2017年08月30日

マンモスの牙も地下資源になるのだろうか

・乾貴士は断っていた。現地取材で見えた「安倍晋三・スペイン国王晩餐会」招待の真相。((豊福晋) Yahoo!ニュース)
・乾は「今やエイバルの柱」 35歳女性CEOが明言(日刊スポーツ)
→ 詳細は上の記事を参照のこと。このときは,日本の外務省側からクラブに依頼があり,乾選手は行きたくなかったが,クラブ側は様々な思惑から行かせたかった。結局乾選手がその意を汲んで出席することにした,という流れと結論付けられていた。私もクラブ側の意志ならばそれは仕方がないと思う。
→ しかし,下の記事を読むと少し印象が変わってくる。「国王から直接招待状が届いた」なら,そりゃクラブとしては断れんだろう。一応,スペイン国王から日本外務省・日本大使館を経由してクラブに依頼が届いたとすると話に矛盾はないものの,いずれにせよ,スペイン国王の依頼という情報がない初報は誤解含みで,随分と日本外務省への印象が悪くなる。冷静に判断したい一件。


・PTAをなくした小学校16年目の真実 「いいことづくめ」の美談のはずが(J-CASTヘルスケア)
→ これは「やっぱりPTAがいるやんけ」という話ではなくて,「PTA“的組織”の必要性を再確認できた上で,無駄をそぎ落とせた」という話であり,どちらかと言えば「潰して良かった」という結論になると思われる。PTAの問題点は上部組織が腐っていることと不要な行事・仕事まで多く負担が大きいこと,本来ボランティアなのに強制的な加入・仕事の割り振りという実態があること等であるが,存在自体が全くの不要というわけではないので,独立・自発的組織ならこの辺りかなりの部分解消されるだろう。タイトルと筆者の感想に反して,これはほぼ「いいことづくめ」の美談では。


動物園好きから見たケモノフレンズ7―お互いに自分のほうが頭が良いと思っている―(けものフレンズ7話)【2017冬アニメ感想】(見下す蠍の徒然)
→ フクロウのインタビューに出てきたフクロウカフェという業務形態について,動物園好きの人からのコメント,というか批判。なるほど,その通りだ。「動物」というものについて,あるいは動物と人間のかかわりについていろいろ考えられて作られた『けものフレンズ』という作品(の幕間)にしては,確かに迂闊と言えるかも。


中国税関 マンモスの牙100本以上を押収=国営メディア - BBCニュース
→ マンモス? 象じゃなくて? と思ったら本当にマンモスだった。象牙より貴重やん……と思ったら
>ツンドラ地域の永久凍土の中には、約1千万体のマンモスがあると推計されるという。
→ である。話のスケールが大きすぎてよくわからなくなってくる……


・憲法ルネサンス 児童買春・ポルノ禁止法 「見過ごせぬ」漫画の表現規制(毎日新聞)
→ この辺の話が,それも好意的な目線で新聞に載るのは珍しい。風向きがいろいろと変わってきているのかな。  

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2017年08月29日

岩手旅行記(後編)

15日:遠野〜焼走り熔岩流〜八幡平
この日も早めに起きて朝食後,早めに出発して遠野へ。遠野行きに関しては同行者二人に「あそこ行って何するの?」と言われていて,私自身「様々(『咲-Saki-』『東方』etc.)な作品の元ネタ巡礼的なチェックポイントやから(震え声)」と返事していたわけだけれども,着いてみるとなかなかコンテンツ力が高かった。まず単なる妖怪押しというよりは「妖怪が出てもおかしくないような昭和前期頃の日本の田舎」押しに切り替えているのが正解。そしてそのイメージの塗り重ねは成功している。たとえば以下のような。




どこを回ったらいいのか今ひとつわかりづらいという欠点も自覚していて,とりあえず遠野ふるさと村(上の画像の民家はここ)か,伝承園に行けば観光スタートの拠点になる仕様。私としては,遠野ふるさと村は他の観光施設からやや遠いので,伝承園スタートを勧めたい。伝承園からは必然,昔は河童が住んでいたというカッパ淵に行くことになるが,その道中が見事な

遠野・ホップ畑


ホップ畑だった。昭和前期頃の日本の田舎雰囲気押しをしていていきなりこれが出てくるのはインパクトがあり,かつ意外にも雰囲気は崩れていない。もちろん地ビールもある。遠野でホップ畑・地ビールなんて東方的にはなんて奇遇な。着いたカッパ淵は見事なまでに何の変哲もないただの沢で(しいて言えば水はかなり綺麗),しかしそこにカッパという文脈ときゅうりを餌にしてカッパ釣りができるというお遊びを加えることでここは強い観光名所に変貌した。

カッパ淵・カッパ釣り


このシュールな光景,バカバカしさが一周まわっておもしろいのである。到着した観光客,特にご家族一行はきゅうりを釣り竿にかけていた。子供たちは決して何も釣れない釣りなのに楽しそうである。なるほど,無から有を生み出す観光の工夫とはこういうことかと変な感心をしてしまった。なお,きゅうり専用釣り竿の貸出は1本200円で,伝承園でカッパ釣り許可証を兼ねて貸し出されている。きっちりと金をとっていて,かつぼったくり料金でもないのもポイント高い。カッパ淵観光で謎の感動を得た3人は伝承園で昼飯を食う。岩手県名物「ひっつみ」はぶっちゃけて言えば「ほうとう」であって,まあどこにでもあるものではあるのだが,美味いことには違いなかった。結果的に,最初は2時間も滞在するかどうかと言っていた遠野観光は4時間以上滞在し,強い満足感を得たのであった。

