2014年04月28日

バルテュス:絵画における『ロリータ』

バルテュス《夢見るテレーズ》都美のバルテュス展を見に行ってきた。バルテュスは20世紀半ばに活躍した画家だが,父親がポーランド系(シュラフタの家系),母親がドイツ人であり,したがって当人はパリで生まれたものの国籍はドイツであった(戦間期にフランスに帰化したようだ)。しかも少年期はフランスとスイスで育ったので,根っからの根無し草である。ゆえに「何人か」という問いがこれほど無意味な画家も珍しい。ついでに言うと妻は日本人であり,本人も大の親日家であった。母もまた画家で,兄も小説家として名の知られるピエール・クロソフスキー(クロソウスキー)であるから,はじめから芸術に囲まれて育ったと言える。バルテュスの画業のスタートはなんと13歳と恐ろしく早い。極めて早熟であったが,同時に長寿でもあり,2001年に92歳(ほぼ93歳)で亡くなるまで創作活動を続けた。

画家として名声を確立してからもパリ,ローマ,そして終の棲家となったスイスのグラン・シャレと三箇所に移り住んでいる。ただし,ローマへの移住については時のド・ゴール政権の文化大臣アンドレ・マルローの指名でローマのアカデミー・ド・フランス館長に就任したためであり,「フランス人」としてのアイデンティティが無かったわけではないことがうかがえる。また,スイスのグラン・シャレは自らが終の棲家と定めた場所で,実際に亡くなるまでの最後の25年間ほどはほとんどここから動かなかった。根無し草は晩年に至って腰を落ち着けたというわけだ。

バルテュスの絵は「室内に猫と少女」というパターンが非常に特徴的である。この少女の描写がロリコン的にどストライクである。それも本来的な意味で。幼児でも成熟した女性でもない,成長途中の少女に漂うエロティシズムがバルテュス作品の強い魅力である。もちろんただエロいだけじゃこれほど芸術作品として高い評価を受けないわけだが,バルテュスはうまいこと洗練させて,あくまで「都会の少女」を描くことに成功していると思う。成長することへの困惑と恥じらい,一方で自らの美しさ・若さから湧き出る自信,残る子供としてのあどけなさ。結果的にバルテュスの少女は原義的なロリータに近い雰囲気があると思う。特に代表作《夢見るテレーズ》(今回の画像)は絶妙なパンモロと若干不機嫌そうな顔,細いが健康的にスラリと伸びた手足,無邪気な猫と,画面の全てがそれを表現するのに成功している。さらに言えばポーズが幾何学的でややのっぺりとした色の塗り方は画面に緊張感を与え,ちょっと怖い・非現実的な印象を与えているのも少女性を描く上での計算の内だろう。特にポーズの幾何学性にはバルテュスはかなりこだわりがあったらしく,今回の展覧会のキャプションでも相当強調されていた。

ここら辺が「ただのロリコンじゃないか」という誤解が誤解である所以で,ちょうどナボコフにもあてはまるところだろう。本展覧会の謳い文句が「称賛と誤解だらけの,20世紀最後の巨匠」となっているのもそれを受けてのことだ。ただし,バルテュスもこの誤解をあえて利用していた節もある。というのも,バルテュスはある一つのとんでもなく大きなタブーを犯しているからだ。西洋絵画は通常女性器(と陰毛)を描かずにごまかすのだが,バルテュスは堂々と描いてそのタブー破った。女性器を描かずに股間はのっぺりさせることで,「これは理想化された身体であって現実の身体ではない,よって猥雑ではない」という言い訳をしてきた伝統があった。無論,そのような「理想化された身体」論に対する反発はすでに前世紀のクールベやマネが行っており,特にクールベには《世界の起源》(リンク先注意)という傑作がある。しかし,この二人が描いたのは成熟した女性であるし,マネはアカデミーでの名声を勝ち得るという目的上過度に猥雑になることは避けていた。しかし,バルテュスの場合は単にタブーを破っただけでなく,少女なんだから無毛だろうと筋一本という筋金入り。たとえばこんなんだが,リンク先自己責任でお願いしたい。なお,バルテュスはこれについて「若くてお金がなかった 生きるため 仕方なかった」というどこかで聞いたことのあるフレーズで言い訳をしていた。要するに芸術上の目的があったというよりは,スキャンダルを起こして名前を売りたかったらしい。事実,名声を得てからの作品では伝統に則ってごまかしている。しかし,誤解への悪影響から言ってトータルではマイナス効果だったのでは。

さて,バルテュスについて本展覧会のキャプションでは「どこの流派にも属さない」と書いてあったが,あえて言えば,私はエコール・ド・パリに入ると思う。エコール・ド・パリは20世紀前半の運動であるから時代が違うというのであれば,その第二世代と言っても良いし,藤田嗣治らの活躍年代を考えると必ずしも重なっていないわけでもないと思う。近代都市の景観を題材としていること,ポスト印象派以後の写実性にこだわらない具象画等の要素は強くエコール・ド・パリに共通する。特に藤田嗣治やユトリロには近いと思うのだが,どうか。


なお,絵がジブリによく似ている某アニメ作品とは一切関係がない模様。
  

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2014年04月26日

香辛料から砂糖へ,そして綿布へ

・中世ヨーロッパの香辛料事情〜「とりあえず醤油」は正義
→ 中世ヨーロッパの「香辛料」の話。胡椒などのアジアの物産としての香辛料は,保存料というよりも嗜好品・ステータスシンボル,あとは薬効を期待しての輸入品であった。保存するだけなら塩や酢・ハーブでいいわけで。塩漬けのニシンが北海商業圏の主要な商品だった。「ハーブ類を香辛料に含むかどうかという点では,香辛料の定義的な話でもあるか。あとはまあ,中世ヨーロッパの庶民だと,かなり近世に近づいていても,そんなに肉を食べてなかったという話もある。
→ 自分のtweetをコピペしておくと「香辛料は価格が高いことそれ自体に意味がある,ステータスシンボルだった。だから,オランダが大量輸入に成功すると,一気に価格が暴落して香辛料貿易自体が崩壊した。変わって,金持ちのステータスシンボルになった世界商品こそが,砂糖である。17世紀半ばのことだ。この香辛料貿易の崩壊が,英蘭戦争・オランダ侵略戦争に重なってオランダの覇権失墜が始まった。香辛料から砂糖へ。そして,オランダからイギリスへ。」
→ そんでもって砂糖も自由貿易の進行&甜菜の発見で大量生産されて価格が暴落,産業革命の発生と相まって今度は綿布が世界商品になっていく。以後は多種多様な工業製品が世界史上に流れ込んでいくため,世界商品自体が話題に上がらなくなっていく。「世界商品」の概念は大変おもしろいのでもっと流行してよい。


・井の頭公園の池をかいぼりしたら(1) 自転車が次々と(Togetter)
・井の頭公園の池をかいぼりしたら(2) お魚レスキュー隊(Togetter)
→ 井の頭公園の池の水を抜いて掃除している模様。
→ 自転車が大量に出てきたのには笑った。事故って落ちてしまったのもなくはないんだろうが,盗難自転車の証拠隠滅,壊れて捨てるのがめんどくさかったあたりが理由としては多いんだろうなぁ。それにしても250台とは。1年に10台近いハイペースである。その他スクーター・カセットテープ・ノーパ・携帯電話はまだ理解できるが,ショッピングカートは誰がどうやって捨てたんだ。
→ 正直に申告して,鯉による生態系破壊についてはほとんど無知だった。そりゃ外来魚として駆除せよって意見も出てくるわなぁ。じゃあ完全駆除でいいかというとアメリカザリガニ対策の面で残すべきという話もあるらしく,複雑である。


・不動産のチラシでマンションが光る(デイリーポータルZ)
・高級マンション広告コピー「マンションポエム」を分析する(デイリーポータルZ)
→ デイリーポータルZからマンションネタ二つ。一つ目,確かによく光ってる広告を見るw。まだ建ててないから「これからここにこれくらいのものが建ちますよ」という表示の意味合いが強くて,どうせなら光らせておこうということなんだろう。しかし,挙がっている町屋・大磯のようなパターンまで行くと本来の目的を見失っているような。
→ 二つ目,確かにポエム多いw。よくこれだけ調べて共通点見つけたなぁ。我らが文京区は高台であることを強調したポエムが多かった。まあ高台には違いない。どこに行くにもとりあえず坂を下らされるので辛い。


