2009年05月29日

偶然ばったり寄寓にも

あまりにも記憶に残ったので、一筆書き残しておく。某日。仕事帰りに秋葉原に行って、虎の穴の地下一階でLOを立ち読みし、(エロ漫画注意)『MicroHolic』買って帰ろうとしたら、「先輩!お久しぶりっす!」と話しかけられ、一瞬で誰かはわかったためあまり驚かずに振り向いた。予想は的中していた。美術史の後輩の子だった。一個下の学年では唯一のヲタだが、隠れで、彼がそうであることは俺(とあっちゃん)以外は知らない(はず)。今は院生をやっている。このブログのことは知らないらしい。確かにURLを教えた覚えは無いが、まあ見ていてくれてもかまわない。見ているなら、この記事にコメントして欲しい。

何買ったんですか、と聞かれたので、「『MicroHolic』を探してるんだが」と正直に答えたら、「よしの先生いいっすよね。あと、ねんど先生とか良いですよね。」といわれたので、「お、おう」と答えた。あれー、この子こんなに廃レベルだったっけー?と疑問で頭がいっぱいだった。確か、去年までは普通に「いやー、ようやく○○見ましたよー」と地上波な話をしていたような覚えがあったのだが(○○はなんだったかな、なのはとかだったかな)。エロゲもまだ数作しかやってなかったような。

無事に『MicroHolic』は見つけたのでその後、お互いの近況や最近のヲタ界隈なんかでいろいろ話が盛り上がったので、本郷に戻って飲むことにした。そこで「けいおん!おもしろいよねー」と話を振ったら、「いやー、時代はフェンダーよりスェンダーですよ!!」と返ってきた。その返事は俺が求めていた最適解なわけだが、最も予想外でもあった。いや、ほんと僕が会わなかった約半年間の間にどんだけレベル上がってるの。大体、貴方その半年の間に院試抱えてたはずでしょ。『キラ☆キラ』やってる暇よくあったな。しかも俺より先に『カーテンコール』までやりやがって。俺まだ積んでるんだよチクショウ。何こんなに俺と話が合う子になってんの。

ちなみに、彼はカッシー好きらしい。カッシールートは何周もしているらしい。心がすさむと『キラ☆キラ』起動するらしい。どんだけはまってるんだよお前。俺もカッシー好きだよ(一番好きなのは千絵姉だけど)。俺は嬉しいよそういう後輩がいて。また、飲みましょう、とここで言っても意味はないが。

  

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2009年05月27日

もうショタでも(ry

ジョシュア・レノルズ《マスター・ヘア》新美術館のほうのルーヴル展に行ってきた。子供をテーマにして約220点の作品が展示されていた。会期が西美のものと丸被りしてはいたが、差別化は十分に図れていたといえるだろう。向こうのが「自分の含め美術ファン層にとって最も喜ばれる」とするならば、こちらは誰が来ても博物的にまあまあ楽しめる展覧会だったといえる。

約220点とは言いつつもしっかりとした絵画は比較的少なく、古代の玩具や学習用具なども展示されていた。若干水増しの匂いは感じなくもないが(1時間半程度で見終わってしまった)、この点が逆に良かったと思う。幼児期向けの玩具なんかを見ると、今と変わらないように思える。逆にゲーム盤的なものを見ると、今の視点ではおもしろいように思えないのだが。

絵画のほうでは、一番有名な作品というとシャルダンの《食前の祈り》であろう。今回教科書レベルのものというとこれくらいなものであった。メジャーところではほかにル・ナン兄弟、アンニーバレ・カラッチ、ルーベンス、プッサン、ヴーエ、ブーシェ、コロー、そして今回のビラに大きく載っているティツィアーノの作品が展示されていた。それぞれあまり有名な作品ではなく、約220点でそれぞれ1,2点ずつという感じなので、それほど豪華とはいえない。

