2008年04月28日

今年の目玉展示

venere_di_Urbino続きまして、西洋美術館のウルビーノのヴィーナス展に行ってきた。本当は四月頭に行く予定だったのだが、紆余曲折あって持っていたタダ券が無駄になったりしたのだが、そこら辺の事情についてはもはや何も言うまい。

概要としては《ウルビーノのヴィーナス》を中心とした、古代からバロックにかけてのヴィーナス像の列挙である。そこら辺がいかにも西洋美術館で開催された企画展だというのを感じさせるのだが、古代におけるイシス信仰との合祀だとか、横たわるヴィーナスというモティーフはルネサンス時代の創造であって古代からの伝承ではない、だとかいう豆知識を知っている人にはにやりとできる展示物が多く、学術的価値を考えて持ってきたのだろう(たとえばプリニウスの『博物誌』の写本等、絵画や彫刻ではないものも多い)。

一見して一点豪華主義ではあるが、まあまあそうでもなかったので良かった。《ウルビーノのヴィーナス》と同じ部屋に、ミケランジェロの下絵を元にしたポントルモの《ヴィーナスとキューピッド》が展示されていたのはおもしろい。ティツィアーノの、ヴェネツィア派の女性らしいヴィーナスに対して、ポントルモ(というよりもミケランジェロ)のヴィーナスは腹筋が割れている。「それはねーよwww」とつっこむのが正しい楽しみ方だと思う。

文句をつけるとするならば、作品数が70点程度とやや少なかったことと、せっかく中心に《ウルビーノのヴィーナス》がいるのに、他のヴェネツィア派はほとんど見られなかったこと。主にフィレンツェから持ってきているわけだから、仕方がないのではあるが。

《ウルビーノのヴィーナス》について。どこにでも書いてあるような説明を一応付けてみると、手に持つバラはヴィーナスの象徴、ベッドの端にいる子犬は忠誠の象徴ではあるが、ここでは眠っていて、女性を訪れた者には慣れていることを示している。うがった見方をすれば「忠誠」が寝ている、という解釈もできそうではあるが、この作品が結婚の引き出物(という説が有力)であったことを考えると、あまりそういう解釈はしたくないところだ。しかし、ヴィーナスの裏の緑のカーテンは、ヴィーナスの肌の白さとの対比であると同時に、やはりここを訪れた者が他の家人には見えないようにさえぎっている、と考えることもできるわけで、この疑念は尽きないかもしれない。

カーテンの後ろ、長い物置のようなものはカッソーネというらしいが、まあ結婚の引き出物で衣装箱として使われていたことを知っていれば大丈夫だ。これについては塩野七生が『愛の年代記』に印象深い話を書いているので、興味がある人は読んでみるといい。窓辺の鉢植えはミルトという常緑樹で永遠に続く愛の象徴らしいが、だったらこんな遠くに描くなよ、と思えばまた怪しい雰囲気がないわけじゃない。画面効果としてはどちらかといえば窓があること自体のほうが重要で、重々しいカーテンの緑色と空の淡い色彩が対比されることで遠近感が生まれ、よりカーテンの内側の密室感が強調されているのではないだろうか。そしてこの密室感がよりヴィーナスの官能性を高めている。  

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2008年04月26日

集合はメトロ出口A18お勧め

Vlaminck損保ジャパン美術館のヴラマンク展に行ってきた。まず、誰それ?という人も多いだろうし、知ってる人でもお前の趣味じゃないだろう、と思われる人も覆いのではないかと思われるが、実はかなり好きな部類の画家である。何度か書いているが、私が嫌いなのは何が描かれているのかわからない絵なのであって、具体的な対象や目的が判然としている絵ならば全く問題は無い。加えて言えば必ずしも写実的である必要もなく、むしろわかる範囲で崩してくれている野獣派やキュビスムは守備範囲内になる。

という弁解もしたところで、野獣派といえばセザンヌの影響を主に受けつつ原色ベタ塗り、が最も端的な特徴だと思うのだが、ヴラマンクに限ればセザンヌと同程度にゴッホの影響が強いと思う。ほんとに野獣派に分類してもいいのだろうか、と思えるほど筆致を残すし、原色ベタ塗りというよりはまだ印象派のほうが近いような筆触分割を行っているようにさえ見える。