・西洋絵画にはボールパークが良く馴染む(日刊やきう速報@なんJ)
→ 出来よすぎわろた。カンディンスキーは秀逸。ぱっと見でどこが合成かわからなかった。抽象画のくせに。
→ ユトリロの案の定の相性の良さである。本当にこういう絵がありそうなレベルである。もっとも,ユトリロの時代まで来るとアメリカなら普通にプロ野球があったので,時代考証的にもありうる絵なのだけれど。
  
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2014年04月25日

去年は万事忙しかったなぁ

・私たちが知らない江戸「日本を愛した19世紀の米国人画家」が描いた、息遣いすら感じる美しき風景(DDN JAPAN)
→ 描かれたのは1890年らしいのですでに明治,という記事に対するツッコミはおいとけば,とてもすばらしい。
→ 画風は自然主義〜象徴主義・印象派の手前という感じ。1890年なので,ちょうどそういう時期かな。


・「ベスト・オブ・エロゲ・ザ・イヤー 2013」が決まりました(ニュー速VIPブログ)
→ こちらは批評空間の統計によるランキング。 毎年トップ10のうち4〜5作はやっているミーハー系エロゲーマーを名乗っていたはずでしたが,ランキング中だと大図書館とおとりろしかプレイしてないので,ミーハー系もエロゲーマーも両方看板が危うい。どれかしらはそのうち手を付けようかなぁ。


・葱ベストエロゲ2013
→ こちらは葱板の投票による。こっちのランキングでもやっぱりやってない作品が多すぎてコメントできない。
→ しかも批評空間のと違い,全くノーチェックの作品がランクインしている始末で,アンテナ自体低下してんのかなと。巡回サイト変えたりはしてないはずなんだが。ちなみに,『一つ飛ばしの恋愛』と『フレラバ』。そんなに話題になってたっけ?
→ まあ正直に言えば,去年は『大図書館』と『おとりろ』で満足した感はある。両方名作かつ大作だったので。特に『おとりろ』は大きすぎて扱いに困っており,いまだにレビューが書けてないという。
→ とはいえ,今年は去年よりは少し仕事が楽そうなので,批評空間やTLの感想を見つつ,トップ10のいくつかはやろうかと思う。ミーハー系エロゲーマーの名乗りを維持するためにも。
→ それはそれとして,例年に比べて投票数少ないなぁという感想は一つあり。やっぱり2chに人が集まらなくなってるんだろうなぁ。今回の2ch分裂騒ぎで今年の投票数はどうなるのか。


・ピアニート公爵とわたし(森下唯オフィシャルサイト)
→ こうして改めて振り返ると,数年でえらくニコ動の雰囲気変わったよなぁと。ニコマスは特に大人の遊び場感が強かった。今は,少なくとも「遊び場」感は薄い。
→ それはそれとして,持っている複数の名前の活動が接近したときの使い分けの難しさも,けっこうわかる。


・「センター控え室に変なのおるwwwwwwwww」とツイッターで晒したら・・・奇跡発生wwwww(NAVER まとめ)
→ それは俺の友人が十年前に通った道だ(ドヤァ。なお他人のふりをしていた模様。
→ 昼飯は中庭でアイスでしたわ。1月だからね,仕方ないね。


・Araibira Sumo Coverage(fecebook)
→ 本当にその通り。私自身が利用したことはほとんど無いのだが(めったに録画ミスしなかったので),この方がやっていたことは大相撲にとって大事だったと思う。本来は協会自身がやるべき仕事だった,というのも同意だ。
→ 「15日間で120ドル」は高いよなぁ。初めて見た時桁が一つ間違ってるのかと思った。Araibiraさんも書いているように,場所後に有料化する,過去の全取組を有償で公開するというのであれば納得するし,その時にはある程度高い料金設定でも文句はない(私は買わないけど)。
→ 一方で場所中の取組については,そもそもNHKでは無料で見られるものなわけで。海外の人への普及が目的としてインターネット配信しているとするなら,これだけ高額な料金設定は本末転倒で,長期的に見た際にビジネスとして悪手だと思う。そこら辺,協会はどう考えているのか不可解。
  
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2014年04月24日

非ニコマス定期消化 2013.12月上旬〜2014.1月上旬



「ポーランドのワルシャワ国立民族博物館の改装オープニングセレモニー用にポーランド民謡のアレンジ(初音ミク歌唱)と映像を制作しました。」とのこと。その博物館のHPにも動画が掲載されている。なんというかすごい発注先である。初音ミクもある種の日本の民族的音楽として認識されているということなのか。歌詞の意味はこちら。



テンポが良くて楽しい。5秒に1つは他のニコニコネタが含まれているので,飽きさせない構成。



「もっと楽して」の人。ネオエクスデス戦の楽さに焦点を当てたプレイ。FF5の歌と調合は反則というのを改めて。



こっちはおやつ本人。要するに,FA封じ集。三発目だとカウンターが来ない仕様は知らんかった。



これもおやつではない人のロマサガ3(フォロワーだけど)。ラスボス撃破ではなく「全員仲間にする」という新レースを作ってしまった。ルート取りとか開拓の余地はありそうだし,編集も凝ってて動画としてもけっこうおもしろかった。問題は今のところ追随する人がいない。



叛逆ネタバレあり。BD発売前によくこれだけのものを。IFエンド有り。



曲の解説をしながら弾き語り。解説,というか一人漫談がおもしろかった。やはりたろう16bitは天才。



2013年ニコニコではやった曲の総決算。なんでも知ってるエミネムさんの曲や,kentoraメソッドでマリオ3の曲,当然入ってる紅蓮の弓矢&自由の翼,可能性の獣,Freeにニャル子さん。アニメ曲多め。



ニコニコ動画上の日本の伝統芸能・音楽で活動している人を集めた動画。発起人はいつもの手妻師。
  
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2014年04月23日

咲関連の気になったもの(13年12月上旬〜12月下旬頃)

・咲-Saki- Characters
→ 咲キャラたちの名前・身長・誕生日などについて。リッツは「とりあえず設定は全部作らなきゃ(使命感)」な人だよなぁとは思っていたけど,ここまで全部決めてたとは。
→ いろいろ見るべきところはあって,すでにいろいろな言及が行われているので今更自分が書くべきところもない。私的に一番興味深かったのが臨海の監督の名前で,Windheimってことはドイツ人なんだろう。ここから名前だけ出てるドイツ人のブルーメンタール姉妹らにつながるのかも。
→ 界隈的には誕生日が一番の衝撃だったらしく,toppoiさんがカレンダーを作っていた。そして,「これで誕生日祝い放題や!」と言って,本当に全員祝っているいのけんさんはマジでぱない。(直近でセーラにリンクしておく


・咲-Saki-キャラが青蛇を打ったらどうなるのか?(麻雀雑記あれこれ)
→ ルール読んだ瞬間「なんだこの咲ちゃん無双ルール」と思ったw
→ 玄の槓ドラに関する議論にもかかわるなぁ。私は裏ドラ・槓ドラは予定説を取っているので,しののぬさんの想定には沿うのだけれど。他の人からするとそうでもないかもしれない。


・龍門渕透華 龍神の荒魂と和魂(とっぽい。)
→  あ,俺だ。>「咲衣が好きな人は東方なられいすいかやレミ霊が好きなんじゃないかと思っているのですが、賛同者はいらっしゃいませんか。」
→ 言われてみれば,咲衣とレミ霊・れいすいかは同じ構図だなぁ。どっちも強者ゆえの孤独に陥ってた魔物たちが,別の魔物によって打ち破られて,両者が打ち解けるという。デレたロリババアは至高。無論,天江衣は正確に言えばロリババアではないが,要素的には近いので。
→ 東方の方は「いつもの東方」ではあるのだけれど,咲の場合は今のところやや特殊な事例だ。あとはあるとしたら照と淡もこのパターンじゃないのかなとは推測している。