あとはジョシュア・レノルズの《マスター・ヘア》があったが、これには完全にだまされた。レノルズはイギリス王率アカデミーの初代会長で、優美な古典主義絵画を得意としたわけだが……はあれにお○ん○んが生えてるなんて絶対信じないぞ俺は(タイトルでわかるだろという指摘はあえて無視することにする)。それ以外にも彫像や絵画で、今回の展覧会はショタコン大喜びだったような気が。いたるところでランド開幕ですよ。うわぁい。幼女の数は少なかった。

今回の展覧会に文句をつけるのなら、展示の構成がわかりづらかった。今の展示における流行の一種なのだと思うのだが、時代順や地域ごとの区切りではなく、テーマごとに区切るというのは、作品の母集団によほどのまとまりがなければ霧散してしまい、展覧会としての目標がよくわからなくなる。そもそもテーマ別に区分けしたところで、展示物がどうせ古代エジプトと近世の工芸品と絵画だけでは大した普遍性を持たないし、主張が弱い。約220点もあるようには思えないほどあっさり見終わってしまったのはそこが原因であろう。たとえば今回ならもっと大雑把に「古代から近代に至るまでの『子供』像の変容」くらいのテーマにしておいて、途中でルソーの『エミール』なんかを紹介して、時代順に展示すればまとまりに欠くことはなかった。

確かに時系列による区分や、一国主義的ないしヨーロッパ中心的な視点は使い古されたものになりつつあるのは確かであって、学術上ではそういったものを批判し、より横断的な視線が重要になってきたのであろう。しかし、なんでもかんでも方法論だけ新しくすればいいというものではなくて、そこは懐やテーマ設定に応じて臨機応変にやるべきなのではないだろうか。
  
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2009年05月26日

ハルマフジ/^o^\とか言ってごめんなさい

今場所はとてつもなくおもしろかった。日本人大関陣がどうにも振るわなかったという画竜点睛に欠くところはあるものの、全体を通して相撲内容が良く、好取組が連発し、かつ優勝争いがもつれ、かつ優勝は14-1というレベルの高さであった。


正直に言って日馬富士の優勝可能性は10%もないと思っていた。彼には毎回驚かされる。私は彼に太れ太れと言い続けていたわけだが、結局120kg台のまま優勝してしまった。前まわしをとって速攻という型が完全に決まるようになってきたための快勝であろう。相撲勘もよく、多少型が崩れたところで動じず、足技や投げ技でなんとかしてしまうところは白鵬や朝青龍とよく似ており、さすがにモンゴル出身の力士と言えるだろう。一時期は酷かった立ち合いの汚さもずいぶんとなくなった。

ただし、安定感と言われるとどうか。まだまだ精神的にはもろいところがありそうだし、やはり軽すぎて振り回される場面も多々見られる。彼には横綱はまだ早いような気がするが、さて来場所どうなるか注目である。大相撲協会は14-1以上で内容次第、という比較的厳しい条件を突きつけているが、内容次第は同調するにしても(今場所は稀勢の里戦の変化がどうにも悪すぎる)、13-2でも優勝ならあげていいのではないかと思うし、14-1なら準優勝でも昇格すればいいと思う。


白鵬に関しては磐石に見えたが、予兆はあった。まず、彼の悪癖である立ち合いの悪さが存分に出ていたこと。立ち合いの直後は押されたが、持ち前の異様に硬い粘り腰で持ち直して勝ったというパターンは序盤の下位力士から多かった。何より、この彼の悪癖は下位力士や、優勝が近づいてくると出てくるから性質が悪い。もう一つは、前回「左上手をとれば確実に負けない」と書いたが、特に上位力士を中心に、なんとか左上手をとられないように対策をとっている力士が増えた。それでもなんだかんだ言って勝ててしまうところにも白鵬の強さはあると思うのだが、バタバタした立ち合いとかぶってしまうとあっさりと負ける。琴欧洲戦にしても、千秋楽の優勝決定戦にしてもそうだったが、腰高で足がそろっていたがためにぶん投げられた。改善は急務だろう。

