2019年10月30日

副題「ミュシャからマンガへ」

アルフォンス・ミュシャ《ジョブ》文化村のミュシャ展に行っていた。ミュシャは過去に何度か見ているからもういいかと思ったが,なんとなく時間に空きができたので文化村まで足を伸ばした。変な時間帯に行ったのに混んでいて,ミュシャ人気は健在である。本展はミュシャの主要な作品の展示の他に,ミュシャの初期の作品や,後世で影響を受けた作品も展示されていた。ミュシャの盛期の作品は「普通に良かった」以外の感想が特に無いので(《JOB》とかサラ・ベルナール作品とか最高確認でしかなかった),語るなら初期の作品と後世の作品ということになろう。なお,今回はスラヴ叙事詩などの後期の作品はほぼ展示が無かった。スラヴ叙事詩は(私は行っていないが)2年前に大規模な展覧会をやっていたので,今回はさすがに持ってこれなかったか。

初期の作品については,正直あまり面白いとは思えない。《ジスモンダ》で脚光を浴びてポスター作家として栄達する以前のミュシャは,挿絵や雑誌の表紙等を手掛けていたが,当然ながらモノクロである。描き込みが細かいとは思うものの,モノクロではミュシャの面白さはあまり発揮されない。一方,普通の油彩画は,以前のミュシャ展でも同じ感想だったのを,これを書くべく読み返して思い出したが,本当に普通すぎて特に感想がわかない。つまり,ミュシャにはカラフルで目立つポスター絵こそが天職であったのだ。これがサラ・ベルナールという当代一流の女優から発注されたというのはミュシャにとって美術史に名を残す千載一遇のチャンスであり,天佑であったとしか表現しようがない。しかもそれが後世の美術史・デザイン史に巨大な影響を残すのだから,人類の歴史というものはわからない。少なくともミュシャが不在の世界における萌え絵は,私には想像がつかない。

一方,後世の影響を受けた人々・作品について。意外だったのは1960年代後半から70年代の英米のレコードのジャケ写や,90年代以降のアメコミが影響を受けていたこと。当然ながら,日本のイラスト・漫画への影響とは全く受けたところが違う。私のそれらに対する知識がなくて大変困惑したし,説明する語彙も無いのだが,展覧会ホームページの表現を借りるなら「ミュシャの異世界的イメージと独特の線描写は、特にサイケデリック・ロックに代表される形而上的音楽表現と共鳴するものがあった。一方、よみがえったミュシャ様式は、新世代のアメリカン・コミックにも波及し、その影響は今日まで続く。」らしい。スピリチュアルな点が共感されたのと,アール・ヌーヴォーが半世紀以上経って”古くて新しい”表現に見えたということだろうか。確かにヒッピー・ムーヴメントの象徴にミュシャが担ぎ上げられたとするとちょっと理解できるかもしれない。

日本の場合はまず明治において『明星』の表紙を描いた藤島武二らが受容の先駆になったそうだが,やはり圧倒的に1970年代以降のイラスト・漫画への影響が圧倒的で,特に初期には少女漫画で見られた。展示されていたのは水野英子,山岸凉子,天野喜孝など。しかし,このテーマでCLAMPがいないのは片手落ちでは。大トリにいたら豪華な展覧会になっていて,21世紀現在の日本におけるミュシャ受容の象徴的存在として綺麗に締まったと思うのだが。

本展はすでにBunkamuraでの展示期間は終わっているが,現在は京都文化博物館に巡回中。この後,札幌芸術の森美術館にも行く模様。  

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2019年10月29日

三国志展でも,主役はやはり曹操だった

曹操高陵出土の白磁東博の三国志展に行っていた。いかにも曹操の墓(曹操高陵)の発掘を契機に立てられたような企画である。展示のメインは後漢から三国時代にかけての出土品や伝世品で,曹操高陵からの出土品も含まれる。加えて後代の中国で描かれた三国志の絵画や,NHK人形三国志で使われていた人形,横山光輝の『三国志』の原画等も展示されていた。

実のところ,展示の大半は後漢代の装飾品や道具・武器,陶器などであり,当時に活躍した諸将縁の品は(当然ながら)あまり無かったので,当時の生活の様子はよくわかるものの,三国志の武将やエピソードを体感しに来たつもりだと肩透かしを食らうかもしれない。ただ,展覧会側もその自覚はあり,「○○もこれを使っていたかもしれない」というようなキャプションを入れる,『三国志演義』にある諸葛亮の赤壁での千本の矢集めを会場の天井と壁面を使って再現して設置する,コーエー『真・三國無双』シリーズの設定通りに巨大な蛇矛を再現したもの等の飽きさせないような工夫が多く見られた。実際に理系で東博に何年かぶりに来た同行の友人(ただし三国志の知識は私と変わらないマニア)も大変満足していた。

それでも面白かった展示物は,やはり固有名詞が出てくる品々で,しょうがないでしょ三国志ファンなんだからという感じ。たとえば「曹休」の印や,朱然の墓の出土品,定軍山出土の撒菱,合肥新城出土の石球など。石球に陸遜の指紋とか残ってないかな……とか考え出すとテンションが上がる。毌丘倹紀功碑(高句麗遠征成功の記念碑)がさらっと置いてあったのもすごい。ややマイナーな武将であるが,この展覧会に来るような人なら知っているだろうという企画側の信頼が感じられる。前述同行の友人も「まさかの毌丘倹!」と喜んでいた。あるいは「中山靖王劉勝の墓からの出土品」もファンならニヤリとする品。「倉天乃死」(原文ママ)から始まる漢文が彫られた磚(石碑)は,漢文の素養が高校レベルでもはっきりと読める漢文で,多くの三国志ファンが思わず読んでしまったことだろう。弩・戟等の武器類も良かった。特に弩は保存状態が良く一級文物に指定されているものがあった。「三國無双シリーズの弩は殺意が湧くよね」なんて話題で盛り上がること請け合い。