・咲12巻の表紙に立先生は何かを仕込んでいる(あっちが変)
→ なんという夢広がる考察。そして,『咲日和』さえ矛盾なく本編に織り込んでくる奴ならそれくらいのことはやりかねない。
→ 考察通りとすると,公式ページのリッツ曰く「先の展開とかについてはあまり答えないつもりではありますが全国個人戦とその後の後くらいまではやりたいです。」だそうなので,“その後の後”に出てくる光景ということになるのかな。


・淡穏とまどほむには声優以外にも繋がりがあるのかも (私的素敵ジャンク)
→ 叛逆ネタバレ注意。/やはりまどほむは真理であり穏淡も真理であった。


・【アンケート】咲-Saki-1年生人気投票(NaNじぇい)
→ ハオのコメント有名人多すぎィ!sengoku38さんに至っては懐かしいレベル。
→ 南浦さんのところのイケメンアメリカ教師さんwwwwwwwこれも懐かしネタやろ。
→ ネリーのところのサカルトヴェロ語コメントはグーグル翻訳で英語にしたところ
There are many beautiful women in Georgia. Why not try wooed the beauty on the screen in front of everyone in our country as a small child compared to Georgia once again by all means.
January 2, 2014, the Ministry of Foreign Affairs of Georgia (Ministry of Foreign Affairs )
となった。サカルトヴェロ外務省のコメントでした。
→ あそこの管理人さんキャラ立ってるよなぁと。>「・部長に黒糖ごと味見されちゃうはるるの薄い本ぐう抜ける(某まとめアンテナ管理人さん)」
→ のどっちのところも割と激しい。当時このネタわからなかったけど,今ならわかるぞw>「・iPS細胞について詳しく話を聞かせてください!! (高山春香さん)」。はるぽっぽさんは自分の作品にお帰りください。
→ 女子高生のアコと川島さん(28)を演じ分けられる東山奈央すごい(小並感)そういえば確かにモバマスとも声優けっこうかぶってるわ。twitterで見かけたが,「咲・艦これ・モバマスのうち,2つやってない声優の方が少ないのでは」。確かにそうかも。
→ シズのところが某アニメのネタバレばりばりなんですがそれは。前世からの宿命だからね,仕方ないね。
  
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2014年04月22日

三十年戦争の絞首刑の絵の人

ジャック・カロ《戦争の悲惨(大)絞首刑》西美のジャック・カロ展に行ってきた。どうでもいいが,URLが2013callotになっていることに今気づいた。2014年なのに。

ジャック・カロと言われてもピンと来ないかもしれないが,画像を見て誰のことか分かった人も多いのではないか。三十年戦争の戦争画を描いたこの人である。生まれはロレーヌだが,この時代の画家のご多分に漏れずローマに留学。トスカーナ大公国に仕え,フィレンツェでしばらく過ごしている。代表作しか知らなかった身としては意外なことに,彼の作品はこの時期のものの方が多いようだ。そこで仕えていたコジモ2世が亡くなったのを契機に故郷に帰ったが,ロレーヌ公国ではあまり仕事をもらえなかった。理由としてはロレーヌ公国の財政危機が挙げられるが,すでに三十年戦争が始まっていた時期でもあった。やがてロレーヌ公国も三十年戦争に巻き込まれ,フランスの侵略を受ける。ウェストファリア条約でフランス軍はロレーヌから撤退し公国は復活するが,ジャック・カロはそれ以前の1635年に亡くなっている。なお,その後もフランスの侵略は続き,最終的に18世紀半ばにロレーヌを併合する。

やはり代表作は三十年戦争を描いた《戦争の悲惨》であろう。しかし,これまた意外なことに,有名な《戦争の悲惨》は自主的な制作でも被害を受けたロレーヌ公の発注でもなく,フランス王からの発注であるらしい。ときどき勘違いされているのを見るが,吊るされているのは敵兵でも農民でもなく,傭兵である。実は本作は連作であって,この手前にはこの傭兵たちが農村や修道院で略奪を働いているシーンが描かれている。その後,この傭兵たちが他の兵隊たちに捕縛されるシーンがあり,その後でこの絞首刑のシーンが来る。なお,この処刑のさらに後には,傭兵の処刑の報告を受けるフランス国王の姿が描かれている。要するにこの連作で訴えられているのは規律の重要性であって反戦ではないのだ。今回の展覧会では本作を反戦の絵として見ることに対して,強い戒めを発していた。その通りであろう。無論のことながら反戦は重要で,古今東西で美術作品のテーマになるものだが,戦争の悲惨さを描いていれば即反戦がテーマというのは短絡的すぎる話だ。

その他の作品も魅力的なものが多かったが,《インプルネータの市》を挙げておく。ジャック・カロの版画の魅力というとその異常な緻密さが一つにあるが,本作は通常の版画よりも大きめの作品であるから,より緻密さが際立つ。大きな作品なのに,隅々まで丹念に描写してある。一説には本作だけで千人いるそうだが,数えるのもしんどい。リンクした西美のHP上でもそこそこズームして見られるが,今回の展覧会ではルーペを入り口で貸し出している他,本作については超拡大して見られるデジタルルーペの筐体も設置されていてかなり細部まで見ることができる。そうして見ると手相占いする女性とスリの少年のコンビがおるわ,縛られて見世物になってる犯罪者はおるわ,殴り合いのケンカをしてる人たちもおるわでだいぶカオスである。ジャック・カロの絵は発注されて描いたであろう宗教画も多い一方で,こうした猥雑な民衆の光景や反戦目的ではない戦争画,道化や乞食など,多種多様な人間の描写が目を引く。先述の《戦争の悲惨》も,キャプションでは「(依頼があったというより)人間を描写したかったのではないか」と画家の制作動機について述べており,非常に説得力があるように思う。
  
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2014年04月21日

流行らなそうとは思っていた>ʬʬʬʬʬʬʬʬʬʬʬʬʬ

・最近の10代はネットの反動で左傾化してる?(Togetter)
→ この文脈においては保守=右派,革新=左派ではないので,例の格言を持ちだして終わりにするのは誤っている。例の格言が偽造であることも踏まえれば二重の誤謬であり,思考停止でしかない。日教組の組織率がすでに壊滅的なことも踏まえれば,意外と興味深い結果かも。
→ 一方,タモガミさんへの投票率が20代前半で若干なり高かったことを考えると(意外とその他の世代と差が少なかったが),単に若い世代はやや極端にぶれやすいとは言えるだけかもしれない。


・兄弟子に一升瓶で殴られ「失明」…賠償求め提訴(読売新聞)
→ また芝田山さんとこか。頻発するところとそうでないところがあるから,部屋の雰囲気の問題なんだろうなぁ。不祥事多いので,そろそろ協会は対策を講じるべきでは。
→ 近年は相撲部屋でも体罰を禁じる方向のところが多いんだけど,こういうときに部屋別で自立性高いと,どうしても旧態依然としたところは残ってしまう。
→ 刑事事件としては不起訴になっているのだが,理由が気になる。変なコネだったりして,また問題にならなきゃいいけど。


・海外オタク見聞録:クウェートのオタク事情は? うわさの“コミケの石油王”とアキバの休日してきた(ねとらぼ)
→ 本人は石油王ではなく学生だったが,十分すごい家系の人だった模様。ぜひとも外交官になって日本に来てほしいところである。
→ アラブの石油王が出演するアイマスを勧めよう(提案) すでに見てそうな気はするけど。


・wが縦に二つ重なった文字の出し方教えて(暇人速報)
→ これのこと → ”ʬ” → 並べるとこうなる → ʬʬʬʬʬʬʬʬʬʬʬʬʬʬʬʬʬʬʬʬʬʬʬʬʬʬ
→ 結局あまりはやってないのは,文字化けするからか,wから置き換わるには今更すぎるからか。


・体育からスポーツへの大転換の時代――スポーツ・ジャーナリズム、スポーツ・ジャーナリストに求められることは?(玉木正之)(DAILY NOBORDER)
→ スポーツは文化であって,単なる感動の道具ではない。もちろんスポーツから生まれる感動はあるのだけれど,それは「異常にがんばったこと」「苦労したこと」自体ではないはずである。スポーツやスポーツ観戦それ自体の楽しみというものがあってよいはずで,少なくとも私の相撲観戦は完全に相撲自体のおもしろさに寄っていると思う。
→ 良くも悪くもなんでも「道」にしちゃうのが原因かも。 「労“道”」と同じで。何か一つのものを極めることで見えてくるものがあり,それが人生観に影響を与えるということ自体はそうなんだが。何もそればっかりに焦点を当てなくてもいいはずである。
→ ある種のスポーツ組織が「体育会系」と呼ばれるのも,この混同の一環か。実際のところ,体育会系的な特質ってスポーツ自体とはほとんど関係ないですよね。


