2020年10月19日

高校世界史でいかにリシュリューと三部会停止を記述するか

高校世界史深掘りシリーズの小ネタ。ルイ13世の宰相といえばリシュリューであるが,ルイ13世の在位年1610〜43年,リシュリューの宰相就任は1624年である(1642年に在任のまま死去)。つまり,ルイ13世とリシュリューのコンビが組まれたのは,ルイ13世の治世33年の後半,約18年ほどであった。ルイ13世は即位時点で9歳であり,母后マリー・ド・メディシスが実権を握っていた。そのマリー・ド・メディシスが,1614-15年の(全国)三部会に聖職者代表として出席・活躍したリシュリューに目をつけて登用した。その後,ルイ13世は長じて母の専横を嫌って親政を開始したが,それでも母の寵臣だったリシュリューは追放せず,どころか宰相に引き上げた。リシュリューはマリー・ド・メディシスの寵愛ではなく,その才覚によって宮廷に留まったと言えよう。

リシュリューの事績は多岐にわたるが,高校世界史上,その一つとして挙げられるのが三部会の停止である(以後,本稿で扱い三部会は全て全国三部会のみを指す)。三部会は国内諸身分の代表を招集して,国王の課す新税について協議させ,承認を得る機関であった。諸身分の同意を得たという形で新税を課すことで国民の不満を減らすという意図があったが,王権が強化されたことで有無を言わせない徴税が可能になれば,三部会の招集は必要がなくなる。リシュリューは王権を強化する目的で1614-15年の三部会を最後として開催を停止し,次に三部会が開かれたのはその約174年後の,フランス革命勃発時のことであった……と簡単にまとめようとすると,実はちょっとした史実の誤りが紛れ込むことになる。実は,リシュリューは(全国)三部会を停止・廃止する具体的な法令を出しておらず,三部会という制度そのものに手を付けたことはない。制度としては残っていたからこそ,約174年後に再開する機運が巡ってきたということである。

リシュリューは王権の強化政策を進めて,三部会の開催を認めなかった。そう,リシュリューは三部会の開催を停止したというよりは,開催させなかったのだ。ルイ14世の治世でも同じように後継の宰相マザランが強権で貴族勢力を押さえ込み,三部会が必要そうな場面であっても開催しなかったため,それがフランスの伝統として定着していった。その意味で,リシュリューが三部会を開催しない伝統を形成したと言いうるだろう。しかしながら,「開催しない伝統を形成した」という回りくどい言い回しでは,高校生は理解しづらい。そこで高校世界史では,誤解含みになることはあきらめて「リシュリューが三部会の開催を停止した」とまとめてしまうことになる。私もこのまとめ方はある程度しょうがないと思う。

一方,入試問題の正誤判定でそういう文が出てきたら審議の対象になる。入試問題に求められる厳密さは高校世界史の標準よりも厳しい。これは教科書も同様である。教科書は誤った史実を記述できない。しょうがないからという理屈で高校世界史的な嘘が許されるのは参考書であって,そこが教科書と参考書の身分による大きな違いであると思う。

そういうわけで教科書は,
・リシュリューが王権強化の政策をとったことを必ず盛り込む。
・三部会の不開催は,歴代の君主・宰相の王権強化の過程で生じたというニュアンスを出す。
・ただし,リシュリューが三部会停止の主語になってはいけない。
の3つの制約を全て守って,かつできるだけ簡略に記述しなければならない。これは非常に厳しい。こういう制約が厳しい部分は,教科書執筆者・編集者の腕の見せどころになると考えられる。というわけで,実際の記述を確認してみたのが以下の通り。対象はいつもの5冊+山川用語集・『詳説世界史研究』。