ヴラマンクには風景画が多いというのは、やはり自分内評価において大きな要素になっている。ヴラマンクの風景画はある意味ではワンパターンで、ほとんどが真ん中に舗装されていない田舎道、その両側に木造の家々、空は曇天で構成されている、と言ってもあながち間違ってはいない。カタログに載っている紹介文によれば、彼の文明に対する批判、社会と友情に対する不信感、孤独の道を歩む精神性が表現されているらしい。ここだけ読むと私は一時代前の画家になるが、ベックリーンの思想と全く一緒なのを思い出す。ただし、ベックリーンは幻想の世界へ逃げ込み、南方への憧憬という形でそれを表現したのに対し、ヴラマンクは直接的にそれらを表現した。これがゴッホ以前以後の影響なのかな、と考えるに歴史というのも業が深い。全ての画家に平等な機会を与えてはくれないのだ。

時代の違いという意味では、ヴラマンクの晩年の作品には自動車に乗りながら描いたとされる作品がある。これは確かに電車では無理だろう。そんなところもまた、19世紀と20世紀の違いが見て取れておもしろい。

ところで、ヴラマンクの絵の不思議な魅力と言えば、遠くから見ると写真と見まごう整合性であるのに、50cmまで近づくと「これはひどい」になるところだと思うのだが、いかがだろうか。ネットで見ると画像が小さくなるからこの不思議な現象は味わえないと思うので、ぜひ生で見ていただきたい。  
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2008年04月23日

特別展?終わってから奈良に行けば(ry

鷹見泉石像久々に今日の東博コーナー。約二ヶ月ぶりの美術館な上にあんなことはあったけれど、素直な気持ちで見れたと思う。やっぱ作品は作品であって、それ以下にはならないものだ。

本当は国宝展示室の『花下遊楽図屏風』目当てで行ったんだがすでに変わっていた。展示期間短すぎるだろ……わずか三週間とは。代わりに法華経の巻物が展示されていたが、正直に言ってあまり興味はわかない。説明を読んでとんでもなく貴重な品だということはわかったし、直感で美しいとは思ったけれど。今年の国宝展示の予定も見たけれど、唯一興味があるのは『観楓図屏風』で、去年見てるわけで、あれ、今年国宝室見なくていいんじゃねフラグが立った。

復帰早々嫌われてるなぁと思いつつ、他の展示へ行ったら別に嫌われているわけじゃないっぽかった。一番嬉しかったのは、おおよそ地元の英雄と言ってもいい渡辺崋山の『鷹見泉石像』が展示してあったこと(おおよそを付けておかないと田原民に怒られる)。こっちを国宝室に飾ってくれよ、とは思ったが口には出してない。まあ確かに、インパクトではあの法華経には負けている。しかし作品の出来はもとより、保存状態の良さに驚いた。こう言ってはなんだが、コピー品と言われても納得してしまうと思う。

その隣に、やはり江戸中後期の画家が描いた『関羽像』が展示されていたのだが、それを見た初老の男性の集団(おそらく美術館関係者も含まれていたのだろう、残りのメンバーに吊り下げ方がどうのという説明をしていた)が、「関羽の隣に立っていて、青龍刀を持っている人物は誰だろう」という会話をしていた。張飛説や劉備説も浮上していたが、結局彼らの中での結論は出なかった。よほど「彼は帽子の形からして周倉だよ」という言葉が口から出かけていたが、説明している人のプライドを傷つけてもよくないので自重しておいた。確かに周倉はマイナーな人物で演義にしか登場しないし、コーエーでの能力値も見事な脳筋で使い勝手が悪いが、関帝廟では関平とともに関羽に近侍してるんだから、せめて初老の紳士たちには知っておいてほしかったな、と一人で残念がっていた。

それ以外に、特集なのか偶然なのか、琴棋書画図屏風が三点も展示されていた。「琴棋書画」とは文字通り音楽、将棋や囲碁、書と絵画という士大夫が遊ぶべき高尚な娯楽と考えられていたもののこと。海北友松、狩野探幽、狩野伊川院栄信による三品だったが、やはり狩野探幽がずば抜けていると思う。墨の単色によって軽妙な筆致で描かれたものであったが、しかしながらの上品さと、だからこその軽みがそこには存在し、まさに中国の秘境に遊ぶ士大夫の雰囲気が出ていたように思う。ああいった作品を瀟洒というのだろう。

