2013年04月29日

大作はやるタイミングに困る

8ヶ月も間が空いたエロゲの進捗状況。前回。

・白恋 → クリア済,レビュー済。その後,ライターの円まどか女史が書いた某作のシナリオの評判が悪く,某氏の「看護師ものだけ書いててほしい」という評価もあり今後が不安である。
・淫蟲猟域 → クリア済,レビュー済。またスピンアウト出してほしいなぁ。蟲愛に限らず,無限煉姦のほうでも。
・月に寄りそう乙女の作法 → 割り込みその1。クリア済,レビュー済。FD楽しみです。
・WORLD END ECONOMiCA Epi.2 → クリア済,レビュー済。Epi.3は夏コミでちゃんと出れば即プレイすると思う。
・ゆきいろ → クリア済,レビュー済。ねこねこソフトは今後も一応追おうかと。
・美少女万華鏡1・2 → クリア済,レビュー済。
・大図書館の羊飼い → クリア済,レビュー済。実はクリアしてからレビューまで2ヶ月ほどかかっている。こっちもFD楽しみです。


・闇色のスノードロップス → プレイ中。今は歩美・茜までクリアし,CGもシーンも大体半分といったところ。評価はそんなに高くなく,70点くらい。今後化けてくれるかなぁ。でも歩美はクリアしちゃってるしなぁ。
・ホワルバ2 → PCぶっ壊れて再インストールしてからまだ何もしていない。闇色クリアしたら今度こそ。5月末までに,CC含めてクリアしたい(やるやる詐欺)。


さて,ここから半年ほど私事都合で少し忙しそうなので,エロゲのペースを減らしたい。具体的には,年間目標15本を掲げていたが,これを10本まで減らす。特に夏までは『闇色』と『WA2IC・CC』をクリアしたら,『おとりろ』と『WEE3』以外の新しい作品に手を付けない。というよりも,手を付けられないと思う。それに関連して,ここで書くことではないような気がするが,ブログの更新も少し滞りがちになるような気がする……とほのめかし程度に書いておきたい。まあ,『WWE3』までちゃんとできればその時点で8本になるので,9〜12月であと2本くらいはなんとかなりそうだ。加えて言うと,メーカー買いしているところでは,『大図書館』のFDが年内に出るとは思えないし,Navelも『おとりろ』の次が年内ということはないだろうし,ねこねこソフトだけ年内に完全新作がありそうだが,これも8月までに出るには情報が出てなさすぎるので,出ても秋・冬だと思われる。ちょうどタイミングよくやりたいエロゲが出なさそうな感じで,忙しい身には助かる。
  

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2013年04月28日

大図書館の羊飼い レビュー

ユースティアから再び学園物に戻ってきた本作だが,スタッフの「ユースティアでの成果を取り入れつつ」と言っていた通り,テキストや演出と言った点では明確にポスト”ユースティア”であった。その意味で,界隈の反応がおもしろかった。ネガティブな反応は,言辞こそ多種多様であったが,その内容はおおよそ全て同じで,最も端的に表現していた言葉を引用すると「守りに入った作品であったのに,守りきれていない。」

これには,なるほど,と。私的にはユースティアで学んだことを取り入れた結果として進化した部分のほうが多かったと思ったのだが,このような反応を批判できないのは,確かに中途半端さも感じたからである。特に,描写の丁寧さはユースティアから引き継がれたものと言って間違いないと思うが,一方であまりにも長大な共通ルートや,それに付随する展開に比べてテキスト量が多いことなどは”肥大化”と言えるかもしれない。基本的に本作に対して好印象しかない私でも,共通部分は長かったと感じた。ここでやっとOPムービーか,と思ったら即分岐し,個別ルートに入ったので,確かにバランスは悪い。(もっとも,OPは共通の前半に設置しなければならないということ自体が先入観ではあるが。)

一方,批判している感想であっても,ほとんどの場合で「共通が楽しかったのが救い」と書いており,この描写の丁寧さはオーガストらしく,他のブランドではなかなか見られない。単にわかりやすいだけでなく,テキストの力を使って凡なテーマをなんとか楽しめるシナリオに昇華させているところはある意味本作最大の目玉だったのではないか。言ってしまえば,ちょっと突飛なテーマだったのは鈴木のルートとトゥルーエンドのルートくらいで,あとはまあ大した話はしていないのである。にもかかわらずちゃんと読ませるシナリオだったのは大したもんだと思った。その意味で,批判のうち「個別ルートが適当」というのには納得できない。5人とも個性をきっちりと描いていた。あとはまあ,やや細かいところで,白崎つぐみの思想を茶化して「白崎教」とセルフ揶揄していたところは地味に良かった。その他,読者からツッコミを受けそうな不自然なポイントは先回りしてつぶしていたところが見受けられ,その辺も指して丁寧だなと思う。


さて,学園物としての本作を評すると楽しい学園生活だったと言え,とりわけ私には割りとド直球であったのだが,それだけに一般性を持った話だったかどうかと言われるとちょっとわからない。この話の大意は「学校から阻害されていたものたちが集まり,逆に学校を主導する立場になっていくカタルシス」でしかなく,そこに共感できるかどうかは感想を大きく分けたのではないか。ポイントは現実の生徒会(特に高校の)も似たような機能を持っているということだ。私自身生徒会関係者であったが,オタクの隠れ蓑組織だったということは我が母校ならずネット上でしばしば聞く話である。そこに本気で焦点を絞って本作の大枠を定めたのならば,おそらく顧客層のど真ん中は突いているが,ど真ん中すぎてダメだったんじゃないかという気がしてならない。

これがめんどくさいのは,単純に疎外されていた生徒だったというだけではなく,生徒会活動をそれなりに楽しんでいた層でなければならないところだ。たとえば,「生徒たちが22・23時まで学校に残ってなんの活動をしてるんだ」という指摘をしていたレビューがあったが,生徒会活動をしていると割りと普通のことで,日付変わるまで残っていた結果セコムに捕まった勢としてはどちらかというとそこで突つかれるのが驚きであった。実際のところド直球だった人はどの程度いたのか,気になることころである。アイドル的人気の高い生徒会を不自然ながら持ってきた『フォアテリ』,主人公もヒロインたちも別に疎外されていない『明け瑠璃』に『はにはに』,と比して本作は,同じ学園物ながら随分と毛色が違うものが持ち込まれた。

その他の点について。絵・音楽・システムについては文句の付け所がない。システムについては,多くのレビューにある通り「次の選択肢までスキップ」が無いのが画竜点睛を欠いたが,スキップがそこそこ早いのでなくて困るということはさして無かった。また,「サスペンドでゲームを終了すると次回起動時にタイトルを経由せずいきなりそこから始まる」のがすばらしく使いやすかったので,これはエロゲ界の新スタンダードになってほしい。プレイ時間は25時間はかからなかったくらいだが,批評空間見ると中央値が30時間とのこと。一般的なエロゲが20時間前後らしいので,やはり本作は長い。


以下,ネタバレ……というよりも,鈴木の圧倒的人気について。
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2013年04月25日

人類史において最重要な『5つの出来事』は?