・ウラジオストクは「中国固有の領土」か=始まった極東奪還闘争(時事ドットコム)
→ 少なくともアロー戦争時のアイグン条約・北京条約は完全な火事場泥棒であるので,中国の言いたいこともわからんでもない。香港は返ってきたわけで。
→ 無論のことながら「そもそも満州人の故地では」とか「中華人民共和国と清朝の間の正統性は」とか考えるべき論点は中露間だけでも多いが,これに東北工程の問題があることも考えるとさらに複雑に。  
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2014年04月20日

センター英語の難易度とは

センター試験英語満点扱い TOEIC780点や英検準1級以上で特例 (産経新聞)
→ 記事にはさして興味なかったのだが,はてブの反応を見るに「TOEICの方が簡単派」が多数派のようで驚いた。私見ではセンター(ほぼ)満点よりTOEIC780点の方が難しいと思う。センター英語の難易度は経年で変わらんので,単純に個人差だと思うが,この個人差はどこから来たものか。そしてはてなではマジョリティのように見えるのはなぜか。
→ 満点という言葉が悪いのかも。私が言いたいのはセンターで95%(190点)以上を高い確率で取れる人が,TOEICで760点を安定して取れるかというと疑問,という話。一般的な日本の英語教育を受けて18歳まで育った人なら,センター型の方が得意だと思われる。はてな村でのセンター試験のイメージはどうなっているんだ……センター英語がTOEICより厄介なのは,問題がバラエティに富んでることくらいで。
→ その意味ではTOEICの方が簡単派の人の,東大入試英語の評価は気になる。「語彙が難しくなってる」「マークじゃなくて筆記」という違いはあれど,試している能力の方向性自体はセンター英語と同じなので。
・TOEIC780点や英検準1級以上 センター試験英語満点扱い - 英語学習帖
→ こちらの記事とほぼ同じ感想。「評価しようとしている能力が異なる」としても,やっぱりTOEIC780点の方が,センター(ほぼ)満点より難しいと思う。


・魏の曹家の道教、呉の孫家の仏教(Togetter)
→ 前にちらっと書いたが,三国時代は中国史の巨大な変革期であると,私も思う。
→ 北伝・南伝という区切りはあまり良くなく,中国への布教毛色も大乗だからといって必ずしも北伝というわけではない,というのは近年聞くところで。三国時代だと呉が一番熱心だったというのはその観点から見てもおもしろい話である。
→ 中国の仏教は後漢の前半(1世紀)に初めて伝わったとされているが,伝説混じりでこれは眉唾である。大体,1世紀というとまだナーガールジュナさえ誕生しておらず,大乗の理論が完成していない。そういう意味では3世紀前半の三国時代も,考証としてはギリギリセーフ感あるが。
→ 少なくとも呉が南方交易を重視していたからインドがかかわりがあったのは間違いなく,「大秦国王安敦」の事例もあるように後漢末にはすでにインド人の来航があった。もっとも,東南アジアに本格的にインドの文明が伝播するのは4世紀以降になるので,そのさらに向こうの中国にインド人がどの程度影響力を持ち得たかというとやはり疑問ではある。
→ 道教は民間信仰と神仙思想・占卜が道家の思想と融合して誕生した宗教だが,教団化が始まったのは後漢末の太平道と五斗米道が最初とされる。太平道の根拠地は華北の黄河流域一帯,五斗米道は三国志好きならご存じの通り漢中になるが,いずれも後に曹操が吸収した。後の北魏で道教は初めて国教化する。このときの教団は五斗米道の後継を自任して,五斗米道の別名天師道からとり「新天師道」を名乗った。「魏」という国名は偶然の一致だが(北魏は北方民族の建国),偶然だからこそおもしろいといえるかも。


・【画像】平成も四半世紀経ったということなので平成の出来事の画像貼ってく (ださ速)
→ よくまとまっている。年がばれそうだが,湾岸戦争あたりから記憶にある。
→ 東海村JOC臨海被曝事故「この時にやめておけばよかったんだよマジで」は本当に。原発自体の是非は置いとくとしても,このときの反省がちゃんと活かされていれば現状もちっとマシだったのでは。


・日本史、高校での必修化を検討…中教審諮問へ(読売新聞)
→ で,何を減らすんですか。まさか,何も減らさずに必修化できるなんて考えてないよねぇ。
→ 世界史未履修問題があったように,結局受験で使われない科目は現場ではスルーされるから,意味がないと思う。なんなら,日本史はセンター試験で必修にしますか?それはそれで他の社会科系科目への圧迫になって多様性を失わせ,害悪なような。
→ ブコメを見てもそこら辺を考えている人は多くなく,下村文科相に対する不安だったり,「日本史が履修期間内に終わらない問題」への言及だったり(これはこれで大問題なのだが)で,教育に言及したいなら高校生・受験生への負担も視野に入れてほしいなぁと。
  
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2014年04月19日

最近買ったもの・読んだもの

・『咲-Saki-全国編』BD1巻。の特典スペシャルコミック。リッツ先生……宣言通りとはいえ肌色多すぎだよ……清澄の面々はまあいいとして,p.3の鶴賀の面々を見て「あ,このリッツ本気だ」と。このかじゅモモでなんかもう満足であった。p.11からは永水女子の過去話。霞さんと明星ちゃんは同じ苗字ながら一緒に住んでないということは,妹じゃなくて従姉妹か。そして姫様は幼少の頃から寝ていたしはるるは黒糖食ってた。
→ 阿知賀編は,私服で面々の差が出てるのがいつ見てもおもしろい。アコだけずば抜けて垢抜けてる。ところで,p.36の一番上のコマに映ってるし千里山の面々が話題にしているから,あべのハルカスが存在しているということがわかる。場所が天王寺だから南大阪なはずで,さしずめ千里山の面々もプチ観光といったところか。怜のセリフから察するに初めて行ったようで,ということはこれを論拠に咲2014年説が誕生するかもしれないししないかもしれない。


・『UQ HOLDER』2巻。おおよそ修行回。その後3巻で初の本格的バトルに入る……ここまで,これほどまでにと思うくらいにバトル物少年漫画の王道を行っている。しかもおもしろい。
→ やっぱり刀太くんのキャラが立ってるのが成功した理由じゃなかろうかと。影のある主人公が流行する中,ここまで底抜けに明るく前向きで好感の持てる主人公は一周回って新鮮だ。
→ 言うまでもなく夏凛さんがツボです。予想出来てた人は挙手……しなくていいです。愛が重い無口は俺狙いすぎた。


・『冴えない彼女の育てかた』4巻。音楽担当加入回。これどうやって勧誘すんだろと思って読んでいたら,すごいオチだった。これには納得せざるを得ない。
→ セルフパロディは丸戸のお家芸とはいえ,「お前の周りの世界は,お前が思うより,ちょっとだけオタクっぽいんだよ」は元ネタが元ネタなだけに反則だった。このシーンは人目をはばからず大爆笑した。俺の中の里伽子が左手で机バンバンたたきながら涙目になって笑ってるレベル。よりによってこの言葉をセルフパロディするか。


・『もやしもん』13巻(完結)。まさか作中時間で1年で完結にするとは思ってなかった。作者曰く元々その予定だったらしいのだが,道理で1年に全部詰め込んだもんである。
→ 最終巻は見事な大団円だった。長谷川さんと西野は丸くなり。蛍は自分の内面と向き直って,沢木の元へ戻り。読者投票で選ばれた新ミス農大の及川は,そんな偶然で新ミス農大になったはずだが,地位が人を作るのか,作中の「きっといいミス農大になるよ」がとてもしっくり来た。
→ 何より,沢木は自分の力に肯定的になり。沢木があふれた酵母たちを力で戻したシーン(157話)は,沢木を主人公とする『もやしもん』が完結するのを象徴するシーンであった。これは人間と菌の共生をずっと描いてきた『もやしもん』の完結としても,ふさわしいシーンであった。
  
