2020年02月24日

別に陛下の聖地巡礼をしたいわけではないのだが

・ルネサンス初期の絵画、台所から見つかる フランス(AFP)
→ たまにある変なところから古い美術作品が見つかるやつだが,よくあるのは近代の絵画であるところチマブーエとは異様に古い。「女性宅の台所と居間の間の壁に掛けられ」ていたそうだが,その前の来歴は不詳なのだろう。なお,続報により当初の予価の約5倍の約2400万ユーロで落札されたとのこと。中世絵画としては最高額らしい。市場にジョットの作品が出回ることはまず無いと思われるので,これを更新する記録は当面出てこないのではないか。
→ ところでチマブーエをルネサンス初期にするのは問題があるのではないかと思う。明確にゴシック様式だと思われるので。AFPはフランスの通信社の割にそこにこだわりは無いようだ。原文までは見ていないが,わざわざ日本語版に訳す時にそこを改変するともあまり思われず。フランス語に堪能で暇な方がいたらチェックしてみてほしい。朝日新聞は「中世」としていた。
(追記)
→ はてブでコメントがあり,フランス語のAFPの記事は見つからなかったが,Le Mondeの記事ではpre-Renaissanceとされていたとのこと。プレルネサンスなら表現として適切で理解できる。


・関電役員の金品授受、経団連会長「友達で悪口言えない」(朝日新聞)
→ 私的に近年の失言の中でも大きな衝撃を受けたやつ。我が国の上層部,ここ何十年かの単位で本当にお友達意識で動いていたというのはさすがに信じがたかった。10・20代の若者ではなく70代の実業家が,そのキャリアを背負って言っていい言葉ではない。さすがに安倍さんの周囲だけだと思いたかったが,経団連会長もこうならもう全体的にダメかもなのしれない。


・英旅行大手トーマス・クック、破産申請 旅行者15万人の帰国作戦が開始(BBC)
→ 歴史ある企業でも容赦なく潰れるのは当然として,このレベルで有名な企業が潰れるとさすがに驚く。近代ツーリズムの創始者である。創業178年ということは1841年創業,飛躍の契機になったのは1851年の第1回万国博覧会への団体ツアー企画であった。鉄道と汽船航路の拡充に沿って近代ツーリズムは拡大していったが,オンライン予約普及に耐えられなかったか。実は2011年の段階ですでに一度倒産仕掛けていたようだ。時代の変化である。
→ ちょっと本ブログらしいことを書いておくと,トーマス=クックは2013年以前の課程までは一応範囲内だったはずだが,2014年以降の新課程では範囲外になった。近代ツーリズムの誕生というのはそれなりに重要な世界史上のトピックとは言えようが,トーマス=クックに代表させる意味もあまり無かろうかなとは。当のトーマス・クック社が倒産した今となっては,7年前の高校世界史業界に先見の明があったというべきかも。その後,長らく出題が無かったが,2019年に中央大の商学部〈会計/商業・貿易学科〉で出題があったのを確認している(当然例の企画の収録対象)。


・【図解・社会】天皇陛下が訪れた主な山々(2019年5月)(時事通信)
→ 有名な山に登って主要な山小屋をのぞくと「皇太子殿下ご宿泊」とよく見かけるとは思っていたが,いざ調べてみると納得の結果である。関東・長野の百名山・二百名山だと登っていない山の方が少なそう。
皇太子登山一覧
→ より詳細に調べられているもの。しかし,更新が2010年で止まっているのが惜しい。これで確認した限りでは,自分が登った二百名山はやはりほとんどが重なっており,逆に重複していないのが男体山と伊吹山の2つだけであった。逆に陛下がこの2つに登っていないのはかなり意外である。特に男体山は記録漏れを疑っている。
→ もし他にもっと良いまとめ(更新が続いているまとめ)があったら教えてください。
  

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2020年02月20日

エロゲレビューまとめて(『ラムネ2』他)

前回。約11ヶ月ぶりに。

扱っているのは『美少女万華鏡4』,『すみれ』,『ラムネ2』,『ねこぱら』vol.3。『千桃』は長くなったので別に記載済。

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2020年02月18日

レビュー:『千の刃濤、桃花染の皇姫』

略称『千桃』,発売は2016年。やっとレビューを消化できた。さて,本作を例えるなら,三つ星シェフによる超豪華フルコースを注文したら,前菜で白玉あんみつが出てきた。ワインには合わないなと思いながらも適当にあしらって食べ進めたら,メインディッシュの肉と魚はちゃんと一級品だった,という感じ。前半の学園・アイドルパートと政治・バトル・伝奇パートの食い合わせが悪すぎる。特に政治・バトル・伝奇の設定がこれだけ凝りに凝っているだけに,なぜ学園物をくっつけた。