元ネタ。というよりも,歴史トークでよくあるネタの一つだろう。これに対する単純明快な回答は,火の使用・言語の使用・文字の使用・獲得経済から生産経済への移行・宗教の発明,あたりだろう。言語と文字を一括りにするなら,金属器の発見か,貨幣の発明あたりで5つになるかもしれない。要するに古代文明の発明・発見は人類の基盤すぎて異論を出しづらいのである。

しかし,私はこのような回答が本当に問いに答えているのか,少し疑問が残る。特に火の使用と言語の使用は人類の知能進化の過程に深くかかわるので危うい。アウストラロピテクスやラミダス猿人も人類に含むのか?という問題点も出てくるし,だったらそもそも「二足歩行の開始」が最大の発見だろう,とかいう話も出てきてしまう。少なくとも「現生人類の歴史」とするなら,この2つはダメだ。さらに,文字の使用や農業の開始・宗教の発明等は,確かに現代の人類の基盤をなした点で重要ではあるが,これも本当にそうかと考えると疑問の余地がある。なぜなら,これらは世界各地で多発的に発生しており,文字や農業は人類の発展において必然的に生じた事象のように見え,「出来事」性の弱さを感じるからだ。要するにライプニッツとニュートンはほぼ同時期に微積分を発見したし,アインシュタインがおらずとも相対性理論は誰かが発見していたであろう,というあの話の系統に通じると思われる。ゆえに,古代史の諸発見は「人類史を,今ある状況にねじまげた画期的な出来事」だったとは,あまり思えないのだ。

という言い訳を言わずとも,やはり冒頭に掲げた通り,十人中ひねくれ者を除いた九人が同じ回答をする問題提起というのも芸がないと思う。そこで,私自身が答える際には,自分なりに次の条件を課した。注目すべきは問いの「人類史」という点と「出来事」であるという点ということで,

・偶発的な出来事であること:必然的に生じた出来事は,どれだけ現代人類にかかわっていても重要性が低いとみなす。
・人類史を思わぬ方向に変えた出来事であること:神が人類史を10回試行したらその中の数回しか起きそうにない,または起きてもそれぞれの回で起きたタイミングが全然違いそうな出来事が良い。
・地域ごとの特殊性を生じさせたものではなく,人類全体にインパクトを与えた出来事であること:たとえば,秦の始皇帝による中国統一は,その後の中国史を決定的に変えた,かつ偶発性の高い出来事だと思うが,では人類史全体を大きく変えた出来事かというと,中国とその周辺地域に対する影響に限定されるのではないかと思う。これはやりだしたら切りがないと思う。一地域に一つ,そういったものを挙げていったら5つではとてもじゃないが足りない,というのがこれを除外の条件とした理由だ。

こうすると,人によって大きく意見が分かれるようになるのではないかと思う。たとえば,コロンブスの航海は必然であったか否か。キリスト教の誕生は西洋の特殊性を生じさせたのみのものか,それとも人類全体の思想に影響を与えたものと見なすのか。等は確実に人によって意見が分かれるところではないか。


で,選んだのが以下の5つ(7つ?)の出来事である。

1.張騫の西域行(次点:アレクサンドロスの東征) 2.モンゴル帝国の成立(パックス=モンゴリカ) 3.コロンブスの大西洋横断(次点:産業革命) 4.フランス革命orアメリカ独立革命 5.サラエボ事件

テーマとしては「世界の一体化とその後」になる。人類史ならまあ大雑把に区切って,古代・中世までの「諸世界の確立と相互の接近」,中世末から近世の「世界の一体化の進行」,近代の「一体化の完成と西欧覇権」,そして現代史の起点としてのWW1になる。それぞれから1・2つ選んでいったのがこの5つ,と一応考えた。それぞれの理由に軽く触れておく。

1.張騫の西域行:「世界の一体化」の起点は,アメリカ大陸やオセアニアの人類には悪いのだが,なんだかんだ言ってもシルクロードであると思う。これにより旧大陸の大部分は横断的につながる。また,これが”横断的”であったことによってアメリカ大陸の諸文明との大きな違いが生まれた点は『銃・病原菌・鉄』で指摘がされている通りだ。なぜ「オアシスの道」が生じたかを考えたとき,もしくはなぜ紀元前3〜2世紀頃から活発になったかを考えた時,理由は様々にあるが(遊牧民の勃興・前漢やローマの成立等),偶発性が高く,かつ決定的な一打になった現象というとアレクサンドロス大王の東征か,張騫の西域行であったと思う。そこでなぜアレクサンドロスを落としたかというと,残りの4つのうち3つが西洋の出来事でバランスが悪かったというのが本音である。あとは,張騫のほうが時系列的に後なのでより開通させたというインパクトが強いというのと,3つめにコロンブスを挙げているので探検でそろえようかなという気持ちが無かったわけではない。

2.モンゴル帝国の成立(パックス=モンゴリカ):古代・中世を通して成立した諸世界は,相互に経済的・文化的に交流しつつも,独自の世界を保って融合しようとはしなかった。それを打ち崩して「一体化」を始めさせたのはやはりモンゴル人の偉業であろう。あえてチンギスと絞らなかったのは,実際のところ彼の一代ではあまり草原地帯からはみ出しておらず,本格的な農耕地帯への侵攻はオゴタイの代になるからである。とはいえ,オゴタイに絞ると今度はインパクトに欠けるので,大枠で取ってモンゴル帝国の成立で一つの出来事という扱いにしてみた。

3.コロンブスの大西洋横断:要するに大航海時代が世界の一体化が急速に進むことになる決定的な一打であったから,それを象徴する出来事を一つ入れておきたかった。その中で最もインパクトが強く,しかも極めて偶発的な現象であったものといえば,コロンブスになる点は異論があるまい。これはまた西欧中心の国際経済が勃興していく契機でもあり,ひいては産業革命の布石にもなった。ゆえに産業革命を間引いたという事情はある。また,産業革命は「なぜ中国で起きなかったのかは世界史上の謎の一つ」と言われる程度には必然性の高い出来事のように思わえたので,外したという話もある。

4.フランス革命orアメリカ独立:この2つは正直に言えばどちらでもよかったし,異論も出ない出来事だと思う。まとめて大西洋革命としても良かったが,名誉革命まで含むのはなんとなく違う気がした。西欧が決定的に世界の覇権を握る地域になっていったのは,産業革命及び,自由主義とナショナリズムの発明であろう。産業革命については前述の通り。しいて言えば,フランス革命も必然的な出来事だったのではないかという話は若干なりあるが,革命が失敗した世界線やルイ16世が財政改革に成功した世界線も全くないでは無さそうに思えたので,私は条件を満たしているものと考えた。この辺りも,人によって大きく判断が異なるところになるのではないか。

そして「長い19世紀」の残りの事象は,おおよそレールの上を走っていたように見える。いつ破裂するかわからない風船が膨らみ続けていたようなもので,膨らむ事自体は産業革命とフランス革命が起きた時点で必然だったのではないか。

5.サラエボ事件:で,その風船が破裂したタイミングがこれだろう,と。偶発性の高さは他の4つに引けをとらない。あの銃声が無ければ風船が破裂したタイミングも場所も,全く異なっていた可能性は高いし,そうするとWW1の過程や結果も大きく異なっていただろう。ロシア革命が生じなかったりすると,もう現代史は現実のものと全く異なる展開となる。冷戦まで含めれば直近100年が変わってしまった事件として外すことができない。


これはいろんな人の意見を聞いてみたいところで。私の条件に乗っかって回答してくれてもおもしろいし,「自分は問いの別の読解をしたので,違う条件を設定した」というのでも,その回答を見てみたい。乗ってくれる方がおられれば是非に。
  
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2013年04月24日

おばさん顔でもかわいい絵

ミュシャ《サロン・デ・サン ミュシャ展》森美術館のミュシャ展に行ってきた。人気だろうなとは思っていたが,実際に入場待ちが1時間弱で,さすがにそこまでは予期していなかった。恐るべしミュシャである。作品数は約240点で,かなりボリュームがあった。

