2009年09月30日

GA2 永劫回帰の刻 レビュー

前作のレビューに「GWまでには終わっているだろう。」なんて書いた結果がこれだよ!

友達に返す事情で超音速で1ルートだけクリアしたので、実はあんまりストーリー覚えてないが、長い割にだれなかった点については褒められる。SLGパートもおもしろかった。今まではミッションがめんどくさいか単調かどちらかだったが、今回はちゃんと難易度的にも初見でクリアできなくはないが工夫は必要という程度になっていたので、これは飽きないのではないかと思う。でも、ジェノサイドボンバーとゼフィルスランページ、そしてフォトンダイバーがバランスブレイカーすぎて、嫁を誰にするかによって難易度が全く違うのではないかと思う。正直嫁のはずのリィちゃんは活躍しませんでした。

しかし、いかんせん共通ルートが長すぎる。しかも、これでも共通ルートには必要なものを全部詰め込んだ結果であって、「無限」が長い割に可も不可もないストーリーすぎたツケをここで全部払わされた。そりゃ個別をたった一章にでもしないと1ルートのボリュームとして厳しい領域になろう。それでも、11章中9章までは楽しめた。それだけ展開は熱かったし、風呂敷はこれ以上ないほど広げきった状態と言っても過言ではなかった。

だが、決定的な過ちはやはり最後の二章であろう。圧倒的な勢いに飲まれればむしろ幸せだったのだろうが、残念ながら私の頭はそこそこ固いもので、ひどい超展開の連続で、そりゃないよ水野良さん、と。やる気が減退したのと時間があまりにも無かったのでリリィさん1ルートだけやって返したが、伏線未回収率がエロゲでもちょっと無いレベル。しかもストーリー自体は未完結というわけではなく、しっかり完結しているという。

今までのGA6作品だと、フルコンプしてもおまけCGやEXモードはあってもグランドエンディングは無かったので、これひょっとして伏線未回収のまま終わるの?と思っていたら、今作に限ってなんとグランドエンディングがあるらしい。しかし、ぐぐってみたところ、そこでもほとんど伏線は未回収のまま放置のようで……もう二重三重におかしい。

だが、何よりもプレイが遅れたのは、6作品の最後の最後を飾る作品でこの作品だけ原画変えるという暴挙が、どうにも許しがたかったからだ。KANAN先生も、これでチェック通さないでくださいよ。

キャラ的に言えば、ノア株だけ急上昇した。この子こんなにかわいかったっけ?GA1の無印だとむしろきもかったはずなのに……いやー、これでGA6作品の締めかと思うと寂しい限りで。


以下、一応ネタバレ。  続きを読む

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2009年09月28日

並んだのは北の湖の記録でした

こうなるのだから、大相撲というのは読めない。というよりも、朝青龍という男は読めない。

驚いたのは、朝青龍の相撲振りは今までとなんら変わるところがなかったということだ。相変わらずセンスに頼り切った相撲を展開し、張り差しを多用し、速攻で相手をリズムに乗せないまま倒してしまう。それで優勝してしまえるのだから大したものだし、周囲のふがいなさはこれまでにないほどである。特に白鵬は翔天狼にとった不覚を猛省しなければならない。

場所全体を見渡すと可も不可も無いという程度。好取組がまあまああった一方で、萎える展開も多かった。はたき込みがとても印象的で、数が多かったというよりも、ここで決まっちゃうの、というのが多くこれが萎える原因であったように思う。まあ、その主役たる千代大海は早々にリタイアしてしまったのだけれど。


というわけで、さっさと個別評のほうに移ることにする。朝青龍については上述の通りだが、張り差しの威力の衰えは隠せるものでなく、速攻が決まらないパターンが増えている。本人も自覚しているのか、立会いが汚かったり、変化に近いことをやってしまったりしており、今場所については特にとても横綱と呼べる相撲ではなかった。別に私は彼の勝利至上主義を否定しているわけではないし、彼らしい相撲をとってくれればそれでいいとは思うが、見苦しくなるくらいなら自重はしてほしい。横審(笑)のくだらないお小言は無視しても、そこら辺のわきまえはできる男だと思っていたのだが。

