2008年08月30日

ニコマス・お気に入り作品保管庫(25) ふあ〜ほし

ふあ〜ほし。

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2008年08月29日

ニコマス・お気に入り作品保管庫(24) はな〜ひん

バンナムPを含む。

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2008年08月28日

そして明日の世界より− レビュー

これでおおよそ2007年の名作と呼ばれるものはプレイし終わったわけだが(しいて言えば後はインガノックくらい)、とりわけ熱い11月戦線の三作では、キラ☆キラ>ダメ恋>明日世界という結果に終わった。要するに、良作ではあるのだが前二者と比べると、疑問符の多い作品ではあった。好きな人は好きなんだろうなーというような。「いつもの健速乙だった」と言えば通じるレベルのエロゲーマーなら、回避しても別にそしられることはないと思う。健速を全く知らない人なら、まだやる価値はある。


ゲームの内容を要約するとして、ストーリーの大筋を説明するなら「あと三ヶ月で世界が滅びることになった中で、主人公周辺の人間関係が動いていくゲーム」ということになるだろう。わかる人にはわかるだろう言い方をするなら、『この青空に約束を』と『かにしの(本校側)』を足して二で割ったような雰囲気のするゲーム。

主人公はいつもの健速乙。すごく良い奴。自己犠牲の精神の塊。空気はかなり読める子。でも孤独には覿面に弱く、しかもそれを自覚していない。そして、恋心には極めて愚鈍。正直イラっと来たことも多かった。数ある健速の主人公の中でもヘタレと言ってもいい部類だったかもしれない。

シナリオもいつもの健速乙。個別ルートのラストは投げっぱなしジャーマンスープレックス。主人公の心に結論が付けば、そこがラスト。「物語」自体の結末なんてどうでもいい。見方によってはすごく尻切れトンボである。この辺は好き嫌いの別れるところだが、健速信者……いや、健速自身な皆様なら気にすることはないですよね。正直健速のゲームはどこで終わるかわからないハラハラ感がある。今回も青葉ルートは「マジここでおわんの!?」とひとりごちてしまった。

シナリオ全体を通して。すごく綺麗なお話。綺麗過ぎてあざとく見えるので、合わない人はたくさんいると思う。『この青空に約束を』や『AIR』があわなかったら回避推奨。また、健速のゲームらしくルートごとに設定された命題をゆっくりゆっくりほぐしていくことで話が進むので、テンポは正直悪い。冒頭で眠くなったら地雷判定して投げてくれてもかまわない。あとはもちろん、健速嫌いは当然回避するべき。これらにはじかれないなら、プレイしてみる価値はある。

ヴォーカル曲は豪華にも七曲。どれも良曲ではあるのだが、神かと言えばそうでもなく印象は薄い。良くも悪くも『Amazing Grace』に尽きるんじゃないか。個人的にこういう古い名曲を使いまわすのは好きで、うまいやり方だと思う。他の例だと、『きると』のグリーンスリーヴスは神アレンジだったと思う。いまでもあれはよく聞いている。

絵は植田亮。この業界に何人かいる不遇絵師の一人だったが、ようやく一発当てた感じ。最初見たときは夕陽以外髪長すぎで違和感があったが、慣れれば気にならない。思ったよりHシーンがエロく実用に耐えうるものだったので、大きな加点要素。あと、背景も自分でデザインしてるってマジですか。確かに立ち絵との一体感がすごいとは思った。

お勧め攻略順は、青葉→朝陽→夕陽→御波→ノーマル。意外だがノーマルエンドは話の出来がすごく良い上に、アフターと話がつながるので最後に。御波は他の三人と少し立場が違うのと、アフターに少しつながる話をするので、ラス前。朝陽と夕陽はどっちが先でもいいが、ルートとしてのテーマは同じなので連続でやるべき。重要度から言って、パッケージヒロインの夕陽を後回しにしてみた。そうすると、余った青葉が無難に先頭。

あとはこんな夏真っ盛りにやったせいで、セミの音が現実なのかゲーム内なのかわからなかったことくらいか。点数は80点つけようかどうしようか、というライン。仮にHシーンが手抜きだったら75点前後で悩んでいたと思う。『キラークイーン』は今積んでるんだが、その点数によって今後健速をデフォ買いするかどうかが決まる。これが『明日世界』レベルなら、外すことを考えなければならない。