展覧会の目玉はやはり曹操高陵の出土品。展示室自体が曹操高陵の墓室を再現したという気合の入れよう。曹操が遺言で薄葬を命じたためか,あるいは盗掘に遭った可能性があるためか,出土品がどれもこれも地味というのが特徴的。その中で一際目を引いたのが,白磁の壺である(今回の画像)。本当によくこれを持ってきてくれたと思うし,これを見るためだけでもこの三国志展は行く価値がある。白磁は陶器や青磁に比べて技術的難度が高く,発明が遅れた。青磁は後漢には発明されていて本展でも展示があったが,一方で白磁の発明は6世紀末〜7世紀頃と考えられている。しかし,曹操の墓が作られたのは当然ながら彼の亡くなった220年頃である……つまり,曹操の墓から出土されたこの白磁の壺は300年ほどの技術を飛び越えた正真正銘のオーパーツである。三国志も陶磁器も好きな私は今年の2月にこのニュースを聞いて大変に驚いた。それをまさかこんなに早く,中国に行かずとも見る機会が得られるとは。

とはいえ研究者の立場からするとオーパーツで研究を終わらせるわけには行かないわけで,本展のキャプションでは「偶然の産物として完成し,珍品であったので曹操に献上されたのではないか」とひとまずの結論が出されていた。なるほど,確かにそれが現実的なところであろう。また,曹操が望んだのか,それとも曹丕らが配慮したのかはわからないが,薄葬を望んだ曹操でもこの白磁だけは副葬品としたという事実は面白い。珍品だったので曹操が好んだということでも,珍品すぎて周囲が扱いに困り,良い機会だから副葬品として処分したというオチでも,どちらでも面白い。本品については技術的な研究は今後進展するかもしれないが,文献に残っていないためになぜ副葬品になったのかという研究については困難を極めると思われ,当分は良い三国志ファンの妄想の種になるだろう。陳舜臣が存命ならこのネタで一本小説を書くレベル。

この三国志展は東京での展示は終わっているが,九州国立博物館に移って年明け1/5まで開催中である。東京で見そびれた人は是非そちらで。  
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2019年10月28日

舌を噛みそう>フォリー=ベルジェール

マネ《フォリー・ベルジェールのバー》東京都美術館のコートールド美術館展に行っていた。最近はこういう「特にテーマは無いけど,海外の大きい美術館から雑多に借りてきました」系の企画展に行くのはよほど大きな目玉でも無い限りなんとなく避けていたのだが(現地で見てやるという気概もあり),これはよほど大きな目玉があったパターンで,来るなら日本で見ておくに越したことはないというものだ。かつ,たまには完全に気を抜いて鑑賞してもいいじゃないかとふと思えたので行ったパターンである。激混みが予想されたので,まだ空いている始まった直後に行っておいた。

その大きな目玉が随分前から広く宣伝されていたマネの《フォリー=ベルジェールのバー》で,マネの作品が5点くらい載っている美術史の一般書なら,まず間違いなくその5点の中に入っている晩年の代表作である。フォリー=ベルジェールは大きなミュージック・ホールで,安全基準など無い当時はサーカスのような曲芸や見世物小屋的な動物等のショー,薄着の女性たちのよるダンス等が行われていた……と聞くとムーランルージュやクレイジーホースのようなキャバレーの過激版ということかと想像するが,私にはわからない(と書いておくとそのうち詳しい人がコメント欄に現れる展開)。今だったらいろいろな意味でアウトっぽい演目が多い。

本作が描いたのはそのホール中央ではなく,大きな鏡になっている壁の壁際のバーである。よく言われるように,バーメイドの虚ろな目が非常に印象に残る。バーメイドはしばしば娼婦に成り代わったし,ここはそういう交流にも使われたというキャプションの説明を読むと尚更その冷めた表情が気になってしまう。鏡に映った背景ではショーが進行中でにぎやかで楽しそうであるから,余計に自分=鑑賞者とバーメイドしかいない現実の側が虚しく映る。屋内の描写ではあるが,これは都会の喧騒と孤独を描いた最初期の作品であり,その意味では後のエドワード・ホッパーに続いていく系譜の作品の走りと言えよう。

なお,私も全く知らなかったのだが,フォリー・ベルジェールは現役で営業中だそうで,パリに旅行した時に行く(というか目の前を通り掛かる)べきであった。観光名所になっていそうなものだが,4年前にパリに行こうと観光地を調べた時には全く出てこなかった。クレイジーホースには行ったことがあるが,遠い昔のことである。めちゃくちゃ高いステーキを食べたはずだが,味を全く覚えていない。20歳やそこらになったばかりの舌ではそんなもんだろうと思うし,「何事も若いうちに経験しておくべき」というのは必ずしも真ではないのだなと今振り返ると思う。という自分語りは置いといて。


本展は《フォリー=ベルジェールのバー》を含めてわずかに約60点の展示だが,あまり広くない都美術館の企画展にはちょうど良かったし,《フォリー=ベルジェールのバー》以外もかなり豪華な印象派・ポスト印象派作品群であったので満足した。モネがドービニーを真似て作ったアトリエ船から描いた作品や(奇しくもドービニー展が直前にやっていた),ルノワールの《桟敷席》,セザンヌの《カード遊びをする人々》や《サント・ヴィクトワール山》の一つ等々。キャプションが充実していて,読みながら鑑賞していけば,作品数の割にかなりの鑑賞時間がとられることだろう。

