2018年11月30日

平成で4人目の小結優勝

仕事で忙しかったが,やっと九州場所の感想に手を付けることができる。優勝争いは読めないというよりか読む気も起きないほど既存の優勝経験者が次々と脱落していく展開であったが,混戦とならず,早々に二人に絞られた。こうなったら大関の意地を見たいところであったが,記録づくめの小結の優勝という結果もそれはそれで面白かった。

貴景勝の優勝について。22歳3ヶ月での優勝は年6場所制以降で史上6位……とNHKで言われていたが,軽く調べてみた感じで上に貴花田・大鵬・北の湖・白鵬・柏戸・朝青龍・若花田がいるので,これで行くと8位になる。何か私の勘違いがあれば指摘してほしい。初土俵から所要26場所は4位タイ(上に貴花田・朝青龍・照ノ富士がいて,曙が同じ26場所)。平成での小結での優勝は貴花田・若花田・魁皇とあわせて4人だけ。同期間の平幕優勝は9人(うち一人は今年の初場所の栃ノ心)で,これは比較が難しいとしても,同期間の関脇優勝は6人(曙・千代大海・武双山・出島・照ノ富士・御嶽海)とおり,序盤に横綱・大関と総当たりする小結での優勝の難しさを感じさせる。小結・関脇での優勝者10人は,御嶽海以外全員,その場所の優勝を含む形で大関に昇進している。御嶽海で法則が破れてしまった形であるが,貴景勝には御嶽海の轍を踏まずにさくっと進んでほしいものだ。

貴景勝はいろいろあって貴乃花部屋から千賀ノ浦部屋に移って最初の場所で,胸中複雑であったことは容易に想像できるが,見事に取りきった。これを発奮材料にできるのはメンタルが強い(案外,単純に心機一転できたのかもしれないが)。相撲ぶりは先場所と変わっていない,というよりは先場所の相撲が目覚ましく良く,今場所躍進する予兆はあったと言える。先場所の自分の評を引用する。「貴景勝は好調上位陣に混ざってこっそり9勝をあげており,実は高評価材料しかない。押し切るか引くかの判断が良く,引いて呼び込んだ負けが少ない。組まされて負けることも少なく,負けるときは概ね相手の引きに落ちるパターンである。前半上位総当たりは当然負けが込んだが,多くの力士がそうであるようにそこで不調にならず,後半で取り戻したメンタルも良い。これで関脇に上がれないのは不運である。」

さて,来場所は当然大関取りになる……はずなのだが,阿武松審判長は「初場所が明確な大関とりではない」という謎コメントであった。横綱が不在であったからというのは一理あるものの,優勝自体にそれを相殺するだけの価値があろう。確かに今年の初場所は小結で負け越し,その後ケガがあって休場という不安定さはあるが,来場所大関取りにならないほどの理由とは思えない。御嶽海が失敗したことについては理由にするだけおかしかろう。来場所11勝で33勝で昇進させなければ,32勝で上がった稀勢の里・豪栄道や,33勝ではあれども1場所目が平幕だった照ノ富士との差を指摘され,余計な勘ぐりを絶対に引き起こすことになる。一方,高安の綱取りは「来場所の成績次第」と言われているが,むしろこちらは可能性が無いだろう。確かに年間成績で言えば12勝が3回,残りも9勝・11勝・全休と安定感は高いが,13勝をしたことが一度もない。この点で13勝ならばコンスタントにあった稀勢の里と異なる。今場所が13勝で優勝同点だったなら起点になったかもしれないが,12勝優勝次点では大きな差がある。仮に初場所全勝優勝であっても昇進は見送るべきだろう。


個別評。稀勢の里は初日でボタンを掛け違えて,そのまま治らず相撲が崩壊していった様子。取れそうで取れないというように見えるので,不本意な休場だろう。不運だとは思うが,こうなった以上は来場所10勝以上できなかったら引退で仕方がないと思う。というよりも来場所以降は毎場所引退がかかった場所が永続すると思う。豪栄道は変化のような立ち合いしやがってと思っていたが,七日目の相撲で右肩負傷でままならなかったそうで,むしろそこから勝ち越しの決まる十一日目までよくごまかして取っていた。であれば褒めもしないが批判もしないかな。高安は変なところで稀勢の里のメンタルを継がなくていいから。それしかない。栃ノ心は膝のケガが慢性化していて,大関取り前の強さしかない。最初から短命大関になるだろうとは思っていたが,あの右四つが見られなくなるのは寂しいので何とか延命してほしいところ。

関脇・小結。御嶽海は失速甚だしく,本格的にツラ相撲で気分屋なのが致命的な弱点になってきた感じがする。貴景勝は前述の通り。逸ノ城と魁聖はノーコメントで。

前頭上位。妙義龍は久々に彼の前傾姿勢でぐいぐい押していく・寄っていく取り口が上位に通用している姿を見た。8勝ではあれ勝ち越しお見事。錦木も8勝ではあるが,取り口は見違えるように良くなった。ここまで印象が薄く(ブログ上で検索したところ最後に言及したのは2016年9月であった),上位総当たり初挑戦で,その上位陣がスカスカとはいえもっと負けが込んでもおかしくなかったところ,突然目覚ましい極め技・小手投げをうちだし,上位に通用してしまった。もろ差しで入ろうとした豪栄道・栃煌山・妙義龍を全て小手投げで投げ捨てている。今場所見ていて一番面白かったのは錦木かもしれない。来場所,これが続けばさらに面白く,今後錦木にもろ差しは危険という評価になるかもしれない。

