2011年04月29日

オランダ黄金期の宝庫

pic_vermeer文化村のシュテーデル美術館展に行ってきた。もちろん最大のお目当てはフェルメールの《地理学者》ではあったのだが,それ以外の展示も非常に豪華で,満足の行くものであった。シュテーデル美術館はフランクフルトにある美術館で,主に市民の寄付によって成立した。宗教的にはカトリックが多いがドイツを代表する商業都市でもあるという妙なバランスからか,地理的な近さもありオランダ・フランドル双方の絵画が非常に多い。作品があまり貸し出されることはないのだが,今回改装期間ということで珍しく大規模に海外に貸し出された。日本に来たのもその一環で,東京以外では愛知県の豊田市美術館に巡回する。

まずはフェルメールから話を片付けていこう。画面の左に窓を配置しそこからの採光で画面全体を照らすのはいつもの構成でまったくぶれていない。裏のタンスの上に乗っているのはおそらく天球儀で,壁にかかっているのがヨーロッパの地図。ともに地理学者の持つコンパスとあわせて,この人物が地理学者だえることを示している。この地理学者はかなり裕福であるらしく,画面前方の絨毯はかなり豪華な刺繍が施されている。この辺はキャプションで知ったのだが,地理学者の服装は日本風を取り入れた当時の最新モードで,壁の下方に敷き詰められている青いタイルは模様から言ってデルフト焼で,フェルメール地元の名産品であった。

一方,その絨毯の奥の地理学者が寄りかかっている机はかなり雑然としており,床にまで書類が散乱している。地理学者はどこかすっきりとした表情でコンパスを当てていた紙面から顔を上げ,窓の外を見つめている。この情景が明け方だとするなら,徹夜作業で何か思いついた瞬間の表情のように思えなくもない。このありがちだけど微妙に表現しがたい一瞬の切り取りこそ,フェルメールの得意分野であった。ここにはキリスト教的寓意はほとんど(全く?)含まれていない。

フェルメールが学者を描いたもう一作《天文学者》との関連は,一対の連作であるという意見と,消失してしまっただけでフェルメールは他にも人物画を描いており特に関連性はないという意見がある。本展覧会のカタログは関連性があるという意見をとっていた。まあシュテーデル美術館の学芸員としては関連性があったほうがおもしろいと思うだろう(カタログの解説を書いたのは担当学芸員本人の模様)。なお,前述の通り,私がフェルメール作品を鑑賞するのはこれで12点目である。で,なにやら年末にまた3品もフェルメールが文化村に来るらしい……ペース早いな……本当に日本にいるだけでかなりのフェルメールが見れてしまいそうな。


フェルメールの作品が《地理学者》だった関係で,一応のテーマは「オランダと大航海時代」であった。以下はフェルメール以外の作品について,興味のあるところを取り上げて。
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2011年04月28日

わかりやすい反合理主義の芸術家

ミニチュア太陽の塔近代美術館の岡本太郎展に行ってきた。岡本太郎の人気がある理由は,そのわかりやすさと意味不明さのバランスがうまく取れている,ないし現代の日本人にちょうど適しているからではないかと思う。規範を失った現代芸術では,自らの作品で規範と内容の両方を示さなくてはならない。しかし,わかりやすくすれば力強さに欠けた作品になり,深淵にしすぎれば独りよがりで専門家しか理解できない作品になる。この双方は必ずしも対立するものではないが,基本的には相容れない要素であるため,難しい。

これを岡本太郎は,シュールレアリスムと抽象表現主義をうまく折衷することで独自の画風を確立して解決した,とキャプションに書いてあった。その上で自らの流儀を「矛盾した様々な要素を矛盾のまま画面上でぶつけあう"対極主義"」と名付けた。実際にはそんな単純なところではなく,フォーヴィスムやキュビスムの要素もかなり強く,原色の曲線を重ねていくやり方はシケイロスあたりの影響もあるのではないかと思うのだが,まあ細かいことを言うのは抜きにしよう。確かに,こう説明されれば納得は行く。現代芸術の潮流の中で,比較的わかりやすいけど単調になりがちなのがシュールレアリスムで,逆に意味不明の極北は抽象表現主義ではあるので。

もう一つ,今回見て思ったのは,岡本太郎がうまく自分の作品を解説しているということである。美術史学という学問をやっていると,大体画家本人の証言はあてにならないというのが共通認識になっていく。よくありがちなのがまず,説明しようとして思わず大嘘ついてしまったり,当初の作品内容には無い内容を言葉で付加しようと躍起になってしまう例。私の研究課題だったカスパー・ダーフィト・フリードリヒもややこの傾向があった。もう一つが,何かうまいこと言おうとして電波を受信し,結局まるで説明になっていない例。現代芸術家は後者になりがちだが,岡本太郎の説明はかなりわかりやすかった。これは彼自身がインテリだというのと,「大衆に開かれた芸術」を標榜していたのが大きいのではないかと思う。ただ,晩年はそれが行きすぎてわかりやすさを狙い続けた挙句,「芸術は爆発だ」の領域に達してしまい,マスコミからは奇矯の天才扱いされるようになってしまった。この点はキャプションでも「よくも悪くも」と表現していた。(なお,実は私は「芸術は爆発だ」の初出であるCMをこの会場で初めて見た。周囲の鑑賞者は「懐かしい」と言っていた。)


最後に。太陽の塔に関する展示が充実していのは嬉しかった。一応短い期間ながら大阪府民であったし,それも千里中央に住んでいたので万博記念公園にはよく遊びに行った。また,森見登美彦のファンでもあるので,太陽の塔にはそれなりに思い入れがある。小学校のときには「どうしてこんなけったいなものを」と思っていたものだが,今思えばあの感想は岡本太郎が鑑賞者に感じて欲しかったものと合致していたのだから,正しい感想だったのだなと思い返した。バリバリの近代主義・進歩主義の場であれだけの反合理主義的なモニュメントを建ててしまうというのは,相当な先見の明だったと思う。太陽の塔自体「よくはわからないけど,とりあえず万博の場ではすっごい浮いてるしすごいインパクト」という絶妙のラインを突いた作品で,非常に岡本太郎らしい。