また,コートールド美術館はロンドン大学付属のコートールド美術研究所の所蔵の作品群であり,本展覧会ではコートールド美術研究所についての物品も展示されていた。その中でコートールド美術研究所の開学初年度(1932-33年)の講義リストと,学部生への期末試験問題が展示されていたのだが,その問題が21世紀現在の世界中の美術史の講義の期末試験でも十分通用しそうで,学問の基礎は時空を超えても変わらないというのが実感される。たとえば「14世紀のフランス美術がヨーロッパ美術に与えた影響は何か」というような。英語の問題文をじっくり読んで解答を考えながら鑑賞していたので,大きな満足感があった。その意味で,現役の美術史学の学部生なら絶対に見に行くべき展示だろう。

期間が長く,12/15まで開催。  
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2019年10月27日

船旅が実に楽しそう

損保ジャパン美術館のドービニー展に行っていた。バルビゾン派の代表的な画家で,ミレーやコローの次くらいに挙げる人が多いのではないだろうか(テオドール・ルソーは知名度が低いので)。よく印象派で言われる「野外での制作」「都市化する社会の需要に応えた郊外の風景」は実際にはバルビゾン派を継承したものであるし,アカデミー的なかっちりした瞬間を切り取る絵画ではなくやや筆致を残す感じで樹木に茂る葉を描くやり方を見ても,美術史的に言えばアカデミーと印象派のはしごのような役割を果たした一団と言える。しかし,バルビゾン派が現在も人気が高いのは,そのような美術史的評価ではなくて,単純に描かれた自然が安心する美しさであるからだろう。

ドービニー個人の画業としては,美術館ホームページにもあるが,展覧会用に作られたショートムービーが端的にまとまっていて非常に良いので,これを見たほうが早い。



1853年にサロン買い上げ,1859年にレジオン・ドヌール勲章というとまだ40歳前後のことで,革新的なことをやっていた割には生前のかなり早い時期から巨匠となっていたと言ってよい。水面が好きすぎてアトリエ船を作ってしまったエピソードが何より面白く,その船旅を描いた連作版画が大変に良かった。こういう展覧会だと油彩画に目が行きがちであるので,版画が面白かったという体験が得られたのは貴重であった。もちろん油彩画もよく,こちらでも「これはどう考えても水面に立ってないと得られない視点だよな」という作品が見られる。水面へのこだわりは尋常ではなく,表現が難しいが,空や樹木を映す水の質感がよい。なお,ムービーにある通りアトリエ船は後にモネも真似ており,その絵画が少し後の都美術館のコートールド美術館展に来ていて,奇縁を感じた。

本展覧会も例によって東京では終わっているが,巡回して現在は三重県立美術館で開催中である(11/4まで)。
  
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2019年10月26日

曜変天目茶碗コンプリート

曜変天目茶碗(大徳寺龍光院)ゴールデンウィークの翌週に,関西まで足を伸ばして曜変天目茶碗を2つ見てきた(ついでにフェルメール展にもこの時に行った)。1つは奈良国立博物館で,藤田美術館展。藤田美術館の2022年のリニューアルに備えての大展覧会である。ただし,私自身はすでに藤田美術館の曜変天目茶碗を見たことがあったので,今回はどちらかというと見たことがなかったという同行頬付の付添に近い。藤田美術館の所蔵品自体も,今回ほど豪華ではなかったが以前にサントリー美術館の企画展で東京に来ていた折に見ているので,そう新鮮味は無かった。曜変天目茶碗の感想はこの時と変わらず,すごいにはすごいのだが稲葉天目ほどの神秘性は感じない。他の展示物では,彩色が残っている快慶作の地蔵菩薩立像や,13〜14世紀の中国の作品と見られるマニ像の掛け軸あたり。確かに地蔵菩薩には見えないが,その時期の中国にこれを制作できるほどのマニ教の集団がいたのかという辺りで,研究を待ちたいところ。


なお,本展はゴールデンウィーク翌週とはいえとんでもない混み具合だった。旅程に伊吹山登山を組み込んでいたため大きめのザックを抱えていた我々はロッカーに入れようとするも入らず,奈良博の受付にクロークという存在が無かったために,結局ザックは警備員室に預かってもらったという稀有な体験をしたということもここに記録しておきたい。奈良博の警備室でもなかなか無いことだろう。常設展は後ろの予定が詰まっていたのと,何度も見ているのでカット。ここを出た後は急いで宇治に移動して,天ヶ瀬ダムに行き,天皇陛下在位30周年ダムカードを受け取り,宇治上神社に参拝した後,「特別になりたい山」こと大吉山にスピード登山した。登下山と山頂滞在あわせて30分くらいだったか。登りやすい山ではあるが,パンプス履いて楽器を担いで登れるほどヤワでもないことがわかった。麗奈さんは超人。


それからさらに滋賀県まで移動してMIHO MUSEUMへ。本当になんでこんなところに。確かに森林の中に突如として現れる巨大建築,宗教施設感が強くて面白くはあったが。すでに閉館まで2時間くらいというタイミングではあったがここもかなり混雑していて,曜変天目茶碗のコンテンツ力に脱帽する。そしてやっと見ることができた,大徳寺龍光院の曜変天目茶碗は,藤田美術館とは逆の感想を抱いた。藤田美術館のものは写真で見ると稲葉天目に近いように見えたが,実物はそこまで光っているように見えなかった。それに対し大徳寺のものは写真では3点で一番鈍く感じたが(今回の画像),実物の大徳寺物はなかなかどうして神々しい。稲葉天目の不気味とも言える美しさは無いが,静謐な光をたたえていた。斑紋の一つ一つが小さいのが良いのかもしれない。また他の2つが青と黒の印象が強いのに対し,こちらは白いという印象が残った。これも写真ではわかりづらい。やはり,実物を見てみるものである。これにて私と頬付は曜変天目茶碗3点の実物を全て鑑賞することに成功した。人生でやり遂げないといけないことリストが,やっと一つ片付いた。