以下、ネタばれ。クリアした人か、最初からやる気はないけどシナリオの概要は知りたい人だけどうぞ。

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2008年08月27日

ニコマス・お気に入り作品保管庫(23) はあ〜はと

これ作るのにも意外と時間かかるんよね。

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2008年08月25日

ニコマス・お気に入り作品保管庫(22) ぬ・ね・の行

ここに書くこともなくなってきたんだけど、どうしようか。  続きを読む
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2008年08月24日

実は科博に初めて入った

自然金の金塊国立科学博物館のGOLD展に行ってきた。貴金属は大好きです。ええ。正式には「黄金の国ジパングとエル・ドラード展」で、日本・コロンビア外交関係樹立100周年記念事業とのこと。コロンビアと聞くとつい最近ブラックラグーンの8巻を買ったせいであんなイメージしかない。ごめんなさい。

展示は最初、科博らしく金の化学的特性の説明から始まった。そこで同体積のアルミ・銅・銀・金の延べ棒を持ち上げられるコーナーがあったのだが、確かに金が一番重い。また、120kgの金に触れるコーナーもあったが、さすがに巨大だった。多分、二度と触れることはあるまい。「金はやわらかいので強く触らないでください」とやたら警備員が叫んでいたが、触ってみた感じ確かに鉄や銅とは違った。一見してお子様向けのコーナーだったが、化学式がどーのこーのというキャプションもあり(AUCl3なんて物質が存在しうるんだね)、けっこうおもしろかった。大人と言えども、金は縁遠い存在だ。

次のコーナーは金の採掘と自然金について。さすがは金、他の金属と違って自然でもほとんど酸化してない。化学的にはそうなんだが、いざ見せられるとそこに驚いた。あと、言われてみると黄銅鉱や黄鉄鉱とは輝きが全然違う。これにはだまされたくはないな。

そして、日本美術史における金利用へ。ここからは得意分野なわけだが、コネが無かったか保険金が足りなかったか、複製品が多かった。特に華籠なんて隣の東博に本物置いてあるんだから貸してやれよw、と思って後から東博行ったら常設展に本物が鎮座しておられた。なんかすごくもったいない気がする。また、さすが科博というべきか、映像はガンガン使っていた。

次のコーナーが120kgの金塊と並ぶこの展示のメインだと思うのだが、北島康介本人から借りてきたアテネ五輪のときの本物の金メダルが展示してあった。その両側には白川英樹教授のノーベル物理学賞の金メダルと、ワールドベースボールクラシック優勝の王監督の金メダルが飾ってあった。これは非常にみごたえがあった。よく本人のところに交渉しに行ったもんだと思う。太っ腹な人たちに感謝。あと北島選手、北京でも金メダルおめでとう。

最後に、コロンビアのスペイン入植前の文明による黄金文化が展示されていたが、ぶっちゃけ具象という名の抽象芸術なので、こう言ってはなんだがどうでもいいと言えばどうでもよかった。要するにピカソはアフリカの原始芸術見て感動してたよね、という話である。しかし、一応この企画の趣旨はコロンビアとの友好なのだから、このコーナーが無いとそもそも企画が成立していないのではあるが。

最後に、金は枯渇しそうだよ、都市鉱山大事だよ、という話。科博らしい上手な締めだったと思う。とりあえず俺は浮いていたので、カップルか親子連れでどうぞ。子供はすごく多かった。常設展はちらっと入ったけど見る気がしなかった。あれは完全に子供向けだ。

写真は世界で二番目に大きく、現存するものでは最大の自然金の金塊だそうで。25kg。  
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2008年08月23日

ニコマス・お気に入り作品保管庫(21) な・に行

な・に行。  続きを読む
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ベルギーの至宝?

Victoriaにおける初心者御用達の国といえばベルギーであるが、ベルギーでプレイしていると1880年代突然Vic中においても屈指の名将が登場して驚くことがしばしばある。その名をブリアルモントという。彼のステータスに勝てる将軍は大モルトケかCSAのリー将軍くらいしかいない。しかし、そんな名将であるにもかかわらず、全く知名度はない。実際、日本語でぐぐってもVic関連のページにしか引っかからない。

Victoriaのブリアルモント










気になったのでつづりを想像し英語でぐぐってみたら、それなりに情報が得られた。以下、主にWikipediaからわかったこと。

1821年オランダ生まれ。1830年のベルギー独立でベルギー人に。ブリュッセルの陸軍学校で学んだ後、43年工兵の将校として任官。47年、26歳の若さで中尉に昇進。47年から50年の間陸軍省の秘書として転向。政治の道に入る。55年参謀本部入り。59年の塹壕演習で、すでに要塞に対する構想を築いていたようだ。61年(40歳)で少佐、64年に中佐、68年に大佐、74年(53歳)で少将となり、この年よりアントワープ区域の要塞監督に就任、翌年要塞及び工兵参謀の総監に就任、と出世はかなり早い。

