2023年02月27日

ニコ動・YouTubeの動画紹介 2022.11月中旬〜2023.1月上旬



ゲームが反則と判定しない(実際にやったらレッドカードになる)プレーだけで味方を勝たせるTAS。あまりの明確な反則のスルーっぷりに爆笑してしまった。後半開始早々が一番ひどいw。




ドラクエ8縛りプレーの傑作。RTAでもTASでもない純粋なタイムアタック。教会によってセーブ可,つまりプレー区間を区切りつつ膨大な試行回数を重ねる人力TASで,ゲーム中時間の最速記録を目指す。他のドラクエシリーズでも(分単位のプレー時間が記録されるハードでなら)割と応用が効きそうなレギュレーションだから,RTAに代わって流行してほしいところ。ところで,この動画作者の方が弊ブログの世界史企画の読者だったので驚いた(Twitterでつぶやかれていたので気づいた)。




最新のSynthesizer VのMAIを使った動画。これ以前の時点ですでに自然すぎて差がわからないが,ともあれすごいのは確か。



来るべき曲が来た。



選曲と作品名だけでもう勝ってる。



これも選曲がすばらしい。当然のように歌詞が合う。




下半期20選選出。実に伯方さんらしいボイス実装祝福。




プロ七段とアマ名人の高度な遊び。1秒将棋は将棋ではないフィジカルスポーツであった。


この次の一手問題シリーズはめちゃくちゃ面白いが,この回は傑作中の傑作。そしてまさかこの動画の18日後にこんなことが起ころうとは。しかもこの事件の時に中村太地七段は隣の席だったという。その中村七段も順位戦で同じことをやりそうになったと動画中で語っていただけに,余計に衝撃が大きい。  

Posted by dg_law at 12:00Comments(0)

2023年02月25日

登山記録14(蓼科山)

No.35 蓼科山
〔標高〕2,530m
〔標高差〕約620m
〔百名山認定〕百名山
〔ヤマノススメ〕15巻
〔県のグレーディング〕2B
〔私的な難易度と感想〕2C
標高2,500m超のほぼ単独峰ながら七合目まで自動車道が通っているため,総歩行時間が4時間〜4時間半くらいで登れてしまう,比較的手軽な百名山。北側と南側の2つの登山道があり,コースタイムに大差は無いものの,スタート地点の標高で比べると北側は1905m,南側は1723mであるから獲得標高差はちょっと差がある。それでコースタイムにあまり差が無いということは南側の方がさくさく登れる道ということかもしれない。眺望はどちらのルートも良いようで,我々は北側から登ったが,女神湖が終始綺麗に見え,山頂が近くなると白樺湖や美ヶ原まで見通せる。我々が登った時は紅葉の時期であって,眼下に広がる紅色は見ごたえがあった。南側から登った場合は八ヶ岳が綺麗に見えるようなので,こちらの方が希少かもしれない。いずれにせよ山頂の眺望は素晴らしく,それこそ八ヶ岳も見えるし浅間山も見えた。やはりここまで2時間しかかからないというのは他の百名山と比べた時のアドバンテージである。眺望でなくとも,火山なのに立派な樹林帯を持っていて良い樹林歩きになり,森林限界を超える山頂付近になると一転して巨大な軽石しかない荒涼とした岩石地帯に切り替わる。ちょうど男体山が近いか。

また,北側の方が日陰になりやすく,夏場は良さそうだが,秋は積雪が早いので注意が必要。我々は11月頭に登ったがすでに完全に積雪していて,お守りで持っていった軽アイゼンを装着する羽目になった。難易度はそうでなくとも割と高く,県のグレーディングではBになっているから油断していたら,斜度がかなり急で途中からはずっと岩場と鎖場が続く。これは南側だともう少し楽だったのかはちょっと気になっている。少なくとも北側ルートの難易度はCレベルでBではない。



なお,この下山後には時間が微妙に余ったので白樺湖まで行って温泉に入り,北欧料理のガムラスタンという店に行ったが,ここが大変に美味であった。以下のTwitterに書いた通りではあるが,店主に「ラーションが飾ってありますけど、お好きなんですか?」と尋ねたところ,スウェーデン現地まで行っていたガチ勢で,店に飾ってある皿などを見ながらしばし談笑してしまった。私もラーションは好きなので,店主に同好の士との会話を提供できていたなら嬉しい。



