2021年01月31日

ニコ動の動画紹介 たべるんご特集(中編)

中編は動画のバリエーションが増えだす,3月中旬から4月中旬まで。選挙前までとも言う。




早紅夜氏。お前青森じゃねーかという出落ち動画。絶対1位の王者の余裕を感じる。



AZuki(あずkiloupe)氏。「初めて見たときからこいつに似ていると思っていた。」言われてみると確かに。



メカP3つめ。アイマス同士を巻き込んでいく。SideM屈指の名曲になんてことをw



一匹狼くん氏。上半期20選ノミネート。最高傑作カノンごのうたの原型が見える。「たべるんごのうたクラシック部」としても最初期の作品。ドイツ語として正しいドイツ語歌詞コメントがついているのも良い。



一匹狼くん氏。上半期20選選出。AIきりたんの導入を象徴する傑作。歌詞も良いし,パッヘルベルの『カノン』の完成度も再認識させられる。



らすくP。上半期20選選出。らすくPは「たべるんごのうたクラシック部」を大きく発展させた立役者で,これはその最初の作品。めちゃくちゃ上手いこと混ざっている。



らすくP2つめ。ハイテンションなクラシック部。



TWO-MIX氏。タイトルで落ちてるかと思いきや,歌うプロデューサーさんシリーズという。



ガドルフ氏。絵の努力がすごい。



ろんぐねぎ氏。この辺りから「たべるんごの歌の元ネタだけで組曲が作れるのでは」とか言われだしていた気がする。



わんさかP。上半期20選選出。強い辻野あかりPで,この人の努力は報われてよかったと思う。すごい曲のバリエーション。



柏崎氏。カノンごからの連想として,この発想はあった。



繰り上げP。上半期20選ノミネート。登坂アナが朗読したのは驚いたというか,そこに波及するとは全く思わず。


三部作の予定が入り切らなかったので,次回は中編2。  

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2021年01月28日

高校世界史上で「大ジンバブエ」と「モノモタパ王国」をどう扱うか

高校世界史深掘りシリーズ。現在のジンバブエ共和国には,その国名の由来となった大ジンバブエ(グレート・ジンバブエ)遺跡がある(見たことがない人のためにGooglemapにリンクを張っておく。ストリートビューで中を見ることができてけっこう面白い)。大規模な石壁に囲まれた都市遺跡であるが,この都市を建設したのは誰かというのは長年論争があった。19世紀後半から20世紀前半にかけては「サハラ以南の黒人にこのような都市を建設できるはずがない」という偏見からフェニキア人などの非黒人建設説が唱えられていたが,20世紀半ばにはさすがに否定され,現地のショナ人のモノモタパ王国(ムタパ王国)が建設したという説が有力になった。

しかし,現在ではこの説も否定された。というのもモノモタパ王国の存続年代が以前は11〜19世紀とされていたが,これは支配階級の部族や栄えた地域の変化を無視して,ザンベジ川とリンポポ川に挟まれた領域に存在した全ての王国をひっくるめて「モノモタパ王国」と見なしていたためである。研究の進展により実際には,最初に成立した大国家がマプングブエ国(11世紀後半〜13世紀),次に発展したのが大ジンバブエ(13〜15世紀末),そしてトルワ王国(15世紀半ば〜17世紀)と続き,最後に登場するのがモノモタパ王国(15世紀半ば〜18世紀初頭)と分かれていた。このうちポルトガルと密な接触を持ったのはモノモタパ王国だけである。つまり,モノモタパ王国の存続年代を11〜19世紀としていたのは,北宋以降の中国をまとめて「清」と呼ぶくらいの乱暴さであったということだ。この時代区分からもわかる通り,大ジンバブエの建設と繁栄の年代は13〜14世紀,トートロジー気味ながら(都市の)大ジンバブエの建設者は(国としての)大ジンバブエというところまで絞られている。このあたりは講談社現代新書『新書アフリカ史 改訂新版』で詳細に説明されているので,ご興味のある方はそちらを参照されたい。


さて,いつもの教科書調査に行く前に,もう一つ触れておかなければならないことがある。高校世界史上のサハラ以南のアフリカ史はどうしたって周辺史の扱いを免れない。大概の場合,モノモタパ王国も大ジンバブエも「イスラーム史」の章で扱われる――ショナ人の多くはムスリムではなかったにもかかわらず。それでも周辺史という概念を打破しようという動きは見られ,近年ではイスラーム史から切り離した章立てをして,その章でモノモタパ王国と大ジンバブエを扱うという構成をとる教科書も現れてきた。

しかしながら,イスラーム史から切り離す章立てが唯一の正解かは疑問が残る。イスラーム史から独立したアフリカ史は教える項目が少なすぎて,他の章に比べると圧倒的に薄い章になってしまい,かえって扱いづらいのである。しかもアフリカ史というくくりにした場合,西アフリカのガーナ王国,北東アフリカのスーダン・エチオピア,南東アフリカの大ジンバブエ・モノモタパ王国をまとめて教えることになるので,地域も時代も遠く隔たっているものを無理矢理まとめる形になり,高校生の理解を妨げることになる。しかも他地域と文脈がちぎれた状態になるので,王朝の興亡が「点」になりやすい。

一方,イスラーム史にくっつけてしまう既存のやり方はこうした欠点が無い。また,エチオピアやモノモタパ王国はイスラーム化しなかった例外事例であるので,かえって高校生の頭に残りやすいという逆説的な効果が現れる。イスラーム史の付属物として扱うのは,倫理的な問題点を許容してでもアフリカ史の理解を深めさせるという実益があるのだ。(同様の現象は南北アメリカ文明を独自の章でやるか大航海時代に入れ込んでしまうかという問題で発生する……長くなるのでこれはまた別の機会に。)


以上の内容を前提として,高校世界史Bの教科書5冊と山川用語集,山川『詳説世界史研究』の7冊を比較した。なお,いつも無視している残りの非受験用の世界史B教科書2冊であるが,今回に至ってはそもそもモノモタパ王国・大ジンバブエ遺跡ともに掲載がなく,比較しようがないことを付記しておく。モノモタパ王国はともかく,世界史の教科書として大ジンバブエが登場しないのはどうなんですかね……非受験用とかそういう問題ではない気が。