次に向かったのが岩手山の麓,焼走り熔岩流。ここは岩手山から流れ出た溶岩が冷えて固まった跡地であり,一面黒々とした岩石が転がる荒野が見られる。これがすばらしく壮観で,たとえばこんな感じ。

焼走り熔岩流

焼走り熔岩流2


実はこの日は天気が悪く霧が出ていたのだが,そのおかげで視界が狭まり,かえってより強く一面の荒野を感じることができた。霧に浮かぶ島状の樹木も幻想的で良い。焼走り熔岩流が特殊なのは噴火からすでに約300年が経過しているのにほとんど植生が変化していないという点だ。普通200年もたてば,新たに噴火でもない限りすでに森林に戻っているはずである。しかし,地衣類が繁殖し始めたところで遷移が止まってしまっていて,わずかに島状に点在する孤立した樹木が存在するのみである。これだけ遷移が遅い・止まっている,しかも風雨が強くきっちりと風化するはずの環境であるにもかかわらず遷移が遅いというのは世界的に見ても珍しい地形だそうだ。現地には一般人が通行可能な散策路が用意されていて,歩くと片道1時間ほど。これはお勧め観光スポットである。


この日はここでタイムアップで,ここから八幡平へ。この日の宿は八幡平の山奥,標高1400m地点にある藤七旅館。事前の調査・噂の段階で「温泉はすばらしいがその他は……」「山小屋だと思って泊まった方がいい」ということを聞きつつ,温泉目当てで予約した。またそんなエクストリームな宿を……。なお噂の真相はだいたいあってた。建物全体が大きく歪んでいて明らかに傾斜があるし,普通に歩いているだけで床がデコボコしている。夕飯の味も微妙で,素材は悪くなさそうなのでこれは調理の問題ではないか。一番美味かったのがごまどうふってあたりで察していただきたい。確かにこれは「旅館っぽい飯が出てくるだけ,山小屋よりはいい」と考えた方がいい。立地が立地なので,この辺は不満を言うだけ無駄である。

一方,温泉は良い意味での噂通りで,旅館から露天風呂までのけっこうな距離を,素っ裸のまま・真っ暗闇の中で歩いて移動してから入浴するというワイルドさあふれる温泉であった。温泉の底も一応木の板が敷いてあるが,湯の花と地面の泥が混ざった白い粘土が堆積していてドロっとしていたりする。このワイルドさはこの旅館の売りであり,旅館のアンケートにまで「ワイルドさはいかがでしたか」という項目があって笑ってしまった。旅館から発せられる電灯と申し訳程度の湯船付属の弱い電灯以外に一切の光がないため,晴れていれば満点の星空の下での入浴であったはずだが,残念ながら前述の通り今日は曇りであった。それでも真っ暗闇の中,無駄に高まったハイテンションの状態で入る温泉は非常に楽しかった。


16日:八幡平〜小岩井農場〜帰宅
最終日。この日も早めに起きて,例によって微妙な味の朝食を食べて出発。まずは八幡平を登る。登ると言っても名前の通り頂上付近が平らなことが特徴の山であり,非常にゆるい勾配の登山道を登って,標高約1600mの頂上に到達。展望台からは,確かに頂上付近がほとんど平らになっていて,森林限界も超えていないことから比較的高めの森林がかなり遠方まで続いているのが見えて絶景であった。そしてドローンとかいう大人のおもちゃを持っている我々はここで飛ばして遊んだ。今回も桜島同様,気になって寄ってくる他の観光客が多数であった。まだまだ普及しておらず,そういう存在よなぁ。今回は隙間坊主Pが編集した動画があるので,紹介はそちらで。彼はいつの間にこんな技術を。八幡平の絶景は,ドローンから見るとこう見える。ぽつぽつ見える池は旧噴火口に水が溜まった物とのこと。



最後に小岩井農場へ。昼飯を食べて,産地直送の牛乳を飲んで,今回の旅最後のミッションをこなす。小岩井農場は日本の最初期の畜産技術を培った建造物として,園内建物のいくつかが重要文化財に指定されており,これらを見学することができる。一応現在でも使用している「生きた重要文化財」ということであったが,さすがに施設が古くて不衛生であった。飼っている頭数から言っても,ここの牛はほとんど純粋に観光用であろう。

小岩井農場観光を終えて午後3時頃,そこからは一直線に東京に戻った。途中で渋滞に捕まったことあり苦難の帰り道となったが,なんとか日付が変わる前に帰宅した。概ね上手くいった旅行で思わぬおもしろさも多数あった旅行と言え,満足度は高い。やり残しとしては,まず仙台の青葉城。次に平泉の厳美渓&猊鼻渓。岩手は今回山沿いを攻めたので,浄土ヶ浜をスルーしている。わんこそばも本家の盛岡or花巻で食べる必要があるだろう。まあこの辺は急いでいないので10年後くらいに。