77年中将に昇進するも、彼のベルギー本国要塞化計画は突っぱねられ、ベルギー軍部に不満を抱くようになる。1878年、ルーマニアが誕生すると83年、創設されたばかりのルーマニア陸軍に出向。ルーマニアの国防に関して指導的立場となる。ここに来て初めて本国に功績が認められ、翌年の84年には呼び戻され再びアントワープに行き、駐留軍の司令官となる。短期間ではあったもののルーマニア工兵に対する貢献から東欧諸国の将校に彼の名は知れ渡り、ギリシア政府の国防計画にも大きく携わる。86年にベルギー陸軍を退官したが、東欧各国の軍事顧問ではあり続けた。ベルギー国内においても、ブリアルモント式の要塞が採用されていった。退官後は精力的な著作家となり、多くの軍事学書を残した。在任中においても、1850年には『ベルギー陸軍』という雑誌を創刊している。

彼の防衛計画は基本的にヴォーバン式の、すなわち稜堡を多角形に設置する古典的な要塞(要するに五稜郭)の復権であるが、そこには科学技術の進歩をふんだんに使用した改良が加えられている。特に普仏戦争の経験と銃火器の射程の長距離化を意識したものであった。(しかし、火力の急激な上昇までは考えていなかったらしく、それが第一次世界大戦におけるリエージュ要塞の崩壊を招いた一つの原因かもしれない。)

彼の代表作は1880年代に設計されたリエージュ要塞であるが、第一次世界大戦時のドイツ軍進行により破壊された。そもそも30年経過したものを使いまわして守れるはずがないのだが、それだけこの要塞に対する信頼度が高かったともいえる。それでも10万人の攻撃を3万人で防ぎ、シュリーフェンプランを二日遅延させたのはすごいことである。この二日の遅れが、マルヌの戦いにおけるフランス軍の勝利を呼び込んだ理由の一つである。(なお日本語版Wikipediaでは「リエージュ要塞はフランス人将校ブリアルモンによって設計された」とあるが、これは大きな間違いである。ブリアルモントは確かにフランス系ではあったし、著作もフランス語か英語であるから、そこから生まれた勘違いであろう。)

Brialmont










実際にはこんな人。

確かにむちゃくちゃすごい人ではあるが、有名になるには地味すぎる功績かもしれない。しかも、第一次世界大戦以後結果的に時代は硬性防御から軟性防御へ向かっていっているから、要塞学という学問自体が廃れてしまった(マジノ線の失敗がトドメを差した形)。

しかし、おもしろい人を発掘できたと思う。ただ、「奇矯なる天才」「反抗的」というパラドの設定には疑問を持たざるを得ない結果にはなったが。(「工兵出身」「有能」辺りに変えてしまおうか)。また、調べがついたらマイナーな19世紀の名将を探してみたいと思う。
  
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2008年08月22日

ニコマス・お気に入り作品保管庫(20) とさ〜とん

このコーナー俺以外に読んでる人いるんかな、と思っていたら意外と読んでくれている人は多い模様。がんばるわ。


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2008年08月21日

追憶・数学のテスト

この間、DiLと話していてふと懐かしいことを思い出したので、ここに残す。


高1の頃、私の数学の教師はI先生であった。I先生は人格者であり、個人的に話す分にはおもしろい先生であったし、数学への造詣も深かったが、ただ授業だけは致命的に下手だった。あれはそもそも生徒に理解させる気が無かったのだと思う。数学に興味のある生徒だけわかってくれればいい、という教え方だったことに加えて、声が小さく最前列であっても聞き取れないという有様だった。

高1の頃の私はといえば、『ラブひな』の影響ですでに東大志望ではあったが、400人中100番前後をうろうろしており、偏差値的には名大もギリギリB判定という程度であった(上1/4程度で名大B判定という辺り、今更ながら母校の平均レベルに感心してしまう)。それでも数学は文系志望ながらそこそこできたほうであった。少なくとも赤点を取ったことも無かったし、追試も一度も受けたことがなかった。

