2022年11月29日

2022年九州場所の感想

今年は優勝争いがわからない場所が多かったが,今場所ほどわからなかった場所は無い。千秋楽まで全く読めなかった。高安か貴景勝か豊昇龍かだろうと12日目くらいまでは思っていた。まさか阿炎が優勝するとは。先場所の評に「やはり貴景勝あたりが優勝して1991年以来(の年6場所全て優勝力士が違う事態)となる可能性が一番高そう(そして得てしてこういう予想は当たりにくい)。」と書いていたのだが,7割くらいは当たってしまった。

優勝した阿炎は相撲ぶりが変わったとは言いがたく……と平幕優勝する力士が出るたびに書いている気がするが,実際に幕内上位陣と三役陣の実力は拮抗しており,その中で頭一つ好調であったり,幸運をつかんだものが優勝する構図であるから,相撲ぶりが変わらずに優勝することに不思議はない。今場所のそれは高安と阿炎と貴景勝であり,特に阿炎であった。優勝争い以外で特筆すべき点はあまりないが,しいていえば土俵が滑りやすかった様子が見受けられた。以前から九州場所の土俵はいろいろと言われてしまう傾向があるように思われるので,何かしら調査をしてもよいのかもしれない。

今場所はいろいろと記録が生まれたので,書き留めておく。まず,3場所連続での平幕優勝は史上初。また6場所全て優勝者が異なるのは1991年以来,31年ぶりの珍事で史上3度目。ただしこれは2020年,新型コロナウイルスの流行によって5月場所が中止となったため年間5場所であったが,この5場所が全員優勝者が異なっていたため,これをカウントするなら2年ぶりとなってあまり珍しくなくなる。

優勝関係以外では,正代が大関から陥落したため,来場所は1横綱1大関となる。照ノ富士が横綱大関を兼任することになるが,これは2020年春場所以来の2年半ぶり。ただし,横綱と大関が1横綱1大関の2人という状態になるが,これは125年ぶりとのことで,すなわち年6場所制では初。また,年間最多勝は若隆景となったが,関脇以下が年間最多勝をとるのは2019年の朝乃山以来3年ぶりで4回目。他が大鵬・貴乃花なので,過去の3人は後に大関以上には昇進している。


個別評。貴景勝は優勝同点で,十分な出来であった。次回はハードル高めの綱取りになるとのこと。優勝決定戦の阿炎戦は,阿炎がその前の高安戦で変化していたのを見て,変化を警戒して立ち遅れたか。くじ運の無さで優勝を逃したが,そもそも貴景勝という力士は随所で不運に見舞われているように思う。正代は勝ち越してカド番脱出と思っていた。これまでの正代であれば後半に復調して勝ち越していたのだが……来場所の10勝も難しそうである。

関脇。御嶽海も10勝する可能性はあると思っていたのだが,最後まで調子が戻ってこなかった。彼は本当に一度躓くと復調できない。後半はあまりにも無気力であった。故障があったのであれば休場しても良かったのでは。若隆景も8勝の勝ち越しぎりぎりで,大関取りは振り出しに戻った。今場所はなんとなく馬力を欠けた相撲が多く,おっつけたり組んだりする前の段階で負けが決まっていた。彼らに比べると豊昇龍の11勝は立派で,もちろん大関取りの起点なのだけれども,優勝または優勝同点までいくと思っていたので,私的にはやや不出来である。10勝してからの相撲は明らかに雑で,彼も人の子であり,緊張するのだなと。大関取りという意味では一応これで2場所計19勝,来場所13勝で優勝同点以上なら一発大関もありうるか。

小結。玉鷲は優勝翌場所でこんなもんだろう。前回の優勝は5勝であったが,今回は6勝であった。霧馬山・大栄翔は可も不可もなく。翔猿は家賃が重いかと思われたが,押す力がどんどん増しており,これなら上位で定着できる。

前頭上位。優勝同点の高安。これが三役でないのがもったいない12勝で,貴景勝に次いで優勝の可能性が高いと思っていた。今年は新型コロナウイルスの濃厚接触者に二度もなってしまうという不運で,残った4場所は幕内中盤の番付も含むものの41−19の好成績,勝率は7割近い。大関時代の圧力も左四つも戻っており,この調子があと3場所続けば大関復帰は固い。琴ノ若も年6場所中,新型コロナウイルスの濃厚接触者で途中休場になった場所を除く5場所は全て勝ち越しで,完全に上位に定着したが,なぜか三役には昇進できず,番付運が悪い。来場所はさすがに小結になるだろうが,まだ上位で二桁はまだない。やや引き技に頼りがちなところと脇の甘さが解消されれば,あまりあるパワーで周囲をなぎ倒すことができよう。若元春は弟に続いて覚醒した感がある。左四つになれば負けないが左四つになれないきらいがあったところが改善され,差し勝つようになった。足腰が強く,押し相撲やうっちゃりもあって,まだまだ伸びしろもありそうである。これからの期待が大きい。最後に錦富士も挙げよう。押す力が強く,そこから左四つになるので良い形で組むことができている。ただ,終盤は疲れが見えて連敗があった。スタミナが問題とは思えないが,来場所はどうだろうか。

