2010年04月28日

浮き上がりに対処せよ

なぜ高校生は、理系に行かないか(公立学校の真実)

数学の授業時間が足りず,それゆえに原理の理解をすっ飛ばして数学という学問の本質的なおもしろさに触れられないまま,問題演習をさせられる。ゆえに数学には気味の悪さがつきまとい,理系離れが深刻化している,というのがこのブログの主張になるだろう。しかし,ここに書かれていることは、実際にはどの教科にも起きている。本質的な理解や学問的なおもしろさというところまで行くとやはり膨大な時間をかけるか,本人の意欲や能力によるところがどうしても出てくる。主張は的外れとまでは言えないものの,直接的に理系離れの要因を突いているとも言い難いように思う。

自分のブコメを転載すると,「どの教科もそうだが,中学の内容が削られてるのに大学入試の難易度は変わらない=結果として高校での授業内容が濃くなりすぎる,ということが現実に起きている。中学の教科書を厚くしないと解決しない。」これは本当にその通りで、試しに東大や京大、早慶あたりの30年前くらいの入試問題を解いてみると良い。私は東大に関しては,現役時代にほぼすべての科目を過去25年分解いたことがある(これも段々と遠い過去になりつつあるが)。どの科目でもそうだが,難易度はまったく変わっていないか,むしろ年々難化している。ゆとり教育の産物とは,ある一定以下の偏差地帯において激しい。少子化もあいまって,日東駒専あたりはとみに入りやすくなった。

さて,ゆとり化が叫ばれておりしかもそれが表面化しているにもかかわらず,上位層の受験様相が全く変わっていないという現象。これには理由が二つある。一つは、いわゆる「受験テクニック」が流通してしまい差がつくなくなっているということ。数学にしろ国語にしろ英語にしろそうだが,今の受験生が一通り教えられるようなテクニックが形成されたのは比較的近年であり,いわゆるゴールデンセブン(1986年から1992年の7年間,予備校・塾産業の成熟期)においてさえ,現在のようなレベルまで,つまり偏執的とも言えるような受験研究はなされていなかった。実際には,しばしば小手先と表現されるような,これらのテクニックというのも鶏と卵の関係であって,大学側が出題するから教えざるをえなくなったという事情が,予備校の側にもある。では,なぜ大学側がそのような奇問を出すのかというと,一定以上のレベルの受験生は本質的な領域にまで理解が及んでいるため,基本に則った出題では,いかに応用されていようが解けてしまい,差がつかない。差がつかなければ当然入試問題としては失格であるから,どうしても悪問が続出し,また予備校側も悪問対策を練り,ということ。どちらが悪いとは一概には言い難い。

もう一つの理由は、大学側が求める人材の質を落としたくないと思っていることだ。ゆえに、相当平均点が落ち込み,低得点で固まりすぎて”差がつかない”という状況に追い込まれるまで,その大学の入試の難易度は下がらない。そして実際,どれだけ公教育のレベルが低下しても日本人の(というか人間の)知性や知的欲求というものは抑制されるものではなく,一定以上の人数の若者は,必ずこの水準に追いついてくる。そして公教育による高等教育の補助には,中高一貫の私立高校や予備校が大きく手を貸してきた。大学側も,これらの学校には(現在でも尚)情報を公開し,人材的な交流を図っている。これも大学側が「受験生には高得点をとって入学してほしい」と思っていることの一つの証拠となるだろう。

大学入試の情勢がこのようであるにもかかわらず,公立中学ではゆとり教育化が進んだため、高校生の学力レベルそのものが大きく乖離してしまった。結果として、中卒時点から見るとひどく学習内容の多い高校での授業についていくことができず,大量のおちこぼれが生まれた。しかもその一方で,進学校の生徒は過当競争にさらされ、短い3年間に過剰な勉強を押しつけられた。誰も幸福になった人がいない。これがゆとり教育最大の成果である。解決には,義務教育の拡充と,高校教育からの内容移譲しかないだろう。


さて,元の本題にも触れておく。現実の社会において理系が虐げられているからではないか,というブコメが多くついていた。これに関しては真実かもしれないし全く影響がないわけでもないだろうが、そんな社会の事情を高校生は知らないので,文理選択の主要要因にはなっていない。理系選択が減少する理由はもっと単純なところで,とりあえず勉強したくない人にとっては国語や英語よりも数学のほうが”ままならなく見える”からだ。数学が勉強の象徴というのもある。が、そういう人にいざ実際に模試なんかを受けてもらうと、国語や英語の偏差値も数学と大差なかったりするのが世の常である。勉強しないと点がとれないのはどの科目も一緒である。
  

