2010年05月29日

書評『東大合格高校盛衰史』小林哲夫著、光文社新書

戦後、東京帝国大学から東京大学に名前を変えた大学は、1949年から入試が始まった。すなわち、2009年でちょうど60年、60回に及ぶ入学試験を行ってきたことになる(61回でないところがミソ)。この間、間断なく熾烈な争いが繰り広げられてきた。とともに、各名門校には意外なほど大きな浮きひずみが存在し、名門であり続けることは並大抵の努力と幸運では達成できないことである。本書はそのような観点から、時代や地域の違いなどを考慮しつつ東大合格を出してきた高校について徹底的に分析したものである。


ざっくりと言えば、東大合格者の歴史は4つほどの時期に分かれる。まず戦後直後の1949年から1968年までの約20年。この時期は圧倒的に日比谷を中心とする都立高校が強く、他でも湘南や県立千葉・浦和などが強く、あまり地方色がない。この頃の東大は関東の地方校といった様相がある。本書によれば一応この頃が最も多様性に富んでいたそうだが、それは1〜2人合格校が多く統計上そういう結果が出ていただけであって、合格者上位100校を見るとすでに寡占が始まっていたことがわかる。この頃の日比谷や西高校の合格者は100人を超え、今の開成や灘と何ら変わらない。私立や国立はそれほど強くない。

この状況が次第に変わり始めるのが60年代後半〜70年代前半にかけてである。69年度入試が東大闘争で中止になったように、公立高校の多くは学生闘争に巻き込まれた。加えて、都立高校で悪名高き学校群制度が始まったのを皮切りに全国でこれが導入され、公立高校の大失墜が始まる。学校群制度や小学区制度とは反エリート主義者の誤解によって生じたものだ。確かに一つの高校に多種多様な知性を持った人間が集まるようになったかもしれないが、それは多様性の上昇という結果をもたらしたわけではない。所詮人間の多様性など偏差値で区切った程度で減少するものではなく、結局彼らは人間というものを信用できなかったのだ。

学校群制度・小学区制度は公立の名門校を破壊して「貧乏人でも東大に入れる」という公教育の理念をつぶし、私立高校を育てるという目的とはある種正反対の結果を生んだ。68年に早くも灘が1位をとると、以後公立高校がこの座を奪還することは現在に至るまで一度も無い(国立を含めれば71年に筑附が、73年に筑駒が1位を獲得)。さらに言えば、1位に話を限るならば82年以降2010年現在にいたるまで、開成が1位を譲ったことがない。

70年代はまだしも、80年代前半は公立暗黒時代であった。この時期にあって意地を見せていたのは、やはり関東圏であった。80年代の場合、都立のうち西・戸山の2校、そして湘南・千葉・浦和の3校でほとんど20位以内の公立高校は終わってしまう。都立に話を絞れば、60年代最強を誇った日比谷は早々に脱落。校風が自由であった伝統に低い成績層が混ざったという悪影響。逆に、西と戸山が生き残ったのはスパルタ式の教育方針による。しかし、その西と戸山もじりじりと下がり、77年を最後にトップ10から消える。

第三の時期は80年代後半〜90年代前半である。87年に東大・京大のダブル受験が可能になった。第二期の影響で本当に頭の良い生徒は私立・国立に行って東大入試も楽々合格し、公立に行った生徒は最低点ギリギリを狙うという風潮が生まれた。この風潮は現在までもなんら変わっていないわけだが、この風潮の中でダブル受験を認めればどうなるだろうか。すなわち、関西の有力な高校が一気に東大に流れ込み、地方公立の「合格最低点狙い」東大受験生は、さらに押し出されることになった。これほどの公教育つぶしも無い。87年の開始年ですでにトップ20に公立は湘南・千葉・浦和しかいない。翌88年には湘南が沈み、89年には制度が元に戻って東大専願になったにもかかわらず、この流れは変わらず、やはり千葉と浦和のみがトップ20に顔を見せた。最も割りを食ったのは都立高校で、80年代後半にはトップ20から完全に姿を消した。90年代前半が最もひどく、トップ100に至るまでずらっと私立が並ぶ。ランキングの半分は私立である。

そして第四の時期が90年代後半〜2010年の現在までである。特徴としては、地方も含めた公立高校の巻き返しである。これは時代の流れであった。日教組加入率が下がり、また私立偏重の難関大学合格は悪しき反知性主義の結果であるという自己批判に、公立高校側がようやく至ったのである。一斉に学校群・小学区制度が廃止になり、大学区制度や県内一学区体制がとられるようになる。この間に公教育の失ったものはあまりにも多かった。この頃から10〜20人の合格者をコンスタントに出す「県内トップ校」の顔ぶれが登場、もしくは復活し始める。日比谷でさえ見事な復活成長を描き始めた。これは二つの意味を持つ。すなわち、トップ30の私立の牙城はついに崩せない状態となり固定化した。2005年度など、20位までに1校もなく、22位に岡崎、23位に、浦和、24位に土浦第一と3校あるのみである。ちなみに、私の入学年である04年も、トップ30に入った公立高校は岡崎、土浦第一、旭丘、一宮の4校のみであった。我が母校も含めて、なぜか愛知県の強かった年でもあった。その一方で、私立が強いまま公立高校にもエリート主義が復活したため、公立高校同士でも二極化が進み、東大合格のさらなる寡占化が進んだということだ。さて、第四の時期はいつまで続くであろうか。なお、60年間トップ10から漏れなかった高校が一つだけある。麻布高校である。


