2018年12月29日

C95チェックリスト(三日目)

平成最後の冬コミの最終日。

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2018年12月28日

C95チェックリスト(初日・二日目)

初日は不参加にするか重役出勤にするか悩んでいるところ。梅の実画報と電波絵師団とめきめき亭とRosebudが必須だが,めきめき亭以外はまず間違いなくメロブで買えそうなので,めきめき亭次第かな。あるいは,誰かから何かを頼まれるか。企業は初日か二日目に行くとして,ヤマノススメサードシーズンお疲れ様本だけ。


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2018年12月25日

不安・死・性愛の画家

ムンク《叫び》1910年都美のムンク展に行ってきた。前にムンク展があったのは2007年のことであるから,約11年ぶりの東京でのムンク展ということになる。もっとも,図録には「回顧展というべき規模のムンク展は,日本では20年ぶり」というようなことが書いてあったので,11年前のものはカウントされていないらしい。確かに《叫び》が来ておらず,画業の全てを俯瞰するというよりも《生命のフリーズ》の装飾性についての展示になっており,正直よくわからなかったのが当時の感想である。まあ,よくわからなかったのはキュレーション半分,当時はまだあまり詳しくなかった自分の知識の足りなさ半分というところだろう。

そこへ行くと今回の展覧会は完璧で,約100点ながら,ムンクの画業をちゃんと追うことができる構成になっていた。代表作も《叫び》は当然のこととして,《不安》《マドンナ》《吸血鬼》と勢揃い。来ていなかったのは《思春期》くらいではないか。ムンクの場合,ムンク自信が自分の代表作を手放す際に最低でももう1作描いて手元に残しており,しかもそれを遺言でオスロ市に遺贈した関係で,ほぼ全ての代表作をオスロ市立のムンク美術館が所蔵している。それも複数。東京で大規模な展覧会があると,こんなに大量に借りてきてしまってと現地の人や観光客を慮って多少心が痛むのだが,今回に限ってはそういう心配は無い。ちなみに,《叫び》からして4作あり,今回持ってこられた1910年作のものが最後にしてよく見慣れた作品である。

ムンクは名家の生まれであるが,父親が軍属の外科医でその収入が意外にも少なく,幼少期はやや貧しかったらしい。その幼少期に母親と姉が結核で亡くなり,本人も病弱だったために死が身近に感じられる環境で育つ。そして人生で何度か恋に落ちているが一度も実っていない。そういうわけで画題は「性愛」と「死」と「不安」にまつわるものが多く……必然的に中二病の塊のような絵画作品になる。逆説的に,彼の絵からは精神的な童貞臭さがものすごく感じられ,私には共感しかなかった。たとえば《マドンナ》は妖艶な女性と新たな生命を宿す母親が同一であるという,男性には根源的に克服しがたい乖離を感じさせる絵になっている。《吸血鬼》もテーマとしては同一で,赤髪の女性が男性に食らいついて血を吸っているが,血を吸われている男性はどこか吸血鬼に身を委ねて死を受け入れているように見える。端的に言って気持ちが悪いと言われる系統のエロがある。端的に言って気持ちが悪いのに,漠然としたそのまますぎて端的に言わせない強さがある。そこが芸術性なのだろう。

《叫び》は「性愛」が絡まない分,気持ち悪さはない。だからこそムンクの良さが出ているとも言える。近代社会に漂う,ただならぬ,言葉にできない不安感を漠然とさせたそのままの状態で画中に封じ込めている。陰鬱な気分で厚い雲に覆われた空の下,都会の雑踏に孤独を感じながら歩いていると,夕暮れの強烈な西日が雲を焼き,世に対する不安感が増していく。こうした「言葉にしづらい」感覚をわかりやすく,漠然としたそのままの状態で一枚の絵に閉じ込めきってしまう点でムンクは最強に上手い。ムンクの作品は女性が出てきてとりあえず何か気持ち悪いことが多いが,《叫び》はそういう要素がなく,考えてみると珍しい。だからこそ代表作オブ代表作のような扱いになっているのかもしれない。《思春期》はまだしも,《吸血鬼》や《マドンナ》を載せて事細かに解説するのは気が引ける(やっている教科書があるかもしれないしそれを批判するつもりは全く無いが)。もっとも,私自身も《叫び》の主題が理解できたのはかなり長じてからであった。総じて中二病を消化した作品であるから,ムンクは子供には理解しがたいのかもしれない。そう考えると(今回来ていないけど)《思春期》はまさに思春期の少女の「不安」がテーマになっていて,例によってムンクらしいわかりやすさがあるのは面白い。

他の画家と比較するに,まず思いつくのはゴッホである。影響関係は明白だが,ゴッホは精神が病んでいて,それに自覚的でないままに狂った様子をキャンバスにたたきつけていった。なので作品は強烈なパワーを持つことになったが,生前には理解されなかったし,自らがその負荷に耐えられずに死んでしまった。そこへ行くとムンクは自分のこじれ方に自覚的で,しかもそれを世が受け入れてくれるラインまで加工して作品にする技術があったと言える。事実,ムンクは生前からかなり人気があった。また,ムンクは具象画にこだわりがあって,しかもわかりやすさを一作のタブローに詰め込んでしまう傾向があった。この点では同時代のシュルレアリスムや抽象表現主義とは完全に一線を画している。確かに,同じ中二病でもダリとは魅力の方向性が違う。

ムンクは作品が一作で完結しているのにもかかわらず,個展をしばしば開催して自らの作品を並べて鑑賞させることを好んだそうだ。また,ムンクは自らの作品が好きすぎて「我が子」と呼び,前述のように手放す際は手元に残すために同じものをもう一度描いているし,作品解説は多弁だったそうだ。それもこれも,この溢れ出る「言葉にしづらい」感覚を共感してもらいたい気持ちが強すぎたのだろうと思うと非常にしっくり来るし,感覚をうまく入れられた作品に自己愛に似た強すぎる思い入れが生じてしまうのも理解できる。わかりみが深すぎてムンクは友達だったような感覚がしてきたが,多分気のせいであろう。  
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2018年12月24日

レジティミストとかカルリスタとか(以下略

・世間がもし30人の基地だったら
→ 南極地域観測隊に参加していた人による,よりもいの視聴記。実感がこもっているのがすばらしい。氷上ソフトボールは実在する!