白鵬については、相変わらず把瑠都が鬼門で、把瑠都自体は退けられるのだがそこで確実にどこかを破壊される。無理して勝つくらいなら俵を割ってしまったほうがいいのではないか、と思うほど。負けた翔天狼戦は把瑠都の翌日で、これは一月場所も把瑠都戦の翌日の日馬富士戦で負けており、関連性は明白と言えないまでも無いわけでは無さそうだ。それはそれとして、本割は入れ込みすぎており、逆に決定戦は神経が緩んでいた。まだまだ精神のコントロールが出来ていない。負けた翔天狼戦も、左ひじをかばっていた上に立会いが明らかに遅れていた。気を抜きすぎた。木鶏ははるかに遠い。

しかし、それでも14−1は立派なもので、実はこれで白鵬の横綱昇進以後の成績は186勝24敗で、勝率はなんと.886。これは歴代1位の双葉山の180勝24敗、勝率.882を上回る記録である。加えて、五場所連続14勝はこれも歴代1位の記録で、すでに大横綱の歴史に名を残したと言えよう。朝青龍引退まではこれ以上記録は伸ばしづらいかもしれないが、彼はまだ24歳。なんと、琴欧洲や日馬富士よりも若い。彼の未来はいくらでも開けている。


大関陣は今場所、誰一人二桁がいない、把瑠都に全員倒されるというふがいないにも程がある結果となった。そりゃ勝昭に「大関は弱すぎて(殊勲の)価値が無い」って言われるわ。マシなほうから評していくと、まず日馬富士。大関昇進以後の彼に見られる、無理な力押しがやや目立ち、そこを平幕の力士に倒されるという無様な結果を呼んだ。朝青龍のような巻き替えを見せようとして玉乃島に倒されていた一番は思わず目を覆った。後半は修正してきたが、二桁には間に合わなかった。

次、琴欧洲。魁皇に負けてから転落していったが、魁皇に負けた一番についてならば擁護できる。魁皇は最初からとったりしか狙ってなかったし、あれをかわせるのは両横綱か日馬富士くらいなものだろう。魁皇のとったりを無理に抵抗して相撲人生を棒に振った関取は何人もいるわけで、さっさとあきらめて負けたのは賢明であった。だが、その先の四連敗はいただけない。彼の悪癖である、足がそろっていて踏ん張れず、引かれると簡単に落ちるという現象が戻ってきてしまった。まあ両横綱に負けたのはそれでも力量差だとしても、把瑠都、時天空には本来ならば勝てていたはずだ。組みに行けば勝てるのだから、自信を持って欲しい。

琴光喜は可も不可もなく、まああの程度だろう。「来場所二桁なら見直す」と、先場所のブログに書いた結果がこれだよ。魁皇。なんだかんだで8−7で収めてしまうのだからすごいと言えばすごい。狡猾で老獪で、手の抜きどころと力の入れどころを完全に知っている。しかし逆に言えば、それで8−7なのかという気もするし、千秋楽の琴光喜戦がどうにも互助会発動だったのには閉口した。やはり老害には違いないか。千代大海は来場所特番の準備で。


関脇、稀勢の里。もうね……何度がっかりさせれば気が済むのかね萩原君は。次の大関候補は完全に把瑠都と鶴竜に移ってしまった。稀勢の里について言えば、雅山に押し相撲で勝ったり、琴光喜に対してうまく寄り切ったり、ところどころ大器の片鱗を見せるのだが、非常に詰めが甘く、意外な相手にあっさりと負け、それが積み重なった結果負け越してしまう。変化しろとかはたき込みを覚えろとは言わないが、相手を研究するとか、速攻を磨くとか、本当に工夫してほしい。もう一人の関脇、琴奨菊も負け越しでエレベーター。げんなりしすぎたのでノーコメント。

逆に、把瑠都の今場所は完璧だった。立会いを見るからに研究してきており、相手によってまるで変えてきていて、差し手争いで負けることが減った。かと思えば張り手で相手を押してからまわしをつかむという作戦も取ってきたり、戦術の幅が広くなった。その結果が5大関撃破の12勝である。また、釣れば勝てるという慢心を捨てるには鶴竜戦の敗戦は良い薬だっただろう。まだ力量差があるが、いつか横綱戦でも勝てるようになりそうだ。現状では、若干両横綱に恐怖心があるように見えるのが、やや気がかりである。