この他、県ごとのデータや60年分の累積データ。女子校や男子校、宗教系といった区切りではどういった結果が出ているかという分析が掲載されている。データ中毒にはたまらない一冊となっている。ただし、一つだけ言わせて欲しい。校正はもっとしっかりやろう。本文中には誤字脱字が見当たらないものの、データ部分がひどい。量があまりにも多かったので苦労のほどは理解できるが、多分あまり校正を通していない。記号の抜け、インデントのズレ、表記の揺らぎが当たり前のように存在し、普通に読む分には問題ないが精読しようとするとちょっと辛い。あと、誰か早く京大版・慶応版・早稲田版・阪大版・名大版を執筆するべき。無論、この著者でもかまわないので。


東大合格高校盛衰史 60年間のランキングを分析する (光文社新書)東大合格高校盛衰史 60年間のランキングを分析する (光文社新書)
著者:小林哲夫
販売元:光文社
発売日:2009-09-17
おすすめ度:4.5
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2010年05月27日

丸の内に溶ける

img01_06_b昨日、三菱一号館美術館に行ってきた。4月の頭に開館したばかりの、非常に新しい美術館である。最寄の駅は直線距離だと千代田線二重橋だが、入口の位置や信号を考えるとJRの有楽町駅か丸の内線東京駅のほうが近くなると思う。要するに丸の内のど真ん中にあり、立地は抜群に良い。名前からしてわかる通り、建物は三菱地所が所有している。元々は1894年に建てられたものだったが、1968年に取り壊され、それを2009年になって当時の設計図をもとに復活させたという経緯がある。つまり、古いようで非常に新しい建物なのだ。

当時の設計図を活用し材料などもできる限り当時のものに近づけたそうだが、確かに「よく保存してある明治期の建物」としか思えなかった。硝子がどう見ても明治期のものではないだとか、空調が埋め込んである点、やはり不自然に真新しい点など探せば見つからないこともないが、基本的には旧古河庭園や岩崎邸となんら遜色は無い。雰囲気は、都内の美術館としては抜群にいい。いや、別に都内のという限定をつける必要もあまりないだろう。現状常設展は無いが、ロートレックばかり200点以上所有しているそうである。この建物には非常によくあうだろう。展示スペースもそこそこ広く、マネ展では使いきっていないような印象を受けた。

丸の内の周囲の建物が、決して無粋なコンクリートの塊というわけでなく、現代的なデザインが施してあるか、三菱一号館同様明治期を模してあるかであるため、3階休憩室からの眺望も悪くない。さりげなく初代館長の高橋明也もすごい。よく引き抜けたもんだなぁと。三菱地所の威信がかかっているとはいえ、よくやったと思う。あとはこの気合がいつまで持つかである。もちろん、永久に持つことを願う。


今回は開館記念ということで、初代館長の専門分野でありコネも多いマネ展となった。《オランピア》や《草上の昼食》は最初から期待していなかったが、かと言って《ベルト・モリゾの肖像(すみれの花束をつけたベルト・モリゾ)》をプッシュされてもなぁ、と思い、腰が上がるのが遅かった。しかし、先月の『芸術新潮』のマネ特集記事を読み、まあ建物ぐらいは見に行くか、と覚悟を決めた。見に行って本当に建物に魅了されてしまったわけだが、結果的にマネ展も悪くはなかった。スペイン美術からマネが影響を受けたことはこれまでの企画展としてあまり取り上げられてこなかったような気がするし、「パリ市の近代化」と美術の近代化の関連というテーマも、ありがちではあるが資料が豊富でおもしろかった。マネの作品としては、有名なのが例のモリゾの肖像とあとは《エミール・ゾラ》の肖像(今回の画像)、そして自画像くらいで小品が多かったが、まあそれをあまり追及してもむなしい。これで《笛を吹く少年》あたりがあれば満点だったか。

マネというのは不思議な画家で、近代化の旗手としてはセザンヌと並び称される。にもかかわらず彼は旧世代の象徴であるサロンを戦場とし、酷評を受け続けながらも最後は自らの芸術性を認めさせた。マネは晩年にレジオン・ドヌール勲章を受け取っている。本当に前衛芸術家であったのならば拒否していただろうが、私は受け取ったマネを評価したい。また、印象派のメンバーとは仲が良かったものの、印象派展には一度も出品せず、決定的なところで距離をおいた。実際、彼の作品を見ても、革新的でありどうにも分類するなら印象派が一番近いだろうとは思えるのだが、決定的なところで革新的ではない。それは筆致でありモティーフであり。結局彼が最も評価されている点は、その挑戦者たる精神性ではあるだろう。過言気味にいえば、あまりにわざとらしく、挑戦のための挑戦になっている点は否定しがたい。ただし、それは決して悪いことではあるまい。その挑戦心は多少西洋美術を学んだものなら、絵から誰でも読み取れるのがマネの偉大なところではあるまいか……と持ち上げてみたが、個人的な趣味だけで言えばやはりモネやルノワールのほうが好きである。


最後に。この美術館は水・木・金限定で20時まで開館している。この間の損保ジャパン美術館もそうだったし、今ボストン美術館展をやっているヒルズの森美術館(正確にはその一つ下の階層だが)も、平日は20時まで開館する曜日を作るようになった。社会人となり、平日にほいほい美術館で日がな一日、という贅沢な時間の使い方が出来なくなってしまった身としては大変にありがたい。向こうとしても間違いなくビジネスチャンスである。他の美術館もぜひ検討していただきたい。
  
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2010年05月26日

Kanon問題を締めた後に続いたもの。

twitter上でかわされたもの。
さらにその周辺の議論。

上のものに関しては、改めて見ても不毛な議論だなぁ……正直これを読者諸氏にお見せするのは心苦しい、という感じ。なんかどっぷり疲れました。私が締めたあとの数postもやっぱりループしてるのには気づいていただけないんだろうなぁ。これほどのディスコミュニケ−ションは相当久しぶりでした。読者諸氏には、議論の内容はある種どうでもいいので、私が最低限何かを守ろうとしていたことだけ読み取っていただければ、それで十分です。十分に嬉しい。

