2015年12月30日

2015年自薦記事10選

昨年の。それぞれに読み返した感想とか裏話とかをつけておいた。それではみなさんよいお年を。私はコミケ頑張ってきます。


1.2015年度センター試験地歴の「やらかし」について(1/18)
→ 物事がいろいろ終わった2,3ヶ月経過した後,周囲の状況を鑑みつつ言及するスタイルの自分としては,極めて速報性にこだわったという点で珍しい記事。これはさすがにセンター試験後即日じゃないと意味が無いとは思った。ジョン=ケイ(紡績機)は,私自身ほとんど知らない人物だったので,急いで東大図書館に駆け込んで,近代イギリス史や科学技術史の棚と長いことにらめっこして書かれた記事だったりする。ちなみに,今年で一番はてブが伸びた記事でもある。

2.受験世界史悪問・難問・奇問集 ver.2015(3/12-15)
→ これは毎年恒例で。恒例すぎるのでちょっと選ぶのを躊躇する気持ちがなくはなかったが,そうは言っても看板企画ではあろうと。読み返してみると,一番おもしろかったのは上智大の8番「熊本の古代遺跡」だろうか。

3.この春に西美に入ったフェルメール帰属の作品について(4/29)
→ 今年は展評から2つ選んだ。そのうちの1つめ。ほとんど私見が入っておらず,単なる紹介記事ではあるのだが,自分ではよくまとめられていると思う。

4.兄弟弟子の奮起とか泣くしかないでしょう(5/26)
→ 大相撲五月場所の感想。今年一番力を入れて書いた相撲記事であり,また根本的に今年一番感動した場所でもあった。ついでに今年の相撲記事を全部読み返してみたのだけれど,今年は照ノ富士の躍進の一言であるなと。五月はそれを象徴する場所でもあったと思う。

5.歴史コミュニケーション研究会(5/31)報告(6/9)
→ 自分としてはやはりプロの研究者の意見というのはとても貴重で,それは悪問集の校正を頼んでいる友人たちの意見ももちろんなのだけれど,さらに外部の意見を聞く場を与えられたというのは本当にありがたかった。その記録として。
→ また,ここで得られた「東大の第1問は,理論上高校世界史範囲内を順守しているとしても,実態上満点を取れる高校生が存在しないのであれば,一周回って悪問なのでは」という意見は,後で出てくる東ロボの研究会でも再び登場し,私的には一年で最も悩まされたトピックとなった。

6.がっこうぐらし!:原作とアニメの差異について(10/30)
→ アニメ・漫画の感想系としては一番力を入れて書いた記事。一年を通して一番楽しんだテレビアニメは何かと言われるとやはり『デレマス』になってしまうのだけれど,考察しがいがあったのは『がっこうぐらし!』の方だった。ただ,はてブの伸びを見るとやはり世間の関心は『デレマス』や『艦これ』のアニメではあるなぁと。

7.「ロボットは東大に入れるか」成果報告会 in 2015(11/14)レポート(11/18)
→ これも恒例なのだけど,世界史論述に関する結果とその分析は非常に驚かされるものであった。論述を組み立てる力も,そのうち人間の特権ではなくなるのかもしれない。

8.山陰旅行記(11/21-22)
→ 今年は大規模な国内旅行には2回行っていて,新潟旅行も楽しかったのだけれど,レポート記事として読んでおもしろいのはやはりこちらの投入堂部分かなと。自分自身,旅行前に「投入堂」でググッて,意外と体験談が引っかからなくてやや様子がわからなかったところがあった。この記事が将来行く人の参考になればと思う。
→ とは言いつつ,はてブとしてもtwitterとしてもアクセス数としても,受けが良かったのは後編だったりする。かなり多岐にわたる観光案内を書いたので,刺さるところが人それぞれあったのかも。

9.高校世界史上のフン人やマジャール人の扱いについて(12/6)
→ 今年は下半期にかなり高校世界史ネタを書いたのだけれど,調べていて一番おもしろかったのはこれ。当時の感想として「受験用の教科書は思っていた以上に気をつけてアジア系を排していた,というのが正直な感想」と書いているのだけれど,私の中での教科書の信頼度って低かったんだなぁと改めて読んで思った。

10.地中海の黄金伝説展(12/25)
→ 美術展の展評から2つめ。「どれだけノリノリなんですか」というコメントがついた通り,ノリノリで書いた記事ではあって,それなりにウケがよくて何よりである。展示のコンセプトには一切中二病要素が無いのに,見る人が見ると勝手に妄想が膨らむという点では,大変よい展覧会であった。1/11まで会期があるので,興味がわいた人でまだ間に合う人は是非。  

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2015年12月29日

C89サークルチェックリスト(3日目)

サークルカットでは○○だったが,開いてみるとグラブルだったが多発していたような。今回,ギャルゲー配置は基本的に西なので注意。


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2015年12月28日

C89サークルチェックリスト(1・2日目)

いつもは初日と二日目の少ない方は不参加だったけど,今回はフル参加になりそう。初日は重役出勤でチェックつけた数カ所だけ回ってくると思う。


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2015年12月26日

最近読んだもの・買ったもの(『乙女戦争』他)

『乙女戦争』1巻。フス戦争が舞台の歴史漫画である。主人公はフス派の少女(シャールカ)で,しょっぱなから家族はおろか自分以外の村人全員が異端狩りで殺害され,自分も強姦されるという不幸すぎる始まり方をする。村から脱出して道を歩いていたところで,ヤン・ジシュカとその傭兵団に出会い,フス戦争の開戦とともに少女の物語も動き出していく。1巻はその出会いから,ヴィトコフ丘の戦い前まで。残念ながら,物語開始時点で第一次窓外放擲事件は終わっているので,本作での描写は無い。
→ フス戦争なので主要な対立軸の一つは信仰の問題になるが,必ずしもカトリック側が悪,フス派(ターボル派)が善としては描かれていない。ヤン・ジシュカからしてちっとも信仰を持っていないのだが,その彼がなぜにターボル派の事実上の頭領に成り上がったのか。大方の予想が着くように狂信的な信仰心の“悪用”にあるのだが,その辺は2巻以降で描写されている。また,もう一つの対立軸はカトリック側の重装騎馬突撃と,ヤン・ジシュカの革新的な戦術になる。これは1巻から大きく取り上げられており,騎士たちがバタバタと倒れていくのはなかなかに爽快。ただ,正直ピーシュチャラ(原始的な銃)強すぎるだろうという気はする。18世紀のマスケット銃くらいの威力と精度がありそう。
→ 本作を成り立たせている着想はまさにこの2つの対立軸の融合で,「狂信的な人々がピーシュチュラで武装すれば,それが少女たちであっても対抗しうる」とヤン・ジシュカが発想したのではないか,という仮定を土台に置いて,少女たちが戦場に立つ不自然さを解消し,非力な彼女たちが騎士たちを打ち倒していくカタルシスを与えている。
→ また,本作の売りの一つは残酷描写で,作者自身が「「シャールカちゃんがどんなひどい目にあうか楽しみです」と言ってくださる読者の方は結構いるので、頑張って期待に応えさせて頂きたいと思っています。」と言っているという。ただし,残酷で不幸な出来事の連続で登場人物たちがバンバン死んでいく漫画ではあるが,作劇としてのグロさは大したことない。むしろ作者が本気を出せばもっとグロくなるのではないか,というレベルではあるので,苦手な人は避けるべきだが,そう心配することもないとは書いておきたい。
→ タイトルの『乙女戦争』は突飛に見えるが,実はチェコに伝わる民間伝承のタイトルだそうで,ヴラスタとシャールカの名前もそこからとっているそうだ。意外と由緒正しかった。
(参考)・『乙女戦争』大西巷一×『ホークウッド』トミイ大塚 夢の対談:気分はもう中世暗黒時代 中世どっきり残酷対談だヒャッハー(ITmedia eBook USER)
→ 歴史考証は相当にがんばっていると思うが,根本的にはピーシュチャラで武装した少女たちという描写が大嘘である。もっとも,その歴史改変を否定すると本作の土台が崩れてしまうので,そこを指摘するのは野暮の極みだろう。そして土台で大嘘をついているからこそ,それ以外は必死に考証しているのかもしれない。漫画の外での解説も丁寧だ。
→ 全体を見通すと,主人公のシャールカとその周囲の少女たち,ヤン・ジシュカ,フス派の僧侶たちに,チェコ人貴族たち,カトリック側の皇帝ジギスムントとその配下の騎士たち,それぞれの信仰心や思惑,戦争での目的などが微妙にすれ違っていて,各々が自分の都合の良い展開を引き寄せようとする中で物語が展開していく。視点も割と頻繁に切り替わるので,群像劇的と言えるかも。