この後は結果的に閉館までそこそこ時間ができて,駆け足ながら他の企画展展示とMIHO MUSEUMの常設展まで見ることができた。他の大徳寺の展示物は,藤田美術館展を見てしまっているのでもったいなくも見飽きてしまったが,大徳寺の歴史を感じさせるものはさすがに感動した。春屋宗園墨蹟,津田宗及の日記,松花堂昭乗の扁額,狩野探幽筆の頂相(描かれるは龍光院の事実上の開山の江月宗玩)と戦国〜寛永期の錚々たる面々の作品に,紫衣事件の関係者,後水尾天皇の宸翰と沢庵宗彭の書状が最後を飾る(厳密に言えば沢庵は龍光院ではないのだが)。その意味で,日本史ガチ勢が行くべき展覧会だったと言えるだろう。  
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2019年10月25日

近代ウィーンの都市史を駆け抜ける展覧会

クリムト《エミーリエ・フレーゲ》国立新美術館のウィーン・モダン展に行っていた。日墺国交樹立150周年記念展示のもう片方である(クリムト展の感想はこちら)。あちらはクリムト個人に焦点を当てていたが,こちらは18世紀後半〜20世紀初頭のウィーン,つまり近代都市ウィーンの成立から世紀末ウィーンまでを幅広く紹介する展示となっていた。2つの展覧会はどちらもかなり混んでいて,世紀末ウィーンってそんな人気のある題材だったかなと疑問だがったが,考えてみるとクリムトの黄金様式は確かに日本人受けしそうな気はする。ただし,新美は展示スペースが広く,また展示に衣服や調度品が含まれていたこともあって,人数の割に混雑感は薄かったように思う。

当然ながらクリムトを見に行くならもう片方を見に行ったほうがいいわけで,本展の目玉はクリムトやシーレの油彩画ながら,実際に見るべきは衣服や調度品,陶磁器ではあったかなと思う。展示は啓蒙専制時代,ウィーン体制期(ビーダーマイヤー期),19世紀後半,世紀末に大きくは分けられ,それぞれの流行が簡潔に追えるようになっていた。細かいことは抜きにしても「こんな椅子(ティーポット)がほしい」とか言いながらだらだら見るだけでも結構楽しい。展示品数は驚きの約300点で,だらだらと見ていってもかなりの時間がかかるはずである。また,ちょっと珍しいものとしてはシューベルトが愛用していたメガネや(シューベルトの有名な肖像画もある),1873年のウィーン万博に出展された日本館と日本庭園の写真など。

一つ気にかかったのは,カール・ルエーガーについて。ウィーンの近代化の総仕上げとして世紀末に登場したのがウィーン市長カール・ルエーガーであるが,この人は功罪ある人で,罪の部分とは反ユダヤ主義者であった点である。なにせ言動が差別的すぎて,選挙当選後に皇帝から拒否権を発動されている(最終的に民意に負けて皇帝が折れた)。本展ではカール・ルエーガーの功の部分だけが紹介されていたのは,世紀末芸術のパトロンはユダヤ人資本家が少なくなかったことも踏まえても,片手落ちではないかなと。

そうして近代都市ウィーンが洗練されていった一つの到達点として,世紀末美術が生まれる。展示の構成も一通り都市史を語り終えたところでクリムトらの分離派が登場するというものになっている。クリムトの展示も前半部がそういう感じなので,自然とファッションデザイナーでクリムトの恋人であったエミーリエ・フレーゲや,分離派による建築物に焦点を当てた展示が多かったように思う。クリムトによるエミーリエ・フレーゲの肖像画のみ,本展では写真撮影OKとなっていた(今回の画像)。他のクリムトの大作というと《パラス・アテナ》くらい。その後にウィーン工房による攻撃品,エゴン・シーレ,オスカー・ココシュカの展示があって終わる。シーレとココシュカは私の趣味ではないことを差し引いても説明が少なく,そこまでに膨大な展示を見ていて披露していたこともあり,よくわからないまま終わった。周囲もそんな感じだったので,これ必要だったのかという疑問が無きにしもあらず。やるならもっとちゃんと展示してほしかったところ。

いろいろ文句は言ったが,見に行って損はないかなと。クリムト展はすでに終わってしまっているが,こちらはまだ大阪の国立国際美術館で12/8までやっているので,興味がある方はそちらで。  
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2019年10月24日

黄金・官能・不気味・恐怖

《ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)》諸事情により止めていた美術館レポートも,一気に解消していきたい。

東京都美術館のクリムト展に行っていた。2019年は日墺国交150周年でオーストリア関係のイベントが多く,大規模な美術展も2つあった。そのうちの1つがこれ。こちらはクリムト個人に焦点を当てたもの。クリムト個人の展覧会は非常に珍しく,ここ20年ほどの東京では無かったと思う(調べてみると,やはり約40年ぶりとのこと)。

こういう個人の回顧展でありがたいのは全盛期以前の作品がよく展示されていることで,本展覧会も例外ではなく,修行時代の作品がそこそこ多く展示されていた。クリムトも当然ながら最初からあの画風だったわけではなく,修行時代は存外普通である。ただし,修行時代が短くて仕事をしだしたのが早く,早熟で画風が固まりだす前から仕事を受けていたし,そのクオリティには達していたというのがこの展覧会での収穫だった。なにせ17歳には勉学しながらもう美術の仕事を受注している。

順調に大画家への道を歩んでいた矢先にあの画風を身に着け,特に壁画の大作に開眼する。そしてウィーン大学から「大講堂に学問の象徴を表す天井画を描いてほしい」という非常に大きな,人生の代表作となるべき仕事を受けたが,学問の解釈が独特すぎて受取拒否を食らい,この時代の大画家あるあるを一つこなした。本展はこの天井画の下絵も展示されていたが,なるほど,確かに画面が過激なのもあるが,「これが”医学”の象徴です」と言われても「言われてみると……そう見えるかもしれない……」というレベルの難解な画面になっており,クリムトの《医学の象徴》という油彩画の単品としてなら評価できるが,天井画として飾られても困惑するから,ウィーン大学の受取拒否は正しかったのではと思ってしまった。