そして、二学期の期末テストのことである。範囲は確か数学Aのほとんど全部だったと思う。ちょっと思い出してくれればわかると思うが、A全部というのは並大抵の広さではない。うちの高校は進学校らしく、IAを一年の二学期までに全部、Bも二年の一学期までにほぼ全部終えてしまう(理系は二年の二学期でCをやっていた模様)。残りの一年半はその反復練習に費やされるため、入試に数学を使うものにとっては潤沢な時間が用意される。その反動として、前半の一年半はトップスピードで履修範囲のさわりだけを抑えるということになり、それだけに先生の良し悪しは重要な要素であった。あとから考えれば、我がクラスはどれだけのハンデを与えられていたんだと思う。

テスト返却の日がやってきた。自分の点数は確か55点くらいだったと思う。I先生が黒板に平均点を記す。33.0点。「おお、今回のテストはやっぱ難しかったんだな。こりゃ久々に偏差値70の大台に乗ったかな」と内心ほくそえんでいたら、I先生はもう一つ点数を書いた。52.0点。「初めに書いたほうがクラス平均、後から書いたほうが学年平均です」と、I先生はそっけなく言った。私が愕然としたのは、言うまでも無いことだ。

うちの高校の数学には、実質赤点が存在しない。その代わりに、そのテストの平均点にかかわらず50点未満は全員追試、その追試で50点とれなければ再追試、以下エンドレスという激烈なルールも存在した。この二学期の期末テストの時、我がクラス40人で37人が追試に引っかかった。要するに、追試回避者は自分を含めてわずか三人だけだった。残りの二人は卒業時に現役で東大文一と名大医学部に受かっている超天才で、高三時の自分ならまだしも、当時の自分にとっては雲の上の存在だった。当然自分の55点が追試回避者三人で最低の点数だった。「つうか何で俺追試回避しちゃったの?むしろバカなの?死んだほうがいいの?」と思った。なお、自分の人生上追試に最もグレイズしたのも、このテストの55点である。

しかし、自分にとって衝撃だったのは、追試を回避したことではなく、クラス平均点と学年平均点の開きと、追試、というよりも再追試が前提になっているクラスの雰囲気と、最初クラス平均と学年平均を取り違えていた自分の愚かさ、であった。決して雰囲気の嫌いなクラスではなく、友達が多くて良いクラスだったが、あの時だけは「この環境は人を腐らせる」と本気で思った。


思えば、あれからである。ちゃんと受験を主眼において勉強するようになったのは。クラスだけを見据えていてはダメである。あと、環境は重要であるということをきちんと認識したのも、あのときである。なんてことはない高校生活の一幕ではあるが、印象深い経験であった。

  
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2008年08月20日

時をかける少女(細田監督版)

話題になっていたのでようやく見た。むしろ研究室的に見ろと言われた。それもそのはずで、主な舞台は東博こと東京国立博物館であるからだ。


以下、ネタばれ。ストーリーに関しては、素直におもしろかった、とだけ。うだうだ考えずに見る価値のある映画。青春ドラマっていいよね。



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2008年08月19日

ニコマス・お気に入り作品保管庫(19) とえ〜とこ

シ行に続いてまたも1回では終わりませんでした。三賢者が二人もいるしね……  続きを読む
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2008年08月18日

家に帰るまでがコミケ

ともかく天候に翻弄された、というのが今回だったかもしれない。緋想天組自重しろ。以下、いつもの報告記。

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2008年08月17日

ニコマス・お気に入り作品保管庫(18) てて〜とう行

予定には無かったけど二分割。

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2008年08月16日

ニコマス・お気に入り作品保管庫(17) つな〜てつ行

て行も長い。

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2008年08月15日

バルトの楽園

戦争について具体的にとやかく言う気は無いが、ある種のメッセージを込めてこのレビューを終戦記念日に書いておく。


第一次大戦中のドイツ軍捕虜と、収容先である徳島県鳴門市板東の地元民との交流を描いた作品。てっきり粗雑な扱いを受けるものだと思っていたら所長(演:松平健)が捕虜の扱いに関するハーグ条約をよく理解した人格者で、温かみのある扱いを受けたドイツ捕虜たちは、謝意を示すものとして最後に『第九』を演奏して町を去る。これが日本で最初に演奏された『第九』であった。

フィクションを交えつつもほぼ史実に基づいて作られた。「こんな善人ばっかりありえない」と思ったらそれは心が汚れている証拠、らしい。まあ確かに実際にはもっと脱走兵もいただろうし、懲罰を受けたドイツ兵もいたのだろうが、『第九』にまつわるエピソードに関しては脚色が無いだろうことを考えると、やはり善人だらけの奇跡が実在したのではないかと考えるほうが自然である。この奇跡的事実を映画の題材にしただけでもうこの映画は勝ったようなものだ。