とは言いつつも14-1で準優勝というのは十分すぎる好成績である。ちなみに、今年に入ってからの白鵬は43-2で、これで優勝回数が一回というのは不憫という他ない。このペースのまま今年が終わると86-4という大記録になる。なお、現在の年間最多勝記録は84勝の朝青龍だが、このときの朝青龍は年間完全制覇を成し遂げている。その次は昭和53年の北の湖の82勝、優勝5回。参考記録になるが、白鵬は過去六場所(=一年間)だと85-5になり、この記録はすでに北の湖の85-5と並び史上最高記録である。抜群の安定感と言わざるをえない。

朝青龍は左ひじのケガがどうにもならない中、12-3は立派だと思う。マスコミはまた叩くだろうが、もう二、三年前の全盛期の力は出ないことはわかりきっているので(優勝した先々場所でさえも全盛期には程遠い)、あと引退までに何場所優勝できるかなという方向で見てあげるべきであろう。少なくとも、今場所のそこそこすばらしい相撲を見て引退しろなんてたたくのは愚か者のやることである。


さて、今回は見所の多かった、それ以外の力士に関して。大関陣、ヨーロッパはがんばったと思う。結果的に9-6ではあるが、今場所の状況からして妥当でもある。大関じゃなければ殊勲賞をあげられた、というのは無意味は仮定か。相変わらず腰高だったりバタバタしてたりはするものの、少なくとも互助会の頼りにならなくても勝ち越せるようになって三場所経つのは偉い。先場所でも先々場所でも、不用意な立ち合いをなくせば優勝争いには簡単に絡める、と書いているが、今場所もやはり同じ印象である。地力は十分にある。

魁皇は早々に勝ち越したのは立派だし、まだ右上手をとれば勝てる方程式が通用するので続けても許されることは許されるが……いやぁ……勝ち越してからの無気力っぷりがあまりにも萎える。いっそのこと休場してはいかがか、と言いたくなるが、そうすると今場所千代大海は陥落していたわけで、互助会ここにきわまれり。千代大海は、正直どこまで「買った」のかが判断付かないものの(琴光喜への奇襲含め)、ひどい勝ち星は多かった。琴光喜はノーコメント。お前も魁皇がいなかったら来場所角番だっただろ。過去ログを見たら、初場所から三連続でノーコメントだった。ひどすぎる。


関脇。把瑠都は終始調子悪かった。ときどきこういう場所がある。腰高で全く粘れていない、というヨーロッパ系の力士にありがちな症状だが、来場所は治ってくるか。豪栄道は前半調子よかっただけにもったいない。幕内上位だと、単に序盤に地力の強い力士と当たるから負けが込んで調子を落とし、結果下位力士相手でも大負けする、というパターンが多いが、今回の豪栄道のように負けが込まなくても燃え尽き症候群に陥って結果星を落とす、というパターンもある。だからこそ、幕内上位で勝ち越すのは難しい。エレベーター力士が多いのも仕方のない話である。

小結、ワンコこと鶴竜。どんどんミニ白鵬になっていく様子がおもしろくて仕方がない。今場所はとうとう小結であっさりと勝ち越し、ガチでやっても大関陣は倒せるようになってきた。あまりモンゴル人らしくない相撲を取るという点でも注目である。すぐに大関というわけにはいかないかもしれないが、けっこう長く三役には定着できるだろう。シャケこと栃煌山は残念な出来。6-9ではあるがいいところがなかったので書くことがない。


平幕。FOMAこと豊真将は解約というか廃止というか。まさか1-14になるとは。千秋楽、嘉風との取組はほぼ間違いなくガチだったと思うので、それが救いか。安美錦は大幅に負け越したものの、今場所は何か、曲者ではなくまっすぐ闘うという気迫が見られてよかった。朝青龍に勝てたのはまぐれでもなんでもない。