《アフリカ史はイスラーム史の章で扱う/大ジンバブエの建設者は曖昧》
・山川『詳説世界史』:本文では「ザンベジ川の南では11世紀頃から,金や象牙の輸出と綿布の輸入によるインド洋交易によってモノモタパ王国などの国々が栄えた。この地域の繁栄ぶりはジンバブエの遺跡によく示されている。」また大ジンバブエの写真を示し,そのキャプションで「『石の家』を意味する巨大な石造建築遺跡群。写真は18世紀に建設された神殿で,煉瓦上の石材を積み重ね,整然とした外観を呈している。」
→ かろうじて大ジンバブエの建設者をモノモタパ王国と断定していないが,そうとも読める微妙な表現。モノモタパ王国の存続年代が11世紀以降になっているのは怪しい。建設者をぼかすレトリックとしては面白い文章で,思わず笑ってしまった。こういうの嫌いじゃない。また,大ジンバブエの建設年代はほぼ13〜14世紀であるはずで,わざわざ例外的な18世紀の神殿の写真を持ってくる意図もわからない。
・山川『用語集』:モノモタパ王国の項目「11〜19世紀 ショナ人が建設した王国」・大ジンバブエ遺跡の項目「13〜15世紀に最盛期を迎えた。」
→ 『詳説世界史』と同じで,大ジンバブエの建設者はぼかしている。モノモタパ王国の存続年代は旧説によっている。


《アフリカ史はイスラーム史の章で扱う/大ジンバブエの建設者はモノモタパ王国》
・山川『詳説世界史研究』:「ザンベジ川の南では,11世紀頃から,金や象牙の輸出と綿布の輸入によるインド洋交易によってモノモタパ王国(11〜19世紀)などの国々が栄えた。王国は15世紀頃に最盛期を迎えたが,その繁栄ぶりは,インドのガラス玉や中国の陶磁器が出土するジンバブエの石造遺跡によく示されている。」
→ これは完全にアウト。せめて教科書や用語集のようにごまかしてほしかったところ。


《アフリカ史は独自の章を設ける/大ジンバブエの建設者はモノモタパ王国ではない》
・山川『新世界史』:「ザンベジ川とその南のリンポポ川の流域には,12〜13世紀にマプングブエ,15〜17世紀にはモノモタパ王国が成立した。近くで産出される金の交易で豊かになった有力者は,丘の上に石造の壁にかこまれた大きな館を建設した。13〜14世紀に同じ地域に成立するジンバブエは,人口1万8000の大都市で,石で大きな首長の家や城壁が建てられた。その遺跡からは,中国製の陶器・綿布・貨幣や各種銅製品などが発見され,ジンバブエが遠隊地交易の拠点となっていたことがわかる。」
→ 章立てについて補足しておくと,「アフリカと南北アメリカ」という章題で,前近代のこれらの地域の歴史を扱っている。説明は全教科書で最も詳細で,成立年代からモノモタパ王国とは別の勢力が建設したことがわかるようになっている。ところで,マプングブエを載せているのは山川『新世界史』が唯一で……これはあれじゃな,慶應大の法学部がそのうち出題するやつじゃな。できれば掲載する用語は減らすように配慮してほしいところ。
・東京書籍:本文では「ザンベジ川とリンポポ川に挟まれた地域では, 11世紀ごろからバントゥー系のショナ人が都市文化を形成し, 13世紀にはグレート=ジンバブエ(大ジンバブエ)が栄えた。15世紀になるとモノモタパ王国が成立し,金の輸出をはじめとするインド洋交易によって繁栄した。」また本文の外のコラムで,大ジンバブエが19世紀の歴史学において非黒人が建設したと議論されていたこと,それが人種差別的な思想によるものであったことが指摘されている。
→ 今回最も良いのは東京書籍だと思う。章立ては「アフリカ,オセアニア,古アメリカ」というくくり。簡潔に必要事項をまとめている説明で,人種差別が学問をねじまげていた事例を扱うコラムは共通テストの方向性を考えても重要だろう。
・帝国書院:「アフリカ南東部では,バントゥー系言語を話す人々がジンバブエの石造建築群を築き,農業や牧牛を基盤として金交易で栄えたが,15世紀末に衰退した。その後に成立したモノモタパ王国は19世紀まで金と象牙の交易を行った。」
→ こちらも概ね問題ない説明。しいて言えば,ザンベジ川の名前を本文中に出してほしかったかも。章立ては「サハラ砂漠以南のアフリカ」だけの完全単独の章で,いかにも倫理的な問題を気にする帝国書院っぽい。


《アフリカ史は独自の章を設けるが,大ジンバブエはイスラーム史の章で扱う/大ジンバブエの建設者はモノモタパ王国》
・実教出版:「ザンベジ川流域には,ジンバブエと呼ばれる巨大な石造建築群がつくられ,遺跡からイランや中国製の陶器が発見されたことは,ムスリム商人との交易を物語る。ジンバブエを中心としたモノモタパ王国は,15世紀以降に金を産出し,インド洋交易で栄えた。」
→ 一番よくわからない教科書。「アフリカ史」は南北アメリカとくっつけて章立てしている一方で,その章ではガーナ王国とクシュ王国・アクスム王国までしか扱わない(これにより,ただでさえ薄いアフリカ史がさらに薄くなってわずか1ページ弱で終わっている)。そして,ザンベジ川・リンポポ川流域は結局イスラーム史の付属物という扱いになっている。しかも旧説によった説明で,ジンバブエがモノモタパ王国の中心都市という扱いになっている。


【まとめと感想】
一番良いと思ったのは東京書籍で,次点が帝国書院である。山川『新世界史』はちょっと説明が過剰で,高校生が読むことを考えるならもう少し短くまとめてほしい。あとマプングブエは出題される前に削ってくれ。決定的にまずいのは実教出版と山川『詳説世界史研究』で,特に後者は『新世界史』の記述と見比べた時の見劣りが甚だしく,早急な改善を求めたい。それ以外の山川『詳説世界史』と『用語集』は態度を決めかねているのが見苦しいので,決定的なまずさは無いがリライトしてほしい。

以上を眺めてわかる通り,実教出版の裏切りを除くと,やはりアフリカ史をイスラーム史から切り離している教科書の方が新説に敏感で,意欲はこういうところに如実に出てしまう。しかし,本来であれば章立てに関する意欲と,積極的に新説に切り替える意欲は全くの別物であるはずで,あくまで個人的な意見として,アフリカ史をイスラーム史の付属物としつつも説明は正確という教科書が1冊くらいはあってよいのではないかと思った。  
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2021年01月25日

本当に6年連続の出来事になるとは

初場所は過去5年にわたって初優勝力士の優勝が続いていたが,6年目も続くことになった(琴奨菊・稀勢の里・栃ノ心・玉鷲・徳勝龍)。4年目まではまだそんなに話題になっていなかったが,5年目の徳勝龍で一気に注目を浴び,6年目も続いていよいよちょっと怖くなってきた。7年目も続いてしまうのだろうか。

