2021年05月31日

サントリー美術館:ミネアポリス美術館展

サントリー美術館のミネアポリス美術館展に行ってきた。アメリカの大規模美術館にはよくある江戸時代の絵画を大量に収集している美術館の一つである。出品物は室町〜桃山の水墨画・狩野派の作品,大和絵,琳派,浮世絵,南画,江戸後期の画家たち,幕末・明治と中世末から近代初期の日本美術史を一通り追っていけるようになっている。サントリー美術館のキャパシティの問題もあって全90点ほど,展示替えを考えると実際に見られるのは80点ほどであったが,質は十分に高かった。また,ほぼ全作品が写真撮影可で,Twitterやブログをやっている身としてはありがたい。スマホで撮って印象に残ったものはその場でつぶやいておくと,宣伝にもなるし後からブログにまとめる際にも楽である。こういう機会は積極的に活かしていきたいところ。

そうそう,サントリー美術館というと,そういうのが好きな学芸員の方がいるのか,機会があるごとに笑えるネタの絵巻物を展示の中にぶっこんでくる傾向があり,今回もその例外ではなかった。なんだこのめちゃくちゃな話は。


その他に気になったものを挙げておく。狩野派はミネアポリス美術館の収集物の都合か,サントリー美術館側の選択の妙か,京狩野に淡幽と清原雪信という不思議な組み合わせ。やはり狩野山雪の「群仙図襖」が良かった。やっぱり京狩野はきらびやかな作風を保っていてほしい。

大和絵は前述の「きりぎりす絵巻」で静かに笑いを噛み締めていた。でも大概の人は同じ反応になると思う。ところでこの作品,こんなんだけど伝住吉如慶なのだな。「伝」のついていない同作品を細見美術館が所蔵している(参考動画)ので,信憑性はありそうだし,少なくとも住吉如慶がどうかしていたタイミングが一度はあったのは間違いないようだ。なお,「伝」は西洋画のattributed toと同じ意味ではなく,「そう伝わっている」という意味であって必ずしも「帰属する可能性が高い」という意味ではないのだが,キャプションが「繊細で鮮やかな如慶らしい逸品」となっているのでちょっと気になった。ミネアポリス美術館またはサントリー美術館側でattributed toとしうるだけの論拠があるということなのだろう。

琳派は特にあまり。ここで前半が終わり。サントリー美術館は前半半分が4階,後半半分が3階という展示スペースとなっていて,階段で降りるのだが,その階段にあった演出がこれ。



これは,たとえば左から2・3・4列目の上から2行目は「狩野派」になるのでそこが消えて,真ん中4列の上から6行目は「江戸時代」になるので消えて……という感じにテトリス式に文字を消していくパズルになっていて,最終的に左列から「東洲斎写楽」「葛飾北斎」「曽我蕭白」「伊藤若冲」「狩野山雪」「雪村周継」という画家の名前が残るという。現場では自動でさくさくと消えていくのだが(動画で撮っておけばよかった),自力で解こうと思ったらかなり難しいだろう。

3階に降りて浮世絵,三畠上龍の肉筆浮世絵「舞妓覗き見図」はかなりインパクトがあった。

確かにこの写実性は四条派由来だろう。版画の方はパズルの答えになっているだけあって東洲斎写楽と葛飾北斎が多かった。大首絵の「市川鰕蔵」と富嶽三十六景のうちの「凱風快晴」と有名所が並ぶが,そう珍しいものでもないか。広重の東海道五十三次は箱根と蒲原。南画はこの調子で来るなら池大雅と与謝蕪村が並ぶかと思いきや,大半が細川林谷だったので肩透かしという感じはした。江戸後期はパズルでの予告通り曽我蕭白の大作が見られたので満足。最後に渡辺省亭がいて,不思議と別の展覧会に話題がつながった。総花的で作品数が多くもないが,すぱっと楽しめる展覧会にはなっていたと思う。会期の大半が緊急事態宣言で轢き潰された感じなのがちょっとかわいそう。  

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2021年05月30日

ニコ動の動画紹介 2020.5月中旬〜2020.6月上旬



ヒゲドライバー氏によるセルフカバー。



ゆにクリエイトの二次創作動画とは珍しい。



無抵抗主義でもクリアできることが判明したので,意外と有意義な検証だったのかも。ひょっとして,これのせいで更新箇所が出てくる縛りプレーもあるのでは。



そこまで苦労して両立させたくない……そしてこちらもこのせいで更新箇所が出現する縛りプレーがありそう。魔石コンプ縛りとか。




リマスター発売記念で発掘。完全に歌詞をつけてくれという曲だったからなぁ。リマスターの真アル・フェニックスは連携中でもちゃんと処理落ちなく描写されるのでさらに美しくなった。リマスター版でレッド編をクリアしたが,真の首領を真アル・フェニックスでとどめを刺せたのでめちゃくちゃ気持ち良かった。