一方,逸ノ城は優勝から2場所経ってすっかり優勝前の相撲に戻ってしまい,動きが鈍重だった。あと禁酒しましょう。宇良はパワーがついたが動きが鈍っており,そろそろ体重増加にストップをかけたほうがよさそう。

前頭中盤は一転して,阿炎以外に挙げるべき人がいない。阿炎はともかく調子が良く,突きの威力があり,足が流れることも少なかった。千秋楽,優勝決定戦で変化ができる強心臓も良い(本人はあれで決めるつもりはなかったと語っていたが)。12勝優勝となったことはともかく,実力から言えばまだまだ単なる上りエレベーターにすぎないだろう。

前頭下位。王鵬は押しの威力が強いが,加えて左からのいなしが強い。左からの投げ技もあり,ともかく左腕の使い方に自信があるのだろう。左からの攻めを封じてくるであろう,上位陣との対戦でどうなるかは興味深い。優勝争いも後半戦まで生き残り,彼に敢闘賞が無かったのは理解できない。もう一人,平戸海を挙げる。押し相撲もとれるが,差し身が良くてもろ差しになるのが上手く,その意味で妙義龍に似ているかもしれない。

負け越し組では,琴勝峰は体格の割にどうも体が軽い。すり足の問題だろうか,ちょっとよくわからない。何かきっかけをつかめば上位でとれそうなものだが。期待の新入幕,熱海富士はまだ幕内のスピード感についていけておらず,家賃が高かった。立ち合いで遅れないこと,立ち合い後の動きで遅れないようにしてほしい。


千代大龍が引退した。本名が明月院という古風で珍しいものであったため,古参の好角家からは明月院の名でも呼ばれていた。日体大時代に活躍して幕下15枚目付け出し資格で角界入り。2011年5月が初土俵で,つまり技量審査場所である。しかもケガで途中休場したのだから,レアケースである。その後は順調に番付を戻し,2012年初場所に新十両,同年5月に新入幕となった。その後は2014年9月の小結が最高位で,典型的なエレベーター力士となる。取り口は体重を活かした強烈なぶちかましから,すぐに引いて引き技を決める,通称「MSP(明月院スペシャル)」で,本人もこの俗称を認識していたほどネットの好角家では有名であった。なお,同種の俗称にCSP(千代大海スペシャル)があるが,こちらは小刻みなうわづっぱりで相手の動きを止めてからの引き技であるので,似ているが細部が異なっている。ともあれ,千代大龍はその出足のまま押し切ってしまうこともあるため必ず引くわけではなく,押し切るかMSPかの選択肢で相手を惑わせて白星を稼いだ。しかし,捕まると全く相撲にならないことに加え,少なくない頻度で立ち後れ等によるMSP失敗があり,上位には定着できなかった。また,自他共に認める稽古嫌いであり,暴飲暴食もあって糖尿病にかかり,長く体調不良であった。そうした事情もあって,まだ余力がある中での引退を決断したのだろう。

豊山が引退した。東京農業大時代に大いに活躍し,同期の朝乃山とそろって活躍が期待され,三段目100枚目付け出し資格を行使して角界入りした初の事例となった。豊山という四股名自体,同郷・同大学出身の元大関のものを継いだものであり,期待の大きさがうかがえた。2016年春の初土俵から出世は早く,良い突き押し相撲を見せていたが,入幕したところで出世が止まってしまった。突き押しの威力はあったものの動きが鈍重で幕内のスピードについていかなかった。大学相撲出身であったので四つでもけっこう相撲になっていたが,取り口の修正の前にケガが多発し,大関まで進んだ朝乃山とは大きな差がついてしまった。それでもまだ十両では十分に力が通用していたので,引退は早いように思われるものの,とはいえここからの再出世も難しかろうと本人が見込むのであれば早すぎるということもあるまい。

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2022年11月25日

2022カタール・ワールドカップのグループリーグに見る世界史

本ブログの恒例企画なので。2018年の。


グループA(オランダ・エクアドル・セネガル・カタール)
関係が非常に薄そうな4ヶ国に見えるが,実はセネガルにある負の世界遺産ゴレ島をオランダが使っていた時期がある,つまり奴隷貿易という意外な接点がある。ゴレ島は17世紀後半に英仏と三つ巴で取り合いとなり,最終的にフランスが対岸のセネガルとともに占領した。なお,黒人奴隷貿易の輸送数ではポルトガル・イギリスが圧倒的に多く,次いでフランス,4番目がオランダである。オランダに黒人奴隷貿易当事国のイメージがあまり無いかもしれないが,17世紀の時点ではポルトガルに次ぐ主要国であった。18世紀に入ってから英仏が急速に輸送量を増やし,オランダを抜き去っていく。ゴレ島がフランス領となったのはその端緒である。他はちょっと見当たらなかった。ロイヤル・ダッチ・シェルがカタールの油田開発にかかわってたりしないかなと思って調べてみたけど,めぼしいものは見つからず。そういえば4ヶ国とも国土がそれほど大きくなく,それもあってか緯度も経度もかすりもしていないのはちょっと珍しいか。