稀勢の里はあの位置でお前ならそれが当然だろうと言いたくもなる。それでも、負けたのが日馬富士と超苦手な琴奨菊であることを考えるに、取りこぼしはしなくなったのかもしれない。千秋楽まで優勝争いに絡んだことは評価したい。真価は来場所。琴奨菊、以下同文。豊響、以下同文。君らはいい加減にエレベーター止めなさい。豊響は網膜剥離で休場していたという擁護は可能だけれども。

朝赤龍はどうしちゃったんですかねぇ。先場所に続いて今場所も精細を欠いた。岩木山は調子良さそうだった。前に出る相撲をちゃんととってくれるから好きだ。時天空、水入り超久しぶりに見た。Wikiで見たら四年ぶりだそうで、そりゃ久しぶりだ。山本山、負け越しは残念だが毎日おもしろい相撲をありがとう。でも肌は治せ。地デジになってさらに肌汚いのが目立つようになったどうしてくれる。


以下、いつもの。  続きを読む
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2009年05月17日

第138回『ライト【空気ポンプの実験】』ヴェルナー・ブッシュ著、神林恒道訳、三元社

半年振りくらいに美術系の本を。本書はジョゼフ・ライト・オブ・ダービーの名画《空気ポンプの実験》について書かれたものの翻訳である(この絵)。ヴェルナー・ブッシュも神林恒道氏もドイツ・ロマン主義の大家であるが、ライトは名前の通りイギリスの画家で時期的にも50年はずれている。にもかかわらずこの二人がライトという画家に取り組んだことに関して何の違和も感じなかった。なぜなら訳者あとがきにもある通り、ライトが本作品で行ったことは、ドイツ・ロマン主義の先駆的な試みとなっているからだ。

タイトルの通り、この作品は空気ポンプの実験をしている光景が描かれている。ど真ん中でそびえ立っているのが空気ポンプとそれによって空気を抜かれるガラス球、その中には窒息死しかかっている鳥が描かれている。そして絶妙なタイミングでバルブを緩め、その生命を復活させようとしているのは、いかにも胡散臭げな科学者であり、その脇では弟子とおぼしき若者が鑑賞者に気づかれないようこっそりと鳥かごの入口を開けている。胡散臭いのはまさに魔術師を思わせるためだろう。考えようによっては科学者が擬似的に神にとってかわろうとして見える非常に冒涜的な内容だが、ヴェルナー・ブッシュは本作品について「科学と宗教の神聖同盟」と見なした。その真意はどこにあるのだろうか。彼は本作品をどう読解したのだろうか。

周囲を見渡してみると鑑賞者の様子も実に様々である。画面左側には好奇心旺盛なのであろう、若者が二人食い入るように実験を見つめている。それぞれの若者には一人ずつ女性が寄り添っているが、上方の女性についてはもはや実験などどうでもよく、実験に熱中しているかっこいい彼のほうが気になっているようである。右側には怯えつつも目は話せない様子の妹と、既に悲劇的な結末を予想して顔を伏せている姉、それをなぐさめている父親。そして実験を眺めず物思いにふけっている老人。彼らは何を示しているのだろうか。

この作品についての説明はこの辺りにしておき残りは本書に譲るとして、本書自体はドイツのタッシェン「作品とコンテクスト」シリーズの一冊であり、過去に二冊紹介している(『フリードリヒ【氷海】』と『ベックリーン【死の島】』)。そして毎回言っている気はするのだが、内容はすごく良いものの薄くて高いのがネックである。今回なんてものの一時間強で読めてしまった。



ライト“空気ポンプの実験”―科学と宗教の神聖同盟 (作品とコンテクスト)ライト“空気ポンプの実験”―科学と宗教の神聖同盟 (作品とコンテクスト)
著者:ヴェルナー ブッシュ
販売元:三元社
発売日:2007-01
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2009年05月12日

こういう覚え方も有だと思う

この間神聖ローマ帝国について書いて妙に反応がよかったと思ったら、こんなスレがあった。マジレスすると、昔の人もけっこう中二病というか、中世のような宗教的権威が強い時代は本当にそれで権威付けしているところがあったりするので、かっこいいのは確かである。加えて、やはり歴史の中心はドイツ語圏であることが多く、ドイツ語の語感がまたかっこいい、というのが影響を与えているのは言うまでも無い。