《リシュリューが”開かなかった”とそのまま書く》
・山川『詳説世界史』:「ルイ13世の宰相リシュリューは,王権に抵抗する貴族やユグノーをおさえて三部会を開かず,国際政治では……」
・山川『詳説世界史研究』:「彼(編註:ルイ13世)のもとで宰相となったリシュリュー枢機卿は,王権に抵抗する貴族やユグノーをおさえて王権の強化を進めた。リシュリューは地方当地のために王直任の役人(アンタンダン)を派遣し,王権を制約する身分制議会の全国三部会は,14年に招集されたものを最後に開かれなくなった。」
→ どちらもリシュリューが”開かなかった”とは言ったが,”停止した”とは言っていない。事実そのままの記述ではあり,あまり工夫があるとは言いがたい。そこは授業中の教師の説明で補足してもらうということなのかもしれない。ともあれ,3つの制約は全て守られているし,『詳説世界史』の記述は非常に短くまとまっている。
→ 逆に,珍しくも『詳説世界史研究』の書き方はスマートでなく,文の途中で主語が変わっていてちょっとわかりにくいし,1614年の開催が最後と言われると1789年の三部会は? ってなるし,記述がやや危うい気も。


《順当に主語をルイ13世にしてしまう》
・山川『新世界史』:「17世紀初頭,フランス最大の課題は,ユグノー戦争期以来の宗教対立を解消し,国王の政府の権威を確立することにあったが,これに取り組んだのがルイ13世と宰相リシュリューであった。ルイは貴族の私的軍事力を解体し,さらに一部貴族の反乱を鎮圧する一方で,官僚である地方長官を全国に派遣した。また王権を制約していた全国三部会を1614年を最後に停止した。」
・帝国書院:「ついで即位したルイ13世は,1615年以降は三部会の招集を停止し,1624年,リシュリューを宰相にして財政の改革をはかった。」
→ 山川『新世界史』は全てルイ13世を主語として処理してしまい,リシュリューはその補助としている。帝国書院の方はルイ13世とリシュリューの事績を明確に分けて記述し,三部会の招集停止はルイ13世を主語にしている。これらは史実の記述としては正確であり,しかも王権強化の過程で不開催になったというニュアンスもちゃんと出ている。しかしながら,リシュリューの事績が矮小化されていて,かえって全体像が見えづらくなっているという欠点もある。リシュリュー抜きのルイ13世自身がそこまで有能で王権強化に熱心だったかというと疑問で,やはり三部会停止を除けば主語がリシュリューであるべきだ。3つの制約の1つめが完全に守られているとは言いがたい。


《三部会は脚注で処理する》
・東京書籍:本文は「ルイ13世の時代になると,宰相リシュリューが大貴族やユグノーをおさえて王権の強化に努め……」として,高等法院につけた脚注で「三部会は1615年の解散以後開かれなくなると,王令審査権をよりどころに王権の強化に抵抗した」と言及。
・実教出版:本文は「ルイ13世の時代には,宰相リシュリューが王権に反抗する大貴族やユグノーをおさえ……」として,高等法院につけた脚注で「三部会が1615年からひらかれなくなると,王令登録権をよりどころに,王権に対する貴族の抵抗の拠点となった」と言及。また,リシュリューでコラムを作っていて「1614年の三部会で聖職者身分の代表となったのを機に,政界入りした」と言及。
→ どちらも三部会の招集停止を高等法院に付した脚注に飛ばして処理している。これは私にはできない発想で,異なる2つの出版社が共通してこの処理にしているのは面白い。山川の『詳説世界史』以外は古い版を収集していないのでわからないのだが,どちらが先にこの処理を思いついたのか(どちらがこれを真似たのか)はちょっと気になる。情報を持っている人がいたらください。
→ 閑話休題。リシュリューが王権強化の主役だったことが伝わる本文になっていて,かつ三部会停止が王権強化の過程のニュアンスに乗っていて,三部会停止がリシュリューの事績になっていないから,3つの制約が守られている。意外とこれが最適解の処理かも。


【まとめと感想】
山川『詳説世界史』の記述は簡素すぎる気はするが,逆に言えば最小限の字数でよくまとまっていると思う。逆に『詳説世界史研究』は饒舌すぎてかえってわかりにくい。ルイ13世を主語にした2冊は,リシュリューの立場があやふやでちょっと彼がかわいそう。脚注に飛ばしている2冊は見事な工夫と言えよう。そう,こういう面倒なものの説明は本文に入れなくてよいのだ。