以下,あまりネタバレなし。


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2020年02月17日

ニコ動の動画紹介 2019.1月中旬〜2019.2月上旬



このゲームを全然知らなかったのだけど,初期の漫画『ドラゴンボール』の世界観の再現度がすごい。アクションゲームと格ゲーがスムーズに切り替わるのは良い発明。




おやつさん。味方にソウルスティールを覚えさせる。サブフレームリセットはまさかの人力。素直にTASを使え。



チートコードやデバッグルームも使っての検証。使った手段によって結末がけっこう分岐するのが面白い。




shelfallさん。満点と最低点。満点は別の動画でも見た気がするが,最低点は初めてかも。



ぅな〜さん。FF5が終わったので,次はFF6に。FF6のアクティブタイムバトルスピードについての検証動画。ナンバーごとに仕様が大きく違うアクティブタイムバトルだが,FF6の場合,AS1は大きな不利になるということがわかる。



2020年の第16回は6月実施だそうで。忘れずに投票しないと。




最近プラリネを聞くと泣く身体になったのでニコマス作品を発掘していた。



上半期20選選出。エディテッドPV。ただでさえ美しいMelty FantasiaのPVがさらに美しい。



上半期20選選出。久々のeitei枠。いつもながらによくできてる。四条貴音ウルトラマン説はありそうで見てないかも。



上半期20選選出。PARIM@Sの傑作。テンポの良さとGRIDMANへのスムーズな移動がすばらしい。なお,オーイシマサヨシが言及した結果,「餃子、パリッとさせたくて」がシャニマス流行語大賞となった。関連するどちらの元のイベントも,灯織の生真面目で不器用な性格が出ていて大変良い。



上半期20選選出。PARIM@Sからもう1つ。このネタにこの曲の存在を思い出して持ってきた時点で強い。  
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2020年02月16日

SNSが変わると文化が変わるしね

・東方Projectの同人CDをサンプリングした「Omae Wa Mou」がTikTok経由で世界中でバイラルを巻き起こしている謎現象について(柴 那典|note)
→ ブコメにある指摘も含めて経緯をまとめると,東方原曲「今昔幻想郷」(ZUN,『東方花映塚』2005年8月)→東方アレンジ「タイニーリトル・アジアンタム」(Shibayan Records,2013年5月)→訴えられたら負けそうなほどの丸パクリサンプリング「Omae Wa Mou」(deadman,2017年9月)→それを使ったラップ「Already Dead」(Lil Boom,2018年4月)→Lil Boomが「Already Dead」を用いた自作のアニメMADをインスタに投稿(2018年4月)→Twitterでマイクラ動画のBGMに「Already Dead」が採用されて一気に広まる→TikTok内でダンスチャレンジのBGMとして大流行(2019年8月)。一応は最後のダンスチャレンジで5次創作か。東方という型を保ったまま8次創作まで行った傷林果とはえらい違いだ。
→ ぐちゃぐちゃで文脈がぶった切れているからこその伝播・流行とは言えそう。東方アレンジであるという要素が消えれば単なるノリの良いボサノバの曲ではあるので。TikTokの段階に至っては日本語ということすら認識されていなさそうである。それにしてもまあ,東方花映塚はともかくとして,「お前はもう死んでいる」は当然『北斗の拳』だし,deadmanのアイコンと「Already Dead」の背景は『のんのんびより』だし,Lil BoomのアニメMADは『リゼロ』だし,日本コンテンツの酷使がすごい。


・日本語と台湾原住民のタイヤル語が混じった言語、宜蘭クレオールが話されるトビウオの街、東澳へ(今夜はいやほい)
→ 日本語のクレオールなんてあったんだなというところからしてまず新鮮。単語は聞き取れるけど文としては意味を理解できないなどという体験は,母語が日本語の人間にはここでしかできまい。訛りきった方言だと単語すら聞き取れないので。