下に関しては、意外とおもしろいことになっているので、すっ飛ばしてここだけ読んでみてもいいかもしれない。

  
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2010年05月25日

非ニコマス定期消化 2010.1月上旬〜2010.2月上旬

この時期はなんとなくアイマスのほうが多かった。しかし、そのアイマスも決して元気ではなかった。




実はこずえの顔出しをこの動画で初めて見た。しかし、この子のダンスは別格だと思う。




何がすごいって、オリエンタルランドの電話番の女性の忍耐力と対応力だと思う。




意外な県が降雪量多かったり少なかったり。日本海側なら降るとか、南ほど降らないとか、そういうわけではなかったりする。日本の地理も奥深い。ただし、県庁所在地でのデータということに注意。でなければ、新潟とかあんなに降らないはずがない。




大爆笑。テレビでこういうコントがようやく出てきたというのはおもしろい。エヴァネタなら一般にも通用するんかなぁ。




神MADと言っておおよそ差し支えない出来。切り替わるタイミングの合わせ方、ネタの合わせ方ともに完璧である。世の中のアニメMAD制作者はこれを目標にがんばってもらいたいくらい。




公式アレンジと言われても違和感がない。原曲がうまく残っているのがすばらしい。




階段が目の前に来る親切設計なダンジョン。TASらしいTASで大好きです。トルネコみたいなランダム要素の強いゲームはしんどいと思うんだが、よくやった。




解せぬの人作品。レミリアが異常にかわいい動画。




この公式の「やっちゃった」っぷりは異常だが、稀なことに非常にプラスに働いた例。それも修造の人徳ゆえか。

  
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2010年05月24日

若手の成長が最大の収穫

今場所ほど優勝争いがひどい展開もなかった。理由は大関陣に大きく求められるところだが、実のところ擁護できる部分は多い。把瑠都は新大関でテレビやイベントに引っ張りだこ。これでまともに稽古できるほうがおかしい。すると、新大関で優勝した白鵬はやはり別格であった。魁皇はもはや記録のために土俵に立っており優勝争いとは全くの無縁である。琴光喜も同様に期待できない。日馬富士は古傷の左膝が今場所とうとうパンクした。今場所の調子では関脇時代はおろか、小結時代の安馬レベルの出来でしかない。しいて言うならば、やはり琴欧洲が最大の戦犯であろう。しかし、この場合の戦犯は最も期待が大きかったからでもあり、その点では他の大関陣よりもマシである。

対して白鵬は、見れば瑕疵がないわけではないにもかかわらず圧倒的な強さで二場所連続の全勝優勝を飾った。九日目の鶴竜と十三日目の琴光喜戦は、途中白鵬が取りこぼす可能性がないわけではなく、付け入る隙はあった。しかしその隙を有効活用させないだけの強さが今の白鵬にはある。”黄金の左”は今場所も健在であり、全盛期とはかくのごときもので、朝青龍にも千代の富士にもこのようなものはあったように思う(それ以前の力士は私が直接見てないので知らないが)。白鵬が朝青龍の引退で涙したというのは、先場所ではなく、今場所になって切実となった。先場所は朝青龍なしでも盛り上げて見せるという気概が上位陣に見られたがそれもわずか一場所で切れた。また、先場所は不調な上位力士がいなかったという幸運に支えられたものであり、そうでなければ白鵬独走を簡単に許すということが浮き出てしまった。

相撲内容もあまり良くない。序盤はつまらない相撲で視聴やめてやろうかと思ったが、中盤からは幾分マシになり、12日目以降は割とおもしろかった。ツイッターでちらっとつぶやいたが、昨今引き技が強いのは、単純に技術論のせいではないかと思う。これは戦術理論にはよくある話で、攻守のどちらが有利というのは世界史上様々な要因によって簡単にひっくり返った。攻める側が有利であった時代もあれば守る側が有利であった時代もあった。それと同様で、各力士個人の稽古量に引き技ブームを押し込めるような論調は、あまり賢いとはいえない。舞の海が力士の体格に事情を求めていたが、そちらのほうがまだマシである。

伸びた若手という点では若干の意義があった。詳しくは個別評で書くが、栃煌山、栃ノ心、北太樹、白馬、阿覧、徳瀬川、若荒雄と見所は多い。にもかかわらず全体の相撲内容があまりよくないのは、それだけ他の力士がひどかったということでもある。


各力士個別評。白鵬については前述の通りである。しいて言えば今場所腰の不動さが目立ったが、もう治癒できたんだろうか、古傷であったはずである。ちなみに白鵬はこれで横綱昇進以来の勝率が243勝27敗、つまりちょうど9割に乗った。異常な成績である。黒星27の内訳、日馬(安馬)7、ミツキ4、欧州3、ドルジ3、チヨス2、安美錦2、豊ノ島1、Xe1、琴奨菊1、翔天狼1、把瑠都1、魁皇1(ツイッターにpostしたものからコピペ)。

日馬富士は初日二日目の連敗が痛かったが、これは彼が膝に頼らない相撲をするための軌道修正には必要な犠牲であったのかもしれない。白馬戦を落としたのは慢心であり、これのみ猛省が必要であろう。13日目の琴欧洲戦はガチ、14日目の琴光喜戦は互助会という判断、千秋楽白鵬には歯が立たず。結果9−6というのはやはり情けない。左膝を考慮するなら11−4、考慮しないなら13−2でまとめることは可能であったはずだ。