リングフィットアドベンチャーRTA,こちらは運動負荷は1でとにかく最速を目指したもの。それでもかなりきつそうだった。負荷が小さくでも17時間半も運動してればそりゃね。




リングフィットアドベンチャーRTA,こちらは運動負荷は30。よく死なずに完走したねという感嘆が真っ先に出てくる。





John Doe氏。ニコニコ予言者。産地偽装とか言われていたのにw。



藻蔵氏。上半期20選選出。望月杏奈誕生祭。藻蔵さんの絵が進化している。杏奈さんがさらにかわいい。



上半期20選ノミネート。しっくり来すぎて爆笑するやつ。  
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2021年05月26日

モンドリアン:垂直線と水平線で絵画を作ると地図になる

《大きな赤の色面、黄、黒、灰、青色のコンポジション》SOMPO美術館のモンドリアン展に行ってきた。SOMPO美術館が損保ジャパンビル42階から独立した建物に移転してから初めて行った。眺望が良かったのでちょっともったいなかったかなと思う。モンドリアンは20世紀前半に活躍した抽象画の画家で,現代アートの走りである。垂直線と水平線だけで構成された画面で有名で,美術の教科書で一度は見たことがあるだろう。このブログの古くからの読者であれば私が現代アートが嫌いなのはご存じだと思うが,なぜモンドリアンを見に行ったのか疑問に思うかもしれない。実はそれは現代アートの開闢期には微妙に当てはまらない話で,むしろ「若い頃に自然主義や印象派が流行していた人々が,自分の円熟期にはなぜこのスタイルになったのか」という観点でなら興味がある。その意味で(デュシャンは当然として)キュビスムの画家たちやカンディンスキー辺りには関心がある。これらの画家の若い頃の作品を展示してくれる展覧会は貴重でありがたい。

で,このモンドリアンもご多分に漏れず,若い頃の作品はもろに自然主義や印象派の作品を残していて,特に特徴がない,突出して上手いわけでもない普通の画家である。ところが,点描やキュビスムを経て次第に描かれたオブジェクトが単純化していき,ただの線や面になっていくので過程が非常にわかりやすかった。絵画作品の美しさとは現実の再現性ではなく,線や色そのものにあるから,具象物の形を取る必要がないという思考の過程が制作年順に作品群を追っていくと如実に現れてくる。これだけ跳躍が無く,わかりやすい画家も珍しいのではないか。若い頃の彼の作品群はその試行錯誤の表現なのだ。私自身の趣味で言えば全くの正反対で,絵画作品は具象物の再現であるという制限下でどれだけ美を表現できるかというジャンルたるべきと思っているが,思考の過程自体は理解できるし,そのわかりやすさは清々しくすらあったから,嫌いではない。

その行き着いた先に出てきたのが,直線だけで構成された画面である。同じ時代で同じような思考をたどった人にカンディンスキーやパウル・クレーもいるが,まだ彼らの作品は少し具象画の名残があるというか,極論を言えば丸や三角形のような図形もまだ具象画の要素が残っていると言えなくもないところ,完全に垂直線と水平線しか残さなかったところにモンドリアンの極端さがある。しかしながら,そこまで突き詰めた結果として出てきた画面がかえって都市の地図にしか見えなくなってしまうのが面白いところで,本展でも何作品か展示されていたが,やっぱりどう見ても都市の地図にしか見えなかった。事実上の具象画では。今回の画像も赤い大きな四角は巨大商業施設で,黄色はレストラン的な塗り分けかな? というような。モンドリアンの代表作である《ブロードウェイ・ブギウギ》は今回の展覧会には無かったが,モンドリアン自身がマンハッタンの碁盤の目状の形状やジャズの影響を受けていると言っている通り,自覚はあったのだと思う。というか,あの作品が一義には抽象画であってブロードウェイの地図を直接的に描いた作品ではないのだが,逆に思っている人も多そうである。