「ボストン茶会事件」や「水晶の夜」「プラハの春」「シチリアの晩鐘」なんかは皮肉を込めて当時の人々が名づけた名前だが、西欧人のこういったセンスはおもしろいと思う。東洋史にはあまりないものだ。エドワード黒太子は英語に直すとEdward the Black Princeになるのでよりかっこよくなる。

中世の君主は何かしらあだ名がつけられることが多く、一々言い得て妙である。有名なところではイギリスのウィリアム征服王(the Conqueror)、リチャード獅子心王(the Lion Hearted)、エリザベス処女王(the Virgin)。サガフロ2の主人公三人の名前はここからつけられた、という話はファンなら知っておいても損ではない。他にも豪胆公やら賢明公やら敬虔王やら端麗王やら。一番有名なのはルイ14世の「太陽王」か。中世じゃないけど。

カノッサの屈辱、教皇のバビロン捕囚、アウステルリッツの三帝会戦辺りはわざとやってるんじゃないかと思いたくなる。語感がよすぎる。鉄血宰相ビスマルクは自称だし完全にわざとだろう。バルバロッサやゼーレーヴェ、ジークフリート線辺りはいかにもヒトラー中二病だなぁと思わせてくれるネーミングセンスで良い。古代史では「王の目、王の耳」が秀逸だろう。要するに単なる監査役なのだが、これを名づける古代人の素朴さには惹かれるものがある。「記録抹殺刑」は古代ローマの最大の刑罰だが、後世に名前が残らず忘れ去られるのが最大の罰になるという発想自体がおいしい。キリスト教に染まったため中断されたが、先祖崇拝大好きというのは古代ローマ人の特徴であった。

個人的な最大のヒット賞は「シチリアの晩鐘」かなぁ。なんの大事件だよと思ったら意外とそうでもないという。
  
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2009年05月11日

オラわくわくしてきたぞ

同人イベントの渋滞予測システムってどうだろ

実用性は別とするなら、おもしろいとは思う。コミケでパーティーアタックするようなメンバー同士でも無い限り、案外とこういう知識は共有されない。そもそもとあるジャンルの中堅どころのサークルの信者の数なんて多く見積もって千人程度なわけで、相当母集団が偏ってないとデータが集まらないわけだが、それでもネット上の自由投稿ならば集まるのではないかと思うと、割とわくわくしてくる。

実用性を考えるならばコメント欄にある通り、システムは相当に複雑にならざるをえなくなるわけだが、特に重要な要素は時間帯によって混むサークルが変わっていくということだと思う。コミケに限れば、最初は皆壁に行くから誕生日席や島は案外と空いてる、むしろそういった穴場サークルの場合搬入数が少ないくせに玄人が殺到するから即死の可能性が高い(サークルチケットが本当にチートなのはこういうところをちゃんと手に入れられるからだと思う)。中堅以上だけど今回は壁じゃなくて島に配置された、もしくは壁との境界線上なサークルがある島の周囲は、午前11時半を回った辺りから急激に混みだす。逆に頒布数が異常なサークルの場合午後2時くらいから行くと案外30秒で買えることもあるしもちろん完売している場合もある、といった一定の法則は存在する。混む場所はそれこそ10分おきに変わってくる。

時系列を考えない場合のこのプログラムで、最も有効なのはあらかじめ確実に渋滞する地帯の予測ではないかと思う。即売会で最悪なのは、スタッフがサークル人気やジャンル人気を読み間違えて、行列の出来るサークルを島中においてしまった場合。これが死ぬほど渋滞する。サークル参加申込の時期と開催する時期が違えば、そのサークルが本当にちゃんと入稿するかも不明な状態で配置するから、仕方が無いことではある。人気というのは本当に読みにくい。しかし、この辺の情報というのは前日くらいまでにはでそろっているもので、どうしてそんなところに置いてしまったんだ的な予想はネットユーザー全員で予測すれば、ちゃんとできるんじゃないかと思う。