・『アド・アストラ』8巻。第二次ノラの戦いと,シラクサ攻防戦の開始,アルキメデスの登場。
→ 第二次ノラの戦いは作者本人によるあとがきでの申告通り,かなり創作が入っている。確かに特に特徴がなく,創作しやすい戦いではある。そして前巻の感想で予測した通り,マハルバルの敗死とガイウスの出世が描かれていた。予想が当たって素直に嬉しいところ。
→ アルキメデスの出題した確率の問題はモンティ・ホール問題と呼ばれるもので,たまに見かけるものではあるが,こんなところで見かけるとは思わなかった。
→ 次回はシラクサ落城と第三次ノラの戦い,あとはイベリア半島情勢とマシニッサの登場くらいまでだろうか。歴史物としては比較的進行が早く安心して読んでいられる作品。


・『やがて君になる』1巻。巷で噂の百合漫画の1巻であるが,個人的にはまだ評価する段階ではなく,2巻での展開を待ちたいところ。物語のテーマとしては「恋」という感情自体にあって,主人公は「恋」を経験したことがなく,理解できていない。そこで付き合いだした先輩との間であれこれあるというのが今後の物語と思われるが,その物語の転がり方次第で化けもするし,凡百の話にもなるだろう,といったところ。作者があとがきで「あまり恋愛らしい百合は描いてこなかった」と書いているので,作者にとってもこれは冒険か。
→ 絵はすっきりしていて繊細であり,読みやすく,こういう話向きであると思う。


・『僕はお姫様になれない』2巻。勘違いの連鎖(によるギャグ)で進んできた物語は,勘違いが正されていくことで新たな展開を見せた。これほどの急展開はこの作者としては珍しい事で,もう少し先の巻で勘違いの連鎖が正されていくものだと思っていたから,かなり驚いた。もっとも,最大の勘違いであるところの新堂さんが白馬くんに男だと思われていることは,全く正されていない。これが正されないように物語は転がっていき,まだまだ続くのであろう。  
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2015年12月25日

地中海の黄金伝説展

ヴァルチトラン遺宝西美の地中海の黄金伝説展。ややコンセプトがわかりづらいが,古代地中海文明に見られる金細工の数々を並べた展覧会である。したがってスタートはエジプトでゴールはローマ……と思いきや,スタートはなんとトラキア(現ブルガリア)である。本展の目玉その1,黒海沿岸に栄えた古代トラキア文明である。キートン先生が泣いて喜びそうな話だが,実はこのトラキア文明を代表する遺物「ヴァルチトラン遺宝」の発見は1925年頃のことであるから,『MASTERキートン』よりも随分前のことである。

じゃあ浦沢直樹が見落としたのかというと,そうではない。トラキアの遺跡はヴァルチトラン遺宝以外にも他にもいくつか見つかっていて,どうやら一定の文明があったことは確からしい。中には紀元前6000年頃と推定されているものもあり,これが事実ならメソポタミア文明に比肩して古い(どころか金細工に限れば完全に世界最古である)。しかし,発掘された物が少なすぎて未解明の部分が多く,発掘されたものの時代が飛びすぎていて(前6000年,前14世紀,前4世紀だからね……)それぞれにどの程度連続性があるのかも疑わしく,青銅器・金細工はあるが鉄器は見つかっておらず,文字も持っていない。したがって,ほとんど孤立したまま滅んだのではないかと思われており,「ドナウ川下流域に現代欧州文明の起源があった」というのは,キートン先生には申し訳ないがやはり疑わしい。ただし,ヘロドトスの著作にはトラキア人の記述があることや,ギリシア神話におけるイアソンのアルゴー号の黄金の羊伝説,さらに一応最も新しい出土品は前4世紀頃でヘレニズムの影響が見られる(ヘラクレスと推定される人物が描かれている)ことなどから,少なくともギリシア文明圏となんらかの影響関係があったのではないか,金細工の交易があったのではないか,と推測する向きもあるとのこと。言うまでもなく,鉄器と文字を持たなかったのはチャビン文明(アンデス文明)あたりも同じであるから,文明の必須項目ではない。あとは農業の形跡でも見つかれば,正式に古代文明入りするかもしれない。20年後くらいの高校教科書に「ヴァルチトラン遺跡」とか「ヴァルナ遺跡」とか太字が載っているかも。

そして,今回の展覧会では太っ腹なことに,ヴァルチトラン遺宝の他,その紀元前6000年頃と推定されているヴァルナ遺跡のものも展示されていた。その意味で実は極めて貴重な展覧会である。英仏に比べてブルガリアはおいそれと行ける国ではない。そしてヴァルナ遺跡にしろヴァルチトラン遺宝にしろ,何がすごいって数千年経過しているのに一切錆びていない黄金の輝きというところで,これが青銅や銀細工ならこうはいかない。黄金は永遠の輝きである。言われてみれば当然なのだけれど,紀元前6000年だの紀元前14世紀だのという遺物が全く錆びてないというのはやはり驚き以外何物でもなく,黄金は別格であるなという感動を新たにさせられた。古代トラキア文明のさらなる研究の進展と,キートン先生の大逆転を願おう。ところで,ググってみると本展覧会と『MASTERキートン』を結びつけた展評があまり見つからないので,少し残念である。


ヴァチカン美術館「黄金の腕輪」古代トラキア文明の展示以外では,古代ギリシア・エトルリア・ローマの展示が続く。そしてもう一つの目玉展示がエトルリアの金細工から「黄金の腕輪」。うん,そうだね。ドラクエ4だね。加えて金細工の細かいこと,そして現在の所有者がヴァチカンということもあって,完全に禍々しいまばゆさを誇っているようにしか見えない。キャプションや図録を読むに,この腕輪はヴァチカンがほとんど貸してく出してくれない逸品らしく,これは魔王が封印されてますね間違いない。そして,やはりなにげにこの展覧会とんでもないのでは……? 

しかし,ヴァチカンが封印しているものを東京に持ち出して大丈夫なのか? 封印がとけられて大変にまずいのでは? まさか,主催の東京新聞に隠れて何か闇の組織が暗躍しているのでは……あれ,こんな時間に来客が(このメモはここで途切れている)  
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2015年12月24日

11・12月に行った展覧会(久隅守景展・兵馬俑展・物語絵巻展)

uid000067_20150831144146b15c8980サントリー美術館の久隅守景展。この画家は狩野探幽門下の狩野派として世に登場するも,身内の不祥事が続いて追放された。それで野垂れ死なないあたりはさすがに力のあった絵師で,京都を拠点に活動し,また加賀藩前田家に拾われて加賀や越中でも活躍している。こういう経歴だからこそ典型的な狩野派的な山水画以外の作品,特に農村や庶民を描いたものが注目され,代表作もそうしたものの一つ,「納涼図屏風」である。今回の目玉展示もこれであった(ただ,その割に展示期間が短く,危うく見そびれるところであった。国宝ゆえの事情は知っているが,目玉展示なのだからもうちょっとがんばってほしい気も)。