なお,2020年はこの次の3月が無観客,5月は中止,7月は「場所中に感染者が出たら即中止」の制限の下で開催,9・11月は感染状況が一旦落ち着いていたことから入場者数を減らしていたもののほぼ通常開催となっていた。この初場所はいくつかの部屋で感染者が出た状況であったが,強行開催となった。Twitter上の好角家の間でも「中止にすべき」「中止でも仕方がない」という声は多く,私自身もそう思っていたが,結果的に場所中に新規の感染者が出なかったので安心している(厳密には後2週間様子見しないとわからないけど)。しかし,「感染者を出した部屋の力士は全員出場停止,代わりに番付は据え置き」という措置は防疫上の措置としては正解だったものの,本割が完全に崩壊していて場所の運営としてはまずい方法だった。また,来場所の番付編成を考えても大いなる悪手で,予想番付を作ってみたが非常に苦しくなった。3月でも感染状況が劇的に改善されているとは思えないので,同じようなことになるならやはり中止にしてもらった方が見ている側は安心する。

優勝した大栄翔の相撲は文句の全く無い突き押し相撲で,怒涛の圧力で,特に立ち合いの一気の出足で持っていく相撲が多かった。この覚醒は突然のものではなく,大栄翔は2019〜20年にかけて徐々に突き押しの実力を付けていて,2019年の3月に前頭2枚目になってからこれより低い地位に下がったことがなく,成績が安定していて,貴景勝相手でも押し負けない相撲が見られていた。意外な優勝ではあったが,玉鷲や徳勝龍ほどの驚きは無い。

今場所の大栄翔は,前述の法則もあって初日から3日連続で大関を破った段階ですでに「今場所は大栄翔の初優勝だろう」という予想もネット上では多く見かけた。優勝争いに初めて参加する力士の場合,終盤に向けて次第に精神的に苦しくなって動きが固くなっていくもので,大栄翔も九〜十二日目の四日間はかなり動きが硬かったが,その後に振り切れて動きが良くなったのは素晴らしかった。その意味で十三日目で立て直した時はかなり驚いた。この精神力があれば大関取りは可能かもしれない。27歳という年齢がややひっかかるが,正代も28歳での大関取りだったし,最近はそんなもんなのかもしれない。惜しいことに大栄翔は今場所前頭筆頭だったから13勝が計算に入らないのだが,実は先場所の大栄翔は前頭2枚目で10勝していて,小結になれなかったのは番付運が悪かっただけである。1場所目が前頭2枚目だった照ノ富士の例もあるし,次と次の次の場所の成績次第では効いてくるかもしれない。ただし,その照ノ富士が来場所に大関取りを成功させると大関の枠が4つ埋まってしまい,協会は5大関を避ける傾向があるから,誰かが陥落しない限りはハードルが高くなりそうである。


個別評。大関陣。一応は千秋楽まで優勝争いを引っ張ったのは正代だったが,今場所の正代は初優勝した時よりも動きが固く,地力があるからなんとか取れていたという様相だった。幸運な勝ち星も多かったので勝利の女神に微笑まれているかとも思えたが,十四日目の照ノ富士が勝利の女神ごと吹っ飛ばしていってほぼ終戦した。さすがにもう少し大関らしく優勝争いに強くあってほしい。対して朝乃山は前半不調だったが,後半は歯車が噛み合って良い相撲が多かった。3敗して早々に優勝争いから脱落して気が楽になった面はあるかもしれない。変に押す力が強いためか四つに組みながら前進することがあり,別に悪癖というほど悪いことではないものの,四つになっていないがための隙があってやや危なっかしく,また右四つがっぷりなら無敵かというと照ノ富士に全く歯が立たない。おそらく白鵬にも勝てないだろう。改善点は多い。貴景勝は綱取りのプレッシャーに潰されたか。途中休場の直接の原因は三日目に右足首を捻ったこととなっているが,そもそも三日目までが3連敗であるから言い訳になるまい。

三役。照ノ富士は負けたのが阿武咲・高安・隆の勝・大栄翔と全員押し相撲で,膝の調子がかなり良さそうだったものの,耐えられないものは耐えられないとして諦めている節もあった。逆に言ってそこまで押してこない相手には全勝したということで(玉鷲と北勝富士にも勝っている),それで11勝できると判断した自信もすごいが達成したのはもっとすごい。来場所の大関復帰を願っている。隆の勝は大栄翔に話題を持っていかれた形だが,彼も関脇9勝で見事な押し相撲だった。1月17日(中日):おむすびの日に白星を上げていたので笑った。高安もかなり前に出る圧力が戻ってきた感じ。御嶽海は本当に日毎の調子が違いすぎて安定しない。強い日は見事な電車道で勝つのだが……

前頭上位。宝富士は朝乃山・大栄翔に勝って正代に負けるという立ち回りで今場所の優勝争いを引き立てていたと思う。左四つにならないとどうしようもない相撲が多い中,なぜか六日目に朝乃山に対して右四つで勝っていたのが意味不明で面白かった。あれで今場所の朝乃山は不調かと思われたのだが,七日目から朝乃山の調子が好転したので,朝乃山を目覚めさせる取組になったのかもしれない。やはりキーパーソンだったのだろう。琴勝峰は大敗で良いところがなく,家賃が高かった。まだ若いのでいくらでも再挑戦の機会はある。懐が広いのが彼の良いところであるが,それが活きることなく普通に圧力負け・スピード負けしていた。地力が足りない。阿武咲も隆の勝と同じく,良い押し相撲が多かった。

前頭中盤。明生は本来であれば上位戦が組まれない番付であるが,貴景勝途中休場のあおりで最終盤で上位戦が組まれて調子を落とした様子であり,ぎりぎり8勝の勝ち越しはちょっとかわいそうだった。前からこの人は不運だと思っていたが,今場所も同じ印象。身長は180cmあるが体重は120kgと比較的細く,低い立ち合いから押し込むか,前まわしか左下手を取って寄っていくかという取り口で,がっぷりの四つ相撲が強い印象は無い。同じような印象なのが志摩の海で,志摩の海も立ち合いから押していく体勢が低く,9勝の割に印象が良い。翔猿は押し引きのセンスが良く,見ている分には面白い。徳勝龍は1年前の優勝の貯金で前頭中盤で粘っていたが,とうとう底を尽きた。今場所も不調には見えなかったが,相手に引くタイミングを見切られていてどうしようもなかった感じ。霧馬山は左膝のケガが痛そうで前に出る力が全く無かったが,上半身の力だけで,引き技と投げ技だけで8勝,勝ち越しをもぎ取った。これはこれでお見事である。投げ技のセンスが荒鷲や千代翔馬を彷彿とさせて個人的には嫌いではない。