なお,山川『用語集』はリシュリューの項目の説明で,三部会停止を彼の事績として挙げていない。そして別に「三部会招集停止」の項目を立てていて,そちらでもリシュリューには触れておらず,相互に言及しない形をとっている。これは用語集が辞書だからこそできることであり,辞書には辞書の記述上のアドバンテージがあるということだろう。  

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2020年10月17日

ニコ動の動画紹介 2019.11月中旬〜2019.12月中旬




ここまで来ると自分のやっている登山とは完全に別ジャンルだなぁとか。




この投稿の直後に富士山滑落死亡事故があって変な話題になったが,いたって普通に良い登山動画。ルート3776を,平地は自転車,登山道に入ってからは歩きという形で17時間35分で走破。ルート3776は自分もやってみたい。




動物園経営シミュ。たいたぬさんはこういうシミュで綺麗に作るのが上手くてすごい。



FF8学会。有用性は無いけど面白いバグ。FF8は画面やエフェクトと効果のズレが結構あるっぽい。



坂本がけっこう強くて良いバトルをしていた。相変わらずミラクル展開が多い。持ってるなぁ。



こっちもいい勝負。アイテム出現に恵まれてる。





藤和P。「しんげき」による素材過多。



バチP。下半期20選選出。裏に流れるセリフ集が泣かせにくる。



ヨーゼフP。下半期20選選出。現トロピコシリーズが完結したら,短くていいのでこれも完成させてほしい気もw。私も書評を書いているが,本書は非常に面白いのでお勧め。



   氏。いつもの手描きアニメで曲はひだまりスケッチ。
  
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2020年10月12日

『ホーキーベカコン』全3巻(原案:『春琴抄』,漫画:笹倉綾人)

原案は谷崎潤一郎の『春琴抄』。ただし,よく見ると原作ではなく「原案:『春琴抄』」になっているように,大きくアレンジが入っている。あえて断言してしまうが,これは最高のリメイクである。『春琴抄』と『ホーキーベカコン』はどちらを先に読んでもいい。しかし,被虐嗜好を持つ主人公の佐助はともかく,春琴の描き方がかなり違うので,個人の好き嫌いはあれ,どちらを先に読むかで印象が変わってくると思われる。

そう,最も大きく異なるのがもう一人の主人公,春琴である。『春琴抄』の春琴は20世紀末以降の目線で言ってしまえば割とよくあるタイプの暴力系高飛車お嬢様ツンデレであって,そこに目新しさはない。昭和8年の作品に現代の目線から目新しいも何もなかろうとは思うが,『春琴抄』は加虐趣味・被虐趣味を前近代的な主従関係と重ね合わせ,文字通りの盲目的な愛に昇華させたことに焦点が当たっていて,春琴のキャラクターが作品の焦点というわけではない。その盲目的な愛は谷崎文学らしさがあり,またこれに谷崎の仕掛けた可能な限り句読点を用いないというねっとりした実験的文体も合わさって,『春琴抄』は文学的名作の地位を得たといえる。

しかしながら,それをそのまま漫画にしたのでは面白くない。前述の通り,現代にあっては春琴のキャラは目新しさに欠け,漫画にすれば実験的文体はなくなる。それでも忠実再現しただけでも,「古典的名作の忠実再現」という売り文句でそれなりの評価を得るものにはなっただろう。しかし,『ホーキーベカコン』はそうはしなかった。行った最大のアレンジは春琴の神格化である。『春琴抄』にある「春琴は37歳でも十は若く見えた」という原作の描写をさらに極端に「二十は若く見えた」と変え,つまりロリババアとでも言った方がいいほど年を取らない容姿に変えた。箏曲の腕も原案よりさらに極端な天才に変わり,性格も高飛車というよりは超然としているものに変わった。『春琴抄』の春琴は終盤にデレたが,『ホーキーベカコン』では最後まで折れない……というよりも超然としていてツンデレという尺度で捉えるのが不可能になっている。

