※ 本記事はまるっと1年前,2019年11月末・12月頭に行った旅行記を,帰宅直後に書いてから存在を忘れ,最近になって発掘したものです。
前に行った時。奥鬼怒温泉郷は4つの温泉宿があり,一般車両通行禁止である。うち2つの宿は自前でシャトルバスを運行させているが,残り2つの宿に泊まるには徒歩,すなわち登山道を登っていく以外に道が無い。前回は加仁湯に泊まって往復シャトルバスを利用したのだが,その時に「今度は登山道で行こう」という話をしていて,それが実現した形である。そういわけで2泊3日の旅程とし,初日はシャトルバスの無い手白沢温泉に,二日目は保険として最悪シャトルバスで帰れるように加仁湯に泊まるという布陣にした。真ん中の日は絶景という噂の鬼怒沼に登ることにした。どうせなら多少雪が降っていた方が面白いよな,という話になって11月末に日程を設定したところ,後から「思ってたよりも豪雪地帯らしい」ということが発覚して,急いでスノーシューと軽アイゼンを買いに行った。同行者はしいかあさんと頬付で3人旅である。
頬付カーで東京を出発。途中,日光で
明治の館に行き昼飯。14時半頃に一般車両が通行止めになる夫婦淵に到着,15時頃に奥鬼怒遊歩道に入り,登山開始。
登山と言っても斜度は無く,2時間半の行程で標高が200mほど上がるだけである。奥鬼怒遊歩道は鬼怒川沿いを進んでいく遊歩道であるが,車道の方が前行った時の記事の如く落石でガードレールがボロボロになっていたところから察しがつく通り,こちらの遊歩道も「自然との熾烈な戦い」の様子が見られた。徒歩でしか行けない温泉宿があるからなのか,車道よりも遊歩道の方が明らかにマメに整備されていて,
ガードレールが破れたまま諦めて放置されているのに比べると,こちらの遊歩道は荒ぶる大自然に継続的に果敢に挑み続けている形跡があり,何度も土砂崩れや落石を避けて道を引き直したり倒木を切ったりして「道」を作っていた。
ご覧の通りの状況で,いかにも土砂崩れ多発地帯なのが見て取れよう。しいかあさんが「賽の河原で石を積むような治山工事」と表現していたが,言い得て妙である。道中には土砂や倒木により放棄された旧歩道を何本も見ることになるだけに,ありがたいことである。特に今回の我々が通った遊歩道は2019年10月12日の巨大台風で長らく封鎖されていて,その封鎖が開けたのがこの11月末のことであったから,なおさら新道という様子が強かった。今回の道がほぼ旧河道だったことや,明らかに元の歩道らしきものが山側にあってロープが張られていたことから,あれは台風で死んだのだろうと推測された。おそらく鬼怒川の治水を兼ねているので,遊歩道の整備としては採算度返しなのだろう。傾斜が無いこともあって歩きやすく,これなら普通に2時間半歩ける人で軽登山靴があれば特に問題なく踏破可能だろう。
17時頃に日没し,あと30分で着こうかというところで道が真っ暗になってしまったが,3人とも富士山登山時に使ったヘッドライトを持ってきていたので特に何も問題なくそのまま続行。さらに雪まで降ってきて,翌日の積雪を予感させた。今回泊まったのは
手白澤温泉。
最近は自分の温泉ツモ運が良いというか,ねらって良い温泉に泊まりに行けているというか,ここもすばらしい温泉宿だった。「ヒュッテ」を名乗るだけあって入り口の設備は完全に山小屋ながら,小屋の中の性能は旅館・ホテル級である。温泉は中性の単純硫黄泉でなかなか硫黄が強い。お夕飯が恐ろしく豪華で,鹿刺しが絶品。登山客しか来れないはずなのに常に週末は予約で満室になる理由がよくわかった。この日も全室埋まっていて,夕食時に見渡すと「この人たちも登ってきたのだなぁ,物好きだなぁ」という謎の戦友感を味わえる。ここも再訪したい宿リストに追加しておこう。(2020年11月末に追記:このコロナ禍の,前述の通りの行程が必要であるにもかかわらず,手白澤温泉は1月上旬まで予約で埋まっていた。感染対策で部屋数を減らしているのも影響している模様。)
雪は一晩降り続けていて,翌朝に起きたら外は一面銀世界に変わっていた。軽アイゼンとスノーシューを持っていってなかったら完全に死んでいた。ともあれ,夕食に引き続いて豪華だった朝飯を食べて出発,この日は鬼怒沼へ。日光沢温泉で登山届を提出して登っていく。積雪は奥鬼怒温泉郷の時点では10cmというところだったが,山中ですぐに20〜30cmほどに。滑って足場をとられるということはさしてなかったが,足の踏み場を間違えると雪の下が不安定な足場で転びかけるということは何度かあった。途中で初めてアイゼンを装着。スパイクすらろくに履いたことがない人間だったので,足に刃が着いている感覚はすぐには慣れなかった。あと単純に足に重しが着いている同然なので疲労感が違った。着けてからしばらくは「本当にこれ着けたままあと1・2時間歩くんか……」と思ってしまったが,人間慣れるものである。確かに鉄の爪が雪やその下の土や木を噛んでくれると,とりあえず滑って転ぶということはなくなる。