しかしまあ,こうしてアカデミーの主流からは外れ,結果的に美術史に名を残すウィーン分離派の総帥となっていった。本展は修行時代から独自の画風へ,ウィーン大学大講堂事件の前後,ウィーン分離派の活動を上手くつなげて説明していて,推移を読み取りやすかった。全盛期には我々がよく知る真っ金金の画風が登場する。金箔をばしばし貼って遠近感をつぶす技法は同時代だとミュシャでも見られるが,ミュシャはそれをデザイン・模様として昇華した(あえて言えば琳派的)のに対し,クリムトは中世ヨーロッパの絵画的な神秘性を出すのに用いていた。

《接吻》や《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像》等を持ってこれなかった分,かえって私があまり知らない分離派としての活動,特に出版活動や壁画・フリーズが大きくスペースをとって紹介されていたのが良かった。《ベートーヴェン=フリーズ》はあんな巨大なものをよく東京まで運んだなと思う。さすがに見応えがあったし,象徴が次から次へと移り変わる様はフリーズならではである。もちろん目玉の《ユディト機佞筺團漫璽澄Ε凜Д螢織后瞥腓凌深臓法奸丙2鵑硫菫)があったのも良かった。クリムトの女性美は官能的とよく言われるが,突き抜けていて,もはや不気味で怖いと言ったほうがいい。


なお,日本にあるクリムトの傑作といえば愛知県立美術館が所蔵する《黄金の騎士》であるが,これは今回の展示には無かった。どうせなら持ってくればいいのにと思っていたところ,豊田市美術館の会場では展示されていた。どうせなら実家に帰ってそっちで見ればよかったかも。もう一つ余談を書くと,今回の展覧会記念Tシャツの絵柄は《ヌーダ・ヴェリタス》であった。これを着ていたら普通に不審者だと思う。美術館クソTシャツ好きの私でもさすがに手が出なかった。  
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2019年10月23日

ニコ動の動画紹介 2018.9月下旬〜10月中旬




『トロピコ4』は島民の移動が車になっていて道の引き方が重要になっていること以外は,1や3とあまりプレイ感がかわらないのかなという印象を受けた。グラが最近のシム系のものに寄った? プレイアビリティは親切になっているかも。




漂流する筏の上で生活するサバイバルゲーム……なのだが,サバイバル難度はそこまで高くなく,どちらかというと筏の増改築を楽しむゲームっぽい。なぜ主人公が筏で漂流する羽目になったのか,海原を行けども行けども陸地が出てこないのか,そもそもこの海は漂流物が多すぎて汚すぎないか,という謎を追う要素も一応あって,それが最終目標になっている。動画がなかなか面白かったので,ゲームを買ってもいいかもという気分になった(なおプレイしている時間)。



おやつさんの「いきなりラストバトル」のリベンジ。条件を1つだけ緩めての再チャレンジとなる。要するにウィルとグスタフを入れ替えるだけだが,やっぱりグスタフが入ると全然違う。



「マイナス収益の物件だけを全て買い揃えて、決算のマイナス幅を最大に」するプレー。これはこれでTASさんの力が無いとできないやつ。





2018年の。今回もネタが細かい。タイトルの「敏腕秘書」が一番笑った。東方に貧乏神が登場したので適任だもんな。サブフレームリセットもドクターマリオも当然採用していた。2017〜18年はTASの新ネタが多かった。




実のところVTuberは全然追わなくなってしまったのだが,赤月ゆには別格として,富士葵とシロさんはたまに見ている。富士葵の歌唱力は本当にすごいと思う。




ワイドで見ると全景がよくわかっていい。



割とすごい人力ボカロ。輝子は作りやすそうな声というイメージはあるが,どうなんだろう。



下半期20選選出。これはこれですごい人力ボーカロイド。  
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2019年10月22日

最近読んだもの・買ったもの

やっと本当に最近読んだものになってきたので,ここで一旦打ち止め。

・『アルテ』11巻。アルテとイレーネの語り合い。アルテの過去の話。
→ 幕間でイレーネから贈り物を受け取ったナンナが逃亡するシーンがあるが,ナンナがこの後どうなったのかが気になる。贈り物を元手に返り咲けるほど(現実も本作の世界観も)甘くもなかろうが……
→ イレーネは王族の娘とはいえ15-16歳とは思えぬほどの胆力で,ここまでの人生のほとんどが母フアナの手元に置かれていた影響だろう……と読者に思わせたところで,イレーヌの語りは次巻へ。狂女王フアナは真偽不詳の逸話の多い人物だが,どう描かれるか。


・『NEW GAME!』9巻。ドッジボールのゲーム制作最終盤。
→ 実際に完成直前にこんな仕様変更が飛んできたら現場は切れると思うw。ゲームや映画の場合はそれがクオリティに直結し,最終的に売上に直結するからと言われれば飲まざるをえないだろうが,この辺が業界ごとのブラック具合に直結しているように思われる。また,修羅場は修羅場で作業自体が面白ければ&現場の雰囲気次第で折りきれてしまうもので,かえってブラック耐性がついてしまう一因ではあるかなと思わせされる巻であった。青葉さん,それは慣れちゃダメなやつやで……
→ 八神コウがいないのだから,と意気込んで急成長する青葉さんは才能ある人を地位につけると地位に引き寄せられるという典型例で,特に自分の仕事を完全に終わらせてからの遊撃部隊をやってくれると非常に助かる。こういう部下ほしいと思いながら読んでるサラリーマン多そう。
→ そして成長した青葉に,人を育てる・上に立つ面白さを知って戻ってきた八神のコンビが復活,そこで制作するはイーグルジャンプ社の主力コンテンツ『フェアリーズストーリー』の4作目。これは単純に熱い。