意外かもしれないが、私的泣きポイントはドイツ兵の音楽講師が、板東で教えた日本人の生徒たちと別れるときに、日本人たちが『仰げば尊し』を歌ったシーン。ああ、確かにあれは日本人の心を打つ歌だ。全体から見ると非常に地味なシーンながら、ドイツ兵たちによる『第九』演奏の直前であることもあって非常に来るシーンだった。

単純に「音楽が世界共通語」と言うわけでもないし、それをもって反戦を謳う映画でもない。むしろ、日本兵もドイツ兵も国を信じて戦い、亡くなったり捕虜になったりした人たちであるから、彼らの心情は反戦とは正反対のところにいるかもしれない。だが、人と人との信頼が何か貴き物を生むこともある、ということは間違いなく主張している映画であろう。それこそが『第九』の歌詞でもある。

演出的なことを言えば、日本映画の悪習である個々のエピソードを詰めすぎてまとまりがなくなるという現象が起きていたが、逆に良かったかもしれない。最終的に『第九』を演奏するというところに収束していくからか、不思議なまとまりがあった。あと、最後のスタッフロールでカラヤン指揮の『第九』が流れるが、誰もが指摘しているようにあれは必要の無いものだった。ドイツ兵楽団の演奏だけで占めておくべきだった。

なお、この映画の資本が創価学会から出ていることをもって悪となす人々がいるが、何かの本質を見失っているような気がしてならない。そういう方々は韓国製というだけで青磁の良さを理解できない、もしくは日本原産と偽れば賞賛する、ということと同じ思考回路である。これこそ『第九』の歌詞とは相容れないものであるから、そういう人たちにこそ、余計に見て欲しいのだが。
  
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2008年08月14日

『火垂るの墓』の解釈について

『火垂るの墓』に対する最も参考になる米Amazonレビュー
『火垂るの墓』に対する米Amazonレビュー 低評価版
「火垂るの墓」に関する低い評価(米Amazon)
映画『火垂るの墓』で高畑勲監督が伝えたかったこと(アニメージュ1988年5月号から)


私が『火垂るの墓』を見たのはもう随分昔の話で、しかも周囲の泣けるだの反戦映画だのという意見にあまり共感できなかったので、それ以来見ていない。確かにあの二人がかわいそうだとは思うが、共感できなかった理由としては米アマゾンの低評価レビューの方と全く同じで、自業自得にしか見えなかったからだ。追い出されたんじゃなくて、自分たちから出てったんじゃないか、しかもお前仕事してなかったじゃないか、と。戦争中にそれはねえだろと子供心に思ってしまうことばかりやっていたような記憶がある。

ゆえに、三番目のリンク先を読んで、十数年来の疑問が氷解した。野坂昭如の自伝的な小説が原作だという話は知っていたが、なるほど、そういう事情ならば、確かにあの兄妹が自業自得で死ぬのは当然のことだろう。そこに我が身を重ねて自戒とするという見方ならば、感動するのもおかしくはない話だ。四つ目のリンク先を読んでいただければ、高畑勲監督もそういうテーマでこの映画を作ったということが証言されている。しかも高畑監督はさらに、「あの二人は死の淵まで幸せな「家庭」を築いていたんじゃないか」とも言っている。個人的には彼の言っていることは納得できる。別に生き延びることだけが幸せじゃない。もっとも高畑監督は「死によって達成されることは何も無い」とも言っていて、だからこそ『火垂るの墓』のラストはあれだけ悲劇的なものにしたのだろう。

だが、だとしたらもう一つ疑問が浮かび上がってくる。すなわち、『火垂るの墓』を反戦映画として評価したり、あの兄妹を悲劇として哀れむことに、違和感を覚えるべきではないだろうか。清太の身勝手な行動とその結果は現代でも起こりうることであり、むしろ起こりうるからこそ野坂氏は映画のパンフレットにその意を込めたのだろう。ならば、その不幸の原因を戦争に押し付けてしまうのはおかしい。清太の父が海軍士官で、それが清太の自尊心と日本軍の勝利に対する盲信を増大させていた、ということぐらいである。

