2013年10月30日

love is blind ―まどか☆マギカ劇場版[新編]感想・考察 ※ネタバレ

どうにもまとまらないので,箇条書き的に。完全ネタバレなので,折りたたむ。


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2013年10月26日

「極めて魅力的な  の提案」

仕事が少し落ち着いてきた。これで少しはブログの更新もしっかりできるようになると思います。


・【ネタ】HOI2風ツイッタークライアントのご提案(dragoner.ねっと)
→ 欲しい(迫真)
→ HoIにしろCivにしろ,歴史系SLGの時代がかった独特の表現が楽しい。


・白い鯛焼きのせいで借金2820万円www もう死ぬしかない・・・(ニュース30over)
→ けっこう好きだったんだけどな,白たい焼き。もちもちしたのが良かった。当時はけっこう食べていた。ちなみに,近所に最近1店復活した。
→ ブームが去ったというか,そもそも夏に戦える別の商品が必要だったのでは。どう考えてもたい焼き一本では夏場は辛いわけで。


・自由と平等の攻防 ―― アメリカでの同性婚合法化の波を理解するために(SYNODOS -シノドス- )
→ こういうの読むと,あそこは建国以来の連邦主義を守ってるんだなと思う。州の内政は州へ。でも決着がどうにもつかないものだけが連邦政府へ。そこの折り合いがつかなかったからこそ,南北戦争にもなった。
→ 今回はいい方向に向かったけど,州権の強さが奴隷制を守ったところもあるわけで,一概には言えない。どこまで州の内政に国家がかかわってよいか,そのコンセンサスはアメリカ人自身とれていないし,歴史がどれだけ経過しようが取れないのではないか。


・300年続く領土問題 小さな英領 ジブラルタル「Gibraltar」(onlineジャーニー)
→ 良いまとめ。そういえばユトレヒト条約からちょうど300年か。
→ まだチョークポイントとかいう地政学的発想の無い時代に,絶妙の場所を取ったもんだと思う。結果的にイギリスは反対側のスエズも確保するわけで。それがインド失陥で今となっては無用となったが,今度は英領として定着し過ぎてしまっておいそれと返すわけにもいかなくなってしまった。
→ 「不自然な国境線になってるんだから返してやれ」という単純な議論ではいかない。そりゃ地元住民はイギリスに帰属したがるだろう。
→ 超細かいことを言うと,3ページ目の地図,保護国をどこまで含めるかという議論はあるが,香港・アフガン・アイルランドあたりが色塗られてない。


・気象庁が陳謝 ノイズで予測過大に(NHKニュース)
→ 緊急地震速報の誤報について,気象庁の報告。こういうときに「良かった……不幸な○○はいなかったんだね」と言ってネタとして流せるようになったので,このテンプレ考えた奴は天才。
→ いやほんと誤報で良かったです。職場で地震速報受けて超びびった。テレビで余裕で甲子園やってるのを確認した人がいて,誤報とすぐにわかったが。
・奈良の大仏が地震を鎮めたという説が急速に広まる(市況かぶ全力2階建)
→ そして,さすがは1000年以上鎮護国家してるだけはある,と。その間自分が燃やされたりしてるのは内緒の話だ。
  
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2013年10月23日

第228回『アニメキャラが行列を作る法律相談所』ronnor(QB被害者対策弁護団)著,総合科学出版

名作同人誌「これから『契約』の話をしよう」で,魔法少女まどか☆マギカの法律的解説をしてきたronnor氏率いるQB被害者対策弁護団が,他のアニメにまで範囲を広げて商業デビューした本。つまり,諸アニメにおける諸事件が,現実の法律ではどうなるのかという,空想科学読本的なお遊びである。

中身は非常にしっかりしており,文章もおもしろい。法律的な考察がしっかりしているのみならず,アニメネタも豊富である。前述の同人誌でわかっていたことではあるが,著者がにわかなオタクではなく,ガチガチのアニメオタクであることは文章から伝わってくる。というのも,こうした本にはありがちなことで,実は作者がそう対して秋葉原系の文化に染まってないことが往々にしてあるのだ。本書はそうした心配は無用である。ネットスラングが過多ということもなく,いい塩梅である。扱っているアニメは比較的メジャーどころが多く,『あの花』,『狼と香辛料』,『ハヤテのごとく!』,『CLANNAD』,『コクリコ坂から』,『魔法少女まどか☆マギカ』,『名探偵コナン』,『GOSICK』,『咲-Saki-』,『涼宮ハルヒの憂鬱』。元ネタのアニメを知っていないと辛いわけだから,メジャーどころから引っ張ってきたのは正解だろう。というよりも,その観点で考えると『GOSICK』,『あの花』あたりは限界スレスレの知名度な気がするが。

『咲-Saki-』については本ブログの読者的に気になる方も多いであろうから書いておくと,賭博罪についての考察である。ronnor氏のブログに元となった記事があるが,本書はこの記事に加筆修正されたものだ。基本的な骨子は全く変わっていないが,より詳しい解説が読みたかったら本書を読むといいだろう。他,大体アニメのタイトルから扱われている法律は類推がつくのだが,『コクリコ坂から』が家族法(民法),『CLANNAD』が遺産問題,『ハヤテのごとく!』が債権法,『狼と香辛料』が詐欺といった感じ。『狼と香辛料』は,がんばればこれだけで法律読解本が一冊書けそうだが,今回は一例のみである。特に現代日本の法律と,中世欧州(ハンザ都市辺り?)で結論が全然違うだろうし,ronnor氏の今後に期待したいところだ。