・『この会社に好きな人がいます』1巻。
→ タイトル通り,主人公のカップルは周囲に隠しているという定番の社内恋愛物。カップルの初々しい様子が非常にかわいくてよいのだけど,この振る舞いはばれるやろというのが少なくない読者の感想なのではないかと思うw。経験則で言えば結婚報告の段階で「お前ら付き合ってたの!?」ってなる人たちはもっとあからさまに社内で接触していないし,まあ大概皆薄々気づいてても本人たちを尊重して指摘しない(あるいは本人不在の飲み会で確認する)。まあそこは,これは漫画なので。
→ 最近の週刊モーニングの癒やしであり,『コウノドリ』とか『はたらく細胞BLACK』とか重めのやつの間にこういうのがあると助かる。





・『映画大好きフランちゃん』。
→ ポンポさんのスピンオフ漫画にして,2巻のポンポさんサイドのお話。主人公・視点を女優見習いのフランチェスカに変えて。『ポンポさん』1巻も駆け出し中の女優見習いがポンポさんに抜擢されてスターデビューする話ではあるので話の使い回し感が無くはないものの,あちらがポンポさんが見たい映像にナタリーを見出したのに対して,今回は「スターは特別だからこそスターである」であり,ポンポさんが映画を撮らされたという逆転がある。これはこれで味があったかなと。
→ ところで,ポンポさん1巻はアニメ化するそうで。漫画の完成度が異常に高かっただけに,どうなるかはちょっと不安。

映画大好きフランちゃん NYALLYWOOD STUDIOS SERIES
杉谷 庄吾【人間プラモ】
KADOKAWA
2019-08-26

  
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2019年10月21日

最近読んだもの・買ったもの

・『ヒストリエ』11巻。オレスティスのパウサニアスの前半生と,オリュンピアスによるエウリュディケ暗殺未遂事件。
→ 10巻の感想に「ここまで来たなら,そこまではさくさく進んでほしいところ。」と書いたのだが,史実の進行具合だけで言えば全く進まなかった巻。『チェーザレ』並に進行がやばい。まあ,オレスティスのパウサニアスが出てきたということはぼちぼちそういうことではあるので,12巻でそこまで進むと信じて。オリュンピアスがエウリュディケが出てきて焦ったのと,エピロス追放になったのは史実通り。
→ オリュンピアスの護衛で突然出てきた腕利きのネオプトレモスは一体何者なのか。ネオプトレモスの名自体はオリュンピアスの父親と同じであるが。


・『るろうに剣心 北海道編』3巻。北海道編の味方側が概ね全員集合。
→ はしかぷ餅は創作とのこと。ハスカップからもってきているとすると(アイヌ語ではまんまハシカプらしい),この峠の茶屋も北海道ということになる。明治15年だかで北海道にこんな茶屋があったかは疑わしいが,お遊びとしては面白い。アイヌは昔から食べていただろうが,産業化されたのはいつ頃だろうか。昭和くらいまでいくのかも。
→ 瀬田宗次郎・悠久山安慈・永倉新八は2巻までに片鱗が見えていたとして,十本刀の下の方3人組が合流したのはちょっと予想外だった……というよりも存在を忘れていた。これだけメンバーが揃うと旧来のファンとしてはテンションが上がる。ただまあ,オールスターをそろえれば昔のわだかまりも当然思い出されるわけで,割り切れる大人ばかりではないということで子供の三島栄次がその役割を一手に引き受けている感じ。
→ 一方,蒼紫と操と師匠は連絡取れず合流せず。また,斎藤一の刀が全部折れてなくなっていた。この辺はピンチの場面で逆転の一手として絡んできそう。
→ 永倉・斎藤と飲んでいる剣心が見たことのない表情をしていた。剣心,幕末の人しかいない状況になると,人斬りに戻らないまでも性格が戻るんだろうなぁ……


・『エーゲ海を渡る花たち』2巻。スパラトからラグーザ,カッターロ(コトル),コルフ島,カンディア(クレタ島)。
→ まだエーゲ海にたどり着かないが,イオニア海は脱出した。3巻はイスタンブルに向かっているのでようやくタイトル通りに。
→ リーザは刺繍が苦手なようで,『乙嫁語り』のパリヤさんを彷彿とさせる。前近代だと割と広い地域で女性の基本スキル扱いだったとは思われ,現実にそういう人たちはいただろう。
→ ヴェネツィアがイングランド産の毛織物をレインコートとして多数輸入していたという話や,ジェノヴァが東方貿易に見切りをつけて大西洋岸に出ていく話が出てくると,いかにも中世末期からルネサンス初期という感じがしてよいのだけど,共感してくれる人はきっといるはず。商業革命は新大陸発見のみが起こしたのではなく,こういう予兆もあったのだ。そういう描写をしれっと入れてくれるこの漫画は良い歴史漫画だと思う。
→ 岩礁の聖母教会のエピソードは面白い。二百年かかったのか……ある意味ケルンの大聖堂に張る。
→ コラムでフニャディ・ヤーノシュが1456年にオスマン帝国に勝利したのが「作中時期直前」と書いていたのがちょっと気になった。とすると1巻の4話で「メフメト2世が内地で敗北」とあったのは別の戦いなのかも。
→ コルフはこの時点ではのんびりしているが,クレタ島やギリシア本土の沿岸部,さらにその先のキプロスにもがヴェネツィア領であるので,作中で言われている通り,まだまだ最前線ではない。しかし16世紀に入った辺りから戦争が激化し,1538年のプレヴェザの海戦はこのすぐそこで起きている。本当にリーザらが安全に航行できるのはこの時期が最後のタイミングだろう。  
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2019年10月16日

最近読んだもの・買ったもの(『氷属性男子とクールな同僚女子』他)