作品展示の順番はおおよそミュシャの制作順に沿っており,前半がサラ・ベルナールとの出会いと出世,そして売れっ子の作家としての活躍。後半が民族主義に目覚めてからの油彩画である。作品リストを持ち帰るのを忘れてしまったのでわからなくなったが(図録は買った),割合は7:3くらいではなかったか。前半の作品群については,有名な作品がぼちぼち多く来ていた。《ジスモンダ》《JOB》はミュシャの作品の中でもトップクラスの知名度ではないかと思う。あとはVic好きとして今回の画像は欠かせない(その原因)。これらを含めた有名作品がおおよそ見られただけでも行ったかいはあった。これらは広告ゆえに一点一点がわりと大きく,そして広告故に実際の大きさは重要だ。そのあたりを確かめるだけに意義深い。

今回の同行者に突発的な参加者がいて,美術は全く知らないという方であったが,それがミュシャだったのが僥倖であった。彼には「100年前の萌え絵」と紹介したが,”だいたいあってた”と思う。その上でどのへんがそう見えるか考えてみると,アール・ヌーヴォー自体がそうだが,やはり曲線の多様とデフォルメの妙であろう。草花や髪が丸くなることで女性のかわいさが強調されている。服や髪型は仰々しいが,逆に人間部分はのっぺりかつすっきりしており,デフォルメされているかのような印象を受ける。このあたりがかわいいは正義状態にしている所以ではなかろうか。あとはまあ,おばさん顔なんだけどかわいいというのは貴重だという指摘は一応しておきたい。一方,よく見ると濃い顔の作品はいくつかあり,そういった作品からはあまり萌えを感じなかった。デフォルメ感が足りない。

ついでに言えば配色の問題で,髪の色や枠の模様パターンで金色が多用されており,それらが浮き出て見える代わりに人間部分が沈み込んで見える。このことで人間部分の飾り立てられている感が強調され,一層華やかに見える。金色が遠近感を潰すということで徹底的に嫌われたのがルネサンス。人間と背景を明確に分けて背景をぼやかすのが古典主義なら,人間も背景も同じように描いて「死体」となじられたのが印象派。そのいずれの教訓も経てたどり着いたのが世紀末芸術と,歴史を鑑みるになかなか感慨深い。特に金色の多用はクリムトを連想させたが,今回の展覧会で掲示されていた年表を見ると,二人は1898年のウィーンでばっちり会っている。強い影響関係を指摘するような事実ではないが,とても納得は行った。


さて,後半の展示はスラヴ叙事詩に至る作品群である。ミュシャとしては人気がない部類だ。この展覧会はそのような世評を覆す目的が無いわけではないらしい。が,やはりチェコナショナリズムに目覚めてからのミュシャの作品は質が落ちると思う。そもそも,時期的には前半にあたる時期に描かれた油彩画も見たがこれもカラーリトグラフに比べると首をひねる腕前のもので,独創性に欠けていて平凡である。これが民族主義に目覚めてから腕が上がっているなら美談なのだが,そうでもないから評価は辛くなる。テーマ設定も抽象的でひとりよがりなところを感じる。今言ってもしょうがないが,これなら彼は変わらずカラーリトグラフで儲け続けて,その資金を政治家に献金したほうが早道だったのではないか,とさえ思う。私自身も親民族主義で,当時のチェコの状況を考えるに「自分の本業で力になりたい」と考える気持ちはよくわかるのだが,一方で冷静な評価を下すと民族主義は横に置いといて欲しかったかなぁと思う。

  
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2013年04月23日

早熟で速筆で工房なら多作になるよなぁ

ルーベンス《キリスト降架》版画版文化村のルーベンス展に行ってきた。今回の展覧会のサブタイトルは「栄光のアントワープ工房と原点のイタリア」である。つまり,イタリアへの留学期間と,工房制作という点に焦点を当てた展覧会であった。

ルーベンスも当時の慣習に従って(というよりも長い西洋美術史の大部分の期間でそうであったように),生地の工房で親方の資格を取ってからイタリアに留学し,修行に励んだ。今回の展覧会ではその期間での作品がいくつか展示してあった……が,数がかなり少なく,テーマの一つに掲げるにはかなり物量が乏しかった。一応イタリア修行期間の章に展示はしてあっても,制作年代を見ると留学中の1600〜1608年から外れた年代になっているものが見られ,該当期間の作品は数えるほどという状態であった。それでもその期間中の作品を見ると,ルーベンスはイタリア留学時点ですでに技量的にかなり完成されており,しいて言えばオリジナリティに少し欠けるかなという程度でしかケチがつかないことがわかった。大概,全盛期にはとてつもない技量を持っている画家でも,修業期・駆け出しの頃の作品を見ると技術的に劣るのだが,ルーベンスは例外らしい。展示作品が少なかったとはいえ,一つの発見であった。それにしても,なぜ少なかったのだろう。ルーベンスのことだから,知名度が低い頃のものとはいえ残っていないというのは考えづらい。

もう一つのテーマが工房制作という観点である。工房制作というシステム自体は全く珍しいものではないが,ルーベンスの場合は多作であったにもかかわらず,本職以外で多忙の人ではあったから意義が大きい。マルチリンガルでスペイン外交官の資格を持っており,三十年戦争でのイギリスとスペインの途中講和を成し遂げたのは割りと知られた話だが,そのように政治にも携わっていた。もっとも,本当に和平交渉をしていた約2年間は工房を閉鎖していたそうで,1628年から29年にかけてはマドリードに,そこから30年にかけてはロンドンにいた。言うまでもなく彼の自らの作品は外交的に大きな武器となった。また,ヴァン・ダイク渡英の契機になったのも無論のことであろう(1632年から宮廷画家)。

にもかかわらず多作であったのは,多くを助手に委ねていたからであり,ルーベンスの手があまり入っていないものも顧客を選んで売っていたらしいという,彼の”商才”もかいま見える指摘が今回の展覧会でもなされていた。確かに彼が名声を得てからの作品は見るからに彼らしくない作品もある。ヴァン・ダイクが頭角を現してきてからは彼に思い切り任せてしまうこともあったようだ。

弟子の多くは有名ではないが,名前を歴史に残した人もいる。最も有名なのはヴァン・ダイクだ。また別の工房を構える画家たちと協力して制作された絵画も多い。協力相手もビッグネームが並び,今回来ていたのはヨルダーンス,ヤン・ブリューゲル(大,いわゆる花のブリューゲル),スネイデルスあたりである。この辺りもおもしろいテーマではあったのだが,イタリア留学期と同様に今ひとつ作品数が少なかった。あわせてちょっとサブタイトル間違えたかなー感はぬぐえない。

そんな中,今回一番記憶に残った作品は版画で,『キリスト降架』である(今回の画像)。あの有名なアントワープの大聖堂にある作品の版画版だが,左右反転になっている上に,モノカラーだから当たり前だが色彩による明暗の効果が無くなっているがゆえに,作品としての見応えが大きく削がれてしまっている。これでは名作と呼べまい。これは版画を批判したいのではなくて,色彩によって生じた画面全体の動的な流れが再度確認され,やはり元の油彩画は名画だなと感じたのであった。
  