  
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2011年04月27日

キリエ・エレイソン(2) −魔法少女まどか☆マギカの私的解釈・感想

『Fate/zero』1巻のあとがきで,虚淵玄が「エントロピーの増大でどうせこの世は終わってしまうというペシミズムのせいでバッドエンドしか書けない」とか言っていたときは,正直何いってんだこいつとしか思えなかったのだが,今ならばこのスケールで考えてればそりゃね,とは思えるようになった。

以下,ネタバレ全開。まず,いろいろ解釈の分かれているらしい12話の自らの解釈を提示し,前回のキリスト教的解釈がどの程度ネタで書きどの程度マジで書いたか開陳した後,適当に感想を述べ,最後に「それだけはないだろう」と思った解釈にだけ少しだけ反論して締めることにする。

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2011年04月25日

第188回『ゾロアスター教』青木健著,講談社選書メチエ

本書はゾロアスター教を中心とする,古代のアーリア人の宗教についての本である。「古代アーリア人」とは紀元前二千年紀の世界において中央アジアにいた原始的な遊牧生活を営んでいた印欧語系の集団である。この一部が紀元前1500年頃にインド北部に侵入し,また一部がイラン高原へ移住してイラン人となった。この時点ではいずれも世界全体から見れば辺境の諸地域に広がった少数派に過ぎないのだが,インドの一派はドラヴィダ人を征服,混血しながらガンジス川流域へ進出し,カースト制をインドに根付かせ,やがてヒンドゥー教へと発展する。一方,イラン人となった一派もアケメネス朝ペルシア帝国がオリエントを征服して,一躍歴史の最先端地域の表舞台に立った。

さて,この移住前後の中央アジアにおける古代アーリア人の宗教とはいかなるものであったのか。文献史料が存在しないため研究は困難だが,アケメネス朝以後のゾロアスター教やヒンドゥー教の共通点から類推は可能である,というのが20世紀のアーリア人研究の手法らしい。そもそも伝説に従えば,ゾロアスター教の開祖ザラスシュトラ・スピターマの出身地自体がソグディアナ地方(現在のウズベキスタン)にあたり,活動時期も紀元前12〜9世紀頃とされるから,まだ移住の途上の段階である。

そしてこのゾロアスター教は現在こそイスラーム教に染まる前のイラン人の代表的宗教のように扱われているが,実はその浸透に長い時間がかかっており,混在の状況が千年近く続いた。完全に他の古代アーリア人の宗教を駆逐しきったのはササン朝の国教に採用されてからだが,これも偶然によるところが大きい。ササン朝の開祖が,ゾロアスター教系の神官の家系でなければ,これほどの大繁栄を遂げることはできなかった。したがって聖典『アヴェスター』が国家主導で編纂されたのも,ササン朝の初期,3世紀後半頃である。これはその成立にゾロアスター教の影響が見られるユダヤ教と逆転して,『旧約』よりもかなり遅い成立になる。改めて言えば,本書はゾロアスター教の成立過程を追いながら,古代アーリア人の原初的宗教風景を描き出そうとするものである。

それでも,ザラスシュトラが天才的な宗教家であったことは疑い得ない。善悪二元論により,宗教が倫理性を持ったこと。救世主思想,終末思想と最後の審判(もっとも救世主思想と最後の審判は,正確には弟子の発想らしいが)。このあたりのエッセンスだけが抜き出されて,ユダヤ教に影響を与えた。一方,ゾロアスター教は乾燥地帯の遊牧民的な土着の色彩も濃く,有名な鳥葬,やたらと聖水として牛の尿を用いること,犬も聖獣の一種であること等々。この民族色を薄く出来なかったところがゾロアスター教の限界であり,世界宗教になれないどころかユダヤ教未満の脆弱さを露呈し,ほとんど滅んでしまった。なんと,『アヴェスター』の約70%は現存していない。

本書はその後のイラン人がたどった歴史も扱っている。イラン高原に残ったイラン人はイスラーム教に改宗しゾロアスター教は捨てたが,そこは世界宗教イスラーム教なので,教義に反しない範囲での生活習慣として,ゾロアスター教的要素は暗に生き残った。逆にインドに亡命したゾロアスター教徒は(いわゆるパールスィー),アフラ・マズダに対する信仰としてはぶれなかったが,それまでの理知的なゾロアスター教から儀式・祈祷中心のヒンドゥー教的色彩の強いものに変質してしまい,農耕民族になったため生活習慣としても「イラン人」ではなくなってしまった。こうして,別々の部分だけが残り,完全なゾロアスター教徒が現存していないところに,この宗教の悲劇がある。


総じて,非常に綺麗にまとまったゾロアスター教の紹介本と言える。著者はこの次に『マニ教』も刊行しているのであわせて読みたい。


ゾロアスター教 (講談社選書メチエ)
ゾロアスター教 (講談社選書メチエ)
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2011年04月23日

