2009年10月30日

うみねこの鳴く頃に 推理というよりは整理

以下、『うみねこ』ネタバレOKな方、追ってないけど何かしら情報を仕入れておきたい方はどうぞ。

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うみねこの鳴く頃に EP4 Allience of the golden witch レビュー

今回も、まあおもしろかったと判じても良いだろう。EP3ほどの疾走感が無かったのは、前半の12年後の話をうだうだとやりすぎたせいだ。正直に言って、EP3で魔法の正体が完全に暴かれている以上、もう一度その話を蒸し返してもおもしろいところはない。あのパートで重要なことは、

・12年後の世界がどうなっているのかということの本格的な展開
・エンジェのスタンス
・ローザとマリアの本質的な関係

この程度であり、あの半分の容量でまとめることは可能であった。「話のつまらなさを竜騎士の文章で無理にテンション上げた感じ」というレビューがあったが、同感である。ついでにどうでも良いことを言うと、自分はけっこうローザに同情的である。体罰や玩具損壊については擁護しようがないものの……マリアの聞き分けの無さも異常な領域。また、再婚や会社の経営に関係があったとするなら、旅行による長期の不在はそうそう責められない。ローザ自身が男性に対し疑心暗鬼過ぎるところもあるが、それも右代宮の実家での教育や1986年の社会の視線というものを考えれば、妙に納得しうるところである。1986年というのが妙にリアルな年代設定で、シングルマザーに対する視線の厳しさは想像されうる。「男遊び」と言われても仕方がないことだろう。少なくとも、本当にマリアをほっぱらかして「男遊び」のために札幌まで蟹食いに行った、という解釈は、自分にはできない。EP2,3の奮闘も考慮に入れれば、尚更である。


後半、本格的に1986年の六軒島連続怪死事件に入ってからはEP3並の出来だったと言える。ただし、難易度に関してはEP1-3に比べて格段に下がる。というのも様々な説明がひどく懇切丁寧だったからで、よほどEP2の不評がこたえたのだろうか、と邪推したくなる。むしろ説明がくどすぎて減点せざるをえないくらい。バトラアホの子がすぎる。

EP4はさしずめ、前半は『ひぐらし』の暇つぶし、後半は祟殺し編だったと言う事もできるだろう。両方を無理やりやった挙句、エンジェをうまく立ち回らせようとした結果、おかしな詰め込み方をせざるを得なくなったのではないだろうか、と推測できる。EPを区切るべきだったのだろうが、『うみねこ』をEP8で終わらせようと考えた結果、もうEPが足りないことが判明したのではないだろうか。返す返すもEP2の無駄遣いが惜しまれる。

さて、これで宣言通り卒論提出完了までエロゲ・ギャルゲの類は封印する。というよりも、戦略SLGも含めてゲーム類は1月上旬までプレイしない。しかし、冬コミにはしっかり参加するので、年明け最初のゲームはEP5,6ということになるのではないだろうか。せいぜい、推理でもしながらそれを待つこととしよう。EP1には点をつけてEP2,3の記事ではつけてなかったが、出題編が終わったのでまとめてつけることにする。EP1が80点、EP2が60点、EP3が85点、EP4が75点で、出題編は75点前後としておく。『ひぐらし』には及ばないが、まあ追いかける価値はあるだろう。



続きにあった推理っぽいものは、後で自分で見直すことを考えて別記事に切り離した。読みたい方はそちらへ。  
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2009年10月29日

第147回『ローマ亡き後の地中海世界(上)』塩野七生著、新潮社

タイトルの通り、ローマ帝国の崩壊後、『ローマ人の物語』で取り扱わなかった時代における地中海世界について描いている。上巻では、イスラーム教の誕生からおおよそ1291年のアッコン陥落、十字軍の終結までを扱っている。下巻の冒頭はコンスタンティノープル陥落から始まるが、これはイスラーム圏の側がモンゴル襲来でそれどころではなく、ヨーロッパの側は逆に着々とルネサンスの準備を始めていた期間で、オスマン帝国の誕生まで特に書くことがなかったためではないかと思われる。

中世前半の地中海の主役と言えばイスラーム教徒の海賊だが、それについては本書の前半半分を使って存分に語ってある。陸ではゲルマン民族やらフン族やらで、北海ではノルマン人で、地中海ではこれなんだから、中世の前半はたまったもんじゃない。無理に現代を投影した読み方をする必要は無いものの、安全保障について何かしら考えさせられるところが各々あるのではないだろうか。

書かないはずが無いとは思っていたが、きちんとイスラーム支配〜ノルマン朝時代のシチリア島について多くのページが割かれていたのは嬉しいことである。現実的な思考と寛容の精神があれば、人間は案外と思想を超えて共生できるものなのだ。それはまた、各陣営の力関係が拮抗しているという条件も必要ではあるのだが。皮肉にも、シチリア発展の貢献もあって優性となったキリスト教の側が、その均衡を破ってしまった。12世紀のルネサンスはシチリア島のパレルモから始まったのに、本格的なルネサンスの到来は北イタリアであるという点に、歴史のおもしろみを感じざるをえない。

本書の後半は11世紀以降、陸での十字軍やレコンキスタの開始とともに、地中海においてもイタリア諸都市の反攻が始まっていった様子について書かれている。しかし、単に反攻が始まっただけではなく、北アフリカとイタリアの交易が同時に進展していたというのがおもしろい。これはつまり西欧全体で商工業が復活し、その物資がイタリアに流れ込んだことと、北アフリカのベルベル人の王朝がサハラ以南を征服し、ヨーロッパ商品輸入の糧としてのサハラ産の黄金を獲得したというところが大きい。単なる歴史的な経緯を追うだけではなく、そこら辺のことについても詳述されている。