・「宇宙よりも遠い場所」感想(めぐりあいクロニクル)
→ 私はよりもいを後追いで8月頃に見たのだけど,感想はこの記事と全く同じで(めぐっちゃんのあのエピソードが何となく苦手なところも含めて),自分で書く機会も逸しているのでこれを貼ってお茶を濁しておく。ほんと名作でしたね。12話のラストを筆頭に名シーン揃いで。これと『ゆるキャン△』と『りゅうおうのおしごと』が同時にやっていた2018年の冬アニメ,何かがおかしいのでは。


・現代に生きるジャコバイト、対立教皇(Togetter)
→ 世界史オタク,ジャコバイトとかボナパルティストとかに弱すぎる説(実証するまでもない)。こんなのテンション上がらないほうが嘘でしょ。まさか薔薇戦争までさかのぼって独自の王位を主張する一派までいるとは。日本の場合,南朝の天皇の末裔自称者は対立教皇と同じ枠になってしまって,今ひとつこういうのが無いのでちょっとうらやましい。しいて言えば徳川家はまだ宗家が生き残っていて,徳川家達が首相候補になった時に一族会議で全力で反対されたエピソードは面白い。


・仏像で「満杯」 地域の博物館、あふれる寄贈の文化財(朝日新聞)
→ 学芸員さんの「いまは価値がないように見えても、将来は重要になるものもある。一度断れば市民が次の寄贈をためらわないか心配」 というコメントが全てで,しかもその価値がローカルな地域にとっての重要性だったりすることもあるから,海外に売れば保存してもらえるというものでもないのが非常に頭の痛いところ。このレベルの文化財になると「国が金を出すべき」とも安易には言えないし,地方自治体が金を出せなくなったらそこで打ち切りではあるのかなと……。


・山のリスクをITで減らせるか―― 「行方不明」を防ぐ最新技術(Yahoo!ニュース)
→ 自分も,そこまで難易度の高い山には登ってないものの,次のスマホからは何か導入したほうがいいなとは思っている。携帯電話の普及・発展は確実に遭難からの救助を楽にしているはずで,こういう技術に頼らなくても,かなりの山間部でも意外と4G回線が来ていることに驚くことが多い。前に陣馬山から高尾山まで縦走したときは登山道の9割で電波が途絶えなくて,さすがだと思った。登山中に割とTwitterをしていて登山届もつぶやいているが,あれは結構安否確認も兼ねていたりする。


・6666AAPがMMD杯から離れた理由(6666AAPのブログ)
・MMD杯をよく知っている人の意見表明のまとめ(彬兄のブロマガ)
→ この辺りを読んで,今更ながら思ったことでも。
→ まず,MMD杯創設の目的がMMDの普及であり,MMDの良さと言えば,無料で素人が3Dモデルを動かす入り口として適していたことと,プロ級の人が動かせばとんでもない作品も作れることが両立していたことであったと思う。MMD杯にはその特徴をうまく活かしていて,優勝は技術的にすごいものがかっさらっていくものの,アイデア勝負のものもいいところまでいって審査員賞を持っていくという塩梅がよく噛み合っていた。ただ,技術力勝負については,第3回辺りから第12回までの進化はすごかったものの,「そこまで凝るとかえってMMDに見えない」となってしまって進化が止まった感があり,結果的に勝負を分けるのはジャンル人気になってしまった。その技術的な意味でも第12・13回辺りがMMD杯の曲がり角だったから,ルールを再整備すべきであったと今振り返ると思う。6666APの挙げている,タグでジャンル別の競争にするというのは良案だったと思うのだが。
→ 次に,一視聴者からの意見として。私がMMD杯を見ていた理由は,一言でまとめれば「面白い動画を探す」ことにあり,マイリスト数の多寡は探すのに便利だった。もちろん工作はあったが,工作で上位に来ていてもサムネでわかるか5秒ほど損するかくらいで,特に問題はなかったというのが正直なところである。「私が」としたが,視聴者層の少なからずは同じ心情だろう。その意味で,やはり例のアレの混入とそれに伴う工作の激化が事実上の検索妨害となって,MMD杯から視聴者を離れさせたのは疑い得ないと思っている。例のアレがダメなのは動画の質の問題ではなくて倫理的な事情であり,さすがに譲れない最後の一線として避けている人は多い。そこを見極めれず,いつものネットの流行物と考えて排除に踏み切れなかった運営の罪は重い。結局その重みにつぶされたのが15回以降の最後の6回だったと思う。
→ この問題を考えるのであれば,以前に取り上げた第15回の工作参加者の意見が参考になるので,その時の自分の記事ごと再掲しておく。  
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2018年12月23日

世界史上の諸君主の出題頻度グレーディング:ドイツ皇帝・ロシア皇帝編

タイトルが長くなりすぎるので省略したが,ドイツ皇帝はブランデンブルク=プロイセンを含む事実上のホーエンツォレルン家のグレーディング。ロシア皇帝はモスクワ大公国を含む。

基準はこれまでと同様に以下の通り。

A:基礎知識。センター試験世界史B以上の入試を受けるなら知ってないとダメ。
B:国立二次・MARCH以上の私大を受けるなら必要。
B-:教科書に載っていて用語集頻度もそれなりに高いが,便宜上掲載されているという色彩が強く,実際には入試にはほとんど出ない。ネルウァが好例。
C:高校世界史範囲内・外のグレーゾーン。用語集頻度が低いか掲載されていないもの,または旧課程では範囲内だったもの等,早慶上智対策としてなら見るもの。
D:高校世界史範囲外だが,早慶上智でなら見たことがある。満点が欲しいなら覚えてもいい(が当然推奨しない)。
E:完全な高校世界史範囲外で,早慶上智ですら10年に1回未満のレベルでしか見たことがない。