同時に佐助の立ち位置も変わっている。『春琴抄』で終盤に春琴が佐助に心を許したのは,こんなにも暴虐を振るっていたのに,その報いとなる大事件が起きた後でも,まだ自分に盲目的に尽くしてくれている佐助を認めたからであった。他方で『ホーキーベカコン』では,佐助は春琴の特殊な理解者であり,春琴の神格化の協力者であり,暴力の共犯者であった。それゆえに春琴は原案よりもかなり早い段階で佐助に強い信頼を置いている。春琴と佐助の関係が明確に原案から離れたと言えるのが『ホーキーベカコン』第8・9話なので,『春琴抄』と『ホーキーベカコン』を読み比べる際に注目してほしい。

こうなると春琴の「盲目」も,持つ意味合いが変わってくる。単なるハンデではなく,超人的な人格を支える要素に読み替えられる。彼女の過剰な暴力性と佐助の献身も一種の聖性を帯びる。春琴の神格化を起点にして『春琴抄』の構成物の多くが読み替えられたもの,それが『ホーキーベカコン』である。そんな神の如き春琴は,佐助という最大の理解者を得て,何を目指したのか。これが『ホーキーベカコン』という物語の駆動力になる。

なお,タイトルの「ホーキーベカコン」という聞き慣れない言葉は,『春琴抄』で最上級の鶯の鳴き声として登場する。私は『ホーキーベカコン』の後に『春琴抄』を読んだのだが,『春琴抄』でこの言葉が出てきたときに,なるほど春琴を神格化したアレンジ作ならこのタイトルしかないとあまりの的確さに身震いした。このホーキーベカコンという鳴き声は『春琴抄』では取るに足らない小さなエピソードに過ぎないのであるが,『ホーキーベカコン』の描く春琴にとってはとてつもなく大きな意味を持つ。

総じて,矮小化して言えば20世紀末以降のオタク文化の粋が,逆に大仰に言えば約100年の日本文化の蓄積が,この改変を生んだと言える。少なくともロリババアという発見と経験がなければ本作は無かっただろう。見事という他ない。

最後に,谷崎は『春琴抄』を書く2年前の昭和6年に『グリーブ家のバーバラ』という短編を翻訳している。貴族の娘バーバラは絶世の美男子エドモンド・ウィローズと恋人の関係であったが,エドモンドは旅先の火事で美貌を失った。バーバラは結局別の男性アップランドタワーズと結婚し,エドモンドは失踪する。その後,エドモンドが旅行前に作っていた自らに似せた彫像がバーバラの元に送られてくる。彫像に執心するバーバラに対し,業を煮やした夫は彫像を破壊し,バーバラは発狂してしまう……というあらすじで,明らかに『春琴抄』の下敷きになっているが,男女が逆になっていたり,美貌が失われた後の反応も異なっている。『グリーブ家のバーバラ』は『ホーキーベカコン』でも言及されるので,両者を読む上であらすじを頭の中に入れておくとより楽しめるだろう。

春琴抄 (新潮文庫)
潤一郎, 谷崎
新潮社
1951-02-02



  
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2020年10月11日

絵画パロディは他にもありそうだが……

・ドラゴンクエスト2の地史政治 〜ローラ夫妻がラダトームを発ち三王国が動乱に見舞われるまで(Togetter)
→ 面白い考察。こういう「作者の人そこまで考えていない」ところに学知で無理やり補完するのは楽しい。
→ サマルトリアは地政学的な不利のせいで王子まで弱い説,けっこう好き。ローレシアは宗家,ムーンブルクがアレフガルドとのつながりがある祭祀王とすると,確かにローラの門の管理というだけでは役割自体が弱い。なお,ブコメで入っていた指摘によるとムーンブルクは元から存在した王国で,そこに1主人公の娘が輿入れしたという設定があるらしい。それも加味するなら,ローレシア建国後にアレフガルドとのつながりを絶たないため,婚姻による同盟を結んだということになろうか。1主人公(かローラ姫)も意外と政治家である。
→ 同じような妄想をドラクエ各シリーズでやるとけっこう面白い。ドラクエ5だとラインハットは北大陸の東半分が領土で,あっさりサンタローズを滅ぼしているところから見てもあの世界の大国だろう。オラクルベリーやアルカパは自治権を求めて抵抗してそう。アルカパは数百年前までレヌールの国土であったところ,モンスターに滅ぼされて自立せざるを得なくなったとか,そこからビスタ港を開いて西大陸のポートセルミとラインハットをつなぐ中継貿易に乗り出して発展したとか(だから巨大な宿屋がある),その辺の妄想は広げやすい。
→ ドラクエ4のマップは章ごとに違う主人公が途中で会わないようにするため海と山で地方が分断されていて,この世界の地域間交易は非常に困難であると予想される。だからトルネコのような冒険商人や,コナンベリーにいた貿易商が重宝される世界なのだろう……とか辻褄が合ってしまうとまた楽しい。