何が一番おもしろかったか,個人的な感想であげると『CLANNAD』。渚が死んだ後の遺産処理めんどくさすぎるでしょう……遺書は大事だわ。あと,『コクリコ坂から』のところで,「スウェーデンでは兄妹でも結婚できる」という事例が紹介されており,最近どっかで聞いたことあるような(リンク先エロゲ注意),と思いながらこの項目で爆笑していた。この事例,法律家界隈ではひょっとして有名なんですかね。妹,気になります。




  
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2013年10月22日

インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア

とあるニコマス動画に触発されて,15年ぶりくらいに見たくなって借りてきた。

古い映画なのであらすじの紹介はいたるところでされているが,一応書いておく。ある記者がサンフランシスコ在住のインタビューをするという形式で始まる。インタビューされる吸血鬼はルイ。今はサンフランシスコに住んでいるが,以前はニューオーリンズに住んでいた。彼が人間であった最後の年は1791年,当時の現地はスペイン領だが,ルイ自身はそれ以前から植民していたフランス系の,プランターの大富豪であった。妻を亡くして自暴自棄になっていた彼のところに,吸血鬼レスタトがやってくる。レスタトはルイを吸血鬼にしたが,ルイは人間としての良心が忘れられず,吸血鬼としての生活になかなかなじめなかった。そこでレスタトは,ルイの殺し損ねた少女クローディアを,戯れに吸血鬼にする。波乱はそこから始まる。以降のネタバレは本記事の最下段に隠す。


物語のテーマとしては,吸血鬼物としては比較的多いものの中でがんばって描いている部類だと思う。人間の捕食者として,人間を食料としてしか見ないか,そこに何かしらの葛藤が残るのか。アーマンドも言う。「吸血鬼は永遠の命を持っているが,それに耐えられず多くのものは死んでいく。」「享楽的であるだけでは,生きている意味が無い」。しかし,パリの有象無象は置いておくとしても,レスタトにも美学はあったわけで,でなければルイやクローディアを吸血鬼にはするまい。彼は単に享楽的であったのはなく,彼も”新大陸”で変化を求めていたのだ。が,ルイには理解されなかった。クローディアは二人の娘として,レスタトもルイも理解していた。だからこそ,レスタトに従い気の向くままに吸血行為を楽しんだ一方で,自分を吸血鬼にしたレスタトを恨み殺害にまで至った。そして,ルイがアーマンドに惹かれていくと,捨てられる恐怖から仲間を増やそうとした。妙に哲学的で,そもそも厭世的な理由から吸血鬼になったルイよりも,クローディアのほうが人間くさい吸血鬼だったと言えるかもしれない。

ルイを演じるのがブラッド・ピット,先輩吸血鬼レスタトを演じるのがトム・クルーズである。この二人が吸血シーンということでからみあうのだから,まあ耽美的・同性愛的である。ここまではまだ平凡といえば平凡なのだが,ここにクローディアが加わったことで絵面にも捻転が起きる。クローディアは,肉体的な幼さと,大人並みの人生経験,これに大人に対する憧憬が加わり,結果クローディアにとってのルイはパパであると同時に恋人にもなっていく。ルイとクローディアの擬似的な親子関係はそのまま近親相姦的なものに変わり,かつ少女性愛でもある。彼女がレスタトやアーマンドをも含めた三角・四角関係を作り出していくのだから,キーパーソンこの上ない。擬似同性愛・近親相姦・少女性愛・三角関係とこれだけねじれにねじれ,しかも性的情景に近似できる吸血シーンが乱舞するのだから,映像的にはすごいことになっている。にもかかわらず,実は通常の性交シーンが本作には一度もなく,どころか主要人物の身体が半裸になるシーンすら無く,抑制された結果として,余計に吸血シーンのエロさが目立つ結果となっている。この映像作りはすごい。というか,この映像作りのために,これだけ設定をねじくりまわした脚本(原作)がすごい。ゴシック・ホラーの名作である。


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トム・クルーズ
ワーナー・ホーム・ビデオ
2010-04-21

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2013年10月21日

4Kテレビとミケランジェロ

Buonarotti-scala西美のミケランジェロ展に行ってきた。展覧会の内容は「いつもの西美」で,素描多めである。というよりもミケランジェロの真筆に限ればほぼ全て素描であった。しかもこの素描,ミケランジェロは使った素描をさっさと焼いてしまう癖があったおかげであまりきちっとしたのが残っておらず,「素描の中での最高傑作」と言われるものも展示されていたが,これで?あのミケランジェロの最高?となってしまうレベルのものであった。そうしてみると,謎めいていて妙な陰謀の種になっていて,後世の研究者の頭を悩ませているとはいえ,数はめちゃくちゃ残ってるレオナルド・ダ・ヴィンチのありがたさがよくわかる感じである。

素描よりもむしろおもしろかったのはミケランジェロとその親族やパトロンがかわしていた手紙で,ちゃんと全訳を掲載していたのはすばらしい。手紙の文章量が,送られてきた手紙よりも,ミケランジェロ本人の手紙のほうが圧倒的に少なく,訳文を見てもぶっきらぼうで,非常に彼らしくておもしろかった。特にパトロンの教皇に対して,一応うやうやしく書きつつも「いいから俺の芸術を信じて自由にやらせてくれ」と言っているあたりとか,弟子に対する手紙で「いいから勉強とデゼーニョだ」と書いて送っているあたりは,本当にミケランジェロらしくて良い。親族に対する手紙は,ローマにいるミケランジェロにフィレンツェの食べ物や衣服を送ってもらって感謝している手紙が多く,質素な生活で有名なミケランジェロでも地元の食は嬉しかったんだなぁとなんだか和んだ。

