2008年06月30日

K-1GP2008 福岡大会

試合そのものはそれなりにおもしろかったが、確かにレベルは低かった。

カシンの化身も言ってたが、もうジャパンGPはGPのリザーブファイト枠でいいんじゃね。

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2008年06月28日

ハルヒダンス考

二週間ほど前に、「ハルヒダンスの流行はリアル志向への傾倒であって危険だ」という主張をした人がいて、それに対して批判が殺到し、結局その人も本文を撤回した、ということがあった。炎上し、批判が拡大した理由はその人がハルヒの本編を見ていない、なぜハルヒダンスが流行したのかという時系列的な流れを全く知らず、その記事を書いてしまったからである。彼は完全版ハルヒダンスがDVD特典であり、EDは部分的にしか踊っていないということさえ知らなかった。

しかもそのことを批判されると「『涼宮ハルヒの憂鬱』という作品から切り離されてハルヒダンスが流行したこと自体が問題なのであって、私が本編や他の京アニ作品を見ていないことは関係が無い」と反論追記をしてしまった(現在はこの追記も撤回している)。全面的に撤回していることだしあえてリンクを張らないが、検索すればすぐに該当記事が出てくるだろう。

要するにいかなる場合においても作品のコンテキスト性を無視した議論をしてはならない、ということなのだが、その教訓自体はここでは問題にしない。むしろ問題は、ハルヒをリアルタイムで見てたはずの自分でも、なんであのダンスがあんなにはやったのかちっとも思い出せないということだ。当時はどちらかといえば1話の暴走っぷりにねーよwという反応と、シャッフルわかりにくいよと、12話の超絶作画のほうが話題であったような気がする。

思うに、ハルヒ自体のブームとハルヒダンスのブームはタイムラグがあったんじゃないだろうか。まずハルヒ自体のファンがアニメの出来のよさに感動して暴走を始める。そして踊りだす。作品の三次元的再現というのは、極めてわかりやすいファン行動であり、コスプレに近い心理だと思う。折りしも時はようつべ登場で、そこにダンスがアップされていく。そして祭りが過熱し、次第にハルヒが好きだから、という理由ではなく、ブームに乗りたいから踊る、という連中が登場する。ゾンビーズや踊る外国人たちの存在は大きかったと思う(えらく切れの良い白人ボーイのダンスがあって、大いに笑わせてもらった記憶がある人も多いはず)。ここで初めてハルヒという作品とハルヒダンスはコンテキスト上において切り離される。ハルヒ以外の作品のキャラにあのダンスを躍らせる、という動画も流行する。

『らき☆すた』のOPダンスは角川/京アニのセルフパロディであるが、同じ京アニ制作のアニメであるということをヲタクに認識させるための仕掛けであり、それはこの「ハルヒ自体とハルヒダンスが切り離されている状態」がなければ、やろうとはしなかったことであると思う。鍵作品のアニメ化に比べて知名度が低く、とかくインパクトの足りていない『らきすた』をどうプロモートするか、という問題解決に対するブームを利用した巧みな解答だったのではないだろうか。

余談ではあるが、nixでも随分前に、『らき☆すた』が京アニでアニメ化すると聞いて嬉しい、とか書いた覚えがある。周囲のヲタ友達でも単行本を買うほど推していたのは自分含めて極めて少数だったし、そもそも連載誌がコンプティークというのもほとんど知られていなかったような気がする。アニメ化がなければいまだに埋もれていただろう。

何にせよ、作品から切り離されたハルヒダンスのブームは、動画共有サイトの発展とあわせて、アニメのダンスを自らが踊ること、トレスして他作品のキャラたちを躍らせること、に対する抵抗感を極限的にそげ落とした。言うまでも無いことだがこうしたファン行動は以前も無いわけじゃなかった。ただ作品と切り離されるほど拡大したのは珍しい事例ではないだろうか。加えて言うなら、ハルヒダンスも、動画共有サイトの発展がなければここまでのブームになることはなかったのではないか。うまく時流に乗ったと考えるべきだ。

まあ、案外とハルヒダンスの功績は大きいのかもしれない、とかそんなことを考えていた。

  
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2008年06月16日

愛m@s24時間TV 感想(2)

愛m@s24時間TVの残りEDまでと、カクサバについて。

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愛m@s24時間TV 感想(1)