前頭中盤・下位。松鳳山は10勝で,本人の相撲内容もさることながら,熱戦が多く面白かった。それはそれとして立ち合い不成立も多すぎるので何とかしてほしい。琴奨菊は先場所負け越しで心配だったが,今場所は復調10勝で安心した。大関から陥落後では一番がぶれていた場所だったのでは。碧山は突きの威力が強く11勝。内容も良く,敢闘賞でもよかったと思うのだが,漏れてしまった。一方,阿武咲は敢闘賞。確かに強い突き押し相撲であったが,碧山との差異がわからない。



最後に。里山が引退した。立ち合いの超低空飛行から何が何でも左下手をとり,これを命綱に相手を引きずり倒すかのような下手投げを主力武器として,非常に独特の相撲を取った。出世は非常に早く2007年に新入幕となっているが,2場所だけ務めて十両に下がり,その後は十両・幕下上位での相撲が長かった。2014年に再入幕したが,結局幕内で取ったのは合計6場所のみである。にもかかわらず基本的に幕内しか見ていない私にとっても印象深い理由は2つ。1つは前述の独特な取り口があまりにも目に焼き付いたことと,もう1つは身近に応援している人がいたからである(その方,やはり引退会見当日は気が動転していたそうで)。取り口だけで言えば不世出の力士と言ってよいだろう。お疲れ様でした。

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2018年11月25日

ニコ動のマイナー動画発掘:2011-17年編

前にやったのが2011年までらしいので。ざっと7年分。2018年のものは近すぎるので除外。基準は1万再生未満または500マイリスト未満,かつ今見てもおもしろいもの。全部で10個程度になるようにかなり厳選した。


【アイマス以外】


時期に注意。2011年2月,まだ完結前である。マミさん洗礼者ヨハネ説を唱えていた人,自分以外にもいて驚いた記憶が。



「この発想はあった」系ではめちゃくちゃ爆笑したやつ。



特定難易度が高いやつではなく,行けるには行けるけど敷居が高い聖地の中では,一番すごいと思った巡礼動画。自分としては,今なら『ゾンビランドサガ』の聖地巡礼にくっつけて行きたいところ。



スリップ永続を使わないなら,これが最低レベル・最小限手という極限攻略。FF5の動画でわかりやすい内容なのに意外にも伸びていない。


【アイマス】


サビのダンスがきびきびしていて可愛い。なんで2015年上半期20選に自分は入れていないのか振り返ってみたら,20枠使い切っていた。当時はまだ使い切れていたんだなぁ。



こちらはその2015年上半期20選選出。当時のコメントで「こういうわかむらPフォロワー的な映像作りも,すでに二昔か三昔前になってしまって,貴重も貴重。」と書いているが,今見てもわかむらPが確立したこの作風は美しい。一つの文化として完全に確立して残ったなという感慨が湧く。



2016年下半期20選選出漏れ。間に合ってたら確実に入れていた。かよーP作ということが気づかれていないのではないだろうか,という伸びなさ。白坂小梅公式曲PVの傑作。



2017年下半期20選選出。これもしょじょんP作というのが知られていない気が。あまり人のことは言えないが,2016-17年頃はまだデレステ・ミリシタの動画だけでなく,本家のMADPVが普通に作られていたのだが,けっこう埋もれている。2018年になると,とうとうかなり途絶えてしまったように思える(しょじょんPはまだ作ってくれてるけど)。



2017年下半期20選選出漏れ。ゆっぴP。意味不明なまでにオシャレ。短くまとまってて,全盛期には確かにこういうのも多かったなと思わせられる。
  
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2018年11月21日

「受験世界史の音楽史がやばい」に寄せて

・受験世界史の音楽史がやばい(増補あり)(allezvous’s blog)

これの受験世界史側から見たあれこれを。

・そもそもこんなに覚えなくてもよい
私をして見たこと無い入試問題がめちゃくちゃ多い。これは私が00年代半ば以前だとさすがに私大は綿密に解いていないという事情があるので,半ば私の調査不足が原因である。とはいえ元のpdfに掲載されている入試問題の年度を見ていただけると,2001年や2003年の問題がけっこう含まれており,中京大や愛知淑徳大といった,あまり特別に大学別の対策をしないような大学の入試問題からも拾っている。このプリントの作者は,中堅以下の私大に限れば私よりも断然研究している。

逆に言ってしまうと,そこまでしないと音楽史の入試問題抜粋集なんて作れないのである。拙著でも何度か取り上げているが,高校世界史は明らかに文学偏重であって,扱いの重さは文学>美術・建築>その他である。西洋美術史の適当っぷりもなかなかだが,音楽史のこのつっこまれ具合を見てもわかる通り,音楽史に比べると教科書・用語集も入試問題も断然マシである(中国美術史は西洋音楽史並にひどい模様)。音楽はリスニングでも実装されない限り今の地位からは脱せないと思う。音楽史はとにかく入試で出ない。究極丸々全部捨てても,落としても小問1つの2・3点分にしかならず,合否には支障がない。そういうわけでこれだけ重点的に対策を立てる必要が無いし,ましてや範囲外の知識まで覚えるのは徒労に終わる可能性の方が圧倒的に高い。


・受験生の合否だけ考えたら,嘘を教えた方が合理的なことがある
私は例の企画を始めてから入試問題を信用しないことにしているので,問題文に見知らぬ情報が出てきたら疑うことにしているが,ほとんどの予備校講師は気にしない。というよりも意図的に気にしないことにしている人が多いと思われる。なぜなら,一度作題者の勘違いで出題された入試問題は,別の入試問題でも同じような勘違いのまま出題される可能性が高いからだ。これは同じ作題者が数年越しにもう一度出すということもあるし,他大の作題者がよく調べないまま参照してしまったりする,あるいはそもそも特定の界隈で流布してしまっている謎の勘違い(グレゴリオ聖歌はこの事例と思われる)ということもあるからだ。であれば,嘘かどうかは気にせず,過去にこういう出題があったと垂れ流してしまった方が,受験生の合格率だけを考えたら合理的な学習資料ということになる。解説まとめ部分にある間違いは,おそらくこのプリントの作者自身が独自に調べて勘違いして覚えている事項ではなく,載せきれなくなって消したか,90年代の出題でさすがに古くなったから消した入試問題の問題文がそう述べていたという可能性が極めて高い。