キリエ・エレイソン −キリスト教的に解釈するまどか☆マギカ

かなりこじつけているので,穴だらけご容赦。ネタバレ全開。まじめに書いた方の感想・考察記事はこっち

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2011年04月22日

オスマン人はロマン

・カダフィー、トルコ人労働者に帰還呼びかけ「みな、我々はみなオスマン人」
→ カダフィの迷言は通常営業だが,今回の妄言はちょっと惹かれた。ロマンにはあふれる一方で 「お前は何を言っているんだ」感がぱない。
→ 実は遊牧民のテュルク系ではない「トルコ人」という意識が生まれたのは19世紀末の頃で,その頃まではオスマン帝国政府は民族主義ではない国家主義として「オスマン人」という意識の醸成を目論んでしたし,ある程度アラブ人意識の押さえ込み成功していたらしい。でなければ帝国が崩壊しまうからだ。が,次第に支配者の側であるトルコ人のほうが「トルコ人」民族意識に目覚めてしまい,オスマン人という理想は霧散した。無論,アラブ人側の民族意識も高揚していた。
→ そこを取って,最近は19世紀末まで,「オスマン=トルコ」という言い方から「オスマン帝国」という言い方に変えられつつある。古い教科書で学んだ人は要注意。
→ という「オスマン人」についての歴史的知識がないと理解できない実は高度なギャグが,表題である。
→ 確かにリビアって北アフリカ最後のオスマン領だったよね!モロッコは支配に失敗しているしアルジェとチュニジアは独立されてるし,エジプトもムハンマド=アリーがね。リビアは比較的オスマン政府に従順だった。
→ でもカダフィさんはちょっと前までアフリカ連合を推進していたわけで,ちょっと辻褄が合わない。
→ そういえば,最後のオスマン王家の人間が死んだとかいうニュースを前に紹介したなと思い検索したら見つかったので再掲。「最後のオスマン帝国人」E・オスマン氏が死去、97歳(ロイター)


・姪のテストを見て驚愕。これで100点を逃したようです。かなり神経質なんでしょう。(twipic)
→ この漢字テストの採点はあらゆる意味で間違っている。まず活字と書き文字というのは違うため,実は細かな止め跳ね払いまでは採点できない。
→ 五十歩譲っても,活字にも書き文字にもフォントは無数にあるため,どれかに固定はできない。活字にしても,まず教科書に載っている文字は「教科書体」という特殊なフォントであり,楷書でも明朝体でもゴシック体でもなかったりする。しかも教科書体にも複数種類ある。
→ 百歩譲っても,これは漢字テストであって書道のテストではない。字体の美しさを競う物ではなく,相手が読み取れる字を正しく書けるかどうかのテストである。正しく書けているのにはねられてはたまらない。
→ さらに文句をつければ,漢字にしろアルファベットというのはカリグラフィーというのもがあるわけで,フォントの多様さはそのこと自体が文字というものに秘められた芸術性の高さを示す。
→ 教師も万能ではないし,ひょっとしたら指導要領やこの県の教育委員会がいろいろうるさい可能性もあるため,必ずしも教師はたたけない。が,人間は万能ではないからこそ,寛容になるべきだ。こうした理不尽は決して子供を成長させない,というのが私の考え。コメントにあるが,そもそも教師の書いている「る」の字がはみ出ているので,これも△減点ということになるだろう。
  
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2011年04月19日

掃除はしようと思いつつ

・昔から日本人は働きものだったのか?(コトリコ)
→ 『反社会学講座』に「日本人いい加減史観」がある,というのを言ったら,他の方も出していた。それなりに有名ですよね,アレ。
→ 江戸時代以前の日本人はさらにいい加減だった。平成はそれに回帰する動きもあるか?
→ つまり,昭和が例外すぎると思う,戦前ににしても戦後にしても。


・片付けできない人の思考回路(ピアノ・ファイア)
→ この心理は非常に理解できる。自分の場合も大体当てはまるが,「他人に迷惑がかかりそう」ってのでようやく歯止めがかかる。友達が部屋に来ることがわかると掃除が始まる。
→ が,これにより友人に奇襲されるとなすすべもない。で,なんか最近奇襲が多いせいでうちの下宿は汚いというイメージが蔓延しつつあるような。ぶっちゃけうちが汚いのはお前らのせいだよ!
→ ちなみに「いつでも片付けられる」はそのうち「汚いように見えて機能的な配置をしている」から「片付ける必要がない」に進化するって,こち亀の両さんが言ってた。で,友人が来ないうちの自分はまさにこの状態に行き着いてしまっているという。
→ なお,私は宿題・課題・レポートを片付けるのは早い。洗濯もこまめ。にもかかわらず,部屋の掃除だけ遅々として進まないのはなぜでしょう。



以下,春アニメの感想でも。今期は珍しくけっこう見てるぞ。上から評価の高い順。
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2011年04月18日

第187回『アーティスト症候群』大野左紀子著,明治書院

ネット上とはいえ知っている人が著者だとブックレビューすごく書きづらいという感覚を久々に思い出した。過去に指導教官の本をレビューしていて何を今更って話ですが。

本書はアーティストをやめた著者が,アーティストという言葉の拡散や世間での扱われ方について述べたものである。アーティストとは訳せば「芸術家」だが,カタカナになることで幾分軽くなり,純粋芸術以外にも使える言葉になった。結果として,アーティストという言葉の指す範囲が拡散し,何を指す言葉か判然としなくなってしまった。その原因としてまず本来の純粋芸術筆頭である美術の側が解体され,「絵描き」じゃない美術(作)家が誕生し始めたところにある。そして1980年代頃から「アーティスト」という言葉が使われ始め,そこに日本美術業界の様々な仕掛けがあってゆっくりと広がっていたことを本書は描写している。どちらかといえば次章のJ-POPの項目で触れられているが,これはオリジナリティ偏重でもあり,芸術とは個性の発露というやはり現代的な視線も含まれている。


芸能人のアーティストについても触れており,例として何人が大きく取り上げられている。ついでだから著者にならって私も一言ずつコメントしておくと,まず私のセンスも保守的なのでジュディ・オングの作品は嫌いではない。ただし,八代亜紀ともども死ぬほど古臭いことは認めざるをえないし,芸能人という肩書きがなければ特に注目を浴びるものでもないだろう。一方,芸能人の片手間にこれだけ描けたら,確かに日曜画家の領域は脱してるなという擁護(?)はしておく。