前頭下位。まずは豊昇龍を挙げたい。今場所は5連敗のあとに9連勝で千秋楽に負けるという,オセロだったら全敗になってしまう星取表であったが,9連勝中は見事な技巧相撲であった。豊昇龍は腕と足の連動が見事で,内掛け・外掛けと投げ技の連動がすばらしい。あれで技能賞でないというのは私的に不満である。次に挙げるのはその技能賞受賞者で,翠富士は前評判通りの肩透かしっぷりが良かった。切れ味鋭く,相手が押す圧力をかけてきた瞬間に正面から消えるのでよく決まる。翠富士が相手なら四つで捕えなければ安心して勝てまい。10勝の琴ノ若はサラブレッドらしい恵まれた体格で勝ち星を積み上げたが,個人的にはまだよくわからない。最後に,能町みね子氏により「パンの山」のあだ名を与えられた明瀬山は,確かに見事なお腹でよくそれを活かした相撲が見られた。前さばきもけっこう上手く,左四つを作るのは上手い。35歳で二度目の入幕でこのフィーバーは狂い咲きと言っていいかもしれない。
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Posted by dg_law at 01:24Comments(4)

2021年01月18日

高校世界史の教科書で「ニューディール」をいかに扱うか

高校世界史深掘りシリーズ。一般にフランクリン=ローズヴェルト政権がとったニューディール(政策)はアメリカ経済を回復させ,世界恐慌からの回復を実現したというイメージを持たれていると思われる。実際にはアメリカは1937年の秋頃に再度不況に突入し,1938年には二番底を経験している。ニューディールは議会と司法の抵抗により当初の想定よりも小規模でしか実現されず,十分な効果を発揮することができなかった。司法の抵抗としてはNIRAの違憲判決が有名であろう。議会は共和党はもちろん,民主党も南部の保守派が強く抵抗した。ちょうど民主党がリベラル旋回の途上にあって,伝統的な民主党の党員と亀裂が生じていた時期と重なっていたというのは見過ごされがちであるかもしれない。結局,アメリカが世界恐慌からの完全な脱却に成功したのは第二次世界大戦による軍需拡大の貢献が大きい。

しかし,ではニューディールの歴史的意義が過大評価されているかというと,そうとは思われない。アメリカが第二次世界大戦で「民主主義の兵器廠」たりえたのは,ニューディールによって国家アメリカの民主主義が国民の高い信頼を勝ち得ていたからであり,また政府の経済計画能力を向上させていたという前提条件を達成していたからである。福祉国家と総力戦体制は政府の指導力と政府への信頼の両面において密接な関係があり,ヨーロッパでは第一次世界大戦が福祉国家を生んだと指摘されている。アメリカでは逆に,ニューディールによる社会福祉政策が第二次世界大戦時のアメリカを生んだということになる。ニューディールは「民主主義」にも「兵器廠」にも必要であった。

さて,以上の内容を高校世界史でどう扱うかは判断の分かれるところになる。これは研究の進展で事実や解釈が変わったということではなく,どこに力点を置いて扱うかという話になるからだ。政治史や「大きな物語」を重視する目線で言えば,ニューディールが「民主主義の兵器廠」に直結したことを教えられれば十分であるから, 1937年の二番底は瑣事でしかなく,高校生に無用な暗記事項を増やすノイズですらある。一方,経済史を重視し,景気循環は現代でも重要な社会現象であってその対策の歴史は現代的な強い意義を持つと見なす立場に立てば,むしろ1937年の二番底は教えるべき必要事項になる。教える事項が増える分は,別の時代の事項を減らして対応すればよい。

実際に,各社の教科書でもここは記述が割れている。ということで,いつもの5冊+用語集+山川『詳説世界史研究』の記述を比較する。なお,ドル=ブロックが国際経済を悪化させてファシズム諸国の台頭を誘引した点はいずれの教科書にも言及があったことを念のため付記しておく。


《1937年の二番底には薄く触れる/歴史的意義は民主主義面に言及》
・山川『詳説世界史』:「これら一連の経済復興の効果は限られていたが,国民の不安を軽減し,ファシズム諸国に対抗して民主主義をまもった意義は大きかった。」
・山川『新世界史』:「アメリカ経済が29年の水準に戻ったのは41〜42年頃のことであったが,アメリカ国民は国民生活に安定をもたらそうとした新たな連邦政府のあり方を強く支持した。」
→ 山川出版社の2冊は,‘麋崢譴修里發里砲録┐譴覆いニューディールの景気回復は限定的だったことには触れる,⇔鮖謀意義では民主主義への貢献を重視するという方針で一貫していた。山川出版社らしい堅牢でバランスのとれた記述であり,特に『詳説世界史』は好印象。
・帝国書院:「それでも恐慌は克服されなかったが,企業間競争の公正さと労働者の権利保護が促進されたため,議会制民主主義への信頼が失われず,アメリカはファシズム化からまぬかれることになった。」
→ 帝国書院の記述も山川の2冊に近い。割と山川と意見が合わない帝国書院なので,ここまで記述が近いのは珍しい。本題ではないが「まぬかれる」という表現に筆者のこだわりを感じる。

《1937年の二番底には薄く触れる/歴史的意義は民主主義面・軍需面に言及》
・山川『詳説世界史研究』:「当初の経済復興効果は小さかった。(中略)このような矢継ぎ早の恐慌対策を打ち出したにもかかわらず,その景気回復効果は小さく,1934年春になっても,約1,000万人の失業者が存在した。」「また,経済効果は小さかったが,社会保障法を成立させて貧困層の不満を緩和させるなど,ファシズム諸国に対抗して民主政治の擁護に成功した意義は大きかった。」
「39年にヨーロッパで戦争が勃発すると,大規模な軍備拡張を開始するとともに,41年には武器貸与法を制定して,イギリスなどの連合国側への支援を開始した。この軍需生産の拡大により,アメリカ経済は量的に急成長を遂げただけでなく,航空機・石油化学・原子力・コンピュータなどの先端部門での技術革新にも成功し,戦後世界で覇権を確立する経済基盤を整備することになった。」
さらにコラムでスタインベックの『怒りの葡萄』を取り上げ,ニューディールが西部の小農民まで行き渡っていないこと,自作農だけを救済する性格であったことを指摘。
→ 『詳説世界史研究』はさすがに記述が重厚で,ニューディールの持つ(ブロック経済と合わせて)「アメリカンファースト」という側面や,『怒りの葡萄』を引用しての都市部・中間層重視の政策であったという側面の指摘まであった。『詳説世界史研究』は検定教科書ではないので制限が無いため十分な説明をしやすいのは確かだが,それにしてもこれは気合いが入っている。

《1937年の二番底に触れる/歴史的意義は軍需面に言及》
・東京書籍:「こうした政策の結果,景気が回復したが,1937年にふたたび恐慌にみまわれると,彼は財政支出による有効需要拡大政策をとり,軍需産業の拡大にものりだした。」
→ 社会経済史に特化した東京書籍らしい記述。1937年の年号を出し,その脱出のために財政出動を増やし,結果的に軍需産業に手を付けることになった流れは簡明に描いているが,民主主義への影響は言及が無い。