また,こういう塾・予備校の講師や高校の教員が独自に作るまとめプリントは,なるべく情報を圧縮して紙幅を削減するため,多少不正確だろうと可能な限り短い表現が用いられていることが多い。このプリントでいう「ブラームスがシューマンの弟子」なんかは典型的な例で,プリント作者自身はこれが誤りであることを知っていてこういう表現にしている可能性すらある。しかし,実際にはこれでも受験対策としてはほとんど困らない。ブラームスとシューマンの関係性を問う問題自体が超希少であるところ,その関係性が師弟であるか先輩後輩であるかというところで正誤判定は作らない。要するに受験生にはブラームスとシューマンの間に何らかの関係性があったことさえ示せればよく,それで入試問題には対応できてしまうし,できないような問題は真に超々難問であるから捨ててよいということになる。してみると,単純な学習効率から言えば「弟子」という表現は最適解とは言えずとも(「先輩後輩」だって2文字増えるだけなので),ベターな表記ということになってしまう。無論のことながら,こうした「嘘も方便」現象に私は賛同しない。そして,前述の通り,ブラームスとシューマンの関係性が問われる問題自体,10年に一度どこかの私大で出てるかどうかのレベルだから「そもそも触れない」のが真の最適解であると思う。


・私大専願組は塾・予備校も受験生も丸暗記に対して謎の完璧主義が発揮されることがある
これは過去にあまりにもひどい超難問・悪問が繰り返されてきたことで受験業界がパラノイアになってしまっているのが根本的な原因だと思う。そういう意味で,塾・予備校の側を批判したくはないということを先に述べておくとして。それにしても,私大専願組は極端である。増田塾は文系私大専門の塾である。このプリントはその特徴が完璧に詰まっていて,見た瞬間その完成度に対してある種の感動を覚えてしまった。

私大専願組というのは時間が余りがちである。なにせ英語・国語・社会科の3科目しかない。そして現代文は時間をかけても伸びる保証がなく,大学によっては古文の比重が低く,漢文に至っては出題されないことの方が多い。結果的にやればやっただけ伸びることが保証されている英単語と社会科に持てるリソースの大部分が注ぎ込まれていくことになる……というのは身に覚えのある読者の方もおられるのでは。というか私自身にも身に覚えがある。やればやったで楽しいのが困ったところで……。

私はその勉強法自体についてを批評する立場にないから,この論点はスルーさせてもらうが,それにしたって限度はあるということは指摘したい。用語集を丸暗記するのも制止したいところなのに,範囲外まで押さえなくていい。そんなのは捨て問でいいのである。しかし,それを乗り越えて高得点に至った時の快楽は,難易度の高すぎるクソゲーを徹夜して攻略した時の快感に似ており,ひどい場合には英語と国語を投げ捨ててまでその受験勉強にはまってしまう。受験生が求めるのだから,営利企業である塾・予備校だって,やる気と慈愛にあふれる高校の教員だって,求められるものを提供してしまう。もちろん,ただの押し付けがましいオタク教員・講師の犯行という可能性もあるが。

そうそう,塾・予備校にはこうした「過去問攻略において完璧なプリント」を作るのには,もう一つ営業戦略上の重要な理由がある。「このプリントを全部覚えれば,過去何十年間分の早慶上智の入試,範囲外からの出題も含めて全て攻略可能です!」というのは,売り文句として非常に強い。受験生はそれを全て覚えるのに必要な労力を計算しないし,計算しても前述の通り達成できるだけの時間があるからだ。また,冒頭で褒めたように,マイナーな入試問題まで調べ尽くしているという証拠にもなり,これだけ入試問題を研究している先生なのだから信頼できるのだろうという説得材料にもなる。しかし,拙著で何度も指摘している通り,難関私大は懲りない。そうしたプリントでさえ触れていない重箱の隅を探しては出題するのである。イタチごっこは続く。

今回偶然発見されたのは増田塾の世界史の音楽史のプリントだが,似たようなプリントはどこの塾・予備校にも,高校にも,日本史にも地理にも政経にも無数に存在する。ネットにアップされていない,高校の先生のお手製プリントが絶対数としては一番多いのではないか。まさに,氷山の一角という言葉がふさわしい。


・余談
こういう状況を考えるに,2千語という極端な制限や斬新すぎるチョイスという問題点はあったが,高大連携歴史教育研究会の提唱する改革の方向性はやはり正しいと思うし,今でも賛同している。少なくとも現状はあまりにも歪みが大きい。高校教育での重要語句数は制限されなければならない。そう思って,例のリストを改めて読んでみると,純粋な音楽史の用語がビートルズしかなかったので,allevousがセルフツッコミするまでもなく音楽史は高校世界史から滅びそう。……やっぱ極端すぎませんか,この削減案。

ついでながら,この削減案に対する拙文にて「諸子百家の大部分は漢文にアウトソーシングしても,世界史が怒られる筋合いはないと思う」と書いたところ,allevousさんから「漢文への丸投げがOKなら美術音楽への丸投げもOKなのかな 」というコメントがついたが,これは少し説明を加えておきたい。高校世界史上の諸子百家の要点は,農業技術の進展によって余剰農産物が生まれて社会に余裕ができたことと,富国強兵の風潮から多様な思想が開花したという点と,その中で儒家・道家・法家というその後の中国思想に強い影響を与える集団が誕生したという点にある。よって,儒家・道家・法家以外は思想内容に触れる必要がないし,何なら名前を覚える必要もそこまで強いとは思えない。現状でもすでに難関私大向け以外ではスルーされることの方が多く,消しても困るのは難関私大の入試担当者だけという状況に近い。加えて漢文でも触れる内容であるから,漢文にアウトソーシングしても世界史が怒られる筋合いはないという判断となった。同様の理屈が美術史・音楽史全般では成り立たないことは,説明不要だろう。  
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2018年11月16日