海北友松の作品も悪くはなかったが、珍しく鮮やかに彩色されたもので、やはり彼は墨の人なんだな、と思わされてしまった。狩野伊川院は江戸後期の狩野派だが、狩野派らしい安心感のある構図とガチガチに引き締まった筆致はそれはそれで好きだが、やはり瀟洒とは言いがたい。

他にも伝周文の小さな山水図軸があったりだとか、川井玉堂の山水屏風があったりだとか、見るべきところは多かったけどこの辺で。関羽とか鷹見泉石像とか気になった人は見に来るといいだろう。
  
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2008年04月22日

これは酷い宣伝ですね

昨日の記事で何が言いたいかというと(非常に長い前振りでした)、EU3NA(『Europa Universalis3 Naporeon's Ambition』)がVicに迫る勢いでおもしろい。ある意味、パラドゲーの究極進化なんじゃないかと思う。VicやHoI2が

「現実世界とほぼ同じ状況を用意したんで、タイムスリップでもした気分になって歴史を『書き換えて』ください」

と言われているゲームだとすれば、EU3は

「現実世界とほぼ同じ状況に見えますが実は全く違う並行世界です。この先の歴史書は真っ白なので、貴方が『書いて』ください。」

というゲームだと思う。EU2やCKもこの系統ではあるが、やはり作りこみが足りない。一見すると昨日自分にはあわないと言ったCiv等のゲームと同じ目標のようにも見えるが、スタートが「現実世界とほぼ同じ状況」であり、システムもほぼ現実の歴史に沿うようになるよう作られているため、変な乖離感は無い。

やはり国別AI廃止、歴史イベントの廃止が大英断だったと思う。わかりやすいところでは、プレイヤーが史実を先回りして動き有利な立場となってしまうということを防いでいる。また、どの国も合理的な動きをするため、潜在的な難易度が上がっているように思う、特に外交的に。加えて言えば、プレイヤー国家も含めてどの国が発展するか、それなりに運が強い要素を秘めているため(歴史とは史実でもしばしばそうである)、先の展開がさっぱり読めない。

おもしろいことに、ゲーム期間中の1453年から1822年の間、史実でも幸運に恵まれたとしか思えない発展をした国がいくつかある。イギリス(イングランド)やロシア(モスクワ)、オランダ、清(満州)、オスマントルコ辺りがそうだと思うが、この「並行世界」においても、ゲーム開始時点でAI国家のうち5つが「神の恩寵」を受け、あらゆる確率計算やステータスが10%強化されるという特典を持つ。最初はゲームっぽい設定で嫌だな、と思ったが、やってるうちにこれがかなりリアリティを増していることに気づいた。確かに、上記に挙げたような国の成長は、こうでもしないと補正にはなりえないだろう。

もっとも、フランスが「幸運」に恵まれてしまったりすると大変なゲームバランスになるし(無くてもヨーロッパの暴君なのに)、琉球やアステカ帝国程度が「幸運」に恵まれても結局滅ぼされるだけだったりする等、あんまりランダムなのも問題があるとは思うが。「幸運」に選ばれなかったときのオスマントルコなんて、おおよそ18世紀の太陽を拝んだことが無いし。

その代わりと言ってはなんだが、各国家の史実データは日単位で記録されていて、プレイヤーはどこからでも「介入」できる。普通は1453年5月30日、つまりコンスタンティノープルが陥落した日から始めることになっているが、1453年5月30日から1821年12月31日まで、日付単位でどこからでもスタートでき、スタート地点ではまだ「ほぼ現実の世界」が再現されている(どういうデータ量なんだと思ったが、ゲーム容量は意外にも1Gバイトを切っている)。日付を一日でも勧めた瞬間、そこはもう並行世界となり「ほぼ現実」からは切り離されて展開する。


まさにこれ以上の史実とのすり合わせも無ければ、これ以上のカオス要素も無いというところまで来ていると言える。それでいて、EU2やHoI2のように戦争偏重でもなく、Vicのように「戦争したら負け」というわけでもなく、内政と戦争の利益のバランスが良い(それでも戦争せずにしこしこ内政してるのが自分のプレイスタイルなのだが)。それでも自分の中でVicを追い越せないのは、まあ自分が近世よりも近代のほうが好きだという、それだけの理由なんだろうなぁ。