視認性を高めるために,グレーディングのアルファベットに沿って☆を付した。Aなら6個,Eなら1個である。ズレがあったら☆の数の方が間違いなのでアルファベットの方を信じてほしい。意外と思われそうな人は赤で表示した。また,感覚には個人差があるので☆半分くらいは異論があると思われる。特に綿密にデータを収集してデジタルな判断をしたわけではないので,DとEの差については多く異論がありそうだが,そこはご寛恕いただきたい。以下,本編。


《大選帝侯〜フリードリヒ2世》
君主名グレーディング
フリードリヒ=ヴィルヘルム大選帝侯 D☆☆
フリードリヒ1世          D☆☆
フリードリヒ=ヴィルヘルム1世   B-☆☆☆☆
フリードリヒ2世          A☆☆☆☆☆☆

フリードリヒ=ヴィルヘルム大選帝侯は早慶上智で稀に見かける。ドイツ史ではなく世界史という尺度で考えると,同じような立ち位置のフィリップ2世などに比べると確かにインパクトが薄い。初代プロイセン国王フリードリヒ1世は一つ前の課程まで頻度,波楼脇發世辰燭,最新課程はとうとう消滅した。もっとも,旧課程時代でも大選帝侯レベルの出題頻度だったが。フリードリヒ=ヴィルヘルム兵隊王は用語集頻度イ世,これも実際の出題頻度は低い。というよりもこんなに教科書に載っていることに驚いた。てっきり,箸△と。こういうのがあるから用語集頻度も絶対視できない。フリードリヒ2世は当然の結果。有名すぎてかえって聞かれない,ナポレオン1世やヴィクトリア女王と同じ枠という気もするが。


《フランス革命戦争〜ドイツ帝国崩壊》
君主名グレーディング
フリードリヒ=ヴィルヘルム2世 D☆☆
フリードリヒ=ヴィルヘルム3世 D☆☆
フリードリヒ=ヴィルヘルム4世 D☆☆
ヴィルヘルム1世        A☆☆☆☆☆☆
フリードリヒ3世        E
ヴィルヘルム2世        A☆☆☆☆☆☆

フリードリヒ=ヴィルヘルム2世はピルニッツ宣言の実行者で稀に出る。フリードリヒ=ヴィルヘルム3世は在位期間が長く,ナポレオン戦争・ティルジット条約・ウィーン議定書・七月革命と重大事件を経験しているものの,本人の影は非常に薄い。実際に動いたのはシュタインやハルデンベルク,グナイゼナウやシャルンホルストであるから,国王を教えることはないということであろう(なお,軍人の2人も範囲外)。フリードリヒ=ヴィルヘルム4世も1848年革命時の国王で,フランクフルト国民議会で戴冠を要請されて拒否したりプロイセン欽定憲法を発布したりした人だが,入試で見ない。もちろん出てくれなくて全くかまわないのだが,前2人以上に見ないのはちょっと不思議かも。ヴィルヘルム1世・2世は当然のAとして,フリードリヒ3世は存在自体知らない人が多そう。ヴィルヘルム2世は実は第3代皇帝なのだ。後の展開を考えると,フリードリヒ3世が長生きしていたら歴史は大きく変わっていたと思われ,大変惜しい。



《リューリク朝〜ロマノフ朝前夜》
君主名グレーディング
イヴァン3世    A☆☆☆☆☆☆
ヴァシーリー3世  E
イヴァン4世    A☆☆☆☆☆☆
フョードル1世   E
ボリス=ゴドゥノフ E
動乱時代全員    E

ここからロシア。イヴァン3世とイヴァン4世はどちらもセンターレベルでしかも紛らわしく,受験生に嫌われる判別の筆頭。イヴァン3世が非公式にツァーリ称号を使用開始,イヴァン4世がそれを公式化と経緯がやや込み入っているのも嫌なところ。フョードル1世はリューリク朝最後のツァーリ。そして動乱時代は入試に全く出ないどころか,そもそも高校世界史で扱わない。おそらく,イヴァン3世からしてロマノフ朝と勘違いしている受験生はおそらくかなり多い。


《ロマノフ朝(17世紀)》
君主名グレーディング
ミハイル=ロマノフ B-☆☆☆☆
アレクセイ     E
フョードル3世   E
イヴァン5世    E
ピョートル1世   A☆☆☆☆☆☆

初代は謎に出題される法則から外れ,ミハイル=ロマノフはめったに入試で出ないが,用語集頻度はい任△襦まさにローマの五賢帝と同様に,便宜的に載せられているのだろう。第2代アレクセイはツァーリの帝権を安定化させてピョートル大帝につなげ,ステンカ=ラージンの反乱を鎮圧し,大洪水時代のポーランドに侵攻してキエフを獲得した人物でもあるのだが,課程をさかのぼってさえ高校世界史に出てこない。このくらい業績があれば範囲外ではあれCやDになりそうなところ,Eでとどまるのは英仏独と違う雰囲気がする。なお,ステンカ=ラージンはBくらいの出題頻度があるのに,大洪水時代はDかEという格差も謎ポイント。マルクス主義的に民衆反乱が重視されていた時代の名残だろうか。ピョートル大帝は言うまでもなくA。


《ロマノフ朝(18世紀)》
君主名グレーディング
エカチェリーナ1世 E
ピョートル2世   E
アンナ       E
イヴァン6世    E
エリザヴェータ   E
ピョートル3世   E
エカチェリーナ2世 A☆☆☆☆☆☆
パーヴェル1世   E