また,彼の属していたデ・ステイルの作家が作った椅子も展示されていて,なるほどモンドリアンの作品をそのまま立体にするとこうなるというような,ほぼ直方体だけで構成された椅子になっていて面白かった。こんな感じ。そりゃ立体化できるだろうけど本当に立体化するとは,と思っていたら,最後に展示されていたのが「モンドリアンっぽい図面だけを使って設計・建築された家」の映像で,こんな感じ。これもそりゃ立体化できるだろうけど本当に建てるやつがあるかwという案件で,内装も外観と同じような感じになっていた。まあ住心地が悪いわけではなかろうと思われ,Wikipediaを見ると実際に1985年まで人が住んでいたようである。
  
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2021年05月25日

結婚の予定が無いので写真には写りません……とはいかないようだ

・やりこみゲーマーはなぜ苦行に挑み続けるのか──「普通に辛いです」それでも縛りプレイに身を捧げる理由【おやつの人インタビュー】(ニコニコニュース)
→ けっこうなロングインタビューだった。おやつさんインタビュー受けるの初めてというのはちょっと意外。冒頭にあるように何度かネットニュースになっているが,全て勝手に偉業を讃えられた形であって本人は登場していなかった。
→ 自分の動画の中でも言っていたことではあるが,動画の魅せ方のため,勝利してもやり直すのがおやつさんらしい。動画にすることが主目的でやりこみはサブというのは,他のやりこみゲーマーには見られない傾向で,これがこの人の独特の地位を築いているのだと思う。準備のための下調べや動画の編集時間の方がプレイ時間よりも長いので,視聴者が思っているほどゲームプレイ時間は長くないというのはTwitterでも言っていた。それであるのにあれだけの苦行を耐えられるのはかえって動画に対する熱量に驚く。根がエンターテイナーなのだろう。
→ 「縛り要件は説明しやすいものにする」は重要な要素で,実際に苦行には違いないのだが縛り要件が無駄に厳しすぎて苦行のための苦行になっている動画は苦労の割に伸びない印象がある。これは個人の好みの差もあるだろうが,私は無理ゲーが運ゲーになっていく努力が面白いのであって,その過程で試行回数が伸びるのは仕方がないところだが,苦行そのものは動画で見てもさして面白くない。
→ しれっとニコニコ動画の黎明期に大学生だったとあるので,30代半ばか。ニコ動との出会いがこの人の人生を変えたのだなぁ。


・大学入学者選抜改革推進委託事業 高大接続改革に資する、思考力・判断力・表現力等を問う新たな入学者選抜(地理歴史科・公民科)における評価手法の調査研究成果報告書
→ 2017年度の文部科学省委託事業の報告書。参加した研究者たちによる文科省への提言がまとめられている。p.5に拙著が参考資料的に言及されている。
>入試についても、こうした従来の歴史観を反映した大学教員の分布そのままで、入試の出題委員をその分布に比例して機械的に決め、その研究者としての意識のままの出題委員が中等教育の現場を熟知しないままの片手間仕事で出題するというのが特に難関大学に一般的な状況となっている。そうすると古い歴史像を再生産するだけでなく、自分の専門領域に偏った独りよがりの出題や、逆に満遍なく出題しようとして専門外の領域で不正確な出題をするなどの事態が頻発する。さらに、自分の専門領域だけの部分的な新しさを取り込んだ「意欲的な出題」がかえって混乱を生む場合も珍しくない(cf.稲田義智『絶対に解けない受験世界史』、『絶対に解けない受験世界史2』)。
→ 出題ミス・悪問・過剰な難問が発生する原因の要約としては適切だろう。あの企画の目的の一つ,というよりも大目的は世の中の世界史の入試問題の改良・改善であるので,こうした提言で言及されたのは一つ目的の達成と言える。