グループB(イングランド・ウェールズ・アメリカ・イラン)
なんだこの因縁だらけのグループは。説明不要すぎるやろ。しいて補足するなら,イランの油田開発に着手したのはイギリスであり,1951年,イランの首相モサデグがアングロ・イラニアン石油会社(現BP)を国有化した。しかし結果的にイラン産の石油はセブンシスターズが支配していた市場から排除されてしまい,1953年,モサデグは国王パフレヴィー2世のクーデタによって失脚する。このクーデタを支援したのがCIAだったことから,石油による結びつきはイギリスからアメリカに交代し,アメリカとイランの深い因縁が始まった。あとまあ当然ウェールズからもアメリカには多くの移民がいて,英語版Wikipediaに載っていたデータを信用するなら約185万人がウェールズ系の子孫とのこと。……いや,これは建国前から移民がいたことを考えると少ないか。アラブ系やベトナム系とほぼ同じ規模で,韓国系よりはやや多い。有名所だとトマス・ジェファソン,ジョン・アダムズ,ジェファソン・デヴィス,ヒラリー・クリントン等。


グループC(サウジアラビア・ポーランド・メキシコ・アルゼンチン)
メキシコとアルゼンチンは旧宗主国が同じスペインで,独立時期も近い。また銀の生産量ではメキシコが1位,アルゼンチンが9位とよく似ている(金はメキシコが9位,アルゼンチンが17位)。アルゼンチンは国名の面目躍如というところだろうか。鉱物資源という意味ではポーランドは石炭生産量が世界10位,サウジアラビアは石油で3位と,いずれも鉱物資源で何かしら優位をとっている国が固まっている印象がある。メキシコとアルゼンチンが独立を達成したのは19世紀初頭であるが,これは逆にポーランド国家が消滅した時期であり,第3回ポーランド分割が1795年,ワルシャワ大公国の消滅が1815年である。言うまでもなくいずれもフランス革命とナポレオン戦争の影響が色濃い。ではサウジアラビアが無関係かというと,サウジアラビアの前身であるワッハーブ王国はエジプトのムハンマド=アリーに攻撃されて1818年に中断し,1823年に復活している。こうしたムハンマド=アリーの動きもまたナポレオン戦争の余波であり,かの戦争の影響範囲はかくも広い。


グループD(フランス・チュニジア・デンマーク・オーストラリア)
チュニジアはフランスが旧宗主国で,アルジェリアほどではないにせよ,経済的なつながりは現在でも強い。フランスとデンマークは,それほどつながりが無いように見えて探せばあるという感じ。ノルマンディー公国を建てたロロはデーン人であるから(指摘を受けたので追記:実はロロはデーン人と確定していおらずノルウェー系の可能性もあるとのこと。知らなかった。),これが両国のつながりのスタートと見なしてもいいかもしれない。そこからかなり経って,ナポレオン戦争ではデンマークがフランス側に立って参戦したため,ウィーン議定書ではノルウェーをスウェーデンに割譲する憂き目に遭っている(そう,ここでもナポレオン戦争がかかわる!)。さらにドイツ統一戦争でプロイセンに敗北した点でデンマークとフランスは共通し,同じことは二次大戦でも繰り返された。チュニジアとデンマークは,歴史的なつながりは薄いが,経度がほぼ全く同じという不思議な共通点がある。オーストラリアだけはどうにも何も思い浮かばず。


グループE(スペイン・日本・ドイツ・コスタリカ)
このグループも縁が深いつながりが多い。日本とドイツのつながりはあまりに豊富すぎるので割愛したい。日本とスペインも省略していい気もするが,何か一つ挙げろと言われたらザビエルを挙げる日本人は多そう。元枢軸国大集合というにはフランコ体制の定義問題が浮上してしまう。そういえば世界史とは一切関係ないが,イタリアで豚熱が流行してしまってプロシュートが輸入できなくなってしまったため,ハモンセラーノを見かける機会が増えたように思う。コスタリカは憲法に「常備軍の不保持」という日本国憲法と似た規定があることで有名。コスタリカの国防は,緊急時には軍隊を組織できるが,基本的にアメリカに丸投げしている。

コスタリカはスペインが旧宗主国だが,経緯がかなり複雑である。スペインから中央アメリカ連邦が独立を宣言した後,メキシコが一度これを併合,すぐに中央アメリカ連邦が再独立したが,約15年間しか持たずに連邦が解体し,コスタリカが成立した。スペインとドイツは長らくハプスブルク家の君主を戴いていたことで共通するが,やはり普仏戦争の引き金になったのがスペインの王位継承問題であったことを挙げたい。もちろん第二次世界大戦の前哨戦,スペイン内戦もある。


グループF(ベルギー・クロアチア・モロッコ・カナダ)
あまりつながりが無いグループなのだが,なんとかひねり出すと,他のグループは共和制国家と君主制国家の割合が半々以下だが,このグループFだけ,君主制国家が3つを占めている。また,ベルギーとカナダはどちらも国内にフランス語圏があり,分離独立運動だったり言語戦争だったりと問題を抱えている。あとはベルギーとクロアチアはどちらも元ハプスブルク家の領土で,重なっていた期間がけっこう長い。


グループG(ブラジル・スイス・カメルーン・セルビア)
またしても奴隷貿易の話題である。カメルーンは奴隷輸出地域で,ブラジルは輸入地域であった。ブラジル人の黒人で,祖先がカメルーン地域の出身だったという人はかなりいるのではないか。他は特に思いつかなかったが,しいて言えば今回の出場32カ国中の内陸国2つが両方ともグループGにいる。