・アイルランドから米先住民へ、170年後の恩返し 感染対策支援に多額の寄付(CNN)
>チョクトー族はその16年前、強制移住させられた際の旅の途中で、飢えと病気のため数千人が命を落とす苦悩を経験していた。
→ これは年代から言って1830年の先住民強制移住法と「涙の旅路」。こんなところで1840年代のアイルランドのジャガイモ飢饉とつながりがあるとは思ってなかった。新聞か何かで「海の向こうで以前の自分たちと同じように飢えている」というニュースを知った先住民の人々が動き出したのだろう。世界史的には非常に面白い。


・『ゴールデンカムイ』にさり気なく登場する古今東西の映画や絵画のパロディがリプ欄に続々集まる「魔女の宅急便」「チャリで来た」など(Togetter)
→ これは『ゴールデンカムイ』の仕掛けが上手く,引用範囲が多岐に渡るので誰かが自分の特異範囲に引っかかって気づく,ネタが結構派手で隠しもしていないので読者が気づきやすい,作中では一切パロディ元に言及していないから読者のツッコミ待ちになっていて指摘しやすい風潮がある……等々,ネットで盛り上がる要素しかない。こんな感じで定期的に盛り上がる印象がある。
→ とはいえ映画が多めで,作者の趣味が出てる感じ。『意志の勝利』『ショーシャンクの空に』はあからさますぎて自分でもわかったが,やはり指摘されないとわからないものが多い。これからも有識者の指摘を頼りに読んでいきたい。
→ 今見ると《最後の晩餐》のユダのところにキロランケがいたんだな。見事な伏線だった。すると杉元はいつか「アシㇼパさんなんて知らない」と三回言わされる羽目になるのか。さすがにならなさそうだ。白石が最後まで殺されずに生き残る,は普通にありそう。
→ それはそれとして「パロディのあるコマだけ周りから浮いている」という指摘も散見され,わかりやすい分,本来の『ゴールデンカムイ』のコマ割とミスマッチであり,漫画の流れを途切れさせている一面は否定しがたい。


・レベルでステータスが決まるファンタジー作品で、加齢を扱った作品ある?(増田)
→ トラバやブコメで挙がっている『ウィザードリィ』や『ソーサリアン』は未プレイなので言及できないが,個人的にはやはり『サガフロンティア2』の印象が強い。厳密に言うとレベル制自体が無いが,元増田の趣旨には沿っていると思われるので挙げていいだろう。技PやHPは加齢で減少するが術Pは下がらないから術士の方が加齢に対応できるとか,技Pは減少してもスキルは下がらないから短期決戦なら老人でも前線で活躍できるとか,ストーリーが80年以上に渡るだけの工夫があった。  
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2020年10月10日