自分も久隅守景に対してはそういうイメージを持っていたのだが,今回の展覧会を見て思ったのは,むしろ思っていた以上にかっちりとした狩野派の画家であるということだった。展示されていた山水画は見事なもので,それも追放前もさることながら,追放後の時期に描かれた山水画もまた堂々たる狩野派であった。してみると,「身内の不祥事で追放された」のも,「農村の風景が多い」のも事実であるが,これらをもって「農村に溶け込んだ庶民派」とするのはイメージの捏造に近く,そうした評価はむしろ不当でさえあるかもしれない。その意味で,保存状態があまり良くなく,どちらかというと息抜きで描いた雰囲気さえある「納涼図屏風」が国宝で代表作というのも不思議な感覚がする。

もっとも,山水画は確かに狩野派として優れた作品が多いものの,では狩野探幽やその他の絵師と比較して美術史の一線級として名前が残るレベルかというと,他も優れている人が多すぎて埋没してしまう。すると「身内の不祥事で追放された」という不幸な属性だけが残る不遇絵師というのが美術史上の評価になってしまい,結果的に半ば捏造的ではあれ「庶民派絵師」というのは良い“キャラ立ち”なのかもしれない。歴史に名を残すのも大変であり,またどういう残り方をするかわからんもんだなという不思議な感慨に襲われた展覧会であった。


東博の大兵馬俑展。中国版アイオニオン・ヘタイロイである。兵馬俑の出土品を中心に,周代あたりから秦代までの青銅器・陶器などが展示されていた。周代や春秋戦国時代の青銅器・陶器はすばらしい展示ではあったものの,台北故宮博物院で見ているので,それほど珍しさは無く。その中で興味深かったものを2点挙げると,まず陶製の水道管。古代中国のインフラ技術が垣間見えるもので,すごいはすごいのだけれど,ほぼ同時代のローマはすでにレンガ積み・漆喰と鉛製の水道管だったのよなぁと考えると,比較するとあまりすごくない。もう一つは始皇帝による度量衡統一時の,基準となった重り(両詔権)である。そういえばこれは台北では見なかった気がした。同様に統一された貨幣として半両銭も展示されていた。

展覧会の目玉はやはり兵馬俑で,出土された約8000体のうち10体ほど本物が来ていた。将来的に西安に直接行くというのは可能性が低いので,これは非常にありがたかった。ひょっとするとこれが人生で最初で最後になるかもしれない。数千体あって,一人一人顔が違う。役割分担がきちんとあって,一番多いのは一般歩兵だが,中には弓兵や騎兵・馬丁,部隊長級,将軍級の兵馬俑もいる。今回の展覧会でも歩兵ばかりでなく,多種多様な兵士たちが出展されていた。一番キャラが立っていたのは座った状態で弩弓を引く「跪射俑」で(今回の画像),いかにも戦いに備えている雰囲気がしてよい。

そういえば本展覧会は『キングダム』とコラボしているのだけれど,あまり表立って『キングダム』が宣伝されていなかった。ないしろ展覧会が終わって物販に入ってからコラボしているのに気づいたレベルである。いつぞやのレオナルド・ダ・ヴィンチ展の時の『チェーザレ』は全面的に出ていたような気がするし,『キングダム』の方が知名度があるような気がするのだが。何より『チェーザレ』とレオナルド・ダ・ヴィンチより,『キングダム』と兵馬俑の方が関連性が高かろうに。そこら辺は関係者の力の入れ具合によるということなのだろうか。


根津美術館の物語絵巻・屏風展。伊勢物語・源氏物語・曾我物語・平家物語などに焦点を当てた展覧会。伊勢物語・源氏物語あたりはいろんな展覧会で出てくるのであまり行く動機にはならなかったのだけれど,曾我物語に焦点が当たることは稀なので見に行った感じである。してみると曾我物語の屏風は1点だけであった。半ば詐欺である。当たり前ではあるが展覧会の中核はやはり源氏物語で,知名度が他の作品に比べてずば抜けており,絵巻の作品数も多いから仕方なかろう。自分自身,上に挙げた4つの中で一番物語を覚えているのはどれかと尋ねられれば,やはり源氏物語になってしまう。改めて絵巻や屏風を見ながら物語を思い出すに,光源氏の女好きっぷりに笑ってしまう。やはりこいつはクズなのだが,だからこそ「若菜」から後ろの転落っぷりも光るのだろう。

上に挙げたもの以外では,「西行物語絵巻」が出ていて,娘さんが蹴飛ばされるそこそこ有名なシーンを見ることができた幽々子様かわいそう。あとは「玉藻前物語絵巻」や「酒吞童子絵巻」もあった。お,東方か?

そして根津美術館といえば庭園である。12月中旬に行ったのでさすがに紅葉の時期は終わっていたが,落ち葉で埋まった道に程よい寒さで閑寂な雰囲気,秋でもなく冬でもなく,これはこれで趣深く,良かった。雰囲気が出ているかどうかはわからないが,一枚載せておく。

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あともう一つ行っているが,長くなったので独立させた。その記事は明日。  
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2015年12月20日

高校科目による範囲設定の必要性とか

・地理の問題がもはや地理じゃないと話題→いやいやこれめちゃくちゃ良問だぞ!!(Togetter)
→ Togetter内で触れられているが,やっぱり語族についての学習をどの程度地理で深くやってるかによって,良問か超難問か分かれると思う。語派が同じなら単語が近い確率も高い,ということに触れてるなら,まあまあ良問と言ってもいいと思う。あとで調べたら語族について学習はするようなので,練った問題とは言えるのではないか。
・言語の系統は簡単には決められない(ばらこの日記)
→ そうそう,こういう誤解を与える危険性もある。Togetterを見た時にすごくそう思ったものの自分では言語学の素養がないので書くのは危うく思われていたところ,同じ発想をした人がいてよかった。語派という括りは単語が似てるというだけでは決められない,というのは,本問へのフォローとして絶対に必要だと思う。ましてや地理的に近ければ言語的にも近いのでは? 等という誤った推測を受験生に定着させてはならない。むしろ地理的に近かろうとも,歴史的経緯から語族の全く違う言語が話されていることもある,というのがおそらく高校地理の趣旨ではなかろうか。
→ どちらかというとこの件は,範囲内か否かの予断や,誤解を与える危険性への配慮無しに,思考力を使う問題だから即良問と判断を下すのは非常に危うい話であるが,そこに無頓着に褒めそやす人がtwitterにしろはてブにしろ多数見受けられた。学問的厳密さを捨象するからこそ「高校○○」という範囲設定が必要になるのであり,それに対する無頓着さが大衆にあることが,社会科で悪問が跋扈するのを許しているのでは,とは指摘しておく。
→ ところで本問,ポーランド語の月曜日はponiedziałekで,後ろから3つめはlではなくてłである。問題文を見ると,ただのlになっている。ポーランド語の発音から言って全く別のアルファベットレベルにこの2つは違うので,出題ミスかも。 スウェーデン語の日曜日のoにウムラウトがついてるから,特殊文字は全部外しました! という言い訳はきかないし。


・東大本郷キャンパスの居心地が悪い理由(増田)
→ 「本郷キャンパス内部の状況」については異論が大きい。くつろぐ場所がないかどうかは,学部によるんじゃないですかね。研究室がしっかりあるところなら研究室でくつろげばいい話で。そうでなくとも,赤門総合棟の1階とか法文2号館のホールとか工学部のサブウェイがあるところとか,何より図書館。そうくつろぐ場所がないわけでもない。「キャンパス敷地内の建ぺい率が高すぎる」のは割りと同意するが,三四郎池君の立場がない。
→ 一方,「本郷キャンパス周辺の状況」については納得しないこともない。ワンルームマンション規制の条例は正直あんまり関係ないと思うが(あれは限定的な規制なので),現実問題として本郷周辺は最近バリバリ工事していて,高層化・高級化されたマンションが建っている。また,
>この10年の間に本郷通りで増えたものといえば、高層マンション、ラーメン屋、カレー屋、中華料理屋、小型スーパーである。
→ は事実であると,近隣住民として証言しておく(というかこの増田も近隣住民だろう)。ただ,じゃあ10年前はマシだったかというと,10年前は10年前で逆に飯を食うところがなさすぎて全然学生街じゃなかったとも証言しておく。その意味で,今の方がマシという感じはある。
→ あと増田に出ていないところだと,修学旅行生がホテルを選択するようになったことと震災被害のコンボにより歴史ある旅館がバカスカ潰れていて,これも街の景観という意味では大打撃を受けている。
→ ブコメで「台東区側は?」という意見が出ていて,一理あるのだが,より“大学生街”ではないような。普通の住宅街なので。


