゃね」という声が聞こえてきたが、あれ、そんな気がしてきたわ。何にせよ名作になることを期待している。  
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2008年01月09日

そりゃ「初」じゃないよ

松林図屏風新年の東博に行ってきた。いつも通り、二階の国宝展示室からスタート。去年も長谷川等伯の《松林図屏風》を見に行ってたが、今年も初詣はやっぱりこれかなと。さすがに二度目なので去年ほどの感銘は受けなかったものの、やはり何度見ても圧倒される。あなたは、あの松風を感じることができるだろうか。

その他の展示もかなり力が入っていたように思う。個人的な一押しは刀剣類ゾーンの三日月宗近と大般若長光。去年は大徳川展で大光典太三世、正宗、来国光を見てるが、ようやく見ておきたい刀剣類が埋まってきたかなと思う。水墨画では伝狩野元信の大仙院《祖師図》。伝ついてるけど、私的な直感では元信だと思う。中国画風が非常に強い、いかにも室町時代的な様式じゃなかろうか。屏風では応挙の《波濤図》が目を引いた。絵画にしても工芸にしても、やっぱり江戸時代の人たちのセンスはずば抜けている。技術的にもすごいけど、センスが洗練されすぎてて恐ろしい。

一階に降りてもう一周。陶磁器は華やかで良しとされたのか、やたら仁清プッシュだった。確かに鮮やかな紅彩色に金縁取りというのは吉祥という感じはする。漆器も普段より多かったような気がするのもおめでたいモードということなんだろうか。某友人は「江戸時代の漆器は金粉入りすぎてつまらん」とか抜かしていたが、その金粉のまぶし方にセンスを感じたいところだと思う。

最後の近代絵画ゾーンでは速水御舟の《比叡山》を推したい。あれは崇高すぎる。残りは去年とあんまり変わってなかった。というか、近代絵画って他のゾーンに比べてあんまり架け替えしないのかね。もう3回目っていうのがけっこうあるパターンなんだけど。あ、東洋館見忘れた。来週また行かねば。


ついでに、寛永寺と上野東照宮にもお参りしてきた。昨日、アキバに行くついでに神田明神と秋葉神社に参拝してきたから、これで今年の初詣は十分かな。もちろん地元愛で吉田神社にも行ったが。  
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2008年01月08日

第123回「カスパー・ダーヴィド・フリードリヒ」ノルベルト・ヴォルフ著、タッシェン

フリードリヒに関する普通の概説書。ただし編年体にはなっておらず、しかも若干研究者目線で書かれているためわかりにくいかもしれない。装丁はかっこつけてていかにも入門書という感じだし、シリーズの他の書もそんな感じなのだが。(ちなみに、これまたタッシェンの出している、「作品とコンテクスト」とは別の画家シリーズの一冊。)

書かれている内容自体は他のフリードリヒの本を2、3冊読んでいたら、ああいつものことと言えるようなものが多い。ただしところどころ独自色のある意見があって油断はできない。でも参考文献一覧も無ければ脚注もついてないので、とてもじゃないが研究書とはいえない(とは言いつつも卒論に使ってしまったが)。

しかも脱字が多く明らかな固有名詞の誤訳も多いので、いかにもフリードリヒ研究者じゃない人が訳したという感じがする。実際、本書のどこにも訳者名が記載されていない。研究者が訳したなら載せているだろう。図版がカラーでしかも大きくかなり数が多いのはすばらしい。むしろ画集として見たほうがいいかもしれない。1500円という値段も、タッシェンからの出版ということを考えれば安いほうか。なんというか、いろいろ惜しい一冊である。


カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ―1774-1840
  
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2008年01月07日

第122回「ベックリーン【死の島】」フランツ・ツェルガー著、高阪一治訳、三元社

アーノルド・ベックリーンの代表連作《死の島》について考察した本。といってもベックリーン自体の知名度がそこまで高くないので、むしろベックリーンの入門書として勧めるのが正解だと思われる。ベックリーンの作品を見たことがあるとすれば、ベルリンの至宝展に来ていた《死神のいる自画像》であろう。あれも相当にメランコリックな作品だが、《死の島》も負けじ劣らず見るものを陰鬱にさせる作品である。入るものを拒む絶壁の島。そこに掘られた廃墟。不気味な糸杉に、真っ暗な空。

私がベックリーンに大変な興味を覚えるのは、彼は基本的な部分ですごくフリードリヒに似ているのにもかかわらず、結果として表現したものが全く違うからだ。確かにフリードリヒの絵も一見して暗いが、フリードリヒの作品には必ず希望がある。ベックリーンにはない。圧倒的絶望がこの《死の島》には表現されている。また両者はフランス嫌いで共通し理性を倦んだが、フリードリヒは北方を志向したのに対し、ベックリーンは南方を志向した。その違いを生んでしまったものは何か。多くを占めるのはもちろん歴史的な事情であろう。19世紀の最初と最後では、一体何がどれだけ違ったのか。逆に変わらなかったものは何か。そういったものがこの比較から見えてくるはずだ。

ところでこれは『フリードリヒ【氷海】』と同シリーズの、ドイツのタッシェンが出している「作品とコンテクスト」シリーズの一冊である。このシリーズはおもしろい作品を取り上げるので好きなのだが、なぜだか薄い割に高い。もう少し安ければ、揃えてみようという気も起きるのだが。もしくは大判にするとか。


ベックリーン「死の島」―自己の英雄視と西洋文化の最後の調べ (作品とコンテクスト)
  
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2008年01月04日

アイマスランキングのP登場回数を数えてみた

そんな暇人な、と思われるかもしれないけど、実はほとんど労力を使ってなかったり。見ながらちまちまエクセルでカウントしてくだけだからね。多分漏れは無いと思う。元動画はもちろんこれ。除外作品は私のフィーリング次第でカウント。P名が記載されていないものに関しては動画名の略称。某団結動画は全Pに一回をカウント。


登場回数1回 全60名

maidroP、わろP、よりみちP、たかたかP、チェーホフP、76葛P、ワイルドランP、volP、明音P、オレスコP、nanpP、ぽりぺくんP、ウチ_マスヨP、時雨P、ほりのP、のみものP、野犬P、りんごP、恋せよ般若の子、きはるP、だぶりゅP、トカチP、るのーP、スネークP、カワイソス、しげゆきP、ごまあえ十勝限定、ぬいぐる魔P、947daP、takasiP、ゆうめいP、むらたんP、蒼い鳥MV、ねむP、とかち元祖、AugeP、おまんP、最終最後P、ひゆなP、takiP、「たっく」P、ニセP、tedescoP、トカチP、CDTV風5/22、MkP、とかち元祖、wandaP、頭文字P、ととすP、MKK氏、ゆめみP、とかちラーメン、かんどるまP、逆毛P、魔汁P、ぷげらっちょP、ともちゃんP、てってってーP、narayado氏

既に大物Pの名前がちらほらと。さすがに年間ランキングで200位以内は大きな壁か。おおよそ再生数6万だからなぁ。


登場回数2回 29人

777P、影山P、EE氏、あにょにゃP、蔵人P、Love Cheat!、歴史P、狡猾全裸富竹P、クーマP、ベホイミ氏、ねこP、こんにゃくP、慧P、Maco.jP、桃邪気P、Ju-88P、かてぃーP、しょうじP、オクラ山ため蔵P、ボストンP、TROwOP、roP、ぷにえP、てつろーP、しんたろP、風のP、calyxP、reoP、桃月P

さあ急に変態紳士が増えたような気がするけど気にしない。とりあえずベホイミとボストン自重しろ腹筋物故割れる。毎回新着が楽しみです。彼らはそろそろちんこうPと肩を並べると思う、方向性的な意味で。777Pは実質まこにゃんダンス二つ。影山Pは千早いじめいくないもっとやれ。桃月Pは両方除外作品。なんというか、奥ゆかしい。