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2009年05月10日

GWに売れたんだろうなぁ

曾我蕭白《月夜山水図屏風》府中市美術館の山水画展に行ってきた。府中といえば東京農工大、「2001年府中の旅」こと府中刑務所、府中競馬場のイメージだが、府中市美術館のお隣は航空自衛隊の駐屯地である。ほんと、いろいろあって楽しそうだな府中。ちなみに、府中市美術館の周辺は公園になっているが、これもなかなか雰囲気がよかった。家族連れには最適。

江戸時代後期の山水画と聞いて、行かないわけにはいかなかった。しかし、半分以上備忘録的に美術館系の記事を書いているとはいえ、一応宣伝といった要素も含んでいるつもりではあるのだが、こういった本当に宣伝すべき企画展レビューに限って毎回会期ギリギリというのは意味がないのではないだろうかと、自問自答せざるをえない。そのくらい良い展覧会であったと言えよう。それでも会期ギリギリまで行かなかったのは、ひとえに府中の立地に他ならない。というと、地方民に怒られそうだが。

ラインナップは与謝蕪村、谷文晁、円山応挙、鈴木其一、浦上玉堂、池大雅といかにも黄金期なメンバーだが、今回の展覧会はそれ以外のあまり有名でない画家の作品でも十分に質が高かった。一方で、チラシには若冲と大きく載っているのに、実際のところ若冲の作品は会期中の前半しか展示されておらず、この会期終了二日前のタイミングで行っても一点もなかった。正直詐欺だと思うが、それでも来場客を釣らねばならないというのもわかる話で、なんとも言えない。それも今回の場合、本来ならば別に釣らなくてもいいほど質が高いものが集まっているだけに。まあ、石灯籠の屏風は前に東博で見てるし、あきらめよう。

印象に残った作品として。最近なぜかよく見る其一の青緑山水画が見れたのは僥倖であった。彼は琳派でなくともうまい。山水画はどうしても水墨画が目立つが、多色でもおもしろい。知らなかった画家の作品では高田啓輔(今見るとすごく現代っぽい名前である)の《高士静隠・紅梅に雉図屏風》。一見すると復古的な狩野派なのだが、そこはちゃんと江戸後期的な洒脱さが感じられる。保存状態が極めて良いのもすばらしい。他に、平井顕斎の《白糸瀑布真景図》、梁川星巌の《月ヶ瀬真景図》など、枚挙に暇は無い。江戸時代後期の層の厚さを感じさせてくれる。逆にあまり印象に残らなかったのが司馬江漢。正直に言ってあまり上手には見えない。特に風景はまだいいが、人物はなぁ。好きな人ごめんね。

そんな中、異彩を放ちまくっていたのは、やはり曾我蕭白である(今回の画像)。遠目であれは蕭白だと一発でわかる。同時代の画家でも、応挙は緻密だが理性的で、若冲は緻密な上に計算して狂っているように見えるが、蕭白の場合緻密でかつマジキチにしか見えない。今回展示されていた複数の作品を見て改めてそう思った。キャプションにあったとおり、題材自体は普通なんだが他の部分が狂いすぎてて題材なんてそういえばそうだね、という印象になってしまう。

最後に、大変満足したので帰りに図録を買って帰ろうとしたら売り切れだった。もう百回近くこういった特別展には足を運んでいるが、図録売り切れは初めて遭遇したかも……これは非常に残念である。これも、赤字が出たときのことを考えると数を刷れない、というのは多少なりとも出版業界を勉強したから知った話で、難しい問題である。府中市美術館くらいの規模だと弱気になるのも致し方ないが、より直接的な原因としては、最近の若冲ブームの加熱ぶりを読みきれなかったか。
  