まだなんとなく眠い気もするが目が覚めてしまったので、今から巡る人のためのお勧め動画を貼りながら昨日の思い出をつらつらと語ってみようと思う。僕と一緒に貫徹した人たちは何もなくても話が通じると思うが、この記事を読んで後追いしてくれる人はWikiの番組表見ながら追っていってくれるといいかも。ネタばれはするけど隠す方向で。基本的に白くしてあるだけなので、効かない人は注意して読んでね。紹介すっ飛ばしてるのもあるけど、見てないわけじゃないので。


Wikiの番組表


今までなんとなくブログにニコニコ動画の紹介貼り付けるのためらってたけど、今回は活用してみよう。


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2008年06月13日

分岐するからこその意義がある

心に残ったエロゲのバッドエンド。偶然別の記事で話題になってるけど他意はない。まあ『アカイイト』のバッドエンドは間違いなく傑作の物が何個かあるよね。以下、適度にネタばれ。



月並だけど、多くの人の記憶に残っているだろうバッドエンドと言えば、『AIR』のよーい、どん。あの清涼さはすばらしかった。いまだに覚えてるんだからすげぇ『雫』のトースターは非常に懐かしい。同じく懐かしい系統だと、『水夏』の三章バッドはスレでも挙がってる通り、きっつい。三章といえば『銀色』の三章バッドはえらく見るのが難しかった覚えが。なんで当時のゲームの三章って話自体が重いん?

『君のぞ』のエンドも印象深いの多い。妊娠エンドは怖すぎる。茜ルートの遙妊娠エンドは特にいろいろ痛々しくて記憶に残ってるなぁ。遙の服を着た茜のCGがほんとにもう。水月妊娠エンドもなぁ。孝之の自業自得に近いのではあるけれども、あれは途中から水月自体が怖いし。マナマナルートはルート自体がバッドエンド、かな。『螺旋回廊1・2』もいろいろ酷かった。ポリバケツというか赤鼻のトナカイさんは言うまでもなく。犬エンドやありますよねぇ?、最後の最後の「夏の終わり」等、心に残ったのは多い。ageはえぐいの作らせたらほんとうまい。

スレ中盤で上がってる『とらハ1』のバッドエンドはマジ壮絶。あそこだけゲーム違う。あと『とらハ3』のおまけ。都築の野郎はときどき本性(?)出しやがるから困る。いや、困らない。「壁に咲く薔薇」の話はするな。あと、スレに挙がってるところで共感したのは、『マイブラ』の第三の勝利者。あれは怖ぇ。『スクイズ』の話があまり出てないのは、ありきたりすぎてみんな敬遠したか、編集した人がごっそり削ったか。


スレに挙がってないところだと、『Phantom』のトゥルー以外はかなりたくさん分岐しておもしろかった。特にクラウディアルートは味のあるエンドが多い。さくっと殺されたり復讐したり。『神樹の館』のバッドは館モノの典型的すぎて逆に記憶に残ってるかも。人形に戻った後は割と呆然とした。

『顔月』もエンディングの数多かった(そういえば『顔月』も分岐図採用してたゲームだよね)。トゥルー以外だと、主人公が蛇神の能力を身に着けて、正真正銘館の主となって鈴菜と愛欲の日々を過ごしましたとさ、エンドは記憶に残っている。ああいうエンドは好きだ。(まあこの場合は水菜が救われないんだが)

『蟲愛』(これも分岐図使ってるけど、システムが独特すぎてちょっと違うか)も印象深いエンディングが多い。強烈なのはやはり「蟲を産む人生」、「砕かれた幸せ」、「人と蟲の狭間で」。グロすぎ。大好き。トゥルールートだけじゃなくて、アゲハ編、西館編も徹底的におもしろいというのが、このゲームのすごいところの一つだと思う。本当に容赦が無い。いろんな意味で。味のあるバッドエンドが好きなら是非に。
  
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2008年06月12日

第二回、東方・アカイイト系列作品元ネタ比較

本日秋葉原に行って『アオイシロファンブック』を買ってきたので、献花台の前を通りがかった。いまだにマスコミがテレビカメラを構えてスタバっていて、容易に近づきがたいとは。ちょいと離れたところで黙祷。


さて、『アオイシロ』が出たのでこの記事を書く気になったわけだが、実際問題あまり関係が無い。参った。地霊殿待ちかも。かなり強引な話の展開をしているので、ただの薀蓄語りじゃないかと言われればそれまでなことになっている。それでも読んでやろう、という気のある人だけ先へどうぞ。以下、当然関係する全作品のネタばれ有。