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2010年04月21日

ギヨーム・フランソワ・ブラングィン

西美の(ウィリアム・)フランク・ブラングィン展を見てきた。誰?という人が多いと思うが、私も無論知らなかった画家である。イギリス人だがベルギー生まれで、フランスで先に評価されたために、今ひとつ国籍のあやふやな人である。フランス語読みしたものがこの記事のタイトル。


知名度の低さは仕方がない、と展覧会を見終わって思えた。理由は大きく三つ。まずはその画風である。どの勢力にも属していない。そういう意味では、19世紀末から戦間期にわたる、ポスト印象派からボナール、フォヴィスム、キュビスム、抽象表現主義と多種多様な流派が跋扈していた時代らしい画家ではある。しかし、ブラングィンはそれだけ派閥があってなお、どれにも属さない。だから研究しにくく、研究者がつかなければ展覧会も開催されにくく、埋もれていったのではないか。

二つ目に、代表作の多くが焼けていることが原因である。本展覧会はそもそも西美50周年記念の一環であり、ブラングィンは渡欧中の松方幸次郎と仲が良く、松方の美術館の設計も任されたほどだった。これは松方がブラングィンの画風を気にいっていたというのもあるが、それ以上に松方は川崎造船所の社長、ブラングィンは若い頃生活の糧のために船乗りをやっており、画家になってからもしばしば船の絵を描いている、という共通点があった。実際彼らの話は船の話題で大いに盛り上がっていたらしい。松方はブラングィン最大のパトロンであり、その代表作はロンドンに保管されていた。松方のコレクションの半分はパリ、ロンドンに保管されていたためである。このうち、パリのものは生き残って二次大戦後、西美を作るという条件で日本に返還された。しかし、ロンドンのものは39年に火災に遭うという不幸に見舞われ(二次大戦とは関係の無い出火だった模様)、結果、ブラングィンの代表作のほとんども灰と化した。これも研究や展覧会が進まなかった大きな理由である。

そして三つ目として、そもそもそこまでうまい画家でもないなという印象を持った。誤解の無いように言っておくが、これは美術館に飾られないというクオリティという意味ではない。ただ、どれだけ研究が進んだところで、一流の画家として名を馳せるだけだけの特徴があるかと言われると疑問である。あえて言えば自然主義の遺風を残しつつ、ポスト印象派やボナールの影響もあり、ヴラマンクに近いところもあるような感じで、確かにどの流派にも属さないのだがとてもどこかで見たことがあるような画風になっている。そもそもブラングィンという画家は本職が装飾で、ウィリアム・モリスに弟子入りしていたこともあった。それこそ、松方幸次郎に美術館の設計を任されていた。油彩画も描いた、というだけのことなのだ。この辺の事情も、研究が今ひとつ進んでこなかった事情ではないかと推測する。

常設展にも足を運んだが、本年度の新収蔵品お披露目はまだのようだ。というか、そもそもあるのかどうかも知らないのだが。ちなみに、今回金券(無料券)で入ったが、研究室から卒業の餞別としていただいたもので、次回からはいよいよ一般となる。

  
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2010年04月19日

非ニコマス定期消化 2009.12月上旬〜12月下旬

クリスマスの直前まで。




やっぱらっきょはいいなと思う。式の日本刀に和服+ジャケットは一つの様式美となった。映像としてみると尚更綺麗、とは映画の時点で思ったが、撫子ロックがまたしっくりと来る。紛れもない神MAD。




麻呂MAD。これも出来がいい。




第二のリア住現る。ところどころ裏拍になってたりずれてたりするのはご愛嬌。




リアルドリフ。




ゴスペル調というか見事にはもってる石焼芋屋。これはすごい。




3Dカスタム少女使用のPV。非常に出来がいい。製品版は視点を変更できるらしい。冬コミで買い逃したことを例大祭で思い出して見に行ったけどいなかった。夏コミでいたら買おう。




いつものおやつの人。最終キー入力タイムなので、動画自体の長さは最速ではない(技のエフェクトの事情により、やり方が大きく変わってくる)。リュート編でタイムアタックなのに、グレートモンドの戦う時間がたった4分程度という驚異の動画。しかし、リュートは最後まで戦わない。