また,このガムラスタンを探している間に中ッ原縄文公園を訪れていた。ここは貴重な土偶「仮面の女神」が発掘された場所で,それを記念して4本の御柱を建てちゃう辺りに茅野市民(というよりも諏訪文化圏の人々)に根付いた精神性を感じる。小さな公園にいきなり巨大な柱が4本建っているのだから異様である。おそらく税金で普通に建てようとしても理屈が立たずに通らなかったのであろう,「縄文時代からこの地の人々は御柱を建てていた可能性がある」と取ってつけたような学術的根拠が説明されていたのでさらに笑ってしまった。また,このGooglemap上の中ッ原縄文公園のクチコミによると,御柱を建てる際にテンションの上がりすぎた茅野市長が柱に登ってしまい,お付きの方に怒られていたというエピソードもあるらしい。周辺の話も含めて最高に面白いコンテンツなので,近くを通られたらぜひ立ち寄ってほしい。さらにその後,茅野駅で特急待ちをしている間に,茅野駅での工事中に何の変哲もないただの丸い大石が発掘されたので,ありがたがって飾ってしまったという大石が展示されていたのでこれも見に行った。この茅野市の姿勢,大好きだ。



最後に一応触れておくと,『ヤマノススメ』では15巻に登場する。あおいたちもやはり岩場の量に驚いていた。また強風に煽られていたが,私が登った時はそうでもなく。また,あおいたちは山頂が曇っていて眺望がゼロ,「自然相手だからこういうこともある」と言って下山する珍しい回であった。珍しいながらも,やはり眺望が描かれないと印象に残りにくく,東京の自宅に戻ってから「あれ,そういえば一応聖地巡礼で行ったんだよな?」と再確認する程度には作中での印象が薄い。蓼科山がかわいそうなのでもう一度登ってほしい気も。  
Posted by dg_law at 01:08Comments(0)

2023年02月15日

2022年12月-2023年1月に行った美術館・博物館(智積院展,ボタニカル・アート,江戸絵画の華第1部)

サントリー美術館の智積院展。智積院は真言宗智山派の総本山で,元は和歌山県の根来寺内に建てられていた。その後,江戸時代の初期に京都市内の現在の位置に移転した。その移転先は元々,豊臣秀吉が夭折した鶴松の菩提寺として創建していた寺であり,秀吉は長谷川等伯の工房に障壁画を依頼していた。そのため智積院が長谷川派の障壁画も引き継ぐことになり,現在まで伝えている。この経緯は知らなかったので,智積院が長谷川等伯を抜擢したものと思っていたから少し驚いた。今回の目玉展示もその「楓図」「桜図」である。
 では,智積院は「楓図」「桜図」以外に何を持っているの? と思われた方も多かろうが,実際に障壁画以外は真言宗の他の名刹でも持っていそうなものが展示されていた。もちろん貴重は貴重なのだが,なにせ真言宗も名刹が多いので,美術館で企画展をずっと見ていると物珍しくもないという贅沢な感想になってしまう。実際に文化財指定があるものは国宝の障壁画を除くとあまり多くなかった。実質的な創建が16世紀末という古刹としては新しい部類に入るのも不利に働いているかもしれない。鎌倉時代の掛け軸もあったので,根来寺時代からの伝世品もあるにはありそう。肝心の「楓図」「桜図」はさすがに見応えがあったが,けっこう退色していて修復が必要な段階かもしれない。


SOMPO美術館のボタニカル・アート展。正式な企画展名は「おいしいボタニカル・アート 食を彩る植物のものがたり」で,イギリスのキューガーデンに保管されている食用植物のボタニカル・アートの展示である。SOMPO美術館は動画を用意してくれるので紹介が早くて助かる。

見に行った感想としては,果物は描き起こしてみるとけっこうまずそうに見えるというのが私的な発見で,産毛や種を強調されると意外と食欲が失せるのだなというのは新鮮な感覚だった。実物だとそこまで引かない気がするので絵画限定の現象かもしれない。また,研究のための記録が主眼で人出も必要だった事情であろう,けっこうインド現地の(現地生まれの白人かおそらくはインド人の)画家たちの作品がけっこう多く,本展はその観点で見ても楽しめるかもしれない。あとは植物の模様を用いたミントンやロイヤルクラウンダービー等のティーセットや食器,当時のレシピの展示もあり,美味しい食材を調理して良い食器で,ということで企画展の筋が通っていたように思う。