ちなみに前回。


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2008年06月11日

『アオイシロ』レビュー

前にも書いたとおり、評価に困る作品であった。あまりにも褒めるべき部分と批判するべき部分に乖離が激しすぎる。以下、ネタばれ。あと、どうしてもとっぽいさんのレビューを意識して文章を書かざるを得なかったので、先に向こうを読んでおくことを勧める。


ナミーは俺の娘だと思ってましたが、訂正します。ナミーはコハクさんの嫁でいいです。なぜコハナミのSSが無いんだ。いや、コハオサもナミオサも好きですが。  続きを読む
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2008年06月03日

第127回 『愛の年代記』塩野七生著、新潮文庫

基本的には、いつもの塩野七生である。彼女の好きな時代の、時代風景をよく反映した「小さな物語」を著述したもので、別段何かがあるわけではないが、普通に話がおもしろい短編集である。この単行本ではタイトルの通り、数ある彼女の短編の中でも女性が主人公であるか、恋愛がテーマである話が収録されている。

結局のところ「愛憎劇はいつの時代も変わらない」ということしか言えないのだが、それでも身分違いの恋が成立したり、政略結婚が普通であったり、女性蔑視の風潮が現在よりも圧倒的に強い中での愛憎劇だから、単なる歴史的ロマンと愛憎劇の抱き合わせという以上のものがある。

今回ありがたかったのは、『サイレントマイノリティ』の項目でも書かれていたように、どこが真史料でどこが偽史料で、はてはどこが捏造なのか巻末に一覧で載っていたことである。まあ本編読んでいる間はさっぱり見分けがつかなかったわけだが、あーなるほどと思うものもあれば驚いたものもあった。何やってんのイタリア人。

一番おもしろかったのは、大概の人がこれを挙げる気はするが「女法王ジョバンナ」。やはり、こういうしゃれっ気の効いたそれっぽい話はおもしろい。真相はまさに神のみぞ知る。


愛の年代記 (新潮文庫)
  
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2008年06月02日

第126回 『サイレントマイノリティ』塩野七生著、新潮文庫

三ヶ月にブックレビューでも。

昔、著者が『新潮45+』という壮年向けの雑誌に連載していたエッセイ集。なお、現在は+がとれて『新潮45』という名前になっている模様。理由はよくわからない。対象年齢を下げたつもりなんだろうか。

中身はエッセイと見せかけて、舞台が古代や中世、近世から近現代に変わっただけで小説と何ら変わりわない。ときどき自分自身や現代日本の話になることはあるものの、やはりいつもの塩野節である。その意味では同じくエッセイ集である『イタリアからの手紙』や『イタリア遺聞』とは大きく異なっている。雑誌に連載されていたものであるということと、「Silent Minority」たちの紹介というテーマ設定による影響であろう。

読了しておもしろかったことを二つ。一つはSilent Minorityの定義について。うちのブログ仲間にもSilent Minorityはいるが、彼自身が「語感のよさでつけたところがある」と言っているように、実際のところ命名者の塩野七生の意図するところとDiL本人はあまり当てはまらない。Silent Minorityは言い換えれば本の背表紙にもある通り「行動的ペシミスト」である。DiLは皮肉屋のペシミストではあるが行動することは無い。

まあDiLとの重ね合わせはどうでもいいことなのだが(本とは全く関係無いが、先日彼が自分以外の貴重な某読者に対し「更新頻度を上げる」と宣言していたので注視しておこう)、実際こんな大人になってみたいとは思う。厭世的に凝り固まって社会と隔絶するわけでもなく、かと言って積極的に社会を変えようとしているわけでもなく。群集に染まっているわけでもなければ孤高というわけでもない。いろいろと中途半端ではあるが、だからこその居心地のよさはあると思う。

もう一つは、塩野女史の本の作り方についてである。この本で釈明していた通り、塩野女史は都合の良い史料が無い場合それっぽい史料を捏造する「癖」がある。この偽史料の作り方についても彼女なりのルールがあったりそれっぽく見せるためのテクニックがあったりしておもしろいのだが、問題は「実は偽史料でした」と公表するのが『Silent Mionrity』や『イタリア遺聞』のようなエッセイ集の場か、はたまた『愛の年代記』のように単行本の巻末であるので、どこまでが史料でどこからが創作なのか、その道の専門家でなければ全くわからない。この釈明の下りの文章が妙におもしろくて心に残った。そしてこれを踏まえた上で、どこまでが史料でどこからが捏造かを考えながら読むと、今までの作品もまた違って見える。




サイレント・マイノリティ (新潮文庫)
  
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