・1648年に発行された世界最古の「無期債券」の利子をイェール大学が2015年に受け取る(GIGAZINE)
→ 極めて気の長い話。欧米だと時々こういう時を超えた債権が出てきて,今でも普通に通用することが多いからすごい。いわゆる「謎定期」感ある。
→ 日本だと聞かないのは何度かリセットされているからか。特に江戸→明治と太平洋戦争敗戦によるリセットは大きい。


・『へうげもの』18巻を読み解く(茶道表千家 幻の短期講習会−マボタン)
→ 『へうげもの』18巻の詳しい解説。茶器の説明がすばらしい。さすがに私もここまではわかって読めてないなぁ。同ブログには16〜20巻の解説があるので,合わせてどうぞ。  
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2015年12月17日

ドラクエもFFも基本三段階なのよなぁ

今年の更新は今回の雑記,「11・12月に行った展覧会」・「最近読んだもの買ったもの」×2・「今年の自薦記事10」・サークルチェックリスト」×2,雑記がもう1回くらいの計約8記事で終了の予定です。1月の更新は1/1が今年の目標,1/2-3が休み,1/4・5はアイマス関連,1/6から通常更新に戻る予定。


・夏目漱石が「I Love You」を「月が綺麗ですね」と訳したという伝説について(Togetter)
・夏目漱石の「月が綺麗ですね」にまつわる考察と中勘助 『銀の匙』(蟹亭奇譚)
→ これはおもしろい考察だった。いかにも漱石っぽいエピソードであるから,広まってしまったのだろう。1970年代までには誕生していた嘘というところまでは辿れるが,その先は相当に難しそう。まともな文学研究のネタになるのでは。


・【研究ノート】「ファイナルファンタジー」シリーズにおける魔法名の形態論的記述に向けて
→ これもおもしろかった。過去記事のドラクエも合わせて読んだ。作品の時系列が明確なので時系列的な変化という考察ができるドラクエ,世界観がほぼバラバラなFF,呪文の規則性があまりないドラクエ,規則性があるからこそ悩ましいものが出てくるFFと,改めて対照的だなぁと。
→ こういう呪文は語呂の良さで製作者が決めていると思われるのだが,だからこそ言語学的なアプローチをかけることで「語呂の良さ」に対して見えてくるものがあるのかも。自分,言語学は門外漢なので素人意見だけど。


・面白いアニメなのにBDが売れないのはなぜか?(Togetter)
→ とても納得する話。特にここ。
>「面白いアニメなのにBDが売れない…。」と言うのは、当然の話で、「繰り返し見たい。むしろ見なくても所有したい!」という感情と、「ストーリーの続きがみたい!」という作品は基本的に相容れない。奇跡的に両方を満たす作品もあるけど、どちらかに特化させれば真逆の性質になる。
→ ただまあ,BD・DVDはCDと同じで,もはやお布施という意味合いが強くなっているような気はする。少なくとも自分が買うときはその意図が強い。
→ ただ,定額配信サイトに移行するかはどうだろう。構造の変化に耐えられずに,アニメ自体から客が離れそうな気も。BDの値段を下げて薄利多売に移行して成功するかどうか,が延命するかどうかの分かれ道だと思う。または,今の状況がずるずると続くか。
→ そういえば,「またループ物かよ」はエロゲ(ノベルゲー)でもよく言われる話だが,言われ方がちょっと違う。エロゲの場合,ストーリー性の高い作品は当たれば歴史的ヒット作になる可能性があるが,製作者としても博打であり,またストーリーが良くても売れないことがある。すると定型ながらストーリーが評価されやすいものが多く作られるようになり,結果的に「またループ物かよ」と言われるようになる,という感じ(なので,同じように「またクトゥルフか」がある)。ただまあ,組み合わさって,ループもののエロゲーがアニメ化されやすい,というのもまたあるかも。


・安倍首相「難民受け入れは?」と問われ「女性の活躍、高齢者の活躍が先」(huffingtonpost)
→ この答弁はひどい。勘違いされると困るので重ねて書くが,難民受け入れの否定自体は論評の対象ではない(というか私もできない)。ひどいのは答弁である。これでは難民の受け入れの目的が,自国の人口問題にあると取られても仕方なかろう。一応,アベノミクスに関する質問と同時になされたものであり,アベノミクスに人口対策が含まれているという文脈を踏まえて考えたとしても,そもそも難民を自国の人口問題の解決方法として捉えている時点で,認識がひどいのである。受け入れを否定するなら「態勢が整っていない」なりなんなり,他に理由の提示しようがあっただろう。以下の記事で擁護がなされているが,
・安倍首相の発言、曲げて伝えられた?“シリア難民受け入れより国内問題”と海外報道(ニュースフィア)
→ 「国内の社会問題を解決することで人口増加を達成するから,人口問題の解決方法として難民を受け入れるということはしない。」という答弁なのだから,「難民よりも国内問題を優先する態度を示した」と批判するのは誤り,という擁護なのだけれども,少なくとも私の批判点は全く違う。難民の受け入れを拒否したこと自体や「難民よりも国内問題を優先する態度を示した」から批判しているのではなくて,難民を人口問題解決の方策としてしか捉えられていないから批判しているのである。  
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2015年12月15日

「皇帝教皇主義」という用語について

皇帝教皇主義とは,西欧側から見えたビザンツ帝国の宗教政策(理念)のことである。西欧では皇帝(帝権)と教皇(教権)が並立し,名目上はそれぞれが世俗・教会を統括する分離した存在であると見なされていたが,実際には800年のカール戴冠や962年のオットー戴冠がローマ教皇主導で行われたこと,コンスタンティヌスの寄進状,聖職叙任権闘争の影響などから,教皇の承認がなければ皇帝が成り立たず,教皇が世俗の統治にしばしば介入する構造に移っていく。これに対し,ビザンツ帝国では皇帝がコンスタンティノープル総主教を完全に支配し,世俗・教会の両権において最高権力者であった,というように当時の西欧人からは見えた。その専制性の高さを,半ば侮蔑を込めて「皇帝教皇主義」と呼んだのがこの用語の意味合いである。

さて,近年この用語は批判が多い。理由としては主に以下の3つが挙げられる。
・コンスタンティノープル総主教は「教皇(Papa)」ではないから,内容は捨て置くとしても名称が誤解を生む。
・西欧からの一方的な見方であって,世界史的な見地に立った用語ではない。
・皇帝が教権において,総主教を完全に優越していたわけではないから,概念として不正確であるので,使うべきではない。

最大の論点は3つめであろうから,やや詳細に説明をつける。まず,帝権について。ユスティニアヌス帝の命で編纂された『ローマ法大全』により,皇帝は世俗の統治権について,神にのみ直接責任を持つと規定された。コンスタンティノープル総主教は皇帝戴冠の儀式を行うものの,世俗の統治権には権限がない。あくまで国家儀礼として皇帝に冠を授ける立場であって,任免権は認められていないのである。ローマ教皇のように戴冠式を拒否して皇帝を即位させないというような行動はとれなかった。ただし,幼帝が即位した際に総主教が摂政を務めたり,民衆の生活への影響力を通して反抗するといったことはあったようだ。