最後に、現代ならばさしずめNPOにあたるような、宗教系の慈善団体の設立についても書かれている。歴史的にはあまり大きな出来事ではないものの、当時の社会情勢をミクロな視点で考えるにはなかなか興味深い部分であった。


イスラーム教徒による海賊行為はイタリア諸都市の反攻と商業の発展によりやや衰えはしたものの、終わったわけではない。19世紀が舞台の『モンテ・クリスト伯』でさえそのような描写があるように、地中海沿岸は常に危険にさらされていた。では、ルネサンス期以後の海賊はどう活動したのか、ということについては、下巻に譲られている。ただし、下巻の内容は基本的に地中海が世界の中心から外れていく歴史ではあるので、上巻のほうがおもしろく読めることだろう。


ローマ亡き後の地中海世界(上)ローマ亡き後の地中海世界(上)
著者:塩野七生
販売元:新潮社
発売日:2008-12-20
おすすめ度:4.5
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2009年10月28日

非ニコマス動画紹介(〜2009年9月まで)

なんとなく、ニコマス紹介よりも受けが良いような気がする。




澪の中の人(日笠陽子)が同人で歌った曲がとてもガンダムのOPっぽいということから作られたMAD。元がJUST COMMUNICATIONであることを忘れそうな出来。えぴおん!のタグが秀逸。ついでに言えば、こんな画像もある。(要pixiv会員)







ニコマス厨的に言わさせてもらえば、このMAD作ったのが七夕Pというのが最大の驚きである。あんた、ニコマスの作風と全然違うじゃないですかw。とりあえず、ニコマス保管庫のほうにも保管しておく。




これは知らなかった。「話が渋滞する」で腹筋が崩壊した。峰竜太クオリティ高いじゃないか。




Unlucky Morpheus、通称「あんきも」というサークルさんの曲。一瞬で好きになった。これはクサいと思ったら、LIGHTBRINGERというメロスピ系のバンドを組んでる本職の方々でした。komeも言ってたが、最近プロの犯行だらけになってきたなぁ、絵も音楽も。別の曲で、上海紅茶館のアレンジにDRAGONFORCEって曲があって吹いた。さらに、虎にCD買いに行ったらアルバム"Jealousy"のジャケ写がX-JAPANすぎてもう一回吹いた。その収録曲の一つがこれだったわけですが、



タイトル自重しろ。曲調も自重しろw。なんというか、自分がX好きなのは兄貴のせいだが、この頃からメロスピ好きだったんだなぁと。まあ、Xをメロスピ扱いすると怒り出しそうな人が軽く100万人くらいいそうですが。いやでも、間違いなくメロディックでスピーディでしょ。




プロ実況はおもしろい。最初はスクイズのあれだったが、細々とMADは作られていると思う。




究極のシュール動画。大好き。場面がわかっちゃうのがすごい。




喘息悪化するからやめてくださいw。一世を風靡した東方充電娘シリーズよりパチェ。しかし、何度も聞いてると意外と良い歌だ。





俺の顔面がやばい。DanceMixerは新しい風を3DMAD業界に吹き込んだと思う。動きの滑らかさは、(物理演算を施していない)MMDよりも上で、造形もかわいい。自由度も高く、服装も相当作りこめる。しかし、デフォルトではダンスのバリエーションが少なく、実際何個かD-MMADを見ると振り付けが目に付いて飽きる。アイマスでさえ、L4U発売前は似たようなことが言われていた。そこが今後の問題となってくるだろう。3DMADの革命児になれるかどうか、注目である。その前に、ボーカロイドほど売れてないので、次が発売されるかが不安だけど。

ちなみに、これを作ったのもアイマスPのおきな。Pである。ニコマスがどんどん外に向いてるのはいいことだと思う。修正版は、咲夜さんの三つ編が実装。やはりこちらのほうが良い。


それでは、また三週間後くらいに。
  
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2009年10月27日

売り文句で大きく減点せざるをえない

西美の古代ローマ展に行ってきた。古代ローマ、とりわけポンペイの遺跡関連の展示は2、3年に一回はあって、そんなに物珍しくもなかったが、今回はポンペイが灰に埋まるよりも少し前の時代、アウグストゥスの治世に焦点が当てられており、キャプションも帝政ローマ時代のローマ市民がいかに豊かな生活を送っていたかについての説明が多かったので、その点では十分におもしろかった。帝政ローマに関する偏見がより取り払われることを願う。

展示品自体は前述の通りで、もはや見慣れた感すらある大理石の彫像と、ポンペイから出土されたものを中心に古代ローマで使用されていた銀器や家具の類である。まあ、見慣れたと言いつつもやはり巨大な大理石の像というのは圧巻で、なかなかに見ごたえがあった。全部で120点ほどで、かなりゆったり見たがおおよそ1時間半で見終わった。土日であったせいもあって、まあまあの混み具合であったと思う。

展示方法に関して一つだけ、金貨や銀貨の展示にだけは文句がある。あれらというのは表面の刻印の細かさがポイントなのだから、顕微鏡とともに展示するべきであった。あれではキャプションに「アウグストゥスのアウレウス金貨」と書かれても何がなんだかわかるはずがない。

一番おもしろかったのは展示そのものではなく、よくある映像物で、大概はスルーするんだが、今回はきっちり作ってありそうだったので見ていったら大当たりだった。3Dでポンペイの「黄金の腕輪の家」を再現した映像であったが、HPを見てもらえばわかる通り、3Dがんばりすぎ。HPのミニ映像では相当画質が落ちていて全く別物なので、ぜひ会場で見て欲しい。誰だよこんなの作ったの……と思ってエンドロールを見ていたら「制作:東京新聞」と書いてあった。ということは二次発注なわけで(新聞社にあんなの作れる職人がいるわけがない)、むしろその下請けの会社の名前出せよと思った。というか、画像データ提供:東京大学とあるわけですが、この画像提供ってどの程度のレベルの話なんだろう。本当に単なる壁画の画像データなのか、それとも、きっちり3Dに組んだものなのか。それによって貢献度が全然違うわなぁ。


