2022年09月26日

2022年大相撲秋場所:玉鷲が二度目の優勝

今場所も全体的に熱戦が多くて,見ていて楽しい場所であった。今年の中で言えば3月に張る。しいて言えば終盤は熱戦の疲れが見えて息切れしていた雰囲気もあるが,これは本当に「しいて言えば」の範囲であろう。照ノ富士が4敗した後の優勝争いは混沌としていたように見えて,十一日目くらいにはもう玉鷲が優位な状態であり,そのまま落ち着いたという見方もできるだろう。

今年の優勝はここまで5人ばらばらである。来場所に御嶽海,若隆景,照ノ富士,逸ノ城,玉鷲以外であれば2020年以来であるが,実は2020年は年間5場所しかなかったので不完全である。その前となると1991年とのこと(霧島・北勝海・旭富士・琴富士・琴錦・小錦)。実は2場所連続で平幕が優勝したのも1991年以来(しかも同じ7月・9月)なので,これをなぞるならば今年も6場所バラバラになりそう。2019年は秋場所まで全員バラバラであったが,九州場所に白鵬が二度目の優勝を果たして阻止した。2019年通りなら来場所の優勝は照ノ富士になるが,あの膝の状況だとそもそも休場の可能性が高く,やはり貴景勝あたりが優勝して1991年以来となる可能性が一番高そう(そして得てしてこういう予想は当たりにくい)。

あとは,先場所猛威を振るった新型コロナウイルスの感染は,今場所は全く見られなかった。文字通り「感染症」なので一部屋からも出なければ蔓延することも無かったということなのか,先場所の混乱を見てそもそも検査を減らしていたり無症状だったから報告しなかったという部屋があったりしたということなのか,真相はおそらく半永久的にわからない。審判部は先場所に引き続いて物言いが多く,判定が明瞭で,明らかな誤審も無くて良かった。場所の後半に確認の物言いがあっても良かったような取組がいくつかあったが,どこかからクレームがあって物言いを減らしていたなら残念である。


個別評。照ノ富士は何度か書いている通り,膝がもたなければ休場することが許されている横綱である。しかし,再手術が必要なほど膝の骨がずれているとあっては思っていたよりも重症で,再起は来年か。唯一勝ち越した大関の貴景勝は褒めるところも文句も無く,相撲ぶりも普通。いや,普通なのが貴重なのかもしれない。良いところでいなしが入るのは美点だと思う。正代は,普段なら序盤が1−4でも中盤で突然エンジンがかかって勝ち越すのだが,今場所は最後まで不調であった。ただし,直近1年は勝ち越しと負け越しを繰り返しているので,ぎりぎりの状況かつ2場所に1回しかエンジンがかからないのかもしれない。厄介である。御嶽海はどこか故障していたか,壊滅的な相撲ぶりで,無気力ととられかねなかったから休場すべきだった。

三役。若隆景は低い姿勢からのおっつけがよく決まっていて好調だった。今場所の若隆景は四つ相撲が上手くなっていて,おっつけたまま押し込むか,適当なタイミングでもろ差しか右四つになって寄り切るかという選択が絶妙だったと思う。欲を言えば四つ相撲のバリエーションが狭く,投げ技が無いから寄っていくしかないところを突かれると厳しいかもしれない。11勝で二度目の大関取りの起点となった。今度は成功させてほしい。序盤に不調な場所が多いのは,場所直前の稽古量が多すぎて疲労が残ったまま場所に入っているという形の調整不足なのではないか,と白鵬が指摘していた。その可能性はある。豊昇龍は中盤に相撲に迷いが見られて連敗があった。六日目に翔猿を相手にして感覚が狂ったか。七日目の翠富士は合口が悪いとしても,中日の宇良,九日目の佐田の海は完全に不用意な負けである。あれがなければ二桁勝利が固かったと思う。まだまだメンタルが未成熟か。大栄翔は可も不可もなく。逸ノ城は,平幕優勝の翌場所はこうなりがちという感じ。先場所通りの相撲が何故かとれない。霧馬山は今場所は膝の調子がよく,投げが気持ちよく決まっていた。