今場所の琴欧洲は評価が低くつけざるをえない。上に書いたように白鵬独走最大の戦犯である。最終結果も、千秋楽の魁皇戦は空気を読まされたとしても、栃煌山の勇み足で一番拾っているため結果9−6である。また、負け方もひどい。六日目の鶴竜戦と12日目の白馬戦はどうしようもなく、九日目の朝赤龍戦にいたっては不可解な負け方であるが、八百長があったとも思えない。自分の相撲を見つめなおす時期に来ているかもしれない。

魁皇には1000勝おめでとうと一応言っておく。確かに近年の引き技と、衰えない右上手は万年ハチナナ・クンロク大関として君臨するだけの実力をいまだに残している。だが若手のためにその席を譲ってやってくれないだろうか。琴光喜ェ……把瑠都は稽古不足でしかない。腰が高く諸手突きも威力が無かった。来場所に期待する、としか言いようがない。


稀勢の里8−7、もうなんと声をかけていいのかわからない。意外と第二の戦犯は彼ではなかろうか。安美錦5−10、膝なら仕方ないな。琴奨菊9−6はひとまず褒めてもよかろう。魁皇と日馬富士以外の上位は倒せなかったが取りこぼしが無い。関脇昇進にはつながる。栃煌山は琴欧洲戦の勇み足だけが本当に悔やまされる。あれさえなければ小結維持だったし、それだけのがんばりは見せたと思われる。とにかくもろ差しが綺麗に入った。まだ稀勢の里に比べると一段落ちるとはいえ、7−8ならそれほど落ちないし、来場所への望みはつないだ。豊ノ島5−10と雅山5−10にはエレベーターとしか言えない。特に論評するようなところもない。

豊真将は途中休場で幕尻から再スタート。栃ノ心は8−7だが敢闘賞を受賞したようにそんな印象がない。今場所も十分に地力は見せた。左上手の強さは白鵬と把瑠都に次ぎ、ここだけ見れば完全に大関級である。差し手争いも負けることが少なくなった。新小結は確定しているわけだが、真価が問われる場所となろう。あと、ユルフンはほんとやめるべき。鶴竜は狂った歯車がまだ戻らない。いつかは戻ると信じ、いまは待つとき。しかし、とりあえず今後半年間ほどは大関候補戦線から二歩ほど後退した感じ。

北太樹は栃ノ心同様今場所大暴れした感があったが、意外にも7−8で終わった。番付編成会議にあたっては北太樹をあまり落とさぬようお願い申し上げたい。朝赤龍は9−6と時間がかかったがようやく上位に戻っていた。だが伸び盛りの若手が多く、もう通用しまい。岩木山全休。脳梗塞からの復活は困難だと思うが……がんばってほしい。さて、白馬である。彼に三賞がまったくないというのは、お前ら何を見てたんだと言わざるをえない。安馬同様軽量級で業師だが、安馬は細身に最大限のパワーを積んでいたのに対し、こちらは機を見るに敏で相撲勘が非常によく、まさに軽量級という雰囲気がある。こういった力士は小結で止まりやすいが、どうなるか。


あとはピックアップしたところだけ。豪栄道怪我の全休から立ち直り9−6、上位に戻ってくるのは早そうである。阿覧12−3で”準優勝”。栃ノ心同様、単なる力バカではなくなってきた。力の使いどころを覚えてきたところがあり、喉輪やまわしへの攻めの切り替えが早い。技術そのものがよくなったというよりも、戦略的な攻めになってきた、よく研究しているということか。突き押しでも勝てるようになったが、よく考えたらこいつはその昔グーパンチを放った伝説もあったのでそう不思議ではない。

徳瀬川は日本人にしては身体が大きく、外掛けが得意技というのが少々意外である。入幕二場所目、9−6でまだ負け越していない。若荒雄は突き押しが見違えるように良くなった。しかし、それでは幕内下位でしか勝ちこせない。霜鳳は「若返った」と評されていたが、実際のところ老獪な取り口であった。


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2010年05月23日

ガンダーラ仏がお出迎え

夏秋渓流図根津美術館に行ってきた。根津にはないけど根津美術館である。名前の由来は単純に建てた人が元東武鉄道の社長、根津嘉一郎だったからである。4年ほど回想していたので、今回初めて行った。もっと言えば、表参道などというハイカラな駅で降りたのも今回が初めてである。目的は尾形光琳の《燕子花図屏風》である。


建物は新築なだけあって綺麗で、とてもお洒落であった。入ってすぐのところに、クシャーナ朝時代のガンダーラ仏があってちょっと驚いた。その他石仏はなぜか充実しており、外観和風で内装鉄筋コンクリな建物にマッチしているのかミスマッチなのか、微妙なところである。どうにも人が写ってるのでアップできないのが残念だ。

お目当ての《燕子花図屏風》は、ぶっちゃけ各種図版で見たものよりちょっとくすんでるかなと。こう言っちゃなんだが、あまり名作に感じられるオーラのようなものは感じられなかった。ただ、実物を見てよかったなと思えるのは、屏風で見るとさらに燕子花の配置がおもしろく、なんとまあうねってるなと。キャプションの「リズムのある」という言葉にはしっくり来た。

この他にも所蔵品から何品か、琳派の作品が出品されていた。これだけの数を単独で持っているのはすごい。都内でも出光に張れるレベルじゃないだろうか(サントリーには劣るか)。注目は、お前は本当にその画家好きだな、と言われそうだが、鈴木其一の《夏秋渓流図屏風》(今回の画像)。師匠の酒井抱一と鈴木其一については以前東博の琳派展で「デザインチックでありながらオブジェの描写が非常に緻密で、金地ながらもその雰囲気は洒脱で瀟洒でさえある」と評したが、こうして見ると抱一と其一の間にも違いはある。抱一のほうが筆致がぼかし気味で、調和的。其一のほうは輪郭をくっきりはっきり描き、バロック的で遊びが多い。そういえば、掛け軸の天地にまではみ出して描きて日本版トロンプルイユをやってたのは鈴木其一であった。そろそろ私の中の其一株は応挙に並ぶ。小さな画像だと分かりにくいかと思うが、どのオブジェクトにも非常にくっきりと金泥で輪郭が描かれており、波濤の様子は応挙にも通じるものがある。