グループH(ポルトガル・ウルグアイ・韓国・ガーナ)
ウルグアイは長くスペインとポルトガルの係争地で,18世紀末までにはスペイン領で概ね固まっていた。しかし,アルゼンチンとブラジルの独立後にブラジルが侵攻して激しく争われた。最終的にイギリスが和平を仲介してどちらの領土ともせず,ウルグアイが独立国家となったという経緯がある。ウルグアイはその後もブラジルとアルゼンチンの間で揺れ動く難しい外交を迫られ続けた。ポルトガルと韓国は世界史云々ではなく,サッカー・ワールドカップ史で語られるべきだろうが,ここでの言及は控えたい。ポルトガルとガーナは,またしても大西洋の奴隷貿易当事国・地域にあたる。今大会は何かそういう組合せのグループが多い。  
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2022年11月18日

タブ100個開きっぱなしはさすがに想像してなかった

・料理のおにいさん・リュウジ氏が嘆く「焼肉店でバイトの人が怒られてる現場に居合わせて肉の味を覚えてない」(Togetter)
→ わかる。人前で恥をかかせないと人間は成長しないという思想が世の中にはあるらしく,わざと人前で叱責する人種がいるが,飲食店でやられると飯がまずくなるのでやめてほしい。そもそもその思想自体に全く賛同できない。怒りで(それもビジネスな関係の)他人をコントロールすべきではない。百歩譲っても,顧客満足度より優先させることではない。 店側の人間に怒られている現場を見ている客は味がしなくなっている感覚が共有されていないのだろうから,客が「飯がまずくなるからやめてくれ」と言うべきなのかもしれないが,それこそ『孤独のグルメ』のように客側に怒りが回ってくる可能性もあるのでおいそれとは言えない。多くの人は井之頭五郎のように腕に自信があるわけではない。
→ もっとも,店の側ではどうしようもない事情で飯がまずくなったこともある。某ラーメン屋でラーメンをすすっていた時,客同士で仕事上の叱責が始まった時はマジでさっさと食って出ていくこと以外考えられなくなった。叱っていた側のガラがあまりにも悪く,全く無関係の第三者ながらけっこう怖かった。深夜帯ではあれ,普段は治安が良い店であんな光景を目にすることになるとは思わなかった。店が間に入って止めることもできなかったであろう。
→ はてブ等の反応を見ていると類例で「客同士が宗教やマルチの勧誘をしていると味がわからなくなる」という感想も見られたが,自分はそこは平気だった。勧誘されている方が不憫だとは思うが,怒気は本人にその気がなくても360度振りまかれているのに対し,勧誘は目の前の相手以外には言葉に感情が乗っていないように感じられるから,というのが自分なりに考える差分なのだが,皆様はどうだろうか。


・webブラウザのタブをたくさん開いたままにしてしまうのはブックマークの利便性が追い付いてないからでは?という話に集まるあるあるの声と便利情報(Togetter)
→ わかるぞ,スマホだと常に10個くらい開きっぱなしになるよなと思ってTogetter開いたらそういうレベルじゃなかった。主題についてはタイトルの通りだと思う。Togetter内にある通り,PCやタブレットはブックマークや履歴を開きやすい・検索しやすいのに対して,スマホのブラウザの画面だと常に使うページは開きっぱなしにしておいた方が見やすい。ブックマークをタブと同様に使えるかそうでないかの違いとも言える。画面の大きさの問題だと思うので,根本的には解決しないと思われる。最近だとChromeはスマホとPCでブックマークを共有しているので,ますますスマホの方にブックマークを作る意味が無くなってしまった。


・全卓樹「ピーター・ターチンの数理的歴史学」――『不和の時代(仮)』(ピーター・ターチン著、青野浩ほか訳、今秋刊行予定)に寄せて(晶文社|note)
→ まだ全然読んだり調べたりしていないが,ピーター・ターチンの「エリートの過剰生産度」という概念は興味深いと思っている。普遍性の高そうなビッグ・ヒストリーの概念が来たなという感覚はある。買って積むリストに入れておこうか……と思ってからはや半年,今秋刊行予定の秋になってしまった。どうせ買ってもすぐには読まないから別にいいのだが,先に『国家興亡の方程式』 を読むべきなのだろうかとも考え始めた。日本の歴史学界隈の,あるいは市井の歴史好きの界隈的には,ターチンの評価ってどうなんでしょうかね。そもそも後者にはまだ全然知られていない?