前頭上位。書くべき人が多い。優勝した玉鷲は3年半前の2019年1月に優勝したときと相撲ぶりに変化は無く,腕がよく伸びて喉輪が効いていた。むしろ34歳から37歳にかけて相撲ぶりに変化がないことの方に驚くべきだろう。優勝パターンもあの時と同じで,横綱・大関が不調・休場なら好調な玉鷲に十分なチャンスがある。追いすがった優勝次点の高安は3月の優勝争いの時よりは動きが固くなっておらず,メンタルが強くなったのではないか。この調子が維持できるなら2023年中の再度の33勝は十分に狙える。翔猿は覚醒した感があり,前傾姿勢でまわしをとられない技術が卓越していた。以前はうざったく撹乱して中に入ってどうにかする相撲で,不用意な動きすぎも多かったのに,今場所は中に入らなくてもそのまま押して崩し,そこから動いて撹乱する動きに変わり,無駄な動きも減ってスマートになった。この相撲ぶりが維持できるなら来場所も上位の台風の目になりそう。

上位初挑戦の翠富士は7−8の惜しい負け越しだが,強い印象を残した。小兵らしく軽やかな動きで,得意の肩透かしもよく決まっていた。馬力の差でどうしようもなく負けるのが視聴者としても見ていて悔しい。そうそう,宇良も挙げておかねばなるまい。こちらは紙一重の8−7で勝ち越しだが,上位に定着して数場所,その押し引きの感覚に慣れていた感じがした。何より今場所の宇良は神業・伝え反りを決めてくれただけでも感謝である。しかし,北の富士が指摘していたように,いくらなんでもインタビューが雑である。本人が「戦術を話すわけにはいかないので」とどこかで答えていたそうで,まあ気持ちはわかるけども。

前頭中盤。若元春は二度のうっちゃりが光り,足腰の強さを見せつけた。来場所は二度目の上位挑戦になろう。北勝富士は九日目まで全勝と場所を盛り上げたが,十日目以降に上位戦が組まれると一気に失速した。私は三賞の「勝てば」条件が嫌いだが,今場所の北勝富士については「勝てば」条件がついていたのは妥当だったように思う。最後の最後で覇気を取り戻してほしかったのだが,勝てなかった。真っ向勝負という顔をしておいて立ち合いで半歩ずれた立ち合いをするのは面白い。錦富士は新入幕から2場所連続で二桁勝利であるが,十一日目時点で9−2,優勝争いの影響で上位に当てられたために10勝で止まったのは少し不運だったかもしれない。もろ差しか左四つになると相当に強く,左からのすくい投げ,右からの小手投げがよく決まっていた。来場所は上位挑戦になるかどうか微妙な番付になりそうで,まだ家賃がやや重そうだが,奮闘を期待したい。

前頭下位。竜電はどうしても私生活が立て直せたのかどうかが気になってしまうが,それは置いといて,懲罰休場前通りの相撲ではあるかなと思った。前傾姿勢で押していってからのもろ差しか左差しで威力がある。あとは新入幕二人,水戸龍が跳ね返されたのは意外だった。動きが鈍く,幕内のテンポについていけていない様子だった。再入幕までに修正してきてほしい。平戸海は序盤の相撲を見ると順応できそうな勢いだったが,こちらは中に入る相撲が読まれるようになって調子を崩した。それでも7−8でまとめていて,あと一歩で幕内に定着できそう。何かもう一つ武器が欲しい。照強の足取りなり翠富士の肩透かしなり,宇良の馬力なり。