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2013年04月22日

彼はハルケギニアに旅立ったのだ

先日,ヤマグチノボルさんが亡くなられた。私は『ゼロ魔』しか追っていなかったので,あまり熱心なファンというわけではなかったが,それでも氏の闘病生活は非常に気になっていた。ご冥福を祈る。
→ というわけで彼の作品を振り返ろうにも,私には『ゼロ魔』の知識しかない。あと二冊で完結と明言されていただけに,作者の心情は余りある。不幸中の幸いならぬ,不幸中の不幸であろう。思えば世界設定がよく似ている『トリニティ・ブラッド』も完結に近くなってから作者急病で亡くなられた。どちらも惜しいことであった。
→ 『ゼロ魔』は「中世ではなく明確に”近世”ファンタジー」,「現実の歴史を模倣するネタが案外多い」,「地球(の科学)なめんなファンタジー」と,(おそらく世間一般の認識からずれて)かなり特殊なファンタジーものであった。それゆえに中世ファンタジーのラノベが苦手な私を惹きつける要素が多く,友人(三毛招きさん)の紹介で読み始めてから,かなり後追いだったにもかかわらず全巻そろえて追いついてしまった。追いついた頃には立派なタバサ好きになっていた。彼女がガリア王に即位したときはかなり感動したものだった。
→ 氏は生前twitterで「ゼロの使い魔はノンフィクション」とおっしゃっていた。それが記憶にあるからか,「彼はハルケギニアに旅立ったんだ」という追悼コメントが見られた。私もそうコメントしておいた。彼はサイトたちの活躍ですっかり平和になったハルケギニアで余生を過ごしている。そう信じたい。


・ゲームバランスに潜む魔物について(つー助教授の中の人のブロマガ)
→ 同感。剣聖シドを封印しろと言われても,知ってしまった以上封印できない自分がいる。”「ルール上許されているあらゆる手段を用いて」打ち倒したいのだ。”実にその通りである。この理屈を無視して「使わなければいいじゃん」と指摘されても苦痛なだけだ。
→ ただしこの場合,シドがストーリーにかかわってくるからまずいのではないか,というのが私的な感想で,ストーリーにかかわらなければさして気にならない。ブコメで他の方からも私的があるが,このあたりを合理的に解決する手段がサブイベントなのではないかと思う。たとえばFFTならシドの能力を持ったキャラがベイオウーフやクラウドのような立場の追加ユニットなら,「ああこれは半ばプレーヤーチートのために設置されたキャラなんだな」と納得できるし,それこそそのサブシナリオはやらないか,やってもサブメンバーでもそれほど苦痛ではない。
→ 別のたとえで言えば,Vicの中国いじめは「史実じゃん」ということでさして心理的障害にはならないが,ベンガルチートはさすがに心が痛んで踏み込めない自分がいた。この辺は「ひび割れを見つけ」てしまう人でも個人差があるのではないか。


・レブレサックとは(ニコニコ大百科)
→ 懐かしくなり思わずブクマ。
→ あれほど胸くそ悪くなるイベントもそうそうない。「オルゴ・デミーラの唯一の善行」扱いもやむなしである。


・しょきゆう(まおゆうの魔王が書記長だったら)という妄想 (Togetter)
→ まおゆうは序盤しか読んでないけど,基礎設定的にこれはありうる。こういう点でもNAISEIって怪しいんだよなぁ。
→ いろいろあるけどやっぱり「ルイセンコ」の固有名詞は破壊力高い。
→ 「この場合魔王の声優は上坂すみれ」という指摘はナイス。


・バレンタイン「西洋の陰謀」…チョコ禁輸した国(読売新聞)
→ リアル「バレンタインデー中止のお知らせ」。
→ キリスト教的には風評被害に近いような。西洋の風習流入阻止を目的として,手段がチョコ禁輸は斜め上すぎる。
→ 日本以外でこの風習がどの程度浸透しているのか,日本にいるとよくわからない。イラン政府には「それキリスト教はほとんど関係なかったりします」と,誰か教えに行くべき。


  
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2013年04月18日

非ニコマス定期消化 2012.10月下旬〜11月上旬



引き続きカメ五郎動画。今度は都会に近い多摩川ではなく,自然に近い西丹沢で自給自足。食しているものは相変わらず野草だったり昆虫だったりハ虫類だったりだが,慣れてきている視聴者のコメントも恐い。



前半は失敗編。あれでああいう失敗は相当にださい。後半は成功編だが,打ち筋がおかしすぎて山が見えてるとしか思えない。打ち筋的には哭きの竜じゃなくて咲さんだろうと思ったが,なるほど再現度。



いつの間にか完結してた。参照値半端ないな,というのが素直な感想で,その辺でわけがわからない数値を用意してあるのがサガシリーズだなぁと。



神MAD。ザッツ遊戯王MAD。初見時は見終わってから3分くらい呆然としながら爆笑してた。



マリオブラザーズ,ワールドでもあった守銭奴シリーズ。マリオカートだけに新鮮である。続編をずっと待ってるが,制作が難しいのか,なかなか来ない。



まがっちゃんマジかわいい。こうしてじっくり見ると千本桜のモーションは洗練されている。



歴史上最大の中二病患者の一人なので違和感がない。というよりもアンタが「理想も妄想も現実も,全て君を軸に回る」とか言うとまんますぎて恐い。



藤山晃太郎ご一行,杵家七三社中による和楽器演奏のアルバム。コメントで叩かれているぽこたは歌は悪くないけど,PVとしては確かに微妙かなぁと。そういえばこのアルバム買いそこねていることに今気づいた。



上の動画で知ったのが鈴華ゆう子で。この方,吟詠大会で優勝してたりするらしい。相変わらずニコニコ動画の才能の集まり方が混沌としていてよくわからない。



とてつもなく懐かしい曲だが,無かったことが不思議なネタ。「その発想はあった」はずなんだけど誰もやってなかった的な。


  
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2013年04月15日

徹夜しなかっただけ自制が働いたものと

・日曜日は昼飯を食べながらAoD(Arsenal of Democracy)を始め,気づいたら12時間経っていたという失態で丸一日つぶしてしまった。気づいたら夕飯食ってないわ外は暗いわ日付変わってるわでちょっとびっくりした。やっぱりパラドゲーはアカン。
→ せっかくなので軽くAARを。自国イギリスで,米ソに頼らず日独伊撃破を目標に。41年中に北アフリカ,42年初にイタリア降伏,ギリシア・ユーゴ・ブルガリア解放まではほぼイギリス独力で出来たので満足しておきたい。史実通り41年6月に独ソ戦が始まったが,ドイツ軍がベラルーシくらいまで出張ったところでようやくアルプス山脈の軍が薄くなり,2年ほど早いノルマンディーで南北縦断しアルプスの部隊と合流,後はじりじりと押しつぶして43年夏までにヨーロッパ戦線は終結した。結果的にドイツ・オーストリアは完全に西側で独立,東側に吸収されたのはハンガリーとポーランド,チェコスロヴァキア,ルーマニアだけなので,史実よりも大分マシな鉄のカーテンになったと思う。やはりドイツは強く,ソ連の力を借りてしまった。しかしアメリカは出て来なかったしイタリアまでは完全に独力なので満足したい。
→ 日本戦もほぼ史実通りに開戦したが,日本が日中戦争に勝利し中華民国を併合してしまっていたため,広大な領土と膨大なマンパワーを得ており,ビルマ・タイ国境で英軍50個師団と日本軍(中身中国人)120個師団がにらみ合い続けるという一次大戦のような状況に陥る。物量差にもかかわらず持ちこたえたのは密林の地形効果と技術力格差なんだろう。
→ 一方,陸軍に気を回し過ぎたせいか,なんだか普段のAI日本よりも海軍が弱っちく,結果的に2年ほど早いレイテ沖海戦となり,適当に空母を5隻(4〜5型)ほど大西洋から回したらあっという間に壊滅してしまった。がんばって年代キャップを無視して6型の開発とか進めていたのに,完全な宝の持ち腐れである。レイテ沖で決戦になったように,東南アジアはほぼ無傷で終わり,日本軍がちょっとでも上陸したのはフィリピンとカリマンタン島だけであった。
→ あとは圧倒的な海軍優勢のもとちまちまと北上し,42年末にフィリピン奪還,43年夏に台湾・沖縄,夏から日本上陸して44年春に本土完全制圧。ところが日本降伏イベントが起きず(どっかでフラグを立て損ねたらしい),仕方なく朝鮮半島に上陸し,44年秋に朝鮮,45年初に満州国陥落。この頃物資不足でタイの日本軍が壊滅し,ようやくインドシナ戦線も動き始め,雲南・広州まで前線が北上した。そこから先は低い補給効率に苦しみながら挟み撃ちで進行し,結局46年夏に中国全土を制圧して併合,即日本と中華民国を衛星国で独立させた。こちらは米ソの力を借りずにほぼ完勝である。
→ 第三次世界大戦どうしようかな。さすがにちょっと疲れたし,赤い津波と戦う気力が……とか言いつつ核開発してやっちゃうんだよなぁ,というわけで今日も更新に気力がない(そわそわ)。