もう一人の小結、安美錦は「俺の人生土俵際」という名言を残したくらいしか印象が無い。7−8で、エレベーターというほどには下がらなかったのは、まあ良しとできるところだろう。


前頭以下では、やはり鶴竜の名前を挙げねばなるまい。11番勝ったこと自体はもはや驚くに値しないが、内容が非常に良かった。琴欧洲に対するとったりと、把瑠都に対する外掛けに今の実力を見て取ることが出来る。来場所は三役返り咲きだろうが、調子さえ落とさなければ把瑠都の大関取りを妨害する場所になることだろう。栃ノ心は4−11ではあるものの、勝った4番のうち二人は日馬富士と稀勢の里であり、意地は見せたと言ったところだろう。まだしばらくはエレベーターな実力である。腕力があるのはわかったので、上位定着にはもう一つ光るものが欲しい。

豪栄道二桁だが、番付的には当然の結果。しかし、今場所は投げ技に光るものを見た。来場所「残念」と言われないように期待。豪風も今場所はよく押せていた。朝赤龍はこの位置で負け越し。朝青龍以上に衰えが激しい。豊真将負け越しは意外。しかし、言われてみるとけっこう負けていたような。豊真将に関しては稀勢の里と同じ感想を持った。もっと工夫しろ。

高見盛は家賃が高すぎたに過ぎない。しかし、衰えないというのはすごい。武州山は今場所良い圧力をしていた。千秋楽は阿覧が空気読まなかったので敢闘賞ならず。まあ、大相撲はそう甘くない。栃煌山11勝だがこの番付では当然。来場所も二桁じゃないとまだ「残念」なくらい。北勝力は力強い押し相撲が戻ってきた。

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2009年09月27日

K-1GP 2009 開幕戦

そういえば、今年は極端にK-1の記事書いてなかったような。別に見てなかったとか、気力に欠けていたとかそういうことではないのだけれど、なんでだろう。決勝戦は今年もチケット取ります。

例によって、左が勝者、右が敗者。

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2009年09月26日

俺の嫁を表にしてみた。

桃月Pがやっていて、おもしろそうだったので。私もよくわかりやすいと何かといわれることが多いので。

実際のところ、桃月Pのを見てもわかるとおり、好みの軸なんて人間複数にあるもので、二次元嫁なのにとても二次元じゃ表現しきれないというパラドックスを含むのではあるが、そこを無理やり二次元で表現するから、ブログのネタになるのではないだろうか、と思い至った次第。それでも縦軸、横軸はそれなりに基準を決めて配置したつもりなので、法則性を読んでみよう。似たような趣味の人ならぴんと来るかも。


俺の嫁表





















左列
・綺堂さくら 『とらいあんぐるハート1』画像はDVDのおまけより。
・リースリット・ノエル 『夜明け前より瑠璃色な』
・ルゥリィ 『さくらシュトラッセ』
・西園美魚 『リトルバスターズ』

・社霞 『マブラヴ(オルタネイティヴ)』
・水守御波 『そして明日の世界より―』
・パチュリー・ノーレッジ『東方project』
・楓ゆづき 『はるのあしおと』

中央列
・鷹月殿子 『遥かに仰ぎ、麗しの』
・ネリネ 『SHUFFLE!』
・如月千早 『アイドルマスター』
・里村茜 『ONE』

・牧野那波 『水月』
・浦島可奈子 『ラブひな』
・月村忍 『とらいあんぐるハート3』
・夏海里伽子 『パルフェ』

右列
・川澄舞 『Kanon』
・四条貴音 『アイドルマスター』画像はアイマス架空戦記ロダの歪氏より。
・深咲涼 『さかあがりハリケーン』
・八意永琳 『東方project』