・「オタクは人間を写真に撮らない」旅行に行ったオタクたち、誰も人を撮らず旅館の資料写真ばかり撮っていたことが判明(Togetter)
→ これはある。被写体としての自分に全く興味がないので,自分を写すだけ時間と容量の無駄という判断になってしまって,何かしらの契機がないと本当に自撮りをしない。振り返っても自分の人生で自撮りをちゃんとしたのは,ルーヴル美術館の《モナリザ》とのツーショットだけではないだろうか(あそこは自撮りをするのが風習)。同行者もあまり撮らないし,撮られるのも苦手。とにかく被写体になりたくないのだ。現地の風景や面白い被写体を撮りに来たのであって,よく見る人物を撮りに来たわけではないのである。あとは自分や友人が写り込んでいると未加工でTwitterに流せないという問題もある。
→ たまに撮ったかと思ったら後ろ姿だったり。登山中だったらフリードリヒの《雲海の上の旅人》ごっこと称してそういう写真を撮ったりする。そういえば,C.D.フリードリヒは風景の中に後ろ姿の人間という構図が多くて,こういうところでも親近感わくのだよな。
→ 結果的に何が起こるのかというと結婚式の時の「思い出の映像」を流す時に絶望的な素材不足に陥る。全く同じコメントがTogetterのコメント欄にあって笑ってしまったのだが(ということはある程度一般的な現象っぽい),結婚式の時に新郎新婦の幼少期から結婚に至るまでの人生を振り返るムービーがだいたい流されるわけで,高校卒業から一気に結婚相手とのデート写真まで時系列がジャンプしたり,大学・社会人時代はなんとか見つけてきた写真1・2枚で延々と司会のナレーションが流れるというおもしろ事態が発生する。周りで何人もの友人が結婚式を挙げているが,オタクの友人たちは例外少なく「写真がない(絶望)」と騒いでいた。将来的に結婚する予定がある人たち,コンスタントに写真は撮っておきましょう。
→ これもTogetterのコメント欄でもはてブでも指摘されていたが,実際に人間いつ死ぬかわからないもので,遺影で遺族が困る可能性もあるから,1年で1枚くらいは残しておくべきなのだよな。これは自分も肝に銘じておこう。でも遺影も《雲海の上の旅人》ごっこのやつでいいのでは?(ダメです)  
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2021年05月24日

2021年五月場所:内外ともに落ち着かない15日間

場所前に竜電が謹慎休場となり,さらに場所中に朝乃山まで謹慎休場となるなど,久々に場外が騒がしい場所であった。両名とも意外な人名であるが,続報を待ちたい。厳罰は避けられないだろうし,報道されている通りなら厳罰たるべきだろう。そのような騒動に引きずられてか,一部の元気な力士を除くとどこか沈滞した雰囲気が漂っていて,特に前半は中身のある日が少なかったように思う。最初の三日間が無観客になった影響も大きそうだ。全日程無観客ならまた違っただろうが,最初から三日間だけとなるとその三日間は気合が入らない力士もいそうである。結局緊急事態宣言は延長されたが,四日目以降は観客が入ることになった。何だったのだろうか。まあ,協会としても同じことを国や都に対して思っているだろうが。

優勝した照ノ富士は10日目まで見事な相撲で,何度も書いている通り,故障している膝は後退すると脆いが,攻めている分には影響が小さい。引っ張り込んだり投げたりすると負担がかかるが,普通に寄る・極める分には問題がない。そういうことが体現された取り口で,案外捕まえきらずに,差し手をうかがいながらそのまま押し出してしまう勝負も多かった。序盤は下位の相手が多く,あまり苦労なく倒せていたのもあるだろう。それでも膝へのダメージは如実に蓄積していて,終盤引っ張り込む相撲が増えてきたのは,膝の状態が悪いと動きが鈍くなって,そういう形しか取れないように相手に追い込まれてしまうのだろう。結果的により膝への負担が重くなるという悪循環に陥る。しかも後半は相手も関脇や大関,あるいは好調な力士が当てられるのでより苦戦する。11日目の妙義龍戦は勝負に勝っていながら髷を引っ張っての反則負けとなったが,あれは10日目までの照ノ富士なら投げるしかない状況に追い込まれていなかっただろうし,13日目の遠藤戦は投げの打ち合いからの軍配差し違えでの敗戦であるが,あれも遠藤にもろ差しになられて小手投げしか打開策がない状況になったこと自体が膝のスタミナが切れていた証である。「膝のスタミナ」という意味ではスタミナ不足の力士と同じ弱点を抱えた形であり,これからも終盤崩れる展開が多いと予想される。