・「最終戦争を戦った仲間たち、前世の記憶がよみがえったら連絡ください」 “転生戦士”があふれかえった80年代の日本(文春オンライン)
→ おっさんエロゲーマーとしては『終ノ空』を思い出す話であり,1980年代のこうしたブームを下敷きに書かれたのが1999年の『終ノ空』なのだろう。それが『素晴らしき日々』という形で2010年まで引っ張られることになろうとは,当時のSCA自氏も思っていなかっただろうが。もっとも,おっさんエロゲーマーと言っておいてなんだが,私にとっては1980年代の出来事は完全に歴史上の出来事であり,『終ノ空』の前史としてこういう出来事があったんだな以上の感慨は無い。
→ 現代の転生物にこうした悲壮感はないという指摘はおっしゃる通りで,邪気眼も30年経って形が変わった,ないし現代の転生物はそもそも邪気眼ジャンルではないということなのだろう。  
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2022年11月17日

自分の中学・高校だとブラック校則自体が無かった記憶

・焦点:きょう東証再編、新区分に移行 市場では冷めた声も(ロイター)
→ ひっそりと東証一部が終焉を迎えていたのだが,全く話題にならなかった。実質的な看板の架替であるから市場が反応しないのはわかるのだが,むしろ一般社会が無反応だったのは少し意外であった。おそらくまだ東証一部が現役だと思っている人も多そうで,そのうち昭和生まれいじりのネタになるだろう。東証一部・二部制は1961年の開始らしいので,約61年稼働していたことになる。さすがに歴史がある。


・「下着の色を指定しない」に1年…「校則改革」のコスパが悪すぎる(内田 良)(現代ビジネスFrau)
→ 確かにブラック校則を生徒が自主的に声を上げて改廃させたという話は美談として扱ってしまいがちであるが,言われてみると,そんなことに多くの教師や生徒の時間を費やさせるのはコスパが悪すぎる。「生徒も教師も多大な時間を費やしたうえで、きわめて限定的な小さい自由が認められる。絶望的に不自由な世界のようにも見える。しかもそれが、「生徒主体の見直し」と美談化される。」という指摘が重い。まあ,やっている生徒は案外楽しんでいたりするものではあるが……


・「これが法治国家なのか」 戻らない命、不当逮捕された社長は問う(朝日新聞)
・一点の曇りもないと黙秘をし、身柄拘束され続けた331日間(CALL4)
→ 全然知らなかったが,結構衝撃的な事件。警察・検察は権威のために間違いを認めずに行き着くところまで突っぱねてしまう傾向があり,かつそれを封じ込めるために無理やり自白をとってしまうことが過去には多かったが,そうした傾向が白日の下にさらされてきた近年ではもう守るべき権威はとっくの昔に失墜してしまっているように思う。一昔前と違って今時,日本の司法が無謬であると思っている人はほとんど全くいないだろう。これも含めて,我々が信じてきた古き良き日本の美点だと思っていた部分は,実のところ虚飾だったのだなと思わされることが多い。ともあれ,この事件を主導した検事は,皮肉にもその無謬への信仰ゆえに検察内部の論理で処分され,出世の道が閉ざされるのだろう。
→ こういう事件は途中経過までが大きく報道されて最終的な結末がわからなくなってしまうことが多いので,国家賠償請求訴訟の結果がどうなったのかも大きく報道されてほしい。


・オスマン帝国は「偉大な祖先」か「恥ずべき歴史」か? トルコを二分する歴史認識問題(小笠原弘幸 | 記事 | 新潮社 Foresight)
→ オスマン帝国の扱いについては特に驚きは無いが,ムスタファ・ケマルの扱いはちょっと驚いた。建国の父が建国直後の政策方針ゆえに批判されるという点で想起するのは,やはりインドのガンディーとネルーだろう。独立や建国が困難であったからこそ彼らは神話になってしまっている。建国当時から現在の国民の意志や状況が変わっていれば,冷静に国民がそう認識して議論できれば問題ないのだが,その神話が現在の政治とつながってしまっているから,簡単ではない。ケマルに比べるとガンディーやネルーの方がまだしも神話から解放されているのかもしれないが,現在のヒンドゥー・ナショナリズムの危うさを見ていると,これはこれで健全ではないように思われる。日本でいうとまだ戦前のような「歴史段階」だと言われてしまえばまあそうかもしれないのだが……。  
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2022年11月15日

ニコ動・YouTubeの動画紹介 2022.6月中旬〜2022.7月中旬



たいたぬさんによる散歩動画。SeirenVoiceの結月ゆかりを使っているが,自然に聞こえる。




上は珍しい男声のボカロの神調声。下は同じ調声で夏色花梨と小春六花に歌わせたもの。調声晒しは普通に人間が歌う時の参考にもなるのでありがたい。



mobiusPのモーションキャプチャーシリーズ。今回もモーションアクター&振り付けがすごい。



インパクトの強いネタ曲。楽しい。




しばづけ氏。上半期20選選出。人力の名作。これもイルミネに歌ってほしい曲。これが伸びてないのはもったいなさすぎるのでもっと視聴されてほしい。



ふくろお氏。下半期20選選出。アイマスでうどんと言えばこの人。こんなにわけがわからないしずしほは初めてだ……w





さすがは山田五郎氏,とても良いカスパー・ダーヴィト・フリードリヒとドイツロマン主義の説明。



自分は普通にケネス・クラーク起源のフェラーラ公会議を示唆している説で習った。話がまとまらないのを揶揄してる説だったと思う。



文化庁長官裁定の延べ60日ルールは知っていた。やっぱりより文化庁に近い人でも思うところはあるのだな。



前も紹介したけど,やっぱりこの子は上手い。  
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2022年11月13日