以下、解説と言い訳。
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2009年09月22日

第144回『伊勢神宮と出雲大社』新谷尚紀著、講談社選書メチエ

伊勢神宮と出雲大社の創立年代やその経緯、互いの関係性について、文献学(史学)、民俗学、考古学などの諸研究の成果を用いて真相に迫ってみたもの。著者自身は「民俗学は歴史学の一部」と主張しており、その意味で本書は民俗学の本ではなく、あくまで古代日本における神話と王権の構築に関する歴史学の本といえるだろう。

著者自身のセンスなのかポリシーなのか、はたまた編集者の指示なのかは知らないが、結論が序章に全部書かれていて、あとはそれを論証していくという方式は、とかく難解になりがちな本書においては成功していたように思う。

なのでここでも本書の魅力がよりストレートに伝わるようにネタばれしてしまうが、伊勢神宮の創立年代はどれだけ早く見積もっても壬申の乱の以後であるということ、それに伴って、出雲大社が大国主命を祀る「八百万の神々のふるさと」となるのも、平安時代に入ってからであること。そして実際のところ、記紀神話についても遣隋使を始めるまで影も形も存在していなかった、ということは目から鱗の落ちる話であった。しかも、本書はそれを最大限の説得力をもって論証しえたように思う。(細部ではまだ論証途中であることが見受けられる、推測的な描写もなくはなかったが。)

ところで、本書では直接触れられていないものの、伊勢神宮や記紀神話の成立が仏教伝来よりも100年以上遅れたものであるという事実は、私にけっこう大きな衝撃を与えた。だから思想的にどうこうというわけではないのだが、古代日本はまだまだ謎に満ちていて、知的好奇心を刺激される。


伊勢神宮と出雲大社 「日本」と「天皇」の誕生 (講談社選書メチエ)伊勢神宮と出雲大社 「日本」と「天皇」の誕生 (講談社選書メチエ)
著者:新谷 尚紀
販売元:講談社
発売日:2009-03-11
おすすめ度:5.0
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2009年09月16日

トロピコ覚書(4) 環境対策、インフラその他施設

シナリオモードをもう何周かしたら卒業かな。正直パラドゲーほどの中毒性はない。でもシムシティーよりは好きかも。トロピコ2、3どうしようかな。

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2009年09月15日

トロピコ覚書(3) 観光、福祉政策

基本的に鉱業→工業化プレーが一番好きだろうか。観光はなんかいろいろめんどいなぁ。

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2009年09月14日

トロピコ覚書(2) 農業、工業

スイス銀行禁止で国庫20万ドルまでは行った。西暦2020年(プレイ開始後70年)経ってた。難易度、マップ等は初期設定。そこで飽きた。素質「清廉潔白」じゃなかったら、スイス銀行もおもしろいことになってたかも。酒飲み男爵のラム酒おいしいです。

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2009年09月13日

トロピコ覚書(1) 序盤の進行

結局何周して大分つかんできたので。古いゲームなのですっごい今更感はあるが、何かの役に立てばと。基本的に目標の無いフリーモードの話をしているので、細部は目標にあわせて変更すれば問題ないように思う。


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2009年09月09日

海外で活躍する品々

烏図(左隻)サントリー美術館のシアトル美術館アジア館展に行ってきた。19世紀の日本や中国、朝鮮はまだ自分たちの持っている絵画や工芸品の美術的価値を認識してなかったために、特にアメリカに対して、大量の美術作品が安価に流出した。日本に至っては、そもそも浮世絵が向こうに伝わったのは陶磁器の包み紙として使われていたから、というのは有名な話である。今にして思えばどういう国家的損害だよ、と思えるが。

まあ200年も昔に伝わってしまったものはしょうがないとして、そんな東洋の無駄遣いの結果の一つが、このシアトル美術館アジア館である。確か、中国美術の先生に「一生に一回は行け」とか言われたような記憶もあって、今回の特別展に足を運ぶことになった。とは言いつつも、今回中国美術は数点しか来ておらず、やはりサントリー美術館らしく日本美術中心ではあった。悔しいが、非常におもしろかった。


いつものように気になったものをいくつか。まず、浦島蒔絵手箱。開けたらふたの裏に浦島太郎が玉手箱開けてる場面という、とても不安になる漆器。『二河白道図』。鎌倉時代の作品で、浄土宗成立に影響を及ぼした人物である中国初唐の僧、善導が描かれている。某仏教徒に教えてあげよう。『長谷寺縁起絵巻』、室町時代後半の作品。絵が非常にかわいらしく、イラスト的というか漫画的というか。