《1937年の二番底には触れない/歴史的意義にも触れない》
・実教出版:特に記述無し(ニューディールの内容説明のみ)
→ 驚きの記述無し。もちろんニューディールの内容(NIRAやAAA)はちゃんと説明しているものの,アメリカはそのまま順調に回復した印象を受ける文章。
・山川『用語集』:「ニューディール」「フランクリン=ローズヴェルト」他,いずれの項目でも,二番底にも歴史的意義にも言及無し。前者はともかく,歴史的意義の説明は教科書でという役割分担だろうか。しかし,他のトピックでは辞書という本分をはみ出て教科書的な言及してしまうことが多い『用語集』が,ニューディールだけ抑制的な記述というのも不自然である。


【まとめと感想】
私見では,山川の『詳説世界史』『新世界史』と帝国書院の教科書の記述が好印象である。東京書籍は民主主義への言及があれば完璧だっただけに惜しいが,1冊くらい軍需への言及に偏っていてもよいし,それが東京書籍というのは非常に「らしい」。『詳説世界史研究』は饒舌すぎ,これは教科書でなく参考書だから許されている厚さである。内容が薄かったのは実教出版の教科書と山川『用語集』で,歴史的意義への言及が民主主義にも軍需にも無いのには驚いた。山川『用語集』はまだしも辞書だからという言い訳がきくが,教科書でこれはまずかろう。もっとも,実教出版はその後の第二次世界大戦,特にアジア・太平洋戦争の記述が非常に分厚いので,20世紀前半という大枠で見ると,世界恐慌よりも大戦にウェイトを置きたかったから世界恐慌は短く済ませたかったのかもしれない。  
Posted by dg_law at 21:24Comments(9)

2021年01月09日

ニコ動の動画紹介 たべるんご特集(前編)

たべるんご特集は動画が非常に多いので三部作になった。前編はブームの初期,3月上旬まで。




バチP。上半期20選選出。伝説の始まり。もう散々に分析されているが,適当にかわいい立ち絵,適度に短い再生時間,実は辻野あかりの端的な説明として完璧な歌詞,りんごろうというネタ要素とアレンジ素材としては神素材としての特性を持ち合わせていた。ゆえに最初期から流行するだろうなとは思われていたが,ここまで2020年を席巻するとは誰も思っていなかっただろう。



taiga氏。上半期20選選出。原作の良さを宣伝した最初期の二次創作というとこれだと思う。今見るとAIきりたんじゃないのが時代を感じてよい。



伯方氏。上半期20選ノミネート。これぞニコマスというむちゃくちゃな文脈の衝突事故である。



作曲:わんさかP,作詞:バチPという本ブームの黄金コンビ。Eテレに採用してもらおう(提案)



メカP。上半期20選ノミネート。たべるんごブームはここから本当に始まったという感じ。後半のひらがな顔文字による歌詞も好き。



youtt6氏。上半期20選選出。初期の傑作と言えばやはり「うただ」とこれ。新しい素材が来たらとりあえず人力ボーカロイドに歌わせようとする風潮,良いと思います。



MUMEI_ver.SP氏。上半期20選選出。自然発生した「農家の徹底した品質管理のおかげでしょ」コメント好き。



バチP3つめ。上半期20選ノミネート。たべるんごのうただけの知名度が上がっていくことを危惧したバチPが,辻野あかりを紹介する歌を作成。これが功を奏し,辻野あかりをちゃんと広めるブームに変質して,後のデレマス総選挙に影響を及ぼすこととなった。



メカP2つめ。上半期20選選出。たべるんご動画を代表する作品となった。たべるんご動画にSOUL'd_OUTを持ってくるという発想が狂ってる。この異常なまでのテンポの良さと完成度はさすがメカPとしか評しようがない。「りんごプロセッサ」の歌詞ほんと好き。元歌詞の「言語プロセッサ」からして意味不明なのがさらに良い。



まじたに氏。上半期20選ノミネート。確かにボイスロイドの棒読みだと読経っぽくなることがあるけどこれはw



眠子氏。シンプルな人力ボカロが初期のたべるんご動画という感じ。



感想氏。上半期20選選出。「辻野あかり」本人の方を前面に押していいということと,要素が入っていれば歌詞を定型から大きく崩していいこと,山形県にクローズアップしたネタを入れていいということの3つで新境地を切り開いたという意味で,あかりんご史において「うただ」に並ぶ革新的な動画だったと思う。3月中旬以降のブームを作った名作。
  
Posted by dg_law at 21:00Comments(0)

2021年01月08日

2020年秋アニメ感想

普段1クールに3・4本しかアニメを見ないのに,2020年秋クールだけ7本も見たので,感想を書き残しておく。大体はTwitterでつぶやいたので加筆修正。全面的にネタバレ。言うまでもなく個人の感想であって他人の感想を否定するものではない。上から面白かった順で,上4つは良作。5つ目は現状で普通。6・7つ目はちょっと褒めるのが難しい。

・『ご注文はうさぎですか? BLOOM』
TVシリーズとしては3期目で,原作の5・6巻と7巻冒頭のアニメ化。1・2期は割と普通の日常もので綺麗な背景とちょっと良い話と笑える話というくらいであったが,3期は良い話寄りだった上に,アニメ化による演出が完璧だったので,日常ものというよりも泣けるシリーズに仕上がっていた。原作の該当期間が10月〜翌年1月初旬であるので,作中の登場人物たちの多くが進路に悩む時期であったのは大きく,それに伴って(高校1年生組も含めて)自己を見つめ直したり,家族とのつながりを再確認したりというイベントが多かった部分であった。原作が進路や家族というデリケートな話題を入れてきたこと,それをちゃんと良い話に仕上げてきたのも驚きだったが,しかし原作は4コマ漫画であるがゆえにさらっと流れていく。このちょっとした「良い話」をここまでの感動回に引き上げたのはアニメの力だと思う。6話から11話まで毎回最終回の雰囲気を持つ泣かせ回だった。あの面々がこんなに成長して……と思わずタカヒロ(チノの父親)目線で涙腺が緩んだ人は自分含めて多かろう。12話は一転して明らかに劇場版または4期へのつなぎ回で,続きへの期待が大きい。次は中学3年生組の高校入試と卒業,卒業旅行という感じのイベントになるので,劇場版にしてしまってひとくくりにしたほうがまとまりが良いかも。


・『いわかける!』
根はストレートなスポ根で,スポーツクライミングの面白さが存分に伝わってきたから成功だと思う。登山と違って,自分でやろうとは全く思わなかったがw。一方で選手たちは別の意味でキャラが濃く,『咲-Saki-』とキャラの濃さが似てるとよく言われていて間違いじゃないと思うけど,個人的な感覚だと『咲-Saki-』よりもキャラが濃くて,ちょっと外連味強すぎたかな……もう少しおとなしくても良かったと思うけど,これは完全に個人的な感覚なので別に作品の瑕疵だとは思わない。なお,キャラだけではなくて演出が濃いのも『咲-Saki-』っぽいと言われていた理由だと思う。『咲-Saki-』も「なんで麻雀中にアーチェリーの矢が飛ぶんだよ」等と散々言われていたが,『いわかける!』のクライミング描写も割と大概だった(褒め言葉)。