とはいえ今場所は不調だった正代と謹慎休場となった朝乃山が本割から外れ,代わって好調の遠藤と逸ノ城が当てられたという不運はあった。このうち遠藤に負けての12勝であるが,相手が正代・朝乃山だった場合の方が苦戦しなかったと思われ,13勝で14日目に終戦していただろう。なお,今場所はそもそも初日から膝の調子は悪く,場所前に伊勢ケ浜親方が「膝が悪くて稽古があまりできていない」とコメントしていたし,場所後には安治川親方(元安美錦)が「実は三月場所中に膝の骨にヒビが入っていて,場所後は4/26頃までウェイトトレーニング以外やっていなかった」と明かしていた。それでも優勝したのだから地力は隔絶していると言える。なお,大関復帰の場所で優勝したのは11度目で史上初。関脇・大関での連続優勝は双葉山以来59年ぶり(これも地味にすごい記録である)。最高位が大関以下の地位での4度の優勝は歴代2位(1位は魁皇の5度)。外国出身力士の優勝は120度目で,そのうちモンゴル出身は90度目と切の良い数字となった。なお,照ノ富士は過去3度の優勝決定戦を全て敗れており,今回の4度で初めて勝った。

照ノ富士は来場所は綱取りとなるが,優勝4回に加えて「史上最大の復活劇」というストーリー性,直近6場所中3場所で優勝3回・準優勝1回ということから基準は非常にゆるくなると思われる。優勝なら勝利数にかかわらず確実,そうでなくとも過去の事例から言って13勝次点以上なら確実,12勝同点・次点の場合は五分五分といったところだろう。なお,貴景勝も12勝同点であり,直近6場所で優勝・優勝同点・優勝次点が1回ずつであるから十分来場所綱取りになっていいはず(ただしハードルは14勝優勝以上など高め)だが,話題が全く出ていないのは不憫である。事前に明言されているかどうかは議論の際に重視されるので,明言はしておいてあげてほしい。


照ノ富士以外の個別評。貴景勝は好調な時の貴景勝であった。初場所・三月場所の不調は太り過ぎが原因だったようで,ベスト体重に戻せたなら幸いである。正代は良い日と悪い日の差が激しく,良い日は彼らしい守りの相撲であったが,悪い日はただの腰高であった。朝乃山は序盤不調であったが,外出禁止違反が明るみに出るかどうかが相撲に出ていたのかもしれない。なかなか報道が出てこないので安心したのか調子が上向いていたところで文春砲が炸裂した形である。

三役。高安は好調だったが10勝止まり,来場所大関取りだが合わせて20勝しかなく,13勝がハードルとなるとかなり苦しい。押し合いで押し負ける展開が目立ち,本格的に左四つに転向した方がいいのかもしれない。御嶽海も10勝しているので一応は何度目かの大関取り起点になるはず。この人は本当に不安定なので,来場所終わってみるまで誰も大関取りの話題を出さないのが面白い。とはいえ,少なくとも今場所は押す力が強く出ていて良かったのではないか。

前頭上位。若隆景は成長著しく,今場所も絶大なおっつけの威力を見せた。今場所の楽しみといえば照ノ富士以外は若隆景と豊昇龍と遠藤しかないという状況で,はっきり言ってしまうと若隆景のためにあったような場所であった。左右どちらからでもおっつけがあるし,はず押しやたぐりもあって,押し相撲の間合いではすでに敵がいない。しかし,もうちょっと離れた突きの間合いは不得意なようで,四つ相撲もそこまで強くないから,間合いの取り方が今後の課題かもしれない。霧馬山はモンゴル相撲らしく投げが強いが,両膝の故障があってうまく相撲がとれていなかった。それでも6勝しているのは地力がついてきた証拠だろう。まだ25歳であるし,この人はまだ伸びると思う。あとは上位初挑戦となった豊昇龍が足技名人として開花し,負け越したもののこの人もまだ22歳,将来有望である。なお,豊昇龍はあまり指摘されていないが明らかなスロースターターで,毎場所序盤負けが込んで終盤取り戻す展開になっている。直近3場所の序盤5日は4−11で大きく負け越している。序盤対策をとった方が良い。

前頭中盤・下位はちょっとひどい状況なので3人だけしか書くことがない。今場所の逸ノ城はやる気のある逸ノ城だった。これだけ番付が上の方でやる気があるのは珍しいが,何か心境の変化なり体調の変化なりがあったのだろうか。右四つになれれば腰が重く,中に入られないよう差し手を入れて起こす等の工夫が見られた。来場所は丸2年ぶりの上位総当たりの地位になりそう。遠藤はいつも通りの技巧が光る相撲が多かったが,やはり照ノ富士を倒した14日目の一番が白眉である。右足一本で照ノ富士の掛け投げを耐えつつ右下手投げを合わせたのは妙技としか言いようがない。琴恵光は遠藤と若隆景を破っているが,その割に9勝止まりだった。もう1・2番勝っていたら敢闘賞になっていたかもしれない。この人は177cm・135kgなのであまり小兵と見られていないが,小兵らしい良い相撲が多いと思う。