出光美術館の「江戸絵画の華」第1部。COVID-19の流行で延期に延期を重ねていたプライス・コレクションのお披露目会である。あまりに優品が多いので1回では展示しきれず,展示期間を分けての二部制になってしまった。これがまあ伊藤若冲以外もすごい。満を持して公開できるまで時機を待っただけのことはあった。誰がいたとかそういうことは横においておくとしても単純に優品が多く,さすがの目利きである。一方で,動物の描き方で比較すると,やはり伊藤若冲が一歩飛び抜けて細かく優美である。
 でまあこの展覧会といえば触れざるをえないのが「鳥獣花木図屏風」の真贋論争である。以下のサイト等が詳細に述べていて詳しい。
・プライスコレクション 伊藤若冲『鳥獣花木図屏風』真贋論争まとめ(artistian)
・【ポップさに包まれた狂気】若冲のモザイク屏風(升目描き)を語ろう(note,ちいさな美術館の学芸員)
佐藤康宏氏の授業を直接受けていた身としてはそちらの肩を持ちたくなるが,残念ながら私に真贋を判断するような目と知識は無い。本展覧会では完全に伊藤若冲の真作として扱っている。プライス・コレクションとして譲られた以上,プライス夫妻の主張を丸呑みにせざるを得ず,出光美術館としても当然真作と信じて購入したのであるから,展覧会として論争を伏せるのは仕方がないところである。しかし,この論争はすでにあまりにも有名であるので,鑑賞者には自分なりの決着をつけるべく作品を凝視しに行った人も少なくなかろう。かく言う私もそれなりに混んでいる中,言われてみるとまあ確かに形態が歪んでいるような……等と能力に見合わない思考をしながらじっくりと眺めてしまった。ということで見終わった直後の感想ツイートも歯切れが悪いものになってしまった。

適当にググってみると,展覧会の感想をブログに書いているような人たちはやはり論争を気にしていて自分なりの真贋を論じている様子が出てきてけっこう面白い。これはやはり学術上の決着は専門家に任せて,思考と感情の整理のために本作と向き合うのが市井の美術好きの取るべき態度なのだろう。ともあれ,「鳥獣花木図屏風」を除いても面白かったので第二部にも期待したい。  
Posted by dg_law at 12:00Comments(0)

2023年02月14日

文京ふるさと歴史館に行ってきた

吉田博《植物園の睡蓮》文京ふるさと歴史館。そういえば近所なのに行ったことがなかったなと思い。文京区の歴史資料館。入館料は100円。年間数千人程度の入場者数らしいので,明らかに採算度返しである。倍とっても入場者が減らないと思うが……1・2階が常設展で地下1階が企画展になっている。文京区は「弥生時代」の語源になった弥生地区が含まれているように古代は出土品が多く,狭いスペースの割には弥生土器を中心に展示が充実している。一方,中世はほとんど資料が残っておらず,常設展でもほぼすっ飛ばされていた。資料が残っていないというよりも,発掘しても生活の痕跡がほとんど見当たらないそうで,本郷台地も白山・小石川も,何らかの理由でそもそも人があまり住んでいなかったのではないかと疑われているらしい。これはこれで興味深い。

近世に入ると江戸幕府が成立したため,一気に建築物が増加し,現在の本郷には中山道と日光道中が通り,加賀藩の藩邸が建てられて栄えた。文京区民には有名な言葉「本郷もかねやすまでは江戸のうち」は実際には特に根拠がなく(大岡忠相がかねやすよりも内側は火事対策で土蔵造りとすることを命じたためという説は胡散臭い),語感が良すぎて広まったのではないかという話は面白かった。実際には現在の本郷三丁目よりも奥も建物が並んでいて江戸と見なされていたらしい。そもそも加賀藩邸がかねやすよりも奥なのだから,それはそうである。19世紀初頭の朱引では,文京区は全域がはっきりと江戸の内側であった。なお,江戸時代のかねやすは歯医者・歯磨き粉売りであったそうで,近代のどこかの時期に雑貨屋となり,それが2017年頃に閉店したため,現在はかねやすという店舗が存在していない。

明治時代以降は東京(帝国)大学ができて一気に文教地区になっていく。さすがに居住した文学者・知識人が多く,出版社も激増し,今度はそうした紹介が増える。一応,どこの資料館にもありそうな近代の庶民の暮らしの様子を紹介した展示もあった。ついでに私が行った時の地下1階の企画展は小石川植物園の歴史であったので,まとめて東大のキャンパスの歴史を学べた。全然知らなかったのだが,小石川植物園の元は徳川綱吉が上野館林の藩主時代に住んでいた御殿が原初で,この時に掘削された堀が概ね現在の植物園の枠組みになっている。建てたのは加賀藩のお手伝い普請であると推測されているが,裏付けになる史料が見つかっていない。この仮説が正しければ運命的である。なお,文京区としては護国寺・湯島聖堂を建て居住歴もあることから綱吉は大恩ある人物らしい。その護国寺を建てる際,大塚にあった薬草園を,廃墟と化していた御殿跡に移し,さらに吉宗がこれを大幅に拡充して小石川養生所が成立した。明治維新後に東京帝国大学の付属機関となり,以降は知られている通りである。面白かったのはジョサイア・コンドルが小石川植物園を好んでいて,彼が残した写真が多く展示されていた。また,版画家の吉田博が東京の名所を描くシリーズ「東京拾弐題」で,文京区の代表に小石川植物園を選んでおり,これが今回の展示の目玉であった。これがよくできた絵で,今回の企画展のフライヤーやポスターに使われており,実際にそれを見て私も行こうと思った。素晴らしい選択である。  
Posted by dg_law at 12:00Comments(0)