さらに奇妙な点は、米アマゾン高評価レビューを含めて、高評価を下している人の多くが、以前の自分と同様にこの映画を反戦映画としてしか見ていないということだ。要するに、一部の熱心なジブリファン以外には真の主題は伝わってはいない。その意味でならば、『火垂るの墓』は失敗作だったとさえ言うことができるんじゃないかと、さっき一瞬考えてしまった。加えて、その評価の理由が「感動=悲劇的=原因は戦争=反戦」という極めて短絡的な思考によって、感動と反戦がつなげられているのだとしたら、こんなにくだらないことはない。

まあ高畑監督自身が「『火垂るの墓』は神話なので好きに解釈してください」と言っているわけで、他人の評価にとやかく言う資格は無いのかもしれないけども、もし仮に自分と同じ勘違いをしていて、『火垂るの墓』を単純な反戦映画だと思っているのなら、再考の余地は十分にある。
  
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2008年08月13日

これぞフェルメール展!

フェルメール《リュートを調弦する女》この記事の同行某はどう見ても俺なわけだが、DiLとフェルメール展を見に行ってきた。向こうにも書いてある通り、予想される混雑とノリと勢いで開館前集合にしたら大勝利だった。美術館から出たのは十一時頃だったが、あの時間帯と言うのは昼ごはん前でまだまだピークは遠いというのに、すでに入場規制がかかっていた。午後の惨状は想像に難くない。ただでさえまだ大して体調が良くないので、これは大変に助かった。

基本的に今回の展示に関する感想はDiLと同じである。展示はわずか四十作品弱ではあったものの、そのうちフェルメールが7点を占めるということから全く責められるものではない。《絵画芸術(画家のアトリエ)》が来なかったのは痛手だったが、アイルランドの男気に感謝するしかない。今度東博に転がってる国宝の仏像でも貸し出してあげればいいと思う。有名な話ではあるが、フェルメールは一作にものすごい労力と高級な絵の具を使用して仕上げるために非常に寡作であり、疑わしきも含めてたった37点しか現存していない。私が生で見たことがあるのは今回のものを除くと、ドレスデン美術館展のときの《窓辺で手紙を読む女》と(それにしても今読むと稚拙な文章である)、新国立美術館の《牛乳を注ぐ女》だけであるから、今回のような特別展は大変ありがたい。

去年の新国立美術館の《牛乳を注ぐ女》一点豪華作戦の特別展は今回の都美の特別展によりまるで面目丸つぶれであるが、このような状況が起きるのはやはり、現在が相当のフェルメールバブルなんだと思う。今の美術業界上フェルメールの立ち位置はゴッホに似ていると思う。伝説が先行し、それによって大衆人気が一気に高くなった。バブルと書いてしまったものの、おそらくこの人気がはじけるのは当分後のことである。それを考えると、そのうち日本にいるだけでフェルメール作品の三分の二を見たことがある、なんて人が出てくるのもあながち冗談ですまなくなるかもしれない。

DiLも書いているが、今回の特筆すべき点は二つ。一つは、作品数が少ないということを逆手にとって、フェルメールの7点はかなり丁寧な作品解説をつけ、展示の間隔も大きく明けることで混雑しても鑑賞者が暇になるということを避ける作りになっていたこと。もう一つは、単なるフェルメールを使った資金稼ぎにとどまることなく、フェルメール以外の展示についても全く手抜きが無かったということ。すでにそこそこ知名度の高いピーテル・デ・ホーホはともかく、カレル・ファブリティウスが大きく取り上げられていた意義は非常に大きい。レンブラントとフェルメールの間のミッシングリンクとしての画家というほかなく、これから研究が進んでいくことであろう。

フェルメールに関してはもはや自分が何かを言うのは野暮ったい。光の魔術師と称すべき画家の一人ではあり、窓から差し込む自然光を生かした作品が多い。その窓についてだが、彼の室内画は画面左に窓が存在する構図が非常に多く、これはアトリエがそういう部屋だったからのようだが、おもしろい共通点だと思った。

画像はアイルランド国立美術館に敬意を表して例の作品にしようかとも思ったが、すでにDiLが使っているので一番気に入った作品で。
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2008年08月10日

Clover Heart's レビュー

中○生相当の恋愛劇。登場人物は全体的に幼く行動も拙い。しかし、最終的にはそれなりの行動をとってくれるようになるので、成長物語であると言える。ただ、開始時点の幼さがもはや不自然なレベルで、「そんな風になる前に周囲の大人が止めるだろ常識的に考えて」という常識が全く通用しないストーリーを展開しやがるので、正直放棄したくなった回数が無数にある。クリアしてみると成長物語ということもあって物語全体で考えると悪くはなかったのだが、序盤の心象の悪さがどうにもぬぐいきれない。