世界史上の諸君主の出題頻度グレーディング:ハプスブルク家編

前回の続き。マクシミリアン以降のハプスブルク家を扱う。

基準はこれまでと同様に以下の通り。

A:基礎知識。センター試験世界史B以上の入試を受けるなら知ってないとダメ。
B:国立二次・MARCH以上の私大を受けるなら必要。
B-:教科書に載っていて用語集頻度もそれなりに高いが,便宜上掲載されているという色彩が強く,実際には入試にはほとんど出ない。ネルウァが好例。
C:高校世界史範囲内・外のグレーゾーン。用語集頻度が低いか掲載されていないもの,または旧課程では範囲内だったもの等,早慶上智対策としてなら見るもの。
D:高校世界史範囲外だが,早慶上智でなら見たことがある。満点が欲しいなら覚えてもいい(が当然推奨しない)。
E:完全な高校世界史範囲外で,早慶上智ですら10年に1回未満のレベルでしか見たことがない。

視認性を高めるために,グレーディングのアルファベットに沿って☆を付した。Aなら6個,Eなら1個である。ズレがあったら☆の数の方が間違いなのでアルファベットの方を信じてほしい。意外と思われそうな人は赤で表示した。また,感覚には個人差があるので☆半分くらいは異論があると思われる。特に綿密にデータを収集してデジタルな判断をしたわけではないので,DとEの差については多く異論がありそうだが,そこはご寛恕いただきたい。以下,本編。


《ハプスブルク朝(16-17世紀)》
君主名グレーディング
マクシミリアン1世  C☆☆☆
カール5世      A☆☆☆☆☆☆
フェルディナント1世 C☆☆☆
マクシミリアン2世  E
ルドルフ2世     E
マティアス      E
フェルディナント2世 D☆☆
フェルディナント3世 E
レオポルト1世    E

マクシミリアン1世は意外なほど出題がない。制度に何か手を加えたわけではないし,戦争に勝ったわけでもないので(イタリア戦争を開戦したくらい),高校世界史の流れの説明には不要と判断された模様。おかげで高校世界史でマクシミリアンといえばメキシコで銃殺された人しかいない。カール5世は言うまでもなし。フェルディナント1世はスペインとの分裂後のオーストリア側初代として稀に名前を見る。Dにはならないだろう。ルドルフ2世はアルチンボルドの主君なので美術史上は有名人だが,高校世界史では無名(そもそもアルチンボルドも範囲外)。フェルディナント2世は三十年戦争を引き起こした人。つまり,やらかした人である。1世よりは名前を見ない。3世は終戦時の皇帝だが,私の知る限り出題歴がない。あってもおかしくはないので珍しい(注:無いのが良いことです)。レオポルト1世は治世中にルイ14世にケンカを売られ続けた苦労人。カルロヴィッツ条約で飛躍したのもこの人の時。入試には出ないけど。


《ハプスブルク朝・ハプスブルク=ロートリンゲン朝(18世紀)》
君主名グレーディング
ヨーゼフ1世    E
カール6世     D☆☆
カール7世     E
マリア=テレジア  A☆☆☆☆☆☆
フランツ1世    C☆☆☆
ヨーゼフ2世    A☆☆☆☆☆☆
レオポルト2世   C☆☆☆

カール6世は課程をかなり遡れば国事勅書の言葉とともに範囲内であったが,近年ではほとんど名前を見ない。カール7世はヴィッテルスバッハ家の人でハプスブルク家ではない。オーストリア継承戦争の最中に即位したが,負けて退位。マリア=テレジアは皇帝になっていないが,便宜上ここに。当然のA。フランツ1世は一応用語集頻度△世,実際の出題頻度から言えばDにしてもいい。ヨーゼフ2世はカール5世に次いで聞かれる皇帝と言える。マリア=テレジアが微妙に聞きにくいが,こちらは農奴解放令・宗教寛容令もあって聞きやすい。レオポルト2世は早慶上智でピルニッツ宣言の一点で問われることあるが,まあ覚えなくていいです。在位2年でよく歴史に名前を残したものだ。


《ハプスブルク=ロートリンゲン朝(19-20世紀)》
君主名グレーディング
フランツ2世(1世)  C☆☆☆
フェルディナント1世  E
フランツ=ヨーゼフ1世 C☆☆☆
フランツ=フェルディナント  D☆☆
カール1世       E

フランツ2世は初代オーストリア皇帝・アウステルリッツの三帝会戦・神聖ローマ帝国消滅・ウィーン会議の時の皇帝。その割に出題頻度は低いが,アウステルリッツの三帝会戦の参加者ならナポレオンかアレクサンドル1世を聞いた方が有意義だし,ウィーン会議だったらメッテルニヒの方を聞くので結果的に聞くタイミングがない。そして今回最大の目玉。はい,フランツ=ヨーゼフ1世は入試であまり聞かれません。用語集頻度はわずか△如いろうじて教科書に載っているというレベル。ナポレオン3世もヴィットーリオ=エマヌエーレ2世もニコライ1世も頻出なのに,オーストリアだけこの扱い。オーストリアの国際的地位の低下をよく示す現象である。確かに統一もしてないし海外に植民地を作ったわけでも産業振興に成功したわけでもなく。高校世界史のレベルだと「ずっと戦争に負けてた人」という印象しか残らない。帝位継承者フランツ=フェルディナントは「オーストリア帝位継承者夫妻」という形でなら用語集頻度Г世,名前自体はほとんど出題されない。