・『チェーザレ』12巻。コンクラーベ開幕。
→ 約4年5ヶ月ぶりの新刊。しかも始まったと思ったコンクラーベが遅々として進まず。10巻と11巻の間が2年弱であったので,次は9年後ということは無いと思いたい。作者が死ぬまでに完結するかどうか以前に,1494年にイタリア戦争が勃発するかも不安になってきた。さすがにコンクラーベが終わったら2年スキップして1494年まで跳ぶのではないか。そこで髭が生えるとかなら面白いが。
→ 状況を整理しておくと,ナポリ王国はスペイン系のアラゴン王家がフランス王家から乗っ取ったため,しかも教皇領とは領土問題もあったために教皇庁としては難敵であった。そこで教皇庁はイタリア内の五大国のはぐれ者ヴェネツィアと,乗っ取られた側のフランスをバックにつける。一方,ナポリは残りの五大国のフィレンツェとミラノと三国同盟を組み(背後にスペイン),これで勢力均衡が成り立っていた。しかし,ローヴェレ枢機卿の外交的切り崩しにより,教皇が危篤の中,教皇庁はナポリのアラゴン王家継承を承認して和平し,さらに同盟すら成立する算段をとった(ナポリはスペイン本国と逆の側につくことになるので,外交的にはかなりのウルトラCであるが,継承権を盾にとられるとそうせざるをえない)。さらにフィレンツェでロレンツォが亡くなると,長子ピエロはナポリに追随に追随する。つまり,ローヴェレが教皇になれば教皇庁・ナポリ・フィレンツェの同盟が成立して背後にフランスがつくことになり,ヴェネツィアの局外中立が予想され,ミラノが孤立してしまう。そこでローヴェレと教皇選で敵対するボルジア家はミラノ派を主軸に,ヴェネツィア出身枢機卿を切り崩して教皇選を乗り切ろうとする……といったところ。
→ 史実から予想されていたこととはいえ,アンジェロとジョヴァンニ・デ・メディチがチェーザレの敵側につくことになってしまって困惑しているのはかなりかわいそう。ボルジアが勝てばミラノ・教皇庁の同盟が成立してフィレンツェは挟まれることになるから(こう考えてもやはりピエロの寝返り外交は悪手であった),彼らにとってもこの教皇選は乾坤一擲の大勝負であった。まあ結果は史実が示している通りなのだが。


・『火ノ丸相撲』26巻。童子切・大包平戦,冴ノ山・刃皇戦,童子切・鬼丸戦。
→ 相変わらず対戦カードを利用して登場人物の心情を動かすのが上手い漫画で,大包平がアレな方向に振り切れるには童子切を負傷させるしかなかったし,それで刃皇が動揺・激昂して冴ノ山に負けるという展開もこれしかない。何より,ここまで鬼丸の目立たない先輩という役割しか与えられてこなかった冴ノ山に一花咲かせるにはここしか場面が無いわけで,よくこの本割を思いついたものだ。自分より優秀な弟弟子ができた時,兄弟子はどんな背中を見せることができるか。周囲の反応も良い。取組直前の駿海さんの「熟したな長谷川」なんて長谷川という本名で呼んでしまう辺り,昔から見てきた駿海さんの心情が出ていて完璧,直接の親方柴木山は静かに泣く。そして堀ちゃんは数ページ離れたところで号泣しているという余韻も良い。完結した本作であるが,これをベストバウトに推す人がいても不思議ではないし,鬼丸がかかわらないあるいは2話未満で終わった一瞬の勝負という条件なら私もこれをベストバウトに推すと思う。現実にこんな取組があったら,事情が知れ渡っているだろうことも加味してTwitterの#sumoが大変なことになっていそう。
→ 一方,童子切・鬼丸戦はその犠牲になったところが大きい。展開上仕方がないと納得しているのは前提として,ガチのこの二人の取組も読みたかった気も。


・『氷属性男子とクールな同僚女子』1巻。
→ Twitterで話題になって単行本化したもの。この作者,最近は週刊少年ジャンプにも読切が載っていた。これが出世作になるか。
→ 内容はタイトルの通り,雪女の末裔の男性社員の氷室くん(感情が高ぶると雪系統の異常気象を起こす)と,クールビューティーな同僚女性社員の冬月さんによるクールなラブコメ。ヒロインの冬月さんがクール属性(厳密に言えばクーデレ系統)を突き詰めたキャラ造形になっており,軽く天然ボケが入っていることもあって,この系統のキャラが好きなら主人公と一緒にノックアウトされること間違いなし。なお,主人公・ヒロインともに天然ボケなので,ツッコミ不在のボケ倒しで話が進んでいくのもなかなか面白い。もう完全に特定の属性をねらった漫画ではあるので,自分のことだと思った人にはお勧めしたい。