・「古代のサフラン染めがしたい」→染色職人と追いサフランが続々と集結、ついには花嫁衣装が染まり上がる #古代ギリシャ自由研究(Togetter)
→ また何か藤村シシンさんたちが変なことをやってるぞ,という話。古代から様々なものの値段が相対的に下落した現代日本だが,サフランは古代でも現代でも高い。コメントで本人が補足しているが,絹も現代でも高い。もっとも,当時だと現代日本よりもさらなる高級品だったと思われるが。アレクサンドロス以前だとそもそも「見知らぬ果ての地」から来る物産だったわけで,とんでもない貴重品であった。
→ ガスコンロと寸胴鍋,乾燥機と近代科学で進められる行程と完成品のギャップがすごい。綺麗に染まるものだなぁ。煮汁の余りをパエリアに転用していたのも現代人的ですばらしい。
→ やはり次は貝紫染めをですね……


・多くの人がジェノベーゼを誤解している件〜緑じゃない本当のジェノベーゼパスタを作ってみた(肝臓公司)
→ これは全然知らなかった。個人的な判断基準だと,これは今からでも社会的に直した方がいいやつだと思う。さりとて「ペスト・パスタ」は絶対に定着しないだろうから,方針転換するならバジリコペースト・パスタになりそう。
→ パルメザンチーズが上手いこと粉チーズに軌道修正したのはけっこう良い社会実験の成功例だったと思われ,あれを考えるとこれもやってできないことは無いと思われる。あれはEUと日本のEPA交渉の過程で問題点として浮上して一種の強制力が働いたので(もっとも最終的にパルメザンとパルミジャーノ・レッジャーノは別物という判定が下されてパルメザンも生き残ったのだが),在日イタリア大使館辺りが取り上げて日本の大手食品メーカーに陳情すれば,同じような流れになってがらっと変わっていきそうな気はする。  
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2020年02月06日

牛肉の生産量・輸出量はよく出題される印象がある

・飼料用コーンを食べよう(歯ごたえのある虚無)(Togetter)
・飼料用コーンを食べよう(歯ごたえのある虚無2)(Togetter)
→ こういう「消化できるんだったら食えるよな!」系の調理ネタ,面白いから好き。ざざむしとか平坂寛さんとかのと同じ系統に並べられる。
→ 味の虚無性については,ペット・フードを人間が食べると虚無の味がするという話をよく聞くので,飼料用コーンも虚無と言われると説得力は高い。じゃあ味をつければいいのでは,というのは正論なのだが,それってまんまデンプンを無理やり食べていることになるわけで,それはそれで悲しいオチという気も。
→ その点で,ちゃんと素材の味が活かせるようになる圧力鍋は偉大。次点が水で煮ただけのやつ,それ以上に加工すると虚無になるということは調理の過程で味が消えていくのか。不思議だ。


・寄稿=成長し続けるパ国牛肉輸出=世界第6位の生産国に躍進=亜国は輸入国に転落の危機?
→ 確かに,いまだにアルゼンチンが牛肉の輸出国上位のイメージはある。この記事が2015年のデータなのでもうちょっと最近のものを参照すると,2019年ではブラジル・インド・オーストラリア・USA・ニュージーランド・カナダ・アルゼンチン・ウルグアイ・パラグアイ・EUの順になっていて,アルゼンチンはこの2015年を底に急回復したようだ。記事中にある農業政策が転換されて,大豆から牛肉に回帰したのだろうか。
→ インドが上位にいることに驚くブコメがあったが,これは高校地理の範囲で解答が可能だ。インドはヒンドゥー教徒が多数派だがムスリムや他の諸宗教も少数ながら住んでいる……というイメージがあろうと思うが,そもそもの人口が約13億人であるので,その他の信徒だけでも軽く1億人超が住んでいる。しかも,他国と異なって国内需要が少ないため,生産量の多くを輸出に回せる(これは人口の少ないオーストラリアやニュージーランド,カナダ辺りも同じ)。しかも近隣諸国は別にヒンドゥー教徒が多数派というわけでもないので輸出しやすい。結果的に生産量でもそこそこ上位なのだが,輸出量だと2位にランクアップする。


・「酒を飲まない人」をバカにする人たちは「大きな勘違い」をしている(現代ビジネス,藤野 英人)
→ 私自身は体質的に飲めるしお酒は割と好きだが,飲み会でなければ飲まない(日常的にはほぼ一滴も飲んでいない)くらいの立ち位置なので,こういう下戸の人の感覚はわかるつもり。
→ 紹介されている統計の通り,社会の変化は確実に来ていて,同年代か若い世代は飲み会でも本当に酒を飲まない。飲み屋の一杯目が酒よりノンアルコールの方が多い飲み会も普通にある。ブコメにもあったが,アルハラも含めて飲酒にかかわる文化自体が陋習に見えるので嫌いという人もかなりいる印象はある。


