一通り落ち着いたようなので。本件について思ったことをつらつらと。
1.白鵬の批判は正しかったのか?
ぶっちゃけて言ってしまうと,正しくない。少なくとも「子供でもわかる」というレベルのものではない。
問題の取組は10分50秒から。次に勝負規定。
寄附行為施行細則附属規定の【勝負規定】の項目から,今回に関係しそうなものは
・第六条:土俵内に於て足の裏以外の体の一部が早く砂についた者を負けとする。
・第七条:土俵外の砂に体の一部でも早くついた者を負けとする。(以下略)
・第十一条:俵の上を歩いても、俵の上に足をのせて、爪先、踵がどれほど外に 出ても、土俵の外線から外の砂につかなければ負けとならない。
・第十二条:土俵外の空中を片足、両足が飛んで土俵内に入った場合は、土俵外 の砂につかなければ負けとならない。
・第十四条:相手の体を抱えるか、褌を引いていて一緒に倒れるか、または手が 少し早くついても、相手の体が重心を失っている時、即ち体が死んでいる時は、 かばい手といって負けにならない。
つまり,相撲の勝負判定はいくつかある。単純に言えば
・足の裏以外が地面に触れたら,土俵内であっても負け。
・足の裏を含めた全身の一部が土俵外の地面に触れたら負け。ただし空中はセーフ。
を基本線とするが,この両者が衝突した際に補足的に運用されるのが「死に体」の概念だ。
・全身どこも地面に落ちていなくても,数瞬の後に倒れるのが明白で,かつもはや新たな技をかけることが出来ない状態の場合,「死に体」として,不利に取られる。
この「死に体」が曲者で,「どういう状態なら体が死んでいるか」は力士同士や好角家同士でもけっこう意見が分かれる。だからこそ相撲の審判も複数人いて,協議(それも微妙な場合は長い協議)があって勝負がやっと決まることがある。加えて言えば,死に体の概念があるからこそ完全なビデオ判定に移行できない。相撲の判定はあくまで行司が主体で,行司の判定に不服がある場合のみ審判団に移り,ビデオ判定はあくまで審判の補助でしかない。なお,行司は必ず勝負を付けなければならず,同体取り直しの判断は審判団のみの権利である。この辺を勘違いして,ビデオ判定で全てがデジタルに決まっていると思っている人をたまに見る。
それを踏まえた上で先ほどの勝負をもう一度見ると,「同体取り直し」が正しいことがわかろう。11:20時点なんかがわかりやすいが,
白鵬は「右足の甲が返っていて,足の裏以外が砂につきかけている」,また「どう見ても数瞬後に倒れるのが明白で,稀勢の里を寄り倒す技の途中と見るか,単に倒れかかっているだけの状態と見るかは微妙」=
死に体にかなり近い。一方,
稀勢の里は「左足の甲は返っているものの空中に浮いており」,数瞬後に倒れるであろうが,「技をかけられる状態であって,実際ここから白鵬に小手投げを仕掛けている」から,
死に体とは言えない。この11:20時点だけ見ると,白鵬がやや不利なのだ。なお,ネットで検索するとこの11:20時点での稀勢の里の体が死んでるから,白鵬の審判批判は正しいとする主張を少なからず見かけるが,どこを見てそう判断したのか,是非とも意見をうかがいたいものである。多分,死に体の概念を理解していないのではないか。
では白鵬が負けだったんではないかというと,そうでもない。この数瞬後の11:22〜24を見てくれればわかるが,その後実際に地面につくのは稀勢の里が先なのである。これは白鵬が地面につきそうな自らの右腕を引っ込めているのに対し,稀勢の里はそういう危機意識を欠いているので,左腕が先に地面についてしまっている。なので,ここで焦点が見えてくる。
・11:20時点ですでに白鵬の右足の甲が返っているとし,先に体が死んだのは白鵬とすれば,小手投げで稀勢の里の勝ち。
・11:20時点の白鵬の体はまだ生きており,右足の甲も地面に完全に返っているわけではないとすれば,接地したのはデジタルに稀勢の里が先であり,寄り倒しで白鵬の勝ち。
となる。で,行司は白鵬を取り,審判団は協議の末に同体とみなした。同体の判断は許されていない行司の立場なら白鵬に上げざるをえないし,この対立点は解消しようがないので,審判団の判定は極めて正しい。
少なくともここまで書いてきたような複雑な判断の末の取り直し判定であり,絶対に子供でもわかるようなものではない。
2.審判批判をとりまく言説に意味はあるか?