素描・手紙以外の作品は本当に少なく,主だったところではチラシの一面に使用されていた大理石の浮き彫り。《階段の聖母》という,15歳頃の作品である。もう一つが死の前年に彫られた木製のキリストの磔刑像。前者は15歳という年齢を考えるとすごい作品である。後者に関しては,衰えたと言えばいいのか枯れたと言えばいいのか。この頃のミケランジェロは90歳近く,手紙も署名以外は代筆させていたそうなので,握力が無かったのだろう。


ただし,いつもの西美と少し異なったのは,さすがにそれだと集客に不安が残ることを自覚し始めたのか,最新の印刷技術を用いて再現した《最後の審判》の巨大なコピーが展示されていた他,4Kテレビを用いたシスティーナ礼拝堂の撮影映像が紹介されていた。4Kテレビの映像は初めて見たが,確かに驚くほど綺麗で,画面の大きさも手伝って,強烈な臨場感があった。システィーナ礼拝堂に立っているかのような錯覚はあったと言ってよい。ただ,それはそれとして4Kテレビ宣伝必死すぎだろ……という感じが強く,同様の感想は私の周囲の鑑賞者からもちらほら聞かれた。ということは,同じことは相当多くの人に思われているに違いない。ただし,意外にも協賛・後援に家電メーカーは存在せず,関係者というとTBSくらいである。思われているほど宣伝というわけではないのかも。あと,スタッフロールの最後に「監修:小佐野重利」とあり,相変わらずいろんなところに名前出るなあの人,と思った。

これで今年のルネサンス三大巨匠展は全て行ったが,企画としてのすばらしさから言えば,西美ながらちゃんと油彩画多めでそろえていて,ラファエロ自身の作品も良かったラファエロ展が圧勝。素描中心ながら素描自体が割りとおもしろく,キャプションもがんばっていたし,何より「素描中心」であることをちゃんと宣伝していて広告詐欺にはなっていなかった都美のレオナルド・ダ・ヴィンチ展が次点。一番不満が残るのが,「いつもの西美」とはいえあまりにも油彩画がなく,4Kテレビの宣伝現場になっていた今回のミケランジェロ展,ということになる。ミケランジェロもこんな自分とは関係ないところで前者二人に大敗したというのも,天国で悔しがっていそうだ。彼に早めのリベンジの機会を与えてあげてほしいところである。

  
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2013年10月20日

清雅なる水墨画

Geiami_-_Viewing_a_Waterfall根津美術館の日本中世水墨画展に行ってきた。中世の指す範囲が難しいところだが,本展の指すところでは室町までらしく,最新が狩野元信であった。一般的にも戦国時代か安土桃山時代くらいから近世と見なすことが多いから,適切なところであろう。

山水画を見に行ったので他のジャンルは割りとどうでも良かったのだが,実際山水画以外は数も少なかった。一応仏画と動物・植物画もあった。山水画は周文・芸阿弥・雪村・「拙宗」あたりが有名人でいたが,後はまずまずの知名度といった面々。ものの見事に禅僧だらけである。いかにこの時代の文化の中心が彼らであったのか,よくわかるところだ。室町幕府の文官的な役割を果たしたのもまた彼らであるから,まさに中国社会の士大夫のような役割であった。もっとも,中国史とは異なり,日本史は戦国時代に突入し,その政治的地位も文化的地位も,武士が担っていくようになる。その意味で,展覧会の締めが狩野正信・元信の親子というのはうまい締め方だと思った。

山水画の質は,総じて高かった。個人的なお気に入りは芸阿弥の「観瀑図」(今回の画像)。岩に押しつぶされそうな庵の前には,その巨大な岩から流れ落ちる滝。その滝に向かう居士という一般的な山水画の配置ではあるが,それぞれの質感も配置も実に良い。あの山水画の中に入って,庵に座って滝の裏側をじっくり眺めたくなる。そう思わせるのが山水画の究極目的であろうし,それを見事に果たしている作品といえるだろう。この観瀑図にしてもそうだが,改めて自分の院体画好きが自覚できた。やはり,構図も筆致もぴしっとしている方が好きなようである。狩野派が好きなのもこの辺りの理由が大きかろう。

所蔵品展示では,いつもの宝飾時計が展示してあった。この間根津美術館が宝飾時計を売却したというニュースがあったが,売却したのは中国宮廷の時計だそうなので,これらではない。展示されているのはイギリスの宝飾時計である。一方,売却したとされる中国宮廷の時計は,私は見たことがない。もう何度も根津美術館には行っているのだが,展示したことが過去にあったのだろうか。ほとんど無かったから売却したのだろうが。「改装費用の一部として使う」とのことだが,もう十分綺麗である。どこに使うのか,ちょっとわからない。

あとは根津美術館というと庭園だが,さすがに季節外れで,もう青々としていないし,かと言ってまだ全く紅葉していなかった。もう一ヶ月もすれば紅葉全盛期であろう。次の展覧会は井戸茶碗ということで,これは必ず行くと思うが,死ぬほど混んでいそうでどうしたものか。


ついでに書く欄がなく,1記事立てるほど書くこともなかったので,ここに山種美術館の速水御舟展もはしごしたことを書いておく。歩いたわけだが,美術館同士の距離がそれほどないのではしごしやすかった(そのまま渋谷まで歩いてツタヤに寄ってから帰った)。「炎舞」を見に行ったしそれ以上の感想はあまりないが,個人的には当たり外れの激しい画家だという認識になった。「炎舞」あたりは本当に好きなんだが,一方他の作品からは少々躍動感が欠けるようなところが感じられた。
  
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2013年10月19日

アメイジング・グレイス(Amazing Grace)

ウィルバーフォースを主人公とした史劇の映画である。1782年から1807年の25年間に,ウィルバーフォースが行った奴隷貿易廃止運動を描く。イギリスの奴隷貿易廃止200年を記念して制作されたイギリス映画である。名曲『アメイジング・グレイス』は,奴隷船の元船長が改悛して作詞した歌詞が元になっており,作中でもウィルバーフォース本人が歌うなどしばしば引用されている。