同じ中○生相当の恋愛劇だと『彼女たちの流儀』があるが、あっちは背伸びした感じと不器用さのバランスがとれていて、その背伸び感がまさに「流儀」という語感にぴしゃりとはまっていた。が、『クロハ』の登場人物たちはやはり「幼い」とか「拙い」という言葉でしか形容することができない。ヲタ的な中二病ではなく、本当の中学生的なものを見てニヤニヤできる人にはいいが、フラストレーションが溜まる人には苦痛でしかない。

点数、といわれると少し困ってしまう。ストーリー的な素点だけだと60点くらいになってしまうが(そのくらい不満だらけ)、発売が2003年であるということは加味せねばなるまい。当然『カノギ』より前であり、調べてみると当時としては十分革新的な設定でかなり話題になっていたらしいという点。加えて、2003年としてはかなり演出が凝っているという点。これもまだ演出という要素に重点を置いていたのがage等少数のメーカーしかなかったということを考えれば賞賛できる。加えて、Hシーンはちゃんと使えるものが多かったというのも大きい。最終的には70点はあげられると思う。

ついでにうだうだと。『そらのいろ、みずのいろ』みたいに逆のカップリングでシナリオがあったら、もうちょっとおもしろかったかもしれない。というか、逆のほうが案外とお似合いなカップルかもしれない。あと、制作スタッフが『月陽炎』と同じというのを知って、いろいろ納得した。超展開の展開の仕方が全く同じ。ただ、登場人物の精神年齢が高い分、『月陽炎』のほうが好きである。最後に、主題歌は間違いなく神。


以下、ネタばれ。  続きを読む
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2008年08月08日

前髪の長い男たち

昨日のパラノイアでも少し出てきたことだが、言われてみるとエロゲの主人公の顔出しが普通になってきたような気がする。主人公に感情移入して読む場合に、明確な主人公のグラフィックがあるのは不都合だという理由で顔はあいまいにごまかす、というのが通例だったような気がする。しかし、逆にそれは主人公も物語の登場人物の一人として扱う場合に不自然が生じる。そして、主人公を特別視しない物語のエロゲが増えてきたことによって、主人公の顔を隠すかどうかは使い分けが進むようになった、と考えるのが自然であると思う。

鍵ゲーは多くがアニメ化されていて、その過程で顔がついてしまっているので微妙だが、基本的に『ONE』『Kanon』『CLANNAD』は「顔なし」で、『MOON.』『AIR』『智代アフター』『リトバス』は「顔付き」主人公である。そうして見るとわかりやすい。(以降鍵ゲーネタばれ注意)前者三つは、プレイヤーに主人公の追体験をさせるものであるのに対して、後者四つは確かにプレイヤーの位置が俯瞰的である。『AIR』なんて最後はプレイヤーがになってるし、『智代』は、実は智代の追想だったことが最後に明かされる。『MOON.』はそもそも主人公が女の子であるという特殊な事情もある。

ageの作品群もおもしろい。『君のぞ』では孝之の顔が無い。しかもそのことに関して、ファンブックで思いっきり笑いのネタにしていた(たとえば、主要キャラの好みの男性のタイプに「前髪の長い男性」と書いてある)。逆に『マブラヴ』では、はっきりと武の顔を描いているだけでなくCVまでつけてしまった。確かに、『君のぞ』は孝之の物語だけど、『マブラヴ』は世界の物語である。

『かにしの』は主人公の顔が出てこないが、うまいなと思った。分校と本校であれだけ性格が違うのに顔が同一だったらさすがにとまどう。似たような例で、『はにはに』の主人公も顔が出てこなかった。顔をあえて見せないのには、そういう使い方もある。抜きゲーだと顔出し率が一気に下がるが、elfの有名なおじさんたちはかなり有効な使い方をしてると思う。

エロゲ以外でもこの話は使える。しばしば言われるのはドラクエの主人公は顔がクローズアップされないけど(出てこないわけじゃない)、FFの主人公は特徴的である、という主張。ドラクエは明らかにプレイヤーを主人公に投影させてるけど、FFは物語主導である。ドラクエはそれをかなり意識的にやってると思う。7が一番顕著で、そりゃまあ物語の主題がグノーシスだったわけで。他のスクエニの作品だと、サガシリーズは主人公が特徴的で、主人公が複数いて選択できるものも多い。同じ開発二部でも、聖剣シリーズは主人公が割と無個性だったかな。