一切ない。その人の自意識や偏見が鏡に反射されて漏れでた典型的な例。本件に関していろいろな意見を出す人がいるが,今回の一件で正しい言説は「白鵬が軽率な言動だった」という一点だけである。
白鵬自身が外国人差別ゆえに不利な判定を下されたようなことを言っているが,事実としては上記のように審判団の判定が正しい。とはいえ,白鵬本人については,そう感じさせられるようなことが周囲で起きているのかもしれない。日本人横綱待望論なんかはそうだろう。あたかも自分が横綱にいるのがふさわしくないように聞こえるのかもしれない。が,
日本人横綱待望論が根強いからと言って,白鵬が横綱にふさわしくないと言っている人はほとんどおるまい。「日本人も一人くらいは」という感覚であって,日本人だけが横綱になるべき,とは誰も思っていないのである。加えて言えば,白鵬が強すぎるからなかなか優勝できず,日本人が横綱になれない,というのは実際正しいのだが,だから白鵬が悪い,と言っている人もほとんどいないはずである。単純に,白鵬を倒せるだけの実力を持った日本人力士が誰一人現れないことを嘆いているだけで,あれは身内批判なのだ。白鵬はこんな話題を気にせず,泰然自若としていて欲しいところである。
その他にも白鵬が外国人差別と感じる部分は多々あるのかもしれない。が,本件に限って言えば審判団が稀勢の里に肩入れしたという事実は一切なく,白鵬の思い過ごしであった。にもかかわらず,白鵬を擁護しようとして,外国人差別に結び付けたい人は一定数いるようである。他の件ならわかるが,この件で「これだから閉鎖的な大相撲は」と言われるのは釈然としない。
また,他のスポーツでもそうだが,競技者による審判批判自体がしてはいけない行為,かどうかは議論の余地があろう。ただし,今回の論点はそこに置くべきではない。仮に審判批判自体が許されるとして,白鵬が判定に不服だったとしても,報道陣ではなく協会に申し出るべきで,かつ師匠を通すのが筋だ。優勝翌日の会見で,しかも酒が抜けきっていない状態で初めて話を出した時点で,白鵬に非がある。しかも報道陣が相手で,協会は寝耳に水であっただろう。ただし,定例化している優勝翌日の会見自体不要なのではという意見があったが,これは考慮に値すると思われる。どの優勝者にしても大体泥酔していて眠そうな状態だからだ。むしろ今回まで不用意な発言を誰もしてこなかったのが不思議なくらいである。
あとはまあ,お決まりの品格論で,以前からの積み重ねもあり,白鵬が傲慢になってきていて,「横綱としての品格を欠く」という主張と,「そもそも横綱は強ければいいのであって品格は不要」という主張のケンカが見られた。私はどちらかというと後者の側の人間ではあるが,今回に関しては白鵬を全く擁護できない。なぜなら,まず,増長しているのはおそらく事実であること。次に,
今回のような審判批判は,上述のように形式の面から言って不適切であり,問題になるとすれば「横綱の品格」としてではなく,「力士のマナー」としてになるからということ。ゆえに,どちら側の主張にせよ,品格の概念を問題にしたいという意識の表出に過ぎず,今回の問題をちゃんと見ていない証拠だ。横綱であるのだから,競技のトッププレーヤーとしてより一層マナーを守るべき,という主張なら理解するし一理あるが,残念ながらそうした主張はあまり見られない。
以上の理由から,本件は「白鵬が思い上がって軽率な発言をした。判定は正しかったので,発言は無意味だった。白鵬は粛々と協会から叱られるべき」以外の言説は意味がないし,何かしらの意義にひっつけて盛り上がるような話かというと,本来はそうではなかったはずである。