ところで、西美の企画展の説明にある「最も幸福で繁栄した時代」はギボンの『ローマ帝国衰亡史』からの引用だと思うのだが、ギボンは五賢帝の時代を指してこの有名な言葉を残したわけで、アウグストゥスの時代ではない。より正確にギボンの言葉を表記すれば「世界史にあって、最も人類が幸福であり、また繁栄した時期は、五賢帝の時代」と書いている(原文では、If a man were called to fix the period in the history of the world, during which the condition of the human race was most happy and prosperous, he would, without hesitation, name that which elapsed from the death of Domitian to the accession of Commodus. )。西美ともあろうものがいい加減なことを言ってはいけない。ちなみに、その『ローマ帝国衰亡史』は最近新しい解説書が出ていたようで、西美の売店で販売していた。なんとも言えなくなる話である。

  
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2009年10月23日

うみねこの鳴く頃に EP3 Banquet of the golden witch レビュー

なるほど、EP2から評価が回復するというものだ。しかし、それはEP3そのものがおもしろかったから、というわけではない。EP3にて、ようやくこのゲームの楽しみ方というものを提示してきたからだ。だが、それがこのタイミングで正解だったのかは疑問が残る。EP2のラストか、できればEP2の中盤がベストのタイミングだったのではないか。EP2があの出来じゃ、アンチを大幅に増やしただけだろう。

一度だけ、某友人(DiL)に、私は本格ミステリーは読まない、それはなぜか、ということについて話したことがあるが、まさにうみねこEP3はその点を突いたと言える。名作といわれて、中高の頃にいくつか読んだミステリ小説もあるが、何読んでも「いや……それは証拠の後出しってやつなんじゃ」「で、その証拠は信用できるのか?」「その推理はねーよ……詭弁じゃないの。しかも犯人納得すんの?ないわ」以外の結論が、自分の中では出なかった。つい最近まで"後期クイーン問題"なんて言葉は知らなかったんだが、これで溜飲が下がった。これだけでも、EP3をやった価値があった。

2chやミステリ好きからは、EP3以後に発覚してからさらに竜騎士叩きが激化していたようで、それは悪魔の証明の使い方だとか、竜騎士本人の詭弁の弄し方に由来するものであるが、くだらないことである。平たく言えば、私は本格ミステリーが後期クイーン問題を解決する日は、本質的に永久にありえないと思っている。少なくとも私は「作家は"後期クイーン問題"について意識していない、よって問題にならない」なんて逃げ道は認めないし、「探偵はメタ世界的に作者から正解や証拠を示されている」という抜け道は実質的に『うみねこ』の赤字システムと同レベルだし、「真相を論理によって到達するものと考えない」ってそりゃ別のジャンルだろう、もはや。


ただし、じゃあ竜騎士に全面賛同しているかというとそうではなくて、いまだに不信感がぬぐえないのも確かである。たとえば、『ひぐらし』は謎の奇病ことノドカキムシールは納得できた。komeも言っていたが現実にトキソプラズマなんて存在するわけで、謎の病原体なりに説明はされていたように思う。いや、あれも生物学上医学上十分にありえないんだけど。しかし、どうせ未知の奇病なんだから、「現代医学では解明不可能という設定」で押し切れなくも無い範囲だった。実際、祟殺し編あたりでこの結論にたどり着いてた人はけっこういた。

だが、羽生の存在とあの足音だけはいまだに全く納得していない。「羽生は非科学的存在だけど物理的に検知は可能」という設定だったら、ノドカキムシールと同様の扱いができた。しかし、彼女は完全にその存在が確認できない存在であった、にもかかわらずその「足音」は出題編において非常に大きな要素であった。あれは作品ぶち壊したなーと思う。(ついでに言えば、山狗(笑)と東京(笑)にも当然納得がいっていないが、これらは『ひぐらし』の推理パートとは直接関係がないという点で看過はできる。)

で、今回もどうやらノドカキムシール程度にとどまらず、「羽生」的存在が出現してしまう可能性は否定しきれておらず、「アンチミステリVSアンチファンタジーの予定でしたが引き分けでござるの巻」とか煙に巻いた終わり方をされることも想定されうるわけである。というか、EP3が終わった直後の最大の疑念がこれで、とりあえずベアトは存在しちゃってるだろうどうにも。今から詭弁重ねた程度で否定できるもんなの?詭弁重ねた程度、というのもすごい言葉だけど。EP2のレビューのほうに「もはや『うみねこ』には東京(笑)以上のオチは期待していない」と書いたのは、そういう理由である。


とりあえず、EP4までやったら一旦エロゲ打ち止めで。二度目の卒論(笑)を提出するまでは復帰しません。

  
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2009年10月22日

良いもんもってやがる

動植綵絵「老松白鳳図」諏訪から帰ってきた翌日、東博の皇室の名宝展に行ってきた。作品数は一応80作品ということになってはいるが、動植綵絵30幅が1作品扱いというようにしばしば複数幅で1作品という扱いになっているため、実質的には120作品を超えており、じっくり見ると脱出までに4時間弱はかかるだろう。日本美術に限れば、質量ともに今年最高の企画展だったといえよう。