ワクチン(モデルナ製)接種4回目の記録

3回目はこちら。今回もTwitterで3時間おきに経過報告をしていたので,まとめておく。2・3回目との比較のため,今回もモデルナにした。結果は以下の通り。


----------------------------------初日(火曜日)-----------------------------------
9時間後(21時):3回目までは毎回15時に打っていたが,今回は正午であった。このため前回までは副反応が出る前に退勤していたところ,今回は勤務中にもう副反応が出始め,腕が痛くて少し困っていた。退勤後に概ね3回目と同じセット,ポカリスエット2L・ハム・ベーコン等のタンパク質を買って帰宅。解熱剤と冷えピタは前回の残りを使用。帰宅時点で36.6度,夕飯を食べて同時に解熱剤を摂取。


12時間経過(24時):熱は36.9度。先行して飲んでおいたイブプロフェンが効いているらしく,体温の急激な上昇は感じない。ただし腕は二度目並に痛く,倦怠感も出始めた。先が大変思いやられる。


----------------------------------二日目(水曜日)-----------------------------------
21時間経過(9時):37.2度。体温計を疑う程度には体調が悪い。しかし,過去の記録を見ると21時間後では大体同じようなことを書いていたので,毎回らしい。記録とはとっておくものだ。ほぼ熱だけ測って二度寝。仕事は当然休み。

24時間経過(12時):37.4度。どうにも眠くなくなって起床。あと腕が激痛で寝ていられないというのも少しあった。しかし,腕を除くと起きがけよりは体調が良く,すでに普通に活動ができそうな感じもしたが,念のためだらだらして過ごすことにした。買ってきたタンパク質を摂取し,解熱剤を投与。

27時間経過(15時):36.9度。24〜27時間頃で比較すると,過去で最も体調が良い。過去のこの時間帯で言うと,2回目は何もする気が起きなくて寝ているだけ,3回目はアニメとTwitterは消化していたが能動的な活動は不可能だったのに対し,今回は普通にブログを書いたり,仕事のメールをさばいたりしていたし,外出もできた。

33時間経過(21時):37.2度。活動しすぎてぶり返したか,引き続き過去の同時間帯よりも体調が良いものの,完全に回復したとも言いがたい程度には倦怠感がある。夕飯時に念のためのイブプロフェンを摂取。夜中は週末に登山の予定を入れる打ち合わせを友人たちとしていた。

約36時間経過(24時):36.9度。所感はほぼ3時間前と同じ。頭は元気,体はわずかにだるく,腕はまだまだ痛い。しかし,腕も痛くて眠れそうにないという段階は完全に過ぎた。


----------------------------------三日目(木曜日・文化の日)-----------------------------------
約48時間経過(12時):36.6度。ほぼ平熱。倦怠感もなく,腕の痛み以外は完治。むしろ腕だけずっと治らない。

4回めのワクチン接種



【完走した感想】
まとめると,4回目の摂取は2・3回目よりも副反応がかなり軽かった。1回目よりはちょっと重いくらい。発熱は最高でも37.4度で,2・3回目は38.5度まで上がったのと比べるとかなり低い。倦怠感は出たが,27時間後の時点から収まり始めたので早かった。腕だけは3回目よりも痛かったが,3回目にはあったリンパ節の腫れがなかった。今回はイブプロフェンの効きが良かったのか,今回こそタンパク質摂取作戦が効いているのか,4回目は治まるのが早いのか,理由は不明瞭である。今回は私の周りでも接種が進んでおらず,私がかなり早い部類だったために3回目並に出るという情報と比較的軽いという情報が両方とも出回っていた。ワクチン接種の際に医師に直接聞いてみたものの「まあ3回目くらいなんじゃないの」というあやふやな回答で,医師も含めてよくわかっていない感じはした。

今回早めに回復して気づいたことに,2・3回目の時の二日間寝込んでまだ回復していない絶望感というのは大きかったということがあり,今回の三日目の朝は爽快であった。やはり丸2日つぶれるか,1日しかつぶれないかは違うし,朝起きて倦怠感が重いと気力を振り絞るのが難しくなる。これくらいの副反応で終わるなら5ヶ月後に5回目を打ってもいいかなと思うが,第9波が来ているかどうかにもよるかな。  
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2022年11月04日

2022夏:香川・徳島旅行記

7月頃に香川・徳島に旅行に行っていたが,その報告を書いていなかった。しかも登山を伴わなかったためにTwitterにも書き残していなかったので(そういえば同行者も誰もつぶやいていなかった),簡潔にここにまとめておきたい。

最初に行ったのが屋島。今年の大河ドラマで登場したということと,招待してくれた香川県在住の友人がまだ行ったことがなかったからという理由で選定された。屋島は以前は名前の通りの島であったが,江戸時代に埋め立てられて四国の一部となったとのこと。そういうわけで陸路で行ける。電車とバスを乗り継いでまず到着したのが屋島寺。四国お遍路の八十四番目の札所である。

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正直に言って特に期待はしていなかったのだが,宝物館が意外と豪華であった。有料だが入った方がよい。西日本は適当なお寺に入ると,盛っていない文化財が出てくるから卑怯だ。これが関東だと「その由来本当? 文化財指定されてないじゃん」というものが多いので……。その後は歩いて屋島の山頂付近を散策した。お天気はあいにくの小雨模様であったので眺望は悪かったが,なんとか古戦場跡の一部は見えた。