・『魔王城でおやすみ』
思ってたよりもギャグが切れていて,毎回けっこう笑いながら見れたので良い印象が残っている。世界観の説明も上手く,魔王側は人間界と対峙しつつも勇者を自分たちのところまで誘導して直接対決する役割にあるというのを自覚していて,人間への抵抗と滅びゆく運命のせめぎあいが後半には見え隠れしていたのが意外と良いスパイスだった。しかも魔物たちは魔王が立つまで人間に迫害されていた節もあり,ギャグ漫画なのに背景が普通に重い。その魔王たちが施すメタ的なゲーム的バランス調整,すなわち勇者への誘導をことごとく妨害しているのが人質であるはずのスヤリス姫,という転倒っぷりもギャグとしてはかなり美味しい。そのスヤリス姫は非常にかわいかったのだけど,設定年齢が迷子になっていて,言動が幼かったり思春期だったりでちょっと混乱したのが個人的にはややマイナスポイント……とつぶやいたところ,「姫は天才かつ発達がデコボコだから……」という指摘を受け,何も言えなくなってしまった。さらに背景要素を重くしてどうするんだよ。


・『魔女の旅々』
世間的には賛否両論だが,私は実はこっちを3位にしようか迷った程度に評価している。というよりも,完走した人は概ね私に近い感想の人が多かろうと思う。そこで本作については少々長く語っておきたい。

本作は『キノの旅』っぽいとよく指摘されていたが,当方『キノ』未視聴につき比較は不可能である。3・4話くらいまでの評判が悪く,実際にちょっとまずい短編が多かったものの(原作読者の補足コメントを読むと端折りすぎらしい),尻上がりに面白くなっていった。序盤で切った人はもったいなかったかなと思う。短編に見えた作品群は実際には薄くつながっていて,それを全部11・12話で回収する流れなので,純粋な短編集というわけではない。「旅」という体験とはそのようなもので,旅人の主観とは一瞬の体験の連なりである。その体験がまた「私」を形成する。こうした価値観はOPの歌詞にもよく現れていた。

そうした旅の醍醐味としての話のつながりが見えてくるのが8話以降であるのだが,これは伏線の回収としてはタイミングが遅すぎ,また3・4話は序盤にしては話が暗すぎたので(実は話が暗いこと自体に意味があったことが12話で判明するのだが),いろんな意味で短編の並び順を間違えていたのが最大の失策だった。少なくとも3・4話と7・8話の順番を入れ替えるだけでも作品全体の印象が全然違ったのではないか。究極的に言えば『涼宮ハルヒの憂鬱』式に時系列がシャッフルされていても,3・4話であれをぶつけられるよりは視聴者が脱落せずに済んだのではないかという疑念さえわく。

本作の主人公以外の登場人物の掘り下げが薄いという批判があるが,実はそれ自体も設定上に意味があったりする。主人公のイレイナは情に脆すぎるところがあり,1話のラストで旅立つときにも母親から「自分を(何でも解決できる)特別な人間だと思うな」と戒められていた。旅人が中途半端に首を突っ込んでも良い結果を生まないからである。イレイナはその戒めを守って基本的に塩対応を心がけているので,事件が起きても深入りしなかったのが3・4話だったのだが,短編としては歯切れが悪くなってしまい,視聴者の評判が悪くなった。やはり旅行記は旅人に現地の事情に深入りさせないと面白くしにくいってことなのだろう。しかしながら,逆に戒めを破って深入りした結果,イレイナ自身が深く傷つくという話だったのが9話に出てくる。そこから振り返ると3・4話はあれで正解だったのだという見方が出てくるのは指摘しておきたい(だからこそ3・4話は9話に近い位置に置いておくべきだったと改めて思うけど)。そしてこの9話で深く傷ついたことも重要な要素として12話につながっていく。

「旅人の主観」に強く重点を置いた点や,それを踏まえた短編同士のつながりは見事で,タイトルの「旅々」も日本語として不自然としばしば指摘されていたが,これも12話で意外にもすんなり納得”させられ”,前述の3・4話が暗い理由も含めて意外なところに伏線が張られていてきちんと回収される。そのため,非常に美麗な絵と音楽も相まって,終わってみると悪い印象が残らなかった。返す返すも話の順番と,一部の短編のつまらなさが惜しい。


『安達としまむら』
散々指摘されているが,安達の挙動不審っぷりを楽しむアニメだった。挙動不審すぎてけっこう共感性羞恥を刺激されたので,そういう意味では割と苦手な作品だったかもしれない。中途半端なところで終わったこともあって現時点では評価が難しく,とはいえ2期があるなら確実に見る程度には嫌いではない。原作人気から言って2期はありそうなのでそこまで保留しておきたい。


『神様になった日』
『シグルリ』とどっちをワーストにするかは非常に悩ましかったところ。8話までは面白かったし,3話のラーメン回と4話の麻雀回はキレッキレのギャグ回で,往年のだーまえギャグが炸裂していた。だーまえはいっそのこと全12話ギャグだけでアニメを作ってみればいいと思う。ただし,このギャグも世間的に賛否両論で,往年のKeyのゲームで爆笑していた経験が無いとツボに入らないのかもしれない。この仮定が正しいなら,もうだーまえはアニメ作らん方がいいかもしれんな……。あと,絵と音楽とキャラは良かった。伊座並さんはKeyの無口キャラの系譜に並べていい。

問題はその後で,9話以降にシリアスによってから急激につまらなくなり,そのまま最終話まで転落していった。心身問題(心のありか問題)がやりたかったのならもっと哲学的に深めてから奇跡を起こさないと薄っぺらい。加えてリアリティラインがぐちゃぐちゃで,あの突然出てきたゼーレっぽい組織の存在自体とか,ゼーレっぽい組織があんな適当な襲撃部隊を出すわけないだろうという辺りで私は匙を投げてしまった(誤解なきように言っておくと生体マイクロチップ型量子コンピューターまでは物語を動かす主導的な要素なのだから別に良かった)。他にも細かい不満点が多くあるが,書くだけ体力と時間の浪費なのでやめておこう。尺が足りなくて最終話で詰め詰めになって崩壊しただけの『Charlotte』の方がましだった。一点だけ擁護しておくと,最後の展開は月宮あゆの逆向きと考えると趣はあった。本作は忘れてほしいのではなく忘れてしまった子を迎えに行く話だったのである。車椅子から歩いていくのは『AIR』のセルフオマージュとも言える。物語がちゃんとしてれば旧来の鍵っ子は号泣のシーンだったのだろう……