多分日本一TASで遊ばれているゲームのスーパーマリオワールドだが、実は1年半ぶりの更新だったらしいと聞いて驚いた。TAS用語の解説が詳しい。



  
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2010年04月18日

書評『ダメ人間の日本史』山田昌弘&麓直浩著,社会評論社

前回紹介したものの日本史版。64人の日本史に登場するダメ人間偉人を解説,仁徳天皇に始まり,三島由紀夫で終わっている。こちらもかなりブログの内容と重なっている部分が多く,というよりも書籍化の弊害でブログ版のほうが書かれている内容が濃い人物も何人かいる。世界史よりも身近で有名な人物が多いので,こちらのほうがとっつきやすく,読みやすくもあるだろう。

知っていておもしろかった人としては,やはり在原業平と小野篁のシスコン。特に小野篁は日本屈指のシスコンであると思う。後白河の好色っぷりは文化として歴史に残ってしまった。兼好法師,やはり彼は生まれる時代を700年ほど間違えた。足利尊氏は本当に謎の多い人間である。大杉栄さん,貴方は革命の前に,自分の身辺を整理してください。知らなかったところでおもしろかったものも挙げておく。まず,大伴旅人。世捨て人すぎて泣いた。酒は魔物である。次に,藤原定家。お前その小説無いわ……魔法中二バトルラブコメの作家だったとは驚きである。北里柴三郎,学生運動なんてしてたとは,人はわからないものである。柳田国男先生,のぞきは犯罪です。たとえ野外でも。


だが,日本史版のほうが評価は低くなると思う。理由は単純で,今回も人選に若干の難がある。いかに変態大国日本といえども,世界と対抗するべく同じだけの人数をそろえようとするとどうしてもインパクトの薄い人間まで引っ張り出してこざるをえなくなっているためである。世界史版のほうでも書いた通り,ダメ人間のバリエーションが少なく,日本史は単なる放蕩息子,金銭感覚の欠如者が多い。そして強引にこじつけられ,史実としての可能性が低い逸話によってダメ人間にされている人も何人かいて,本全体の信憑性を下げてしまっている。一条兼良や後水尾天皇は完全な「被害者」だ。前述の被害者の他,大久保利通や柳亭種彦,福沢諭吉,加藤友三郎は偉人ではあるが「ダメ」の内容のインパクトが弱い。黒田清隆は単なる短気のような気がする。

しかし,バリエーションを増やすのは世界史に比べると幾分か難易度が高いので,人数を減らして一人あたりの文章量を増やせばよかったのではないか。上記の知らなかったで挙げた面々や,またブログから大幅に省略されている兼好法師や国学者の連中には,一人10ページ以上割いても良かったのではないか。そのほうが本全体がおもしろくなったことだろう。



ダメ人間の日本史―引きこもり・ニート・オタク・マニア・ロリコン・シスコン・ストーカー・フェチ・ヘタレ・電波 (ダメ人間の歴史)ダメ人間の日本史―引きこもり・ニート・オタク・マニア・ロリコン・シスコン・ストーカー・フェチ・ヘタレ・電波 (ダメ人間の歴史)
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2010年04月10日

書評『ダメ人間の世界史』山田昌弘&麓直浩著、社会評論社

タイトル通りの本。著者は以前センター試験に潜む変態で使わせていただいたブログの中の人で,京大のサークル歴史研究会のOBである。詳しい経歴は本書に掲載されている。ブログのほうも大変おもしろいので,ぜひ読んでいただきたい。

さて,本書も大変おもしろい本で,63人ものダメ人間が収録されている。おおよそブログとネタが同じではあるので,愛読者にとっては半分くらい読んだことがある話だったりするが,別にそこはケチをつけるところではないだろう。著者たちのブログでも本人たちが書いていることだが,社会評論社などというお堅いところが,思いっきりな萌え絵表紙の本書を出版し,しかも多くの書店がサブカルコーナーではなく歴史コーナーに置くという奇っ怪な事態が発生している。これは『もえたん』が受験参考書コーナーに置かれていたことよりも驚きである。しかし,これも現代版スエトニウスだと思えば,ぎりぎり歴史書の範疇だろう(ということにしておきたい)。カバーイラストの人選も正解。しかもメイドにマルクスだからインパクトがある。売れるかどうかは別にして。

私も知っているところからまったく知らないところまで様々であった。王安石の不潔やルターのうんこ好き,デカルトの人形好き,そしてヘーゲルのラノベヲタはまったく知らなかった。でもヘーゲル,ルターあたりはなんか納得できる。あの人らそういう人種だしなぁ。挙げられた面々を見て思ったのだが,やはりドイツ人は日本人と並ぶ変態である。