工藤静香の絵は,そもそも私が二科展系の作品は胡散臭くて嫌いだというのを置いとくとしても著者の「中学生にしては早熟で上手いかもしれない」に同意しておく。片岡鶴太郎は一番うまくやってるなという印象はあるが,うまくやりすぎて芸能人の中でも例外的な人になってしまったような気はする。なお,本書では「個人美術館を3つ持ち」とあるが,出てからできたのか現在は4つの模様。片岡鶴太郎とジミー大西の違いは本書の分析の通りだろう。ジミー大西は天然だから嫌われにくい。アーティスト系分類の二人に関しては何も言うことがない。

テレビ番組も二つ取り上げられている。『誰でもピカソ』と『なんでも鑑定団』である。両方,中学高校の頃は毎週かかさず見ていたが,大学に入って実家を離れるとともにテレビ離れし,見なくなってしまった。『誰ピカ』は確かにアートバトルをやっていた頃が一番おもしろかった。アートバトルが終わってしまった頃に同時に本編のほうもネタが切れてしまい,それこそ「アートの領域」を無理やり拡大して番組を続けている感がある。それに比べると『鑑定団』は良い長寿番組だと思う。見なくなってしまったのは単純にテレビ離れしてしまったがためである。(ちなみに,うちのO教授は「あんないい加減な番組」と授業中にボコボコに叩いてた。専門の中国絵画がさぞ適当な鑑定をされたに違いない。)


以下は職人やクリエイターという言葉の扱われ方。フローラル・アーティストに代表されるアーティストという言葉の拡散例。さらになぜ自分がアーティストになったか,そしてやめたかについてが著述され,最後に現代のアーティスト志向はなぜ生まれたのか考察している。まあこの辺は実際に読んでもらったほうが良いだろう。一応現代の若者の片隅に生きている人間としては,自分自身は真逆であるにもかかわらず,周囲の「アーティスト志向」な友人・知人たちをふりかえるに,げんなりしつつも納得できる内容が書かれていた。(私の周囲では「別格症候群」に集中しているような気がする。)


アーティスト症候群―アートと職人、クリエイターと芸能人アーティスト症候群―アートと職人、クリエイターと芸能人
著者:大野 左紀子
明治書院(2008-02)
販売元:Amazon.co.jp
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2011年04月16日

トマトorケチャップ

・トマトは好きだがケチャップは嫌いという人間と,逆にトマトは嫌いだがケチャップは好きという人間をそれぞれ二人ずつ発見した。ケチャップ>トマトな人はわかりやすい。単純に野菜が嫌いで甘党なのだろう。逆は今まであまり見なかったので,ちょっと新鮮であった。どういうことだろうか。

トマト>ケチャップな人間のうちの一人は,ナポリタンが食べられないレベルである。そしてもう一人はケチャップと同様にマヨネーズも嫌いである。この二例から考えるに,つまり,ケチャップは分解すればトマトと酢と糖分なので,ケチャップの中に何を見ているか,ということなのだろう。ナポリタンを食べられない人は辛党だったはずなので,糖分が前に出すぎていてダメなのではないか。マヨネーズ嫌いのほうは,ひょっとして酢がダメなんじゃないか?まあソース全般がダメという可能性もあるが。

私的には両方好きで,かつ「ケチャップはトマト属性」でゆるぎないのだが,これは私が甘党でケチャップ程度の甘さでは甘味分にカウントされないためではないか,と自己分析。皆さんはどうでしょう。


・ついでにもう一つ飯のネタを。私はしばしば昼ごはんをファーストキッチンにするのだが,それはあのフレーバーフライドポテトが好きだからである。ファーストキッチンの商品開発部は絶対に楽しいと思う。その間にどれだけの失敗作を食わされるかわからんけど。

最近のヒットだと「濃厚トリプルチーズ」か「焦がしバター醤油」で,前者はともかく後者は安全策を狙ってきたところはあるし,チーズ味にしてもフライドポテトにはあうだろう,この二つは割と長く存続している。人気がないと早い回転で消えていくさまはジャンプの10周打ち切りを思わせてなかなか趣深く,昼飯のローテーションに入っている身としてはラインナップを見るのも一つの楽しみである。

で,「メープルバター」味ですよ。誰得なんだろうアレ……いや俺得ではあるんだけど。ただでさえ塩と油の塊であるフライドポテトなので大概味付けはべた甘を避け,永続メニューと化しているところの明太バターやコンソメのような方向性が多い。しかしここでメープルバターという危険球である。食ってみたが当然のようにくどい。しかもよりよって砂糖ではなくメープルであるため,塩味とうまく混ざらずさらにくどい。

とかなんとか言いつつ「これは売れない」という直感でもう3回も食べているのだが,わずか三週間にして案の定新作の「完熟トマト」味が登場した。これには勝てん……多分あと二週間くらいで消えるだろう。時代の徒花のごとく狂い咲いたメープルバター味,一度は食べてみてはいかがか。あ,完熟トマト味は普通においしかったですので。
  
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2011年04月15日

Stein's Gate レビュー

シュタゲのレビュー。神ゲーだとされつつ回避し続けたのはまず箱○もを持っていないこと。次にバグだらけで進めないという発売直後の声を聞いたこと。さらに『俺つば』『DEARDROPS』を優先させ,クリアした信頼できる友人からは「別に神ゲーじゃなかったよ」と聞かされ,トドメに仕事が忙しく「リアル大事に」が発動されたこと。これらが全て重なり,手元には9月にはあったにもかかわらず延々と放置されたわけである。修正パッチを考えれば放置したのは正解だったのだが,修正パッチを当てて1.20にしてもバグが消えきっておらず,既読スキップの判定が恣意的,クイックセーブは事実上使用不可能など,システム面では大きく減点せざるをえない作品であった。非常にもったいない。箱○を持っているならそちらでやったほうが断然良いだろう。