雲谷等顔『山水図』。瀟湘八景には二景足りないがためにこのようなタイトル。なぜあと二つ描かなかった。足りなかったのは江天暮雪と烟寺晩鐘か。この大胆な余白の使い方からして、入りきらなかったんだろう。切られたのがこの二つというのはなんとなく理解できなくもない。部分的に雪だったり煙だったりするのも、確かにねぇ。桃山時代の作例で、雲谷は雪舟を目標としたらしい。言われてみるとそんな風に見えなくもない。

『竹に月図』。典型的な金碧障壁画。しかし、右隻は初夏、左隻は春で季節が違うという珍しい題材のとり方をしている。また、右隻の右上部と、その真下の右下部に月らしきものが見えるが、これらの円は長い年月の間に金箔が貼られたり銀箔が貼られたりして、太陽になったり月になったりしたらしい。しかも、最初に作られたときには、上部のほうの円は無く、後から描き加えられたものだそうだ。図録の解説では、これらの数度の改変はそれぞれの時代の美意識を表象している、としているが、確かに趣深い。現在のバージョンとしては、空に浮かぶ月と、水面に写る月という解釈が正しいようである。

『烏図』(今回の画像)。江戸時代初期の作品で、金地一面に黒で烏の大群が描かれている。アイデアだけ見ると宗達の『鶴下絵和歌絵巻』に近く琳派っぽいが、それにしても不気味で不吉である。図録を読んだところ、この時代の題材としてはあまり珍しくないようだ。

狩野重信『竹に芥子図』。これも江戸時代初期の作品。個人的な見たところでは「狩野派の癖に宗達の真似してみたらセンスが足りなかった、どうしてこうなった」という感想だったのだが、図録を読んだところ、芥子という題材自体が狩野派では珍しく、同時代では宗達が芥子を描いていた、ということが指摘されていた。どうやら宗達とは直接つながりはなかったものの、狩野重信はやや中央から距離があり、比較的自由な活動をしていた男らしい。納得したと同時に、それでも狩野派には違いないな、と思った。

尾形光琳『山水図』。逆に琳派が山水画を描いてみた、という感じ。金地に墨のみ。簡素で、溌墨に近い描写だが、これはこれで悪くない。与謝蕪村『寒林夜行図』。最初全く蕪村に見えなかった。が、言われてみると木々の描き方がそれっぽい。中国山水画の技法である三遠(平遠、深遠、高遠)が全て巧みに使用されている。蕪村の術中にはまっている気はするが、北宋絵画好きならにやにやする作品。


続きまして、中国美術。まず、殷代の青銅器が綺麗な保存状態で展示されていた。加えて、西周時代とされる玉璧。これもすばらしく、まさに玉璧としか言いようがない。唐代の銀のお碗に至っては現代の作例かと思えるほどだった。残ってるところには残ってるもんなんだなぁ。他の器として、紅釉瓶と粉彩梅樹椿文盤の二品を挙げたい。どちらも清の中期頃の作品だが、恐ろしく出来が良い。前者の、紅色の釉による磁器はけっこう好きだが、近現代の作品でしか見たことが無かったのでこれは新鮮だった。後者は梅と椿の樹が碗の裏まで描かれているもので、物珍しくは無いものの、絵も白磁の出来も抜群に良い。今回どれが欲しいと言われたら、これが一番欲しい。絵画は数が少なかったが、文伯仁の『山水図』だけ挙げておく。明末の有名な画家である。


実はもう少し後日談があるのだが、別記事で。
  
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2009年09月03日

正直、エロければ良いと思う

カバネル《ヴィーナスの誕生》の模写横浜美術館のフランス絵画展にようやく行ってきた。すごく魅力的な展覧会ではあったのだが、こう言ってはなんだがやはりやや遠いとめんどくさがってしまいなかなか行く機会が持てない。出不精ではないのだが、仕事を始めてからどうも体力が追いつかない。実のところ、結局お台場のガンダムは見そびれた。良くない傾向だ。