2023年02月12日

高校世界史における「古代」と「中世」の切れ目はいつか

久々の高校世界史深掘りシリーズ。時代の区分はそれを定めた人の歴史観が現れるところであり,好きに定めてくれればよいし,便宜的なものだから不要なら決めてくれなくていいものである。とはいえ設定してくれた方が教育や議論の上で便利なのは,高校世界史でも同じである。教育指導要領では,中世と近世の切れ目と,近世と近代の切れ目が定められている。中世と近世の切れ目は,東アジアは明の成立(1368年),東南アジアは15世紀,南アジア(インド)はムガル帝国の成立(1526年),西アジアと中央アジアはティムール朝とオスマン帝国の成立(1370年・1300年頃),ヨーロッパは15世紀(象徴的な年号で言えば1453年だがバラ戦争は中世で扱う)である。一見すると法則性が無いように見えるが,どの地域もモンゴル帝国の解体と大航海時代(大交易時代)の始まりの影響という共通点があり,異論が出にくい切り方だろう。近世と近代の切れ目は,欧米が産業革命とアメリカ独立で,その他の地域はいずれも「西洋の衝撃」が始まった時期であるから,こちらもわかりやすく異論はまず出ない。
 これに対して,古代と中世の切れ目は教育指導要領が定めていない。結果的に,実は教科書ごとに切れ目に多様性があり,教科書執筆者の歴史観がよく現れる部分になっている。また,南アジアや東南アジアのように切れ目がわかりにくい(設定の必要が薄いとも言える)地域は,教育指導要領に従って中世という時代区分を設定していない教科書もある。これはこれで面白い現象だろう。以下,各教科書の定める切れ目を見ていく。検討するのはいつもの5冊である。なお,山川『用語集』と『詳説世界史研究』は,山川『詳説世界史』に完全に沿っているので今回は検証の意味がない。色分けは多数派意見を赤字に,珍しい意見を青色・緑色にした。


【ヨーロッパ&地中海】
・山川『詳説世界史』:476年(375年)
・山川『新世界史』:476年

・東京書籍:476年/610年頃
・実教出版:476年(375年)
・帝国書院:476年(375年)

 オーソドックスなのは476年(375年)である。古代史の章ではゲルマン人の大移動は存在と西ローマ帝国の滅亡の要因の一つであることだけを教えて,各ゲルマン系民族の定住地は中世初期で扱っている。ゲルマン人の大移動はその後のフランク王国の伸長にかかわるので,古代史の中で定住先まで扱うと,読者が理解しづらくなってしまう。教育上の措置としてこうした切り分けになっていると思われる。その結果,375〜476年の100年間が宙に浮いてしまうが,これがどちらに入るかというのは些末な議論であり無意味だろう。
 山川の『新世界史』はほぼ同じであるが,ゲルマン人の大移動を全て古代に入れて,この100年間が宙に浮く現象を避けている。山川『新世界史』は時代区分論に明確な意識があり,教科書の本文で古代・中世・近世・近代・現代を定義し,それに沿った章立てをとっている唯一の教科書である。このため,杓子定規な切り方になったのだろう。東京書籍も西欧については同様の処理をしている。
 さて東京書籍は,ユスティニアヌス帝時代のビザンツ帝国を古代史に入れている。ピレンヌ=テーゼに則って古代地中海世界の解体が中世の始まりであると考えるなら東京書籍の主張は正しく,この構成はイスラーム教の勃興という大事件を読者に印象づけやすい。またビザンツ帝国史だけで考えてもユスティニアヌス帝とヘラクレイオス1世の間の変貌も捉えやすいから利点はある。弱点は前述の通り,古代史の範疇でゲルマン人の大移動を扱い,間に他地域の古代史を挟むため,中世ヨーロッパ史の冒頭で読者が「西ゴート王国ってなんだっけ???」になりがちであること。また西欧との進度の差が130年くらい開くので何となく気持ち悪い。


【中東】
・全教科書:610年頃
 610年頃はイスラーム教の成立した時期である。高校世界史はイスラーム教勃興をもって中東の中世の始まりと見なしていて,これは異論が存在しない。ここまで綺麗に一致している切れ目は他にない。また,この章を中世全体の冒頭に置いている教科書が多く,世界史全体としてもイスラーム教の勃興が中世の幕開けというのが共通見解とさえ言えそうだ。