肝心の作品評価では,「確かにおもしろかったが神ゲーではない」という友人の評価は正しい。個人的な採点では85点弱といったところで,特に古参はあまり神ゲーとは評しないのではないかと思う。この辺は個人の感覚にも大きく左右されるのであまり断言はできないが,やはり過去の作品がいくつかちらつくわけで,新しい要素が無いとは言えないが,神ゲーと評価している層はおそらく割と新しく,もしくはライトな層なのではないかと思った。まあ独自性がなかったわけではないが,アレとかアレとかやってると展開に想像がつきすぎるし,それを覆すほど突出して何かがあったとはあまり思えなかった。

そういう先入観なしに楽しみたかったゲームではあり,新鮮な気持ちで楽しめたライト層がうらやましくもある。しかし一方,その友人(komeと言えば古参nix読者はわかるか)は「古参は語りたくなるゲーム」と言っていたがそれも正しかろう。古参としてはアレとかアレがあったから,こういう筋書きにして,こういうトゥットゥルーエンドにしたのかなと思える節があり,そう考えるとこのエロゲー業界の積み重ねも無駄ではなく,それを追ってきた我々のプレー経験も無駄ではなかったのかなと思える。その意味では,一転して玄人向きのゲームかもしれない。その人のプレイ遍歴によらず楽しませるという意味で,非常に間口が広い。実は万人向けなのだろう。

さりげなく褒めておきたいのがジャンル名。『Chaos Head』未プレイのためこのシリーズ共通のことなのかはわからないが,「想定科学ADV」とはその通りだと思った。確かにSFでもなく,「理論は完全に科学だけどその実現方法は説明されない」。結局登場した発明品の原理はおおよそ説明はされたものの,それはまさに「原理」の段階であって,あの通りの材料を持ってきてあの通り作っても現実的にはああならない。「理屈の上ではこうなるはず」=想定科学,というのが非常にしっくりと来た。普通にSFを名乗られてたらちょっとだけ評価を下げていたかもしれない。

システムについて。バグだらけというのはおいといて,フォーントリガーシステムは工夫すればおもしろいと思う。おそらくまだ試作段階なのであまり文句を言うのもアレなんだが,やはり使いづらさが目立った。二周目以降は電話をかけるタイミングが表示されるようになったが,一周目から表示させておけばよいと思う。一応「自分で気づくおもしろさ」を目指したのだとは思うが,相当地の文を工夫されても気付けない。これに加えて,よりによって既読スキップとクイックセーブ周りにバグが集中したのは,相当プレイアビリティを落としている。

以下ネタバレ含む。大したことは書いてない。

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2011年04月14日

非ニコマス定期消化 2011.1月上旬〜1月下旬





完全にゆかれいむの人で定着。ゆかれいむは親子か恋人か。だがその愛情は歪んでいる……



これ作った奴天才。何度腹筋が崩壊したことか。超イントロクイズとも言う。Preciousはいったい何度流れたのか……ちなみに妹に勝つ珍しい例。



空想科学読本的なアレ。SLBさんはロマンだよ。みんなの。



どちらかと言えばアイマスで流行したけどここはあえて東方で。細身のモデルのパチュリーさんもかわいいよ!



昔はよく見てた。これやらせだとしたらむしろ脚本が天才過ぎると思うし,老人たち演技力ありすぎだろう。連想しちゃうんだろうなぁ……



もう忘れかけてたのはビッグアメリカ2が始まったからというのは一つあるだろう。あまりブームにならずに廃れたのはさすがに短すぎたせい。一過性のネタとしては十分なインパクトであった。



本人に捕捉されコメントまでされてしまった動画。そりゃ本人はこういうコメントするだろうw。出来がやや甘いのが少し残念ではあるが,人力ボーカロイドの知名度向上はどんどん進めばいいと思う。



前半は星蓮船再現。後半は東方オールスター。旧作はもちろんみとりや冴月麟,先代巫女に華扇,ヒソウテンソクまで。



今まどマギのオーケストレーションで一躍話題になっているけいえむ氏。こちらはよく10分も作ったなという感じ。

  
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2011年04月13日

書評『フェルメール全点踏破の旅』朽木ゆり子著,集英社新書

お前これ読んでなかったのかよとか言われてしまいそうな。2006年出版当時ちょっと話題になった本。正式には集英社新書ヴィジュアル版に分類され,全ページフルカラーである。

内容はタイトルの通りフェルメール作品の全点踏破を目指した旅の旅行記である。本書の目的は固い学術書ではなく,ミーハー的な視線からのフェルメール鑑賞であり,また専門書ではない西回り鑑賞順の鑑賞記録である。それぞれの美術館の紹介や,それぞれの作品の来歴にも注目して触れている点が興味深い。なお,全点踏破とは書いてあるが実際には本書の旅行では37点中34点までしか見れず,残り3点のうち2点は別の仕事で行った旅行で見たそうで,この著者が見ていないフェルメール最後の1点は《合奏》のみだが,これは1990年に盗まれて以来所在不明,どころか安否も不明であるため,事実上現在一般人が鑑賞できる作品は全て鑑賞済みということになる。

この37点という数字にも説明がいるだろう。通常フェルメールは作品数が確定しておらず,三十数点という言い方がされる。それは本書の冒頭でも説明がされていることだが,帰属がフェルメールと確定していない作品が4つあり,うち2つは特に信憑性が低い。さらに《ヴァージナルの前に座る若い女》は2004年に認定された新しい作品であるため,古い本だとフェルメール扱いされていない。よって,最も疑い深く判断すれば現存するフェルメールの作品は32点になり,これに"新作"を加えれば33点,比較的信憑性のある帰属を信用して35点,全面的に信用すればフルで37点になる。本書は最も「広義」のフェルメールを採用している。