・キューピー人形は「反イスラム」 マレーシア政府が難色(朝日新聞)
→ うーん,よくわからない。
1.キューピッドが元ネタだから天使ではない 
2.よしんば同一視するとしても,これは偶像ではないし崇拝もされてない 
3.天使はイスラームでも信仰の対象(六信の一つ)
4.担当者交代での解釈変更。
→ イスラーム教は案外教義の解釈で融通がきく宗教ではあるが,逆に言えば担当者が変わればこうなる可能性はある。しかし,上記の4点から考えて,これはちょっと納得のいかない解釈の変更である。2年待ってくれるところからして袖の下とかでもなさそうだし,やっぱりわからない。


・豆腐に醤油をかけるが、どちらも大豆だ(デイリーポータルZ)
→ これは絶対グラコロネタでブコメが埋まっているに違いない!と勇んで開いてみたらそうでもなかったという。大豆も小麦も万能である。トウモロコシも粉にすれば汎用性が高い。その点,米はほぼそのまま食べられる分,加工には向かないか。近年なら米粉があるものの。


・「YAIBA」 最後の敵が最弱!?"バトル漫画の常識"に反する最終章の意義(アニメな日々、漫画な月日)
→ これは名考察で同意できる。最後の最後に,武器にもステータスにも頼らない戦いに持ち込むことで,逆説的に刃の成長を描いたんだなと。
→ 特に,YAIBAは武器の側に意志(のようなもの)があって,それに認められることでランクアップを表してきたところがあるので。龍神剣しかり覇王剣しかり。少年漫画的にはそれは楽しくて仕方なかったのだけど,じゃあ刃自身の成長ってどうなのかというのがわかりにくかったのもまた確かで。最後に木刀に戻ってきて,闘刃に行き着いたところがすばらしいと思う。


・「文字の美しさを極限まで追求した芸術です」アラビア書道家・本田孝一
→ 確かにアラビア文字は書道に向いていると思う。しかしこの場合,カリグラフィではないのかという疑問は残るが。どっちでも良いというか,兼ねていると言えるかな。
→ アラビア書道自体はすばらしいと思うが,記事(というか本人の言)はどうかと思う部分がちらほら。黄金比は迷信に近いので理由に挙げないほうが,という話とか,「ピカソはアラビア書道について『すでに芸術の最終目標に達し始めている』と言っています」もピカソの放言と思われるをそんなに取り上げていいの,とか。何より「アラビア書道ほど美学的に完成された文字はない」という言い方は”美学的”という言葉の意味が曖昧すぎて何を言いたいのか不明瞭だし,そもそもそこで他の文字と比べる必要があるのか。

  
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2013年04月11日

『三国志 7・8巻』宮城谷昌光著,文春文庫

実は最も書くべきことは前回の書評に書いてしまっている。8巻でとうとう劉備が死ぬことになるが,これによって本書の頂上は過ぎてしまったように思う。

劉備は捨てに捨てて曹操の対極を行った。彼の徳はそれゆえに高まったものであるが,これは次の当たり前ことをも意味する。持たぬゆえに,物理的な意味では曹操に勝てぬのだ。劉備が彼自身の正義を貫きつつも野望を達成するには,自らの徳の源泉自体を捨てて物理的な所領と軍事力を手に入れる必要があった。この指針を示したのが諸葛亮であったのだろう。だからこそ,劉備をわかりすぎている関羽と張飛は,決して諸葛亮と親しくならなかったし,劉備自身も次第に徳を失っていく。最後には暗愚な息子への愛情をも捨てられず,これを指して「劉備の一生には創意も工夫もなかった。ただし,それをつらぬいたことで,凡庸さをも突き破ったのである。が,曹操の有為に対して劉備の無為は,秘めた徳というべき玄徳に達したか、どうか。」と来る,宮城谷三国志の冷酷なまでの人物評と文章の美しさに,ページをめくる手が止まるほどしびれた。

劉備の直接的な死因は夷陵の戦いといってよいと思うが,夷陵の戦いの原因は関羽の独断専行であった。呉が裏切らなければ,という話であるのはもちろんだが,同盟軍といえど南郡(江陵)の食糧を勝手に利用した時点で呉の憤慨は予想できたことであったし,呉の領土からの食糧略奪がなければ樊城(襄陽)を落とせなかったのであればやはりそれは無謀な計画だったと言わざるをえない。史実でもなぜに関羽が独断専行したのか大きな疑問点であったが,その理由として本書が挙げる「劉備が失った徳を,義兄弟が取り戻そうとした。そのために曹操と戦うという大義が必要であった」というのはそれなりに強い説得力があった。関羽は半ば死地に赴くつもりであった,とするのは踏み込みすぎであろうか。死して関羽は劉備への敬愛を示したのだ。

一方,曹操の死は淡々としたものであった。あくまで正統派な英雄だったということであろう。ちょっとおもしろいのは,本書の曹丕はほとんど暗君と言っていい状態であることだ。確かに彼にそういう要素はあるが,一般的なかかれ方よりもかなり悪しざまであるように思う。この理由はどうやら9巻にまわされるようなのでそちらに期待したい。ところで,本書は小説の三国志にしては珍しく九品官人法に触れており,曹操の実力主義から安定した家柄・貴族主義への転換点として評価(というよりも批判)している。この点は好感を持った。確かに,小説としての三国志の主流ではない事象だが,ある種の「三国志」の終わりの始まりであり,唐まで続く中国社会の基盤となった制度であるので,本来は触れない方がおかしい。

また,本書の孫権は一貫して胡散臭い人物として描かれている。確かに呉の外交的立ち回りを見るとその通りなのだが,これは呉の立ち回りであって孫権の立ち回りではないのでは,という気はする。この孫権の描かれ方の理由も,今後出てくるのだろうか。


三国志〈第7巻〉 (文春文庫)三国志〈第7巻〉 (文春文庫) [文庫]
著者:宮城谷 昌光
出版:文藝春秋
(2011-10-07)

三国志 第八巻 (文春文庫)三国志 第八巻 (文春文庫) [文庫]
著者:宮城谷 昌光
出版:文藝春秋
(2012-10-10)

  
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2013年04月09日

最近読んだもの(主に『月とにほんご』,『チェーザレ』10巻)