特に、全国の伊藤若冲ファンの皆様方、お待たせいたしましたと言わんばかりの《動植綵絵30幅》が、やはり最も威容を誇っていた。絹本着色であることを生かして、反則技ともいえる裏彩色が施されており、それがキラキラに輝いている理由であるということが、最近の修復で発覚した。画集や画像ではよくわからないが、実物は本当に「何これ?オーラ?」と感じるような輝きを放っている。また、顔料のほかに染料を用いるなど、美しく見せるならなんでもやったという姿勢が垣間見える。さすがは研究者をして「絵画キチガイ」と称されるだけのことはある。ただ、同行のkomeも言っていたが、梅の描き方だけはやや稚拙に見えた。若冲の雰囲気というものがない。30幅全部好きだが、1つ選ぶとしたら《老松白鳳図》を選ぶ。

それ以外の作品についても絢爛豪華で、江戸前期では海北友松の《浜松図屏風》、狩野永徳の《四季花鳥図屏風》《唐獅子図屏風》、岩佐又兵衛など。江戸後期では若冲のほかに円山応挙、長澤芦雪、呉春、谷文晁など。酒井抱一の《花鳥十二ヶ月図》12幅も、なかなか圧巻であった。前近代パートに関しては、端から端まで神作品しか存在しなかったと言っても過言ではない。なお、これらのものの多くは最初から皇室に謙譲されたものではなく、他家から天皇家に伝わったものである。たとえば、《動植綵絵》は当初、若冲から相国寺へ寄進されたものである。

逆に近代以降のものは明治政府が直接買い上げたものや、新宮殿の装飾として描かれたものが多い。荒木寛畝、横山大観、川端玉章、橋本雅邦、下村観山、河合玉堂、富岡鉄斎、鏑木清方、そして最後に上村松園とこちらもそうそうたるメンバーであるが、私としては前近代に比べてやや落ちたような気はする。特に良かったと思うものをピックアップしていくと、まず横山大観の《朝陽霊峰》。金箔、金粉、墨を大胆に用いた大作である。朝陽は天皇、富士山は国土、松林は国民を示すとのこと。荒木寛畝の《孔雀の図》、あとは川端玉章の《四時ノ名勝》を挙げておく。

あとは近代工芸であるが、こちらも高レベルでまとまっていた。この点においても、本展覧会は優れていた。陶磁器や漆器に関しては言わずもがなだが、特に数々の七宝焼は優品が多く、真っ黒な壺には驚かされた。地じゃなくて釉というのが信じられない。藍色の釉も他の陶磁器にはあまり見られないもので良い。七宝焼は意外と見る機会がないので嬉しかった。あと、ばかでかい(縦:3m強、横:6m強)のタペストリーが展示されており、これがまたとんでもなく装飾が細かく、しかも新品同様の保存状態で度肝を抜かれた。


常設展示では、国宝室が毎年恒例の観楓図屏風。何度見ても名作である。ほかには屏風コーナーに特別展と連動して岩佐又兵衛の《故事人物図屏風》、円山応挙の《秋冬山水図屏風》が置いてあった。逆に江戸後期作品のコーナーでは、特別展が十分に豪華だったせいかあまり見るところがなかった。蕪村のでっかい屏風が置いてあるのみである。一階の「歴史を伝える」コーナーも特別展との連動で皇室と戦前の東博の関連を示す史料が置かれていたが、目を引いたのは昭和15年に開催された正倉院展を観覧するために並ぶ人間の行列を描いた巻物があって、上野公園を行列が埋め尽くしていたのも驚きだが、現代の上野公園と比較するに西美と上野の森美術館が増えたくらいで、あとはあまり変わってないということに驚いた。そうか、科博も戦前の建物なんだよなぁ。
  
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2009年10月21日

諏訪旅行記 二日目

二日目は初日と打って変わって東方厨全開モードで、諏訪大社四社を全て周ってきた。下社は下諏訪の駅から近く、そもそも下諏訪に宿をとっていたこともあって、すんなりと到達した。下社秋宮のお手水が二つあって、なんだこれと思いひしゃくですくってみたら見事に湯気が立っていた。……いや、温泉だとお清めにならないんじゃ(もう片方は普通の冷水でした、念のため)。

言うまでもないことだが、四つの社とも絵馬は汚染されきっており、秋宮の時点で相当ひどかった。たとえばこんなん。

下社秋宮痛絵馬




















んなもん俺だって欲しいわ。秋宮を離れて春宮に向かう途中、そういえば朝飯を食ってないことに気付き、どうするかということで途中林檎が売ってたので、買って丸々かぶりつくことにした。そういえば林檎とか葡萄も産地だよねこの辺。そんなややワイルドな朝飯を食いつつ、春宮到着。こちらは来年の御柱祭に備えて大規模な改修工事中でほとんど見れず、残念な結果に終わった。秋宮も工事中ではあったのだが、まだ見れた。言うまでもないことですが、こちらの絵馬も(ry

上諏訪に戻り、またしても自転車をレンタルし、上社へ。komeが途中で突然「道に迷った」とか言いつつも1時間弱程度で本宮に到着。バスにしておいても良かったのだが、2時間に一本しか存在せず、今日の夕方までに東京の下宿に戻る必要があったため面倒と判断に自転車にしたのだが、アップダウンが激しくけっこう辛かった。よく考えたら、山に登っていくのだから辛くて当然ではある。しかし、せっかくこれだけの観光資源なのだからバスが2時間に一本というのはもったいないと思うのだが……

この日も天気が非常によく、その点では見事なサイクリング日和で、諏訪湖からなんと富士山が見えた。(※ 巨大な画像注意)まあこれが写せただけ、自転車をこいだかいがあった。本宮に到着すると、神前結婚式が行われており、本物の巫女さんだヒャッハーなどという感情は消えうせて普通に新郎新婦の幸せを願ってきた。なお、言うまでも無く絵馬は(ry。そしてこちらにもお手水が二箇所あり、片方は温泉だった。口をゆすいでみたらすごく硫黄の香りが。