その他では、さすがに茶碗がよく、数も多かった。中国の青銅器の展示は珍しく、トウテツ文の殷代のものがこれだけ数そろっているのは、都内で他にないのではないだろうか……東博ならあるかな。最後に日本庭園を見て行ったが、ゆっくりまわったら30分くらいかけてもいいくらい、すばらしい庭だった。一見雑然としているが落ち着きがある。樹の配置はオーソドックスではあるが、だからこそ都会の喧騒の中では良い。道端に謎の石仏が多数転がっているのが、建物同様またしてもマッチしているのかミスマッチなのかが微妙なところであるが、総じておもしろかった。また行こう。

  
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2010年05月22日

Kanon問題追記の追記:というか締め

おとといツイッターでつぶやいたpostからのコピペ。

「今書いててはっと気付いたんですが、Kanon問題は、ひょっとして「正しい」という言葉のニュアンスが違うだけなんじゃないですかね?私の中では正しさは並立します。なので「唯一の正解が導けないのならば、残りの解は全て誤答である」といった考え方、さっきまで本当に理解できなかったんですよ。つまり決定的な解=正しい、が証明できなければ全て正しくない、という前提に立つのならば、「正しさは複数ある」の方向ではなく、「完璧な正解が無い以上、それ以外の推論は全て間違い」という方向に思考が進むのは、理解できます。承服はしかねますが。

一応、その上で改めて書きますが、私は決定論的解釈が「正しい」と思っています。作品としての完成度を考慮して。ただし、唯一解であるとは思っておりません。そして、遡及説が正しい可能性は認めます。私がそう解釈するのは苦しい、と個人的に思っているだけで、説そのものは否定しません。この態度表明、私は最初の記事の冒頭に書いたつもりだったんだけどなぁ。まあ、正しさが並立するかしないかなんて些細な問題だと思うんですよ。これで解決するなら、私は今日ブログを更新せずに済むんですが。」


さらに、昨日つぶやいたpost。

「そういえば、Kanon問題について昨日のpostからほとんど動きが見えないんですが、あれで終わりでいいんですかね。私が終結宣言すると、近衛文麿の某声明と同じになっちゃうので、なんとなく嫌なんですけど。終わりなら終わりでそれでもいいんですけど、昨日のつぶやきを元にしつつ、明日か明後日にでもブログ書きます。ふんぎりをつけるためだけに。なにかあるなら今のうちにお願いします。」


さて、おとといのpostからは約42時間、昨日のpostからでも16時間経過した。結局近衛文麿の某声明になってしまいそうなのだが、返事がなかったものは仕方が無い。少なくとも、今木さんと辺見さんは私をフォローしているので、これらを読んでくれているはずである。ここにさらに付け加えるとすれば、「どちらも正解」ではなく「どちらも別のKanon」という前提に立ったほうが、心情的に遡及説を支持しやすい、ということは直感的に理解できる。が、やはり本質的な差異は無いだろう。さらに言えば、辺見さんが「歴史修正主義者同様」と言ってしまったのも容易に理解できた。が、しかし比喩としては質が悪い。

少しだけ毒を吐くのならば、実は過去になされた議論とは、『Kanon』の作品論から一歩離れたものではなく、かくのごとく二歩以上離れたものではなかったか。もしこの疑念が正しいのであれば、この話題が定期的に出現する責任の所在は、もちろんよく読まずに入ってくる新規の決定論者の側にもあるが、遡及説側の反論にも問うことはできるだろう。今後があるのかどうかは知らないが、次からは「新規の決定論者側が、自説を唯一解だと思っているかどうか」を相手に尋ねてから、始めてみてはどうだろうか。そこで頷くようならそこから今までのごとく諭せばよいし、そうは思ってないようなら、論争する価値をあまり見出せない。この疑念が正しくなかったのであれば無用な疑いをかけたことについて先回って謝っておくが、しかしその場合、尚更10年も続いている理由がまったくの不可解になる。

締めとは書いたが、ツイッター上で聞かれれば答えられる範囲で答えることはしたいし、例のtogetterに追加しておいてくれれば、しばらくは張り付いて読んでおく。


また、私自身ではなく、ありがたいことにこの一連の流れをずっと追ってくれていた友人たちから入った指摘・意見も一応転載しておき、本当に終わりとしたい。これらに関しては、私に聞かれても反論できるとは限らない、あしからず。まあ、当人らに「どうなん?」とは聞きますけど。

>プレイヤーの勝手で一々過去を改変させられるほうが、キャラにとってはよほどかわいそうじゃね?傲慢じゃね?自分が選ばなかったからヒロインが死ぬ。 それは嫌だから過去ごと改編って。

驚いたことに、これに関しては個別に3人の口から出てきた。私はその観点については、まったく考えてなかった。だがまあ、個人的にはあまり興味が無い論点。


>Kanon以外の、もっとバッドエンドしかない作品に対してはどういう態度になるんだろう?あと、途中の過程で不幸なのは別にいいのかな。

あ、これは俺もけっこう気になるかも。仮にその通りなら、単純なハッピーエンド主義者ってことになるが、今までの論争を見ている限りそう単純なものでもないわけで、態度が今ひとつ不明瞭ではある。