これで経県値は173点となり,残る空白は山形県と青森県だけになった。山形県はひなた荘の残る聖地の銀山温泉があり,青森県は恐山に行きたいので,この2つはなるべく早めに,遅くとも2・3年中には行くと思う。経県値を気にせずに次の旅行先を考えるなら,『ユーフォニアム』の聖地巡礼で宇治か,『有頂天家族』の聖地巡礼と湯治を兼ねて有馬温泉かな。
  
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2017年08月28日

岩手旅行記(前編)

コミケ後に岩手旅行に行ってきたので,その報告を。メンバーはいつもの頬付・隙間坊主。


13日:仙台
コミケ終了後,即座に首都高へ。21時仙台を目標にそこから運転手たちがなるべくがんばっていたけど,残念ながら着いた時点で21時は過ぎていた。一応事前にはてな村的美味しい店探し手段「zaikabou 仙台」で検索する等してリサーチはしていったが,全体的に店は閉まり気味であった。結局「Google mapのレビューはまだ汚染されていない理論」を用いて適当なお店に入ったが,十分に美味かった。牛タンの味噌焼きなるものがあり,「(元)愛知県民相手にいい度胸だな」からの「あ,これ味噌の味が牛タンの食感によくあってめちゃくちゃ美味しい」という即落ち2コマシリーズのようなことをした。コミケの疲れもあり,ホテルに戻って即爆睡。


14日:松島〜平泉〜花巻温泉郷
仙台は「青葉城くらい見ていくか」という案もあったのだが,「どうやら松島は早朝に行かないと死ぬほど混むらしい」という情報をつかんだので,仙台観光は前日夜の牛タンだけで終わりになった。青葉城はまた今度の機会ということで。仙台はどうもめぐり合わせが悪いのか,仕事の出張を含めて3度は行っているのだけれど,一度もきちんと観光していない。ただし,今回の判断は完全に正解で,松島は午前10時を過ぎたあたりから異様な混み方をし始めた。観光名所間の歩道を歩く人が目に見えて急増していたし,仙台から松島に向かう道からして駐車場待ちの渋滞を起こしていて一歩も動かない状態だったのが帰り道に見えた。さすがは日本三景。天橋立はアクセスが悪く,宮島は広いからこういうことにはなっていないのだろうと思う。松島は仙台からすぐそこである上に,湾が狭く名所が密集している。

その松島であるが,良くも悪くも整備された観光名所である。周りやすく施設が充実している分,いたるところで金をとられる印象。行ったところで一番良かったのは,景色ではなく瑞巌寺。庭も建物も所蔵する美術品も見事で,ここはむしろ入館料700円は安いくらいの価値がある。特に本堂は長谷川等伯の高弟,長谷川等胤の筆による障壁画で飾られており,美術史上の一級品ではないにせよ,桃山文化の地方伝播を象徴する遺産としては完璧と評する他ない。庭は震災の被害が抜けきっておらず復旧中で,今年9月に全面公開予定となっていたが,見た感じ間に合いそうにない。というよりも樹齢何百年かの松並木の三分の一が塩害で枯れたため,それらを伐採して若木を植えている状態であるから,完全な復旧は何十年後になるだろう。気の遠くなる話であるが,残っている松並木だけでも十分に見応えがあった。松島は沖合の島々に守られたおかげで立地の割には震災被害が少なかったとのことだが,こうしたところで残っている。松島脱出前にずんだ餅を食し,今旅のミッションをまた一つクリアした。


そこから平泉に移動。わんこそばを食すというミッションをこなす。

平泉わんこそば


しかし,後から知ったのだが,わんこそばは平泉と盛岡・花巻で流派が違う上に,盛岡・花巻が本家らしい。なんだか中途半端にミッションをこなしてしまった感がある。それはそれとするなら,わんこそばは予想していたよりも美味かった。ただ,「美味かったのはわんこそばではなく,その店」説があり,わんこそば自体に味の特徴があるイメージは無い。この辺の真相を解くためにも,やはり盛岡か花巻で再度わんこそばを食す必要があるだろう。

平泉ではそのまま中尊寺と毛越寺を拝観。金色堂を見たのは初めてだったので,さすがに感動した。毛越寺は,後世の枯山水や回遊式庭園ではない,平安末〜鎌倉時代の浄土庭園がよく残っており,かつ曲水の宴の跡も見つかっている貴重な寺院である。当然だが,発掘された曲水の宴跡としては日本で最北端とのこと。

毛越寺・曲水の宴


同行者に曲水の宴とはなんぞやと聞かれたので一通り説明したところ,隙間坊主が「夏草や兵どもが夢の跡」を本歌取りして「平泉 滅びすぎてて 草生える」という見事な現代語訳を詠んでくれた(詩情から言えば「草も生えない」にしたいところだが字余りである)。彼は酒を飲まされずに済むだろう(なお彼は下戸であり実際に一滴も飲めない)。一方で本堂以外の建物はだいたい全部焼け落ちているのだが,これは実は奥州藤原氏が滅んだ時ではなく1573年の戦乱だそうで,なんだかもったいない。なお,ここの宝物館はキャプションがやたらとポエティックで鎌倉幕府を敵視しており,我々は他人事なので静かに大爆笑しながら見ていたのだが,あれ,鎌倉市民の観光客で怒る人が出てきそう。