かなりゲームシステムが複雑で慣れるまでが狭き門なのと、ゲームがむちゃくちゃ重い(多分らぶデス2と同レベル)のが玉に瑕だと思う。調子に乗ってまたAARとか書くかも。
  
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2008年04月21日

歴史小説にも言えるかも

コーエーの三国志、信長に始まりEmpire Earth、Victoria、VicR、EU2、EU2AC、EU3NA、HoI2DDA、Civ3、Civ4とさまざまな歴史SLGをプレイしてきたわけだが(太閤立志伝、大航海時代、チンギス4はやや毛色が違うので除く)(CKとHoI2はまだあまりやりこんでないが)、ついぞVicRに勝るゲームは無かった。自分の中で一番意外だったのは、Civ4が楽しめなかったことだ(Civ3はやったのが随分前なので既に記憶が薄いとしても)。

ここで考えたいのは、なぜCiv4が楽しめなかったか、ということだ。パラドゲーの中にも好き嫌いはあるものの、基本的に他社のゲームよりもパラドゲーのほうが楽しめた。パラドゲー内の好き嫌いに関しては、自分が内政マニアだからHoI2にはそもそも向かなかったとか、EU2ACはシステムの使い勝手が最悪だったとかそういう理由であって、ゲームデザインとしては別に文句が無い。ということは、パラドゲーと他社のゲームを隔絶する違いこそが、自分の持つこだわりなのではないかと思う。

これを考えていくと、歴史SLGの存在意義を考えるのと直結するということに気がついた。Civ4にしろEmpire Earthにしろ、扱っている期間は数千年に及ぶのだが、何年歴史が進もうがゲームエンジンに変更はなく、従ってプレイヤーの扱うシステムにも変更は無い。加えて、これだけ長い期間を扱うわけだからしばしば歴史があさっての方向へ進んでいく。たとえば、東洋文明が先に産業革命起こしたりだとか。はっきり言ってしまって、「ゲーム的」なのだ。ここに私は最大の違和感を感じる。

じゃあ史実の完全再現がおもしろいかと問われれば、もちろんそれにはノーと答える。史実の完全再現を目標にプレイするのは楽しいが、最初からそのレールが引っ張ってあって、相当の無茶をしない限り史実イベントによって強制的に軌道修正させられるゲームなぞもはやゲームではない。重要なのはこの史実とのすり合わせ、さじ加減なのだろう。そうすると、その時代の社会や政治を出来る限り忠実に再現したゲームエンジンを用意することによって史実とすり合わせ、代わりに歴史イベントを最小限に抑えることでカオス化させる、というのが一番しっくり来ると考えるのは別に自分だけではなく、むしろ普通の発想であろう。そしてこれを社是としているのがパラドックスというゲームメーカーではないかと思う。

ゆえに中世・近世・近代・現代と時代が大きく変わるタイミングで区切り全くバラバラのエンジンのゲームを出す。決して数千年つなげることはしない。その代わり、各ゲーム間でのデータ引継ぎは簡単だし、イベントの追加や削除、経済バランスの修正などの改造MODも容易にしてある(エンジンの部分にだけはハードプロテクトをかけてあるが、これは商業ソフトである以上当然の処置)。

特に、CK(中世)やHoI2(WW2)はやや違うものの、特にVicとEUシリーズでは西洋文明の圧倒的優位がシステムの根本を締めている。EUにしろVicにしろ非西洋文明圏では技術開発にとてつもないペナルティを課しているわけで、これを逆転できる勢力はオスマン帝国くらいしかない(しかもかの国を完全な東洋圏とは言いがたい)。しかし一方でEUにおいてイギリスが列強首位に成長することも少なければVicでアメリカがそうなることも少ない、という程度にはカオスが秘めている。とは言っても、どっちも取って代わるのは結局西洋圏の大国かプレイヤー国なのだが。

ちなみに、これの真逆の発想をしているのがコーエーのゲームだと思う。史実に忠実な武将配置、イベント配置をする代わりに、割と複雑なシステムを構築することで自由度を高める。武将の能力やイベント自体は毎作ほとんど変化が無いが、ゲームシステムのほうは毎作大きく変化する。史実の社会制度を一方向から切ってみるのではなく、多方向から切ってみることで、どの作品もそれなりの再現度を達成する、というのを目指しているのだと思う。その意味で、グラフィック等の基本的な部分以外の、システムの発想としては、三国志5も8も10も同列である。本当に毎作同じ時代を扱っているのかと思わせるほど、システムが異なる。もっともコーエーのゲームは戦略級ではなく戦術級なので単純な比較はできないが。