題材からして勝っているような作品ではあるが,映画としての出来は手放しで賞賛できるものではないかと思う。フィルバーフォースの活動に焦点を当てた映画,というよりはその一点しか描いていないと言ったほうが正しい。映画の主眼はあくまでそこだけであった。ウィルバーフォースが政治の道に進むか聖職者になるか悩んだり,運動がうまく行かずに悩み苦しんでいる様子や,結婚してそこから立ち直る様子などが,最も時間を費やされていた。本作は徹底して奴隷制廃止についての映画ではなく,「ウィルバーフォース」という信念を貫き通した政治家の人生を描いた映画だったと言える。ここを勘違いして見ると肩透かしを食らうと思うし,私も食らった。

結果として本作は非常に地味な映画となっており,それ自体を批判するのは少々気が引ける。しかし,やはり「一人の男の人生を描く」には奴隷制廃止はテーマが重すぎたのではないかという違和感は,視聴している間終始拭えなかった。奴隷制の悲惨さを訴えるには,本作が映像作品であるにしては映像的な弱さが目立つ。奴隷がいためつけられているような映像は,長くは挿入されない。タイトルに使われたアメイジング・グレイスの制作秘話的な話があるかというと,その話はすぐに片付けられ,歌われるのもウィルバーフォースが1回だけで,これも序盤の場面である。重要なシーンで効果的に歌が使われているとは言いがたい。議会での巧みなやりとり・策謀が焦点かというとこれも中途半端で,無いわけではなかったが,主眼というほどではなかった。あくまで,ウィルバーフォースの人生を追った映画である。このことは理解した上で,ご視聴いただきたい。


それはそれとして,奴隷解放というとアメリカの南北戦争とリンカーンのイメージがあまりにも強く,イギリスはというと世界史をちゃんとやった人じゃないと知らないかもしれない。この映画の感想をいくつか読んでみると,けっこうな数の人が「南北戦争の60年も前にこんなことがあったなんて」ということに驚いており,その啓蒙・普及がなされただけでも本作が日本で公開された意義があったと言えるかもしれない。ちなみにフランスはフランス革命時に一度廃止されたがすぐに復活,完全廃止は1848年(二月革命)のこと。イギリスは最大の奴隷貿易国であった一方,廃止も早かった。また,イギリスが廃止に踏みきれた裏の事情として,経済の主力が奴隷と砂糖から,産業革命による工業製品(綿布)に変わりつつある時期であったことは映画に描かれなかったが指摘しておきたい。

ちなみに,1807年の段階では奴隷貿易が廃止されただけであり,その後もウィルバーフォースの活動は続いた。奴隷制度そのものの廃止は,貿易の廃止からさらに約25年かかり,1833年のこと。ウィルバーフォースはこの廃止がなされた直後に亡くなっており,映画の中の「彼は活動を通して若さと健康を失った」という言葉通り,彼の奴隷制廃止運動は障害を賭した仕事だったと言える。


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2013年10月16日

あってよかったと安堵すべき場面かも>秘密投票

・「史実→キャラ」でなく「キャラ+史実で味付け」へ - 「艦隊これくしょん」における軍艦擬人化について(偏読日記@はてな)
→ キャラ萌えが先,後から愛着と史実ネタが来るのは,東方が近いかなぁ。ゲーム自体がよくできていて,史実ネタまで踏みこまんでも楽しめてしまう,のも含め。
→ 考えてみると「元ネタになりうるだけ豊富な素材を提供できる」「なぜかオタク界隈で詳しい人が多い」という点で,伝奇とミリタリー自体が重なってるのかも。他にそういう素材集扱いされているものって無いかな。クトゥルフとか?
→ その点,擬人化・女体化してないガルパンは特殊かも。あの作品は,キャラはキャラ,戦車は戦車で分離してるから。まあ戦車の性能知らなくても十分おもしろいのではあるけれど。
→ なお,私は艦これやってないしやる予定もないけど,巡回してて勝手に知識が増えてく勢である。
→ やらない理由は単純にここまでそういうゲームに触れてこずにここまで来てるのと,時間が絶望的にない。あとクッキー焼くのに忙しい。ダンジョン正式実装まだですか。


・「ヨーロッパ唯一の仏教国」をご存じですか?(ロシアNOW)
→ 1630年頃にロシアに移住。そのまま住み着いたオイラト系。だからチベット仏教。
→ こういう民族がいるのだから,ロシアは広い。こんなところでオイラトという言葉を見るとは思わなかった。


・大敗・民主党、2つの敗因と今後の行方|山崎元のマルチスコープ(ダイヤモンド・オンライン)
→ 分析・再建策ともに納得行く。ただまあ,野田さんはその「嘘をついていたことを認めた上での」再建をやろうとしていたのではないかと思うので,この筆者ほど私は批判していない。
→ 「嘘」があるのはまあどの政党もそうだとして,民主党だけがあれだけ叩かれた理由は何か。こうして他者から正しく指摘されることはあっても,まだ総括が自分らでできてない。だから再建できてないのが今の民主党だと思う。


・入室時から録音・録画 取り調べ可視化へ 警察庁(テレビ朝日)
→ 問題点はあるにせよ,一歩前進ということで。
→ さすがに遠隔操作プログラム事件のアレでこりてるのかな……と思うのは甘い考えだろうか。