常幸龍が引退した。大学時代に個人タイトルを多く獲得し,当然幕下付出の資格を得ていたものの,事情があって失効してから角界入りした。そのため2011年から12年にかけて,序の口から幕下にかけて無敗の26連勝というレアな記録を打ち立てた。そのため,この頃の「佐久間山」の四股名が印象深い。その後も負け越し無しで十両に上がって四股名を常幸龍に改め,2012年11月に負け越し無しのまま新入幕となる。十両以下の全ての段で優勝決定戦に出場したというのもまた彼の持つレア記録である。初土俵から新入幕まで所要9場所も付出資格でのデビューを除くと最速記録であった。しかし,このまま順調に出世していくかと思いきや,幕内では壁にぶつかり,番付運の良さもあって一度小結まで出世したものの,前頭の中盤から下位,十両で取ることが多かった。2016年の初場所で右膝に大ケガを負うと,手術を挟んで三段目まで地位が下がり,その後は幕下上位と十両を行き来する状況が続き,右膝はとうとう完治しなかった。まだ十両に戻れそうな相撲ぶりではあったが,医者からこれ以上相撲を取ると人工関節になると警告されて引退となった。学生相撲の本格派は幕内に入ってからなぜか苦しむ人が多いという典型となってしまった。基本は右四つの相撲だが,突き押しがあったり変化があったりと学生相撲出身らしい多彩な技能があり,かえってそれで相撲に迷いがあったようにも見えた。お疲れ様でした。

魁聖が引退した。日系ブラジル人の出自であるが,本人はサッカーに全く関心がなく,ブラジルだからと結び付けられたインタビューがあると困惑していた。一方で大のゲーム好きで,ニコニコ超会議場所等ではテンション高く遊んでおり,そこは日系人らしさがある。ゲーム好きとしては親近感があって,私は好きな力士だった。相撲ぶりは大柄な体格を生かした四つ相撲であり,がっぷりで組み合えば幕内上位でも十分に通用した。栃ノ心との勝負は基本的にがっぷり四つになることが多かったが,12ー14で僅差の負け越しは堂々の成績である。四つ相撲の力士には珍しく,場所ごとの調子の波が激しく,また好調時には機敏だが不調時には鈍重になるためわかりやすさがあった。最高位は関脇。目立った大きいケガはなく,加齢による体力の低下での引退であるから,「やりきった」のではないだろうか。お疲れ様でした。  続きを読む

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2022年09月14日

ニコ動・YouTubeの動画紹介 2022.2月下旬〜2022.4月上旬




本人が再現するのは想定外でしょw。将棋自体は真面目に打っているのに,随所で元ネタにかぶせてきているのが非常に良い。


もう一つ将棋ネタから。これはめちゃくちゃ笑った。クソゲーすぎて二歩禁止になっている理由がよくわかる。13分すぎからが一つのハイライトで歩で囲いが作れるのがひどい。そして歩合いが効いちゃうのもけっこうひどいw



ゲームさんぽの動画は,特に歴史を扱ったゲームはどれも当たりなのだが,特にこの回は良い。28:15くらいからの「三国志のラストってどうなるんですか」という質問に対する渡邉先生の語りが無茶苦茶良い。本当にね。三国時代の本当の終わりは隋唐帝国なんだよ。漢帝国が崩壊・消滅する中で,400年続く乱世の始まりとして,変えるべきを変えて残すべきを残した。志在千里なのだなぁ。


続きで,この回の22:45からも素晴らしい。演義の諸葛亮はゲーム通り知力100の神だから,夷陵の戦いに行く劉備を諫止できる。正史の諸葛亮は人間だから諫止しない。すげーわかる。





アイマスのMMDで活躍しているmobiusPの初音ミクダンス動画。ダンスはもちろんのことながら,モデルも良いなぁ。ぜひモーションキャプチャー元のダンス動画も見てほしい。




繰り上げP。上半期20選選出。お天気ヤクザシリーズからもう1つ。「ボンボロイド」は笑うでしょ。



りゅうせいのたき氏。上半期20選選出。割と出来が良い人力ボーカロイド。確かに,灯織に歌ってほしい歌詞の曲。改めて聞くとshiny smile良い曲だ。



ミワのいぢ氏。上半期20選選出。箱◯時代の春香さんが思い出されて思い出ボムが爆発する動画。素晴らしいアニメ。



mb氏。上半期20選選出。この一連の音声合成シリーズは完全に”言っていて”すごい。



みおはす氏。上半期20選選出。誰かがやると思ったし,やってくれてよかったやつ。合うなぁ。  
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2022年09月04日