  
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2018年11月15日

世界史上の諸君主の出題頻度グレーディング:神聖ローマ皇帝編

今回は神聖ローマ皇帝編。大空位時代等に面倒な人たちがいるが,皇帝としてカウントしていいかどうか怪しい上にどうせグレーディングがEになるという2つの条件を満たした人物はリスト自体からカットした。また,高校世界史では基本的に皇帝とドイツ王をそれほど区別しないので,戴冠していなくても高校世界史上皇帝と見なされている場合はドイツ王でもここにリストアップしている。これらの点はご理解願いたい。

基準はこれまでと同様に以下の通り。

A:基礎知識。センター試験世界史B以上の入試を受けるなら知ってないとダメ。
B:国立二次・MARCH以上の私大を受けるなら必要。
B-:教科書に載っていて用語集頻度もそれなりに高いが,便宜上掲載されているという色彩が強く,実際には入試にはほとんど出ない。ネルウァが好例。
C:高校世界史範囲内・外のグレーゾーン。用語集頻度が低いか掲載されていないもの,または旧課程では範囲内だったもの等,早慶上智対策としてなら見るもの。
D:高校世界史範囲外だが,早慶上智でなら見たことがある。満点が欲しいなら覚えてもいい(が当然推奨しない)。
E:完全な高校世界史範囲外で,早慶上智ですら10年に1回未満のレベルでしか見たことがない。

視認性を高めるために,グレーディングのアルファベットに沿って☆を付した。Aなら6個,Eなら1個である。ズレがあったら☆の数の方が間違いなのでアルファベットの方を信じてほしい。意外と思われそうな人は赤で表示した。また,感覚には個人差があるので☆半分くらいは異論があると思われる。特に綿密にデータを収集してデジタルな判断をしたわけではないので,DとEの差については多く異論がありそうだが,そこはご寛恕いただきたい。以下,本編。


《東フランク王・ザクセン朝》
君主名グレーディング
カール1世    A☆☆☆☆☆☆
ルートヴィヒ1世 C☆☆☆
ルートヴィヒ2世 C☆☆☆
カール3世    E
アルヌルフ    E
ルートヴィヒ4世 E
コンラート1世  E
ハインリヒ1世  D☆☆
オットー1世   A☆☆☆☆☆☆
オットー2世   E
オットー3世   E
ハインリヒ2世  E

欧米圏ではカール大帝を初代の神聖ローマ皇帝とみなすことが多いが,日本の高校世界史では便宜的にオットー1世を初代皇帝とみなしている。ルートヴィヒ2世は一応用語集に頻度△悩椶辰討い襪里琶惶江Cにしたが,入試での出題頻度で言えばDにした方がいい。ほとんど全く見たことがない。一方,ハインリヒ1世は典型的なDグレードの人物で,早慶上智で満点ほしいなら覚えるべしという立ち位置……なのだが,一橋大が”論述問題で”ハインリヒ1世を何度も出題しているので,あの大学限定で覚えた方がいい人物だったりする。作題者の頭がおかしい。残りの人々はEで誰からも異論があるまい。


《ザーリアー朝》
君主名グレーディング
コンラート2世  E
ハインリヒ3世  E
ハインリヒ4世  A☆☆☆☆☆☆
ハインリヒ5世  C☆☆☆
ロタール3世   E

昔はザリエル朝と呼ばれていたが,舞台ドイツ語脱却の流れで今の名称となった。また,近年は用語集に王朝名の記載がなく,入試で問われることもない。結果的に,ザリエル朝で習った人,ザーリアー朝で(早慶上智対策として)覚えた人,そもそも見覚えがない人の3パターンに分かれるのではないか。ロタール3世はザーリアー朝ではないが,便宜上ここに置いた。まあどうせEだけども。閑話休題。ハインリヒ4世は妥当な結果。ハインリヒ5世はヴォルムス協約を結んだときの皇帝という一点で出題がある人なので,覚えた記憶がない人がいてもおかしくはない。Cにしたが,これも国立大では一橋大で例外的に出題あり。おそらく,ハインリヒ4世と5世のために何とか高校世界史に残っている王朝で,この二人がいなかったら高校世界史上の存在自体が危うかったと思われる。王朝名自体が消えたのもやむなし。


《ホーエンシュタウフェン朝》
君主名グレーディング
コンラート3世   E
フリードリヒ1世  A☆☆☆☆☆☆
ハインリヒ6世   E
フィリップ     E
オットー4世    D☆☆
フリードリヒ2世  A☆☆☆☆☆☆
コンラート4世   E

これも昔はホーエンシュタウフェン朝で教えられていたが,近年は単にシュタウフェン朝としてしまうことが多い。これは元の家名はシュタウフェン家で,居城の名前はホーエンシュタウフェン城だったがために混同されたのが原因であるらしい。オットー4世は便宜的にここに入れたが,ヴェルフェン朝である。閑話休題。フリードリヒ1世は第3回十字軍よりも,ロンバルディア同盟との戦いで出題されることの方が多い印象がある。実は用語集頻度はしかないが,出題頻度はけっこう高い。オットー4世はインノケンティウス3世に破門された人物。フリードリヒ2世は説明不要だろう。


《ハプスブルク朝・ルクセンブルク朝他(15世紀まで)》
君主名グレーディング
ルドルフ1世    C☆☆☆
アルブレヒト1世  E
ハインリヒ7世   E
ルートヴィヒ4世  E
カール4世     A☆☆☆☆☆☆
ヴェンツェル    E
ジギスムント    B☆☆☆☆☆
アルブレヒト2世  D☆☆
フリードリヒ3世  E