ピョートル大帝死後の混乱期は全員E。エリザヴェータはその混乱を収めて,七年戦争に参戦した女帝(ペチコートの陰謀の一人)だが,入試ではほぼ見ず,DかEか微妙なところ。その講和の原因となったピョートル3世も同じく。エカチェリーナ2世は当然のA。こうして見るとロシア皇帝は非常にメリハリがある。


《ロマノフ朝(19〜20世紀)》
君主名グレーディング
アレクサンドル1世 B☆☆☆☆☆
ニコライ1世    A☆☆☆☆☆☆
アレクサンドル2世 A☆☆☆☆☆☆
アレクサンドル3世 D☆☆
ニコライ2世    A☆☆☆☆☆☆

アレクサンドル3世の仲間外れ感。実際,受験生はアレクサンドルとニコライが交互に出てくると覚えるので,おそらく存在自体を認識されていない。アレクサンドル1世は神聖同盟の提唱者として聞かれることが最も多い。ニコライ1世はデカブリストの乱とクリミア戦争で頻出。アレクサンドル2世は農奴解放令と露土戦争・ベルリン会議で頻出。アレクサンドル3世は露仏同盟締結にシベリア鉄道着工という大きな事績があり,ポグロムの激化という事件もあるが,なぜだか無視される。最後のニコライ2世は言うまでもなし。


残りのオスマン帝国・アメリカ大統領・中華王朝は年明けに。  
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2018年12月22日

バジパイ元首相の訃報記事に関連していろいろ

バジパイ元首相が死去、93歳 インドの核保有を主導(CNN)
→ 現在のインドの政権与党であるインド人民党の創設者にして,1998年核実験の実行者。今のインドに多大な影響を残したのだが,不思議と知名度が低く,高校世界史でも未登場である。私自身,それほど大きな印象が無い。これは「インド人民党」の側に大きな意味があって,誰が党首であってもそれほど変わりはないという歴史的評価なのかもしれない。

インド人民党自体については,国民会議派の腐敗を掣肘したという点で歴史的意義があるものの,それがなぜああしたヒンドゥー至上主義という形で現れてしまったのかは興味深い。独立運動においてある程度大同団結を訴えざるを得なかった国民会議派に比して,堂々と多数派の支持を訴えやすかったという構図はあろうか。

ところで,考えてみると,独立運動の指導者層がいた政治組織が,独立後に(独裁期間を経つつも)現在の議会制民主主義の有力政党に軟着陸した事例というのが世界史上意外と少なく,自分でちょっと驚いた。台湾の国民党やメキシコの制度的革命党,本邦の自民党は近いところがあるが「独立」ではないし,ベトナム共産党やシンガポールの人民行動党のように一党独裁になった事例は論外。インドネシア国民党のようにスハルト独裁時代に埋もれてしまったところが多く,ビルマのタキン党やパキスタンのムスリム連盟,エジプトのワフド党もこのパターン……と消していくとインド以外でぱっと思いついたのはマレーシア,トルコ,イスラエル,ボツワナ,南ア(アフリカ民族会議)くらいであった。アフリカは正直に言って全く詳しくないので,探せばまだあるかもしれない。野党への転落経験は健全な民主主義として当然としても,泡沫政党化や消滅というのはあまりにも寂しい。


ところで(2つめ),記事中の「インドの核保有に道を開いた指導者」には違和感がある。確かにインドが正式に核保有を認めたのはこのタイミングだが,実際には1974年に事実上の核保有を達成している。これを1998年が正式と見なしてしまうのは著しくインド政府に寄った見解となり,よろしくない。気になって他の日本語メディアの訃報記事を読んでみたが,朝日新聞と産経新聞は「24年ぶりの核実験」,日経新聞とAFPは「核保有宣言」とちゃんと持って回った言い回しになっており,こんならしからぬチョンボをしているのは概ねCNNだけであった。最近英語力に全く自信がないので英語記事を比較するのは他人に任せたいところだが,とりあえずBBCはきっちりと24年ぶりと触れていた。CNNの英語版の記事もリンクしておく。どうもこちらでもストレートな物言いになっているような気が。自明だから削ったようにも……うーん。

ちなみに,世界史の入試でもこのインドの核保有年による悪問があり,『絶対に解けない受験世界史2』のp.185(2016年の明治大)に収録されているので気になる人は是非(宣伝)。  
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2018年12月11日

南スーダンとコソヴォは自分も気をつけないと

・掲載地図の誤りにみる『防衛白書』の資料的価値と防衛省の地理的知識―『平成29 年版 日本の防衛―防衛白書―』を中心に―(近藤暁夫,『愛大史学』27巻)
・ 掲載地図と本文の矛盾からみた日本国『外交青書』の資料的価値 ―― 『外交青書2017』を中心に ―(近藤暁夫,『愛知大学文學論叢』155巻)
→ 出版物や社会の地理的誤りを指摘する近藤暁夫先生の新作2件。まず『防衛白書』,これ読むと防衛省は尖閣諸島も竹島もどうでもよさそう。特に鼻水吹いたのはp.24。ミサイルの射程距離を示す図なのに正距方位図法が間違っているのは神経を疑う。北朝鮮のミサイル実験時に民放のテレビが正距方位図法ではない地図を使ってしまってネットで批判されていたが,よほどこちらの方がまずかろう。南スーダン・東ティモール・モンテネグロ・コソヴォが独立していないのも,やってしまいがちではあるが,こうした文書ではアウト中のアウトだろう。
→ ただし,本論文にも一点批判を加えておくと,p.32。サッカー戦争はサッカーの試合結果が引き金だっただけで実際には移民に関わる根深い社会問題が原因であるので,このような揶揄には使うべきではない。「国家安康」についても同様で,あれが実際には重要な論点だったわけではないことは,2016年大河ドラマ真田丸に関連して割と論じられたテーマであり,これも些細な理由で勃発した戦争の事例としては正しくない。
→ 『外交青書』についてもほぼ完全にミスのポイントが同じだが,南スーダン・東ティモール・モンテネグロ・コソヴォのミスは地図を使いまわしているからなのだろう。北方領土をロシア領の色で塗っているのは,文書の性格を考えると再発行レベルのミスでは。たとえばこれが外務省の内部資料とか,外務省以外が作っているとかならまだしも妥協しうると思うが,よりによって『外交青書』でこれはちょっと。ゴラン高原がイスラエル領になっているのも洒落になってない気が。