・『月とにほんご』:『中国嫁日記』の作者による,日本語学校に通う月さんを中心とした話と,日本語に関する話が二本柱になっている。そもそも大学生になるわけでもない月さんが,留学生向けの高等な日本語学校に通うことになった経緯については本書の冒頭で説明される。結果として本書が誕生したことは僥倖なのだが,HPでの編集作業の様子や,存在だけ告知されて延々と発売日が決まらず編集期間が長大になっていったことを考えるに,かなり井上さんは苦労したのではないかと思われる。読んでみると,どこで苦労したのかが今ひとつわからなかったりするのだけど。
→ 本書の二本柱のうち,日本語に関する話については矢澤真人教授(筑波大学)の監修を受けている。ATOKの開発に携わった人と書いたほうがわかりやすいかもしれない。まずまずおもしろかったが,日本語ネタの本自体が氾濫しているのでインパクトは薄い。一方,月さんの日本語と中国語の相違と,それに対する矢澤教授の解説は新鮮味があっておもしろかった。ひらがな・カタカナで詰まる,音読み・訓読みがあるのが不自然に感じる。「というか日本は”にほん”と”にっぽん”で読みが二つあるのはおかしい」など,言われてみれば納得する日本語の変なところが指摘されていて,なるほどと。地味なところで「続投が中国人に通じない」。野球人気が高まれば通じるようになるのかなぁ。
→ もう一本の「月さんの日本語学校の話」の方は,嫁日記同様おもしろかった。特に大震災についての話は『嫁日記』2巻でもあったしWeb上の連載でもあったが,本書でも続き・裏話が書かれている。あんなに近いのに韓国人・中国人が地震に慣れていないというのは,やはり日本人として少しショックだったかもしれない。まあ,あんなものないに越したことはないのだが。この辺は,日本人はチリ人かトルコ人あたりと感覚を共通すべきだろうか。そして震災後,日本語学校の生徒数は一気に減ってしまった。それでなくとも日本語学校は修養期間の関係上「どんなに長くいたとしても一年半 だから『その時』はすごく短いのだ」とあって,とてもしんみりしてしまった。
→ ところで,前にブックレビューのほうで紹介したいとか書いてしまったが,意外と文章が伸びなかったのでやはりこちらで紹介した。文章の分量を量るのはなかなか難しい。


・ぷちます5巻:安定しておもしろくて,ぷちたちがかわいいと,アニメと全く同じ感想しか書きようがない。ただ,どのぷちがどこに住んでるのか,主に誰にひっついているのかがちょっと混乱してきたので,そろそろ公式のほうでまとめてほしいとは思った。
→ まんじゅう屋のおばちゃんが唐突にレギュラー化しており,前にどこかで出てたっけ?と4巻を読みなおしてみたがやっぱり出ていない。
→ 4巻の感想でも書いたけど,ぷちたちの知能差,能力差が激しい。身体能力は全体的に高いが,やよ・まこちー・たかにゃの3匹が別格か。知能面ではちっちゃん・ぴよぴよ・たかにゃは字の読み書きができて別格,あとははるかさん以外は人間と意思疎通が大体できる感じ。ぷちたち互いの意思疎通もできるらしいことが今回判明したが,それでもはるかさんだけは全くできていなかった。……ひょっとしてはるかさんだけ別種なんじゃ。


チェーザレ10巻:主要メンバーがピサ大学卒業で離れていく,つなぎのような1巻。実際,この巻が出てから全然連載が再開せず,完全に仕切りなおしているようである。9巻はフラグだらけだったので事細かに解説記事を書いたが,今回は解説するところが少ない。
→ virtu84の卒業諮問で「すでに結婚した男性が離婚して修道士になれるか」と聞かれている場面,ジョヴァンニは「結婚には形だけ合意が成立したものと,夫と妻が交渉を持ち真に成就したものがある」とし,前者ならば離婚できると回答した点は,後のルクレツィア・ボルジアにまつわる話の伏線か。
→ もう一つvirtu85,同じく卒業諮問でジョヴァンニに「私は美しくないが,美しさを感じる心はある。この心は神の恩寵であり,美術を生むために富はある」と言わせている。これ自体は同意しなくもないものの,後に教皇レオ10世となった彼がなした散財を考えると,これも伏線であろうか。もっとも,その頃にはとっくの昔にチェーザレが亡くなっているのだが。
→ そのvirtu85でチェーザレが会っているメディチ家の傭兵隊長エルコレ・ベンティヴォリオは,後にチェーザレに従軍し征服活動に従っている。が,本編がそこまで行くのにあとどれだけ話数がかかるのやら。ついでに言うとベンティヴォリオ家はボローニャの領主でもある。
→ あとはしいて言えばvirtu91でロレンツォがジョヴァンニに「兄弟で仲間割れはするな」と言っているが,確かに彼は後にフィレンツェを奪還した際,親族をフィレンツェの支配者に戻している。
  
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2013年04月07日

2013年冬アニメ感想その2(と,さくら荘のアレその2)

・さくら荘:2クール終わって,基本的な感想は1クール目が終わったときと変わりがない。視聴者をうまく振り回していたと思う。青春活劇に恋愛の三角関係,さらには才能と向き合うことというテーマをくっつけて重層的に物語に折り込み,混乱するかと思いきやうまいこと処理しきった。こういうのは大体どれかに偏っていって他が適当になったり,シリーズ前半は恋愛描写重視なのに後半になって突然才能の問題になるなどテーマ描写が重ならなかったりする。はたまたありうるのはキャラの精神年齢が達観しすぎていて,全然青春してなかったりするパターンもある。そうしたありがちな失敗にならず,むしろちゃんとそれぞれのテーマが同時進行したのは地味に凄い。
→ 『つり乙』のレビューでも書いたが,私は天才と秀才(と凡才)の物語に関心が強いので,この点でも惹きつけられたのだと思う。勝てないような独創的な天才が登場したとき,我々はどう振る舞うべきか。空太君はぜひとも今後も振り回されながら,がんばってほしいと思う。

・で,残念なことに最終話手前の卒業式で国旗国歌が描かれずまたしても炎上していたわけだが,これについては批判側も擁護側も誤解が激しいので整理しておく。

●そんな細かいところはどうでもいいのでは?
→ 実際,私的にはどうでもいいことこの上ない。現実の世界だって国旗を掲揚せず,国歌を斉唱しない学校くらいあるだろう。が,騒動になってしまったものに私的な感想を言ってもしょうがない。
→ 原作では国歌を歌ったという一文があるので,厳密に言えばこれは原作改変にあたる。
●実際に歌うと尺をとるから省いたのだろう。
→ その通りだと思うし,国旗が無かったのも作画上邪魔ったいからだろう。が,「国歌斉唱」がプログラム(式次第)からも削除されているところでミソがついた。
●じゃあどうして式次第からも削って,全面的に国旗国歌を出さないようにしたのか?
→ 考えられるのは以下4つほど。

1.単純に「式次第の作画しているときに気づかなかった」=もろもろ含めて全般的に,特に何かを示した意思表示・演出というわけではない。
2.国歌斉唱のシーンが無いから式次第にあるのも不自然と考え,削った。
3.芸術大学の付属だから,国旗国歌はそぐわないと判断した可能性は考えられる。(ただし,これが理由だとしたら個人的にはどうかと思う。「芸術は反規範であらねばならない」ってそれはそれで偏見。)
4.海外展開する上で邪魔だったのでは?:というのもネット巡回していられたら見られた。が,「さくら」を意識させている点ではむしろ「日本」を押し出していくべきでは?と,これも個人的には首を傾げる理由である。別の方の指摘にもあったが,本作はさくらから日本を意識させる描写があるので,ある種の人々が騒ぐような陰謀論は当然考えられない。