  
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ニコマス・お気に入り作品保管庫(16) ちんこうP

独立。

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2008年08月07日

ニコマス・お気に入り作品保管庫(15) たむ〜つと行

ちんこうPだけ独立。

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2008年08月05日

ニコマス・お気に入り作品保管庫(14) たあ〜たみ

タ行も途中で多くなったので分離。  続きを読む
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2008年08月02日

ニコマス・お気に入り作品保管庫(13) せ・そ行

蝉丸P等。

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Posted by dg_law at 19:14Comments(2)

衝動買いって怖い

昨日は秋葉原に行っていろいろお買い物。


まずキラ☆キラファンブックを衝動買い。バンドスコア載ってるけど、自分はキーボードしかできないので意味が無い。というか、おおよそ全部コード進行しか載ってないのでほぼ読めない。今度、DiLとかhenriに見せてみようか。あと、やっぱ千絵姉かわいいです。ロックンロール。あと、初回特典きらりの抱き枕だったってマジすか。しゃれになってなくないすか。

佐々原憂樹の新刊も衝動買い。相変わらずひどい本ですね(褒め言葉。

衝動買いしながら探し求めていたみやま零画集『カスタムメイドガール』は、秋葉原の諸店舗にて売り切れまくり、え、ひょっとしてたった一日で消滅?とか頭をよぎったが、意外にもアニメイトで買えた。アニメイトで売ってたことに驚いた。しかし、御大も有名になったもんじゃのう……(遠い目

「比較と成長をお楽しみください」と言われているので、ちょっとまじめくさったことを書く。みやま零氏の絵柄は、時期によって三つに分けられると思う。出てきた当初から『プリブラ』完成の少し後くらいまでは、目が縦長で巨大、それによって頬がほとんど無い。顔の輪郭が不確定で、描かれた角度によっては「これ誰?」なことも多かった。本人としても、この時期の絵は「大掃除をしていて、中学の頃の文集を読んでしまった後のような」気分だったそうだ。何が違うって、確かにラブ生の顔が一番違う。

大きく進化したのは『プリブレ』から『彼女たちの流儀』の間の時期。第二期は目が正方形か横長で、顔の輪郭が四角形に近い。まだ角度によっては判別困難なものもあるが、何よりも服装がやたら細かくなった。第二期のフリルに対するこだわりは尋常ではない。

どこから第三期とするかは難しいが、2006年年末頃だと思う。顔の輪郭が多角形もしくは丸っこくなり、角度によってキャラが崩れることが無くなった。フリルへのこだわりは当然のこととして、服装全体がやたらと細かくなった。わかりやすいのは79-81Pの鍵作品三作。もしくは118-120Pの不機嫌三作の表紙。妹となつみさんの間に大きな断絶があるように思う。現在に至るまで、第三期で安定していると思う。無論の事ながら、私は三期の絵が一番好きである。


『K2』の最新刊と、『聖おにいさん』の最新刊と、『ブラックラグーン』の最新刊、コミケのカタログを買って帰った。今、カタログのチェック中。二日目は、あとで虎の穴で買えそうなものをズバズバ切っていくとStray MoonとHARVEST MOONくらいしか残りそうにないような。企業のコットンにでも並ぼうかな。東方はとうとう800サークル突破だそうで。例大祭が1000サークル超だったから驚かないけど、むしろ例大祭に皆参加してるんだから、コミケはもっと当選率下げてもいいんじゃないだろうかと思わなくもない。

三日目は行くところいっぱいあるが、煩悩を捨て去ったら驚くなかれ、東Aが8つ、東シがたったの2つしかない。今回は早めに帰れそうだぜ(多分嘘)。全体を眺めた感想としては、アイマスとオーガストはやたら増えた。オーガスト系のサークルは知らないところが多いが、アイマスは他ジャンルで知ってる人が多い。何より今心配なのは、明音さんは参加してる余裕があるんだろうか。これでくされ戦記本だったりするなら俺は死ぬ気で買いに行くんだが。リトバスはサークルカットにクド多すぎてシャララエクスタシー。たまには美魚ちんや小毬マックスのことも思い出してあげてください。

  
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2008年08月01日

ニコマス・お気に入り作品保管庫(12) しらーすん

シラカワP等。

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Posted by dg_law at 12:00Comments(0)