・かちかち山は現代風にアレンジされているのか、ばばあ汁の味(ネットロアをめぐる冒険)
→ 力作。確かに絵本は近年になって全体的に表現がマイルドになったイメージがあるが,少なくとも「かちかち山」は戦後直後すでにそれが始まっているという。しかし,とすると今度は「かちかち山と言えばたぬきは最後に溺死する」というイメージが多くの年代で共有されていると思われることとのズレが面白い。あるいは,実は「最後に溺死する」というイメージが共有されていない可能性もある。さすがに自分で調べるだけの気力と興味関心までは無いが,一つの感想としてここに述べておく。


・立小便対策のエコ便器がパリ市民に不評、景観損なうとの声(ロイター)
→ タイトル見ていいことじゃないかと思わせてからの画像で納得した。これはダメですわ。というよりも,パリ市当局はなぜ個室にしなくて大丈夫と考えたのか,全くわからない。景観だけで言えば立小便とほとんど変わらないと思うのだが。
→ ところで,「パリと言えば野糞と立ちション」という話は聞くものの,生涯に二度ほどパリに行って累計10日ほどパリの中心部を観光した経験で言うと,夜間含めて全くそういう光景にあわなかった自分からするとそういうイメージは無い。ましてや行ったことある人の共通認識のように言われると,自分が行ったのは別の世界線のパリだったのかと思ってしまう。パリの悪さは治安の悪さと夜間の暗さにあって(後者は日本が明るすぎるのだが),汚物と匂いではないと思っている。  
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2018年12月09日

世界史上の諸君主の出題頻度グレーディング:ローマ教皇編

要望と自分なりの目標を鑑み,今回はローマ教皇編。残りはホーエンツォレルン家・ロシア皇帝・オスマン皇帝・アメリカ大統領まではやる予定。困っているのは中華王朝。非常に多いのだが,ローマ教皇と同様にEは省略にすれば何とかなるか? 基準はこれまでと同様に以下の通り。

A:基礎知識。センター試験世界史B以上の入試を受けるなら知ってないとダメ。
B:国立二次・MARCH以上の私大を受けるなら必要。
B-:教科書に載っていて用語集頻度もそれなりに高いが,便宜上掲載されているという色彩が強く,実際には入試にはほとんど出ない。ネルウァが好例。
C:高校世界史範囲内・外のグレーゾーン。用語集頻度が低いか掲載されていないもの,または旧課程では範囲内だったもの等,早慶上智対策としてなら見るもの。
D:高校世界史範囲外だが,早慶上智でなら見たことがある。満点が欲しいなら覚えてもいい(が当然推奨しない)。
E:完全な高校世界史範囲外で,早慶上智ですら10年に1回未満のレベルでしか見たことがない。

視認性を高めるために,グレーディングのアルファベットに沿って☆を付した。Aなら6個,Eなら1個である。ズレがあったら☆の数の方が間違いなのでアルファベットの方を信じてほしい。意外と思われそうな人は赤で表示した。また,感覚には個人差があるので☆半分くらいは異論があると思われる。特に綿密にデータを収集してデジタルな判断をしたわけではないので,DとEの差については多く異論がありそうだが,そこはご寛恕いただきたい。

なお,ローマ教皇は高齢になってからの即位が多い&初期は地位が安定していなかった関係で数が多すぎるため,グレーディングがEでありかつインパクトの薄い人物は大幅にカットした。対立教皇も極力カットした。結果的に全266代+対立教皇のうち,ここに示したのは25人程度になる。先に結論じみたことを書いておくと,ローマ教皇は異様にCになった人物が多く,おそらく全君主の中で難関私大対策とそれ以外の落差が激しい。旧課程には載っていたが現行課程で消えた割合も高く,というよりもローマ教皇を覚えるのが昔は教養だったのだという西洋中心主義的なものを感じた。以下,本編。


《最初期・中世前半(1〜10世紀)》
君主名グレーディング
ペテロ       A☆☆☆☆☆☆
レオ1世      C☆☆☆
グレゴリウス1世  B☆☆☆☆☆
レオ3世      A☆☆☆☆☆☆
ヨハネス12世    C☆☆☆

最初期は登場する人が少なすぎて,最初の1000年で該当者は5人のみ。ペテロは説明不要。レオ1世はアッティラを説得してローマを劫略から救った人物。カルケドン公会議の主要参加者の一人でもある。CにするかDにするか迷ってCにしたが,早慶上智対策ではよく教えられている印象。個人的にはそれでも覚えなくていいと思う。驚くべきことに旧課程では範囲内だった。かたやグレゴリウス1世はこの間の音楽史についての指摘であったところだが,用語集は「聖歌の作成」とばっちり表記。ただ,最近の入試でグレゴリオ聖歌から引っ張っているものはほとんど見ず,ゲルマン人への布教の強化で出題される。レオ3世は当然のA。ヨハネス12世はオットー1世にローマ皇帝の帝冠を授けた教皇。稀にオットー1世じゃなくてこちらの名前が聞かれる。用語集には項目がなく,オットー1世の説明文にのみ登場するので範囲内というにはグレーゾーン。レオ1世に比べるとまだ出題頻度があるか。


《叙任権闘争〜教皇権の絶頂期(11〜13世紀)》
君主名グレーディング
レオ9世      D☆☆
グレゴリウス7世  A☆☆☆☆☆☆
ウルバヌス2世   A☆☆☆☆☆☆
カリクストゥス2世 C☆☆☆
インノケンティウス3世  A☆☆☆☆☆☆
インノケンティウス4世  C☆☆☆