こうして1日で瑞巌寺・中尊寺・毛越寺と周り,さりげなく『奥の細道』巡礼になっていたのだが,ここで我々は山形県立石寺には行かず,そのまま北上。花巻温泉郷へ行き,やってきました。




『ラブひな』の聖地巡礼地,藤三旅館。同行の頬付に「五体投地あくしろよ」と煽られたが,普通に旅館に迷惑なのでお断りした。藤三旅館側も『ラブひな』を知っていて売りにしているのが少し驚きだが,この旅館はそれ以外にも宮沢賢治ゆかりの旅館でもあり,温泉も後述するようにユニークで,付加価値がすごい。なお,ひなた荘はここ藤三旅館と,山形県銀山温泉の小関館を組み合わせて作られたものなので,聖地巡礼的にはまだ半分といったところ。ただし,小関館はすでに旅館業をやめていて日帰りのみになっているので,「ひなた荘に泊まった」と言えるのはすでに藤三旅館だけである。

さて,藤三旅館の温泉は合計4つあり,その中に露天風呂があるのだが,同行頬付がアブにたかられまくるという珍事が発生した。以後頬付は温泉に入るたびに「ここはアブがいないから良い」というようになってしまったのだが,実際とんでもない量のアブが飛んでいた。夏場の山奥の露天だから温泉側にそれほど否は無いというか,私や隙間坊主はあまりたかられずそれほど不快でもなかったので,頬付くんは多分アブに好かれる異種族間系ラブコメ体質なんだと思う。それ以外の温泉で,藤三旅館の最大の特色となっているのが白猿温泉(こっちは屋内)。これは深さが約1.25mある立って入れる珍しい温泉で,いい経験になった。

お夕飯を食べて就寝。後編に続く。

  
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2017年08月27日

最近読んだもの・買ったもの

・『ゴールデンカムイ』10巻。旭川の白石奪還作戦。鯉登少尉の登場。
→ 作中登場する有坂成蔵は実在しない……が,明らかなモデルがいる。有坂成章というらしい。Wikipediaにある通り,三十年式歩兵銃を発明した人物。この人が中将(最終階級でもある)に昇進したのは1906年とのことなので,有坂成蔵=有坂成章とするなら,本作はやはり1906年以降であり,以前考察した1907〜08年頃という推論と矛盾しない。さらに,有坂中将が「これからは飛行機の時代」と言っているが,ご存じの通りライト兄弟の飛行実験成功が1903年。有坂中将が最新の国産武器として三八式歩兵銃・機関銃を鶴見に紹介しているが,これも開発は1905年,「三八式歩兵銃を開発した部下の南部」は実在の南部麒次郎のことだろう。ここに来て年代を特定できる情報や,この時代特有の物体が一気に増えた。そしてこの連中のどうしようもない会話を真顔で受け流しつつもちゃっかりコマの端には居続ける月島軍曹好き。
→ 三船千鶴子も実在しない……が,御船千鶴子なら実在した。彼女らによる千里眼ブームが起きるのは1909年頃であるから,その直前の時期と言える。作中の義兄が三船千鶴子を「出戻り」と言っているが,実際の御船千鶴子も離婚歴がある。また,この義兄は御船千鶴子と同じなら姉の夫であり,確かに御船千鶴子を超能力者として売り出そうとした張本人という点も同じ。なお,その後の御船千鶴子は1910年に公開実験,世間に信用されないことを苦に1911年に自殺している。
→ パウチカムイが住むパウチチャシを通過。珍しく作中に補足がないが,現在は層雲峡と呼ばれる峡谷観光地・温泉郷となっている。また一つ行きたい聖地巡礼地が増えてしまった。そして変なところで元ネタかぶりが。まさか『咲-Saki-』と『ゴールデンカムイ』でねぇ……w。
→ 戦争から心が戻ってこない大人たちの物語である『ゴールデンカムイ』。アシㇼパさんはアイヌにとっても新しい女だが,本作の主要人物たちにとっても唯一の子供,新しい世代の代表者なのだ。杉元を気遣うアシㇼパさん。99話のラストは,さりげなく本作の核心の一つを突いている名シーンだった。


・『ヒストリエ』10巻。カイロネイアの戦いの決着,エウメネスが「王の左腕」候補に選ばれる。
→ カイロネイアの戦いは王子アレクサンドロスの異常性がいかんなく発揮されたが,発揮されただけで戦いの大勢には全く影響しなかったところが,創作としてはちょうどいい塩梅だったのかもしれない。
→ 時系列は前337年まで進んだ。翌年とうとうフィリッポス2世が死ぬ。ここまで来たなら,そこまではさくさく進んでほしいところ。


・『がっこうぐらし』9巻。大学編,一時完結? 武闘派が壊滅。くるみ復帰。りーさんはちょっと回復。
→ 基本的に大学編のごたごたを片付けただけの解決編で,大学編自体,話の本筋が大きく進んだ章ではなかった。ゾンビについて言えば,「空気感染という経路もある」「今無事な人間の多くは空気感染に免疫があると考えられる」という情報が新しいくらいか。次はいよいよ本丸,ランダルコーポレーションかな。
→ 「最終的にどちらもゾンビに食われそう」と8巻の感想に書いたら,男のリーダーの方はすでに感染していた。女の方は生き残りそうな,そうでないような描写で終わったが,いずれにせよ再登場しそう。