「はじめの一歩」は存在自体を忘れそうな今日この頃

ちょっとブログさぼりすぎたので,ぼちぼち旅行記とか書いていきたい。

・「和牛券」はなぜ提起されたのか コロナ以前から在庫がダブついていた業界の裏事情 - 山本謙治(BLOGOS)
→ 本記事は5月に書かれたものであるため4月末の値段のA5で1,944円(東京市場)となっているが,今確認してみると10月第1週現在では2,611円になっていた。多少は回復しているようだが,記事中の言う採算ラインが2,800円付近のようなので,まだ回復できていない。ちゃんと読者自身で元のデータを検証できるようにリンクを張っている記事は偉い。
→ 「日本国民,実は高い価格帯に手を出してまで霜降り肉を求めていない」説は以前からあったが,図らずもそれが表に出てきてしまった感じ。にもかかわらずA5が和牛市場の45%を占めているというのは驚いた。記事中の指摘の通り,もはやありふれていてプレミア感が無い。しかし,実はそれよりも気になっているのが,
>一方でA5格付される和牛の中にも、脂質が悪くて美味しくない血統のものが多くなっているのも事実
→ という指摘で,霜降りに注目しすぎて味を選別できなくなった格付の存在意義とは。消費者がぱっと見で判断できず,結局プロの目利きに頼らざるをえないのでは指標として死んでいる。牛肉市場はA5にこだわりすぎて狂ってしまったのではないか。確かに,旅行先では割とブランド牛を食べることにしているが,値段と見比べた際の味が正直差がかなり表れていて,脂の過多を感じる牛肉もけっこうある。当然調理の差や個体差はあり,調理でカバーできる部分は大きかろう。たとえばこの間食べた但馬牛はあからさまに脂の強さの処理に苦心した料理が出てきて,あれはあれで十分に美味かったのだが,そもそもそこまでして脂を乗せなくてよいのでは,とは思ってしまった。(なお,そういう個体差・調理の差を無視して個人的経験で言うなら,個別に記憶に残るくらい別格で美味かったものとしていずも和牛を挙げておく。)
→ ついでに気になったのは,
>そんな牛肉もアジア向けの輸出が順調で、インバウンド需要で消費が旺盛だった時期には売れていました。
→ というのは逆に言えばなんちゃってA5和牛をよく知らない人たちに売っていた形になるわけで,長期的には和牛ブランドを毀損していたのでは。やはり1〜5の基準を変えるなり別の指標を立ち上げるなりの工夫が必要そう。


・「だれでも自由に改憲できる日本国憲法」改憲の歴史(nomolkのブログ)
→ 古き良き大人の悪ふざけ系インターネットがここにあった。第41条でオセロが始まった辺りで耐えきれなかった。こういうのでいいんだよこういうので。特定のアニメネタや風刺の域を超えちゃった政治ネタではなくて,「こういうので遊ぶのが好きそうな人なら知っているネタ」で勝負するのがやっぱり楽しいと思う。


・ マンガ週刊誌(7誌)の定期購読を、ぜんぶ電子版に変えてみて分かったこと(マンガがあればいーのだ。)
→ 自分の場合はジャンプ・マガジン・イブニング・モーニング(・たまにヤンジャン)が購読雑誌なので,コミックDAYSプレミアムでマガジン・イブニング・モーニングが押さえられるのは大変助かっている。この記事の指摘の通り『はじめの一歩』だけ読めないのだが,そのせいでかえって惰性で読んでいた『はじめの一歩』を卒業できた感じがする。これは作者が嫌がっているのかな。損しかしていないと思うのだが。また,コミックDAYSの欠点はこれもこの記事での指摘の通りDモーニングのオリジナル連載が読めないことだけなのだが,個人的にはさすがに重複してお金を払う気までは起きず。
→ ジャンプは今のところ紙で読んでいるのだが,さすがにそろそろジャンプ+に移行しようかなと思いつつ,やっぱり紙にも愛着はある。あと,各種アプリの使いづらさもありデータ通信料の問題もあり基本的にPCで漫画雑誌を読んでいるところ,ジャンプだけは通勤時間帯に読んでいて,これ以上漫画を読む作業を自宅に移行させたくない気も。難しい。  
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2020年10月01日