そこから自転車でさらに10分ほどこぎ、前宮へ。本宮が結婚式もあってにぎわっていたのに比べ、こちらは閑散としていた。確かに交通手段は乏しいし、正直何も無い場所であった。ただ、四箇所制覇したという達成感だけはあった。どうせなら洩矢神社まで行ければパーフェクトだったんだが、そこまで行くにはレンタサイクルではなくレンタカーが必要だということで、次回以降の反省ということであきらめることにした。ついでに言えば、住吉大社には行ったことがあるが、あとは出雲大社と鹿島神宮に行けば国津神的には制覇かなーとか考えていたりする。

前宮から下山途中、喫茶店があり、休んでもいいかなと思いそちらへ首をかしげたら、看板になにやら不穏な文字を発見したので近寄っていて見ると


ゆっくりしていってね











地元住民自重。あと、当然のようにここにも絵馬があったわけだがさすがに少なく、それを見越してか「こんなところまで東方厨乙」や「四ヶ所制覇!」といったことが書かれたものが多かった。やはりここまで来るような奴は筋金が入っている。ということは、洩矢神社の絵馬はもっと共感あふれるものになっているんだろうな、と思うだけにやはり今回到達できなかったのは残念である。

さらにそこから自転車で少しこいで、神長官史料館&ミシャクジ様を祀った神社に到着した。なお、その隣には存命実在の人物守矢早苗さんのご実家が存在し、神主よいくらなんでも元ネタギリギリすぎるぞと思いつつ参拝した。ちなみに、守矢早苗さんは昭和20年生まれ、2006年末まで東京都江戸川区で教職にあり、校長先生をやっていらっしゃったそうだ。ご実家の写真も撮ってきたのだが、さすがにネット上にさらすのはまずいだろうと思ったら、全然そんなことはないようで、ネット上には早苗さんご本人に許可を得てブログにアップしている人はいっぱいいた。運が良ければ、早苗さんご本人からいろいろ話が聞けるようで。迷惑してなければいいんだけど、とは思っていたけど、向こうからしてみると「最近諏訪神話に興味持つ人が増えたなぁ」くらいの印象なんだろうか。というか、我々も全く人のことが言えないとはいえ、東方厨アクティブすぎるだろ……


そして本宮まで戻ってきて、そこでまた足湯に入り、またしても必死に自転車をこぎ、上諏訪駅まで戻ってきて自転車を返却した。帰りは下りが多かったのと、さすがに道に迷わなかったので、40分くらいで着いた。そこからF91あずさに乗って東京に帰り、東京で友達をもう一人呼んで三人で飲み、解散。komeは私の下宿に泊まり、翌日東博の「皇室の名宝」展を見て帰っていった。
  
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2009年10月20日

諏訪旅行記 一日目

ある日突然komeの人に「こんなイベントがあるので、諏訪で日本酒 飲 ま な い か 」とか言われたので、ホイホイついていってしまった。おまけにデジカメ@28kまで新規購入してしまうほどの浮かれっぷりで、結局そのテンションの高さのまま二日間通したのだからどうしようもない。


10月10日、午前10時頃のJPYあずさに乗って新宿から上諏訪へ。名古屋から乗ってきたkomeと上諏訪駅のホームで合流。特に待ち合わせ場所は決めてなかったが、上諏訪駅のホームにある足湯(なんと、ホーム内に足湯があるのだ!)の前で、そういえばkomeが前に諏訪に行ったときにあるとか言ってたなーと突っ立っていたら、komeがいた。お互いの行動が筒抜けすぎてちょっと怖い。

 足湯






こんな感じ。これは良いサービス。とりあえずお互い特急お疲れ様ということで、10分ほど足湯につかりながらここ最近の近況なんぞを語り合い、すっかり足が軽くなったところで改札を出て、昼飯を食う。信州蕎麦と味噌天丼のセット。知らなかったんだが、小海老の載った味噌天丼も諏訪名物だったらしい。この先いたるところで見かけることになった。昼飯を食べながら、今日はどうするかを話し合う。一応、例のイベントは13時から19時までぶっ続けでやってるのでもう始まっていたが、昼間っから酒飲んでもねぇ……ということで、諏訪子……もとい諏訪湖観光をすることにした。

駅前の貸し自転車を3時間で借り、出発。台風18号の直後だったこともあり綺麗な快晴で、風もよく吹き、適度な気温で非常に良いサイクリング日和だった。おおよそ16kmあるとされる諏訪湖を一周するとちょうどいいくらいの時間になりそうだ、ということで、湖畔沿いの道をぐるっと一周、途中変なオブジェや綺麗な風景を見つけるたびに立ち止まって写真を撮りつつ、のんびりと自転車をこいできた。注目すべきところと言えば、諏訪湖の周囲にも足湯は存在し、一周する間にもう2回足湯に入るという温泉好きっぷりを発揮してきた。なお、諏訪における温泉は水道水よりも安いらしく、いたるところで源泉が垂れ流されていた。僕らが泊まった宿も4k弱の超安宿だが、それでも源泉56度垂れ流しだった。むしろ熱くて入れない。

諏訪湖と言えば天竜川の水源で、これも写真に収めてきたのだが……汚い。水は綺麗に使いましょう。あと気になったところと言えば、諏訪湖は諏訪市、下諏訪町、岡谷市という三つの行政区分に囲まれているのだが、それぞれの境がくっきりしているのがおもしろい。特に、岡谷市は見事になんもない。同じ田舎でも諏訪市や下諏訪町は看板が綺麗だったり、過疎ながら人は住んでそうな町だったが、諏訪湖沿岸部の岡谷市は本当に荒地が多く、看板もあからさまに放置して十数年、行政がんばれよ行政と言いたくなるような状況だった。にもかかわらず、謎のオブジェが多かったのも岡谷市で、どうも税金の使い方を間違えてるような。