日本人はこの著者に限らずフェルメール好きで,この点について筆者は「宗教画ではないので寓意の勉強がいらず,他のオランダ風俗画のようにプロテスタント的(カルヴァン的)教訓の押し付けがましさもなく,理解しやすい。透徹だが親しみのある画面」が日本人に人気の理由ではないかとしている。その通りであろう。もっともフェルメール自体が世界的人気だが,日本人にはさらに魅力的に見える理由の説明としては極めて的を射ている。

私自身フェルメールは大好きで,一点釣りだとわかりつつも行った展覧会も含めて足しげく通ったおかげで,国外ではフェルメールを1点しか見ていないにもかかわらず(ルーヴルの《天文学者》),ここまでで合計11点も見ている(2011.4.13時点,最新のデータは後述)。約1/3と考えると,そのうち日本にいるだけで半分は見れそうである。

本書はamazonでも極めて評価が高いが,確かに非常におもしろい本であった。単なる旅行記になりすぎないよう著者がかなり調べてから旅行しているし(前書もフェルメール関連というのもある),しかし研究に寄り過ぎないよう,あえて言うなら塩野七生的な想像力がふんだんに盛り込まれていた。ミーハーな美術好きなら間違いなくおすすめできる一冊である。


フェルメール全点踏破の旅 (集英社新書ヴィジュアル版)フェルメール全点踏破の旅 (集英社新書ヴィジュアル版)
著者:朽木 ゆり子
集英社(2006-09-15)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る



ついでに,ここを自分のフェルメール制覇歴のポータルにしてしまう。現在24/37(23/35)点。

1.《天文学者》@ルーヴル美術館所蔵:ルーヴルにて直接。外国で見たものでは唯一。以下は全て日本国内で観賞。
2.《窓辺で手紙を読む女》@ドレスデン国立美術館:西美のドレスデン美術館展にて観賞。
3.《牛乳を注ぐ女》@アムステルダム国立美術館:新美のフェルメール展にて観賞。
4.《窓辺でリュートを弾く女》@メトロポリタン美術館:都美のフェルメール展にて観賞。
5.《手紙を書く婦人と召使い》@アイルランド国立美術館:同上の都美のフェルメール展にて観賞。以下省略。
6.《小路》@アムステルダム国立美術館:同上。
7.《二人の紳士と女》@アントン・ウルリッヒ公美術館:同上。
8.《マルタとマリアの家のキリスト》@スコットランド国立美術館:同上。
9.《ダイアナとニンフたち》@マウリッツハイス美術館:同上。
10.《ヴァージナルの前に座る若い女》(個人蔵):同上。
11.《レースを編む女》@ルーヴル美術館:西美のルーヴル展にて観賞。
12.《地理学者》@シュテーデル美術館:文化村のシュテーデル美術館展にて観賞。
13.《青衣の女》@アムステルダム国立美術館:文化村のフェルメール展にて観賞。
14.《手紙を書く女》@ワシントン・ナショナル・ギャラリー:同上。
15.《真珠の耳飾りの少女》@マウリッツハイス美術館:都美のマウリッツハイス展にて観賞。
16.《真珠の首飾りの女》@ベルリン国立美術館:西美のベルリン国立美術館展にて観賞。
17.《聖プラクセディス》@国立西洋美術館:国立西洋美術館の常設展にて鑑賞。
18.《水差しを持つ女》@メトロポリタン美術館:森美術館のオランダ絵画展にて鑑賞。
19.《赤い帽子の女》@ワシントン・ナショナル・ギャラリー:上野の森美術館のフェルメール展にて鑑賞。
20.《取り持ち女》@ドレスデン国立美術館:同上。
21.《ワイングラス(紳士とワインを飲む女)》@ベルリン国立美術館:同上。
22.《恋文》@アムステルダム国立美術館:同上(大阪会場)
23.《ヴァージナルの前に座る女》@ロンドン・ナショナル・ギャラリー:国立西洋美術館のロンドン・ナショナル・ギャラリー展で鑑賞。
24.《信仰の寓意》@メトロポリタン美術館:国立新美術館のメトロポリタン美術館展で鑑賞。  
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2011年04月12日

校正に卒業なし

・進研ゼミ中学講座の漫画が今月もヒドイ件(ゴールデンタイムズ)
→ 誰だよこれ書いた奴,と思ったら絵柄通りソウさんだった。
→ さすがにDMではなく講座内の小冊子の漫画らしい。進研ゼミとったことないからわからないが,あそこは漫画好きなのね。


・日本軍が築いた鉄道に乗って、トラと僧侶の暮らすお寺「タイガーテンプル」に行ってきた(メレンゲが腐るほど恋したい)
→ 虎かわいすぎ。猫好きは例外なくネコ科好きだと思う。
→ しかし,こう明るく日本軍の残虐が扱われるとリアクションに困るといえば困る。
→ メレンゲの人は毎回おもしろい旅行記書くから好きだ。


・ダメなライターのダメな文章(増田)
→ 1はパソコンで思いつきのまま文章を打ち,校正しないままブログにアップするとやってしまうので稀によくある。
→ 非文は気をつけてても校正の時点で初めて気づくことが多い。逆に言えば,非文の多発はいかにその人が校正しないまま他人に文章を渡しているかということだと思う。しかし,急いで書いた文章だったり金にならない文章だったりするとこうなるのは仕方ないかなと思うので,個人的には割と許せる。
→ 2とクオリティの低い文章が一番許せない。目的合致しない文章は良くて書き直し依頼,悪いと編集で書き直しになるわけで。締切りがやばいと後者になりがちである。後者の場合,7割が名前の出ない編集者本人の文章なんてこともありうる。(表に出るときは原稿執筆者名義)これは編集者の労苦になる以上に執筆料の無駄になるので会社的にもよろしくない。安物買いの銭失い。
→ じゃあ質の良いライター雇えよってのは一つ正解なのだが,そもそも質の良いライターがあまりいない分野だったり。(おそらくこの増田もそうだが,知識量が重要で文章力は問われない業界だったりね。文系の学者先生でも案外これが当てはまったりする。)コネがなかったり逆にコネがしがらみになったりね,いろいろあるわけですよ。
→ その意味では締切り守ってくれるのが一番ありがたいのかなぁ。
→ これら以外としては,キーボードで書くとどうしてもパッチワーク工法になりがちで,その点は気をつけなければならない。自分がぶちぎれそうになったのはカント大先生,という話は昔ブログで書いた。