これ,11月の栃木県って言って信じられます? 栃木県にも豪雪地帯ってあるんやな……一つ勉強になった。あまりに雪が深いせいか,我々3人以外に登山客は皆無に近い状況で,まだ午前中なのに会う人は下山者ばかりであった。自分も愛知県育ちで東京での生活が長くなり,旅行も雪を避ける形になっていて,思えばこれほど一面銀世界という光景となると十数年ぶりであった。しかも同行者の2人以外はほぼ完全に無人という状況となるとおそらく人生で初めてで,
冬の凛とした空気と動物の姿を見ない樹林帯に人間が3人だけというのはこれほどまでに自然な静寂になるのか,と静かに感動していた。非常に得難い体験をしたと思う。
それはそれとして体力的にはちょっと厳しかった登山で,3時間以上歩き続け,3人で「そろそろ時間的にも厳しいし,まじめに撤退の見切り時間を決めるか」と話し合っていたところで,到着。夏場の標準タイムは2時間15分ほどらしいので,さすがは雪道,4割増しである。それだけに到着してこの絶景には,
恐ろしく感動させられた。元が沼沢地であるから積雪すれば当然フラットな雪原になり,沼も草原も覆い隠す。遠景には鬼怒沼山等の山々がそびえ立つが,それだけ。あとは本当に何もない,ただの雪原である。しかも前述の通り登山客がほぼ我々のみで,まだ誰も踏み荒らしていない未開の雪原が我々を待っていた。我々はここでこそスノーシューの出番だろうということで装着。
すり足で歩くと浮力が生じて勝手につま先が浮くスノーシューは,スキーとも違った新鮮な感覚で,そのふわふわした浮き方がとても楽しかった。しかも浮力が推進力にもなるので,スノーシューの重さがかせにならずにスイスイ前進できる。これは勧めてくれた頬付に感謝したい。結果として3人とも疲れが完全に吹き飛んで,結局昼飯休憩を含めて鬼怒沼に1時間ほど滞在し,どかどかと歩き回って新雪を荒らし回った。その結果がこの惨状である。
この後に来る人も当分いなかっただろうし,それまでには再度積雪しているだろうから許してほしい。なお,浮力があると言ってもスキーではないので限度があり,しいかあさんが沼に突っ込んで危うく片足を持っていかれるところだったというちょっとしたアクシデントもあったことを書き添えておく。浮力を過信するのはやめよう(自戒込)。この日はこの後は下山しただけなのだが,スノーシューの推進力で下山したら早いこと早いこと。これなら登山の段階で着けておけばよかったかもしれない。ただし,スノーシューもかんじきの一種には違いなく,浮力が生じるということはそれだけ接地面積が増えるということで,当然ながら岩場には全く向かない。特に自分のような運動神経が焼き切れているような人間だと容易に何かに引っかかって転ぶということも発見した。すっ転んだ際にストックをピッケル的に使って耐えようとしたら芯が歪んで一本廃棄になった。スノーシューも万能ではない。
そういうわけで下山は標準タイム1時間20分でその時間通りに下山完了。行きが3割増しだったことを考えるに,いかにスノーシューで”滑って”下りてきたかがわかる。暗くならないうちに下山しようとは言っていたが,まだ15時台であった。鬼怒沼登山についてまとめておくと,登りが2時間15分で標高1400mから2000mまで上がるのだからなかなかの斜度だが,よく整備されていて目立った鎖場や岩場は無く,技術レベルはAの上の方かBの下の方くらい。体力レベルも合わせれば夏場なら2Aか2Bといったところではないだろうか。
なお冬場。
二日目は前述の通り加仁湯へ行って宿泊。決して悪い宿ではない(そもそもこの立地でバス送迎がある時点で素晴らしい)のだが,どうしても手白澤温泉と比較すると見劣りする点はあった。この日はさすがに疲労困憊で早々に爆睡。なお,
加仁湯では宿泊者にスノーシューを貸し出しているので,持ってこずに普通の登山靴で来て,ここで借りて鬼怒沼にアタックするのも良いプランだと思う。
三日目。この日はほとんど帰るだけ。起きて朝食を食べたら,結局バスに乗らずに奥鬼怒遊歩道を使って下山した。雪で埋もれていたので行きとは違う風景になっていて飽きず。夫婦淵に着いたら荷物をまとめて頬付の車に乗り込……もうとしたら,降雪の中丸二日放置されていた車が雪に埋もれていて,凍った雪を屋根から避ける作業などをしてから出発した。帰りがてらでいくつかのダムによってダムカードをゲット。北関東の山地はダム銀座を言われるが,車で鬼怒川沿いを走っていると頻繁に見かけるので納得が行く。この日の昼飯はフライングガーデンとなった。
この感想は頬付も同じだった。我々はちゃんと食べ比べをしたので,本ブログの読者にもいるであろう北関東民の皆様にあたっては是非とも静岡県に行き,さわやかとの食べ比べをしてほしいところ。感想が気になる。この後は高速道路に乗って一路東京へ向かい,私としいかあさんが下車。頬付はそのまま静岡に帰っていった。実に良い旅行であった。