午後4時半頃、そろそろ良いだろうということで、やや時間が余ってたけども自転車を返却し、酒蔵ゾーンへ。2千円払ってお猪口を購入。このお猪口が参加者の証となる。しかし、2千円は安い。酒蔵5つではそれぞれで純米大吟醸がタダで振舞われていた他、豚汁やきのこが大量に入った味噌汁、漬物等までも振舞われており、酒のみならず腹までいっぱいになった。さすがに鹿肉の串焼きは有料だったが。聞けば、去年までは千五百円で、さらにそれ以前は千円だったらしい。そりゃ値上げすべきだよ。これからも口コミで評判は広まるだろうし。我々がミスったのは、もっと早い時間に行けばさらにいろいろ無料で配られていたらしいというのを後から知ったこと。自転車で諏訪湖周ってる場合じゃなかった。

個人的に、というよりもkomeと二人で最大のヒット作だったのは、酒蔵「横笛」の梅酒っぽい何か。通常梅酒というものは焼酎に梅と砂糖をつけて作るものだが、さすがは日本酒の酒蔵、そこを焼酎ではなく日本酒で作ってしまったのが、この横笛の梅酒らしい。味はどうかというと、確かに梅酒なのだが、本物の梅酒よりもべたつきが少なく非常にキレがあり、とんでもなく飲みやすく、それでいて確かに日本酒、米の風味がする。

結局二人あわせて1升近く飲んだと思われ、さすがに足もふらふらになり、komeにいたっては女性(26歳)に声をかけるという珍事件まで起こし(何年齢聞きだしてんのお前w)、そろそろ帰るかということで、下諏訪にとった宿に向かい、心臓麻痺の恐怖と戦いながら温泉(56度)につかる。寝ながらぼやーっと見ていた諏訪市のケーブルテレビが「諏訪市の医療費が……」とすごく真っ当にジャーナリズムしていてびびった。某ティーズも負けてられないぞ、とかぼやきながら就寝。
  
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2009年10月19日

うみねこの鳴く頃に EP2 Turn of the golden witch レビュー

発売当時、大変評判の悪かったうみねこEP2だが、EP3で盛り返し、順調にEP5が発売され、ひぐらしほどの評判や盛り上がりにはならないものの、アニメ化してそこそこ話題にもなり、同人界隈でも二次創作をみかけるようになった。ゆえに、やるならこのタイミングしかないかなと思った次第。

評判の悪かった理由は大いに理解できた。「この連続殺人事件は人間による犯行か、それとも魔女による超常現象か」をテーマに掲げているのに、突然魔法バトルが始まるし、完全密室はどんどん出てくるし、おまけに魔女ベアトリーチェ本人がゲーム中に顕現するし。やりたい放題ってレベルじゃねーぞ。後追い組からしてみると、ぶっちゃけて言えば嘉音ブレード(笑)くらい風の噂で聞いてたので驚きもしなかったが、そりゃひぐらしのリベンジだと思って再び真っ当に推理してた人たちはぶちぎれるだろう。

ただし、「魔女の語る言葉のうち、赤字は真理」という、通称赤字システムに関しては評価できる。なぜなら前作『ひぐらし』から考えるに、登場人物が多分に嘘を言っていたり、ゲーム中での出来事が実は登場人物たちの妄想だったりということは、この『うみねこ』でも大いに行われているということは、『うみねこ』EP1をプレイした人間なら誰だって想像がつく。ましてや「No Nox.No Van dine」を宣言しているゲームなのだから、そこは真っ先に疑うべきポイントになってくるだろう。

そこでこの赤字システムである。たとえば、赤字で「この部屋は完全密室で隠し扉等は一切存在しない」と宣言してくれれば、我々プレイヤーは一々ゲーム中の言葉尻を疑うという七面倒な作業はしなくて済む。これは『ひぐらし』の不満点をうまく処理できた画期的なシステムといえるだろう。もっとも、この赤字システムもEP2ですでに自縄自縛になりつつあるところがあって、「妾の力をもってすればどのような密室も生み出せる」はアウトだろう。それは、超常現象が実在していることを証言しているに近いのでは……竜ちゃん及びベアト様には、もう少し慎重なシステムの運用を期待します。


まあ、うみねこが「東京」(笑)になるか、それ以下のオチになるかは、完結してみないとわからないと思う。まあ、当面は付き合ってみます。「東京」以上に納得できるオチはすでに期待してもないが。EP3のレビューも今やってるので、すぐに書けると思う。密度が濃くて短いのは、時間がない身にとってはありがたい。あと、なんだかんだ言って盛り上げ上手なのは認めざるを得ないところかな、と。
  
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2009年10月18日

「回ってみた」を見に行ってきた

10/17(土)、藤山晃太郎氏が上野公園でヘブンアーティストとして出演するということで、デジカメをひっさげて見に行ってきた。諏訪旅行記よりも先に書いてしまうことになるが、タイミング的にこちらを先に書いたほうがいいだろう。藤山氏についてはHPを見ていただいてもいいが、この動画を張ったほうがわかりやすいだろう。




画像が大きいので、隠す。


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2009年10月17日

第146回『『こころ』は本当に名作か』小谷野敦著、新潮新書

美術史学や芸術学の世界では、「芸術的」という価値観は社会や当時の批評家の意識によって作られるものであって、所詮個人の感性の集合に過ぎないということは、近年の研究により認められているところである。にもかかわらず、文学の世界においてはいまだにカント的な感性の普遍性がまかり通り、なぜだか「文学性」と「おもしろさ」がいつまで経っても乖離しないという奇妙な状況が続いている。