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屋島は標高こそ300mくらいしかないが,讃岐平野があまりにも低平すぎ,島であるから海に囲まれているため見通しは抜群である。だからこそ平家はここに陣を構えていたということは悪天候でも察せられた。にもかかわらず源氏方は海側からしか来ないという予断があって麓の海側に陣を布いていた平家方も平家方ながら,「干潮なら馬で渡れるはず」と踏んで陸側から奇襲した義経も義経である。そうして古戦場を眺めながら歩いてたどり着いたのが屋嶋城である。

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屋嶋城は白村江の戦いの後に築かれたいわゆる「古代山城(朝鮮式山城)」の一つで,保存状態が非常に良い。しかし,発見が遅すぎた。通常の高校日本史で朝鮮式山城として習うのは大野城や基肄城であって,史書には記録があっても史跡として発掘が進んだのが21世紀に入ってからの屋嶋城はそのラインナップに入れなかった。つまり,「ここはテストに出ない」。入試問題として出たら『絶対に解けない受験日本史』に載ってしまう可能性がある(一応,浜島の資料集には屋嶋城も載っているのを確認した)。それでも香川県としては貴重な史跡であり,観光資源としてアピールしていく考えがあるようで,復元された石垣はよく整備されていた。往時を思わせるには十分である。屋島観光後は少し時間が余ったので約13年ぶりに栗林公園に行った。ところで「どうだ明るくなったろう」の絵を描いた画家である和田邦坊が香川県出身で,そのグッズが栗林公園で売られていた。面白いので香川県はもっと宣伝した方がいい。お夕飯を食べて,ビジネスホテル泊となった。お夕飯で鱧が異常に安い値段で出てきて驚いた。実は二日目の夜でも鱧が出てきたのだが,香川県は鱧が名産なのだろうか。そう思って調べてみたら,生産量トップは兵庫県でそのほとんどは淡路島,2位が大分で3位が徳島とのこと。香川県は1位と3位に挟まれている。


二日目は朝一で高松城(玉藻城)へ。ここも二度目といえば二度目なのだが,約13年前に来た時は素通りに近かったのに対し,今回はガイドのお爺さんに連れられてみっちりと観光した。ガイドさんの案内があったということもあるが,そもそも約13年前よりもよく整備されたように思う。約13年前はまだ「うどん県」とか言い出す前だから,まだ観光に目が向いていなかったのだろう。現在はさらなる整備を目指しているが,予算不足で進まないことをガイドさんが嘆いていた。

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高松城は海に面した城で,堀を満たしているのが海水という点が特徴的である。それゆえに公園内は潮の匂いが濃く,堀で泳いでいるのは鯉ではなく鯛で,「鯉の餌やり」ならぬ「鯛の餌やり」が名物となっている。遺構のいくつかは重要文化財指定されているが,大半が破却されているのが惜しい。城を離れた後は隣の県立博物館へ。香川県の歴史がよく説明されていたのと,空海への愛が強かったことが印象に残った。四国が誇る大スターなので仕方がない。昼飯は私のたっての希望で讃岐うどんとなった。というのも一昨年に四国剣山に登った時には讃岐うどんを食べそこねた(正確に言えば丸亀うどんは食べた)からである。Googlemapで適当に調べてそこそこ評価が高い店に入ったが,コシの強いちゃんとした讃岐うどんが食べられて良かった。ところで,そのお店の「讃岐うどん えん家」は店先に店主が描いたアニメキャラが展示してあって,それがなかなか上手くて良かった。待っている客を飽きさせないように描き始めたのが由来だそうだ。

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二日目の午後は五色台へ。五色台は名前の通り紅ノ峰・黄ノ峰・青峰・黒峰・白峰山という5つの峰を抱える山塊で,縄文時代に石器として用いられたことで有名なサヌカイトはこの五色台が産地であった。サヌカイトは五色台や奈良の二上山から産出されて広く流通し,縄文時代にも大規模な交易が存在していたことを示している。しかし,サヌカイトは観光資源と見なされていないためか,現在では全く宣伝されておらず,五色台の観光資源はもっぱら森と眺望である。かく言う我々も目的の一つは眺望であった。

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言うだけのことはあって瀬戸内海が美しい。奥に見えるのは瀬戸大橋か。さて,五色台に行ったもう一つの目的が,四国お遍路の八十一番目の札所,白峯寺である。白峯寺は保元の乱に敗れて讃岐流罪となり,現地で亡くなった崇徳上皇を祀った御陵がある寺院である。日本最大の怨霊の一人がどう祀られているか,参拝しに行こうという話になったのであった。白峯寺から少し離れた場所にあって10分少々ながらアップダウンの続く山道を歩く。白峯寺内に遥拝所もあったので,足に自信がない人はそちらで参拝を済ませるとよいだろう。

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行ってみるとまずまず立派であった。過去に行った藤原道長の墓と比べると大事に祀られている。これならば祟られることもあるまい。なお,白峯寺自体もかなり立派な寺院で,本堂等は重要文化財であった。さすがは四国,このレベルの寺院がゴロゴロしている。そうして御陵とお寺に参拝した後は一気に徳島に移動。この日は珍しくも予約しておいた和食のお店に行ったが,またしても鱧が登場した。場所が徳島であるので香川よりは納得できるものの,こうもぽんぽんと鱧が出てくると京都で食べてもありがたみがなくなる。鱧を食べるなら京都よりも四国かもしれない。