このように皇帝は神にのみ責任を負うため,実質的な歯止めが不在の専制を行うことができた。では神から皇帝失格と見なされた場合,それがいかにして現実世界で発現するかという点で,ビザンツ帝国は意外にも儒教に近い考え方をした。すなわち,暗殺・放伐されたら「天命」を失ったと見なすのである。このユーラシアの西側ではいささか奇妙に見える皇帝観が,ビザンツ帝国の内乱癖を生んだ一方で,暗愚な皇帝を排除する実力社会となった。特にマケドニア朝までの皇帝は,キリスト教徒であれば,出身身分や民族を一切問われなかった。臣下・市民たちもあまりにあっさり新皇帝に乗り換えるので,中世の西欧人からは利己主義的・狡猾に映り,ビザンツ帝国のイメージの悪化に一役買ったようだ。ただし,11世紀後半のコムネノス朝以後のビザンツ帝国は身分の固定化が進み,政治も貴族連合体に変化していったため,こうした専制は実態として緩んでいく。

一方,皇帝と教権の関係についてはどうかというと,ギリシア正教会における皇帝の地位はナンバー2であり,総主教に次ぐ地位であった。英国国教会の英国王のような,名目上のナンバー1ですらないのである。そして,皇帝は教会内の人事や教義論争について絶対的な決定権を有していたわけでもない。その辺りはやはりコンスタンティノープル総主教が優越していたようだ。さらに言えば,聖職者としては認められておらず,単独で奉神礼(カトリック用語ではミサに代表される「典礼」)を行うことさえ許されていなかった。よって,少なくとも皇帝が名実ともに教権の首位であったというのは誤りになる。ただし,これを越境しようとした皇帝はいて,その代表例がよりによってレオン3世の聖像禁止令だから(ギリシア正教会内部で教義上の論争があったにもかかわらず政治的見地から介入した事例),高校世界史的には厄介であったりする。その他,自分の都合の良いように総主教を罷免した皇帝は何人かいる。

つまり,帝権と教権は完全に分離しているわけではないが融合しているわけでもなく,皇帝と総主教はどちらかというと皇帝が優越しているものの単純に上というわけでもない,とても複雑な構造,というのがビザンツ帝国における国家と宗教の関係である。山川の『世界史小辞典』には「国家と教会は併存する統一体」と当時は考えられていたから,皇帝教皇主義は誤り,とある。というか,今回いろいろと読んだが,何を読んでも端的に言って「容易に理解できるような単純な構造になっていない」というニュアンスをひしひしと感じる説明になっていて,ビザンツ帝国の政教関係の奥は深い。

さて,このような誤解の生じた要因は,帝権において専制であったこと自体ではないだろうか。神聖ローマ皇帝は,領邦に分裂していく帝国をまともに統治することさえ出来ていなかったのであり,加えて教皇にしばしば口を挟まれた。これに比較して,制度的に専制が確立されており,統治において総主教に口を挟ませなかったビザンツ皇帝は,西欧からの視点であれば,確かに教権さえ支配しているように見えなくもない。また,皇帝が「神の代理人」を名乗っていたことも,ローマ教皇とだぶったのではないか。とはいえ,現代の視点から見れば皇帝教皇主義は確かに概念として不正確であり,使用を避けるべきであろう。

では,これについて現行の世界史教科書はどうなっているかを例によって調査した。以下,全て2015年版。
【皇帝教皇主義】
・山川『詳説世界史B』:用語は無いが,「皇帝は地上におけるキリストの代理人としてギリシア正教を支配」と記述。
・東京書籍『世界史B』:完全に古い学説のまま,「皇帝教皇主義」は太字。
・実教『世界史B』:これに関連する記載が一切無い。
・帝国書院『新詳世界史B』:山川の『詳説』と同じ。用語はないが,本文にて「皇帝は神の代理人としてコンスタンティノープル教会(ギリシア正教会)の総主教を管轄下においた」という記述。
・山川『新世界史』:はしょってはいるが,最も正確な説明。この部分を書いたのは千葉敏之氏か。
・山川『高校世界史B』:同社の『詳説』とほぼ同じ。用語こそないものの,「皇帝は政治と宗教の両面における最高権力者」と記述。
・東京書籍『新選世界史B』:これに関連する記載が一切無い。
なお,山川の用語集上は2013年まで存在,2014年新課程から消滅。つまり,ごく最近まで残っていた。
→ マジャール人のアジア系に比べると,古い学説のまま残っている教科書が多い。特に東京書籍は猛省が必要であり,また,こうした学説の変化に最も敏感である帝国書院が山川と同じ保守的な記述という点も気にかかった。一方,『新世界史』の記述は他と隔絶して優れており,「新」の名に恥じない。

以下は私見であるが,そういう複雑な概念であるなら無理に説明する必要はなく,淡々と用語と説明を削除すればよいと思う。その意味で実教出版の態度が高校教科書的な正解ではないか,と結論づけておく。

ちなみに,ついでに調べてみたところ,論述問題としての出題は2004年の京大で使えるかどうかを最後にほぼ全く使われていないと言ってよく,自分の実感としても2005年頃から私大の入試でも見たことが全くない。特に2009年以降であれば,見つけていたら拙著に収録していたであろうから,ほぼほぼ消滅しかけていると言っていいだろう。意外にも「高校世界史」よりも「受験世界史」で先に消滅したらしい。もっとも,入試問題に出ていないのは根本的にビザンツ帝国史の研究者が少なくて,誰も入試問題を作れないから,という事情かもしれないのが悲しいところではあるが。
  
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2015年12月12日

非ニコマス定期消化 2015.9月上旬〜9月中旬



第15回MMD杯から。このリットリオさんとローマさんのモデルはすごくかわいい。



これもモデルの出来がすごい。



いいから寝てくれ頼むかわいい。夜戦が好きなのに夜に弱いとはこれいかに。



目薬が魔法攻撃扱いというのが何度見ても意外であった。完結。



このスタート何回目だよおやつちゃん!w FF9は全くやったことがないからついていけるかなぁ。



5年ぶりで55秒更新。



完結済。個人的にはアクションの難易度高すぎて挫折したゲーム。RTA走者だとこういう挙動になるんだなぁと新鮮だった。雰囲気良いゲームよねぇ。



FF10TASのブリッツボール編の開始。これはけっこう楽しみ。



エイリアンMODやったことないからそういう意味でも楽しみにしていた動画。エイリアンの数の暴力がすごい。第一部は完結,現在第二部が始動。  
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2015年12月11日

分割統治の罠にひっかからないように

・「まるで異世界召喚」「内政チートや」…名著「ルワンダ中央銀行総裁日記」は「ライトノベル的に面白い」という切り口に反響(Togetter)
→ 『ルワンダ中央銀行総裁日記』は読まなきゃいかんなーと思った。
・しゃいん氏が語るルワンダ中央銀行総裁日記著者、服部正也氏のアレな面(Togetter)
→ 一方でこういう話も。最初に挙げた方にも,服部氏のやり方として民族差別を活用した面もあるようなので,その辺りは念頭に置いて読むべきかも。
→ それはそれとして,opqr◆XLjdU8ssbY氏の「やる夫ボツワナ」も,ヨーゼフPの「プレシデンテ春香のトロピコ建国日記」もそれぞれ名作なので,未読の人は是非。
・やる夫はアフリカで奇跡を起こすようです(やる夫Wiki)



・辺野古に暮らす私たちの願い(ポリタス)
→ 基地の県外移設を希望する沖縄県民の主張も真実なら,こちらも一端の真実ではあろう。日本政府が沖縄の意見を無視するのと,沖縄県が辺野古住民を無視するのは全く同じ構図になってしまう点は注意が必要で,金銭的な問題であると同時にそれだけの問題でもないのも同じである。住民自治というものの範囲を考えさせられる。
→ 私見として。沖縄県が,県として県外移設を唱えること自体には異論が無いが,では辺野古の経済をどう回していくのか,那覇偏重の打破は,というのを“基地問題とは別に”考えるのもまた政治だろう。それができないなら,経済と基地問題をセットにした反論をされても仕方が無いし,残念ながら現在の状況は後者に近いように思う。一方,一応言及しておくが,反対派市民が大枠の政治まで考えて行動する“必要”はなかろう。必要や義務がないだけで,と言外に意図を含めるにとどめておきたい。
→ また,記事の冒頭にあるように,沖縄県民は同時に日本国民でもあり,国防的な自らの地政学的な重要性を理解している人も多い。にもかかわらず基地の県外移設を訴える人が少なくないのは,というのが本当に重要な論点であるはずで,そんなことはこのブログの読者の皆様なら書くまでもなくご存じであるとは思う。しかしながら,ネット全体(あるいは日本社会の一部)を見渡すに,基地移設の賛成派にも反対派にも沖縄を切断処理する向きが見受けられ,互いの後ろ玉になっている光景はあまりにもよく見られるので,苦言を呈しておきたい。彼らはあくまで,沖縄県民であると同時に(在留外国人でない限りは)日本国民でもあり,その片方ということはありえない。