これに疑問を感じ、特に夏目漱石やドストエフスキーをまったくおもしろいと思えない著者が、「おもしろさに普遍性はない」「おもしろいと感じるかどうかはその人の感性や人生経験に拠る」を掲げ、古典的名作と一般的に言われている小説に対し寸評を挙げていくのが本書である。批評というよりも著者の読書感想文に近く、好きか嫌いかは明確に書かれているものの、なぜ著者がそう思うのかはかかれていたり書かれていなかったりする。


私がこの新書を発見した瞬間読む義務があるように感じたのは、それはまさにこの著者のスタンスに同意したからであって、芸術作品といえども所詮は流行があったり政治的力学があったり、どこがおもしろいのかさっぱりわからない作品が混在しているという点では大衆娯楽となんら変わるところはない。ましてやおもしろいと感じるかどうかなんていうのはまさに個人個人によるのであって、その作品がわからないからといって即断して「(その人の)感性は鈍い」などという判断を下してはならない。(まあ、実際のところ感性の鋭さにも個人差はあると思うが。私なんかは、自分自身の感性はあまり信用していない。)

著者は「作家に関するゴシップ」や「その作品が書かれた時代背景」もまた作品のおもしろさとは切り離せない要素であるということも主張していて、これもまた私も同意できる。「樋口一葉は美人薄命だから売れた」というのはすごく同感であって、こうしたゴシップはいやがおうにも作品を盛り上げるだろう。文学研究としてのテキスト論は有効かもしれないが、あれは小説の楽しみ方としては下策である。

もう一つ、本書を読もうと思った強い動機として、スタンスは完全に共感するくせに、趣味が正反対だからだ。私は『こころ』を評価しているし、ドストエフスキーにいたっては『カラマーゾフ』のおもしろさを超える古典文学は将来出会わないのではないかと思っているほど、好きである。まあ実際読んでみて、著者が嫌いな理由はおおよそ予想通りで納得の行くものではあったのだけど。(たとえば、ドストがわからない理由については、「あんなウルトラ・クリスチャンにはつきあってられない」のほぼ一点張り。)


本書で取り上げられている作品は、著者の好きなものではホメロスの『イーリアス』と『オデュッセイア』、シェイクスピア、ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』、メルヴィルの『白鯨』、ユゴーの『レ・ミゼラブル』、馬琴の『八犬伝』etc。嫌いなものでは夏目漱石とドストエフスキーのほかに森鴎外、トーマス・マン、ヘミングウェイ、フィッツジェラルド、ダンテ、永井荷風、三島由紀夫etc。

また、作品ごとに評価が異なる作家も多く、ゲーテに関しては若い頃の作品、特に『ウェルテル』は認めるが『ファウスト』や『ヴィルヘルムマイスター』はつまらない。トルストイも『復活』と『戦争と平和』は全然ダメだが、『アンナ・カレーニナ』と『クロイツェル・ソナタ』はおもしろかった。中国の大衆文学では、『水滸伝』はおもしろいが『三国志』はそこまで評価できない、というように評している。具体的にどう言っているかは、本書をお読みいただきたい。


ただし、本書はそのスタンスゆえに自縄自縛、ないしブーメランとなっているところがあって、個人ごとにおもしろさが違うなら、日本人必読という括りもまた不可能なわけであって、本書の目的は一応読書案内という形式をとっており実際そのような文体で書かれているのだが、全く意味がないのではないだろうかと思う。おまけに、量を紹介することに主眼がおかれているため、一作一作に割かれている文章量が少なく、実のところ結局著者がなぜおもしろい、おもしろくないと感じているのかよくわからない作家も多かった。この点は大いなる失敗点であろう。

だが、古典小説を読むことに人生の少なくない時間を費やしてしまっている人ならば、読んで損はない新書ではあると思う。


『こころ』は本当に名作か―正直者の名作案内 (新潮新書)『こころ』は本当に名作か―正直者の名作案内 (新潮新書)
著者:小谷野 敦
販売元:新潮社
発売日:2009-04
おすすめ度:3.5
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以下は、本書で取り上げられていた名作(?)のうち、私が読んだことあるもの、読もうとして放棄したものに関する雑感。基本的に著者とは意見が合わないので、合ってしまった数少ない作品は、比較的自信を持って勧められるのではないかと思う。

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2009年10月08日

最近の……もとい、四ヶ月くらい前のニコニコ

これも定期的に消化。基本的には非ニコマスで選出。私と同じくらいニコニコに張り付いている人や、私のマイリスを追ってくれている人には、今更な動画が多いかも。




やっぱ勇者フィフティーンでしょう。他にも神59歳を始めとして、まぶしい笑顔の40歳、太鼓の達人44歳、鬱っぽい46歳、やたら美声な49歳、何が日曜日なのかよくわからない78歳、どう聞いてもショッパイネーな87歳、どう見てもぼけてる97歳、そして元気な99歳とそのままお迎えが来たっぽい100歳の対比と、層が厚すぎて飽きない。素材が少なすぎてブームは一瞬にして去ったが、僕の心には何かが残った。あと、7歳かわいいです。




pya!住人には懐かしい動画。懐かしついでに拾ってきた。




チョロQワンダフォー思い出した。あのゲーム、ある機械とジェットタービンエンジンを両方チョロQに搭載して、時速300km以上で走るとタイムスリップするんだぜ……。チョロQシリーズはHG2までプレイして、HG二つがクソゲーすぎてやめたんだけど、ワンダフォーが最高傑作だったと思う。次点でコンバットチョロQ。