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2014年04月17日

【咲-Saki-】「末原さんは全ての点数移動にかかわる性質を持っている」説

アニメの感想でちらっと書いたが,私は末原さんは全くの凡人ではないと思っている。いや,「姫松の大将を務めているくらいなんだから,一般人よりも雀力強いに決まってるじゃん」という意味での凡人ではない。平たく言えば,何かしらの能力・性質を持っているのではないか,と疑っているからだ。理由はいくつかある。

まず,前出のアニメの感想で書いた通り。実は末原さんも凡人ではなくて“自覚のない妖怪”なのだとしたら,見事に話がひっくり返っておもしろいし,咲さんの怯えも納得がいく。『咲』の一つのテーマとして,積極的に楽しむことが挙げられる。で,能力に振り回され,機械的に打ってきた人たちが打ち破られてきた光景は,これまで本作ですでに繰り返されてきた。そろそろそのアンチテーゼ――無自覚な能力者,それも能力とは言いがたい,自分が必ずしも有利になるとは限らない類の性質の持ち主が登場してもいい頃だろう。これは自らが「奇幻な打ち手」という自覚のある,これまでの強力な登場人物たちとは正反対だ。それが宮永咲と対峙するなら,準決勝大将戦は咲の転機として大きな意味を持ってくる。これに加えて,どう見てもなんかある爽にネリーなんだから。決勝を見据えて,咲の本質に迫る何かがそろそろ明かされてもいい頃合いだろう。

じゃあ咲にとって嫌な性質とは何か,というところで「全ての点数移動にかかわる」というのはどうか。咲の能力はいくつかあるが,私は「プラマイゼロで終わりたいという動機」がスタートで,「プラマイゼロを達成するために細かな符の調整が必要になった」ところから,彼女は「嶺上開花」と「場の圧倒的な支配力」に行き着いたのではないか,と思っている。これは,『咲』が「70符2翻」で始まったところが非常に説得的で,このとき咲は,まさにプラマイゼロのために符を調整したのである。であれば,彼女にとって一番嫌なのはプラマイゼロの達成を阻害されることではないか。とすると,全ての点数移動にかかわるなんていうのは天敵で,それも自分の支配力よりも上だったとしたら。調整が極めて難しくなるはずである。そりゃもう,開始時に自分は1000点なんて思い込みをしている場合ではなくなるはずである。二回戦大将戦南三局に至るまでの過程は,おそらくあれしか自分が勝つビジョンが見えなかったのではないか。咲さんが何を見ているのかはわからないが,彼女本人にしか見えないパラメータがあって,唯一見つかったルートが,あそこで末原さんに倍満を上がらせるというものだったと。(「要するに咲さんはTASさん」という言葉が頭をよぎったがダジャレではない。でも,あれは乱数を調整してるんだと考えると,理解はしやすい。)

で,二回戦大将戦は具体的にどうだったのよ,というところで,ここが完全に他人の褌なので躊躇していた,というのが本稿を書く筆が遅かった最大の原因だったりするのだが,こういうのは大体咲グラフさんを見れば一目瞭然でわかる。

・圧倒的な実力差を見せつける咲さん 〜末原さん蹂躙編〜(咲グラフ)

掲載されている表を見ての通り,末原さんは全ての点数移動にかかわっている。おまけに,咲さんがほとんど同じ符で上がっていない(40符だけ二回)ことから言っても,かなり無茶して調整していることが推測できる。無論のことながら「偶然じゃないの?」と言うこともできるが,一応作中の他のどの対戦を見ても,一人が全ての点数移動にかかわっていたことは無いはずである。(実は際どかったのが2つある。1つはAブロック準決勝先鋒戦の照。これはすぐに思い出していただけると思うが,怜がすばらに差し込んだ局だけ照がかかわっていない。もう1つが,Aブロック準決勝大将戦の淡。前半戦南二局で竜華が姫子からロン上がりしていたので,ここだけ淡がかかわっていない。枕神怜ちゃんが使われた局である。)

まとめると

・二回戦大将戦の末原さんは,実際に全ての点数移動しており,現状末原さんが参加していない麻雀で全ての点数移動に絡んでいた人は(多分)いない。
・咲さんの能力の基盤を考えると,「全ての点数移動にかかわる」は己の根幹にかかわる天敵
・そろそろ自覚のない性質持ちが物語にかかわると,深みが増すのでは

これらが,この仮説の根拠になる。これで準決勝大将戦東一局でいきなり末原さんが点数移動にかかわらなかったらこの説は無かったことに。
  
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2014年04月16日

ヴィクトリア朝美術展その2

アルバート・ムーア《真夏》三菱一号館美術館の唯美主義展に行ってきた。ヴィクトリア朝美術を扱った展覧会としては,今期2つめとなる(1つめはラファエル前派展)。今回の展覧会は平たく言えば,ラファエル前派を含めた1860〜1900年頃のイギリス美術全体の回顧であるが,その中でもウィリアム・モリスが主導したアーツ・アンド・クラフツ運動に代表される「美を日常に持ち込むこと」に観点を当てた展覧会である。必然的に工芸品が展示品に多く,工芸品と絵画作品の数的・質的なバランスは良かったと言える。もう一つ言えば,「ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(ロンドン)、オルセー美術館(パリ)、リージョン・オブ・オナー美術館(サンフランシスコ)で開催され、各国で高い評価を得た「カルト・オブ・ビューティー」展を、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館の企画協力により再構成したもの。」と展覧会HPにあるように,本展は国際巡回展であった。この点から言っても質は保証される。

当然,ラファエル前派はよく出てくる。近場だから借りてきたのだろう,西美所蔵のロセッティの作品(《愛の杯》)も展示されていた。また本展のテーマから言ってウィリアム・モリスとバーン=ジョーンズは欠かせない面々で,やはり目立っていた。これまたヴィクトリア朝美術ならば当然だが,ジャポニズムの紹介もかなり多かった。中には「これは日本じゃねぇ」と思えるものもあり,当時のイギリス人の日本受容の様子がうかがえる。……いやそれが朝鮮風だとか中国風だとかならわかるんだけど,「東アジアに見えない」意匠でジャポニズムと言い張られるのはさすがに。それと,ジャポニズムの影響もあったらしいのだが,皆孔雀好きすぎ。そこらかしこの工芸品の意匠に孔雀がいた。唯美主義の象徴的存在だったようで。

今回の展覧会で,画家たちの中で一番輝いていたのはアルバート・ムーアである。1858年にアカデミー入学と,ラファエル前派の面々から比べると後発でしかも目立たない存在であるが,本展では違っていた。とかく美女という観点で言えばアルバート・ムーアは間違いなく光っていた。ポスター等宣伝の一面が必ずアルバート・ムーアの《真夏》となっていたのもすこぶる納得がいく(今回の画像)。インパクトがあるし,今回の企画テーマにこれほど沿った絵もあるまい。この絵,初見ではテーマがさっぱりわからない。タイトルを見て,改めて画像を見ると扇が目に入ってようやくなるほどと気づく。椅子を覆う花はマリーゴールドで,これも夏の花らしい。この作品以外にもアルバート・ムーアは良い作品が何点か展示されていた。

アルバート・ムーア以外で良かったというとフレデリック・ワッツとフレデリック・レイトンの二人。彼らも純粋なラファエル前派ではないため端の部類だが,本展覧会ではよく目立っていたと思う。特にワッツは《愛と死》,レイトンは《パヴォニア》が良かった。それに対して,この路線ならいてもおかしくなさそうなウォーターハウスはいなかった。都合がつかなかったのだろう。個人的に残念なのは,アルマ=タデマもあまり作品が展示されてなかったこと。彼の大理石フェチっぷりは唯美主義と最もよく噛み合うと思ったのだが。アルマ=タデマはなぜか彼のデザインしたらしい椅子の展示があったが,違う,(俺が見たかったのは)それじゃない。
  
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2014年04月15日

2014冬アニメ感想(咲・中二病・桜trick・鬼灯)