西美リニューアル展の感想と,展示のドイツ・ロマン主義風景画の解説

西美のリニューアルオープン記念展示。西美の所蔵品と,ドイツのフォルクヴァング美術館の所蔵品から,様々な風景画を展示したもの。本展は西美の所蔵品が多かったこともあって写真撮影がほぼ全面的に解禁されており,ツイッタラーとしては大変にありがたい展覧会であった。風景画好きとしてはそれだけでも嬉しいが,本展はサブタイトルが「フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで」で,つまりこれはフリードリヒがモネやゴッホと並ぶ売り文句になるところまで出世したことを示しており,私としては喜ぶほかない。マイナーキャラを細々と推していたら突然劇場版で主役に抜擢された気分である。まあ,フリードリヒは実際にはそこまでマイナーキャラというわけではないのだが……

ついでにリニューアルされた西美の建物について,先に触れておこう。今回の改装はル・コルビュジェの当初の構想に戻す意図があったそうで,前庭がずいぶんとすっきりしていたのは少し驚いた。館内もマイナーチェンジが図られていて,常設展の配置も少し変わっていた。にもかかわらず,館内に多数あるトマソンは概ねそのままという点には笑ってしまった。登れない階段,もう西美の味になっちゃってるもんな……もう取り壊せないよな……

閑話休題,本展は風景画を集めた展覧会として極めて質が高く,非常に良かった。このまま行けば2022年ベスト企画展はこれにする。両美術館共演による印象派の風景画がどかどかとあって,フォルクヴァング美術館側のドイツ・ロマン主義風景画が並び,さらに西美側がドレやブーダン,コローとフランスの画家の作品で対抗する。時代が進んでいってマックス・エルンストの作品は両美術館から出ていた。現代アートもフォルクヴァング美術館がモンドリアンとクレーを出せば西美がカンディンスキーとミロを出すというような張り合いで最後まで続く。


本展は何よりやはりドイツの美術史が追えるのが美点で,フリードリヒに始まり,他のロマン主義画家としてシンケル,ダール,カールスが展示される。さらにベックリーンにマックス・リーバマンが続いて,最後にゲアハルト・リヒターの写真がどんと構える(実際の展示順はこうではないが)。これはドイツの美術館だからこそできる芸当だろう。以下はもう趣味全開で書いていく。


カスパー・ダーヴィト・フリードリヒの作品は《夕日の前に立つ女性》で,本作は朝日なのか夕日なのか議論がある。この女性は19歳年下の妻がモデルで,フリードリヒは溺愛していた。フリードリヒが描く太陽は夕日が多いが,最愛の女性が朝日と正対している,そこに希望を託した作品と考えれば朝日であるという導出もできよう。本展にかかわった西美の学芸員の方も朝日であると主張している(が,フォルクヴァング美術館側が夕日説押しなのだそうだ)。一方で,朝日というにはやや作品全体が暗くて日光が足りず,この時期のフリードリヒの作品はけっこう「奥さんがかわいかった」以外の動機が見いだせないものもあるので,意外と夕日に照らされる妻が描きたかっただけという可能性もある。ここはもう妄想は自由なので,鑑賞者各々で思いを馳せてほしい。


他の作品について。Twitterの並び順で言って2枚目,ヨハン・クリスティアン・クラウゼン・ダールはノルウェーの画家であり,フリードリヒの住むドレスデンで修行していた関係で,(奥さん以外には)気難しいフリードリヒにしては珍しく深い親交を結んだ人物である。風景画は自然をキャンバスで切り取ったものであるが,風景を窓から眺めている体にしただまし絵的な表現は逆説的に風景を強調するものとしてロマン主義では好まれていた。ダールはフリードリヒに比べると自然主義に少しだけ寄っていたのだが,本作の風景も特にロマン主義的ではない。窓から眺める風景というロマン主義ポイントと実際の風景の自然主義ポイントが両方出ているという意味ではダールらしい作品。