もういっちょ、人によっては死ぬほど懐かしい元ネタの動画。GAが一番輝いていた頃とも言う。東方のもジャッカルゥを見た瞬間にマイリスした。やっぱ超高速破壊拳大好きだわ。




名曲が台無しだよ!!!開始5秒で腹筋が崩壊し、1分を過ぎたあたりで無我の境地に入った。最初に「読経」タグ付けた奴は天才。






この人のシリーズはどれもおもしろいけど、特におもしろいのはこの3つ。ドとレとミの出ないのの、ストレス溜まることといったらこの上ない。




これも最近話題になっていた。奏者のノリが良くてすばらしい。そういえば、ハーモニカ吹いたことないかも。小学校で吹かなきゃ機会無いよなぁ。




これも超有名ですわな。ボカロや歌ってみたの食わず嫌いな人も一度聞いてみることを勧める。というよりも、自分自身ややその傾向があるが、これはそういうしがらみ抜きにすごい。男声パートでぞくっと来た、どんだけイケメンボイスだよ。女形の論理を考えるに、真にそれっぽいものというのは異性にしか表現できないのかもしれない。でも女声パートのほうが好きなのは、やはり自分が百合好きだからであろう。ちなみに、画像はpixivに落ちてる。magnetで検索するとひっかかるはず。




むぎゅうううううううううううう




最後に、涙腺結界動画。さすがはノヤさんだぜ。こういうのがあるから、ニコ東方も見捨てられないんだよなぁ。

  
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2009年10月06日

第145回『フリードリヒ 崇高のアリア』新保祐司著、角川学芸出版

フリードリヒというタイトルはついていて、表紙はちゃんとC.D.フリードリヒの絵は使っているが、美術史の本ではなく、あくまで文芸評論の本である。

それは知ってて買ったからいいのだが、どうやら私はとことん文芸評論と肌が合わないらしい。本書における最大の違和感は、一々フリードリヒの代表作の一つである《海辺の修道士》を挙げて、一々著者が「私は《海辺の修道士》を見てると、○○を思い出す」とつなげ、そこから別の作品の批評に映っていくことである。はっきりと言ってしまえば、フリードリヒの作品は確かに深遠ではあるが、その要点はすなわち典型的なロマン主義の一つであって、世の中の文学や音楽を探していけば共通するロマン主義を掲げた作品なんて、この著者に挙げられなくとも多数存在しているだろう。私は文学、音楽にそこまで通じていないので知らないけども。興味も無いし。

たとえば、《海辺の修道士》から著者が連想したAという作品とBという作品は、Aという作品からBという作品を連想することも可能であろう。そのくらい、《海辺の修道士》と挙げられている作品群の間には、文章中の言葉を借りるところの「やせていくロマン主義」という一点以外の関連性が薄い。挙げられている作品群の中にはもちろん私の読んだことがあるもの、聞いたことがある曲もあったが、だからどうしたというのだろう……という感想しか湧いてこなかった。帯には「すぐれた批評とは、これほどまでに未知の聴覚を拓いてくれるものなのか。」とあるが、別に本書で未知の聴覚が拓かれた気はしない。

フリードリヒにかこつけて「やせていくロマン主義」を語ってみたかった雑文集である。やはり重要なのは要点の一点ではなく、周囲の肉付けであって、たとえばフリードリヒの場合には宇宙と人間の対峙にはキリスト教プロテスタント的な汎神論が深く結びついており、だからこそフリードリヒにとっては絵画こそが最大の思想的表現手段になりえたのではないだろうか。どうせ文学や音楽といった他ジャンルと比較するのなら、そこまで踏まえた上で語って欲しかった。本書の著者の専門は、代表作が『内村鑑三』であるように日本近代文学であるので、それほど専門的な研究に踏み込んだ上で書かれていないという点は仕方ないにしても、参考文献一覧がほぼ全て日本語の翻訳が出ているもので、そもそも数が15冊しかない上に、フリードリヒに直接関連しているものはその半分である。これなら、参考文献の1ページは必要なかった。



フリードリヒ 崇高のアリアフリードリヒ 崇高のアリア
著者:新保 祐司
販売元:角川学芸出版
発売日:2008-03
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2009年10月02日

姫路とはまた意外な場所にあるもので

マグリット《逆人魚》文化村のベルギー象徴主義展に行ってきた。今回の展示は全て姫路市美術館から持ってきたものだそうだ。こう言っちゃなんだが、その時点で大して期待もしてなかったし、実際その通りだった。一市立美術館でよくこれだけ持ってるなとは、素直に思える。何の気なしに入った地方の美術館でこれだけそろっていたらさぞ驚くことだろう。しかし、いざ文化村に持ってこられると、どうしても今までの企画展と比較してしまい、見劣りがする。

来ていたのが企画名に恥じない作品ではあって、フェルナン・クノップフ、フェリシアン・ロップス、アンソール、マグリット、デルヴォーがその大半を占めた約150点である。ただし、そのほとんどが小品もしくは習作に近い状態のものであったが。(もっとも、アンソールの場合は習作と完成作の区別が全くつかないのではあるが)。一応、このメンバーの中だったらマグリットのデペイズマン万歳な作品が一番好きだ。そういえば、最も有名なアレではないが、逆人魚がいる作品も来ていた。うむ、きめぇ。

一番良かったのは、レオン・フレデリックの《春の寓意》。しかし、この自然主義的で明るい色彩は象徴主義らしくはない。なお、レオン・フレデリックは幼児性愛の傾向があったそうで、キャプションでは性別が断定されていなかったはずだが、絵を見た瞬間に「ああ、この人はショタの側が強かったんだろうな」と思ってしまった。なんとも言えない話である。

  
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