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2009年05月06日

良い眼を持ってらっしゃったようで

酒井抱一《槇に秋草図屏風》帰省中、岡崎市美術博物館の琳派・若冲と雅の世界展に行ってきた。まず何よりも、岡崎市はいつの間にこんなでかいものを建てていたんだということに驚いた。美術館だけならまだしも、周囲一帯がテニスコートやら野球場やらを含む一大公園で、岡崎市街からやや離れた、東名高速の岡崎IC付近の丘陵地帯を一気に切り開いた形になる。丘の上なので景色も良い。これは許される箱物行政だと思う。逆に言うと、電車で行くと死にそうな場所にあるが。岡崎駅からバスでどのくらいかかるんだろうか。値段で見ても東岡崎から360円だから、時間にしても相当になるだろう。

展覧会の中身は細見美術館という京都にある私設の美術館から借りてきたものの展示。細見美術館自体には行ったことがないが、東山二条という極めて立地条件の良いところに建っているため、今度京都に行ったときに寄ってみてもいいかもしれない。仏教美術、琳派と若冲に強いそうで、今回の展示に関しても確かにそんな感じだった。しかし、若冲周囲に関してはやや弱く、今回の展示でも約100点中7点ほどに過ぎなかった。個人的には期待外れであった。

琳派と仏教美術についてはかなり良かった。琳派に関してはどちらかと言えばフォロワーに当たる酒井抱一・鈴木其一周辺の画家が多く、明治初期の物までカバーされていた(画像は酒井抱一の《槇に秋草図屏風》)。その意味では若冲とのつながりが強く、以前の琳派展でも一押ししたように、江戸時代後期の瀟洒さに重点の置かれた作品群は私の心を非常に充溢させるものであった。

仏教美術については普段から東博の常設展で見慣れているので、綺麗だなとは思うものの心を動かされたものは少なかった。これは私の側に非がある。ただ一点、展示でもあまり押されていなかったし実際平均的な鑑賞者のおめがねにもかかっていなかったようだが、住吉如慶の《きりぎりす絵巻》。見事なやまと絵で色彩や金粉の保存状態も極めてよく、細見美術館には悪いがこのような逸品がここで見られるとは思ってなかった。本当は今回の画像はこちらにしようかと思っていたのだが、pdfファイルでしか見つからなかったので、どうしても見たい人は画家名と作品名でぐぐっていただきたい。でも、これは本物を見なければよさが伝わらないだろう。

ちなみに、今この記事を書いているときに「土佐派はWikipediaに載っているが住吉派は載っていない」という事実を知らされ、そりゃあ土佐派に比べれば大分知名度が落ちるだろうけどさ……と妙にふてくされた気分になった。ついでに言えば、横の付属のレストランはうまかった。魚料理お勧め。
  
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2009年05月01日

これは薩摩焼よりも良い

水曜日は祝日だったのでこの日も美術館に行こうと思っていたわけだがまたもや華麗に寝坊した。今から行けるところーと考えてみたら、話題の某所に隣接しているところので行くことにした。その話題の某所とは、

檜町公園











草メンバーが全裸になっていたらしい檜町公園。この表側が六本木のミッドタウンである。全く人のことは言えないのだが、カメラ構えている奴が多すぎて笑った。しかし、穏やかなたたずまいの滝と大池、その周囲には多種多様ながら白を基調にした花々が咲き誇り、季節柄の気候のよさもあって、普通にすごく良い場所だった。あと一ヶ月もすれば、紫陽花と藤が加わってさらに良くなるだろう。いや、ここで全裸になるってどれだけフラストレーションが溜まってたんだろう。いかに真夜中といえどもそういう公園じゃないんだが。

それと、この檜町公園は4/24からGW中にかけて「OPEN THE PARK」という企画をやっていて様々なイベントが開催されており、表のミッドタウンでも大きく紹介されている。だが、草メンバーの功績により、ものの見事にシャレにならない企画名になってしまった。別のものをOPENしてどうするんだというツッコミは絶対ネットにあふれてるだろうと思っていたんだが、今「檜町公園 OPEN 草なぎ」でぐぐっても出てこなかった。あるぇー?


以下、本題。
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