大空位時代は全員Eなので省略。ルドルフ1世は私は普通に習った記憶があるが,最近は範囲外である。ルートヴィヒ4世はヴィッテルスバッハ家の人物。カール4世は金印勅書での出題が多いが,真に覚えるべきはプラハ大学の創設他プラハの整備ではないかと思う。ジギスムントは用語集未収録だが,事績が多すぎて範囲内と見なされているというたまにあるパターンの人。ニコポリスの戦い,コンスタンツ公会議,フス戦争とまで出番が多ければ当然。個人的にはイギリスのグレイ首相以上に用語集未収録,教科書本文未登場なのが信じられない。グレーディングがAではないことに驚いた人もいよう。アルブレヒト2世(5世という表記もある)は皇帝位が事実上のハプスブルク家世襲となった最初の人物。とはいえこの人は正式に戴冠しておらずしかも1年で亡くなっており,実際の世襲の基礎を固めたのは次のフリードリヒ3世になる。しかもその後帝位を継いでいったのもフリードリヒ3世の直系であり,アルブレヒト2世の家系はすぐに断絶している。


マクシミリアン1世から後ろは次回。700年ほど駆け抜けてみたが,B-以上が7人。ほぼ同じ期間のイギリス王は11人,フランス王は5人だから,意外にもフランス王が最も少ない。フランスの本気は16世紀からだから(震え声)として,やはりイギリス王は異様に多い。  
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2018年11月13日

ノートの提出はかったるかった

・在仏の日本人ワイン農家夫婦に退去命令 「恥ずべき決定」に抗議の署名殺到(AFP)
・在仏の日本人ワイン農家夫妻に滞在延長許可、退去反対の署名5万人超(AFP)
→ 結果的に滞在延長が認められていてよかったのだが,どちらかというと「夫妻の地元では他のワイン醸造家も「政府の助成を受けていてさえ平均月収は1000ユーロ(約13万円)未満だ」と指摘」の方が衝撃が大きい。今度その筋の友人に詳細を聞いてみようと思う。ちなみに,御本人のインスタグラムがこちら


・W杯フランス代表キリアン・ムバッペを「エムバペ」と表記してはいけない理由
→ エンクルマも最近の世界史の用語集は「ンクルマ」を併記している。同様の事情であろう。しりとりで有名なチャドの首都「ンジャメナ」は最初から割と「ンジャメナ」で,「ウンジャメナ」と主張する人は少なかったように思うが,この違いは何に由来するのだろうか。


・ジャンヌ・ダルクの愛剣「フィエルボワの剣」を求めて(Call of History ー歴史の呼び声ー)
→ 折れたのではなく紛失したとすると,その方が情けないので紛失した場所をジャンヌは曖昧にしておきたかったのかも。折れた説は1429年のパリ包囲時に,サン・ドニ駐留中に剣が折れてしまっていることを指していると思われるが,おそらくこれはその後サン・ドニの教会に甲冑とともに奉納されたものであるから別物であろう。ジャンヌ本人が「その剣ではなかった」と言っている。残っていれば大変な聖剣として様々な着想の源になったであろうに,もったいない。


・世界各都市の道路が向いている方角が可視化されたグラフを比べてみると何がわかるのか?(GIGAZINE)
→ これは地理学としてはめちゃくちゃおもしろいネタで,このネタがいつセンター試験の地理で取り上げられてもおかしくない。古い街ならぐちゃぐちゃで新しい都市なら十字型になるというわけでもなく,デリーなんてもっと複雑なイメージがあったが,意外と綺麗な十字型になっていて驚いた。香港はイギリスがきれいに作ったはずだが,島だから結果的にはこうなったということだろうか。マドリードとドバイの中途半端さはどういうことなのだろう。疑問は尽きない。


・嫌われていたいい先生の話(糸魚川ロングブログ)
→ 本当に いい先生のいい話だった。I君にギャザの大会の出場を許可したところが白眉。
→ 元優等生の視点からこの話を見ると,中学までは「勉学の習慣化」が教育の目的の1つだから,ノート提出や授業中の発言が評価項目であること自体は理解できる。問題は”優等生”に見透かされていて,この記事で言う加持祈祷と化している点で。テストで満点近く取れていた身からすると,努力点が評価値であることは理解しているのでしぶしぶノートを提出したり授業で発言しようとしたりするが,実際のところこれらはうざったく,「テストの結果だけで評価してくれよ」と思っていた。その意味では,純粋な結果だけが求められるようになった高校の授業は気が楽であった。
→ なお,人を見ずに行動だけ見て,優等生だろうが女子だろうがまずかったら平等に叱る先生はうちの中学にもいたが,普通に人気の先生だった。この辺は校風の差や,先生のキャラクターの差も出てくるところだろう。  
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2018年11月11日

デュシャンの大回顧展と,それ以外の何か

東博のデュシャン展に行ってきた。デュシャンと言えば20世紀前半に登場した芸術家で,やりたい放題やった人という印象であるが,その大規模な回顧展である。主要な作品は概ね出展されており,実際に彼の画業が一通り追える展示構成になっていて,作品制作よりはチェスに打ち込んでプロプレイヤーになっていた時期(ローズ・セラヴィという別人格を作っていた時期)も含まれている。

1887年生まれのデュシャンであるが,最初はとりあえず伝統絵画の勉強から初めてキュビスムに一旦はまっている。展示されていたキュビスムの作品は名前を伏せられたらまず間違いなくブラックの作品と勘違いするような見事なもので,若かりし頃の彼の勉強の様子がうかがえた。10年ほど年下のマグリットや,さらに10年ほど年下のポロックも全く同じコースをたどっていて,若い頃の作品を見るとそれぞれフォーヴィスムやキュビスムの作品がある。そこから独自の芸術を切り開いていくのは19世紀末〜20世紀初頭に生まれた芸術家に共通する経験であるらしい。