琴勇輝が引退した。突き押し一本,それも限りなく突きに特化していて,手をテーピングでぐるぐるに縛ってしまってまわしをつかめない状態で土俵に上がっていたが,あれは四つ相撲は自主的には絶対に取らないという決意の現れだったのだろう。特化しているだけあって突きの威力はすさまじく,上位でも十分に通用しての最高位は関脇であったが,前進する決意が強すぎて引かざるをえない展開になるともろく,不得意な姿勢で無理に耐えて逆転をねらうために膝への負担が重く,幾度かの大ケガと休場により上位挑戦の機会は少なく終わってしまった。ルーチンとして取り組み直前に「ホゥ!」と吠える動作を採用していて幕内の名物となっていたが,2016年五月場所前に見苦しいとして注意されて封印された。今考えても,あれはあのままでも良かったと思うし,白鵬のラフプレーへの批判に巻き込まれて封印させられた雰囲気が無いでもない。それで明確に調子を落としていたのはかわいそうである。膝のケガが無くルーチンの封印がなければ大関も十分にありえた。

舛ノ山が引退した。押しの威力が高かったが,肺に障害があって20秒までしか息が持たない,刹那を生きる力士であった。番付最高位の前頭4枚目を記録したのは2012年の九州場所で,最後に幕内にいたのは2014年五月であったから全盛期は7年以上前であるが,その特徴から鮮烈な印象を残した。母親がフィリピン人のハーフで母子家庭育ち,同じくフィリピン人とのハーフの高安と同時に平成生まれ初の関取となったという奇縁もあった。引退も後縦靱帯骨化症という難病にかかっていることが発覚したためだそうで,不幸に次ぐ不幸という感じもするが,治療をがんばってほしい。あとは舛東欧も引退していた。ロシアと並ぶ隠れた相撲大国で,レスリングの選手が余技的に相撲をとっていて盛んである。そこからアマチュアの国際大会で活躍して鳴り物入りで角界に進出したが,最高位は幕下8枚目と振るわなかった。なんだかんだ言っても日本とモンゴルの選手層は厚い。3名ともお疲れさまでした。
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Posted by dg_law at 09:00Comments(3)

2021年05月07日

ニコ動の動画紹介 2020.4月下旬〜2020.5月中旬




FF8の基礎研究。PC版限定で,ディアボロスを倒して命名イベントを行うと,なぜか次のメニュー画面を開いたり命名したりする画面がスキップされてしまい,派生して様々なバグが起こるというもの。使い勝手のありそうなバグがまた見つかってしまったものだ。△任鷲當未傍こりうる詰みポイントも見つかっていて,詰みポイントがかなり多い。これは普通に致命的なバグというやつでは……



Shellfall氏の発見を応用したもの。英語版限定だが,画面スキップバグを2連続で起こせる工夫が発見された。




リムワの人道縛り解除……というか非人道縛り。プレイヤーキャラにサイコパスの性格を持たせて極限まで効率を突き詰めるとどうなるかという実験作だが,リムワはここまでできちゃうんだなぁ……あと無印でなくRoyaltyの動画を見たのが初めてだったので,けっこう違っていて個人的にはそこも面白かった。



とうとうアイマスとは無関係なものを歌い始めた。声が良すぎる。





ももも味氏。上半期20選ノミネート。ネタばらしの後半が気持ち良い。



まさか!氏。上半期20選ノミネート。昭和メドレーでナイスなネタチョイス。ダンスシンクロが気持ち良い。



mobiusP。よく23人動かしたよなぁ。アイドルごとにダンスが微妙に違うのがすごい。



シザキ助手グレグレグレイ氏。上半期20選選出。ノクチル旋風もこの上半期の重要な出来事。ジャガm@sとして完成度が高い。



けまり部P。上半期20選ノミネート。画面に3人加蓮がいる豪華さよ。



けるまP。2020年水瀬伊織誕生祭は未完成。予告編と過去の未完成品の蔵出し。



爆乳一輪車泥棒氏。久川凪,しゃべっているフレーズだけで面白いので反則。



メカP。上半期20選ノミネート。「恋鐘ちゃんデカいなバスト」の語呂が良すぎる。  
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2021年05月03日