・車の排ガス試験で「抜け穴」要求、独仏英がロビー活動か 文書流出(AFPBB)
→ 排ガス規制逃れが国家ぐるみ(というかEUぐるみ)だったことがわかって,どれだけ延焼するのかと思いきや,意外と続報が入ってこない案件。問題が大きすぎて話が進んでいないのか,いろいろ裏の動きがあって鎮火されたか,それとも。


・とても石とは思えない質感とエロさがスゴ過ぎる→大理石の彫刻に圧倒される人々【画像まとめ】(Togetter)
→ バロックから新古典期の彫刻って十分西洋美術史の一線級だと思うのだけれど,高校世界史では驚くほど扱いが小さい。ベルニーニでさえ出てこないのだから。エロすぎて紹介したくないのかしら。イタリアが中心地だったから,なぜかある高校世界史のイタリア美術軽視にもつながる話だ。  
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2015年12月10日

最近読んだもの・買ったもの

・『がっこうぐらし』6巻。学校を脱出した一行,ワンワンワン放送局の発見,車の乗り換え,るーちゃんを拾う,大学到着まで。
→ 良くも悪くも進行する胡桃の非人間化,そして悪化するりーさんの幻覚。胡桃に関しては,ゾンビ化が医療実験の失敗という説を取るなら,実験は不老不死を目指したものだったのかもしれない。胡桃の状態を知っているのがみーくんだけというのがまた。りーさんは幻覚見てるから頼りにならないし,ユキは逆に幻覚から晴れたとはいえまだ頼りにならないし,結局胡桃を支えられるのが彼女しかいないという……。武闘派レベルから言えば,大差があるとはいえ二番目だしなぁ。
→ りーさんの幻覚症状については,あまりにも以前のユキと同じ症状なのが若干気になる。これもゾンビ化現象にかかわっているのか,または単なる現実逃避か。ところで,りーさんは「以前にいた」という妹の幻覚を見ているわけだけれども,妹自体も非実在の可能性がある。妹自体が非実在だとすると,ユキの妄想は二重説がますます濃く。
→ それにしても,るーちゃんがあからさまにぬいぐるみで隠す気があまりなさげ。「あまりない」というのが絶妙なところで,「どうせほとんどの読者がすぐに感づくんだから,がんばって隠しても無駄」だが,「あけっぴろげなのも作品の描写としてそぐわない」という判断からこうなったのだろうが,良い判断だったと思う。
→ 巻末の電波受信記録は怪しい情報が多すぎて。特にワンワンワン放送局と,文字通り電波なおじさんによる放送の周波数が同じというのは。あの施設は作品中でもう一回くらい登場しそう。


・『ガールズ&パンツァー リトルアーミー供截唄。『リトルアーミー』で幼少期にみほと戦車道をやり,ドイツに留学していったエミが,高校2年生となって日本に留学という形で帰国。日本での戦車道を再開する。
→ なんというか,普通にエミのドイツ編を見たかった気が。もっと言うと,エミの再登場はガルパン世界編的なものかと思っていた。高校生の時点で日本に帰国してるのかい……それだと本編(時系列的には劇場版)に出てこなかったのが不自然になってしまうのだが,そこをどうやって理屈づけるのかが気になるところ。


・『ガールズ&パンツァー 激闘マジノ戦です』2巻(完結)。
→ 大洗の面々が練度不足で,ちょっと懐かしい感じが。設定としてはサンダース戦前だもんなぁ。みほもちょっと作戦出し慣れていない感じがした。考えてみると聖グロリアーナ戦はほとんどあんこうチームだけで善戦していたところがあるので,これが実質的な初の全体指揮と考えると,こうなるかも。一年生チームの怯え具合も,聖グロリアーナ戦とサンダース戦のちょうど間くらいに見えた。が,マジノ女学院の練度もまあ大して高くない(戦車のレベルも同じくらい)のでいい勝負になった。
→ マジノ女学院の戦術はいつもの陣地戦から意表をつく機動戦へ移行,しかしどっちも上手く行かず,地形を活かした攪乱戦法を取るも,その点でも結局大洗の方が上手だったという。というよりも,みほの奇策戦術はここからスタートしたと言えるかも。不自然にならないよう,後付で上手く練習試合をはめ込んだと思う。
→ なお,全国大会のトーナメントでのマジノ女学院は1回戦でアンツィオに負けているのだが,こっちも戦車のレベルも練度も似たようなものなので見応えがありそうな。追加のスピンオフでこれやりませんかね。そうそう,本作のせいで不自然になった点は,強いて言えばここで,このマジノ女学院が,P40のいないアンツィオに負けるとはあまり思えない。その意味でも,この対戦は見たいよなぁ。


『火ノ丸相撲』7巻。千葉県予選決勝,先鋒・二陣・中堅・副将戦まで。
→ 先鋒,八艘飛びは成功したが読まれていた。ここで三ツ橋くんが勝つという展開もおもしろかったが,そうすると2−2で大将戦に回すには残りの3人のうち2人が負けなくてはいけないわけで,國崎が負けるのは不自然だから,部長が勝つ展開にするなら三ツ橋は負けるだろうなという,メタな予想は当たった。
→ 二陣は,異種格闘技対決からの相撲対決での決着という美しい展開,しかも出てきたのが鬼丸の必殺技「鬼車」という。大太刀高校実質二番手の國崎だからこその技であろう。
→ 中堅,この漫画,佑真に厳しくないですか?w 相手を考えると結果は順当だし,佑真にも見せ場はあったけども。彼は全国大会では勝てるのだろうか。なお,波離間投げは実際の大相撲でもある大技。近年だと把瑠都が得意技だったが,把瑠都や本作の金盛のような巨体ではないと打つのは難しい。
→ 副将,正統派相撲取り同士のぶつかり合いにして,部長覚醒の巻。実際,相撲は攻めている方が有利ながら,攻め続けるとスタミナが切れた瞬間につかまって寄り切られて死ぬ。その辺がリアルな展開。そして次の巻はとうとう大将戦。  
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2015年12月06日

高校世界史上のフン人やマジャール人の扱いについて

・「ハンガリーHungary」と「フン族」の関係(Togetter)
・謎の用語「アジア系」「アフリカ系」(nix in desertis)

この辺の話。気になったので,フン人・アヴァール人・マジャール人・ブルガール人について,現行の教科書(全7冊)がどう表記しているのか,調べてみた。教科書の年度は全て最新版のB課程。上から5冊がいわゆる“受験用”,下の2冊が非受験用の教科書である(山川の『新世界史』は分類が難しいが)。なお,参考書のうち『用語集』および『詳説世界史研究』も調べたが,全て『詳説世界史B』と全て同じ表記であったので省略する。

【フン人】
特徴:4〜5世紀頃にヨーロッパに襲来。民族(言語)系統についてはよくわかっておらず,トルコ(テュルク)系あるいはモンゴル系とされている。北匈奴が移動したもの説があるが,確定していない。というよりも匈奴自体がトルコ系説とモンゴル系説がある。一時大帝国を建設したが,アッティラ大王が死ぬと瓦解・離散した。残党はゲルマン人やアヴァール人に同化して消滅したと考えられている。上掲のTogetterにある通り,「ハンガリー」の国名や,現在のハンガリーの主要民族であるマジャール人とは一切連続性がない。