もっとも,デュシャンはその見切りが他の人々に比べて異様なまでに早く,25歳頃には早くもまともな絵画制作から離脱していった。なにせレディメイドのスタート,《自転車の車輪》は1913年のことで,《泉》は1917年の出来事である(どちらも今回の出展にある)。代表作の陳列と言えば,少し日本人として,あるいは東大OBとして誇らしかったのは,多くの作品が海外から持ってこられている中で,《大ガラス》は駒場キャンパスからの出品となっていた。東大・駒場キャンパスにデュシャンの代表作の複製(原版含めて世界に4体のみで残り3体は全て欧米)があるというのはもっと知られていい……と方々で書いていたような気がしたが,今ブログ内検索をしてもTwilogを見ても意外と書いてなかったので,改めて言及しておく。

デュシャンの代表作の展示と言えば,今回一番嬉しかったのは《L.H.O.O.Q》を見れたことである。《大ガラス》は当然のこととして,《泉》も《自転車の車輪》も別の展覧会で見たことがあったが,《L.H.O.O.Q》は見たことがなかった。写真撮影OKだったので,あまりの喜びにその旨をTweetしてしまった。


が,TLの反響が薄かったのが少々寂しい。《L.H.O.O.Q》は意味を知っていると&《髭をそったL.H.O.O.Q》というオチまで知っていると最高に笑える作品なので是非広まってほしい。『レゴシティアンダーカバー』でもネタになっている。


最後のセクションは晩年・遺作のもので,デュシャンは代表作が1910〜20年代に固まっているが,制作意欲が衰えたわけでも傑作を生み出さなかったわけでもなく,終生制作活動を続けており,亡くなったのが1968年だから意外と長生きである。晩年や遺作の作品を見ても三つ子の魂百までというか,楽しそうにいろいろと物を作っていた様子がうかがえる。最後まで素晴らしい展覧会であった。


……ということで意図的に無視していたのだが,本展は実は第一部と第二部に分かれていて,第一部が上述のデュシャンの大回顧展,第二部が「日本美術の中に見えるデュシャンの要素」という展示になっている。が,この第二部の評判が非常に悪い。私自身ひどいと感じたし,鑑賞客も第一部に比べるとガラガラで,皆思ったことは同じなのだろうなと。並んでいるものは一級品なのにキャプションが意味不明で首をひねるという体験はなかなかできるものではなく,その意味では稀有である。たとえば「千利休の茶器はレディメイド」と言われても理解不能であるし,「日本には昔から異時同図法があるからすごい」とか言われても,いや中世ヨーロッパにだって異時同図法あったやろってツッコミを入れたくなるし,模倣とコピーの混同も意味不明であった。これ本当に東博の中の人が作った展示なんだろうか。無理やり日本すごい要素を入れて世の流れに迎合しようとしたのだとするなら非常に薄ら寒いし,評判を見れば結果的に迎合にも失敗している。この点,完全に無視しても良かったのだが,一応記事の末尾に書き添えておく。  
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2018年11月10日

義教のくじ引きと秀吉の花見と

醍醐寺「如意輪観音坐像」サントリー美術館の醍醐寺展に行ってきた。醍醐寺は真言宗醍醐派の総本山として,空海の直系孫弟子にあたる聖宝が開いた。9世紀後半,貞観年間のことである。実は命名に醍醐天皇と関係ない(後に帰依は受けている)。本展は昨年に上海・西安を巡回してきたもので,この後には九州国立博物館に行く大規模な巡回展である。醍醐寺が空になるような所蔵物の全公開状態で中国では延べ80万人が来館する大好評だったそうだ。

密教系であるので所蔵されている仏具は修法や加持祈祷に用いたものが中心になる。制作年代は鎌倉・室町時代が多いが,たまに平安時代の,それも創建からそれほど経っていない時期のものがあり,保存状態も良くて驚く。応仁の乱で伽藍の大部分が焼け落ちたそうだが,よく残っているものだ。展示には多くの仏像も含まれ,全部で15体ほどあっただろうか,それぞれがそこそこ大きく,これで海外まで巡回したというのは神経を使ったことだろう。見どころはやはり綺麗にそろっている五大明王像と,10世紀の作例としては保存状態が非常によい巨大な薬師如来坐像,同じく10世紀の作例で,観心寺のものに引けを取らない出来の如意輪観音像だろう。特にこのなまめかしい如意輪観音像を見ると,いかにも密教美術であるなと思う。

しかし,こうした仏具や仏像はこうした大寺院の展覧会であればどこでもある程度見られるものであり,その意味で珍しさには欠ける。本展のおもしろみはやはり醍醐寺特有の所蔵物の展示であろう。醍醐寺は室町時代の初期に隆盛を極めたが,その立役者は当時の座主の満済であるそうだ。満済は当時の他の大寺院もそうであるように摂関家から輩出された人物で,足利義満の猶子となって室町幕府との縁を深め,その支援を受けて伽藍を復興,最終的には准三后にまで上り詰めた。醍醐寺座主の満済は,病死寸前の足利義持から相談を受けて「くじ引き案」を発案し,自らそのくじを作成した張本人で,日本の歴史上で重要な役割を果たしている。本展では満済御本人の日記が出展されていて,くじを発案した日のページが開かれているので,読めずとも是非ご覧になってほしい。なお,満済は将軍義満・義持・義教と三代からの信任が篤く,五山僧ではないが,密教僧として室町幕府の政策の諮問を受けていたそうだ。