ひっかきすぎるとマジで皮膚が無くなるんだよな……

・トラウトはサーモンを超えているか(デイリーポータルZ)
→ サケ(サーモン)とマス(トラウト)の違いについての話。サケは好きな魚なので割と知っていた。基本的には一度海に下って成長してから川に戻ってくるやつがサケ,ずっと淡水にいるのがマスという違い。ただし,これは生物学上の分類ではないので生物学上の分類だと属の段階でずれる上に,和名と英名で,つまりサケ・マスとサーモン・トラウトでズレが生じるために結局はデファクトスタンダードによる分類にすぎない。そもそも一種類の中に海に下る個体と下らない個体がいるので生活史による分類事態に無理がある。極論は「生物学的分類上は全部サケ科」という。
→ 商業上の理由でマスがサケに改名させられている話が出ているが,それはもったいないかなと思う。最近栃木とか群馬に登山・旅行に行ってマスを食う機会が増えているが,マスも負けじと美味いなと思うようになった。特に栃木のサクラマスは記憶に残るレベルで美味かった記憶が。


・シキブアイラブユー(くらげバンチ)
→ 原作はモーニングで『ハコヅメ』連載中の泰三子先生,作画は別の人。めちゃくちゃ良質な百合だった。この紫式部は中宮彰子に対して見事な巨大感情を抱いている。光源氏の藤原道長モデル説を活かしたミスリードが見事。『ハコヅメ』もけっこう百合が強い漫画だと思って毎週読んでいるが,百合を強めようと思えばここまで強くなったものを描ける人なんだなと認識を改めたし,やっぱり『ハコヅメ』もそういう読み方をして間違いではないようだ。


・全国で30軒しかなかったうずら農家がコロナ禍で27軒に減少…さらに生卵を卸しているのはたった9軒「1億人分のうずらの卵を27カ所の農家が支えている」(Togetter)
→ うずらの卵は用途の狭さが問題で需要が伸び悩んでいるのだと思う。やはりざるそばに入れる風習を再び広げていくべきでは。以前は関西圏でも入っていたようだが,最近は見ないとのこと(なぜに減っているのだろう)。豊橋市(民)はうずらカッターとともに宣伝しましょう。『だもとよ』の2巻のおまけにつけて満足している場合ではない。


・「アトピーだ、文句あっか」河野大臣の発言を8万人以上が支持した理由(FRaU)
→ 私も子供の頃はアトピーがひどくて,長じて8割方治った今でもベトネベートは非常用に携行しているので,気持ちはかなりわかる。肌がこすれるのと自分の汗に対して脆弱で,該当箇所はじわじわと赤くなる。子供の頃は汗が溜まる部位,肘の裏・膝の裏・脇の下・首筋・足首辺りは常に真っ赤で,特に肘の裏と膝の裏はひっかきすぎて皮膚が無かった。8割方治ったというのは,油断しなければこれらの部位も正常な皮膚の状態に戻ったからで,肘の裏などは幼少期の自分に見せたら驚くと思う。逆に油断すると軽くぶり返すことはあり,登山後に温泉(風呂)に入りそびれたりすると肘の裏あたりが赤くなってたりする。二泊三日くらいの旅行だと保湿液とベトネベートを持ち歩いていて温泉の後に塗っているので,何度か一緒に旅行したことがある人はお気づきかもしれない。
→ アトピーは「ひっかかなければ治るよ」とよく言われるのだが,それができりゃ苦労しないんだよな……我慢できる段階を超越している。本当にかゆいときはかゆみが尋常ではないので無意識にかいているし,何なら寝ながらかいてて起きたら上述の箇所が大惨事になっていたなんて経験が,私も小学生時代にある。対処療法ながらステロイド系の軟膏を塗ってひたすら我慢し,アレルゲンを遠ざけるくらいしかできることがなかった。長じて治った自分は症状が軽い方で,重い人は大人になってもこれが続くというのは,特に女性は地獄ではないかと思う。最後のページで触れられている通り,今はかなりアトピー治療が進化したという話は聞くので,20〜30年前に比べると今の子供たちはマシな戦いができていそう。  
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2021年05月01日

書評:『世界哲学史』別巻(ちくま新書)

7・8巻の感想はこちら。前半は編者のうち3人による振り返り座談会とそれを受けての短い論考。不在だったのが近現代の西洋哲学が専門の伊藤邦武氏だったのが手痛い座談会だった様子がうかがえる。また,それぞれの巻全体を振り返るというよりも,その巻の自分が気になった箇所やテーマに言及するという形で話が進んでいき,それに関連するように各巻のコンセプトを扱っていたので,本シリーズの欠陥である巻のコンセプトと各章の内容の乖離はここでも如実に顕在化している。