・参院選:組織票のはずが1票 開票ミスと提訴検討(毎日新聞)
→ 秘密投票の原則ってなんだっけ案件。読んだ瞬間唖然とした。
→ 労働法を無視する人たちに「200年前に戻れ」と言ってしまった手前,この人にも同じ事を言わねばなるまい。
→ まあこういうのって,起源とかそうなってる理由とか,興味があったりちゃんと習った人じゃないと覚えていない/そもそも知らないので,本当に「なんだっけ」な可能性は高い。秘密投票の原則辺りはまだいいが,国会議員不逮捕の理由とかになってくると,けっこうな人が答えられないのではないか。だから,知らないこと自体はあまり罪にはしたくないところだ。
→ ただし本件の場合,労組の人が「興味もないし知識もない」じゃまずいわなぁというところで全力で批判されるべき案件ではないかと。


・大学世界ランク入り支援、10校100億円補助(読売新聞)
→ いや,21世紀COEからの一連で物珍しい政策じゃ……今更なケチつけている人の周回遅れ感が,というところで,はてな村では比較的よく見られる光景ではある。知らないことには首をつっこまないほうがいい分野というのはあって,教育行政はその一つじゃなかろうかと。
→ 実際のところ,ランキングは一つの目安として悪くないものだと私は考えている。英語圏に有利すぎるだとか,理系偏重だとかいうのはあるにせよ。その割には東大・京大は健闘していて,大学にかけられる予算さえ増やせるならそう現実味のない話でもないと思う。
→ ただ,言うまでもなく予算の増額と,資金の供給方法の変更は必須で,でなければそれこそ21世紀COE・グローバルCOEの二の舞になる。心配すべきはそこでしょう。
→ ランキングを指標にすること自体を批判したいなら,止めはしないが,じゃあ代わりに何持ってくるのというところで案外と代替物が無いのでは。


・We’ve always been at war with genitalia(Dan Kanemitsu's Paper Trail)
→ 確かにボーダーレスな現在無意味な法律だわな。
→ 性的表現でナイーブな分野だからこそ恣意的な判断が許されているというのが腹立たしい。  
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2013年10月12日

非ニコマス定期消化 2013.4月下旬〜5月上旬

春アニメ分多め。



黒猫派だが,あやせの罵り方は絶品と言わざるをえない。



こっちはニャル子さん2期のOPを使用。




ミリオン達成により,続編と合体版も。




とんでもない再現度というか合体具合。歴代のジブリールOPパロの中でもこれはすごい。



完全に無を取得するまでの時間を競う競技になっている。



実況者MAD。いい発想というか,多分発想も実行も三十のすけ氏以外にはできないと思うw。あまりの再現度の高さに,本当にピーがプレイしているとしか思えなかった。続編を期待したい。



このシリーズ,毎回「ZUN見てネタ拾ってるだろw」疑惑が出るからすごい。



奇抜な作品になるかとおもいきや,意外とピッタリ来るものに。確かにみほさんの作戦はエキセントリックでしたね。



西暦1年,古代は農業生産力や人口がそのままGDPになるから,インドと中国が圧倒的。ただまあローマ帝国は過小評価されている感がなくはない。西暦1000年でも変化はあまりない。ヨーロッパはこの時点で最貧国。これが1500年になると一気に膨らむのだから,中世後半の成長はすごい。逆にここまで第三位だった中東地域は相対的な地位が急落。そのままのノリで1800年頃まで進むが,産業革命が始まるととうとうイギリスの急拡大が始まる。それでも中国が1位から滑り落ちるのは1870年頃である。そして19世紀末以降はアメリカの天下で,こうして見るとソ連や日本の急成長は誤差範囲だなぁ,とか。
  
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2013年10月10日

咲関連の気になったもの(13年6月中旬〜7月中旬頃)

・【考察】たとえ宇宙が滅んでも和はオカルトを信じない!!(麻雀雑記あれこれ)
→ 計算してみるととんでもない。まあ,信念ですなぁ。和が逆方向から上ってオカルトじみてしまった,というのは作中の部長のみならず言われることだけども,こうまでならんと逆方向からはなれない,ということでもあるかも。のどっちのおっぱいマジ大宇宙。


・【考察】大会ルールで大明槓の責任払いにツモ符はつくのか?(麻雀雑記あれこれ)
→ 「大明槓の責任払いをするルールでは嶺上ツモをツモとみなさずツモ符の2符をつけないルールが主流」私も初めて聞いた。実質的にロン上がりだからつけない,ということか。
→ つけるほうが自然に見えるなぁ。それはそれ,これはこれという感じで。
→ リッツは知ってて2符つけたのか,知らずに自然と2符つけたのか,すっごい気になる。


・第114局[調整] _兇硫能電澄覆気やこのはな)
・有珠山高校ってどんなところ?にちじょう編(さくやこのはな)
→ 有珠山はキリスト教(聖公会)系だった。こう言ってはなんだけど,聖公会とはマイナーどころを。
→ 永水と当たってたら宗教戦争だったなー。そしたらますます東方じみてたかも。もっとも,東方にキリスト教勢力は登場してないが(仏教・神道・道教)。
→ さくやこのはなさんの記事はミッション系の女子校の生活がよくわかっていい。名前の由来推測もおもしろいし,割りと信憑性が高い。
→ 知り合いにも白百合出身の人がいるが,聞いてるとやっぱり独特のコミュニティで違うなぁと。一番びびったのはキリスト教の授業があるのみならず,フランス語の授業があるということだが。


・「咲-Saki-」舞台探訪 有珠山高校編(クモノカケラ -舞台探訪課-)
→ 有珠山の聖地巡礼は難易度高い。永水の巡礼も難易度高いし,咲は辛いところに舞台がある……。
→ もちろん東京にも聖地巡礼できる場所はいくつかあって,特に東京国際フォーラムは超近場なんだけどホール内は機会がないと中に入れないという。自分は何度か入ったことがあるが,当時は『咲』を知らなかった。あとは東京湾・清澄庭園周辺は臨海女子だったりワハハさんの祖母宅だったりといろいろあるが,これも以前に行ったことがあり,同様に当時は『咲』を知らず(ry。改めて行ってもいいが,ちょっと時間がない。
→ 永水の聖地巡礼は,この間友人が九州旅行に行ってて,ある意味代理で達成してもらった感。前にも書いたが,あそこら辺は行くと東方やアオイシロの巡礼にもなるので,なんというかまとめてドン。  
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2013年10月08日