・フランシスコ法王が祈祷に異例の遅刻、エレベーターに閉じ込められ(AFP)
→ このニュースに対し「新手のバビロン捕囚かな?」「ヴァチカンの囚人かな?」という大喜利が日本で局所的に行われていたのだが,英語圏でも盛り上がっていると思いきやぐぐってみるとそんなことも無かった残念。


・富士登山の「頂上ご来光」を見直す時期なのではないか(経営と登山のあいだ)
→ 二度富士山に登頂しているが,確かにご来光目当ての登山に人が集中しすぎているように思うし,富士山にはそれに耐えうるだけの設備がない。明らかなキャパオーバーである。ただ,前にも指摘したが,あの渋滞や危険な事故の原因は吉田ルートの道が狭すぎることなので,拡張すればかなり解決すると思うし,それほど難度の高い工事とは思われず,やらない理由がよくわからない。財源が無いなら入山料を値上げして確保すべきだろう。
→ あとは本記事で指摘されている通り,シャトルバスの吉田口五合目への入構自体を規制してしまえば混雑緩和は可能である。夜間弾丸を全面禁止するところまではしないにせよ,そもそもご来光目当てで吉田口五合目まで来る人の数を減らすべきだろう。シャトルバスもなぜあんなに吉田口に集中させず,富士宮や御殿場は無理にしても須走口五合目にもっと人を集めてもいいはずである。須走ルートの山小屋が少ないからということなのか。富士山は全体的に観光資源としての売り方を再考した方がいい。  
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2020年02月02日

諏訪・霧ヶ峰旅行記(2019年8月)

またの名を第四次諏訪巡礼記。「百名山を1つ踏破したい」「東京の夏が暑すぎるので避暑に行きたい」「なにかの聖地巡礼が良い」という理由が複合してこうなった。諏訪は『東方風神録』・『ヤマノススメ』・『ゆるキャン△』・『咲-Saki-』の4つをまとめて聖地巡礼できる素晴らしい土地である。珍しく頬付を欠き,メンバーはしいかあ,涼風の3人。ちなみにこの時の私は7月末から富士山登山→出張→コミケ東北旅行→この旅行と5週間くらい連続で出かけていた。何がそんなに私を旅行に掻き立てていたのだろうか。


新宿駅から特急あずさに乗って茅野で下車。東京から3時間というのは距離を考えると交通の便が良いと思う。この日はレンタサイクルを借りて諏訪大社上社に向けて出発。レンタサイクルが電動アシスト付に進化していてちょっと驚くと同時に,体力温存につながってありがたかった。自転車で移動して上社本宮→神長官守矢史料館→上社前宮と巡回。私は全部2回目なので案内役。上社本宮で明神湯(お手水が温泉になっている)を紹介できたり,諏訪の神社はどこでも四隅に御柱が立っているという話をしたり,「あれがリアル早苗さんのおうちです」ができたりしたのが良かった。



絵馬の様子は8年前と変わらず。『東方風神録』はさすがに息が長い。なお,ここに映したT20さんは定期的に4つ全てを回っているようで,全社に絵馬が飾ってあった。神長官守矢史料館は近隣の案内看板や展示が豪華になっていて,明らかに金回りがよくなっていた(東方厨が社会に役に立ってたぞ)。史料館の解説のおじさんに「洩矢神社には昔行きました」と言ったら「藤島神社にも行かないと片手落ちだぞ」とたしなめられてしまった。八坂神奈子には興味がなくてすまんな。

前宮参拝の際には過去に行きそびれていた茶処山里へ。『東方風神録』の聖地巡礼の拠点はここである。中は大洗駅の駅内にあるガルパンコーナーのような感じの一角があった。ただし,公式がグッズ展開をしていない東方projectなだけあって,同人誌が圧倒的に多い。また,ゲストブックに描かれた絵がどれも上手い。同行3人は誰も絵が描けないので「ひょっとして日本人は誰でも絵が描けるのでは。我々は日本人として重要な遺伝子が欠落しているのでは」等という話をしていた。昼飯はここで信州そば。