3枚目,シンケルは建築が本業で,ロマン主義的な題材を用いるが画風は新古典主義的で硬い。本展に来ていた《ピヘルスヴェルダー近郊の風景》は水平線が画面のちょうど真ん中に来ていて空が広い,風景が手前から丘,森林,川のある平原,都市となっている,丘の上に一組の夫婦の後ろ姿がある等の点でかなりフリードリヒに近い画面になっており,本作を選んだフォルクヴァング美術館は偉い。

4枚目,カール・グスタフ・カールスは本業は医者のディレッタントで,数少ないフリードリヒの弟子であった人物。本作はカールスによるフリードリヒの作品の模写であるので,カールスのオリジナル作品ではないのだが,模写としてはよくできている。フリードリヒは死後から19世紀末までの50年ほど,短くはあれ埋没期間があるので,よく模写が残っていたものだ。なお,カールスの作品は模写でなくてもよく師匠に似ていて,研究が進んでいなかった以前はかなり混同されていたらしい。当然ながら専業で師匠のフリードリヒの方が上手くて描写が細かいのだが,フリードリヒは晩年に筆致が荒れ気味になったので,それでわかりづらくなってしまった。  
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2022年09月03日

2022年6-7月に行った美術館・博物館(シダネルとマルタン,板谷波山)

けっこう数をこなしていたのだけど,書きそびれて溜めてしまっていた。

都美のスコットランド国立美術館展。現在は神戸市立美術館で開催している。ルネサンスから印象派まで一通りそろっていて約90点,見応えはそれなりにあったものの,総花的な展覧会はやっぱり余程豪華でないとやや食傷気味であるのを自覚した。総花的な展覧会をやればルーヴル美術館展やメトロポリタン美術館展の方がどうしたって強いのである。個人的にはそこにイギリスらしさあるいはスコットランドらしさが欲しいところで,その意味でプロローグがエディンバラ城を描いた作品が3つほど並んでいたのは好印象だった。またイギリスというくくりで言えばレノルズやゲインズバラ,コンスタブル,ミレイ,ホイッスラーがいたのも良く,その他名前を知らない画家たちの肖像画も上手い。グランド・ツアーということでグアルディの作品もあり,独自性が現れてくるという点で後半の方が面白い展覧会であった。よく知られているように,イギリスは独自の画家が登場するまでが遅い美術後進国であったのだが,18世紀後半にレノルズやゲインズバラが出てきて独自の発展を遂げる。

最後がフレデリック・チャーチだったのは良い意味で予想外だった。 ハドソン・リヴァー派は私自身好きだし日本人受けすると思うのだけど,知名度が低すぎる。商機だと思うので,どこかの美術館には一発企画を立ててほしいところ。(どうでもいいけど,ブログ内検索をしたらハドソン・リヴァー派がめちゃくちゃ表記揺れしていたので統一しておいた。こういうのは意識しないとぶれる。)


もう一つ都美から,ボストン美術館展。ボストン美術館展は2012年の東博でも開催されており,《平治物語絵巻》や《吉備大臣入唐絵巻》といった目玉展示がその時とほぼ完全に重なっていた。10年ぶりだからもう1回見るかと思って見に行ったのだが,意外と自分の脳内に10年前の映像が残っていて,新鮮味があまりなく,ボストン美術館展が悪いわけではないものの,それほど楽しめなかった展覧会だった。これは自分への教訓として書き残しておく。やはり二度目の目玉展示は避けよう。