●というところで,私は2ではなかったかと思うし,2なら一番良いと思う。一番理由として自然だし,波風立つような理由ではない。
→ 3や4の場合も,批判するようなものでもない。要するに3・4ならサムゲタンのときと全く同じ構図になる。無論のことながら表現は自由であり,”変なのに目をつけられたから”といって表現を変えるのは実質的な規制にあたるから,そういったことを決してするべきではない。だからこそ,制作者の矜持として3や4の理由があってそうしたなら,演出上の成否は別としてこれは批判すべき点にあたらず,むしろよくやったという話になる。もっとも,前述の通り演出上成功していたかは首をかしげるが……というところまで含めて,やっぱりサムゲタンのときと同じ構図だと思う。
→ というわけで,2・3・4ならおおよそなんの問題ない。が,1だとするとこれはなんとも間抜けな話になってしまう。なぜなら理由のない原作改変をした挙句,かつ事故ったからだ。「予測がつかないから事故」と呼ぶとはいえ,事故も二度目である。この点本作は”極めて不運”ではあるのだが,じゃあアニメスタッフが万全の注意を払ってたかというと,どうかなーと思わんでもない。原作に忠実であるということはこうした事故のときに,原作に責任を押し付けることができるわけで,だから理由なき原作改変はそれ自体悪と呼べるところがあるように思う。一方で,無論のことながら,批判する前にその改変意図を出来る限り読み取る義務が,視聴者にもあるわけだけれども。
→ で,その1〜4のいずれなのかがわからないので,私は態度を決めかねている。というか2だと思い込むことにした。
  
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2013年04月06日

2013年冬期のアニメ感想その1

ようやく冬期(1〜3月)のアニメを全部見終わったので,それぞれ短く感想を述べておく。自分にしては珍しいことに7つあった。評価の高い順から並べると,ぷちます>さくら荘>たままー>サイコパス>ロボノ=リトバス>琴浦さん(断念)になる。さくら荘だけ,例のアレについて書いていたら長くなったので別記事に隔離。全体的にネタバレ注意。

・ぷちます!:一日約2分で5日連続放映=一週間で10分,どんなに続いても3話まで=6分程度で話が終わるというハイスピードアニメ。64話ぶっつづけで見たとしても2時間半程度という短さである。しかし,原作通りに忠実な映像化で,目新しさは無かったもののギャグはおもしろいし,アイドルもぷちたちもかわいいし,正直文句の付け所がない。二期期待というか,原作が尽きるまで半永久的にやってほしいと言いますか。


・たまこまーけっと:良くも悪くも先鋭化したなー京アニというのが,どうしても感想になる。『けいおん!』のときに見られた「内輪にこもりすぎてて視聴者が入っていけない」という意見が,今回のアニメではさらに広範に見られたのは当然のことと言えよう。私自身はそんなこともなく視聴することができたのだが,そんなことより何より「温かみのある商店街って二重に完全なノスタルジーだろ」というのが先立ちすぎて,登場人物が善人であること以上にファンタジーに感じられ,今ひとつ乗れなかったところがあるのは認めざるをえない。
→ キャラ萌えが無かったら切ってたかも,というわけで,キャラ萌えが視聴を支えてくれた。具体的に言うと詩織さんとかんなちゃんである。私の好みを知っている読者からすれば説明せずとも納得していただけることだろう。どっちも方向性の違う無口系でかわいい。若干惜しかったのがみどりちゃんで,もっと百合百合してれば評価が違ったかもしれない。
→ 一応ストーリーにも触れておくと,これはもうどこかのアニメ批評で読んだ「京都版現代版フーテンの寅さん」というのが的確すぎて他に付け加えれることがない。男はつらいよならぬ,トリはつらいよ。デラさんはよくがんばったと思います。

・サイコパス:ありきたりなディストピア設定の割に,よくよく考えなくても不自然な基盤の設定に目を背けて,筋だけ追うと意外と楽しめた。しかし,逆に言ってシビュラシステムの不自然さは最初からつきまとったし,そのせいでシビュラの真相が出てきてもさして衝撃が無かったところはある。最終話まわりにしても,ハイパーオーツの警備があんなに軽装なのはさすがにちょっと。
→ 設定の後出しというか,作中で出してない設定が多すぎて世界の理解が追いつかなかったというのはある。もったいなかったと思う。たとえば,シビュラシステムに行き着かなかった諸外国は大体社会が崩壊していて,日本だけ健全に生き残ってるなんてのはすごく大事な設定なのに,作中で明示されたのは最終盤であった。こんなのは序盤に公開すべきことではないか。
→ 一方で,結末には納得している。安易にシビュラを破壊して終わるのは避けて欲しかったので,そこは満足している。設定がベタながら安直なオチに逃げないあたりは,やっぱりぶっさんらしかったかな。

・ロボティクス・ノーツ:なんだかんだで最後まで見てしまった。が,シュタゲと比較するとやっぱり小粒だし,比較しなくても物語の進め方がうまくなかった。1クール目は冗長で,いつ巨大ロボット作りと君島レポートがつながってくるんだろうというところでやきもきしていた。あとこれは1クール目が終わったところの感想に書くべきだったのだが,設定の公開に失敗していて,途中まで「ガンバレル?キルバラ?なにそれ」状態であった。逆に2クール目は展開が早く,おいてけぼりを食らった。特に万博に言ってからは超展開と言って差し支えない。しかし原作でもああだったらしいので,アニメスタッフの罪ではないだろう。ペース配分が完全に間違っていたと思う。
→ しかし,こちらも完全にダメだったかというとそうでもない。まず,仕掛けは見事だったとしか言い様がない。君島コウが敵(黒幕)でみさ姉は洗脳されているだけ,澤田さんは味方で真相なわけだが,途中までどう見ても君島コウは三百人委員会に近づきすぎて消された正義の味方,みさ姉と澤田さんは三百人委員会の手下にしか見えない。この仕掛が成功しただけでも良かったと言えるところは,それ以外に不満点が多い点も含めて私的に『車輪の国』の感想にだぶる。
→ このアニメもキャラ萌えに支えられていたところはあって,フラウはとても良かった。しかし,あの妙な髪型は流行なんだろうか。『ロボノ』の神代フラウ,『咲-Saki-』のすばら先輩こと花田煌,そしてマガジン連載中の『山田くんと7人の魔女』の滝川ノア。3人とも好きなキャラなんだけど,別にあの髪型が好きというわけではないので,なんとも言えない気分である。

・リトバス:惰性で見ているというか,リフレイン待ちというか。アニメの出来についてはやはり褒めたいところと批判したいところがそれぞれある。
→ 批判したいところは,これはもう明確にギャグパートで,よくもまあだーまえのギャグの切れをあれだけつぶせるなと。特に真人と恭介の扱いに難がある。ただし,1話まるごとギャグに振った回はそこそこ成功していて,11話と15話はまずまず笑えた。
→ 褒めたいところは,個別ルートの処理である。リトバスは原作の個別ルートの出来がそれぞれ賛否両論で,特にクド・はるちん・コマリマックスは擁護しがたいものがある。割りと出来がいいと思う美魚ルートだって映像にすると相当苦しいシーンがあるし,姉御だってカオスといえばカオスだ。
→ で,JCのスタッフはどうしたかといえば,まず姉御は小毬・美魚・はるちん・クドは話を大幅にカットしてわずか2・3話で処理。特に小毬ちゃんは気持ちいいほどばっさりっぷりで短くなっており,つまらないのはつまらないにしても,元があれだからよくこれだけ再構成したもんだと思う。その小毬を最初に配置したところにスタッフの意志を感じなくもない。しいて言えば,美魚はばっさり切りすぎて美鳥のインパクトが薄いまま彼女が消えてしまったけど。また,はるちんはもう1話削って2話でなんとかなったかなと思わなくもない。
→ 一方,そうして出来た余裕は11話や15話のようなギャグ回や日常パートの割増で,個別ルートのつなぎにした。これによりシリーズ全体で,個別ルートを単につないだだけという印象を薄くした。個別ルート後即個別ルートだと,話がつまらん上に重いという悲劇的な事態になっていただろう。そして姉御はやらずに2期(3クール目)に飛ばして回避という英断である。これならリフレインにはぼちぼち期待してもよさそうだ。