台湾麻雀はなんでこんなルールになったのだろう

・台湾麻将(十六張麻将) (HTML5 麻雀『しらぎく麻雀』)
→ ちょっとプレイしてみた。基本的な役は中国麻雀(麻将)に似ているが役の数が少なく,役無しであがれることもあって,ページ内の解説である通り基本点の大小で全くゲーム性が変わってきそう。このページの通り5点もあると,「役無しでいいからどんどん上がれ」になってしまって,正直単調であった。では3点や1点にすれば解決するかというと,実際に打ってみないとわからないが,役の数が少なすぎて今度は点数の移動自体が小さく終わりそう。どうにもルールと役の食い合わせが悪い。
→ また,これは慣れの問題が大きい気はするが,手牌が16枚もあるのはやっぱりやりづらい。混一色や清一色の難易度は高いし,対々和や平和(平胡)も面倒である。一気通貫や一色三歩高なら作りやすいかと思えばそれらは役に無いという。七対子が無いのは仕方がないとしても,三色も無ければイーペーコーも無く,タンヤオもチャンタも無い。これが尚更「役無しでいいや」に手を誘導してしまっていると思う。13枚ってバランス良い数だったのだなと再認識するには良い機会かもしれない。
→ 全般を通して日本式麻雀や中国麻雀と比べたときにゲーム性に劣るように思われ,メジャーになっていない理由もわかる。しかし改良の余地はあって,日本・中国から持ってきて役を増やすなり,役が2・3点無いと上がれないルールに変えたりすれば多少はゲーム性ができるかも。


・「あつまれ どうぶつの森」の博物館はどうすごい? 一級建築士に聞いてみた(まいしろ|note)
→ あつ森はやっていないが,これは非常に面白い記事だった。東博はもちろんのこと科博も何度か行っているので見覚えのある部屋が多く,再現度の高さは伝わってくる。特にやはり化石の博物館は科博のあの部屋を完全に模していて,実物を見たことがあるなら感動するだろう。また追記の指摘の通り,エントランスの床の模様はおそらく東博の表慶館の床タイルで,これも素晴らしい。
・「あつまれ どうぶつの森」の美術館のモデルはどこ? 一級建築士に聞いてみた(まいしろ|note)
→ 続編の美術館編。柱がギリシア様式(ドーリア式)になっただけで途端に美術館っぽい外装になったのは面白い。大英博物館はイオニア式で,この辺に意識がありそう。彫刻の間はこれまたルーヴル美術館の再現度が高い。私も行ったことがあるのでぱっと見でわかった程度に,リスペクト元がわかりやすい。


・自分が開発したゲームをプレイヤーがバグを使いまくり27分でクリアしたら。『DOOM Eternal』タイムアタックへのリアクション映像が話題に(電ファミニコゲーマー)
→ 他のゲームでもやってみてほしい企画。TAS動画や他の縛りプレー動画でもいい。FFの縛りプレーはたまに制作者に届いて爆笑を誘っているのを見るが,開発者が意図していなかったプレイスタイルやバグによって生じる(できれば笑っている方向の)反応はけっこう気になるところ。任意コード実行やセーブデータ改竄系のものではなく,やはりスーパープレー的な方向でバグを突くのが一番盛り上がりそうだ。


・『黒死病” Black Death”』という語の由来についてまとめ(Call of History ー歴史の呼び声ー)
→ てっきり14世紀半ば当時にそれに相当する言葉があったのだと思っていたので,驚いた。一般化したのは19世紀だったとは。しかも「黒」の由来もはっきりしないという。であれば高校世界史でペストの別称として教える必要が無いのでは? という疑問は生じる。しかし実際に消してしまうと,変に人口に膾炙している用語なので,しばらくは「黒死病=ペストということも知らないのか」と若者がバカにされる期間がそこそこ続きそうなのが厄介なところだろう。オゴタイ=ハン国などよりも消えた理由の説明が(一般に)説明しにくいだろうし,難しい。


・「アベノマスク」調達も謎だらけ 公開情報わずか、発注枚数や単価さえ分からず(47NEWS)
→ 本件が特異なのは,モリカケ問題や桜を見る会問題等と比較した際に,圧倒的に国民の注目度が高い政策であったのにもかかわらず,こうして疑惑がどんどん出てきたことであった。すなわち本人たちももう把握しきれないほど腐敗の構造が広がってしまっていて統制がとれなくなってきたか,これを腐敗と思わないほど感覚が麻痺していたか,いずれにせよ政権末期の風潮である。実際にこの約4ヶ月後に辞任が表明されたので,本件はその予兆だったといえる。  
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