・『ひとはけの虹』3巻(完結)。ルーベンスの続き,グイド・レーニ,そして最後にカレル・ファブリティウスとフェルメール。
→ カレル・ファブリティウスは本作に出てくる画家では知名度が低い部類に入るが,レンブラントとフェルメールをつなぐミッシングリンクとして近年注目が高い。それをこう使ってきて,本作の最後に登場する画家をフェルメールにしたのは上手い。
→ 案外早く終わってしまった。題材が特殊すぎてあまり売れなかったのだろうか。まずまずおもしろかったのだが。次回作はシシーことエリザベート皇妃とその侍女が主役っぽい『エルジェーベト』だそうで。
→ Cuvie絵を見る機会が減って寂しくなったので,今からでも『絢爛たるグランドセーヌ』でも追おうかしら。  
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2017年08月25日

無事に落ち着く良いフィーバーの終わり方ってなかなか見ない

東北旅行記は土日に書きます。



→ 文科省の役人のパワポもこんな感じ。情報量が多すぎて読みづらいというよりかは,そんだけ文章だらけになるなら表組みにする必要がないし,パワポの形式にする必要もない。pptファイルにすることが先立っていて,かつ情報量も確保しなければならないというジレンマの結果の産物なのだろうと思う。
→ しかも読んでいくと同じ内容を何度も繰り返しているので,再要約すればかなりの枚数が減らせるのではと思うことが多々ある。あれは,本当は1枚ごとに別の場面で使っているパワポを,一般公開用に一つにまとめた結果なのではないかと思う。本来は内容を繰り返しているわけではないのではないか。そうだとすると確かに,一般公開用にパワポを再編集する(そして枚数を減らす)なんて労力はかけてられないとは思う。


・「CiNiiから論文が消えた」 研究者に困惑広がる(ITmedia NEWS)
→ その後復活して本当に良かったと思う。もはやCiNiiの無い状態でのあれこれの作業は全く考えられないので。
→ J-STAGEへの統合自体は良いことだと思うのだけれど,その移行が間に合わない状態でCiNiiから直接アクセスできる論文が消えれば大混乱が起きるのは目に見えていた。Nii側がそれを軽視していたのか,軽視していたわけではないがどうしようもなかったのかは知る由もない。


・けものフレンズ11話 気付きと感想(#untitled note)
→ 自分では気づかなかった指摘がたくさん。特に幅跳び,なるほど。
→ あまりにも多いので,話を作った人というかシリーズ脚本の人は11話から逆算して必要なものを10話までに散りばめたのだろうか,と思い始めた。あれは,人類の叡智を追う旅というだけではなかったのだな。


・チーター繁殖に挑む ペアリング成功、おめでた期待 多摩動物公園 /東京(毎日新聞)
→ 『けものフレンズ』で特異な現象として大きな話題になったのがしんざきおにいさん。1話が無料で何度でも見られる仕様,独特の語り口,ディレクターズ・カット版で明らかになったアプリ版ユーザーという情報等が複合的に影響した結果であろう。それにしても,この毎日新聞の記事に出てくる新崎慶太さんがしんざきおにいさんのことだと最初に気づいた人,すごい。確かに名字が一致しているし,多摩動物公園も一致しているし,肉食獣担当だから気づいてしまえば間違いないと思えるけど,普通新聞記事を読んでいる時にピンとは来ないと思う。
・けもフレ「しんざきおにいさん」実物も「神」だった あの噂の真相…(withnews)
→ となれば当然直接インタビューに行く人が出てくるのがネット時代である。普通に顔出ししてたのはちょっと驚いたが,良いインタビューだった。
→ この後,しんざきおにいさんフィーバーは落ち着いていて,フィーバーが(多分)悪い影響を出さずに終わったのは本当に良いことだったなと。場合によってはしんざきおにいさんや多摩動物公園の『けもフレ』に対する心証が悪くなりかねなかったので。  
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2017年08月22日

C92参加記録

天候には恵まれたような,そうでないようなコミケでした。

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2017年08月21日

「日本」と「タイ」の交流史

仏陀坐像(スコータイ朝)東博のタイ展に行ってきた。日タイ修好130周年記念ということだが,1887年に明治政府とラタナコーシン朝政府の間で国交が樹立されたのを起点としているとのことである。日清修好条規や日朝修好条規と比べて遅いのは仕方がないとしても,1887年とは意外と遅れた印象がある。本展はタイの仏教文化及び日本とタイの交流の歴史に着目し,関連する文物を展示したものである。

タイの仏教文化については完全な時系列で,タイ人というよりも現在のタイの地域にフォーカスしたものであるので,スタートはドヴァーラヴァティーとシュリーヴィジャヤ,アンコール朝であった。ドヴァーラヴァティーはチャオプラヤ川下流域に6世紀頃に成立した国家であると言われているが,建国したのがモン人であったということと,東南アジアではいち早く上座部仏教を摂取したということ以外はあまりよくわかっていない。この頃の仏像は艶かしくふくよかでインド的な造形。