こうした経緯から,教科書的な民族系統の表記はどうしても曖昧なものにならざるをえない。結果として,各教科書の表記もこうなる。
・山川『詳説世界史B』:アジア系
・東京書籍『世界史B』:モンゴル系
・実教『世界史B』:アジア系
・帝国書院『新詳世界史B』:アジア系
・山川『新世界史B』:系統の記載無し
・山川『高校世界史B』:アジア系
・東京書籍『新選世界史B』:アジア系
→ 「アジア系」が多数派。東京書籍『世界史B』は「モンゴル系」と断定しているが,大丈夫なのか。なお,山川用語集はアジア系ではなく「モンゴル,トルコ系を起源とする人々」で,詳しいようで不明瞭な記述。


【アヴァール人】
特徴:フン人の後にやってきた集団で,6〜8世紀のパンノニア平原を支配した。これまた突厥に敗れた柔然の西進説があるが,フン人=匈奴説以上に眉唾である。8世紀末にフランク王国のカール大帝に討伐されて衰退し,後からやってきたマジャール人に同化されて消滅した。民族(言語)系統はモンゴル系説が強いが,トルコ系説もある。

・山川『詳説世界史B』:アルタイ語系
・東京書籍『世界史B』:モンゴル系
・実教『世界史B』:モンゴル系
・帝国書院『新詳世界史B』:系統の記載無し
・山川『新世界史B』:系統の記載無し
・山川『高校世界史B』:存在自体が記載無し
・東京書籍『新選世界史B』:存在自体が記載無し
→ 非受験用の2冊は存在自体が記載されていない。受験用のものでも系統までは載せていないものが2冊ある。実際,他の3つに比べると世界史的重要度は低かろう。


【マジャール人】
特徴:現在のハンガリーの主要民族で,9〜10世紀にパンノニアに移動・定住した。フン人・アヴァール人と異なって,ウラル山脈を原住地としており(ヴォルガ川中下流域と推定される),厳密に言って「アジア系」ではないのだが,高校世界史の教育現場ではついつい「アジア系」と言ってしまいがちである。民族(言語)系統はウラル語系(より細かい分類ではフィン・ウゴル語系のウゴル語派)。今回の調査の最大の焦点だが,結果は以下の通り。

・山川『詳説世界史B』:ウラル語系
・東京書籍『世界史B』:非スラヴ系
・実教出版『世界史B』:アジア系
・帝国書院『新詳世界史B』:ウラル系
・山川『新世界史B』:系統の記載無し
・山川『高校世界史B』:アジア系
・東京書籍『新選世界史B』:アジア系

→ 受験に使う物では,実教出版が事実に反したことを書いていることが発覚。ついでに山川『詳説世界史B』は手元に古い教科書もあるのでさかのぼって調べてみたが,意外なことに,山川はかなり古くから「ウラル語系」である。山川『詳説世界史B』はアヴァール人をアルタイ語系としているので,それにあわせてマジャール人はウラル語系としているのかも。一方,受験に使わない2冊はともに「アジア系」。


【ブルガール人】
特徴:現在のブルガリア人の祖先。トルコ系遊牧民で,故地はマジャール人と同じくウラル山麓,ヴォルガ川の中上流域とみられている。つまり,彼らもアジア系ではない。7世紀頃に現在のブルガリアへ移住後,9世紀頃からスラヴ人に同化し,言語もスラヴ系に変わった。

・山川『詳説世界史B』:トルコ系
・東京書籍『世界史B』:非スラヴ系
・実教出版『世界史B』:トルコ系
・帝国書院『新詳世界史B』:トルコ系
・山川『新世界史B』:存在自体が記載無し
・山川『高校世界史B』:アジア系
・東京書籍『新選世界史B』:アジア系

→ 東京書籍はマジャール人とあわせて非スラヴ系としているのがやや特徴的。こちらは,受験用としてアジア系と書いている教科書がなかった。しかし,『新世界史』はブルガール人はおろかブルガリア帝国の記載自体が一切無いのだが,世界史Bの教科書として許されるのだろうか……? 一方,こちらも非受験用の2冊がいずれも「アジア系」。また,現行の山川用語集はトルコ系だが,一つ前の課程(2013年)までの用語集は「アジア系」の表記であった。最近になって直したようである。


【私的な感想】
受験用の教科書は思っていた以上に気をつけてアジア系を排していた,というのが正直な感想である。一方,非受験用の教科書が大雑把にも「アジア系」と記載しており,出版部数も多いことから戦犯はこいつらという疑惑が。

なお,受験に使用しないという点では世界史Aの教科書が気になる人もいようと思うが,世界史Aの教科書はどの教科書にも4民族とも,存在自体の記載ほぼ全く無いので民族系統の調査をする必要がない。というよりも,滅んでしまったフン人やアヴァール人,同化されたブルガール人はよいとしても,マジャール人の存在が記載されていないものを世界史として認めてよいものかどうか。

以上を踏まえて,受験用の教科書に従うならマジャール人とブルガール人をアジア系と呼ぶ根拠がないことから,やはり「受験世界史」の現場では極力アジア系と呼称するべきではない。一方,「高校世界史」は現場が議論する前にまず教科書が訂正されるべきでは,と結論づけておく。
  
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2015年12月03日

咲関連の気になったもの(15年7月中旬〜15年9月下旬頃)

・【考察】メガン・ダヴァンのデュエルを破る13の方法(麻雀雑記あれこれ)
→ 意外と多いデュエル対策。ただ,結局他の何かしらの能力が要求されることが多くて,能力同士のぶつかり合い感ある。 Ν・い惑塾鷲塒廚世韻鰭坡亮造如い世らこそ『咲-Saki-』本編で採用されたのだろう。特に い屬弔ることはまずないが怜はダヴァンの天敵だろうなとw。あと麻雀漫画としておもしろいのは△如よ舛気鵑箸呂垢瓦いい勝負になりそう。アーチェリーとガンの戦いでもあり。次鋒と副将なのが惜しい。・は咲さんなら本当にやりそうで怖いw。


・小林立先生のサイト更新から思う、「咲-Saki-の世界」について(近代麻雀漫画生活)
→ この話から連想するのは,やっぱりヤマグチノボルの話であって。


→ 東方もZUNさんが「博麗神主」だしなぁ。クリエイターにはそういう人もいるものなのだろう。自分の想像と自己もまた切り離されている。「長期連載をしていると,キャラが勝手に動き出す」とはよく言われているが,それの延長線上なのかもしれない。


・立先生の使う「大好き」って、ホントに怖い言葉よね。(さくやこのはな)
→ ぽやぽやしてて基本よく似た二人の和とユキが,抱えているものが正反対という対比はおもしろい。片や「そんなオカルトありえません」で,片やオカルト大好きという。あるいは,「発展しすぎた科学は」を地で行く和と,オカルト一直線のユキ。
→ 衣ちゃんのカエルは言われてみるとそれしかない。またしても彼女のラスボス臭が強化されていく。奇しくもこの間出た東方の新作でも嫦娥は黒幕扱いであった。
→ まふふの生存確認は,14巻読んでてその1文だけで泣きそうになった。そのうち本編に出てくるのかなぁ。


何故鷺森灼は英語と生物が好きなのか(Danas je lep dan.)
→ 冒頭にある通り,このネタはMukkeさんからリアルで聞いたんだけど,クッソ笑った。
→ はてブでtoppoiさんが指摘しているが,こうなるとあこちゃーの動物好きも意味深にしか見えない……本編14巻のキャラクタープロフィールでも「動物大好き。でもペットは飼っていません」になっていて,上掲の記事で指摘された通りの「大好き」であり,そりゃ新たにペットを飼う必要はないもんな(以下自粛)。


・シノハユ25話 お、いい煎茶(あっちが変)
→ 『シノハユ』25話ネタバレ注意。言われてみると,出雲は松平不昧が藩主だった。この間行ったけど,松江だと松平不昧が完全に地元の英雄で,松江城の周囲を歩くといろいろなところで松平不昧のエピソードを紹介されることになる。『シノハユ』のキャラたちにとっても身近な存在なのかも。  
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2015年12月02日