全体としてネタバレ全開。今期は4つとも大当たりで,私的には大豊作のクールであった。

・咲 全国編:自分としては初めて最初から追うTVシリーズの『咲』となったが,とても楽しめた。後追いで見た無印・阿知賀編と比較して,一番見たいものを見せてくれたのが今回だったかなと思う。妖怪大戦の派手な演出も,原作で漏れた設定の描写もとても良かった。特に後者。エイスリンの能力の詳細がわかったことや,永水の控室の詳細が判明したのは嬉しかった。エイスリン強すぎやろ……負けたのはまさに「能力に打たされていたから」であって,経験を積めば末恐ろしい。
→ 伝奇要素を若干説明過剰だったところは賛否両論で,私はまあありかなと。アニメは映像がつくからそれに乗せる音声が必要で,組み合わせることで説得力が増す。これは『咲』における伝奇要素と相性が良い。漫画であれば「材料は撒いたので察してください」の方がかっこいいが,アニメは逆だということで。
→ 個人的に残念だったのは,末原さんのカタカタが無かったこと・咲さんのプラマイゼロに気づいたところでもショックが薄そうに見えたこと。これは痛い。実際,今回のアニメ化においては末原さんに悲壮感が足りず,「妖怪三人に叩きのめされた凡人」からの「凡人の意地を見せて2位」というインパクトも薄かったし,「実際にはその2位も怪物の手のひらの上だった」という絶望感も,非常に薄かった。この末原さんの感情の揺れ動きは2回戦のハイライトだと思うので,これは本当に残念である。
→ しかし末原さん,凡人凡人と自分では言っているが,実際には姫松の大将を任される程度には強いわけで,それだけの自負心もあったはずである。単純に,身近に愛宕姉とかセーラとか荒川ちゃんとかいるから,凡人と言い張っているだけで。しかも,2回戦の相手のうち1人は永水だが,あと2人は無名校。咲さんは「天江衣を倒した」情報が入ってたかもしれないが,姉帯さんは完全にノーマークだったはず。それが蓋を開けてみれば妖怪大戦争だったのだから,彼女の心情はあまりある。「半ばセルフハンディキャップのつもりで凡人と言ってたら,本当に凡人であると自覚させられてしまった」。しかし,実は末原さんも凡人ではなくて“自覚のない妖怪”なのだとしたら,見事に話がひっくり返っておもしろいし,咲さんの怯えも納得がいく。で,実際そうなのではないかと私は疑っている……というところで後日別記事に(書く書く詐欺になっているが)。


・中二病2期:この期に及んでライバル作ってぶつけてどうすんねん,どうせ盛大にふられるやろと思っていて,事実そうなったが,終わってみると七宮を出した理由はよくわかった。というか,2期まで終わってやっと本当に「中二病でも恋がしたい!」のタイトルが意味をなした。
→ 要するに,七宮は「恋をすると中二病を卒業してしまう」勢の代表なのだ。というよりも,普通はそうで,六花だけが例外だったということだろう。その六花さえも,卒業しかけてしまった。じゃあどうする。どうやって止揚する? というところで,アンチテーゼとして登場したのが七宮であった。見事な仕掛けである。ストーリーは表向き「13話かけて,七宮が壮大に振られる話」以上の何物でもない。その実は「六花が恋と中二病をアウフヘーベンする話」である。そうしてタイトルに回帰したのだ。
→ ところが,「両立できるなら私だって……!」となるのが人間の心理である。でも親友の六花との三角関係は避けたいというところで,結局恋を捨てる勢に戻っていくのが本作の七宮だ。そんな彼女も,初恋は実らなかったけど,またどっかで別の恋をするのでは。その時は両立に成功することだろう。
→ 六花や七宮とは逆パターンとして,モリサマーも良かった。中二病を卒業するにしても,完全否定は寂しすぎる。黒歴史はできれば肯定的に封印するのがいいのでは,というのがモリサマー編のメッセージだろう。その意味で,凸森だけ掘り下げられずに終わった感が。まあ彼女はもともと中二病と社会生活を両立させている器用な子なので,掘り下げる意味もあまりないのかも。3期に期待して。


・桜trick:今期の私的ダークホース。1・2話を見たところくらいまでは「なんだこのレズ物AVは」という感想だったが(※),2話が終わった辺りから楽しみ方がわかってきて,あとは最後まですんなり楽しめた。
→ これ,メインのカップルは単純な関係ではなくて,百合と括られる様々な要素を多く重ねて持っている。それこそレズ物AVから恋愛も含め,恋愛未満の百合まで含めて。監督が 「まだ恋愛まで行ってない段階の女の子たちが、スキンシップの延長線上でキスという行為自体にハマってしまった、みたいな感じなのかなと思っています。」と言っていて,当時それはないだろというブコメをつけたのだが,今になってみれば理解はできる。最終話の春香が「付き合う」ということの意味を理解してなかったという描写を見るまでもなく,春香と優は一面では成熟したカップルで,一面では未熟なカップルでもあった。それにしてもアニメの描写はやたらと性的だったので,上記のような第一印象になってしまったわけですが。
→ 作中一番印象に残ったセリフは,父親が「どこの誰とも知らん男なんかに、春香は絶対やらないぞ!!」と言った際の「女の子ならいいんだ」である。無論LGBT的・政治的にその発言は正しいわけだが……うん。違う,そこ(性別)じゃない。
※ 言うまでもないですが「レズ物AV」という表記はニュアンス上のわざとで,本来使わない言葉です。

・鬼灯の冷徹:実のところコメントすることがほとんどないのだが,随所のギャグがおもしろかった。難しい原作だと思っていたけど,見事にアニメ化を成功させたと思う。円盤も売れてるらしいし,原作の貯蔵はまだまだ豊富なので,割とすぐに2期が始まってもおかしくない。

  
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2014年04月11日

非ニコマス定期消化 2013.11月上旬〜12月上旬

なんか偶然ゲームばっかりになった。




おやつの人とは違うラスボス攻略法を思いついたので,とのこと。後追いにして斬新なので,「楽して」シリーズファンなら見て損は無いと思う。




その頃本家はオメガと神竜を倒していた。……神竜は倒し方が確立されているけど,オメガも倒せるんだなぁ。




突如勃発したブロック崩しTAS更新合戦。上が勃発動画で,下が最速動画。勃発が14日で最速が17日。貼ってないが間にはもう数個の動画があり,いかに高速で更新されていったかがわかる。



本人ではないきれぼし再現。ちょっと感動した。



これはびっくりした。本当にアニソン。



元金髪らしいメドレー。いまだに原宿に戻りたいよ……

  
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2014年04月09日

江戸絵画における遠近法

小田野直武「不忍池図」サントリー美術館の江戸絵画展に行ってきた。独自進化を遂げたとされている江戸絵画が,実際には西洋や中国美術の影響を大きく受けていたということはすでに広まりつつあるところではあるし,特に西洋については望遠鏡や顕微鏡の影響が大きかったことも指摘されて久しい。しかし,「視覚」にド直球に焦点を当てた展覧会はこれまで不思議と無かったような気がした。いわゆる「その発想はあった」(が誰もやってなかったことに気付いてなかった)というやつである。

それぞれの展示について短く感想を。第1章は線的遠近法の導入による影響。やはり小田野直武・司馬江漢・亜欧堂田善といった面々が中心であった。明治以前の段階でこれだけの油彩画が描かれていたというのは,何度見ても驚きである。今回の画像は小田野直武「不忍池図」。小田野直武は司馬江漢の師匠であり,『解体新書』の挿絵で有名。「絹本油彩」なるいささか見慣れない形式が,ここでは珍しくもなく並んでおりおもしろかった。カンヴァスなんてないし,紙本油彩というのも不便だろうが,よく絹布に油彩が乗ったなぁ,と。浮世絵も多く展示されていた。印象派の画家が浮世絵の独特な遠近感に影響を受けた話はあまりにも有名だが,あれもある種の逆輸入ではある。

第2章が望遠鏡の影響と鳥瞰図。天球図はともかく,世界地図がこの章なのはちょっと無理が。第3章が顕微鏡の影響。いきなり巨大な蚤の絵に出迎えられてびびる。雪の結晶のデザインが出てきたのは幕末なんだなぁと。第4章が博物学の発展。博物学の黎明期は美術作品としての意味も強いのは,東西同じ。しかし展示物が少々物足りなく,どうせなら本草綱目の本物とかが見たかった気もする。