起床しての三日目は大塚国際美術館。ここも約13年ぶりの再訪だが,前回は半分くらいしか見られなかったので,良いリベンジの機会であった。今回はやや駆け足ながら完全踏破に成功したので満足である。一方で,そのために同行者たちに再三「そのペースで見ていたら丸2日要るで」と言って急かしてしまった感もある。まあ,物足りなかったら後は個別で2回目に行ってほしい。それでも感動はしてもらえたようで,「これからは登山の時にもっとポカリとカロリーメイト持っていくわ」と言ってもらえたのは嬉しかった。最後に約13年前に行ったときに撮り忘れた重要な絵画と,約13年前に行った時にはまだ存在していなかったものを貼っておこう。

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そうして三日目も終わり,あとは一路鳴門大橋から四国を脱出して東へ東へ向かい,なんとか日付が変わる前に東京にたどり着いた。いろいろと約13年前の忘れ物を取りに行った感がある旅行であったが,その意味で再訪したいと思っている高知と宇和島を取り逃している。四国は(今度は太平洋側を目的に)もう一度くらい上陸したいところ。  
Posted by dg_law at 23:27Comments(0)

2022年11月03日

だから美術品は来歴が重要なのだよね

・焦点:ウクライナ侵攻による正教会の混乱、孤立するロシア総主教
→ ロシア正教会がコンスタンディヌーポリ総主教庁と断交したことは以前に取り上げているが,その時にジョークで「世界史があまり得意でない高校生にありがちな勘違いに「ロシア正教とギリシア正教は別物」というものがあるが,まさかのそれに信憑性が生まれる可能性が……?」等と書いていたが,組織上は本当に分裂しそう。3年半前にこれを書いた時点では,こんなことが起きようとは思っていなかった。ロシア正教会は以前からウクライナ正教会を承認した他の正教会との断交を進めていたが,今回の戦争支持を巡ってさらに他の正教会との亀裂を深めている。ロシア正教会にプーチン政権と距離をとる選択肢があったのか無かったのかは知らないが,結果的に現状は蜜月関係となっていて,王権神授説を支えるカトリック教会とでも言うような時代錯誤な状況を呈している。とすると教義もミクロなレベルでは,政治とのかかわりという面で差異が生じていくのではないか。
→ 一応はロシア正教会系列の自治正教会で,コンスタンディヌーポリ総主教庁との断交時には特にどうじていなかった日本正教会はどうしているかというと,当初はこういう感じの当たり障りのない声明を出していた。その19日後の3月末に改めてロシア正教会側に和解に尽力すべしと主張する声明を出していた。完全には独立していない正教会組織としてはこの辺が限界なのかもしれないということは理解するが,もっと非難めいた文言でも良かったであろうという気も。


・ロシアがウクライナ住民数万人をシベリアなどへ強制移送か 「収容所」で選別…ソ連時代の抑圧再現?(東京新聞)
→ 今回の戦争は本当に前時代的なものが多くて嫌になってしまう。これをやってしまったら当然,領土が奪還できても住民の送還まで対立が終わらないわけで,休戦はあっても終戦は全く見えなくなってしまった。ちゃんとしたロシア・ウクライナの和解はプーチン政権がクーデタなりで倒れての政権交代まで無いのではないか。


・権力者が毒殺を防ぐために銀食器を使ったのは本当か(最終防衛ライン3)
→ これは確かに,以前から「銀で黒くならない毒は防げないのに意味があるのか」と思っていたやつだったので,調べてくれた人がいて嬉しい。毒見のための銀食器ということ自体,普遍性が無くここまで俗説に近いような話だったとは。筆者自身が書いている通り,これ以上調べるならもう学者の仕事になってしまうし,本が1冊書けそう。最近始まった科博の毒展で,この辺が取り上げられてたりはしないだろうか。


・「仏像2体が行方不明に」創建1300年の古寺から重要文化財が消えた…ドロ沼の盗難事件に“空前絶後のスキャンダル”(文春オンライン)
→ 概ね想像通りの展開だった。空前絶後のスキャンダルという程のものでもあるまいが,程のものでもないから困りものである。重要文化財の扱いに抜け道が多すぎるし,末寺の住職の権限も大きすぎて統制がとれていない。記事中でも触れられているが,日本全国でこういうことは起きていそう。
→ 文春の記事中では名前が伏せられている,最終的な仏像の取得者である美術館は熱海山口美術館で,ホームページを見ると堂々と載せている上に「所蔵していた寺によると、僧行基が諸国行脚に際し、滋賀県甲賀市大岡山の山頂に自彫の十一面千手観音(本像)を安置したとされる。」と解説している。まあ熱海山口美術館としては正規に購入しているので悪びれなければいけない筋は無いとでも思っているのだろうが,そもそも来歴の怪しい美術品は買わないのが収集家の矜持であるはずで,そうでないと盗品や贋作をつかまされることにもなってしまい,コレクション全体が疑われかねない。そういうことまで考えて買ったようには思えない。  
Posted by dg_law at 17:11Comments(0)