3〜5巻の振り返りでは「デカルトを超えてカントまでを中世の射程に入れたことで,ルネサンス史観を乗り越えた」と自負しているが,どうも問題意識が古いというか,すでに近世という概念が置かれて16〜18世紀は近代から切り離されて久しく,ルネサンス史観は乗り越えるべき対象では無くなっているのが2020年頃の日本の人文学であると思う。ただ,本書の編者によらず50〜60歳くらいの教養ある人と話すとルネサンスからが近代という認識が抜けない人はまだまだいて,若い頃に身についた歴史観は抜けないし,克服には学界の流行からの学びではなく自身による超克が必要なのだろうな,と最近は思うようになった。この編者たちも,こういう会話をしていながら「近世」という語は普通に使っていることからもそれは感じ取れる。またこれは2巻の振り返りの部分であるp.50で「ローマ法王」の表記が残っていることからも読み取れてしまう。この方たちが学生だった30年ほど前まではまだローマ法王の表記が強くて癖が残っており,文章だと気づいて直すタイミングがあるところ,座談会形式だったためにそのまま載ってしまったのだろう。筑摩書房の編集者の側で指摘すべきだっただろう。

5巻の振り返りの途中で「イエズス会は,特に初期の内的理論はフレキシブルだった」という話題が出ていて首肯したのだけど,それで本シリーズでは典礼問題が扱われなかったことに気がついた。これはちょっともったいなかったかも。6巻の振り返りでは「理性ではなく感情を重視した」「これだけ感情についての論考が並ぶのは珍しいのでは」と言っていて,これは同意する。実際に珍しいテーマであったし,巻のコンセプトと各章の論考が噛み合っていて良かった。

7巻の振り返りでは「西洋批判を強く打ち出した」としていて,それはよく伝わってきたのだが,であればなぜコンセプトを「自由と歴史的発展」にしたのかが疑問に残る。しかも,書評に書いた通り西洋批判というよりも18世紀までの西洋哲学,観念論と啓蒙思想に対する批判というのが7巻であって,必ずしも西洋全体に対する批判にはなっていなかったように思う。それはそれとして,近代とは先祖探しのイデオロギーが強まった時代という指摘はその通りで,歴史とはなべて先祖探しである。非西洋の思想史もまた西洋の学問的枠組みで,先祖探し的に組み上げられてしまったのではないかという問題意識は確かに必要だろう。8巻の振り返りは,今ひとつ振り返りになっておらず,むしろ新たに論点を打ち立ててしまっている感じが。ただ,そのオチが「魂への配慮を今一度」というのは,そもそも魂論に興味を持てない身としてはいただけなかった。

また,全巻の振り返りとして「網羅的なマッピング的なものは最初から目指していなかった」と言っていて,それは読者としても了解していて抜けがあるのは別に気にしていないのだが,言うほど西洋中心主義を脱却できていたシリーズかと言われると……ついでに言うと第二極としての東アジア史や,ギリシア哲学の系譜としてのイスラーム哲学も強くて,網羅的なマッピングは目指していなかったにせよ「世界」と銘打つだけのことはしてほしかったと思う。


後半半分は,本編の補遺として,本編に入りきらなかった論考が並んでいる。たとえば第1章はデカルトの情念論で,振り返りで「感情を強調した」としつつも「デカルトにはあまり触れられなかった」としているので,これは良い補完だろう。第2章も中国哲学情報のヨーロッパへの流入で,東西交渉史として面白い。というように本巻の後半は補遺として優秀であったように感じた。それでも全13章中で東洋史と言えるのは5章で,8章は西洋史寄りであるから偏りはある。また7〜13章,すなわち13章中7章はいずれも20世紀以降であり,やはり8巻1冊だけだと20世紀の多様性は捉えきれていなかったという反省がここにも現れている。第8章は現代イタリア哲学を扱った章だが,著者が岡田温司氏で,ちょっと驚いた。美術史家のイメージしかなかったが,思想史も専門なのだなぁ。守備範囲が広い。10章はナチスの農業思想で,ナチズムも意外と良かった論でしばしば禁煙などの健康・医療政策が取り上げられる昨今にあっては時宜を得たテーマだろう。ナチズムに基づくエコロジーは確かにこういうものだろうなと推測から外れないものが読めて参考になった。



  
Posted by dg_law at 02:13Comments(0)