ただしまあ,ケチも一応つけておく。まず,書籍の体裁はとられているものの,文体がブログのままで違和感がある。また,おそらく素でヲタ用語,2ch用語を使用していると思うのだが,それ自体はこういう本であるし,なんら問題ない。著者たちもガチでヲタなのだろうから。しかし,どうも吹っ切れてないというか,素人の演劇のような気恥ずかしさが感じられ,使い方としては正しいのだけれど妙な堅さが感じられた。いっそ全く使用しないか,もっとやっちゃった方向に振り切れてもよかったのではないかと思う。あと、ビスマルクを出したなら、鉄血演説は実は本人による後の創作である可能性が高く、自伝にしか根拠がないことも触れておいてほしかった。

もう一つだけ。人物の選出で,8割方は異論がない。ただし,「ダメ人間」の方向性が今ひとつ曖昧と言おうか,載せないでもよかったのではないかと思う偉人もいる。たとえば,リチャード獅子心王やイーデンは単なる人格破綻者や被害者ではなかったかと思う。また,ネタが恐妻家と女装癖に偏っており、若干バリエーションに欠ける。ベガルハやジャハンギールあたりは割とありふれた話で,ダメなネタとしては弱く感じた。代案としては,あとがきにあるキケロとルソーはやはり突出したへたれと変態だったと思う。陶淵明,李白があるなら杜甫もいいだろう。モーツァルトのような芸術家を挙げて良いのなら,やはりカラヴァッジョを推挙せざるをえない。あとはポンパドゥール夫人とか,もういっそルーデルとか。意外とまだまだ変態・ダメ人間はいる。ただし,地域的・時代的な偏りを少なく書いたということなので(しかもその選定でかなり苦労したとのこと),あまり意味のない指摘ではあるかもしれない。



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2010年04月09日

どちらを代表作とすべきだろうか?

長谷川等伯《瀟湘八景図》右隻長谷川等伯大回顧展に行ってきた。行ったのは東京展のほとんど会期末で、実はもっと早く行きたかったのだが、友人たちにあわせていたらこのタイミングになった。というのも、美の巨人と日曜美術館が重なった上に最終週となれば、混むに決まっているからだ。案の定、入場は90分待ちであった。そして、こんなに感想を書くのが遅れたのは、ちょっと仕事が忙しく、図録を読んでいる余裕がなく、だったら京都展開始の直前にしようと思い切って延期したためである。


展覧会は長谷川等伯の画業を彼の人生に沿って展示する形。とは言いつつも、長谷川等伯の場合は描いたもののジャンルがかなり年代ごとによって違い、様式もまたかなり綺麗に推移するのでこの方式が最もわかりやすい。大回顧展ということで、国内の国宝・重要文化財が勢ぞろいしているが、よって前半の大部分は石川県能登から出品された仏画ということになる。長谷川等伯は元の名を信春といい、上京する前はほとんど仏画を専門にしていた一介の地方絵師であった。正直に言って、この時代の等伯(信春)の絵はうまいのだがすごみはない。どこにでもいそうな絵師という感じである。けっこうスルー気味に見物して、次に行った。

等伯は推定32〜34歳の頃に京都へ赴き、画家として活動を始めた。時代は、信長が包囲網に苦しみ、延暦寺を焼いて足利幕府を滅ぼした頃である。しかし、その後10年間ほど等伯には空白の期間があり、次に画壇に登場するのは1580年代後半、すでに豊臣秀吉が天下統一に手をかけていた頃であった。しかもこの間に「信春」から等伯に名前を変えているため、美術史学としては等伯は長らく出自の謎の人物であり、特定は昭和13年と、これだけの大画家としては比較的近年である。なお、実はまだ完全に同一という確実な証拠は発見されておらず、状況証拠のみである。しかも、使用された名前が重なっていた時期が若干あり、かつ画風が完全に一致しているわけではないなど、疑問点もあることが本展覧会の図録で指摘されている。(ただし、同一人物であることを否定しているのではなく、信春時代は父親の影響が強く、「等伯」と号してから意識的に画風を変えたのではないか、という主張)。

今回の展示でも、信春と等伯をつなぐ状況証拠となった作品がいくつか出品されている。なかでも《日堯上人像》は、昭和13年の論文の根拠となった作品であり、回顧展には欠かせない記念碑的な作品と言えるだろう。この《日堯上人像》が描かれた「空白」直前の時期というのは等伯の画業が最も多岐に渡っていた時期であり、相変わらずの仏画の他、武田信玄や名和永年といった武将の肖像画に、微妙な山水画や花鳥画もある。道に迷っていたように見えるという点では、いかにも空白期間の直前というように見えなくもない。

