お前はいつ覚醒するのだと言われ続けていた人が,やっと覚醒した場所であった。私事であるが,先場所に「私事ながら10月に木曽御嶽山に登り,泊まったペンションや登山道中の山小屋の人等と話して地元民に強く応援されているのを知ったので,けっこう応援していた。地元民に「彼は欲が無くてねぇ……」と言われてしまっていたが,今場所の11勝を起点に今度こそ大関取りを成功させてほしい。」と書いていた通りで,今頃あの地元の人たちが喜んでいるのだろうと思うと,昨年のうちに御嶽山に登っておいて本当に良かったと思う。
今場所の大関取りのハードルは高く,場所前に伊勢ケ浜審判長が「全勝優勝でもしたらね」という程度に御嶽海は期待されていなかった。なにせ先々場所は9勝,先場所は11勝であるから今場所は13勝が要求されていた。しかしながら,追い風も無かったわけではない。現大関の貴景勝は若いがケガが多く不安定,正代は毎場所勝ち越しがやっとであり,横綱照ノ富士も長命になるとは言いがたい。また根本的に横綱・大関が合わせて3人しかいないのはやや少ない。早々に4人目を作りたいという欲は協会にも好角家にもあった。隆の勝・明生・大栄翔は少なくとももう1年かかる見込みで,阿炎・豊昇龍あたりはさらにもう少しかかりそうであるから,もう御嶽海しかいない状況であった。
御嶽海はすでに2回優勝しており,何度も三役で二桁勝利していた。新小結が2016年の九州場所で,そこから上位総当たりの地位からほぼ下がっていないので持続力はある。にもかかわらず,その勢いが2場所持たないのが欠点で,少しどこか痛むと怯み,場所終盤でスタミナが切れたりしてやる気がなくなり(スタミナ切れに伴って稽古不足がしばしば指摘された),まさに「欲がない」と言われてしまう状況であった。関脇在位18場所は史上6位,三役在位は28場所でこれも史上6位である。そうして二桁勝利と勝ち越し1点を繰り返すことが続き,初優勝が2018年の名古屋場所だから,我々は3年半に渡る大関取りに付き合ったことになった。ひるがえって今場所は最終盤まで勢いが持続し,やっと大関になるという欲が出たのだろうと思う。人生になにか転機があったか,もうすぐ30歳という年齢に追い立てられたのかはわからない。書いてみて思ったのだが,もう30歳とは信じられないほど若々しく見える。これからも若々しい相撲をとってほしい。それこそ関脇時代の安定感があればそうそう陥落することはなさそうだ。
個別評。横綱照ノ富士は,やはり本人が望む横綱相撲は膝への負担が大きく,続けるのがつらそうである。今場所は前半から厳しそうな取組が多く,六日目に玉鷲に敗れると,その後は少し前に出る相撲に戻った。しかし,十二日目の明生戦は今度は前のめりに倒れることになり,そこでの落下で右かかとを負傷して,なおさら膝に力が入らなくなった。十三日目の隆の勝戦は立ち合いでとったりという奇襲で制したが,十四日目・千秋楽はなすすべなく終戦した。横綱としての照ノ富士は,優勝する場所の圧倒的な強さから忘れそうになるが,これからもこういう場所が少なからず出現することになろう。朝青龍や白鵬ほどの安定感は望めない。
大関陣。貴景勝は不運だったとしか言えない。それにしてもケガが多いし,ケガの箇所が毎回違うので若くして全身がボロボロという印象になってしまう。正代は長らく相撲の調子が狂っている。体調が悪いようには見えないし,目立ったケガがあるようにも見えないので,案外どこかの場所で復調するかもしれない。
関脇・小結。優勝した御嶽海は前述の通り,メンタルが強くなったのが勝因で相撲ぶりは変わっていない。立ち合いで強く当たって一気に持っていくのが持ち味で,持っていく形は押しでも四つでもどちらでも良いのが彼の強みであろう。しいて言うと突きは使わないが,むしろ相手が突いてきても密着して間合いをつぶしてしまうという上手さがあり,これがよく出たのが七日目の玉鷲戦であった。隆の勝と大栄翔はそれぞれ並の調子だったように思うが,周囲が好調だったのが1点負け越しという結果だろう。明生は腰に大きなテーピングをしていた日が何番があり,腰痛で脆かった。その中で照ノ富士・正代・貴景勝を全て倒しての5勝は奮戦したのではないだろうか。腰痛の痛みにより日毎の出来が違ったのだろう。
前頭上位。若隆景は完全に上位定着した雰囲気。新関脇にも期待が持てる。上位に勝てなくても取りこぼしがなく,連敗しても心が折れないのは良い。霧馬山はまだ膝が治りきっていなさそうで,攻めているうちは強いが下がると脆い。宇良はケガ明けの上位初挑戦で勝ち越した。馬力で押し切る相撲とアクロバット相撲を使い分けるので相手は対処しづらいのだろう。一方で展開を読まれると単純な力負けしたり,動きについてこられて負けてしまう。また,土俵際で粘りすぎて大ケガをしそうな転落が今場所も見られた。相手もケガをさせそうで怖いし,ただでさえそれで一度やり直しになっているのだから,プロなのだからそこは割り切って受け身をとってほしい。阿武咲は上位総当たりで10勝しているが,それほど印象がない。御嶽海にも勝っているのだが。
前頭中盤。上位と下位で好調な力士が多く,豊昇龍・阿炎・宝富士を除くと壊滅的に負け越している。豊昇龍は今場所も縦横無尽に暴れて11勝だが,番付運が悪く新三役は無理そうである。せめて技能賞をあげてほしかったところ。馬力不足を気迫で補っているが,やはり馬力がほしい。阿炎はまだ元の地位に戻っていく過程だと思うが,それでも12勝で千秋楽まで優勝争いに残ったのは立派。来場所は新関脇だと思うが,9勝以上なら本物である。
前頭下位。石浦は小兵相撲が光って11勝。十三日目に王鵬を4回転ほどして左下手捻りで倒した相撲がハイライト。琴ノ若も11勝で敢闘賞。身体の大きさを生かした正攻法の攻めがよく決まり,押しでも四つでも取れるのは相手に応じて取組内容を変えられるので強みである。土俵際での逆転や投げの打ち合いも多く,根性のある相撲が多かった。千代丸は結果負け越したが動きがよく,土俵際をつたって逃げ回る相撲が印象に残った。一山本は,序盤は左上手で頭をつけて攻める相撲がよく決まっていて良かったが,中盤で左膝を痛めてからは相撲になっていなかったのでもったいない。琴恵光は張り差しからもろ差しになる形が完成していて力強い。新入幕の若元春は9勝で,左四つになるとなかなか強い。来場所に相撲を覚えられてどうなるか。もう一人の新入幕の王鵬は7勝で僅差の負け越し。押し相撲で引きも上手かった。終盤で負けが込んで11日目から5連敗したのはよくわからない。スタミナ切れだろうか。
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