>「明示されてなければ全ての解釈は誤り」及び「遡及説」をとった場合、推理小説を中心にかなりの小説・漫画は娯楽として成立しなくなるような気がするんだけど……たとえば、コナンの殺人犯半分くらい無罪扱いにできるんじゃね。

これは私DG-Law自身がコナンを読んでないし、あまり推理小説も読んでないのでなんとも言いかねる。というかこれ、ほとんど六軒島的な何かな議論ですよね。赤字で宣言されていない限りは死んだふり、だとか。その意味では、遡及説側の『ひぐらし』『うみねこ』評価は若干気にならなくもない。私は『ひぐらし』も『うみねこ』もそれなりに高評価している。『うみねこ』はEP6でぐっとおもしろくなった。


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2010年05月19日

Kanon問題の追記:訂正と反論

先に、反論を受けて自説に訂正を加えたい。

まず、何か誤解されているようで、これは一重に私が回りくどく書きすぎたせいだと思うのだが、別に私は遡及説を否定しているわけではない。「「みんな助かる」のはもちろんKanonとは別の物語ですが、「誰かが犠牲になる」のもまたKanonとは異なる別の物語です。」というのならば、それは合意できる。そもそも私は前回「2003〜05年に流行した時点でさえ「どちらとも解釈できるから後は好みの問題」という結論が出てしまっており」と冒頭の段落で書いているのだが……

微妙にツイッターでつぶやいてしまったが、今回の私の動機は、最初に八柾さんのブログでKanon問題なるものを知ったのが発端であった。それまではさっぱり知らなかったし、興味も無かったのである。しかし、八柾さんと短い討論をしているうちに興味がわいた。折りしも世間で微妙に話題になったのは、タイミングが偶然重なっただけである。いや、八柾さんがその話題に加わっていた以上、完全に無関係というわけではないのだけれど。

それで、じゃあなぜこのような自説を述べるに至ったかと言えば、上記のような状況であると掲げられているにもかかわらず、過去ログをさかのぼっていくと出てくるのは遡及説側の意見ばかりであり、それだけなら別にまだ問題とするところではないのだが、なぜか決定論をなきものにしようと持っていくような態度が見受けられたからである。議論の歴史上、なぜこれだけ決定論が弱い立場であったのかは、いまだに理解できないところである。いや、立場が弱いというと語弊があるかもしれないが。

そしてこの構図は、現在においても変わっていない。そりゃ、論争の片方がもう片方について「歴史修正主義者同様」「「直感的な正しさ」を保有した「偽の命題」」「潰し続ける」等と言ってしまっているのは、態度としてあんまりなのではないか。立場の弱い側としては、裏切られたも同然だ。「遡及説論者が内心では自説以外あり得ないと考えていて、結論ありきで議論に参加しているのではないか」、という疑念が私にわくのは当然であろう。そして過去ログの遡及説側の論拠を読んでも納得しなかった。ならば、「どちらも別のKanon」という風潮に是正するには、決定論側として論拠と議論のたたき台となるものを書かざるをえなかったのである。

なので、実のところ、そちらが「どちらも別のKanon」であることを確認し、「対歴史修正主義者」的態度について再考してくださるのであれば、私の提議の8割はそこで終了する。残りは細々とした議論でしかない。これを最初に書いておくべきだったので、訂正しておく。私が変にぼかしたせいで、無用な労力を使わせてしまったのならば申し訳ない。しかし、この要求は決して撤回するつもりはない。


次にこれこれを受けての訂正である。「多い」と濁したのは舞・真琴ルートを踏まえたものである。内実に差があるが、同じスーパーナチュラルとして括っても特に言及の必要は無いと考えていた。私にも過度に言いすぎたところがあった。若干熱くなっていたところは認めざるをえない。

その上で、以下のように私の立場を加筆しておく。スーパーナチュラルの種類が複数であることと、「あゆの奇跡」のルールが名雪・栞に適用されるということは、相互に矛盾するわけではない。そして、あゆの物のみ特定のルールを守ることで特別な、より高次の奇跡となったと言っていい。複数ライター制の弊害というのなら、それでもかまわない。しかし、スーパーナチュラルが複数存在するから奇跡にルールは必要ないと言われても、私はなんら納得できない。思えない理由については前回の第1・第3の論拠による。また、下のほうで若干の関連したことを書いておく。


以上のように2点訂正したところで、以下はここから気になったものだけピックアップして応答・反論したい。

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2010年05月17日

Kanon問題で決定論(過去確定的共有説)を主張する

ポータル記事として(後日設置)。

Kanon問題の追記:訂正と反論

Kanon問題追記の追記:というか締め
Kanon問題を締めた後に続いたもの。

以下が最初に行った問題提起の文章である。だが,その後の議論の展開から言って,それほど重要ではない。

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2010年05月09日

かわいそうな人

《ラパン・アジル》ユトリロ損保ジャパン美術館のユトリロ展を見に行ってきた。ユトリロは20世紀前半に活躍したフランスの画家で、都市景観画で活躍した。

ユトリロといえば、孤独の画家と評されることが多く、その人生が注目されることが多い。父親は後にとある画家が認知したものの、彼が7歳になるまで不明あった。母親は芸術家志望、もしくは芸術家崩れの女で、ユトリロの父親が長らく不明であったというあたりでいろいろ察して欲しい。しかし美貌は本物で、ルノワールやロートレック、シャヴァンヌといった名だたる画家がモデルとして使っていたため、金銭的には不自由していなかったようだ。