空白期間の明けた等伯の名を世に知らしめたのは、大徳寺山門の天井画(1589)である。等伯は大徳寺とつながりが深いが、これは仏画絵師であり熱心な仏教徒であった(日蓮宗)等伯には、仏教界との伝手が深かったためと言われている。後に等伯が秀吉に気に入られるようになると,長谷川派と狩野派は激しい権力闘争に陥るが、その際長谷川派の後ろ盾になったのはやはり仏教界であった。さて、さすがに実物は持って来れなかったが、この大徳寺の山門の天井画や山門内部の装飾は、かなり上手に再現されていた。ところで、この大徳寺の山門に飾られた千利休の木像が、利休切腹の直接的な原因となったのは比較的有名な話である。『へうげもの』でも描かれている。

『へうげもの』といえばもう一つ、等伯の伝説的な逸話といえば、大徳寺の襖絵を住職のいない間に勝手に上がりこんで即興で山水画を描いてしまった、というものがあるが、その襖絵も来ていた。これも大徳寺の山門天井画と同様に空白明け直後の作品と目されているが、なるほど確かに、この山水画はいかにも長谷川等伯である。なお、この逸話の真偽であるが、襖の素材が描画に向かないものであることから、かなり信憑性が高い、と図録に書いてあった。『へうげもの』中では、襖絵を描いている途中の等伯に古田織部が訪ねてくる場面がある。


さて、こうして等伯の有名な山水画の時代がやってくるわけだが、等伯の代表作といえばけっこう人によって意見が分かれるところである。《松林図屏風》が最も挙げられるところだが、実のところあの作品は等伯にとって晩年の、それも突然変異的な作品であり、本道ではない。しかし、確かに最も人の心を打ち、とてつもないインパクトと美しさを持つ作品としては、間違いなく《松林図屏風》が至高であろう。今回の展覧会では、その突然変異がいかにして誕生したか、という系譜を探る展示順となっていて、これがとてもおもしろかった。なるほど、こうして見ると順調に枯れていっているのであって、あながち突然変異とは言い切れないかもしれない。

もう一つしばしば挙げられるのが、《松林図》と並んで等伯の国宝となっている、智積院の《楓図》。これはかなり巨大な作品で、しかも部屋の四面が全て等伯の作品で埋められている状態であったため、非常に大掛かりな工事をして取り外したらしいことが以前ニュースで流れていた(Yahooのヘッドラインで見た)。まずはその大胆な手法と、許可した智積院の度量に拍手を送りたい。《楓図》は非常に典型的な金碧障壁画であり、濃絵である。しかし、確かに完璧な金碧障壁画であり、そうであるがゆえに、これは等伯の代表作というよりも、桃山美術の代表作と言ったほうが適切ではないか、と私は思う。そもそも本作品は狩野派が金碧障壁画を得意としたので、長谷川派にだってその技量はあることを誇示するべく描いた作品と言っても過言ではなく、その目論見は見事に達成された。


これらに異論を唱えるわけではないが、長谷川等伯という画家はその《松林図屏風》から与えられる印象とは違い、実際には非常に器用な画家で、何でも描くことができた。仏画や人物画にも長けていたし、山水画としても、「枯山水」の道を切り開いた一方で、その正反対になる金碧障壁画も描けた。しかし、長谷川等伯の山水画の本質といえば、それは妙に古臭い南宋か明期の中国画のようなものであって、断じて《松林図》や《楓図》が本質というわけではない。他の画家でいえば、雪舟か狩野元信あたりが最も近い画風ということになると思う。「彼は生まれる時代を100年ほど間違えた」とは、我が友人の言葉である。

以上のような観点から評価するならば、妙心寺隣華院の《山水図襖》か、東博所蔵の《瀟湘八景図屏風》(今回の画像、右隻)は非常に長谷川等伯らしい作品として外すことは許されまい。ちなみに、誰だったか忘れたが、私と同じようなこと言って《松林図》を排撃し「《柳橋水車図屏風》こそ代表作」と言っていた(『芸術新潮』で読んだ)。この作品は厳密な山水画ではないもものの、賛同はそれなりにできる。ただし、彼が(そしてゲーシン編集部が)知っていたのかどうかは知らないが、《柳橋水車図屏風》は量産品でけっこう数がある。等伯の真筆かどうかは別にすれば、長谷川派で20作以上作られた題材なので、代表作というにはやや貴重さに欠ける。


ともかく、昨今の等伯といえば《松林図》か《楓図》という風潮は、やや首をかしげざるをえない。とかなんとか言いながら、《松林図》のTシャツを買った私は紛れもないミーハー……ダメだこいつry