【東アジア】
・山川『詳説世界史』:960年(907年)
・山川『新世界史』:220年
・東京書籍:907年
・実教出版:907年

・帝国書院:220年? 907年? 1276年?
 907年は唐の滅亡年である。つまり多くの教科書は唐の滅亡をもって古代が終焉したと見なしていて,これには私も異論が無い。しかし,その中で山川『詳説世界史』だけが五代十国を古代史に入れている。にもかかわらず契丹を中世東アジアの冒頭に入れているので,後晋の名前は古代史で登場するのに燕雲十六州は中世史で出てくるという不思議なことが起きてしまう。理由は学術的・教育的観点から考えても思いつかず,ひょっとして単純な紙幅の都合ではないかと疑っている。
 『新世界史』は異端児で,東アジアでは後漢末までが古代ということは宮崎市定説をとっているのかなと思われた読者もいるかもしれないが,実は宋・元まで中世に入れているのでそういうわけでもない。これは『新世界史』が古代を「文明の揺籃から古代帝国」の時代,中世は混乱と遊牧民の活動による「人びとの大規模移動」の時代と定義しているためである。とすると後漢末の群雄割拠から元末までを中世でくくるのは斬新ながら理に適っている。ただ,この構成だと中国史の中世が長くなりすぎ,他の時代と比較した際のバランスは悪い。
 どっちつかずなのが帝国書院で,この教科書は東アジアにおける古代・中世の切れ目を明確にしておらず,後漢末〜南宋をどちらに入れているのかが不明瞭になっている。他の地域は割と明瞭に区切っているので,意図的にこの期間を宙に浮かせているのかもしれない。1276年まで引っ張っているとするとこれは豪快な構成で,中国の中世は100年にも満たない元朝のみということになる。


【中央アジア(中央ユーラシア)】
・山川『詳説世界史』:840年
・山川『新世界史』:220年
・東京書籍:1038年
・実教出版:840年
・帝国書院:840年

 マジョリティの840年はウイグル帝国の滅亡であり,これを契機にトルコ系の西走が本格化する。同時期にはちょうど西からイスラーム教の浸透が始まっており,確かにトルコ化とイスラーム化をもって中央アジアの中世とするのがわかりやすい(トルコ化もイスラーム化も数百年かかった現象であり,それらの進行自体が中央アジアの中世と言える)。また840年というと唐の末期であり,唐の衰退・滅亡は朝鮮半島やベトナムの王朝交代,日本の遣唐使停止といったように他地域に強く影響を及ぼした。ウイグル帝国の滅亡もその先駆けと捉えると,隣接地域との関連性も見えやすい。
 山川『新世界史』は東アジアと完全に同期させていて,理由も東アジアに書いた通りである。他の教科書よりも隔絶して早いが,理由がわかれば違和感はない。
 東京書籍はなんとセルジューク朝の成立まで古代を引っ張っている。これは極めて特徴的な構成で,イスラーム教の勃興を古代史に入れない原則の数少ない例外である。この構成は完全に謎で,メリットも思いつかない。


【南アジア(インド)】
・山川『詳説世界史』:不明瞭,章立て上は10〜11世紀頃まで
・山川『新世界史』:550年頃(グプタ朝の滅亡)
・東京書籍:不明瞭,章立て上は10〜11世紀頃まで
・実教出版:不明瞭,章立て上は10〜11世紀頃まで
・帝国書院:不明瞭,章立て上は10〜11世紀頃まで

 まず,南アジアの古代・中世とはというところから書かなければならないだろう。学術領域では意外とちゃんと共通見解があるようで,グプタ朝の滅亡(550年頃)またはヴァルダナ朝の滅亡(647年)をもって中世に入るとするのが一般的なようだ。たとえば,最近出た『岩波講座 世界歴史 04 南アジアと東南アジア 〜15世紀』も,やはりヴァルダナ朝滅亡をもって中世と見なしている(p.22等)。私の意見もこれと一致する。ヴァルダナ朝滅亡後に,北インドは群雄割拠のラージプート時代に入る。グプタ朝末期の頃から遊牧民の侵入があって,土地を媒介にした政治・社会制度が生まれて小領主が乱立し,商工業や貨幣経済が衰退しているから,いろいろと他地域の中世に近い。中世の後半からイスラーム系王朝の進出が始まり,ムガル帝国の成立をもって近世に入る。南インドはやや事情が異なるものの,同時期から海上交易の相手がムスリム商人に変わっていくことをもって,同時期を区切りとしてよいだろう。
 そこからすると,多くの高校世界史の教科書がとっている10〜11世紀頃は不自然な切れ目のように見える。しかし,これは実際に本文を読んでみると謎が解ける。実は各教科書とも,グプタ朝滅亡またはヴァルダナ朝滅亡をもって時代が大きく変わったことを明確に記述している。だが,そこで章を区切っていないのだ。では古代の章に中世の説明を入れ込んでしまっているのはなぜか。その理由も読んでみると明白で,高校世界史上の中世のインド史はイスラーム教の進出というトピック以外はほとんど説明すべきことがなく,独立した章立てをする分量がない。ラージプート時代・バクティ運動・チョーラ朝の名前を出してほぼ終わりである。こうした事情から中世のインド史を二分割し,ヒンドゥー教・仏教の話題は古代南アジア史の章で消化,イスラーム教の進出は中世の中東の章に記述するという苦肉の策をとっているのではないだろうか。結果的に,中世の南アジア史で独立した章を置いている教科書は『新世界史』しかない。