盛期なだけあって,キャラの濃い連中が並ぶ。レオ9世は1054年の教会東西分裂の時の教皇であり,後のグレゴリウス7世を引き立てて教会改革の先鞭をつけた人物とされる。入試で出題されたところは見たことがないが,稀に載せている参考書があるので,私の知らないところで出ているのかもしれない。念のためDにしておいた。グレゴリウス7世は,ひょっとして一番出題頻度の高いローマ教皇なのでは。ウルバヌス2世とどっちかな。カリクストゥス2世(シクストゥス2世)はヴォルムス協約の時のローマ教皇。これぞ難関私大対策というような人。国立大受験生は覚えてなくても不思議ではない(例外は一橋大受験生)。インノケンティウス4世は3世の誤植では? と思われがちなのを利用して出題される人。プラノ・カルピニをモンゴル帝国に派遣した人物である。この人も旧課程では範囲内だったが,現行課程では消えた。こうして見ると,十字軍の提唱者は意外に入試に出ていない(1回と4回だけ)ということがわかる。


《中世末期(14〜15世紀)》
君主名グレーディング
ボニファティウス8世 A☆☆☆☆☆☆
クレメンス5世    C☆☆☆
グレゴリウス11世   D☆☆
マルティヌス5世   D☆☆

衰退期も負けじ劣らず,キャラが濃い。憤死ってなんだよ,と日本中の高校生に言われてしまうボニファティウス8世からスタート。クレメンス5世は「教皇のバビロン捕囚」の最初の教皇。この人もCにするかDにするか迷うところで,例によって用語集の項目にないが教皇のバビロン捕囚の説明文に出てくる&旧課程では範囲内。グレゴリウス11世は大シスマ(教皇の並立)の契機となった,アヴィニヨンからローマに帰還したローマ教皇。マルティヌス5世はコンスタンツ公会議で一本化された時の最初の教皇。最近だと『乙女戦争』ですごい悪人面で描かれていたのが印象深い。


《ルネサンス・宗教改革期(15世紀末〜16世紀)》
君主名グレーディング
アレクサンデル6世 C☆☆☆
ユリウス2世    C☆☆☆
レオ10世      B☆☆☆☆☆
クレメンス7世   D☆☆
パウルス3世    D☆☆
グレゴリウス13世 D☆☆

アレクサンデル6世はチェーザレ=ボルジアの父親,イタリア戦争勃発時の教皇。入試ではこれらではなく教皇子午線で出る。ユリウス2世はボルジア家を追い落として即位したライバルのローヴェレ家出身。サン=ピエトロ大聖堂の再建を本格化させ,ブラマンテを起用した人物。Cに分類した中では,なぜだか比較的出題頻度が高く,割とBに近いと思われる。例によって用語集には項目なく,サン=ピエトロ大聖堂の説明文に登場。レオ10世はメディチ家出身,贖宥状の販売開始によって「九十五箇条の論題」を突きつけられた人。クレメンス7世もメディチ家出身。ローマ劫略の時のローマ教皇。同様に用語集に項目なし,ローマ劫略の説明文にいる。前3人に比べると出題頻度は低い。パウルス3世はトリエント公会議を開催した教皇で,ヘンリ8世を破門した人,イエズス会を認可した人でもある。現行の用語集にはどこにも載っていないが,旧課程では驚きの範囲内。旧課程,本当にローマ教皇を掲載しすぎでは。ここの5人は在位期間の極めて短い2人を挟んでほぼ連続した在位年代であり,いかにこの辺りの密度が濃いかわかる。最後に,少しだけ時期が離れたグレゴリウス13世は16世紀後半の教皇で,グレゴリウス暦の制定者。天正遣欧少年使節に会ったのもこの人。グレゴリウス暦の用語集頻度が,靴ない上に,その説明文にのみ登場するだけである。入試でもめったに出ず,「グレゴリウス暦」の名称から想像がついてしまうから出題しにくいのだろう。


《その後(17世紀〜)》
君主名グレーディング
ピウス7世    D☆☆
ピウス9世    E
ピウス11世    E
ヨハネ=パウロ2世 C☆☆☆

以後,ローマ教皇は高校世界史にほとんど出てこなくなる。あまりにも出てこないのでEを2人ほど掲載した。次の教皇は200年飛ぶ(典礼問題の時のクレメンス11世とか出題されてそうでそうでもない)。ピウス7世はフランスとコンコルダートを結び,ナポレオンの戴冠式に呼ばれた教皇。かの有名な絵画で所在なさげにしている人である。用語集に項目なし,コンコルダートの説明に登場。ピウス9世は1848年革命で一時ローマから逃れ,その後イタリア統一戦争で教皇領が消滅した時の教皇。実は同一人物である。ピウス11世はラテラノ条約の時の教皇。そして最後を飾るヨハネ=パウロ2世,実は範囲外という衝撃。旧課程にもいない。これなぜなんでしょうね。もっとも入試ではいつ出てもおかしくないのでグレーディングはCにしておく。


  
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2018年12月08日

一般入試の信頼性を損ねた影響は大きいと思う

・ゆるキャン△聖地な「夜叉神ヒュッテ」(旧 夜叉神の森)に泊まってくつろいできた話(I AM A DOG)
→ 夜叉神ゲート単体だと聖地巡礼地として微妙だけど,ヒュッテへの宿泊・夜叉神峠へのハイキングも兼ねてなら1泊2日まるっと楽しめそう。今夏は行きそびれてしまったが,来夏にはぜひとも行きたいところ。
→ なお,鳳凰三山の出発点としても紹介されているが,その鳳凰三山(最高点標高2841m)のグレーディングは山梨県基準で6B。テント不要ならチャレンジしてもいいが……と思って調べてみたら標準タイムが行き8時間・帰り6時間だったので,これ6Bじゃなくて7Bでは? という顔になった。アタックするなら,泊まるのはもっと奥の山小屋になろう。体力レベルが6なのに技術レベルがBということは,おそらく富士山レベルに整備されているか,傾斜がある程度緩いことが予想される。さすがは百名山。山クエの評価はレベル75。グレーディング6Bと比較すると過大評価に見えるが,実際はどうか。