第5章が影絵や鞘絵など,少々特殊な視覚を扱ったもの。歌川国芳の有名な,人間が合体して一つの顔になっている絵もあった。やはりこれはインパクトが強いせいか,今回の一番の押しになっていて,ポスターやフライヤーもこの作品が使われていた。しかし,本展覧会の主旨から言えば第1〜3章で展示された作品の方がふさわしかったのでは,とも。影絵は,ここでは障子越しに移ったシルエットの遊びを指す。歌川広重の独壇場である。鞘絵は,中学あたりの美術の授業で一度は見たことがあるであろう(無かったらごめんなさい),円形に歪んだ絵の真ん中に銀色の棒を立てて,それを通して見るとちゃんとした絵に見えるというアレである。こういうやつ。すごく久しぶりに見たので(それこそ美術の教科書以来で10年単位振りだと思う),非常に懐かしかった。

展示物自体がおもしろく,工夫もあり,キャプションも読みやすかった。普段美術館に行かない人でも,見に行って楽しめるのではないか。
  
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2014年04月08日

劇場版アイドルマスター

偶然にも春香の誕生日に見に行っていた,ということに見終わってから気づいた。

正直に言えば満点という出来ではなく,不満点は無くは無い。特に作画について。ストーリーはどうしても好き嫌いもあるし,キャラの扱いは人数が多いから偏るのも致し方ないところがある。しかし,作画は劇場版なんだから。「おい,顔歪んでんぞ」というシーンがいくつかあって,とても残念であった。まあ,不満点は置いておこう。その上で,ストーリー面の話をする。

劇場版の春香たちは,TVシリーズでの艱難辛苦を乗り越えて設定的にもトップアイドルになってしまった。美希と春香はそれぞれステージに立つことの意味を考え直してそこに戻ってきた。千早は家族と正面から向き合い始めた。特にこの3人は物語の中核として,巻き起こした波乱の意味は大きかった。ただ,その中から今回リーダーに選ばれたのが春香なのは,極めて自然なことだ。箱○無印の頃から語られていることではあるが,それぞれの目指すアイドルのタイプは異なっている。しかし,3人の中で一番「アイドル」という概念自体にこだわりを持っているのは春香である。

逆説的にも,春香が一番ピンでやっていけるのである。だからこそ,箱○無印のあのエンディングになるのだから。美希はハニーがいないと成り立たないし,デレた千早なんて今回の劇場版で春香にべったりだったのが非常に象徴的である。春香と千早の対照では,どちらも「歌が好き」という気持ちが活動の根底にあるものの,春香は本当に「好き」の一心であるのに対し,千早は歌に人生をかけていて重い。この対比はアイマスだけに限ったものではなく,音楽はただ音楽であるべきか,人生や魂を乗せたものであるべきかというテーマは音楽を扱った作品では時々見られる。そうして見るに,「ハニー」も「歌」も必要とせず,ただステージとファンがいれば成り立ってしまう春香さんのアイドル像はとても透徹なのではないかと思う。

話が少々それたので,戻そう。そうして成長してきた彼女らだ。今更彼女らに内紛を起こしたりするのは不自然になる。しかし,ストーリーは盛り上げなければならぬ。だからミリマス勢が連れて来られたわけだ。しかし,それってもう765プロの面々はアイドルとして完成されすぎていて,アイドルの概念をテーマにしたストーリーでは中心になりえないということを提示してしまったのではあるまいか。無論,劇場版アイドルマスターの主人公は765プロの面々であって,さらに言えば春香であった。しかし,主人公格と中心は違うもので,ストーリーの焦点はあくまでミリマス勢バックダンサーズの成長である。重ねて言って,765プロの面々に(文字通り)スポットライトが当たっていなかったというわけではなく,むしろミリマス勢よりも出番が多かったし,キャラへの掘り下げもなされていた。春香以外の面々にも「先輩」としての姿がしっかり割り振られていたのは良かった点だ。しかし,それはあくまで「後輩を導く先輩アイドル」としての姿であって,成長する主体ではなかった。

要するに「そろそろ引退しろよ」というか「引退してもいいんだよ」といいますか,そういう空気が映画から漂っていなかったか。勘違いしないで欲しいのは,私はそれを批判しているわけではない。むしろ逆である。それはファンである自分にもある感情で,無論彼女らを嫌いになったわけではないし飽きたわけでもなく,いつまでも前線で活躍して欲しい。一方で,project im@sとしてはいじりにくい重鎮になってしまった感がある。アイマス3では,いよいよ「トップアイドル」として背景になるしかないのでは。バンナムの戦略としては,本当はim@sDSが出た段階で765プロの面々の背景化の布石を打っていたのだろうけど,あの段階ではまだ少々早かった。その意味で,この劇場版は再度の試金石だったと言えるのではないか。少なくとも私には納得の行く卒業式にはなった。

じゃあ次世代に引き継ぐぞというところで,ここが本作のおもしろいところであり,悩ましいところでもあった。何かと言えば,春香のリーダーとしてのやり方である。春香のやり方は一見優しいように見えて落伍者を認めないという実はとても厳しいスタイルだ。「アイドル」そのものにこだわりを持つ春香らしいもので,これはあの13人でやってる分にはうまく回る。それはTVシリーズや,ひいてはゲーム版という下積みがあるからで。良くも悪くも,あれが第一世代765プロだ。ああでなければ,あの13人じゃないとまで言っていい。じゃあミリマス勢が次世代かというと,これは私がミリマスをやっていないことを横に置いといても違和感はある。あの春香のスタイルをそのまま引き継ぐのは苦しいのではないかと思うし,あの劇場版からはそっくりそのまま受け継ぐんかなぁ……という印象しか受けなかったからだ。彼女らには彼女らのスタイルがあるのではないか。その上で,アイマス製作陣が「いや,あの春香のスタイルこそ,project im@s全体で貫かれる通奏低音だ」と言うのであれば,私はそれをじっくり見守るだけだ。

じゃあ彼女らが独自のスタイルを作るとして,それはどういうものになるか。それを考えるには,劇場版はあまりにも短くて素材が足りない。劇場版の放映時間が120分という限界,765プロの面々を掘り下げるのに必要な時間が長かったという制約があったのはわかるが,にしてもバックダンサーズの一人一人に対する掘り下げがあまりにも少なく,未プレイヤーとしては印象に残らないまま終わってしまったというのが正直な感想だ。未プレイヤーをミリマスに誘導する目的がこの劇場版にあったのだとしたら,それはあまり成功しているとは思えない。今後,バンナムがどういう戦略を取っていくのか,注目したい。  
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2014年04月07日

第231回『ガルパンの秘密〜美少女戦車アニメのファンはなぜ大洗に集うのか〜』廣済堂出版

廣済堂出版から発売されたガルパン関連書籍の第三弾。第一弾はガルパンのアニメに関する情報をまとめた『アルティメット・ガイド』,第二弾は聖地巡礼用の『トラベル・ガイド』であり,両方とも別記事にて触れている。両方ともB5サイズの大判だが,本書のみ新書サイズである。内容として,藤津亮太氏による深夜アニメの歴史事情とガルパン前史として『ストライクウィッチーズ』・『けいおん!』・『らき☆すた』を簡潔に説明する序章,石井誠氏による大洗のルポに続き,21人のガルパン関係者へのインタビューが収録されている。

前掲記事で書いたように前二書は随所に不満が見られる本で,『アルティメット・ガイド』は悪い意味で普通,『トラベル・ガイド』は旅行ガイドとしてちょっと雑であった。しかし,本書は読み応えのあるもので,インタビュー集として優れているのでお勧めできる。インタビューされている面々は,
・バンダイビジュアルプロデューサー:湯川淳,杉山潔
・アニメ会社アクタス社長:丸山俊平
・主要製作陣:吉田玲子(脚本),杉本功(総作画監督),柳野啓一郎(3D監督),カトキハジメ(絵コンテ,ただしOVAから),関根陽一(音楽P),渕上舞(みほ役),水島努(監督)
・大洗関係者:常盤良彦(クックファン・まいわい市場),大里明(肴屋本店),島根隆幸(大洗ホテル),樫村裕章(茨城県庁広報課),有國清光(大洗高校マーチングバンド部監督)
・その他:防衛省広報室&自衛隊茨城地本の方々,アマゾンジャパン,TSUTAYA
といった感じ。