  
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2008年04月19日

FF5を中途半端に縛ってプレイしてみる10 エンディング、総括

せっかく珊瑚の指輪を集めたし、神竜とオメガにも挑戦してみようと思ったが、ネオエクスデスのあまりの強さに気力が萎えたので勘弁してください。

そういえば、ネクロフォビアはバリア解除後、全属性弱点なので魔法剣フレアよりも魔法剣ファイガのほうが圧倒的に強く、魔法剣ファイガにしておけばあんなに苦戦しなかったということにあとで気づいた。他のボスにもそういうミスはけっこうあったかもしれないけど、無事クリアできたからよしとしておこう。

あと、りゅうけん+魔法系ジョブというのは意外と知られていないらしい。というよりもりゅうけんの効果があまり知られていないようだ。ドレインとアスピルが同時にMP消費無しで発動する、と説明すればその威力が知れるだろうか。完全にコテージ要らずになるので、貧乏性なプレーヤーや通常戦闘も「ガンガンいこうぜ」でこなすプレーヤーには強くお勧めするセットである。


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2008年04月18日

FF5を中途半端に縛ってプレイしてみる9 次元の狭間

ここに来て若干遅れ気味なのは、別にEU3NAに浮気しているわけでもなく、苦戦しているわけでもなく、エアロガ力押ししか戦略が立たないことに対する苦悩とそれをいかに文章にするかという苦悩だったりする。


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2008年04月17日

FF5を中途半端に縛ってプレイしてみる8 北の山、大海溝、イストリーの滝

これ読んでFF5始めた友人はもうツインタニアだそうです。完全に抜かされた。確かに、縛りぬきならもうクリアしてるプレイ時間だよなぁ。こっちもいよいよ次は次元の狭間ですよ。

侍動画時魔動画も始まったようです。ほんと、はやってるなぁ。
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2008年04月15日

K-1GP2008 横浜大会

中継が一時間半しか無かったのはなんでさ?まあ内容は悪くなかったけども。

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2008年04月14日

FF5を中途半端に縛ってプレイしてみる7 孤島の神殿、フォークタワー、ウォルスの塔、フェニックスの塔

さあ早くとんずらし続ける作業に戻るんだ>俺


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2008年04月13日

FF5を中途半端に縛ってプレイしてみる6 第三世界開始〜飛空挺回収

第三世界、なんでこんなに雑魚敵強いん?そりゃ各種縛りプレー、第三世界に入ったら逃げまくるわな……そんな私のチキンナイフも異常な高威力ですよ。


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2008年04月12日

FF5を中途半端に縛ってプレイしてみる5 エクスデス城

エクスデスはやっぱり強かった。縛りプレーの難関としてはバラモスに並ぶね。以下、ちょっと長い文章。

そういえば書き忘れてたが、アクティブの1でカーソル位置は「きおく」。これもけっこうきつい。

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2008年04月10日

FF5を中途半端に縛ってプレイしてみる4 飛竜の谷〜エクスデス城

あいかわらず「かまいたち」「しょうにゅうせき」ゲーです。エクスデスは倒せるのか?それはエクスデス城のちけいに全てがかかっている……かもしれない。あと、何「とらえ」ていこうか。魔獣使い動画を完全に追い抜いちゃったので、勝手がわからない。あと、薬師動画が始まったらしいです。  続きを読む
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2008年04月08日

FF5を中途半端に縛ってプレイしてみる3 ロンカ遺跡〜飛竜の谷

マイナージョブ混成でも、正直難易度が落ちてない。改めてFF5のゲームバランスすごすぎるのだわ。

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2008年04月06日

FF5を中途半端に縛ってプレイしてみる2 炎のクリスタル〜ロンカ遺跡

新しい発見が多くて楽しいです。15年目の真実とか、そんな感じ。


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2008年04月05日

FF5を中途半端に縛ってプレイしてみる1

青魔法動画踊り子動画大自然動画魔獣使い動画に感銘を受けたものの、自分の腕では到底まねできないし、そんなマゾプレイするほどの暇も無いので、せめて今までの自分のプレイスタイルは封印するような縛りを加えてやってみることにした。