その他、どの作品も長谷川等伯を語る上ではぜひ見ておきたい作品だらけであった。京都展も非常に混むと思うが、次はまた50年くらいやらない(というかできない)展覧会だと思うので、ぜひ見に行ってください。
  
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2010年04月06日

モンゴル展、是か非か

江戸東京博物館の「チンギス・ハーン モンゴルの至宝展」に行ってきた。これに対してダライ・ラマ14世が遺憾の意を表明していたので、そういう意味でも気になって行ったのだが、思ったほど偏向してもいなかったような気がする。「中国政府は、日本国民を欺き、中国政府がチベット文化とモンゴル文化の善意の保護者であると信じさせようとしてい」るのが問題らしいのだが、ダライ・ラマはそもそも日本において、それほど遊牧民の文化自体の知名度が全く高くなく、理解されていないということを知っておくべきだ。いかにチベットやモンゴルの文化が迫害・捏造されていようとも、日本人がそれを知る権利が阻害される理由はなく、また知らなければ反対運動もとれない。今回の展示に関して言えば、偏向するならもっと基礎的な部分で捏造するだろう。


だが、気にならない場面がなかったわけではない。

・キャプションに誤字の修正の後が通常ではありえないほど多い。慣れていない人、つまり中国から来た学芸員か、日本人だが逆にモンゴル史に詳しくない人がやったか。後者だとは思われるが。

・歴史的用語の表記が一部不統一である。特に人名。それもフビライ・クビライといったレベルである。もう一つ例を挙げれば、オゴタイ・ウゴタイなど。「オゴデイ」という発音ならまだわかるが(これが最もモンゴル語に近い)、ウゴタイに変化してしまうのはペルシア語発音であり、今回の展示と脈絡がない。フラグ・フレグも同様。

・説明が難解で、けっして初学者向けの展示ではない。そもそも最も多いであろう「遊牧民?何それ?」という層に対して、高校世界史を最低限とする説明はいかがなものだろうか。…

・不自然なまでに隋唐についてスルーしている。ただし、鮮卑から北魏が誕生したことは紹介され、北魏が浸透王朝であることは説明されている。にもかかわらず、北魏から隋唐王朝が誕生したことはまったく説明されていない。北魏を「モンゴル高原の文化と中原の文化を融合させた」と説明しているかたわら、その後継の唐の特徴は触れられていない。しかも、あるキャプションでは唐の説明なしにいきなり契丹が登場するので、非常にわかりにくいことになっている。

・柔然の展示がない。匈奴、鮮卑、突厥、契丹の展示はあるにもかかわらず、である。隋唐同様、北魏の周囲には触れてはいけないタブーでもあるのだろうか。

・突厥やウイグル、キルギスがトルコ系であるという点はあまり強調されていない。イラン系の遊牧民にいたってはほとんどいなかったことになっている。まるで、モンゴル高原にはモンゴル系しかいなかったかのようである。


最後に、今回の展示は、遊牧民というのはどれもこれも同じではなく、民族ごと・部族ごとによって大きく習俗が異なるものであり、農耕民同様多様性に富んだ多民族の文化である、ということが十分強調されていた。精巧な金銀細工も展示され、ぱっと周囲の入場客を見渡しただけでも、けっこうなカルチャーショックを与えていたようであった。日本人における遊牧民への理解が増せばそれは非常にすばらしいことではないかと思う。

また、今回は中国・内モンゴル自治区からの出土物のみの展示であり、その点も十分に強調されていた。内モンゴルは古代から漢民族と北方遊牧民係争の地であり、現在の自治区域南端はほぼ明代の万里の長城の遺跡に接する。技術の発展により農耕が広く可能となったため、清の時代に漢民族の入植が進み、現代では住民の8割以上が漢民族である。ゆえに新疆やチベットのような独立・自治強化の要求は強くない。

確かに、かかる状況にもかかわらず過度に遊牧民の故地であったことを強調する今回の展示は確かに文化の収奪と言えなくもないが、かと言ってこれ以外に内モンゴルの観光資源は乏しいのもまた事実であり、そもそも過去の歴史の産物である出土品を活用して何が悪いという話でもある。敏感にならなければならない話題ではあるが、今は純粋に内モンゴルについての知識を増やすのが良いだろう。  
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2010年04月04日

K-1WGP in 横浜 2010

けっこうおもしろい試合が多く、良かった。例によって左が勝者。

ついでに自演乙のことを書いておくと、当て勘の良さとノーモーションに近いにもかかわらず独特の軌道のフックは相変わらずで、かつカウンターの技術とタフさ、スタミナなど肉体面での強化が功を奏した形。ただし、足技の少なさとガードの弱さに関してはなんら改善されておらず、特に防御面はスウェイバックに頼り切っている。「気合避け」とはよく言ったもので、食らいボムじゃスペル取得はできないんだよということを今一度再確認して欲しい。