夏季のアニメの感想とか

・有頂天家族:話がおもしろいのは原作でよくわかっていたので,あとはどこまで再現するか,もしくはどこを改変するか,という問題であったが,十分に及第点であったと思う。原作のメリハリ,笑わせるところは笑わせ,しんみりさせるところはしんみりさせる,というのには成功していた。特に1話ごとに山場を持ってきて,大半はギャグに使いつつ,末尾はちゃんとしんみりさせる流れはよく作っていた。ただし,その原作ではさすがに12箇所もそんな山場がないから,話ごとの切れ目にはやや苦労しており,しんみりポイントを作るのに苦労していたようには見えた。
→ 一番大きな改変というと海星の姿があらわになったことで,これは賛否両論あると思う。私はけっこうアリだったのではないかと。姿が見えないからこそ想像に頼るしかない,という点で原作の矢三郎と読者の我々は立場が重なるというおもしろさが,原作には確かにあった。一方アニメでは,視聴者には姿を現しながら,相変わらず矢三郎には見えないことで,今度は主人公と視聴者にギャップが生まれるという逆説的なおもしろみが生まれた。「全部同じじゃつまらないでしょ?」という,海星からの,原作を活かした原作読者に対するサービスだったのではないかと。あんなにロリロリしているとは思わなかったけど。確かにあれだと,矢三郎はちょうどつりあうかもしれないが,矢次郎だと彼がロリコン扱いされてしまうかも。
→ ところで,円盤の売れ行きがかなりまずいようで,まあそうなるだろうなとは思っていたが,私が思ってたよりも売れてないようである。まあ最初から「これで原作が売れてくれれば」というアニメではあったように思うし,現状私自身買っていないのだが……そのうち不憫買いするかも。


・ダンガンロンパ:原作のもったいない消費だったな,という感想がどうしても第一に来てしまう。原作プレイヤーが「1クールじゃどう考えても終わらない」と言っていたのがよくわかる展開であった。はしょりすぎである。
→ より正確に言えば,推理パートを思い切ってばっさり削ったのは問題なかったと思う。あそこはまさにゲームとして,プレイヤーが主人公と同一化しているなら楽しいが,アニメとして第三者として見てもつまらなくなるパートだと思う。一方,学級裁判のパートで原作の要素を削ったのは大変にいただけない。推理要素や物証・証言自体が大きく削られたことがニコニコのコメント等で読み取れたが,確かにアニメ版で残された証拠だけだと説得力が弱いという場面が多々あった。ゲームではちゃんと成り立っていた推理を崩壊させてまで圧縮させないと1クールに入りきらないのであれば,それはやってはいけない圧縮である。3話まで見た感想で「推理の難度は上がっていくと思うが,あのスピードのまま通すのかどうか見もの。」と書いたが,見事にそれに失敗した形。
→ とか言いつつ,原作をやっている余裕がないしハードも持ってない自分としては,結局原作やらずに終わりそうなのだが。これも円盤の売れ行きが怪しそうだが,2やるのかな。やるなら見るとは思うが,1と同じ感想になりそう。


・Free!:「筋肉に萌える江ちゃん」に萌える視聴者,という多重構造だったわけで,これにはしてやられたと思う。某人から入った「モバマスとかでも見られる構造」という指摘は的確で,何かに萌える女性はかわいい。
→ 話自体は,こう言っては何だが思っていたよりもおもしろかった。泳ぐことそのもの,勝負に勝つこと,チームで泳ぐこと,それぞれ喜びはあり,切り離すことに意味はないですわな。
→ で,こちらは円盤バカ売れのようで。やっぱり女性の購入者が多いんかな。その割に虎とかの腐女子ゾーンをのぞいてもそれほど増えているようには。男性向けを見ると江ちゃんが大変なことになっているものはちらほら見かけるが。まあ京アニに資金力がつくのはいいことだ。たまこまーけっと売れてなかったしね。
→ なお,pixivを見ると普通にヘテロのカップリングも盛り上がっており。江ちゃんだったら,誰とくっついても自然に思えるな。


で,今期の。とは言っても今期,2つしか見るのがなさそう。

・リトバスリフレイン:まあこれは当然。リフレインからが本番ですしおすし。

・ホワイトアルバム2:原作が完全にやるやる詐欺になっているが,アニメ版もICまでしかとりあえずやらないっぽいので,まあアニメ見てから原作でもいいかと。ついでに書いておくと,10月中は仕事忙しすぎてエロゲはおろか,他の諸事にも手が付いていない状況である。ブログの更新も割と危うい。11月は仕事はやや暇になるが,他のことで忙しい。結果,原作ができるのは早くて12月頃になるのではないかと。

・境界の彼方:ちょっと邪気眼バトルすぎて耐えられそうにないので1話切りでパス。あとでおもしろかったら誰か教えてください。


  
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2013年10月07日

第227回『マグダラのマリア』岡田温司著,中公新書

本書の構成は大きく2つである。1つはマグダラのマリア像の形成過程,もう1つはマグダラのマリア信仰の変遷である。

マグダラのマリアはキリスト教カトリックでは重要な聖女であるが,他の教派ではそうでもない。なぜなら,『聖書』における彼女の活躍は,実は描写が少ない。残りの「設定」,つまりマルタ・ラザロの妹であったり娼婦であったりするするのは後世のカトリック教会による後付に過ぎないからだ。確かにその数少ない描写は,イエスの復活に最初に気づいた人であり,いわゆるノリ・メ・タンゲレの場面であるから,重要には違いない。が,そこだけなのである。残りの設定は元々,「別のマリア」(ベタニアのマリア,罪深い女)のものであったが,カトリック教会はあえて同一視を進めた。この後付がなぜ,どのように行われたのかを見ていくのが第1章である。