登場回数3回 7人

yotaP、マキュロP、itachiP、mmtsgzkwys氏、orgoneP、透−架P、ぴぴるP

マキュロPは三作とも洗脳搾取虎の巻。でもそれ以外の作品もおもしろい。ぴぴるPは毎回すごいなぁ。二人とも愚民の鑑です。mmtsgzkwys氏は今は亡きPerfum@sの走りとして三作ランクイン。一時代を築いたと思う。yotaPといえばアイマス至高の作品の一つ、ラブリー☆えんじぇるの作者。orgonePなら同じくニコマスを代表する一作、アクエリオン英語版の作者で、どっちもニコマスを語る上では外せない。


登場回数4回 4人(9位)

TPTP、友P、レリヲP、ありすえP

何の偶然か、三賢者の二人がここに降臨。彼らの作品は……何というか、アイマスはおろかニコニコ全体でも逝っちゃってる部類だねぇ。レリヲPは名作が多いけど、個人的にはルーレット☆ルーレットがお気に入り。ありすえPは言うまでも無く巨匠。ありすえ装備はもはや半公式じゃないかと。とりあえず、早く帰って来てください。


登場回数5回 2人(7位)
 
えこP、ダムP

どっちもすごい技術力。ダムPは名前変えるのがおもしろいおっさんホイホイ。「またダ……クワトロPか」という空気を読んだ弾幕着くのがいいね。あのコントラストの激しい絵が好きだ。月下祭最高。えこ雄山は、次回作いつまでも待ってます。でも、忍者とロケットガールの後で、こんだけ期間空いちゃってるからプレッシャーもすごそう。


登場回数7回 3人(4位)

オンナスキーP、RidgerP、maszushi氏

この三人は、アイマスMADを作った男達、という感じ。オンナスキーPのやよぴったんなくしてこのジャンルは無かっただろう。手書き人気もすいみん不足のおかげな気がするし。同じくRidgerPも、閣下の走りにしてかっこいい系MADの走り。maszhshi氏もポジティブ守銭奴verを投下した張本人。まともなのだとBrave Phoenixがかっこよすぎた。でもやはりガオガイガー(ry


登場回数8回 1人 しーなP(3位)
登場回数9回 1人 わかむらP(2位)

お二人とも貫禄の回数。でもしーなPは神シンクロ、わかむらPは雰囲気の良い超エフェクトで全然方向性が違う。もちろん、どっちも好きですよ。



さて、ランキングを最後まで見た人には予想のついてる、1位の結果発表です。
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2008年01月03日

ta-kiのいない12月

いい加減冬の有明の報告記を書こうかと。いや、ほんと俺晴れ男だわ。


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2008年01月01日

2008 元旦

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

元旦だから一年の計を立てようとすると、今年は何はなくとも院試が全てな年になる。受かればその後はいよいよまともなバイトでも始めてみようかなと思うし、後春休みか夏休みにアメリカ旅行も計画中。6月には学会があって、持ち回り的に今年は東大開催らしいので忙しくなるだろう。加えて旅行ゼミの引率かな。落ちたら普通にニート。

年末はさっぱり更新止まっててごめんよ。ちょっと更新できる状態じゃなかったんだ、いろんな意味で。年末のテレビは何も見てない。ホンマンとヒョードルの結果とか、カシンの化身のブログ見て知ったくらい。しかし、年末の格闘技番組は自分にとって全部どうでもいい組み合わせばかりだった。紅白は言わずもがなで、どっちにしても何も見なかったかも。姪っ子の顔見てきました。正直これが無かったら今年の冬は帰省しなかった。いい子に育つといいね>兄貴

冬の祭典報告は明日書くつもり。実家にいる間は、年末消化しきれなかった小ネタでもちまちま書いてきます。とりあえず今からニコニコ巡回かなぁw アイマスランキングスペシャル見なきゃ。
  
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