次に出てくるのが13世紀に成立するスコータイ朝の時代のもの。ここに来ると次第にほっそりした身体のタイっぽい仏像が出てくる(今回の画像)。その次が15〜18世紀後半のアユタヤ朝。造形としてはそれほどスコータイ朝と違いがあるわけではないが,よく残っていて保存状態がよく,この辺りからタイの仏像は真っ金金である。ここでは日本との交流の歴史も取り上げられていた。朱印船貿易の様子なども展示されていて,同行者に出会貿易の背景とシステムを説明すると「しちめんどくさい貿易やってたんですね……」と言っていた。私もそう思う。山田長政や琉球王国についてはかなり大きく取り上げられていた。

最後にラタナコーシン朝。目玉展示はラーマ2世王作の大扉で,国王自らノミを振るって制作したこと(ノミは完成後にチャオプラヤ川に捨てさせたという),高さが約5.6mあること,2013年に修復が完了したことがトピック的な要素。これは確かに見もので一見の価値有り。ただ,それ以外のラタナコーシン朝の展示はつまらなかった。時代が近すぎるからか。


さて,以下は(高校)世界史的な観点から見た本展について,いろいろと見所があったので。まず,近年では,スコータイ・アユタヤ・ラタナコーシン朝の3つだけを単線的に取り上げて,現在のラタナコーシン朝の中央集権的な意図に乗っかった歴史解釈をするのは好ましくないとされているところ,一方でタイの中心部と言えばどうしたってチャオプラヤ川流域であるし時代区分としては便利という言い訳もある。本展も仏像の様式を分ける意味もあって時代区分的にこの3王朝を用いていたが,一応ラーンナー王国のことも取り上げていたのは多少なりともそういう意識があったのかもしれない。「日本のタイの交流」の部分で琉球王国が大きく取り上げられていたのも示唆的。“日本”とはなんぞや。“タイ”とはなんぞや。

次に,ドヴァーラヴァティーの時代を中心に,ヒンドゥー教の神々の単身の像が展示されており,同行者に「なんでヒンドゥー教の像もあるの?」という質問を受けた。東南アジアの多くの地域は仏教とヒンドゥー教をそれほど峻別しておらず,特に初期にはまるごとひっくるめて「インドの宗教」として受容していた。これは日本でも神道・仏教が,中国でも儒教・道教・仏教が並立していたのだからそう不思議ではないはずのところ,よく考えてみると少し状況が違う。神道と儒教・道教は土着であるところ,仏教だけは外来である。しかし,ヒンドゥー教と仏教はどちらも外来な上に同じ場所を出身とする。その上,日本人に身近な北伝仏教は「ヒンドゥー教の神々を天部として取り込んだ仏教」であるところ,南伝仏教は「どちらが主体というわけでもなく,さりとて完全に混ざっているわけでもなく並立した仏教とヒンドゥー教」という状況である。ゆえに日本人的な宗教観から出発すると,確かに「なんでマハーカーラ像と大国主(not大黒天)像が別に存在するの???」というような不思議さを見い出せ,これはかえって新鮮な発見だった。

3つめ。本展の表示は徹底して「上座仏教」であった。一般に広まっている「上座部仏教」ではないのである。これは部派仏教(初期の仏教)と上座仏教は異なるものであるから「部」が付くのはおかしいという意見があるからで,高校世界史でもまだ定着していない,かなり先進的な表記の採用となる。

最後にシュリーヴィジャヤの扱いについて。これはキャプション間で矛盾があり,ある展示の説明では「7〜14世紀」になっていた一方,別の展示では「7〜11世紀」になっていた。これは極論どちらでも間違いではないのだが,11世紀にしておいた方が無難である。詳しくは拙著の2巻のコラム1(p.69)で取り上げているのでそちらを(狡猾な宣伝)。これはさすがに学芸員間で意見の統一を図っておいてほしかったところ。一方でそれを横において言えば,前述の上座仏教とあわせて,高校世界史でも見られる混乱が高校世界史ではない場所でも表出するという珍しい事例が見られたことになり,これはこれでおもしろかった。  
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2017年08月20日

トラベリング・オーガスト2017感想

もはや1ヶ月近く経ってしまったが,7/23のトラベリング・オーガスト2017に行ってきたので,その記録を。トラベリング・オーガストは2年おきの開催で,2013が初回。2015が二回目。2017の今回は三回目となる。場所は2015と同様に東京オペラシティであった。

チケットは,前回は場所によってSSS〜Bで区切られていたが,今回は指定無し。ただ,前の方から詰めていったらしく,4/30のCharacter1およびM3で配布された優先購入券経由で席を取ると前の方だったらしい。普通に一般販売で買った私は三階席の横の方で,首が痛かった。あれなら値段差をつけてくれた方が良い。他に欲しい物販もないのにCharacter1に行く気力はちょっと無い。席自体は2013が1800席で足りず,2015は逆に1632席の3回公演で空席が目立つ状況だったが,今回は同会場の2回公演で一応ほぼ埋まり,機材席開放で当日券用の席を作っていたから,三回目にしてようやく席数の調整が上手くいったようだ。物販も今回は滞りなく流れていて,完売も少なく,やっとオーガストらしい物販になった。