残りのすべて,つまり第2章から第4章はマグダラのマリア信仰の変遷を扱っている。当初のマグダラのマリアは悔悛する姿が強調された。最も罪深い娼婦であっても,深く悔悛すれば救われる代表例などとして扱われた。ゆえに,彼女は地味な描かれ方であった。ところがルネサンスが到来した頃から,「元は娼婦なんだから着飾ってる美女で当然」,「いつかは悔悛すればいいのだから若い内は人生を楽しんで良いというのがマグダラのマリアの教訓」という論理の転倒が行われ,実在の高級娼婦や有力者の愛人をモデルに,きらびやかにも自慢の金髪をたなびかせるマグダラのマリアが量産されていった。その後,宗教改革・反宗教改革の流れで服装自体は地味になるが,一方で金髪美女の設定は残る。そしてバロック期に今度は「聖女だから,悔悛後・苦行後でも美しさは失われない」という理屈が加わり,さらにアビラのテレサに代表される「法悦」の概念も強調されていく。

結果としてさまざまな要素が合体し,「服はボロだけど金髪美女がなんか恍惚として香油の壺かドクロを持ってる」という,我々のよく見るマグダラのマリア像が完成した。金髪美女のエロティックな姿を描く良い口実になっていったのである。本書はこれらの流れを,中世から近世にかけての絵画作品や当時の知識人たちの文章を引用して,詳細に追っている。特に図版が多く,図版自体がマグダラのマリア像の変遷をよく示しているので,非常にわかりやすい。中世→ジョット→ボッティチェリ→ティツィアーノ→グイド・レーニと見ていくと,想像以上にイメージがころころと変わっているのがわかり,おもしろい。


ところで,本書のあとがきではマグダラのマリアが登場するフィクションが多く挙げられており,創作の良い種になっていることが説明される。しかし,『ダ・ヴィンチ・コード』について一切触れられていない。本書の初版が2005年で,『ダ・ヴィンチ・コード』は2003年に英語版,2004年に日本語版であるから,挙げようと思えば挙げられたはずである。加えて言えば,2004年の映画『PASSION』は挙げられていた。というよりも,マグダラのマリアをキリストの妻として扱った作品は一切挙げられていない。著者としては,その説だけはない,ということなのだろうか。



  
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2013年10月03日

ズル林は有名じゃないの

・2ch気象板のやつら今日の最高気温で煽り合っててワロタwwwwwww - なお、まにあわんもよう@なんJ
→ 気象板の住人でもなんでもないけど,ズル林は有名だと思ってたわ。若干のカルチャーショック。
→ そういえばなんで自分この案件知ってたんだろう。自分で自分の知識入手経路が思い出せず,気になる。
→ こういうプロレス化した2ch流儀の煽り合いが無形文化遺産になっている,というブコメを読んで確かにその通りだなと。一種の伝統芸能を化している。


・戦術地図、陣地図のわくわく感は異常 : まとめでぃあ
→ これはわかる。地図はロマンで軍事もロマンなんだから,わくわくするに決まっている。歴史物SLGが楽しい理由って結局ここだと思う。
→ 関ヶ原の話は「大体司馬遼太郎が悪い」ということで,正確な出所は不明だったはず。ただそれはそれとして,数がほぼ同数,西軍は囲んでいると言っても毛利軍や小早川軍は東軍本陣まで遠く,兵の質も東軍のほうが強かったと思う。加えて言えば正面兵力に限れば東軍のほうが多いし,何より西軍は名目上の総大将と実際の総大将が分離しており,後者本陣は兵力的に手薄というやらかしがある。言われるほど,裏切りの前情報が無かったら西軍が勝ちとみなされる状況でもないかも。
→ 映画のアレクサンダーの戦争シーンは確かにすごかった。アレクサンドロスをゲイとして描いた結果,ギリシア政府から怒られたというの必要のないオチがついたのが残念である。


・日本において「学術書の危機」、いわゆるモノグラフ・クライシスは学生の貧困化とともに現れる(OUT TO LUNCH )
→ 大学生時代,「自著を学生に売って小銭稼ぐのやめーや」と思っていたが,あれは著者というより出版社の助けになっていたとは……
→ しかも,その原因がまさか日本と欧米の学術書出版社の収益システムの違いに由来するとは,学生が知るわけもないのであった。そりゃまあシステムが変わっていくべきだよなぁ。とは言いつつ,欧米型のモデルも傾いてるので単純な話ではないが。


・ラッセンについて3 ラッセンはマリンアートのゾンビかフランケンシュタインか。(美術作家 白濱雅也の関心事)
ラッセン・メモ - ラッセン以前の"ラッセンなるもの"(Ohnoblog 2)
→ ラッセンの本は未読。いつかは読む。(『アート・ヒステリー』はこの間読み終わったので,今度書評にする)
→ ロマン主義海景画に祖先を求めるのは珍しい論説だと思う。妥当性もそれなりにはあるかな。
→ C.D.フリードリヒ,ハドソン・リヴァー派,アイヴァソフスキー好きとしては,やっぱり別物。なんだけど崇高から感傷に流れ,結局形式や技法だけ残ったのは,海景画によらずロマン派の末路まんまだわ……やっぱりそうなってくんだなぁとか。