茶処山里を出たら茅野駅に戻ってレンタサイクルを返却し,電車で1駅ずれて上諏訪へ。同行者に例の足湯を紹介できてこれまた満足。駅を出て酒蔵街に歩いていって飲み歩き。諏訪の日本酒飲み歩きは,飲み歩きに屋台などの出店も含めたイベントが例年3月と10月の年に2回開催されていたが,これは一旦中止となり(2020年3月に復活する見込み),代わりに酒蔵五蔵を順に飲んでいく飲み歩き,改め「酒蔵めぐり」そのものは常設となった。今回はその常設になった酒蔵めぐりである。私としいかあさんは実のところ日本酒がそこまで好きというわけではないのだが,涼風さんが日本酒好きで大変満足そうであった……というよりも彼は満足しすぎて最後の真澄が終わった頃には完全にへべれけ&千鳥足になっていて,結局しいかあさんがほとんど肩を貸す形で以後は移動した。

そんな涼風さんを引きずって上諏訪駅に戻り,時間が余っていれば諏訪湖湖畔に行って『咲-Saki-』の聖地巡礼でもしようかと思っていたが,タイムアップでカット。また1駅だけ動いて下諏訪駅下車。徒歩40分かけて坂を登り,住宅街の家々がかなり薄くなってきたところでこの日のお宿の毒沢鉱泉 宮乃湯へ。この温泉旅館は秘湯としては完璧だった。部屋は純和風で,空いているなら離れの部屋の予約をとるのをお勧めする。設備は意外と新しく,wi-fiも完備。バリアフリーにこだわりがあり,敷居に段差が無いのも車椅子の方にはありがたいポイントだろう。夕食の桜肉鍋も美味しかった。とはいえ,やはりph2.4の極端な酸性の鉱泉が最大の魅力で,毒沢鉱泉を名乗るだけはあった。


翌日は坂を下って下社秋宮・万治の石仏・下社春宮と観光して下諏訪駅へ。バスで移動して霧ヶ峰へ。朝が早かったので霧ヶ峰到着時点で11時半頃,標高は1,500mを超えているはずだが,日が照っていて大して涼しくなかった。地表が36度とか37度だと,標高が1,500m程度で9度下がった分ではまだ暑い,と考えると別に不思議でもなんでもないのだが,こういうのは理屈ではなく,霧ヶ峰の名前に反して暑いという状況がちょっと面白かった。うろうろと散策しながら車山高原の方向へ向かい,『ゆるキャン△』でリンちゃんがボルシチを食べていた「ころぼっくるひゅって」に行ってみるも,ボルシチ完売。どころかケーキ以外の食べ物完売という状況であった。これは聖地巡礼とは関係なく,ころぼっくるひゅってが人気の山小屋であり,天気が良く人出があったということであった。悔しいのでケーキだけ食べて写真撮影。



リンちゃんが行ったときには空いてたじゃん,と思うかもしれないが,実はころぼっくるひゅっては12月に入ると冬季休業になってしまい,リンが行ったのはかなり閉店ぎりぎりの時期で店としては来客の少ない時期だったと思われる。繁忙期にボルシチが食べたいなら朝8時の開店直後に行って朝飯として食べるのが正解かもしれない。仕方がないので近くのベンチで適当に昼飯を食べた後は車山に登って無事登頂。



爆笑したのが2枚目の写真,わかります? こんなところの神社でも4本御柱が立っている。しかも案内板の説明によれば,なんとちゃんと御柱祭までやっているらしい。諏訪人のナショナリズムはすごい。これを見ながら同行者と「神社に御柱が立っている範囲によって,”概念上の諏訪”の範囲を測ることができるのでは?」という話をしていた。そういう研究はすでにありそう,とも。知っている方がいたら是非教えてください。あるいはこのブログを見ている民俗学者の人がいたら是非調べてみてください。私も気になっています。

この後は下山してバスに乗って上諏訪駅へ。そこから特急あずさに乗って帰宅。これだけ過密スケジュールだったのに一泊二日でこなせて翌日にも全然疲れが残らなかった。やはり諏訪はアクセスが良い。まだ美ヶ原高原に行っていないし,ころぼっくるひゅってのボルシチを取り逃しているし,宮乃湯は再訪したいので,多分遠からず(最速で今年)諏訪旅行はもう一度企画すると思う。  
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2020年02月01日

『物語 オーストリアの歴史』のまずい点について簡潔に




山之内克子先生は『ハプスブルクの文化革命』が大変な名著で,『物語 オーストリアの歴史』も面白く読んだ。ドイツの美術史をやっていた人間としては,アンゲリカ・カウフマンに触れてくれたのは,本書がオーストリア各州の地方史の集成であることを考えると当然であるとはいえ,大変に嬉しかった。