SOMPO美術館のシダネルとマルタン展。現在は美術館「えき」KYOTOで開催している。図録を見ると日本中に巡回していて,京都の前は鹿児島市立美術館で,また京都の次は三重のパラミタミュージアムに巡回する模様。画風はきっちり日本人の好きな印象派であるのに知名度が低くて巡回させやすいのかもしれない。どちらもファーストネームがアンリというどうでもいい共通点があるが,それ以上にどちらも「最後の印象派」と称される画家である。二人は親交があり,生没年も活躍年代もほぼ全く同じというところまで共通している。なんという仲の良さ。その生没年の通り,1860年頃の生まれであるから,1840年前後の生まれが多い印象派世代よりもちょうど20歳ほど若い。すなわち,彼らが20代の頃にはすでに印象派は華々しく活躍し始めていた。唯一,新印象派のスーラが1859年生まれなのでシダネルやマルタンと同世代であるが,スーラは夭折してしまっているのが惜しい。1940年頃の没で,時代はすでにナビ派・フォーヴィスム・キュビスム・表現主義と進んで現代アートの時代に入っていたが,この二人は延々と印象派であり続けた。

この二人の画家の特徴は分類するなら確かにノーマル印象派としか言いようがない。英語版Wikipedia等を見るとポスト印象派に分類されているが,図録に「シダネルやマルタンは,さらなる造形的な冒険をしたわけではなかった」と書かれているように,ゴッホやセザンヌのような革新を遂げたわけではない。しかし,彼らの作品をよく見ると新印象派やポスト印象派,象徴主義を経験した上で戻ってきたノーマル印象派という総合的な側面がある点で,なるほど「最後の印象派」と評することができよう。しっかりとした筆触分割ではありながらも画面全体の雰囲気には象徴主義的な物寂しさがあり,ゴッホのような強い補色関係も使い,マルタンは部分的に点描を用いたりと,モネやルノワールと比べるとその辺がなんとも新しい。尾形光琳と比べたときの酒井抱一のような垢抜け方がある。貴重なものを見たと思えたし,印象派が好きならマストの展覧会であったと思う。よく似た二人なので差をつけにくいが,しいて言えばマルタンの方が好み。シダネルの方がやや画面が暗く,より象徴主義に近い。マルタンの方が印象派の正統進化という感じはする。




出光美術館の板谷波山展。生誕150周年とのこと。そのため泉屋博古館(京都)しもだて美術館(茨城)でも同様の企画展が立っていて,それぞれ巡回している。作品数が多いため企画を立てやすく,2022年は一年中どこかで板谷波山展がやっているという様相である。なお,板谷波山は現筑西市の生まれで,「波山」の号は筑波山からとられた。また,工房があったのは東京都北区田端であり,若い頃には花見客に当て込んで「飛鳥山焼」と命名した陶器を販売したが,全く売れずに赤字を抱えて「板谷破産」と自虐していたらしい。

板谷波山の陶磁器の特徴は葆光彩磁と呼ばれる独特の様式で,磁器であるのに曇ったような,ざらついたような白さを持つ。ゆえに波山は「葆光」と命名した。出光美術館のキャプションは「マットな質感」と説明していたが,ぐぐってみると葆光彩磁について同様の説明が見られるので,一般的な説明なのだろう。マットとはつや消しの意味なので,ざらついた感じを言い換えるならそういうことになろうか。白磁といえばつるっとした白さだろうという先入観があると,釉薬がかかっていないのではないかと疑うような,強い違和感を覚えるだろう。私もこれまで板谷波山の作品はほとんど見たことがなかったので,今回まとめて実見して,その奇妙な印象がなかなか面白かった。

ところで,「焼き上がった作品が気に入らないと叩き割る」という陶芸家のテンプレイメージは,板谷波山の実際の行動に起因するらしい。しかもそれを直接見て世に伝えた一人が出光佐三とのことで,割られそうになった作品を救出した結果として出光美術館所蔵になった作品もあるとのこと。そういうつながりで出光美術館がこの企画展をやっているというのも面白かったところだった。そういうシーンに立ち会ったら事象失敗作を救出したくなる気持ち,わかる。  
Posted by dg_law at 22:56Comments(0)