・「百年戦争―中世末期の英仏関係 (刀水歴史全書)」城戸 毅 著 (Call of History ー歴史の呼び声ー)
→ 当該書籍は読んでいないという前提で,高校世界史側からの感想。高校世界史では個々の歴史事象には深入りできず,「嘘は教えられないが,完全な嘘にならない範囲での省略は可」というのが基本的な方針になる。だからこそ配慮で省略した部分を暴いて正誤判定問題を作ってしまう一部の入試は大問題だと思うのだが,ここでは本題ではないので割愛。
→ その視点で言えば,開戦の口実であったことと,ヘンリ5世以降の展開を考えるに,百年戦争の前半は王位継承戦争の性格が薄かったという点を無視して「百年戦争はフランス王位継承戦争であった」と言い切ってしまうのは教育上の配慮として問題がないと今のところは考える。この点,用語集の説明は王位継承を省いている点が過剰配慮で,教科書や資料集等の他の教材との摩擦が生じてしまうし,事情を説明できるほど百年戦争に詳しい高校の教員はそういないことを考えても,この説明の不一致はかえって問題である。
→ 終点の1453年について。上記のような教え方をしている都合上は,やはりイギリスの実質的な退場をもって百年戦争の終結と言ってよく,特にアキテーヌ公領の主権獲得がイギリスの主要目的であったのならこれをフランスに恒久的に奪還された時点で終戦と見なさないのはかえって矛盾するのではないかという疑問は拭えない。アキテーヌ公領の問題を軽んじる高校世界史をその視点で批判しておいて,それは無いだろうとも思うので余計に。確かにブルゴーニュ・ブルターニュ両公国は生き残っているし,正式な和平が結ばれているわけでもないのだが,これらは「フランスの絶対王政化と戦後処理」として百年戦争とは別個に処理した方が綺麗であり,少なくとも高校世界史上で百年戦争に組み込む必要性が見えてこない。
→ 以上を踏まえると,百年戦争に関する最新の研究の成果は,高校世界史に下ろすには時期尚早なのだなというのが,本書未読時点での感想。あとは,読んでから感想が変わるかどうか。 


・大学受験だけは裏切らないと信じていた(くじら糖)
→ 東京医科大の女子・多浪生差別事件で一番同意した記事がこれ。大人になってからは,以前から差別はあると言われていたことや,実際に合格率が明らかにおかしい大学があることは知っていたが,受験生だった当時は,まさに「大学受験だけは裏切らないと信じていた」。公平に戦える戦場で力を発揮したかったから,大学受験の一般入試(筆記試験)は格好の場所であった(推薦やAOや面接があるものはまた少し別)。自分は男性で現役という立場だったので不利益を被った直接の経験は無いが,この方のような女性はもっとその思いが強かっただろうと心中お察しする。こうした人々の心を後から折りにいく形になったという意味で,点数操作による不公正は裏口入学よりも社会の風潮に対する悪影響が大きいと思う。単に女性差別というだけにとどまらない,とんでもない所業を白日の下に晒してしまったという自覚は当事者にあるのだろうか(無論のことながら晒されないほうが良かったというわけではないし,女性差別だけで十分社会にとって害悪である)。  
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2018年12月04日

早稲田大の2021年一般入試改革について

・早稲田政経学部が数学必修化に踏み切る真意(東洋経済)

ようやくこれに言及できる。早稲田大の政経学部と国際教養学部は事実上国立と同じ受験形態になる。センター試験の後継の共通テストが必須となり,二次試験として小論文(英語の内容有)が課される。この共通テストの必須科目に数学があるということから「文系に数学必須」という報じられ方をするのは,いかにも本邦らしい。確かに私立文系というと数学不要というイメージがあるが,実際のところ,国立組が早稲田大を受ける場合は少なからず数学を選択する。ゆえに,確かに私大専願には大ニュースだが,早稲田大としてはそこは改革の主眼ではないだろう。記事中で「そもそも数学受験者が4割で最も多い」と当局が述べている通りで,この4割の多くは国立組と思われる。

もっとも,共通テストの必須科目に数学を入れた目的だけで言えば,この記事で書かれている通り,「そもそも高校の数学1Aレベルで数学を忌避するようでは,入ってからの学びでどうせ苦労する」という意図があるのは間違いない。実際の学習と数学1Aの内容に乖離があるのは織り込み済みで,それでもこういう意図で1Aを入れたのは英断である。こういう意図であるから自前の入試である必要もなく,共通テストに”押し付けた”のも賢い。

その上で,むしろ本ブログで取り上げるべきこのニュースの主眼は国際教養学部と政経学部の一般入試から社会科が消滅するということである。比較的歴史が浅い国際教養学部はともかく,政経学部の入試改革としては何十年単位の,ひょっとしたら戦後最大の入試改革になるかもしれない。早稲田大の政経学部の世界史・日本史と言えば悪名高く,難問・悪問の出る入試として古くから知られてきた。本ブログの企画でも社会科学部・商学部と並んでその年のワースト入試の座を長く争ってきた。それが2021年から無くなるのであるから,私としても感慨深い。おそらく難問・悪問だらけなのは自覚があって,伝統になってしまっていたから惰性で続けていたところがあり,終わってよかったと思っている中の人もいそうだ。私としても寂しさはあるし,できれば入試問題を改良する方向で解決してほしかったと思っているが,ああいう質で続行するならこういう結末になるのも仕方がないと納得している気持ちの方が強い。せめて2019年・2020年の入試は収録対象問題を出さずに有終の美を飾って欲しい。