・『もやしもん』10巻。
→ 休載が多くて分かりづらかったが単行本にしてみると読みやすい。マリーの「外国土産はスーパーで買う派」はわかる話で,けっこうおもしろい物が売っている。うちの母もそういう派閥。
→ 読者のほぼ全員が直保×マリー,蛍×直保で想像していたところマリー×蛍で来たのは意外であった。だがそれがいい。私自身マリー好きではあるのだが,この組み合わせは萌える。果たして蛍×マリーは百合なのかそうでないのか。私の中ではヘテロのほうのセンサーが活動するので違うという判断したい。直保?及川でいいだろ。


・『サクラクラスタ』1巻。
→ ニコマス的にはベルナール・リヨ3世で名前が通っている,リヨ氏の単行本。昨年から月刊でネットで連載していたらしいが全く知らなかった。
→ 氏の作風はpixivで見ているとシュールだったりキャラが変態だったりするが,今回はその風味を残しつつも主人公が熱血でヒロインも妹も王道。ファリーンちゃんマジかわいい。(まあロボを王道と言うべきかどうかは別として……)ニコマスでの経歴を知らずとも非常にお勧めできる漫画。

Sakura Cluster 1 (ASAHI COMICS ファンタジー)Sakura Cluster 1 (ASAHI COMICS ファンタジー)
著者:リヨ
朝日新聞出版(2011-03-07)
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2011年04月11日

カラーの世界に戻ってきたときの晴れやかな心

Rembrandt西洋美術館のレンブラント展に行ってきた。西美は印象派に媚びず同じ19世紀後半でもカリエール展を持ってくるようなところだが,今回はフェルメールにレンブラントをぶつけるという絶妙な線であった。

ただし,今回はちょっと学術的な方向に偏り過ぎたかなぁとは思う。油彩画と版画の割合が半々かなとは思っていたが,8割型版画であった。西美は版画好きというか版画マニアなところはあって,まあ「レンブラント展も近年で二回目だしさすがだよなー」とは思ってたので,若干そうだろうなとは思っていた。しかし,広報や看板などを見ているとあれだけ油彩画が少ないとは思わない。

まあ版画の質自体はレンブラントやその周囲の画家たちで,非常に高くそこに文句はなかった。「光の探求/闇の誘惑」というサブタイトルに嘘偽りはなく,かなり近くで見れたこともあり,重ねられた細い線が生み出す効果をはっきり見て取ることができた。一点物ということもなく,版画にせよ油彩画にせよレンブラントの割合がかなり高く,レンブラントの版画が好きならば満足できる内容であろう。

しかし,個人的な需要とはやはりちょっとずれていた。途中で飽きて,画中の人物の職業を適当に勝手に想像して楽しむ遊びに没頭する程度には,自らの版画熱を上回って数が飽和していた。また,これは同行友人が言っていたことだが,版画技法の説明は中盤ではなく,冒頭に置いておくべきではあったかもしれない。

  
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2011年04月08日

エアー三月場所

三月場所が本来行われていた期間及びエイプリルフールにtwitterで行われていた行事「エアー三月場所」がおもしろかったので,私も簡略にやってみんとす。よく考えたら番付も今ひとつ不明瞭なので,それも妄想版で。中には引退力士も多数いるがなかったことに。

以下,全部嘘です。妄想です。お気に入りの力士が勝手に不調扱いにされてても怒らないでね。
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2011年04月06日

第185回『「三国志」漢詩紀行』八木章好著,集英社新書

タイトルの通り,三国志にまつわる漢詩を鑑賞する本。あとがきを読むとわかるのだが,元々は三国志を題材とした漢文の教材を制作する予定で,3人の学者で故事・人物・詩歌と分担していたところ,諸事情で計画が頓挫し,詩歌の部分だけ原稿が完成してしまったため,どうしようかというところで集英社に拾ってもらい詩歌の部分だけ出版された,という経緯で誕生した本である。非常に偶然に恵まれた本であると言える。

冒頭は「三国志」誕生の歴史で,正史が誕生してから説話となり『演義』が生まれた経緯をたどっている。次に三国志の内容に軽く触れてから本編に入り,巻末に漢文・漢詩の基本的な説明がなされている(押韻や平仄についての説明)。紹介されている漢詩はおおよそ有名なもので,知っているものがある人もかなり多いのではないだろうか。無論,だからダメというわけではなく,だからこそ入門的にしっかりと仕上がっている印象を受けた。

具体的に言うとまず建安七子の王粲より「七哀詩」。タイトルを聞いてわからずとも「白骨平原を蔽う」と聞くとピンとくるかもしれない(私はこのフレーズで昔読んだことを思い出した)。曹操の「短歌行」も入っている。これもタイトルよりも「何を以て憂いを解かん。唯だ杜康あるのみ」の句と,『演義』では赤壁の戦場で詠んでいるシーンが比較的有名である。さらに曹植の「七歩の詩」,これは教科書に載っていたような記憶もある。曹植はもういくつか収録されている。