・世界の片隅で、石ころを拾う(D's BLOG)
→ どうかな。あの本は「アメリカン・サブライムの根底にカント的ヒューマニズムや登頂至上主義の残響が認められるかどうか」の議論は,関係が薄いからこそ避けていたような。そこを突いていくと出てくるのは崇高に関する議論というより,アメリカ文化論になると思うし,そこら辺の源泉が本当にマニフェスト=ディスティニーまでさかのぼっていいのかどうかは疑問。
→ あまり関係ないけど,自分の書評を再掲しておく。本当にいい本なのでお勧め。 → 第132回『崇高の美学』桑島秀樹著、講談社選書メチエ
  
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2013年10月02日

把瑠都引退によせて

優勝も経験し,精神的にも脆くない,横綱を嘱望された力士が,それから2年経たないうちに十両に落ち,引退してしまった。急転直下とはこのことであろう。

把瑠都という力士について簡潔にまとめれば,規格外すぎるパワーで旋風を巻き起こしたが,そのパワーに自分自身もついていけなかった,ということになる。よく似たパターンでは小錦がいた。把瑠都の二度目の入幕のときだったかと思うが,NHKの解説の誰だったが「小錦も前頭にいた頃のケガが原因で横綱に上がれなかった。把瑠都もそうならなければいいが」と言っていた。まさにそれが完全に的中した形になる。把瑠都の致命傷は左膝であった。

彼がそのような重傷を負った理由は,その雑な相撲振りにあった。倒されればケガをしないように倒れる。これは本来,稽古や本割の中で覚えていくことだ。しかし把瑠都の場合,パワーが圧倒的過ぎて,何か土俵の上で一人だけ別の種目をやっているように見えた。基本的な動作が相撲に染まっていなかった。それでも十両までは圧勝だけで来ることができてしまった。初めての壁は幕内の下位という高い地位でのことであって,それでとんでもない倒れ方をするものだから,ケガも大きなものになってしまった。2006年秋場所の雅山戦,2007年初場所の琴奨菊戦,名古屋場所の土佐の海戦と三度左膝を痛めて休場しているが,どれも倒れた瞬間「これは休場だな」とわかる,ひどい倒れ方だったのを覚えている。

そんな致命的なケガがあったにもかかわらず,出世は本当に早かった。幕内まで来るのも早かったが,エレベーター期間が極めて短く,あっという間に上位定着してしまった。その後はやや停滞したが,三役も11場所で通過し大関へ。私もすっかりだまされていたのだが,大関取りの頃の把瑠都は多少なりとも相撲を覚えたように見えた。立ち合いで諸手突きを見せたり,がっちりと組んでから投げてみせたりと,少しは力士らしい動きを見せていた。このままやっと相撲に染まっていくのかと思いきや,学習はここで止まり,結局大関在位中も「少しは力士らしい」止まりであった。前に「雑な相撲がいまだに見られるのが残念であり,このまま「相撲を覚えないまま大関になり,相撲を覚えないまま引退した」ら,それはそれで相撲の歴史に名を残しそうである。」とコメントしたが,本当にそうなるとは,なんともすごい話である。しかし私は,そんなのはどうでもいいのでちゃんと相撲を覚え,白鵬に立ちはだかる「横綱:把瑠都」を見たかった。そんなのだから再度左膝を痛めたまま再浮上できずに,引退に追い込まれてしまうのである。至極残念である。

とはいえ,その異次元のパワーと,そこから生み出される普段見ない技の数々は我々を大いに沸かせてくれた。肩越しの右上手からの上手投げ(こうなると肩透かしと判別できない)。通称”クレーン”と呼ばれるつり出しは,相手に抵抗を許さず,偶然北の富士にその場面を見られた栃煌山は「鮭じゃないんだから」と言われ,ネット民に”シャケ”という不名誉なアダ名をつけられた。実際のところ無抵抗だったのは栃煌山だけではなく,あれだけつられれば誰だって動けまい。数ある把瑠都の必殺技の中でもインパクトが強かったのは裏に組み付かれ,送り出されるしかない状況からの波離間投げである。本場所では合計三度見せてくれたが,2010年九州場所の阿覧戦のものが最も印象に残っている。

こうした圧倒的なパワーを持った力士は技巧派の力士に弱いことが多いが,把瑠都の場合はパワーが振り切れすぎていて案外とそうでもなかった。高身長の力士にありがちなこととして,中に潜られるとにっちもさっちもいかなくなることが多いが,実は豊ノ島・安美錦・栃煌山あたりにはいずれにも勝率が高い。稀勢の里にも勝ち越しており,じゃあどこで負けてるんだという話になるが,要するに真っ当な格上には勝てていない。朝青龍には8戦全敗のままあっちが引退してしまい,日馬富士にも負け越し,白鵬にいたっては3−25というひどい成績である。あとは意外にも琴欧洲にも分が悪く,9−16と大きく負け越していた。白鵬や琴欧洲に弱いのは,相手が大柄だといつものパワー差が生かせず,取り口に工夫もないのであっさり負けてしまうというパターンであった。また,得意の相手であってもあっさり負けることも見られ,総じて敗因は「棒立ち」「すり足になっていない」など,前述の通り相撲になっていないことであった。日によって力士になったり一般人に戻ったりする,そんな気まぐれの強さもまた把瑠都の相撲の特徴であった。

「永遠の素人」というほど相撲を覚えていなかったわけではないし,技巧が無かったわけでもない。基本的な身振り自体に「大関まで上がってきたような力士」らしさが欠いていた。圧倒的なパワーによる魅力は欠点と表裏一体であったと言えよう。これだけの逸材はこの先,ひょっとすると何十年単位で出てくることはあるまい。記憶に残る,おもしろい力士であった。

  
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