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日本相撲協会の「(帰化しても)外国人は部屋に一人」についての話。

・帰化でもダメ、外国力士「1部屋1人」徹底通達 : 大相撲 : スポーツ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

記事そのものがすでに無いので、はてブのページを。さて、ブコメを読めば大体わかる通りだが、相撲協会は帰化しても「1部屋1人」を徹底させるそうである。これが人種差別にあたることは、まあ説明するまでも無いことだろう。ただ、普段相撲に関心が無い人、特にアンチ在特会、アンチネット右翼で活動している皆様には、あまりとやかく言って欲しくない問題である。正直な話、私自身ブコメで「最悪」と書いている通り、これはひどい政策だが、どうもブコメをしている人たちの大半はこれをダシにしてアンチレイシズムをうたいあげたいだけのようであり、それならば私は多少言うべきことがある。なぜなら、ことはそれほど単純ではない。在特会ほど簡単にたたけるものではない。


基本中の基本から書いていく。そもそも、なぜ「外国人(国籍)は1部屋1人」ということになっているかと言えば、別に日本人力士の地位が脅かされているからではなく、親方が面倒を見切れないからである。あまり知られていないことだが、大相撲の世界というのは超縦社会であり、かつ完全なピラミッド構造である。テレビに出られるのは幕内42人と、せいぜいその下の十両28人くらいまでで、幕下以下約七百人はじっと下積みをするのみである。なお、関取と読んでいいのは十両以上の70人であり、それ以下の正式な名称は「力士養成員」である。給料も段違いで、十両以上は年収1千万を超えるが、その一つ下の幕下は年収はたった90万である。どうやって生活しているかというと、協会から構成員の数に従って補助が支給されるほか、部屋に関取がいる場合、彼らが数百万単位で部屋に寄付して彼らを食わせる形になる。部屋にいる関取の数が生活水準を決めると言っても過言ではない。尾上部屋など、把瑠都が出たから部屋の建物を新築できたようなものだ。そもそも尾上部屋は分離して誕生(正式には復活)した新設の部屋で弟子の数そのものも比較的少ない。

加えて、現在の大相撲というのは非常に多国籍化している。モンゴル時代だとか東欧時代だとか言うのは、それはそれで間違っていないのだが、その内実を知っていなければいかにも表面しか見ていない人の言葉であり、実際には中国人やカザフ人、チェコ人、ブラジル人等の力士もいる。韓国人の春日王が長らく幕内、十両で取っていることすら知っている人は意外と少ないのではないだろうか(特に自称国士の皆様方は知っておいでだろうか)。「素行の悪い」(としばしば報道される)モンゴル人だけ何とかすれば良いという話ではないし、モンゴル人専用のマニュアルを作れば対処できる問題でもない。(※ 誤解のないように言っておくが私個人は春日王を嫌いではなく、やや引く癖は強いものの右四つの強い見所のある関取である。また、モンゴル人の素行が他の外国人・日本人と比べて格段に悪いとも考えていない。)

そして、確かに外国人はハングリー精神があるし、身体作りががっちりしていて出世も早い。そもそも、日本人なら意志があって身長・健康診断でさえ合格すれば誰でも入門できるが、外国人はモンゴル相撲やレスリングの経験者に「日本で成功すれば高給取りになれるよ」と声をかけて引っ張ってくるので、入門時点での平均的な素質自体が違っている。が、実は出世できずに幕下以下で苦労している外国人力士もまた多い。環境になじめず実力が発揮できない場合もあるし、そもそもそこまでの才能ではなかったという場合もある。相撲には常にケガもつきまとうので、それで人生が変わってしまう人もいる。


ここまで書けば何を言いたいかは大体想像していただけると思うが、いかに素行や性格が良かろうとも、日本語もわからず金もない、あるのは体力とハングリー精神と若さだけしかないという外国人を面倒見るというのは、それだけでも大変な苦労が伴う。それも部屋に1〜3人ほどしかいない親方が、他に何十人も日本人を抱えた状態で、そのすべての責任を負うことになる。これは品格というよりも、日本語と日本の生活様式に馴れてもらうための教育の話なのだ。