そのような環境のせいか、ユトリロは13歳で飲酒を開始するとするにアルコール中毒になった。酒乱で放浪癖もあったため、仕事についても長続きせず、17歳で精神病院にぶちこまれた。以後、アル中は生涯に渡って彼につきまとうことになる。しかし、そこで治療の一環で描いた絵がことのほかうまく、これが芸術家志望の母の目に留まり、ほとんど独学でスタートした彼の画業が始まる。すぐに人気が出て、一次大戦直後の1919年、パリで開いたユトリロ36歳の個展を機にトップクラスの画家となった。

この頃、彼のマネージャーをしていたのは彼の母の新しい夫、つまり義理の父親であったが、この義理の父はユトリロ自身よりも3歳も若く、派手好きで、ユトリロの母とともにユトリロの稼ぎを荒遣いしていた。ユトリロは当時のアル中治療の方法として、鉄格子の中に閉じ込められ、取材以外の用事ではほとんど外に出してもらえず、画業に専念させられた。それでも彼自身は金にも名誉にも興味がなかったため、その境遇を甘んじて受けていたという。ただし、ユトリロの画中に登場する女性は異様に腰(くびれ)が大きく、これは女性嫌悪の現われであると指摘する美術史家もいる。

1938年、55歳になるとユトリロ自身も結婚し、ようやく母の束縛から逃れたと思うと、今度は妻によって束縛され、またしても鉄格子の中で機械のように絵を描くことになる。結局、彼は死ぬまでこうであった。ユトリロは、とことん周囲の人間に恵まれなかった人物であったと言える。これが孤独の画家といわれる所以である。なんとも、不幸な人生であろう。


彼の画風は「エコール・ド・パリには珍しいフランス人」と分類されているが、見れば明らかにポスト印象派と野獣派の影響は強く、ベタ塗りで厚塗りなのは確実に指摘されるところであろう。損保ジャパンではキャプションでナビ派に分類していたが、それも納得されうる。そうすると勘の良い人は「DGさんの好みと違うんじゃないか」と言ってくれるんじゃないかと思うが、それはその通りである。一方で、それでもユトリロの絵にどこか惹かれるのは、彼の無機物に対する執着心ゆえではないかと思う。

ユトリロはパリを離れるとき、数少ない友人に「思い出として何を持っていく?」と聞かれたとき、「漆喰」と答えたそうだ。彼の建物に対する執着は、明らかに他のパーツとはわけが違う。細かな壁のしみや石畳にこびりついた泥が、非常なリアリティをもって描かれているのである。建築物好きとしては、彼の執着にはかなり同感できるところがある。同じくエコール・ド・パリでアル中なモディリアーニを、私がどうも好きになれないのは、彼の執着が女性の方向に向かっていたせいではないだろうか。
  
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2010年05月08日

非ニコマス定期消化 2009.12月下旬〜2010.1月上旬

クリスマス的・年末なネタが多め。




今年もやってきていた谷屋さん。



確かに、レミリアに踊らせるならこの曲ではある。相変わらずこのモデルの出来はいい。モーションも悪くない。



4分割画面でどこ見てたらいいかわからなくなる動画。しかし、気付くとパチェとレミリアを見ているという悲しい性である。このドット絵は本当にすごい。



ヒャダインによる一人紅白ダイジェスト。これで紅白は見たも同然である。なんで小林幸子そんな扱いなのw



小林幸子まとめ動画。これは使える。まあ完全にFFのラスボスなわけだが、「年末をこえて新年が近づく…」ってだれうま。



「視聴できません」は真っ赤な嘘である。しかし、画像がひどいため確かに視聴できないw。歌はガチ。



新年早々大爆笑した動画。しかしひどいバグだなぁこれは。




懐かしいものも貼っておく。この空耳は好きである。pya!住人だった一時期は毎日聞いてた。



けっこうドラクエって残酷である。ドラクエ6までのまとめ動画だが、やはり7は突出して残酷だったと思う。



歌はうまいが基本的に出オチ。タグが完成されすぎているところで満足する動画とも言う。随所に昔なつかしの社長の雰囲気を感じないこともない。
  
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2010年05月07日

書評:『四畳半神話大系』『新釈 走れメロス』『夜は短し歩けよ乙女』森見登美彦著、角川・祥伝社・角川文庫

ツイッターで散々「明石さんかわいいよ明石さん」とかつぶやいてしまったので、今更ながらまとめておく。森見登美彦の作品は決まって共通点がある。京都が舞台だとか、主人公は必ず京都大学生でうだつの上がらない風采をしているだとか、しかも高確率で農学部生であるだとか、なぜかどれを読んでも城ヶ崎先輩と樋口さんと羽貫さんは登場するだとか、そんなんである。

しかし、逆にヒロインの場合、必ず黒髪の乙女であるという点しか共通点がない。なんというか、この「黒髪の乙女」という発想がとても童貞くさくてよろしい。しかし、その彼女らの性格は、意外と小説ごとに異なっていたりする。水尾さんも明石さんも、夜は短しの「乙女」も、それぞれ異なった個性を持つ。一番ドライなのは『太陽の塔』の水尾さんだろうし、実は一番とっつきやすいのは、間違いなく『夜は短し』の「乙女」だろう。

それでも何より、一番(私が)萌えるのは『四畳半』の明石さんである。森見作品最大の萌えキャラと言ってもいいし、今期のアニメ最高の萌えキャラと言っても過言ではあるまい。これまた森見登美彦らしい造形のキャラではあるのだが、彼女はいかにも我々「非モテ」にとって都合がいい。彼女自身がモテ男の思考では理解できない思考回路を持ち、かとって電波すぎない。それでいて、非モテの捻じ曲がった発想を理解するだけの柔軟性を持ち、そして我々の突飛な行動を「珍獣扱い」ではなく、真意を理解した上で楽しんでくれる。「黒髪の乙女」という外見は、美女でありながらモテとビッチがもてはやされる世の中の風潮には染まらないという意思表示であり、表象なのだ。これで我々が惚れないわけがなかろう。(そしてまた彼女は,「表象」とか言っちゃうプチインテリ層に受けがいいのである。ここに,主人公が京大生である意義がある。)