今後,この流れはおそらく他の学部に波及するだろう。最終的には文学部と文化構想学部以外は全てこの形になっても不思議ではない。2021年度の政経学部と国際教養学部の受験者がごっそり減ったら撤回されるかもしれないが。


なお,慶應大は先日「共通テストは入試に一切利用しない」とする発表を出した。これは別に驚くべきニュースではなく,元々早稲田大は定員の一部でセンター利用型入試(センター試験の結果をもって合否が判定され,一般入試の受験が不要になる)を行っていたが,慶應大は行っていない。この流れを引き継いだだけである。また,慶應大は世界史に限った話としても出題ミスが少なく,意図的な難問や奇問の類が多い一方で,早稲田大は作りが杜撰だったり調べが足りなかったりする系統の出題ミスや難問・悪問が多い。この傾向を鑑みても,慶應大は学部の数が少なく,したがって入試日程も少ないことから一般入試にそれなりのリソースを費やせるのに対し,早稲田大は学部数が多すぎて入試日程も過密になり,一般入試の実施が億劫になっていると思われる。とはいえ優秀な学部生は欲しいし,受験料が大学収入の柱になっている以上やらないというわけにはいかない。そこで,自大学のブランド力に頼んで,入試のハードルを上げても受験生はさして減らないだろうと推測し,可能な範囲で共通テストに入試をアウトソーシングするスタイルに変えられないか,という実験を試みる判断を下したのだろう。小論文だけなら,英語・国語・数学・世界史・日本史と5科目分の入試問題を作るよりも負担は小さい(採点は大変だが)。この辺りに大学別の経営戦略が読み取れて面白い。  
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2018年12月03日

「世界三大東方旅行記」,何を選出します?

・ジャンヌ・ダルクの肖像画・絵画まとめ(Call of History ー歴史の呼び声ー)
→ 近世の頃にはオルレアン以外だと割と忘れられていたイメージだったので,フィリップ・ド・シャンパーニュはともかくルーベンスが描いていたのは驚いた。17世紀前半まではまだ覚えられていたのね。近代のものはこうして並べて見てみるとやはりアングルのものが傑出していて,近代のジャンヌ・ダルク図像の決定版扱いされるのも頷ける。この頃になるとマリアンヌに近い扱いだったのだろう。なお,最後の史上最高にかわいいジャンヌ・ダルクには同意せざるを得ない。


・18世紀のロケット弾、井戸から1000発以上見つかる インド南部(AFPBB)
→ マイソール戦争の時のもの。マイソール王国はインドの南端近くで栄えた強国で,イギリス軍と幾度となく戦って最初に敗れた強国でもある。
→ このロケット弾がイギリス側でなくマイソール側というのは意外に思われるかもしれないが,近世イスラームの強国の多くはすでに銃火器で武装していて,特にオスマン帝国・サファヴィー朝・ムガル帝国は火薬帝国(gunpowder empires)と呼ばれる。これには批判的見解もあるが,むしろ明・清や日本の織豊政権辺りを含めて,近世ユーラシアを語る上で便利な概念であると思う。というようなことを考えながらこの記事を読んでいた。


・9世紀の旅行記に記録、国清寺の遺構か 中国で見つかる(朝日新聞)
→ 9世紀の旅行記は本邦から唐に旅行した円仁の『入唐求法巡礼行記』のこと(一発変換できたGoogle日本語入力さんは褒めてあげるべきだろうか)。会昌の廃仏を含む唐代後期の混乱期を描いた旅行記として当時の東アジア史の重要史料であり,もとより信憑性は高いとされているが,『入唐求法巡礼行記』の記録通りの遺構が発見された事例としては初めてということなのだろう。なお,高校日本史では頻出であるが,高校世界史だと著者の円仁が用語集頻度 淵灰薀狹ではよく見かける)。
→ ところで「「巡礼行記」は、マルコ・ポーロの「東方見聞録」、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)の「大唐西域記(だいとうさいいきき)」と並ぶ世界三大東方旅行記の一つとされる。」という超胡散臭いことが書いてあるが,これは平凡社の『世界大百科事典』にも同じ記述があり,一定程度通用する”三大”である。これは『入唐求法巡礼行記』の価値を再発見し,英訳したアメリカ人ライシャワー(発見の1955年当時駐日アメリカ大使)がそう述べたらしいことが出自のようだ。しかし,イブン・バットゥータの『三大陸周遊記』や義浄の『南海寄帰内法伝』を上回る旅行記かと言われると,行動範囲が狭すぎて無理があろう。自分でも朝日新聞さんも適当なこと書きやがってと思って調べ始めてすぐに出自が見つかって,意外と歴史が長い三大認定だったことに驚いた。  
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2018年12月01日

ニコ動の動画紹介 2018.2月上旬〜2018.2月中旬

アイマス動画をマイリストに入れることが少なくなってきたので,アイマスとそれ以外で分ける必要がなくなった。今回からは混ぜ混ぜで。





仲間キャラを仲間にして装備をかっぱぐ,通称追い剥ぎ行為だけでアイテムを収集してラスボスまで倒す。主人公は交代技を使ってミューズ。武器も防具もひどいが,どちらかというと防具の方がひどい。謎のバグでフェイタルミラーを無傷でやり過ごす戦法の発見は地味にすごい。



完結。メカがいるパーティは強い。アセルス編はしんどそうだった。しかし,全体的にTAKE数が少なめで,意外と何とかなってしまうようだ。




結果的に旧MMD杯が生んだ最後の傑作ということになりそう。けもフレはキャラが多くてこういうMMDは楽しい。



もう1本,けもフレでニコ動の伝統に則ったMMD動画。やっぱり影絵悪林檎があるとニコ動コンテンツという感じがする。




こんな妖艶なアーニャもまたよい。



下半期20選選出。二宮飛鳥は今日も自由を叫ぶ。  
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