【東南アジア】
・山川『詳説世界史』:不明瞭,章立て上は13〜14世紀頃まで
・山川『新世界史』:6世紀
・東京書籍:9世紀
・実教出版:9世紀

・帝国書院:不明瞭,章立て上は13〜14世紀頃まで
 東南アジアも南アジアと同様に,教科書上の切れ目が不明瞭である。しかし南アジアと違うのは,そもそも古代と中世の区分にあまり意味が無く,不要と言ってもいいことだろう。入試問題でも「中世の東南アジア」というような言い回しはめったに見ない。さらに言えば,大陸部と島嶼部で時代の大きな変わり目,画期が異なるので,東南アジアという単位で切れ目を作るのが難しいという事情もありそうだ。明確な切れ目がないということは,逆に言えばそこに教科書執筆者の歴史観が現れやすいということで,細かく見ていくとなかなか面白い。
 専門家の見解はどうだろうと探してみると,たとえば2021年に出た岩波新書『東南アジア史10講』は第2講の章題を「中世国家の展開 10〜14世紀」としている(目次を参照のこと)。とすると古代史は9世紀までということになるが,これは東京書籍と実教出版が同じ見解である。確かに9世紀と10世紀は島嶼部の覇者シュリーヴィジャヤとシャイレンドラ朝が衰退し,三仏斉とクディリ朝が成立する。海上交易でも中国の民間商人が来航するようになって朝貢貿易と並立するようになるという大きな変化がある。大陸部は9世紀までの範囲だとまだほとんど語ることがなく,実質的な語りはアンコール朝・李朝・パガン朝が出そろう10世紀からと踏ん切りをつけやすい。
 山川『詳説世界史』と帝国書院の13〜14世紀は,島嶼部のイスラーム化が始まる頃で,ここでもイスラーム教の勃興・浸透がその地域の中世の始まりという思想が貫徹している。しかし,この切り方は弊害も大きい。上述の通り東南アジアの近世は15世紀から始まるから,中世はほぼ存在しないということになってしまう。実際に山川『詳説世界史』を読むと,マラッカ王国の改宗が中世の中東の章で一瞬だけ出てきて終わる。南アジア史と同様,当然東南アジアの独立した章立ては無い。
 『新世界史』の6世紀は,7世紀のマラッカ海峡の開通をもって中世に入ったと見なしているためである。『新世界史』は東アジアの切れ目を220年とかなり早く置いているので,それに合わせて早めに切りたかったという背景もありそうだ。結果として扶南とチャンパーしか登場する王朝がなく,1ページ未満という極めて小さな節で終わっているが,潔さはある。


【まとめと感想】
 メジャーな構成をとっているのは山川『詳説世界史』と実教出版と帝国書院だが,『詳説世界史』と帝国書院は東アジア史をなんとかしてほしい。また両教科書とも東南アジア史の引っ張りすぎがちょっと気になる。実教出版の教科書はこれらの欠点も無く,よくまとまっている。
 山川『新世界史』は時代区分に最も強い意識がある分,意識が強すぎて特殊性が高い区切り方になった。しかし,理解できる理屈をちゃんと立てている点と,南アジアをきっちりとグプタ朝の滅亡で区切った点は評価したい。
 東京書籍はビザンツ帝国の置き方が特徴的で,実はルネサンスを中世末に置いている唯一の教科書でもある。執筆者によほどヨーロッパ史の時代区分にこだわりがある人がいそう。しかし,イスラーム教を古代史で扱わないという禁を破ってまで中央アジアを11世紀まで引っ張っているのがあまりにも不可解である。  
Posted by dg_law at 12:00Comments(0)

2023年02月08日

メロブは好きだけど独占市場は不健全なので歓迎しない,くらいの立場

・とらのあな店舗閉店に関して
→ このニュースの通り,とらのあなは8/31にほとんどの実店舗を閉じてしまった。通販とFantiaと女性向けに注力するという経営戦略であるから自然な流れではあり,直後にねとらぼが良い取材記事を出していた。
・とらのあな「ほぼ全店閉店」衝撃発表の理由とは? 店舗事業撤退の裏側を聞いてみた(ねとらぼ)
→ ともあれ,とらのあな本店とソフマップ本店はオタク街としての秋葉原電気街の象徴のようなものであったから,それが無くなるというインパクトは大きい。ソフマップの方も随分前にビッグカメラに変わってしまった。
→ 個人的なことを言うと,コミケに行かなくなったので通販のお世話になっていたが,通販は自宅で受け取るのが面倒なのでもっぱら店舗受け取りを活用していたため,実店舗がなくなった結果としてとらのあなとの縁は切れてしまった。メロンブックスは店の側で売れ線の同人誌をきっちりと選別して品揃えを整えていたのに対し,とらのあなは店舗面積にもよるが良くも悪くも雑多に陳列していた印象で,消費者としては使い分けをすると便利だった。もっとも,最近は割とメロブ専売にしているサークルも目立つので,ジャンルによっては担当者がちゃんと読んでなさそうなことを見抜かれているのかもしれない。この辺,女性向けの評判はどうなのだろうと思ったら,やはりあまり評判が良くないという旨のはてブコメを見かけた。
→ Fantiaとなると今度はpixivfanboxがライバルになるが,機能面ではどちらも大差無いように見える。そもそもまだまだブルーオーシャンで成長産業だろうから,腕の良いイラストレーター・漫画家の取り合いが始まるのはまだ先になりそう(大体の人は両方開いている印象もある)。