一応作品評も書いておく。実は女性があまり絡まない分、そして二次創作であるがゆえか、一番ケタケタ笑いながら読んだのは『新釈 走れメロス』である。このパロディっぷりはひどい。特に表題となっているだけあって、『走れメロス』は渾身の力作であった。怒涛のギャグの嵐である。森見登美彦入門編としても優れているので、まずはここから入るとよかろう。

『夜は短し歩けよ乙女』はやや冗長なところがある気はする。また、これは個人の趣味なのだが、森美作品では最も自分の好みから外れた「黒髪の乙女」ではあった。ただし、五作目ということもあり、李白さんや樋口さんが最も生き生きとしているのはこの小説であり、森見作品の中核といった雰囲気もあった。もっとも、私もまだ全作品読んでいるわけではないが。

総合すると最高傑作なのはやはり『四畳半神話大系』であろう。『太陽の塔』でもいいが、やはりあちらはデビュー作というだけあってまだ荒削りと言った感じがする。『四畳半』は二作目にあたるが、随分と読みやすくなっていた。話の筋はよくあるループ物ではあるのだが、叙述が巧みでループ物という使い古された題材をうまく用いているところに好感を持った。トドメが明石さんのキャラクターである。最後に一言言わせてほしい。明石さんに坂本真綾をあてた人、天才。



四畳半神話大系 (角川文庫)四畳半神話大系 (角川文庫)
著者:森見 登美彦
販売元:角川書店
発売日:2008-03-25
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夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)
著者:森見 登美彦
販売元:角川グループパブリッシング
発売日:2008-12-25
おすすめ度:4.5
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新釈 走れメロス 他四篇新釈 走れメロス 他四篇
著者:森見 登美彦
販売元:祥伝社
発売日:2007-03-13
おすすめ度:4.5
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2010年05月04日

書評『ハチはなぜ大量死したのか(Fruitless Fall)』ローワン・ジェイコブセン著,中里京子訳、文藝春秋

本書は『Fruitless Fall The Collapse of the Honey Bee and the Coming Agricultural Crisis』(『実りなき秋 ミツバチの崩壊と農業危機の到来』)の全訳である。先に書いておくが,本書は超良書であった。ぜひ読んでみてもらいたい。


皆さんは蜂蜜がお好きだろうか。私は大好きである。北米やヨーロッパにおいて,大した危機もなく比較的楽に稼げる事業であったのが養蜂業であった。しかし,1990年頃から天敵のダニの大流行を初めとして,安価な中国産・偽装製品の進出などが重なり,厳しい状況に置かれていった。そして2007〜08年にかけて、謎の奇病が流行し、北半球の1/4のハチが突如として「失踪」した。

ポイントはいくつかある。まず、北半球で1/4と推定されていることだ。日本ではこの事件がほとんど話題にならなかったように,養蜂が盛んな地域として日本や中国,ロシアでは影響が少なかった。ということは逆に,ヨーロッパミツバチを用いているヨーロッパや北米ではどれだけのミツバチが消えたのかということは想像にかたくない。と同時に,なぜヨーロッパミツバチ特有の現象であったのか(もしくは特有に見えるような事態が起きてしまったのか)ということは当然浮上する疑問点となる。加えて,ハチたちは死亡したのではなく,死体もなく,跡形なく失踪してしまったという点も非常に奇妙である。蜂蜜と蜂児・女王蜂・雄蜂を残して,働き蜂だけが失踪・大量死した。この点もまた過去にない現象であった。

本書の前半部分はこの現象を解決しようと努力する人たちを追ったルポルタージュである。多くの人はまずダニのせいにしたが,解決しなかった。次に病原菌・ウイルスのせいではないかと疑い,様々な研究がされたが,むしろ「現在のミツバチは多様な病原菌に侵されている」ということが判明した。農薬や遺伝子組み換え作物も犯人扱いされたが,どれも容疑者どまりで終わり起訴されるに至らなかった。

ややネタバレになるが,結論から言えば,ハチたちの大量死の原因を特定の犯人に押し付けることはできなかった。では何が原因でどうすればよいのか? というのが本書の後半部分である。前半部分の犯人探しも迫真的な描写でおもしろかったが,この後半部分が本書の肝であり,非常に示唆に富んだ文章となっている。そして本書の末尾を読むと,楽観的な気分よりは暗澹たる気分にさせられる。

以前,私が『不都合な真実』を読んだときに「環境保全なんて近代文明に反する行為だということは自己認識した上で行うべき」と言ったことを書いたらひどく反響があり,各所からDGさんらしくないネガティブ思考と言われてしまったものだが,本書の示唆するところは私の意見に割と近いながら,より恐ろしい予言となっている。つまり,近代文明はすでに行き詰っており,危うい均衡の上に立っている。そのため,特に現代農業の抱える諸問題は喫緊の課題であるということ。このハチの示唆することに地球温暖化等に比べて我々の生活に相当直接的であり,「近い」。現代農業の崩壊はハチから始まった,などと書かれる日もありうるだろう。


訳者後書きにも書かれていたが,ニホンミツバチは生産性においてヨーロッパミツバチに劣るが,独自の行動様式を持ち,今回の現象にはあまり影響を受けなかった。願わくばニホンミツバチが蜂蜜の救世主とならんことを。


ハチはなぜ大量死したのかハチはなぜ大量死したのか
著者:ローワン・ジェイコブセン
販売元:文藝春秋
発売日:2009-01-27
おすすめ度:4.5
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