その後,前述のように応仁の乱で大きな被害を受けたが,織豊政権の庇護下で復活する。展示替えで私は見られなかったが,信長直筆の書状(ちゃんと「天下布武」の印がある)も本展には出品されている。また,本展では秀吉が用いたとされる黄金の茶室ならぬ,黄金の茶器として「金天目」を見ることができる。そしてご存じの方も多いであろう,豊臣秀吉末期の花見,醍醐の花見はその名の通り,醍醐寺で開かれたものだ。開催にあたって秀吉は七百本の桜を醍醐寺に移植したのをはじめとして,多くの建造物を建てさせているが,直後に秀吉が亡くなってしまったため,名義上の寄進者が秀頼になっている建物がいくつかあって,これはこれで面白い。徳川の時代になると政治の中枢からは再び離れてしまうが,それもあってか,襖絵を描いた(見事な花鳥画である)画家が長谷川派に帰属する人物と推定されていたり,俵屋宗達であったりという名前が見られるのもまた面白い。俵屋宗達の作品は保存状態が悪く少々残念だったが,長谷川派の作品は大きな襖絵で見応えがあった。

東京での企画展は終わってしまうが,九博に行く気のある方にはお勧めしておく。  
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2018年11月09日

非ニコマス系動画紹介 2018.1月中旬〜2018.2月上旬




破壊するものは闇の翼が来る前に倒せるんだなぁ。真・破壊するものはやっぱり凶悪に強い。4万まで回復するタイミングで味方の行動がカットされるという特性がこんなところに影響するとは。




こちらは真・四魔貴族を1ターン撃破。おともレベルの上昇を避ける必要が出てくるため,他の極限まで鍛える縛りとは異なった趣になったのが面白かった。あと殿下ロイドがめちゃくちゃ面白い(別の意味で)。




このシーンにも,こんな元ネタがあったやな。




なぜかVtuberの動画でどんどん作られていったダンスロボットダンスのシロさん版。ロボットとVirtual要素が合うということなのだろう。



四天王が全員揃った版。キズナアイが出てくるところで不覚にもちょっとうるっと来た。やっぱ親分が親分ですわ。4月くらいのコメントで見たほうがよいかも。



突如として始まったRTA。こういう人たちに愛されている辺りがシロさんであり,こういう人たちがいるのがシロ組さんなのだよなぁ。



その発想はあった。キャラと曲の組み合わせがマッチしすぎていてヤバイ。



シロさんが私がハマっていたI am Breadをプレイしていた。この後は全くやっていないのが残念。シュールな世界観が合うと思うのだが。  
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2018年11月08日

「スウェーデンの"国民的"画家」

ラーション《かくれんぼう》損保ジャパン美術館のカール・ラーション展に行ってきた。ラーションは近代スウェーデンの国民的画家で,同国の画家としては最も有名な人物だろう。同時代ではお隣ノルウェーにムンクがいるが,それに比べると世界的な知名度は低い。ムンクの場合は象徴主義という世界史的な美術史の流れの上で評価されているが,ラーションの評価はまた別の軸になるためである。対比としてもう一人,動揺にほぼ同時代のデンマークのハンマースホイの名前を出してもよいだろう。彼の場合は名前が埋もれていたが,発見されて急激に評価が高まった理由は,その静寂を感じさせる室内画の数々の独創性が高く面白かったからである。ムンクにせよハンマースホイにせよ,北欧には寒々しく陰鬱な絵画というイメージはどうしたってつきまとう。

そこへ行くと,ラーションの作品は完全に一線を画している。技術的にはただただ上手いというだけで,独創性は感じられない。確かに世界の美術史で特筆すべき特徴を備えているようには見えない。しかし,圧倒的に明るいご家庭の描写としては抜群に上手いのである。彼はその画力を生かして壁画などの大作を請け負う一方で,田舎に買った自宅を終生増改築し,妻とともに美しい家具やテキスタイルを作って揃え,多くの子供を生んで,自らの明るい家庭を繰り返し描いた。ラーションがそれらの画像を収めた画集は飛ぶように売れた。徹底したセルフプロデュースとプライバシーの切り売りと言えなくもないが,結果的にその家庭の眩しさは見るものを安堵させ,羨ましがらせた。魅力ある家庭を垣間見ることはこんなにも素直に喜ばしいものなのか,と人々に気づかせたのは間違いなくラーションの功績であろう。

そして,こうしたセルフプロデュースは当時のナショナリズムとは無関係でない。スウェーデンの伝統的な技法や柄を用いて手作りした家具に囲まれたラーションの家庭は,理想的なブルジョワジーの家庭として受容され,愛すべきスウェーデン社会という一回り大きなセルフプロデュースにも利用されていった点は無視できまい。ラーションが「国民的画家」と称される理由はまさにここにある。前世紀,ヴィクトリア女王の家族が中上流階級のイギリス家庭の模範とされたことと少し似ている。ただし,あちらと比べるとラーションの家庭は親近感があり,身近な手本としやすかった点は尚更国民的と称するにふさわしい地位をラーションに与えている。

ラーションがスウェーデン社会,というよりも北欧家具に与えた大きな影響はもう一点ある。これは私自身知らず,今回の展覧会で非常に勉強になった点であるが,実のところ手作りで揃えた家具の大半は妻のカーリンが製作したもので,「手作り感あふれる,デザインの優れた家具」という北欧家具のイメージは,ラーションの絵画を通じたカーリンに負うところが大きいそうだ。当のラーション本人は家具製作は絵画制作よりも一段下に見ていて,セルフプロデュースにおける補助的な役割を果たしているに過ぎないと考えていたそうだが,その家具イメージが最終的にIKEAを代表とする一大産業を発展させたことを思うと,むしろカーリンの方がスウェーデン史上重要な役割を果たしたとさえ言えるのかもしれない。この辺りの事情はジェンダー美術史学の発展が貢献したところだろうか。今回の展覧会はラーション夫妻愛用の家具の数々が展示されていて,この点でも見応えがあった。そして最後に「IKEAプロデュースの現代風ラーション家の居間」セットが設置されていたのは,単なる宣伝になっておらず,非常に示唆的である。

派手な宣伝はされていないが,今年見に行って損はない展覧会の一つ。  
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