安保法案は本体以外の話の方が興味深かったかな

・同性婚を認めない事務官が、一時収監された経緯(冷泉彰彦 | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版)
→ 逮捕された事務官が民主党員だったのはちょっと驚き。民主党員であっても,政治的リベラル以外を理由に民主党を強く支持する人なんてどれだけでもいる,というのは当たり前のことだが,先入観で共和党員だと思っていた。
→ 本件での個人的な感想は,結婚が人間の自然法的権利だとするなら,キリスト教的な聖なる紐帯としての結婚と,社会制度的な結婚は別物と考えて処理できない辺り,逆説的に「天賦人権論」は本家本元でも「天賦」でしかないんやなぁと。あれっていきなり自然法を導入しても混乱するので,儒教的な「天」の概念を媒介して説明しようとした明治の思想家の発明だったはずだが,実は啓蒙思想自体も理神論によるか唯物論によるかで揺れるところはある。理神論による場合も,フランス革命時のジャコバン左派的な理性崇拝になるか,フリーメイソン的な方向性になるかで分岐するので,意外と面倒だ。「天賦人権論」のネーミングは,意外と理神論的な解釈として的確だったのかも。話を戻すに,キリスト教の強い地域だと,現在でも啓蒙思想はキリスト教としっかり紐付いていて,天賦人権論は「天」がはっきり認識されているのだというのは,割りと驚きだった。


・「触るな! セクハラだ!」の警告に鴻池委員長、入室できない状態つづく 元近鉄の石井議員も“冤罪”被害か(産経新聞)
・クローズアップ2015:安保法案可決 良識の府、議場騒然 与党「やむを得ない」(毎日新聞)
→ どうあっても,その方法だけはとってはいけなかったものを取ってしまった感じ。こんなんだから民主党と社民党はリベラル層から「あれらは歴としたリベラル政党ではない」とか言われてしまう。その作戦が,本当にセクハラに苦しんでいる人たちや,冤罪に苦しんだ人にとって侮辱的であるとは考えなかったのか。
→ ちなみに,産経ソースだけだと不安で他のソースを待ち,二番目に出てきたのが読売ソース,この時点でおおよそ事実だろうと思ったが保守派寄りではあり,最後に毎日新聞ソースが出てきて確定した。しかも毎日新聞では民主党幹部への取材付であり,言い逃れはできまい。自分は個人がどの情報に言及・論評するかは完全に自由で,言及の有無自体から政治的態度を読み取るのは悪手だと考えているが,それにしても自分の知るリベラル界隈から“読売・毎日新聞ソースを基盤とした”言及をほとんど見ない。正直に言って,若干失望している。例外的に,さすがの指摘をしているのがこの方。
・鴻池祥肇氏とセクハラにまつわるメモランダム(法華狼の日記)
→ 「セクハラを問題視しようとしない日本の政治風土自体が問題」ということで,これは賛同する。ついでに言えば,毎日新聞でさえセクハラ戦術に対して批判的論調でないあたり,皆感覚がマヒしてるのでは。


・安保法案に賛成はできない理由(ダオ・チーランのブログ・パシフィック)
→ 前段についてはちょいちょい異論はあるが(コメ欄で突っ込まれている通りの部分等),「ところでアメリカは多元的な国家である。」以降は全面的に同意。日本が「普通の国」(皮肉)になるにはインテリジェンス能力が足りないのでは,という。まあ安保法案を通した側はアメリカに寄り添っていく未来しか見えてない人が多いでしょうしなぁ。


・安保反対派はデモよりも「政権交代こそ常道」を痛感せよ(下)(上久保誠人のクリティカル・アナリティクス|ダイヤモンド・オンライン)
→ 国会の論戦評,SEALDs評,次の選挙予測ともに,一部異論はあれど説得力がある。
→ 共産党以外の野党はアベノミクスを批判するにせよ,その評価点と欠点を論評して,経済政策に本腰を入れないと死ぬのでは。「一方、反対派は「60年安保とは違う」というが、アベノミクスに対する国民の「消極的支持」を甘く見すぎていないだろうか。」は多分本当にそうなので。
→ この間も書いたが,そこいらにいるオッサンオバサン有権者」にして現在の自民党の分厚い支持層は,旧来の市民運動に対してアレルギーを持っていると思われるので,SEALDsの終着点は本当に難しいと思う。皮肉でもなんでもなく,軟着陸してほしい。というよりも,SEALDsの参加者にも生活に余裕のない学生を含むということ自体が世間的に理解されていないのでは。  
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2015年12月01日

MMD杯はどこへ行くんでしょうね

・神槍「ブリューナク」は日本人が考えた名前!?(Togetter)
・ブリューナクまとめのまとめ(Togetter)(上のTogetterの要約版)
→ これは普通に驚いた。歴とした伝説上の武器の名前だと思い込んでいたので。個人的にはサガフロンティアの最強の銃の名前に採用されている印象が強い。


・カツ丼のよろこびをミュシャ風に(デイリーポータルZ)
→ どことなくミュシャっぽさが出ていて,特徴は掴んでいると思うw。あとは背景の植物に気合を入れて書けば,さらにミュシャっぽかったかも。


・第15回MMD杯の総括及びランキング操作等の裏舞台について
→ いわゆる工作員,それも愉快犯からの犯行の実態の暴露はけっこう貴重。
→ 艦これが企業の後押しと公的な工作でのし上がったという陰謀論・風評被害を否定する発言が出ているのはおもしろいところで,私(というか大多数の良識ある人)からすればそりゃそうだろう,という話なのだが,例のアレを肯定する人はけっこう陰謀論を信じていたのではないかなと。
→ その意味で,以下の指摘も重要。艦これをMMD杯衰退の原因にして話を終わりにするのは愚の骨頂。だからこそ例のアレを許してはいけなかったのだが。
>「実のところMMD杯自体は10回11回くらいで既に規模や人気は頭打ちで、12回13回の艦これブーム特需で見かけ上勢いは持続したが実はミクや東方アイマスを中心としていた界隈の勢いは萎みつつあり、第14回の一般男性の介入で風評が完全に壊れ、失望した参加者視聴者が去って15回の低調に至った、という考察は妥当な線でしょう。」
>「MMD杯のようなマイリストで全て順位が決まってしまう大舞台というものは、核兵器の力の矛先を求める工作員の格好の標的になるのです。よく言われるように、「動画信者の支援」だとか「うp主の自演」だったり「企業の宣伝プッシュ」という認識は誤りです。
工作というものは、もちろん発覚しないこともありますが、下手を打てば大変風評にマイナスに働きます。」
→ 実のところ,工作員も許しがたいが,それに乗っかって杯を荒らした視聴者も,同様に許しがたいのである。


・創価学会と会社―戦後日本の都市にあらわれた「二つのムラ」―(タサヤマ|note)
→ 混乱した社会で地域的コミュニティから疎外された者を吸収して新たなコミュニティを形成し,教団として成長したというのは,新興宗教で見るパターンではあり,最初期のキリスト教も仏教もこのパターンであったから,納得できるところである(そう考えるとイスラーム教だけ全く別パターンで,これはこれで興味深い)。
→ 日本の場合,その対抗馬として「会社」が立ち上がってきたという特殊性はおもしろい。年功序列のたまものであるなぁ。


・NHK日曜討論公式(@nhk_touron)「(戦争法案)の反対意見って理解しにくいのに、賛成意見はすごく頭に入やすい…」(Togetter)
→ 何かNHK日曜討論公式のアカウントが政治的偏向(というよりも安保法案に賛成)を持つと決めつけて反発している人が多いのだけれど,私にはどうしても「ハンロンの剃刀」にしか思えない。単純に中の人の日本語が下手だっただけではないか。


・インドとパキスタン国境の衛兵たちによる超攻撃的な「国境ゲート閉鎖式」の様子(DNA)
→ 印パでこれをやっているというのは結構衝撃的。ここだけ第一次世界大戦初期の風景,的な。  
Posted by dg_law at 07:00Comments(2)TrackBack(0)