『戦翼のシグルドリーヴァ』
本作に対する不満要素は2つ。まずは小説版必読でアニメはその続きなら最初からそう言ってくれという。2つ目は自業自得なところもあるのであまり強く不満を訴えるつもりはないのだが,私は純粋な萌えミリアニメは割と苦手という自覚があって,しかしそろそろ克服目指して周囲も大勢見てるから今回くらいはチャレンジしてみるかという気分で見始めたが,本作がその苦手な類の萌えミリの極北のような作品であったこと。やっぱりこういう作品はnot for meなんだなという再確認ができたという意味で,比較的安い授業料で良い教訓を得られたとは思うから,そこまで文句は言わない。

後者についてもう少し掘り下げておくと,某人が言っていた「萌えミリにはどうしたって臭みが出てしまうが,それを感じさせないようにするのが制作陣の役目で,実際に『ガルパン』や『はいふり』『スト魔女』あたりではそれが機能していた。『シグルリ』は臭みが猛烈に漂ってきたので,受け付けない人は受け付けないだろう」という評価がまんまその通りで,私は『はいふり』『スト魔女』未履修ではるが『ガルパン』との比較でよくわかる。話の本筋はともかく,絵と演出とセリフが寒くてきつかった。実のところ『終末のイゼッタ』でさえも,その種の匂いをちょっと感じたので,普通のアニメオタクと比較しても私はその匂いに耐性が無いのかもしれない(当然ながら長年の接触で慣れただけで『艦これ』でも感じている)。ついでにその某人との(オンライン上での)会話で「水島努と鈴木貴昭がコラボすると上手く萌えミリ好き以外にも波及する作品になるのでは」という仮説が生まれたので,ここに書き残しておく。最後に少し擁護すると,メイン4人は間違いなく可愛かった。というよりもアズズがいなかったら多分途中で切っていた。  
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2021年01月07日

2020下半期ニコマス20選

ポータルサイト

今回も参加します。

<総評>
あかりんご旋風が吹き荒れた上半期に比べると平常に戻ったが,それでも多様なネタが見られてなかなか楽しい半期だった。いよいよシャニマスの比重が増えてきて,ストレイライトとノクチルが増えて賑やかになった影響は大きい。

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2021年01月04日

SIR(スーパーアイドルマスターランキング)のP名数を数えてみた in 2020



集計ルールは昨年と同じ。長期は正式にカウントするが,ランキング動画に登場する上位5作品のみのカウント。合作の場合,3人くらいまでのものはバラバラにカウント。参加Pが多すぎて収拾がつかないものに関しては「合作」でカウントした。除外とシリーズ最上位以外は参考記録としてカウントで,シリーズ最上位以外については100位まで集計した。編集部がdskP一人になってしまったが,なんとか存続している。無理せずがんばってほしい。

総評
言うまでもなくたべるんごランキングだったわけだけれども,それ以外だとシャニマスMADが健闘していた。「シャニP頭おかしいよ……」と「シャニPはアイドルを楽器と勘違いしている」はニコマスの隠れ流行語大賞だったと思う。

ptsはたべるんご効果で大きく回復した……というよりも2020年の100位の8201ptsは去年の22位水準で,100位に必要なpts数としては2008年(8832pts)・2007年(8373pts)に次ぐ3位と完全に全盛期並である。ただし,あかりんご効果は底上げとしての機能が強く,2020年の50位の13258ptsは2017年の11820ptsや2016年の10853pts,2020年の20位の21932ptsも2017年の19910ptsや2016年の約21050ptsと大差が無い。2018・2019年の数値が低すぎで,上位のptsについて言えばむしろ平常値に戻ったという感じ。2021年はどうなるか全く読めない。

ランクインした人数は76人で,2019年の67人よりは多く,2018年の81人よりは少ない。これは例年の傾向で言えば2019年が例外的に少ない年で,76人は例年通りの人数といえる。ただし,たべるんご効果とシャニマスMADが流行したために新人プロデューサーが多く,顔ぶれがかなり変わっている。たべるんごブームを分析した動画で「初期は古参Pの復帰が目立ち,中期以降は他ジャンルからの流入が多い」とされていたが,それはランキングからも確認できる。以下,2020年にランクインした具体名一覧。

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2021年01月02日

書評:『世界哲学史』1〜4巻(ちくま新書)

ちくま新書の全8巻の哲学史の解説書。編者は4人だが,著者は章ごとに異なり,1巻あたり10章で構成されているから10人以上の著者が参加している(これにコラムも3〜4つずつ入っていて,これも著者が異なる)。こうした著者が章ごとに異なる書籍にはありがちなことだが,コンセプトや想定読者の理解力における統一感が巻ごとで大きく異なり,それがそのまま巻ごとの読みやすさに直結している印象。「世界哲学史」という大上段なコンセプトに挑み,自らの専門分野の持つ共時性や歴史的意義にアプローチしている著者もいれば,自分の最近の論文そのままで手を加えてないじゃろという著者もいた。著者の責任なのか編者の責任なのかはわからないが,せっかくコンセプトが面白いのにもったいない不統一であると思う。

1巻「古代機|侶辰ら愛知へ」
人類文明が成立してから「枢軸の時代」を通じて,紀元前1世紀頃まで。サブタイトルの通り,そもそも人類文明が哲学を発見したのは枢軸の時代であるので,哲学未満の時代の思想を追う,古代文明の素朴な「魂」についての思想を追うのが主題となっており,その意味で統一はとれている……と言いたいところなのだが,どうにも比較の観点は薄く,やはり各々が専門分野の「魂」概念について滔々と説明している感じで,もう一工夫ほしかった。私自身が「魂」のありか論に興味がないのもあって,1巻が一番苦しかった。その中で本書の最後10章のテーマが『ミリンダ王の問い』におけるギリシア哲学とインド哲学の“かみあわなさ”であったのは救いであった。中世以降ならもうちょっとかみ合っただろう議論のかみあわなさは,まさに古代における世界哲学の顕現だろう。

あとは言うまでもなく,「哲学の始まり」を問うことは「哲学」の定義を問うことそのものである,という定番の問いも含まれていて,第6章で「初期ギリシアの哲学者たちの思想が哲学たりえたのは,神から与えられた知恵を排除して,人間が自らの言葉で探究をした点にある(むしろ他に共通点がない)」と一旦の結論を出している。これはシンプルでよい定義かなと思う。ただし,2巻以降でも神学と哲学の切れ目が論じられているのにこの1巻第6章に立ち戻っていることは少なく,やはり接続が悪い。あるいはこの1巻での定義を無視して思想史をやっている章もあり,『ミリンダ王の問い』以上に本書の執筆者同士がかみ合っていない感も。