今回の展覧会の特徴は、フランスの近代絵画といってもありがちな自然主義、印象派だけを陳列したものではなく、きちんと新古典主義とアカデミーを持ってきてその比較を行ったことだ。それもアカデミーの画家たちを年代ごとに世代分けし、新古典主義から、それよりはさらに甘美な性質のいわゆる「フランス・アカデミスム」に移り変わっていたことや、アカデミスムでもロマン主義や自然主義が次第に受容されていったことの流れが説明されていた。そもそも印象派によって影の薄い時代で、日本人にとってはとっつきにくい話題ではあるので、鑑賞者にどの程度理解されたかは測りかねるものの、説明自体は悪くなかったように思うし、持ってこられた作品の質も、《ヴィーナスの誕生》はどうせなら本物持って来いよと思った以外は比較的良質であった。


気になった作品としていくつか。ドラロッシュの《クロムウェルとチャールズ1世》。知っている人は知っているそこそこ有名な作品。斬首されたチャールズ1世は、頭と身体がバラバラなまま棺に納められている。本作品でもよく見ると首と胴体にスキマがあり、血がしたたったまま凝固している。棺を開けているのが斬首した張本人、クロムウェルである。イギリスが共和制になった唯一の15年間を牛耳った男。彼は棺を開け、何を思うのか。優越感か、それとも600年続いたイギリス王朝を終わらせたことへの重みを感じているのか。様々な想像がつくその表情は極めて巧みである。歴史的に見れば、この後すぐイギリスは王室を復活させそのまま現代に至る。一方でフランスはナポレオンの退位後ブルボン朝が一時的に復活したものの再び革命で倒れ、七月王政と第二帝政を経て共和制となり現代まで続く。現代人から見ると対照的な歴史的経緯を持つ両国だが、本作品が描かれた1831年当時はやっと七月革命でブルボン朝が倒れ、七月王政が始まったばかりであったから、この先再び王政が続いていくという未来もまだ予想されえた時代であった。実際、カタログを読むと、クロムウェルとナポレオンは19世紀の間に長らく類比されてきたようだ。

カバネルの《ヴィーナスの誕生》……の模写。改めて見ても、この作品はエロすぎると思う。これで官能性と芸術性は別物とか言われても説得力がかけらもない。まあ、そもそもその二点を分けて考えること自体おかしいと思う、というのが私の立場ではあるのだけれど。しかし、やはりどうせなら本物が見たかった。どうせ人気ないから値段も下がっているだろうとは思うんだが、伝手がなかったか、それとも再評価の流れで保険料が高騰したか。

ジャン=ジャック・エンネルの《牧歌》。

カロリュス=デュランの《ヘベ》。見所はアバラ骨。カロリュス=デュランは割と有名人で、ロマン派かフランス・アカデミスムに分類される、この時代にしては随分と古い絵を描いていた人物である(本作品は1874年)。ただし本人は交友関係の広い人物で、ラファエロ・コランや印象派の面々とも親交があったようだ。

ラファエロ・コランの《フロレアル(花月)》。近年黒田清輝の師匠として急激に知名度が上がったイメージのあるラファエロ・コランの代表作。正直黒田のほうがうまく見えるのは日本人の美意識ゆえなのか。

ジャン=ポール・ローランスの《ラングドックの扇動者》。最後の歴史画家、と言われる。本作品は1887年の制作で、光のとり方や筆致の残し方などからロマン主義的と言えなくも無いが、それでもやはり大分古い。なお、ジャン=ポール・ローランスはラファエロ・コランに次いで日本人画家を弟子にとった人物でもある。なお、本作品は13世紀のアルビジョワ十字軍における残虐な異端審問を題材にとったもので、画家自身強烈な共和主義者、自由主義者であったから、大きく政治的意図を持った作品とも言える。なお、フランスで政教分離が確定したのは1905年のことである。

ポール=フランソワ・カンサックの《青春の泉》。全然知らない画家だが、1889年の作品にしては随分とかっちかちのアカデミスムな絵で、女性が官能的なのはいいとしても背景までしっかり描かれていてやや驚いた。題材はアーサー王物語の場面らしいのだがマイナーである。


以下、暇な人向け。
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