・ペット画像の無断転載アカの目当てはカネ 「動物・癒しbot」「もふもふ動画」は即座にフォロー解除、ブロックを(まいどなニュース)
→ これはTwitterで猫画像を眺めている人なら気づいているところで,そのせいで流れてきた猫画像に疑いをかける手間が発生し,安易に楽しめないしRTを躊躇してしまう。Twitterはこういうものの取締にやる気がないのか脆弱なのか,イーロン・マスクの買収前後で特に変わらず野放しである。報告しようにも該当するものがないので,Twitterはそもそも無断転載を罰する気がない節さえある。なお,記事中に出てくる「動物・癒しbot」は今見たらTwitter Blueになっていた。そりゃ買うだろうが,やるせなさがある。


・大相撲裏金問題が終決 〜貴乃花びいきメディアの罪科(VictorySportsNews)
→ 言われてみると,その訴訟に関連するニュースをほとんど目にしなかったここ数年間だった。私も主要メディアをちゃんと全部読んでいるわけではないので見落としているとは思うが,それでも相撲に関するニュースはぼちぼち追っているから,不自然なほど報道されていなかったという実感がある。貴乃花に関連するニュースは大きく報道されていた一方で(悪い面も相当に報道されていたからマスコミが必ずしも貴乃花びいきだったかは疑問である),その黒幕となると,一般の好角家は興味がないと判断したか,それともマスコミ自身に不都合があったか。いずれにせよ好角家をなめた話だ。
→ 印象が変わったのは八角理事長で,それが相撲協会内のパワーゲームの産物であったにせよ,北の湖理事長やその黒幕,貴乃花が残していった旧態依然とした裏金飛び交う協会をきっちりと粛正していた。脳震盪対策の不十分やよくブレる立ち合いの成立基準等でどうかと思う施策もあるし,八角理事長自身がクリーンに運営しているという保証も無いが,これだけ大きな暗部を処理した手腕はひとまず評価してよいだろうと思う。  
Posted by dg_law at 12:00Comments(2)

2023年02月07日

この記事は8・9月頃に書いておくべきだったかなと思わないでもなく

・「政治に関心持たず生きていける国は良い国です」自民・麻生太郎氏(朝日新聞)
→ この記事への反応として鼓腹撃壌を挙げている人は多かった。かく言う私もぱっとそれを想起した。当の麻生氏自身も当然鼓腹撃壌を引いての発言だろうし,これが儒教国家の理想像であるから,議論もその俎上で行われるべきであり,一定数以上の国民が麻生氏の意図通りにこれを想起したのは正しい反応である。やはりこういう故事成語を漢文で教えるに越したことはないと思う。
→ それはそれとして,国民主権の国民国家は国民が政治に関心を持って参加することを良しとする体制であるから,国民国家の理念と鼓腹撃壌は全く相容れない。大衆が安全保障まで含めたあらゆる政治的・社会的事柄に知識と関心を持つのは不可能であるから(私だって関心の無い多く事柄はある),理念は理念にすぎないにせよ,国民国家は富国強兵との相性がよくて広く採用されていったのがここ二百年ほどの人類史であった。鼓腹撃壌は人類社会の理想形の一つではあろうが,本邦が国民国家であることとの矛盾を麻生氏は説明すべきであった。まあ,麻生氏から見ると55年体制以降の日本は歴とした国民国家ではないということなのかもしれないが。