  
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2019年10月15日

『mono』1巻&『ゆるキャン△』5〜7巻

・『mono』1巻。『ゆるキャン△』の作者あfろ氏によるカメラ漫画。
→ ……なのであるが,抑制の効いた『ゆるキャン△』とは全く逆に冒頭の3ページで「憧れの先輩に近づくためだけに写真部に入った主人公と,先輩が卒業して腑抜けになった主人公に『今こそチャンス』とアプローチする幼馴染の親友」という巨大不明感情が複雑にもつれる設定の説明を詰め込み,かつこの3ページのうちに親友の子が「私はさっちゃん(主人公)が大好きだ」と明言するという,明らかにこれは奥ゆかしい『ゆるキャン△』ではないぶっ放されたなにかということが自然と察しがつく親切設計。いいのか。我々はこんなものを摂取してもいいのか。
→ もっとも,『mono』はこの後で百合要素は後退する。しかし,『ゆるキャン△』が作品名通りストーリー展開がゆるくゆったりと進行するのに対し,『mono』は主要なキャラがさっさとそろってトップスピードで1話完結のストーリーを駆け抜けていく点でやはり大きく異なる。特に主要キャラの一人の漫画家が出版社から依頼を受けたという形で主人公たちが『ゆるキャン△』の聖地巡礼をするというメタネタをやっており,にもかかわらず別の回ではしれっとぐび姉や各務原一家が登場する等,メタネタすら超越するやりたい放題である(なお,本作の舞台も山梨県)。
→ また,『ゆるキャン△』は普通のコマ割りがある漫画だが『mono』は4コマで,主人公たちがカメラで大写しにした風景だけ大ゴマを使っているという違いもある。大ゴマのインパクトが大変すばらしい。漫画として『ゆるキャン△』に劣らず純粋に面白いので,2本連載は疲れると思うが,是非『ゆるキャン△』の隙を見て描き続けてほしいところ。こんなにパンチが効いてて『ゆるキャン△』との関連性も深く,オタクの好きなカメラが主題なのに(まあカメラあまり出てこないけど),あまり話題になっていないのがかえって不思議である。
→ ところで,『mono』にはバイク乗りも登場するので,これでアウトドア・カメラ・バイクとオタクがはまる趣味が勢揃いした感もある。あとは自転車かね。
→ 先に言っておくと皆さんの予想通り敷島さんが好きです(聞かれてない)






・『ゆるキャン△』5〜7巻。
→ 『ゆるキャン△』という作品は,百合のフックだけが描かれた抑制の効いた作品であり,解釈は読者に大きく委ねられていた。あえて言えば,巨大不明感情が飛び交っているという解釈は可能であるものの,かなりの二次創作脳が必要であり,割と勇気の必要なものであったと思う。そういう前提であったので,1〜4巻はこういう感想になった。しかし,(アニメ1期と)『mono』を経た結果として,世界は一変してしまった。もちろん,それ以後も抑制の効いた話として読んでもよいのであるが,解釈の幅は大きく”そちら”が許容されるように広がってしまったのである。大変なことが起きた。
→ それで本編がそれまで通り進むのでもよかったのであるが,あfろ先生はそうしなかった。(『mono』より前の出版ではあるが)5巻では浜松に里帰りしたなでしこに付いていって,志摩リンとなでしこの旧友が会うというエピソードがあり,7巻では桜さんと志摩リンがなでしこを見守っていたら合流してしまう体でデートするという回があり,どんどんと素材が増えていった。特に7巻は巨大な爆弾として界隈に多大な影響を与えた。なお,この7巻の直後に『mono』が出版されている。改めて読み返してみても,ソロ旅好きでクールな二人の静かな秘密の保護者旅,余りにもカップリングも状況も完璧すぎて頭がおかしくなる(※ 普通はなりません)。
→ 解釈は自由であれ幅が広がったものではあれ,少なくとも「そう読んでいい」という発想の元で作者が仕掛けていることはわかったので,これからは堂々と百合として楽しんでいきたいところ。というよりも,よくもまあこれだけ高級素材をぶん投げておいてむしろ百合として読まない筋が残っているものだ。かえってその方がすごい。


  
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2019年10月09日

ジョン・ケイとか吉田茂とかが本当に混ざったやつなのかも

・詩人のウマル・ハイヤームと数学者のウマル・ハイヤームは別人(極東ブログ)
→ これ,随分と前になにかで読んで「そんな説あるんだな」と思ったものの,ソースを探る余裕もなく忘却していたところだったので,今回書かれている論文(pdf注意)がわかってちょっとうれしかった。今度はどの程度定着し,認められている説なのかが気になるところで,論文内ですら「「ウマル・ハイヤーム」という名のふたりの人物がいたことが事実であるとしても」と書いているように定着した説としては扱っていないように思われる。どうなんだろう。


・週刊少年ジャンプでサッカーと野球は鬼門なのか?(増田)
→ おもしろデータではあるが,増田内で出ている結論に反してむしろ,
>ただし「ミスフル」以降の直近3作品に限れば打ち切り続きで平均15週となる。
>ただし2000年代以降の直近9作品に限ると、打ち切り続きで平均16週となり、
>これが近年の「鬼門」とのイメージを生んでいるのだろう。
→ ということであれば,全体の平均の20週を割っていて,やはり鬼門なのではないかと思う。読者のイメージは長くても直近10年程度であろうし。近年の野球・サッカー漫画は過去の名作でやり尽くされていて,ちょっとやそっとの工夫ではオリジナリティが出せないし,変な方向に振り切れると「野球・サッカー」漫画ではないなにかになってしまってネットで叩かれるし,難しいのだろうと思う。マガジンの「ブルーロック」くらいの振り切れ方でも案外(少なくともマガジン読者には)受け入れられているっぽいので,ジャンプでもあれくらいやってしまってもいいのかも。


・【東方】事案発生(2ch東方スレ観測所)
→ 言われるまで気づかなかったのだけど,確かにこの組み合わせは東方史上最大級の倫理的な危険がある。これマジであかんやつ。実際あかんやつすぎて何でも何とか処理してきた東方界隈でもいまだもってこのネタおおっぴらには全然見ない。見なさすぎて怖い。
→ 神主,過去は割と振り返らない主義なので,霍青娥のことなんて全然気にせずに(というかヤンシャオグイのスペカ作ったこと自体忘れてそう)戎瓔花を出したのだろう。神主らしさあふれるエピソードとして東方の歴史に残りそう。


・研究活動上の不正行為に関する調査結果について(東洋英和女学院大学)
・東洋英和女学院院長が論文でねつ造した“存在しない神学者”「カール・レーフラー」さっそくネタ化される(Togetter)
→ 宗教学者による架空の神学者カール・レーフラー創作事件。あまりの中二病くささにネットの一部界隈が大いに盛り上がった。カール・レーフラーさん,確かにミスカトニック大学にいそうだし。民明書房で出版してそうw。  
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