ルール1 以下のジョブを制限

×完全に封印 → ナイト、モンク、バーサーカー、黒魔、忍者、ものまねし、すっぴん
△バッツのみ可 → 狩人、魔法剣士(一部ボス戦のみ解禁)
△レナのみ可 → 白魔、時魔、召喚
△ファリスのみ可 → サムライ
△ガラフ、クルルのみ可 → 竜騎士、赤魔

○全員使用可能 → 青魔、シーフ、魔獣使い、風水師、吟遊詩人、薬師、踊り子


ルール2 以下のアビリティ、アイテムを制限

・召喚は一戦闘一匹一回まで、同じ召喚獣を同戦闘内で何度も召喚できない(FF6,8と同じルール)。つまり、必ずしも召喚士が強いとは限らない。
・みだれうちはバッツのみ使用可
・ブラッドソードを封印(ブラッドソード+乱れうちで死なないキャラが作れてしまうため)
・全ての騎士剣を封印(ナイト、すっぴんを封印しているため使用できない)
・ぜになげはファリスのみ使用可、一戦闘一回まで(ぜになげだけでボスを倒せてしまうのを防ぐ)
・青魔法動画と同じタイミングで全ての青魔法を覚えてから先に進む(ホワイトウインドとマイティガードのみ例外)


説明

いつも全員すっぴんのみだれうち+ぜになげだけでラスボスを倒してしまうため、主に武闘系のジョブを大きく縛った。ただし、魔法剣士がいないと詰む状況が多いので、どうにも詰んだときにだけ、バッツにのみ解禁することにした。さらに白魔を完全封印してしまうとあまりにもマゾいということが発覚したので、レナのみ解禁した。その代わり時魔、召喚士と競合しているため、今ひとつ使いづらい状況にしてみた。さらに召喚士にはルール2にて別の縛りを加えたため、正直使えない。オーディンでグングニルが出たら泣くことになる。サムライと竜騎士は趣味。普段はナイトとモンクと忍者の影に隠れてる彼らに光を当てようかと思ったが、この縛り内ではあまりにも強いことがわかったので、それぞれ一人ずつしか出せないようにした。赤魔は最初全員使用可にしていたけど、序盤あまりにも楽になりすぎたのでガラフのみに変更。


目的……普段のプレイでは使わないジョブだけでがんばる。


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2008年04月04日

年中行事全部消化してるよね

マリア様がみてる『マーガレットとリボン』読了。短編集なので本筋がどうこうという話ではない。いろんなサイトで見かけることだが、やはり終局へ向けて周囲のこまごまとしたことを片付けた、という印象が強い。マリみて自体が終了するわけではおそらくないんだが、祥子様が卒業したら一端区切りになるのは間違いない。

思えばここまで随分ゆっくりとした流れだった。福沢祐巳が一年生の学園祭から始まって、そこから8冊で半年が経過、二年生になったのに、そこから二年生の学園祭へは、同じ半年なのに実に25(23)冊もかかっている。今野先生の筆が非常に早く単行本がどんどん刊行されるので多少軽減されてはいるものの、正直に言ってかなりの間延びした感がある。飽きて離れた読者も多いだろう。これがジャンプと同じ現象なのかな、と思うと集英社を恨みたくなる。

個人的にも、やっぱり一番おもしろかったのは『チェリーブロッサム』から『レディ、GO!』の間だと思う。やはり瞳子の問題で引っ張りすぎた。『特別でないただの一日』(二年生の文化祭)辺りで終わると思っていたんだが。伸びすぎて、自分の中でのマリみてがドラえもんかサザエさんになりつつあることに最近気がついた。

そんな流れで短編集が発売されたのでまたなのかと思ったし、おそらく次の巻が祥子様の卒業式だと思うが、「とうとうか」というよりは「ようやくか」という気持ちのほうが強い。まあそれでも、どんな話の展開になるか、非常に楽しみなのは無論のことであるが。(今前の巻のマリみて感想を見直したら、そこにも「次はいよいよ卒業式だと思うので」と書いてあって笑った。)

内容に関しては普通におもしろかったけど、あえて何か書くとしたら、蓉子様かわいいよ蓉子様、とだけ。やっぱ俺あの人好きだわ。ところで、『お釈迦様がみてる』で吹いたのは俺だけじゃないよね?ほんと今野先生筆早すぎですよ。  
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