演奏は毎回コンセプトが変わっていて,2013は初回ということもあり榊原ゆいやCeui等の原曲のボーカルを呼んで,少しだけライブ要素がある形。メインは『明け瑠璃』曲。2015は東京オペラシティになったこともありオペラ歌手を呼んでの演奏,パイプオルガンの使用,メインは『ユースティア』曲。そして2017は和楽器演奏部隊を呼んでの合奏,メインは『千桃』曲となった。実際の演奏について言うと,オーケストラについては今まで通り文句なしの出来。ムービーやライトの演出は2015と変わりなく,演奏によくあっていたと思う。ただ,和楽器との合奏についてはオーケストラの音量に潰されていて正直よく聞こえなかった。あれは非常にもったいない。2013・2015のボーカルとの合わせは上手くいっていたと思うのだが,和楽器は調整が難しいのかもしれない。音響の失敗なのか,私の座席の位置が悪かったのか。あとは単純に物量差が理由として考えられ,オーケストラが約50人いる中で,和楽器部隊はわずか7人,それも1人1楽器では対抗できまい。おそらく開催されるであろう2019では,また和楽器を使うならもう少し人数を増やしてほしいところ。それだと舞台上にオーケストラが入りきらなくなり,『千桃』以外の演奏で支障が出るのであれば,いっそのこと『千桃』縛りでやっても面白いのでは。もっとも2019は2018年か2019年に出るであろう次回作の曲が入ってくると思われ,それがまた西洋寄りだと多少困ったことになるが。

それはそれとするなら,やはり『千桃』の壮大な曲はよくオーケストラ映えしていて,『ユースティア』曲に負けじ劣らず感動的であった。いまだにレビューを書けていない(書く気はあるんです)私が言うのもなんだが,いくつか不満点があるにせよ,ハリウッド映画的な大作感と完成度のある作品ではあって,じゃあ工業的な娯楽作品かというとそうでもなく,きっちりと心に残るものがあった。『大図書館』他は学園物でそもそもそういう方向を目指した作品ではなく,『ユースティア』は名作だが華があるかというとそういう作品ではない(無論あれはそれで正解なのだ)。とすると『千桃』はオーガストから意外にもやっと出てきた「ハリウッド映画的な大作」だったのかもしれないと,より壮大になったオーケストラ版を聞いて思ったりしたのであった。  
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2017年08月14日

非ニコマス系動画紹介 2017.3月上旬〜2017.3月下旬

『けもフレ』動画が一気に作られていった時期。11話の放映が終わったあたりまで。




カメ五郎,ラーメン作りに挑むの巻。あれだけ完璧な素材から,どうしてあんなことに……いや間違いなくドングリのせいなのだけれど。カメ五郎,こと動画における料理においてはドングリに呪われているのでは。アナグマは食べてみたくなった。




これを端緒に,けもフレのMMDは異様な発展を遂げていくのであった。



とんでもない完成度の高さ。NEW GAME! の仕事の流儀を作った人だと知って納得。



このサーバルちゃんはかなりアニメに近く,以後のスタンダードになっていく。



別に仕事でAdobeを多用しているわけではないけど,ネタは通じるw。すっごーい! 



ギターが得意なフレンズ。あるいはミリオンセラーのCDがいっぱいあるフレンズ。



これは本放送時に本編の展開に呆然としていて全然気付かず,後から指摘されて気づいた。やっぱり本編に全員集合ってことで消えたという解釈でいいのかな。



この発想はあった。日本の危機とパークの危機。



11話までの良いまとめ。12話までの1週間は本当に長かったですね。
  
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2017年08月10日

C92サークルチェックリスト(三日目)

FGOとグラブルの本を避けたらけっこう減るかと思ったが,それほど減らなかった。私が追っている人たちはそれほどやっていない模様。

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2017年08月09日

C92サークルチェックリスト(1・2日目)

今のところ二日目は行かない予定。

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2017年08月07日

書評:『文学としてのドラゴンクエスト』さやわか著,コア新書

2巻の作業の完全終了からの『ドラクエ11』発売で,(本業と)ドラクエしかやらない日々を送った結果,ブログの更新を約10日止めてしまった。ぼちぼち再開させようと思うので,とりあえずドラクエの話題から行こう。

『文学としてのドラゴンクエスト』は,堀井雄二の作家性,及びドラクエシリーズに通底する文学性について掘り下げることを試みた本である。また,ドラゴンクエストが「日本では大ヒットするが,海外では大してヒットしていない」という点を指摘し,堀井雄二の作家性は日本人の琴線に特化して触れるものなのではないか,という論点を提示し,サブテーマとして論を進めている。なお,実際にはドラゴンクエストの物語面の制作にはシリーズが新しくなればなるほど膨大な人数がかかわっていくことになるが,本書では堀井雄二に代表させている。現在の11に至るまで総監督は堀井雄二で一貫している点,そして映画であっても語られるのは結局のところ監督の作家性であることを鑑みると,ゲームの場合も総監督者の名前で代表させても問題ないだろうという点がその理由である。合理的な理由なので,問題ないと思う。