・琴浦さん:4話くらいで飽きそう,と前回書いたら本当に4話くらいで飽きてしまった。ちょっとテンションについていけなくなったと言い訳しておく。完走してないので他に書くことがない。  
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2013年04月05日

美少女万華鏡2 −忘れな草と永遠の少女− レビュー

1のほうから続けて。 

シナリオは1の方でちらっと書いたが,2の方は割りとしっかり怖かった。主人公が白昼夢を見ているらしきことは序盤からしばしば現れてくるのだが,それ自体単純に怖いし,プレイヤーは真相が非常に気になるのにもかかわらず主人公はなかなか重い腰を上げず,その乖離もまた怖い原因だと思われる。で,その真相なのだが少し難解なこともあってか評価が分かれているようで,おもしろかったという意見もあればこのシリーズに凝ったシナリオは不要だろうという意見も多いようだ。確かに怖がる一方で実用するというのは困難かもしれない。ついでに言うと「シナリオが矛盾している」という声もあり,なんのことはなく本作は主人公が白昼夢を見ていることに加えておそらく……なのだろうが,この辺りはネタバレに隔離しておきたい。バッドエンド・ノーマルエンド・ハッピーエンドと3つあるので,攻略する際は気をつけよう。全部見ないとCGもシーンも埋まらない。

メインヒロインのキャラはどちらのどっちのほうが好きかと言われたら,属性も性格も1の霧枝のほうになる。が,Hシーンのエロさはどちらかと言うと2のほうが優れていたと思う。八宝備仁氏の原画だと,こういうむっちりした子のほうが合うのではないか。アニメーションもよりしっかりと動くようになっていたし,数も多かった。ただし,前作は吸血鬼という設定を生かしていろいろ特殊な衣装やシチュエーションに挑んでいたのに対し,こちらは単純なイチャラブの和姦が多く,シチュエーションには若干乏しい。また,卑語の乱舞は本作も変わらず,ただし設定的に本作のほうが違和感がなかった。しかし,とあるシーンは卑語乱発というレベルではなく,もう笑わせようとしてやってるだろうあれは。やった人はどのシーンを指しているかわかると思う。

CGは33枚でうち26枚がHシーンのもの。やや割合が下がったのは通常のイベントCGが増えているためで,要するにエンディングが分岐するせいだろう。回想数は16で,前回の1シーン1枚体制よりもややマシになっている。多くのHシーンが前作よりもやや長く,CGを2枚使うようになったため,さらにボリューム感がある。音楽は曲数こそ変わらないが質は悪くないと言ってよい。怖いシーンはちゃんとBGMも怖い。システムは進化した,というか既読スキップが増えてようやくまともなシステムになったと思う。前作はエンディングが1つしかなく,CG埋めるためにやるとしても2周すれば十分だったが,今作はエンディングが3つあるから,既読スキップがないと耐えられなかっただろう。

プレイ時間は前作よりも少し長くなっていて,それでもHシーンをじっくり読んでエンディングをコンプしたら6・7時間はかかると思う。3000円弱でよくこれだけのボリュームをもたせたものだと本当に思う。点数は80点をつけておく。少しだけ下がったのはキャラの好みの差なので,実質的に差は無い。


以下はシナリオについて。完全ネタバレ。ひょっとして解釈が間違っている可能性もあるので,容赦なく「こうなんじゃ」と指摘していただきたい。
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2013年04月04日

美少女万華鏡1 −呪われし伝説の少女− レビュー

こっそりクリアしていた。お前大図書館のレビューどうしたんだよという声は聞かなかったことにして,先にこっちのレビューを書いておきたい。

ロープライスの抜きゲーである。その意味ではレビューもくそもなく「やっぱり吸血鬼は最高だった」の一言で終わらせてもいいのだが,それだけでは終われないのでもう少々何か書いておきたい。吸血鬼物のエロゲーというと『彼女たちの流儀』にしろ『FORTUNE ARTERIAL』にしろ大体エンディングが2つあって,一つは普通の人間である主人公が最後まで人間のままで終わるものと,主人公がヒロインの眷属となり,永遠にともに生きていく,というもの。片方が個別エンドでもう片方がトゥルーに配置されることが多い。上に挙げた以外では『こなたよりかたなまで』や『とらいあんぐるハート1』で吸血鬼が出てくるが,これらは1つしかエンディングが無く,強制的に片方のパターンしかない。で,本作『美少女万華鏡1』もエンディングが1つしかないわけだが,これが(ネタバレ)後者の「永遠」エンドであった。私個人の嗜好としては,どちらも好きだがその中で選べばこちらなので,ここは好感を持った。プレイ途中ではもう片方の方で終わるのか,もしくはバッドエンドかと思っていたので,終盤の展開は少し意外であった。(追記:『こなかな』の両方エンドがあるようだ。やったのが昔過ぎて記憶が無い……)

本作のジャンルはオカルティック官能AVGである。実は2もすでにプレイ済みで,あちらはけっこう怖かったのだが,こちらは全く怖くなかった。シリーズ通してホラー物というわけではないらしい。しかし,ちっとも怖くないことと古典的な構成の吸血鬼物であること,かつ物語自体の方向性から言って,ゴシック小説的と言えるかもしれない。ここまでの文章で分かる通り,物語はあってないようなものというわけでは決して無い。無論基本的には抜きゲーなので,Hシーンに継ぐHシーンであり,それ以外の文章はシチュエーションのつなぎに徹している状態である。が,キャラクターの心の機微,変化はそれでもきちんと表現されており,よくこの短いつなぎの文章でがんばってるものだと思う。かつ,最小限なのでHシーンの邪魔にはなっていない。とはいえシナリオに期待して本作をやるのは完全にお門違いなのでお勧めしない。あくまで吸血鬼のお嬢様とのH三昧を送りたければ本作をやるとよい。

肝心のHシーンについては,ド直球に言えばキャラに萌えられれば実用性は抜群と言っておけば十分だろう。シチュエーションもコスチュームもバリエーション豊かだ。ただし,これは本作を私に勧めた友人からも言われていたことだが,非常に卑語が多く,場面にあわなくても乱発するのでそこだけは萎えるポイントである。このような不満は『Before Dawn Daybreak』や『Euphoria』あたりでも感じたので,抜きゲー(とそれに付随する黒箱系)に共通する欠点かもしれない。とりあえず卑語を言わせておくというのが抜きゲーのある種の流儀だとするなら,それは安易すぎる流儀だと思う。卑語連発でも物語に即していれば別に問題ないので,『美少女万華鏡2』のような設定ならまだしも納得するのだけれど。

CGは23枚中21枚がHシーンのもの。シーン回想は15。この辺りからも推測できるように,ほとんどの場合で1シーン1枚である。そこで区切るのはシーン回想の水増しだろうというなものもなくはないので,数字はあまり信用しないほうがいい。もっとも,それでも本作は十分にHシーンのボリューム満点だが。CGは差分が非常に多く,こまめに表情が変わることも含めて,この価格にしては十分がんばっている。音楽はやや曲数が少ないものの,プレイ時間を考えれば聞き飽きるということはないだろう。システムも軽くて使いやすいが,既読スキップが存在していない気がするのは気のせいか。

プレイ時間はHシーンも割りとじっくり読んで5時間ほど。点数は80点強をつけておく。
  
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