・安倍元首相死亡 容疑者宅から手製の銃数丁を押収 警察【速報】(NHK)
→ この事件が起きた時に私はちょうど四国旅行中で,同行者一行と信じられないことが起きてしまったと話していたことを覚えている。首相経験者の暗殺は二・二六事件以来であるが,これをもって日本の治安が戦前並に不安定になってしまったとするのは乱暴な主張であろう。むしろ政情不安というわけでもないのに元首相がかくのごとく暗殺されてしまったことに本事件の不思議さがある。
→ 次第に暗殺にかかわる事情が明らかになって驚いた。(旧称)統一教会と自民党とのつながりは当然一般常識として知っていたが,正直に言って思っていたよりも深く自民党に食い込んでいた。カルトの触手は手広い。実際には自民党にとっては数多い支持・協力団体の一つに過ぎないであろうから,これから関係を薄くしていくことになるだろうが(本当にどの程度薄くなるのか疑う人も多そう),であるからこそ,このような事件が起きるよりも前に粛正できなかったのかという疑念はある。カルト性に目をつむってまで支持を得るだけの価値が統一教会にあったのかを検証できなかったのか。自民党という組織が巨大すぎて,支持団体が多すぎて,誰もどうにも動けなかったという側面もありそうだ。
→ ところで偶然にも↑に麻生氏の国民は政治(安全保障)に無関心で良いという主旨の発言の報道を張っているが,自民党自身が社会騒擾を引き起こす原因になろうとは皮肉なものだ。ただし意図は無くて,この時期の政治ニュースで関心があったものを並べたら偶然この並びになったということを念のため付記しておきたい。  
Posted by dg_law at 12:00Comments(0)

2023年02月06日

ニコ動・YouTubeの動画紹介 2022.10月下旬〜2022.11月中旬



傑作バカゲー。あまりのバカさ加減に見終わった直後に買ってしまった。強くなってサボテン破壊しまくるの爽快感ある。




カイロソフトのよくわからないシミュレーションゲームの一つだが,これは割りと面白そう。



人力でサブフレームリセットすごいなと思ったら,それ以上にチャートがすごかった。




ぼざろは久々にMADが多いアニメだった。本作は結束バンドの面々の言動がよくまとまった紹介になっていて,YouTubeにあるリメイク版もあわせて楽しみたい。



kick backは合うよね。お見事。



水星の魔女のMAD。鬱陶しい歌とお化け連れてきちゃったよで爆笑した。



まさかこっから更に不憫になるとは思わんやろ……




う!氏。一年前の周防桃子生誕祭動画のリメイク。



う!氏。下半期20選選出。プラリネの次に花の塔が選ばれたのは嬉しい。周防桃子(というか渡部恵子)の声がよく映える。




これは夢の将棋。自由に組んで最強を目指すと同じような初形になるようだ。しかし,それでも細かい差異が勝負を分けたのが面白い。  
Posted by dg_law at 12:00Comments(0)

2023年02月04日

「どこまでこの街?」,皆もやろう

ちょっと短いけど偶然にも同じような話題が固まったのでここで区切った。

・浅間山に新登山道計画。群馬側ルートが2025年開通予定(ヤマケイオンラインニュース)
→ 浅間山は浅間山荘から登ったことがあり,鬼押出し園も行ったことがあるのだが(その旅行記をブログに書いていないことに気づいた),鬼押出し園はなかなか良い観光地であった。かつての溶岩とは逆流するように,あちら側から登るのも面白そうである。浅間山荘や車坂峠から登ると他の山が壁になっているので,風景がどんどん変わっていく楽しさがある一方,前掛山付近まで行かないと前掛山も浅間山も見えない。群馬県側から登ると逆にずっと前掛山と浅間山を見上げながら登る形になるであろうか。


・奥渋谷、奥浅草、奥神楽坂、奥池袋。奥はどこにあるのか。(デイリーポータルZ)
→ ライターの方に同意で,街と街の間のどちらとも言えないような地域のブランド付としてちょうどよく,「知る人ぞ知る」「隠れた名所」的な雰囲気を作り出すのに「奥」という語が活用されだしたということなのだろう。現象としては面白い。この中だと納得できるのは奥浅草で,メインの観光名所からすると確かに奥である。残りはちょっとよくわからない。渋谷・神楽坂はライターの推測の通り,坂の上だから本来の奥の意味と重ねればまだ理解できるが,奥池袋はあまりにも奥の字によりかかりすぎではないか。
→ なお,本記事中に出ている「どこまでこの街?」は非常に面白いサイトで,一時期はまって私も投稿していた。個人的には力作なんだけども,PVから言って本ブログ読者にはあまり受けなかった模様。
・街と街の隙間・切れ目(nix in desertis)


・夏の温泉旅行で優勝したい人へ。温泉オタクが“推しぬる湯”の素晴らしさをご案内(KINTOマガジン)
→ 大変同意できる記事。温泉とは真水ではない水を肌で体験するものであるので,熱さはそこまで求めていない。別に熱くてもいいし,熱さが面白い温泉もあるが,長時間浸かるのであればやはりぬるい方が楽しめるのである。この点で言って,冬にぬる湯は寒いが,夏なら気にせずずっと浸かっていられるというのは正しい指摘。全国の鉱泉,冬場は話が別としても,夏場は無理に加温しなくていい風潮が広がってほしい。  
Posted by dg_law at 22:23Comments(0)