結論から言えば,おもしろい点が半分,論の組み立てや結論が強引で疑問点が多いというのが半分という本であると思う。

本題のうち,堀井雄二の作家性の分析については,ドラクエを作る前の堀井雄二の経歴について触れた後(学生時代や漫画家時代,当然『ラブマッチテニス』や『ポートピア殺人事件』にも触れている),「意外にも村上春樹と経歴がよく似ている」として,村上春樹との共通点を見出す方向で論を進めている。これについては私が村上春樹を大して読んでいないというのを差し引いても,単純に堀井雄二と村上春樹の経歴が似ているという点は新鮮な視点だったものの,論自体が強引に感じた。この点は村上春樹とドラクエを両方知っている人,あるいは村上春樹の大ファンだけどドラクエは全くプレイしていない人の意見が気になるところ。一応事実関係だけ本書から抜書きしておくと,
・二人とも兵庫県の育ち。ただし堀井は淡路島,村上は西宮・芦屋・神戸。
・二人とも早稲田大学第一文学部出身,堀井は1972年入学で78年卒業,村上は1968年入学,75年卒業。
・二人とも学生運動には冷笑的な態度を取っており,また学生時代から様々な活動を始めている。ただし,直接の接点はない。
・『ドラクエ1』の発売が1986年,『ノルウェイの森』発売が1987年。

次に堀井が『指輪物語』といった文学作品ではなく,『ウルティマ』と『ウィザードリィ』といった海外RPGに範を取ってドラクエを作り始めたという,古参ファンには知られている話にも触れていた。だからドラクエは地中海や北欧の神話や『指輪物語』から“切断”されている。西洋人からすると確かに違和感はあろう。ベースは西洋のハイファンタジーであるのに,接ぎ木されたものは全く別の文脈から形成された,堀井の頭の中にあるストーリーである。この堀井のストーリーは「超人的な能力を持った勇者を主人公として,『全く違った自分』をプレイヤーに追体験させる」ものである。要するに「なりきり」の文化である。

ここまでは私も賛同するのだが,次の本書の主張は疑問符がつく。「なりきり」の文化は海外のRPGの文脈には無いため,海外では受け入れられていない,海外のRPGは多くは主人公が平凡でプレイヤーの視点の役割しか果たしていない,というのである。そんなに海外に「なりきり」の文化って無いか? RPGに限ればそうなのかもしれないが,残念ながら私に海外のRPGの知識はない。しかし,国内のRPGで比較するだけでも,FFの主人公に比べるとドラクエシリーズの主人公はむしろ至って無色透明な視点に過ぎない。「なりきり」の文化の理屈で言えば,本書の理屈で言えばFFの方が受けないはずだが,FFは普通に海外で受けている。FFシリーズのプレイヤーは主人公視点じゃなくて神の視点だから,という反論はありうるが,他はともかく7・8・10あたりは完全に「なりきり」では。10に至ってはそもそも「これは俺(お前)の物語だ」というフレーズがメインテーマである。

だから,ドラクエが海外で受けないのをストーリー面から考察するのであれば,要点は主人公ではなくストーリーそのものになるのではないかと思う。問題を主人公の性格に矮小化したのは残念である。

物語自体におけるドラクエらしさとは何か。実はこの後の本書が作品ごとに批評しているところで出てくる「不意に現れる暗い文学性」という点が強いのではないかと思う。ドラクエ3で最後に勇者一行がアレフガルドから帰れなくなるのは「セリフを考えるのが面倒だったから」と堀井が語っているが,真相がどうであれ,あれなんかは非常にドラクエらしさ漂うエンディングである。さすがに暗すぎるだろってくらい暗かったのがドラクエ7で,レブレサックなんかはある種の真骨頂だと思う(やり過ぎで嫌いな人も多いエピソードだけど)。この暗い文学性は堀井が学生時代から持っていたもので,彼が当時『ガロ』を愛読していたエピソードを引いているところは,本書の秀逸な点である。(ただしそれが海外で受けない理由なのかどうかは私には判断がつかないので,ここで論じるのは差し控えたい。そもそもドラクエが海外で受けない理由,ストーリー以外にもあるのでは。)

その他,この個別作品批評の部分は前半に比べると面白い指摘が見られる。結局のところ物語性を強くするには,無色透明な主人公は邪魔になる(主人公にも強い個性が必要になる)というジレンマが生じた。しかしドラクエはむしろ主人公の無個性さを強化する方向に動き,5以降10に至るまでどんどん主人公が凡人化していった点。それでも「主人公=プレイヤーによる物語の追体験」という構図を維持するために,戦闘中の主人公以外の行動をAIにしてみたり(4),主人公に人生の一大決断をさせてみたり(5),本当の自分を取り戻させてみたり(6)という工夫がなされていった点などは,なるほど確かに。

最後は9・10のオンライン化への挑戦について触れた後,(本書が発刊した2016年11月当時では未発売の)11でも文学的な意味での「ドラクエらしさ」が維持された作品が出てくるのではないか,と延べている。つまりは,「主人公=プレイヤーというなりきり」という核や,無個性にして主人公=プレイヤーを意識させるための物語上の工夫,ふと見え隠れする暗い文学性といった要素である。さて,その答え合わせは……ということは,私がドラクエ11をクリアしてから,また別に語ろうと思う。



  
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