・SNSの時代に本を書くということ・・・新書「ヒトラーの時代」に思う(yoshiko Yamanouchi|note)
→ その上で言うと,この説明はちょっと受け入れがたい。そのTwitter上で指摘されていたように,「一次史料との兼ね合い等の事情から,本書では「オスマン・トルコ」で統一する」と冒頭に注意書きを入れておけば解決した話であり,そうしなかった以上は著者・編集者側の落ち度であろう。どちらかというと,そうした注意は編集者が払うべきであるので編集者の過失の方が大きい。なので,このnoteで「校閲のレベルが高かった」と言われても,「オスマン・トルコには注釈が必要ないですか?」という指摘を入れられなかったという推測が成り立つために説得力が薄い。あるいは校閲からそういう指摘があっても先生ご自身が無視したかいずれかになるのだから,その場合は余計にまずい。

……というのが実はちゃんと読了する前までの感想で,本書はそれ以外にも用語の使い方等でまずい点が見られ,このnoteの記事の言い分はかなり苦しいと思う。オスマン・トルコ以外にも言い方が古いor勘違いしていると思われる箇所が散見される。用語の不統一もある。むしろオスマン・トルコ以外にあまり指摘されていないのが意外なくらい。自分では確証が無いものと,単なる校正ミスも含めると,自分が気づいたのは以下の通り。

p.19,73他 アウスブルク → アウスブルク
p.36 ヤン・ソビエキ → ヤン・ソビエ
p.72-73 マジャールとマジャールが混在。
p.72 遊牧民”族”という言い方はとがめるほどじゃないがやや気になる
p.79 サポヤイ・ヤノーシュ → サポヤイ・ヤーノシュ
   ※ 私はハンガリー語に詳しくないので,ヤノーシュでも問題ない可能性もある。発音記号やforvoで聞いた限りで,少なくとも現代ハンガリー語ではヤーノシュ。
p.152 オットカール・プシェミスル
   → このままでもいいが,オットカールがドイツ語なのにプシェミスルがチェコ語なのはやや違和感ある。オットカールはオタカルの方がいいのでは。
p.185 皇太子フランツ・フェルディナント → 帝位継承者フランツ・フェルディナント
   ※ ドイツ語で皇太子(Kronprinz)と帝位継承者(Thronfolger)は別の単語であるから,専門家はきっちり訳し分ける傾向が強いように思う。私自身はさしてこだわりが無いが。


アウクスブルク等は先生ご自身が指摘されて直さないということが絶対に無いものであるから,校閲から漏れてしまったのだろう。それだけに,中公新書の校閲は本当に機能していたの? という疑念はどうしてもわいてしまう。そして一点だけ,こうした用語の古さが認識に影響を与えていると思われる点がある。p.408。

>「トルコ軍がふたたびウィーン盆地に宿営を貼るのは,それからおよそ一世紀半後,1683年になってからのことだった。このとき,第19代皇帝メフメト4世の治世下,すでにオスマントルコ帝国は斜陽の時代を迎えようとしていた。国勢回復の最後のチャンスを宿敵ハプスブルク家との戦争に見出そうとした大宰相カラ・ムスタファは,同年3月,15万人の兵を擁してアドリアノープルから西進を開始したのだった」

解説するまでもない気もするが念のため,「斜陽の時代を迎えつつあった」のは当時の帝国の内実やその後の展開を知っている現代人の認識としてまだ誤りとは言い切れないが,当時の人間の認識として第二次ウィーン包囲が国勢回復の最後のチャンスだったというのは誤りと言っていいだろう。なにせ第二次ウィーン包囲の直前がオスマン帝国の最大領域で,まだ押せ押せで各地に侵攻していた時期なのである。詳しくは同じく中公新書から出ている『オスマン帝国』(小笠原弘幸,2018年)を参照のこと。





内容が大変に面白いだけにこうした細々とした指摘をしなければならないのは残念である(そう,これらの指摘のほとんどは細々としている!)。言うまでもないが人間に校正ミスはつきもので,どんなに注意しても大人数をかけてもなくならないものはなくならない。私も単著を出しているのでそれは重々知っているから,よほどのもの以外は気にしないようにしている。だからこそ,そういうのを”多くの人に気にさせてしまう”,着火点としての「オスマン・トルコ」の表記は対処すべきものであった。改めてそう思ったのでこの記事を書いた次第である。  
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