そこから時代が飛び,後世での三国志を題材とした漢詩が紹介される。特に大きく取り上げられているのが,諸葛亮を敬慕していた唐の杜甫と,「赤壁の賦」であまりにも風名な蘇軾である。杜甫にひっかけて諸葛亮の「出師の表」が説明され,また李白と杜牧の詩も短いが紹介されている。最後に漢詩ではないものの土井晩翠の「星落秋風五丈原」が引用されて本編が終わる。


以上の登場した文献を見て胸がときめく人種ならば,本書を読んで全く損はない。漢詩の知識はあるに越したことはないが,なくてもあまり困らないかと思われる。巻末に説明がついているので先に読めばよいし,登場する漢詩は全文書き下し文と和訳がついている。

「三国志」漢詩紀行 (集英社新書)「三国志」漢詩紀行 (集英社新書)
著者:八木 章好
集英社(2009-02-17)
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2011年04月05日

第184回『ワインが語るフランスの歴史』山本博著,白水社UBooks

タイトルの通り,本書はワインに絡めてフランスの歴史をつづったものである。時代は新石器時代から始まり現代まで。フランス人は先史時代からワインを飲んでいた。ただしその本格化はやはりギリシア人による南仏入植と,カエサルの征服以降となる。キリスト教の布教もワインの普及に大きな影響を当てた。

基本的におもしろい本ではあるのだが,2点不満がある。一点目は,本書に必要なのは歴史知識やワイン知識というよりもフランス地理の知識であり,ワインの産地としてフランスの非常に細かい地名が出てくる。これが有名なワインの産地や大都市であればさすがにわかるのだが,AC(原産地名規制呼称)を全部覚えているわけでもなし,知らない地名のほうが多かった。そしてそれに対するフォローがなく,一々メモして調べなければ読み進められなかった。せめて現代フランスの地図を付録でつけるべきであったのではないか。

もう一点は,筆者がなんとか歴史的事件とワインを結びつけようとしているのはわかるが,やはりそのような事例のほうが少なく,結局は「その事件が起きた場所で,現在生産されているワインの話」になってしまい,歴史的事象の説明とワインの説明が乖離した章のほうが多かった。まあ本のコンセプト上仕方のないことだとは思うが。逆にきちんと結びついてる話はおもしろかった。さすがに近世以降はそれなりに数がある。ルイ14世とドン・ペリニョン,ルイ15世とロマネ・コンティ,地主貴族としてのモンテスキュー,ワイン好きアメリカ人のジェファソンの収集譚,ナポレオンとシャンベルタン,ナポレオン3世とボルドー,アルザスワインと普仏戦争・WW1,パストゥールの低温殺菌法発見,そしてフィロキセラの流行とアメリカからの移植。


概して,あらゆる意味で初心者お断りの一冊である。私のようなにわかが触れていい本ではなかった。


ワインが語るフランスの歴史 (白水uブックス)ワインが語るフランスの歴史 (白水uブックス)
著者:山本 博
白水社(2009-05)
販売元:Amazon.co.jp
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2011年04月03日

美化はどこまで許されるか?

piv_about01三菱一号館美術館のヴィジェ=ルブラン展に行ってきた。地震の影響でいろいろな企画展が中止になってしまい,3月は豊作ながらどこにも行けずじまいであった。4月はがんばって楽しみたいと思う。なお,本展も3/1開展,3/11より休業で3/25に再開したばかりであった。

今回の展覧会はヴィジェ=ルブランを中心とした17〜18世紀に活躍した女性画家の作品を集めたものである。近世以前において女性がアカデミーに認められることは少なく,学習の機会も教養以上のものとしてはなかなか与えられなかったということはすでに周知の事実である。その中で近世フランス宮廷は活躍した女性画家が比較的目立つ時代・地域であり,その中心がエリザベート・ヴィジェ=ルブランとアデライード・ラビーユ=ギアールであった。

ヴィジェ=ルブランはフランス革命直前のフランス宮廷で活躍した女性画家で,肖像画を極めて得意とした。彼女の得意技は若作りである。本人の肖像画は今回3点展示があったが,いずれも実年齢を考慮するととんでもないことになっている。そのうち1点はウフィッツィに寄贈したものの本人による複製だが,微妙に改良が加えられており今回のもののほうが出来がよく,そのせいでただでさえ乖離しているのにさらにひどいことにあっている。画中の女性は何歳に見えるだろうか。いいとこ20代前半だと思うのだが,このとき本人は36歳である。もう1品取り上げて,今回付した画像も自画像だが,こちらは当時45歳である。これを指して某同行者は「45歳の自画像のほうが実年齢に近く見える。年をとって少しは自覚したんだろう」と辛辣な(?)言葉を投げかけていた。まあ私には,マリー=アントワネットの肖像画にしても,ぎりぎり許される範囲の若作りの線を模索しているように見えた。

ただし,この若作りは宣伝的意味合いが強い。すなわち,私が貴女を描けばこれくらい理想的な姿で描いてあげますよ,という。事実,ヴィジェ=ルブランの技術は単なる若作りや理想化の範疇を超えて卓越しており,マリー=アントワネットをはじめとしてヨーロッパ中から注文が絶えなかった。熱烈な王党派であったにもかかわらず,多数の嘆願書から12年間の亡命生活を経て,ナポレオン時代に無罪で帰国を果たし画家としても復活を遂げている。

その他の作品として,ライバルのラビーユ=ギアールは当然として,こうした宮廷女性画家の先駆となったロザルバ=カリエラ。ルイ15世の妃でシノワズリの推進者マリー=レグジンスカ。フラゴナールの妻マリー・アンヌ=フラゴナールなど。技術的にやや危うかったり判子絵になりがちな傾向が強かったりとするのは,やはり正規の教育を受けられなかった弊害なのだろうか。それを考慮すると,描き分けが自然と出来ている二大巨頭はやはり傑出している。

ロココ芸術が好きなら間違いなく楽しめる展覧会。かなり時間をかけて見てしまった。  
Posted by dg_law at 23:57Comments(0)