2巻「古代供\こε学の成立と展開」
紀元前1世紀から紀元後7世紀頃まで。サブタイトルの意味は第1章で論じられているところからすると,要するに学校という制度の成立と翻訳作業の開始が世界的に見られたことで,哲学が他地域や後世とのつながりをはっきりと持ち始めた,ということらしい。実際には第1章通りの内容を論じているかは,やはり章ごとにかなり濃淡が違い,第2章のギリシアからローマへの伝播,第5章の「古典中国の成立」,第6章の「仏教と儒教の論争」あたりは適合しているのかなと。なお,第5章の執筆者は三国志研究者として著名な渡邊義浩氏で,内容は概ねご本人が参考文献に挙げている自著『漢帝国 −四〇〇年の興亡』(中央公論新社)を先に読んでいるなら,読まなくてもいい感じ。その第5章の次の第6章は「第5章でそう書いてあったけど,実際には仏教が到来して儒学は動揺したよね」という導入から,仏教が既存の儒学には無かった議論を持ち込んでかなり刺激を受けたことを述べているのはちょっと熱い展開だった。

あとは,本ブログの読者に知られていそうなところでは,第7章は「ゾロアスター教とマニ教」で著者は青木健氏。この内容が哲学または哲学史かというと……なんとなく「世界哲学」のためマイナーな思想も入れとこう的に入っているように思われ,この章はあまり前後とのつながりがない。そして東洋史を扱った4〜7以外の章はいずれもキリスト教とギリシア哲学の融合というテーマに沿っていて,「世界哲学」とは言いつつもどうしても西洋史が根幹になってしまうよねというところ。もっとも,3巻以降もこの問題点は本シリーズにつきまとうことになるのだが。





3巻「超越と普遍に向けて」
7〜12世紀を扱う巻。バイト=アル=ヒクマと12世紀ルネサンスが登場するので,学校と翻訳による世界哲学の成立をうたうならこの巻だったのでは……という気はする。実際に第1章でも「中世とは翻訳と註解の時代であった」と書いちゃってるし。ともあれイスラーム教が成立して,前述の現象によって本格的に一神教文明とギリシア哲学の衝突・融合が進む巻で,サブタイトルの通り,中世の神学者たちが神の超越性・普遍性を持て余してなんとか理屈づけようとする悪戦苦闘し,結局はギリシア哲学に大きく依拠する様子が描かれた巻ともいう。聖霊は偉大な発明であったし,フィリオクェ問題が妥協できないポイントになるのも理解できるところ。その中では第7章「ギリシア哲学の伝統と継承」は,中世哲学の基本スタイルが註解書であったことの説明で,中世哲学のスタイルがよくわかって面白かった。「我々は巨人の肩に乗った小人のようなものだ」という警句を産んだのがシャルトルのベルナルドゥスだったことは必然だったように思う。

そのような巻であるので「世界哲学とは結局のところギリシア哲学起源なのでは」という雰囲気は他の巻よりも強く,一神教文明ではない哲学は8・9・10章のみ。8章は「仏教・道教・儒教」という章題の通り,2巻第6章とネタが重複していたし,第9章は5〜13世紀のインド思想史というニッチ極まるテーマで,面白かったけどニッチすぎて紹介で終わった感がある。第10章は空海で,ここも特異性はあったが深みがあったかと言われると,紙幅が足りなかったのかなというところ終わっている。東西の比率はもうちょっと考えた方がよかっただろう。





4巻「中世供仝朕佑粒仞叩
ここまででは一番面白かった巻……にこういうことを言うのは悪いのだが,トマス=アクィナス,トマス=アクィナス,トマス=アクィナスからのウィリアム=オッカムという巻ではあって,まあそれだけ哲学史におけるトマス=アクィナスの重要性が高いのだから仕方がないのだろう。挙げられた人名からもわかる通り,4巻が扱う時代は13世紀(と14世紀前半)のみで,他の巻に比べると著しく狭い。5巻が14〜17世紀であるのに比べると半分以下である。面白かった章を1つ挙げると第7章で,やっと普遍論争がなんとなく理解できた感じ。概念が個体に宿るのが実在論であり,それを否定するのが唯名論であるから,「人間の個体」が議論の中心になるのは素直な展開である。朱子学も鎌倉新仏教も個人の修身や魂の救済を強調した思想ではあった。一応,東西通してサブタイトルのテーマは回収できている。

前述の通りトマス=アクィナスに偏った結果として,インド以東はやはり8・9章に押し込められた。わずかに2章とここまでで最小であり,しかも中国・日本なのでかえって偏りがひどい。第8章の「朱子学」はかなり面白く読めた章で,朱子学の印象がちょっと変わった。朱熹本人は宋学の持つ主知主義が暴走しかねないことを危惧していて,心の外にある根拠が必要と考えて儒学の経書に依拠することを後世に求めた,という視点は興味深い。一方,第9章の鎌倉新仏教は2巻のゾロアスター教や3巻の空海と同じで,世界哲学史を掲げているので日本も入れたという雰囲気が強い。





5巻以降は読み終わったらまた。  
Posted by dg_law at 12:00Comments(4)

2021年01月01日

2021 賀正

あけましておめでとうございます。昨年はこのブログをご贔屓にして頂き大変ありがとうございました。今年もご愛顧の程をお願いします。

例年に従って,今年の目標を書き並べておく。(ここまでコピペ)


エロゲ・ギャルゲ:昨年は目標10本で,結果は4本であった。引きこもり推奨で実際に引きこもっていたはずなのに全く消化できず。『聖剣伝説3』でかなり時間をとられたというのはあるものの,あまりにふがいなく。今年の目標は8本。

美術館:例年の目標である20であるところ,新型コロナウィルス感染対策により3〜6月はほぼ全面的に閉館。その後も企画展延期や中止,開いても入場時間指定制になったりで全くはかどらず,9回にとどまった。こうなってみて,美術館は「ふらっと行ける異世界」というところに高い価値があったのだなということに気づき,ちょっと魅力が落ちているところがある。入場時間指定制が解除になることはなさそうだし,今年は15くらいを目標にしておこう。

旅行:昨年は新型コロナウィルスに阻まれつつも伊香保温泉(6月),鳥取(9月),京都(10月),四国(11月)と下半期にそこそこ挽回した。しかし,またしても以前からの目標である関西の東方の聖地(弘川寺や信貴山等),未踏県の青森・秋田には行きそびれているので,今年こそはこの2つに行きたい。

登山:昨年に登った百名山は天城山・伯耆大山・四国剣山・石槌山(・谷川岳)。これも下半期に挽回して目標の4つを達成できた。今年も4・5個は百名山を登りたい。谷川岳は冬に行って厳密には登頂していないので,夏山登山で完全登頂といきたいところ。  
Posted by dg_law at 07:00Comments(4)