だったら外国人をつれてこなければいいのではないか、スカウトしなければいいのではないか、という意見もあるかと思うが、それには上記の金銭的事情が伴う。誰でもいいから一人でも関取を増やさないと、部屋の経営が成立しない。ちゃんこの具が日一日と減っていく感じになるか、後援会が相当援助するか、親方の貯金がどんどん切り崩されることになる。現在弟子の中では幕下が最高位の貴乃花部屋なんて、確か相当経営が苦しかったはずだ。そうすると、一人一人じっくり育成するよりは、芽の出そうなのを大量に抱えて育成したほうが楽になる、と考える親方も中には出てくる。そうした親方には、半ば非人道的に外国人弟子を帰化させる人も出てくるだろう。

共通の外国出身力士向けの研修制度が無い、というのも確かに問題である。しかし、ほんの十年ほど前まではハワイ出身とモンゴル人しかおらず、数も少なかった。むしろこの段階で「外国人は1部屋1人」に規定した協会はそこそこ先見の明はあったように思う。ただし、その後が非常に後手後手で、年々増加し続けた外国人力士に抜本的な対策をとらなかったという点においては、まったくの怠慢としか言いようがないが。


要するに事の発端は親方一人にかかる苦労と責任があまりにも過大であることと、部屋・給料制度の疲弊による経済的困難であり、これらが改善されないまま外国人の数だけが、それも投機として、飛躍的に増加し続けていることである。これらを改革するのは膨大な労力と時間がかかる。北の湖時代はともかくとして、武蔵川理事長になってからけっこういろいろ変わってきている。しかし、北の湖時代以前の無変化が長すぎて、いまだ時代に追いついていない。しかし、外国人力士対策は喫緊の事情になってきた。そこで打たれたのが今回の決定ということになるだろう。(もっとも、武蔵川さんも部屋というシステムや現行の給料制度にはメスを入れたがらないだろうが……それが大相撲の伝統でも重要な部分の一つと考えているだろうし……)

おそらく非常にまずいことだと知りつつ賛成せざるをえなかった親方もいるだろう。もちろん、人種差別ということを全く意識せずに賛成した親方もいるだろう(彼らに関してはレイシストとしてたたかれても仕方が無い)。繰り返すが、ブコメで「儀礼・国技としての排他性の維持」が目的と推察している人がほとんどだが、それは少々大相撲に対する見識不足である。外国人排斥に動いたわけでもなく、むしろ今後一層外国人力士・「関取」の数は増えていくことだろう。そして協会はそのことに反対ではない。もちろん日本人敗北宣言でもない。「スポーツとしての相撲と神事としての相撲が混在するのが問題」というのも少し困惑する見当違いである。なんというか、レイシズム叩きたいならちゃんと調べてからにしてほしい。

まあ、弟子の虐待死事件とかあったし、日本相撲協会を信用できないのもわかるのが悲しいところだが。ついでに言うなら、外部理事に元検事長と外部監事に元警視総監がおられるので、憲法違反の指摘は入っていると思う。

  
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2010年04月03日

非ニコマス定期消化 2009.11月中旬〜12月上旬

仕事が減ってきて、卒論に本腰入れ始めた時期。




オンナスキーPが東方の手描きに挑戦。よく動いててすごいんだが……落ちがないのが落ち。




この人はピアノももちろんすごいが、コスプレと人形もすごい。全部あわせて猫娘。という感じがする。




何度聞いてもあばばばテストマイクテストにしか聞こえない。しかし、鬼畜眼鏡MADは完成度が高いのが多い。



カタハネと聞いてはホイホイされざるをえない。正直いたじゃんMADとしては並の出来だけど、そのカタハネ愛には敬服する。



解せぬ……の人、もしくは3Dカスタム少女の人。有名なコピペだが、東方でやると「妖精」という言葉がリアルに。



譲犯シリーズ番外編。やっぱりおもしろい。というか、うみねこ素材はすごい使い勝手がいいと思う。顔芸多いし、そもそものストーリーがぶっ飛んでるし。MADで化けやすい。腹筋を抉りて殺せ。



たまにはRTAもいいよね。マリオワールドは研究され尽くしているのでRTAもおもしろい。TASのようでそうでもないところがポイント。自分の場合RTAといえばRPGなイメージはあるが、多分東大ゲー研に毒されているんだと思う。



マリみて×エヴァ。はまりすぎ。




考えてみると映画等ではよくある行為なのだが、個人でやってしまう・すごくリアルに合成されている・ミクやアニメキャラというのが意外と新鮮という点でやはり驚きを隠せない。この方が広島在住なので、すっかり「広島市にはアニメキャラが住んでる」「広島にはよくあること」と言われるように。

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Posted by dg_law at 16:43Comments(0)TrackBack(0)