それぞれおもしろいところはあったが,私的にピックアップして。p.17,ガルパンのスタートが,バンダイからアクタスへの「有名なクリエーターを誰か一人連れて来いで,それが島田フミカネだったということが明かされている。結果から言えばその他のスタッフも豪華なメンバーが集まったわけで,さながら曹操軍の幕僚状態だが,その最初が島田フミカネというのはやや意外である。人がそれだけ集まった企画の勝利とは言えるかなぁ。

p.39,杉山Pがまちおこし有りきだったわけではないという発言をしている。2012年のあんこう祭までは誰しもが半信半疑だったという話はよく聞くし,町側の動きが意外と遅かったのも確かだ。ただ,遅かったからこそ長持ちしている感も,巡礼者としてはある。この辺は常磐さんの「こそこそ作戦」が功を奏したと思う。最初から派手にやっていたら,あれだけ住民の理解を得るのは難しかったのではないか。杉山Pは「『アニメで町おこし』のモデルケースみたいに取り上げられるのですが,あれはちょっと違います」と言っているものの,結果的にはモデルケースになっているのではないか。初動は派手にやりすぎない,地元自体の良さで売る,明確な巡礼路を作ってあげる等々。

これに関連してp.121にはキャラパネルの設置が商店街に人を呼んだことが書かれている。一方,自分が巡礼に行った時に聞いた話でもあるが,「当初は54体のパネルが(設置希望店舗が少なく)余ってしまっていた」ということも書いてあった。あのパネルは斬新で良い試みだったが,斬新だからこそそういうことにもなったのだろう。p.153,大洗ホテルの島根氏も「(後発のまちおこしにアドバイスをするとしたら,)まず自分たちが楽しむこと」とある。だが,これは意外と実践が難しい。そもそも,そのアニメが本当におもしろくなかったら詰んでるわけでもあり。アニメ自体が抜群におもしろく,かつ町自体にも魅力があった大洗は本当に幸運な例だな,と改めて。




  
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2014年04月03日

最近買ったもの・読んだもの

・『美少女万華鏡 かつて少女だった君へ』。800円のエロゲ。1時間で終わり,その大半はHシーンという極めて潔い作品。それだけ短い作品ながら,ちゃんと美少女万華鏡シリーズの要点は抑えており,ホラー要素もほんの少しだけあるし,蓮華もちゃんと登場する。八宝備仁の絵が見たければ,そして美少女万華鏡シリーズが好きなら,1時間を費やすだけの価値は十分にある。
→ 第3作の発表もすでにされているが,期待大。じっくり待ちましょう。


・『シュヴァルツェスマーケン』6巻。実はおおよその感想は短篇集2巻のところで書いてしまっていて,なんかもうリィズさんが悲惨すぎて言葉がない。ああいう人生を送ってきてこの最後か,と。
→ ストーリー的は,この巻はモスクワ派以外の諸派がまとまっていく過程を描いたものであるが,ハイライトはカティアの正体暴露である。1巻からその正体をどこで明かすのか読者はやきもきしていたが,6巻まで辿り着いてみると,ここしかないというタイミングであった。それ以外はまあ,最終巻へのつなぎである。
→ もう最終巻(7巻)も発売されていて入手済みなので,なるべく早く読みたい。


・『東方鈴奈庵』2巻。マミゾウさんが順調に頼れるお姉さんポジションを築きつつある。連載始まった当初はこんなに表に出てくる主要キャラになるとは思ってなかった。しかし,「頻繁に人里にいても怪しまれない」「外の知識・妖怪の知識ともに豊富」というと,確かにマミゾウさんしかいない。
→ 10話の能楽の場面,空に一輪,手前に天子に衣玖さん,奥にゆゆ様。次のページに妖夢・美鈴・橙・アリス・屠自古・ゆかりん・幽香・こいし・青娥と多種多様な妖怪たちが。11話の方だと聖・神子・布都・にとり。それに混じって小鈴ら人里の人間が見に来ている。本当に人妖入り乱れてて,非常に東方らしい場面。というか,これまでの東方のイメージだともうちょっと人間が妖怪をこわがっている感じもしたのだけれど,宗教大戦を経てまた雰囲気が変わったんだろうな。
→ 13話,「小作人」なる非常に気になるワードが。ひょっとして幻想郷,戦後の農地改革を受けておらず,いまだ地主制? もしくは閉鎖空間ゆえに何か独自の制度が発達している? 1885年(明治17年)の分離なので可能性はある。電気が通っている等意外と近代化している幻想郷ではあるが,社会制度は外部の影響を受けにくそうだ。気になるところである。今後の考察クラスタの研究に期待したい。
→ レミリア・こころ・針妙丸と登場したが,皆非常にかわいかった。春河もえの画力が存分に発揮されているところである。パチェも出てこないかなぁ。図書館関連で。


・『乙嫁語り』6巻。大きくストーリーが動いた巻である。
→ 遊牧民と町の戦争ではあるのだが,両軍に思いっきり大砲が出てくるあたりはさすがに19世紀。砲撃戦も騎馬の突撃も,森薫の画力が遺憾なく発揮されていた。
→ ハルガルの部族で生き残ったのはアゼルの3兄弟だけ? これから彼らはどうするのか,先が気になる。7巻収録の内容はスミスさんたちの先の話らしいですが。当分は交互に進んでいくのかな。


・『中国嫁日記』3巻。井上夫妻,中国に引っ越すの巻。しかし,井上さんしょっちゅう日本に来てて一緒に生活してないし,中国はユエさんすごく嫌がってたし,そもそも引っ越さなくちゃいけなくなった理由が工場の経営が適当すぎたからというどうしようもない理由なので,読んでてかなりどうかと思った。中国人の通訳が信用できないというのはまあわからんでもないが。
→ しかも嫁日記の原稿が単行本化に追いつかず溜まっていて,単行本化の作業のために日本に行かなくちゃならないのなら,それはビジネスモデルとしても生活としても破綻しているのでは。4巻出す前に,いろいろ考えなおしたほうがいいと思う。
→ 中国の芸術写真の話はおもしろかった。結婚すると大げさな写真を撮るらしい。そんな風習どこから出てきたんだろう……
  
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2014年04月02日

第230回『欲望の美術史』宮下規久朗著,光文社新書

宮下規久朗による美術史にまつわるエッセイ集。元は産経新聞に連載されていた記事で,それらを加筆修正し画像を追加したのが本書となる。タイトルの通り,下世話な観点から美術史の出来事や作品に焦点を当てたもの。カラヴァッジョを専門とし,過去に『食べる西洋美術史』・『刺青とヌードの美術史』などを執筆してきた宮下規久朗らしいエッセイ集であると言える。というよりも,本書でもカラヴァッジョは当然のこととして,大食の悪徳や刺青・ヌードにも触れており,実に自由な筆を振るっている。それだけに文章もノッていておもしろい。

その他のテーマや登場する題材としては,女性問題を取り上げてのカルロ・クリヴェッリやグイド・カニャッチ,ロセッティ,ピカソ等。ライバル意識からギベルティとブルネレスキ。写実志向からの生人形やトロンプ・ルイユ。鎮魂からのむかさり絵馬。権力者の肖像画としてスターリンや毛沢東など。信仰というテーマでさえも,出てきたのは黒い聖母とマリア観音だ。土佐の絵金や,時事ネタとしてヒメネスさんの修復キリスト像にも触れている。全体として普通の美術史では出てこない題材が多く,目新しさも強い。宮下規久朗を知っている人には「またあの先生はこんなものを」と読めるし,知らない人(というよりも美術史自体に親しみのない人)には親しみやすく,かつ珍妙な美術史紹介として読めるだろう。軽く読めるし,どちらにもお勧めできる本である。

本書はフルカラーである。これはすばらしい。やはり美術史を扱った本たるもの,可能な限りフルカラーであってほしい。特に本書はバロックのゴテゴテとした装飾や絵金を扱っているのだから,フルカラーでないと威力が激減である。その代わり,ものの1〜2時間ほどで読めてしまう180ページの新書なのにお値段920円という大変なことになっているが,フルカラーへの〈欲望〉には耐えかねるのである。



  
Posted by dg_law at 12:00Comments(0)TrackBack(0)