世界システム論において取り上げられやすいものといえばまず砂糖。次に茶かコーヒーであろう。してみると,ココアやチョコレートは果たした役割としては茶やコーヒーに近似するにもかかわらず,陰が薄い。これは単純にココアが茶やコーヒーに比べてややマイナーな飲み物であり,チョコレートに至っては砂糖が先に無いと成立しない菓子だからではないかと思う。しかし,ココア・チョコレート好きとしては,やはりこれも世界史の中で扱って欲しいのである。本書はそのような甘党の欲求に答えたものだ。
序章はカカオからチョコレートとココアが作られるまでの工程や,現在のカカオ豆生産地の分布など,基本的な情報の提示。1章はカカオの原産地,中央アメリカでカカオがいかに利用されてきたか,アステカを征服したスペイン人がカカオをいかに扱ったかについて書かれている。スペイン人のプランテーションのもと,カカオ豆は一気に増産された。カリブ海のスペイン独占が崩れ,西欧各国が植民地を形成すると,カカオの流通経路も一つではなくなった。世界史的には大西洋三角貿易の話も出てくる。サトウキビやコーヒーと同様に,カカオもプランテーション経営された。
2章ではココアとチョコレートがヨーロッパに受容されていった過程が述べられている。最初はカカオ豆を粉砕してできるカカオマスを固形のまま調理する技術が無かったため,ココアのみが生産された。そのココアも飲料というよりは薬品として消費された。これも砂糖やコーヒーなどと同じ道をたどっていると思うが,カトリック圏では宗教上の事情によりココアは飲料か薬品かという区別が重要であり,その論争がなされた。また,コーヒーに比べても高級なココアは顕示的消費の対象となり,富裕層に好まれた。一方,苦くて油っこく飲みにくいココアを,脱脂とアルカリ化によって飲みやすく改良したのはプロテスタントのオランダ人,
ヴァン・ホーテンであった。19世紀前半のことである。
3章の舞台はイギリスである。19世紀前半,イギリスが覇権国家として自由貿易体制を整えていくにつれ,カカオも砂糖も価格が暴落し,中産階級や労働者にも手が届くものになりつつあった。19世紀半ば,とうとうココアを脱脂するのではなく逆に油脂を加えることで,固形に成形する技術が生まれた。チョコレートの誕生である。19世紀後半,さらに,これに砂糖を加えて甘くし,牛乳を加えることでまろやかすると,非常に食べやすくおいしいお菓子となった。この改良を行ったのはスイス人の
ネスレである。ベルギーでもチョコレート生産が始まるが,
ゴディバの創業は1926年のことであり,他に比べると案外遅い。おりしも時代は帝国主義であり,アフリカでもカカオの生産が始まった。おもしろいのは,
この段階においてもいまだココアは薬品の扱いであり,その普及にはホメオパシーがかかわっている。
4章では舞台をイギリスに戻し,その代表的なココア・チョコレートメーカーの発展の過程を見る。宣伝戦略によりココア・チョコレートは次第に客層を広げていった。特にココアが子供の飲み物としてピックアップされるようになったのは19世紀末のことである。4章後半から5章にかけては,やや話を脱線して,イギリスのココア・チョコレートメーカー経営者にはクエーカー教徒が多かったことに注目し,クエーカー教徒たちの社会正義を目指す活動に焦点を当てる。教育や貧困問題を通じて,彼らは社会の改良に取り組んだ。脱線と書いてしまったが,この部分が著者の本来の専門らしい。
6章は戦争とチョコレートのかかわりが述べられる。チョコレートは民間への配給品,軍需物資として二度の大戦を生き延び,潜水艦向けに溶けにくいチョコレートの開発が進められた。1935年,
キットカットが発売になり,大ヒット商品となる。ウェハースをコーティングするという発想も,割りやすい溝も画期的な発明であった。
7章ではWW2の戦後復興とともに,チョコレートマーケットがヨーロッパだけでなく,世界に広まっていく様子が描写される。日本人としては,どうしてもギブミーチョコレートを連想するところである。チョコレートの普及に伴い商品としてのオリジナリティも求められるようになり,キットカットは今に続く「Have a Break」路線を突き進むことになる。なんとこの謳い文句は1962年から変わっていない。一方,国際的な市場の拡大は競争の激化を生み,大企業同士による兼併が増加した。1988年にネスレがキットカットのメーカーを合併したため,ネスレ所有のブランドとなっている(日本では不二家がライセンスを借りている)。ゴディバにいたっては,なぜか全く関係ないキャンベル・スープ社が買収した。もっとも,ゴディバの宣伝に成功したのはこのアメリカ企業の功績ではあるのだが。
これでも必要最低限の情報だけでまとめた感じなのだが,新書にもかかわらずご覧のように内容充実である。お勧め。超キットカット食べたくなること請け合い。
チョコレートの世界史―近代ヨーロッパが磨き上げた褐色の宝石 (中公新書 2088)著者:武田 尚子
中公新書(2010-12)
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