2023年08月16日

ニコ動・YouTubeの動画紹介 2023.7月上旬〜2023.7月下旬




Papers, Please自体も赤いやんけ,というツッコミから入る実況動画タイトルだが,実際にこのゲームの国情はひどい。最初はPapers, Pleaseライクの検問官を担当するゲームとして始まるが,途中から反乱軍との戦闘要素が入ってきて,明らかに検問官ではない職務が増えていく。ゲームのエンディングは国家の側に立って反乱軍を鎮圧するものか,反乱軍に寝返るものの2種類あるらしいが,実況者たるもの偽悪者ぶりたいらしく,前者のルートをたどる実況の方が多く,後者をめったに見ない。




橋としての無茶苦茶さは2とそれほど変わらなかった印象。



夏と言えばこの曲。


無月めもりさん,歌が上手いので聞いてあげて。オカルト・会談Vtuberの彼女らしい選曲。


藤井竜王名人がリラックスしていて良いラジオ。武富礼衣女流初段の司会が上手い。


ホモサピくんがまた変なものを作って食っている。


硫酸にいろいろなものを漬けてみる実験集。結果に予想はつくが見た目のインパクトが強くて面白い。  

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2023年08月14日

2023年7月に行った美術館・博物館(ガウディ展,古代メキシコ文明展)

近美のガウディ展。前回の展覧会の感想のマティス展でも書いたが,19世紀末の芸術家は修業時代が面白く,ガウディもやはりいろいろなものに触れて広く勉強している。歴史主義建築が流行った時代であるから過去の建築の勉強をみっちりしておくのには意味があり,特にスペインであればムデハル建築に触れられるのは強みであった。その中でガウディが関心を持ったのはゴシック建築らしく,ガウディの建築業のベースはネオ・ゴシック建築になっていったようだ。と同時に発想が理系よりと言えばいいのか,幾何学模様にも関心が強く,これが合わさって「両端を固定した紐を吊り下げて放物線上の形の建築物を構想する」パラボラ・アーチという奇抜な発想に至ったのだろう。その流れがよくわかる展示になっていた。

それがわかったところで展示の後半はガウディの超大作,サグラダ・ファミリアに焦点が当たる。このサグラダ・ファミリアも最初はガウディ以外の設計者がネオ・ゴシック建築として構想したところから始まり,ガウディ自身もネオ・ゴシック建築として引き継いだはずであった。しかし,ガウディがそれで終わる人物ではなく,すぐに魔改造が始まる。この流れはガウディ自身がネオ・ゴシック建築から離陸して独自の作風を築いた流れと重なっていて,この観点でもサグラダ・ファミリアはガウディの代表作と言って差し支えないのだろうと気付き,展示の配置が絶妙である。言われてみるとサグラダ・ファミリアは骨組みやゴテゴテした外装にネオ・ゴシック建築の面影があり,それがわかるのが本展覧会の効果だろう。手っ取り早いところで下のTweetに貼った画像を参照してほしい。

ガウディ自身が「サグラダ・ファミリアの建設はゆっくりとしている。なぜなら,この作品の主人(神)が急がないからだ。」と述べている通り,建築の長期化は明らかであったが,ガウディは交通事故で不慮の死を遂げた。その後も彼が残した資料を元に建設が進んだが,元のコンセプトが「寄付金で建てる」であったところにスペイン内戦とフランコの独裁政権があり,寄付金が集まらず,しかもスペイン内戦の戦火でガウディの資料が燃えるという最悪の事件もあって,建設は神でも苛立ちそうなほど遅々として進まなくなった。20世紀末以降に急速に建設が進んでいるのは技術革新と観光地として開花して寄付金が急増したためである。展示の最後にあった寄付金のグラフも面白かったので,ぜひ確認してきてほしい。会期は長く,9/10まで。




東博の古代メキシコ文明展。高校世界史でも学習する通り,古代メキシコ文明は紀元前10世紀頃のオルメカ文明から始まり,メキシコ高原のテオティワカン文明,ユカタン半島のマヤ文明,最後にメキシコ高原に戻ってアステカ王国と続く。本展はオルメカ文明はさらっと触れるのみであったが,その他の3つは展示物が多く,珍しいものを見ることができた。展示の順は成立した時代順に沿ってテオティワカン→マヤ→アステカであったが,地理的に異なるため文化が少し異なるマヤ文明が挟まれて差異が強調される形になっていた。

改めて見るにテオティワカン文明は血生臭すぎる。トウモロコシで人が生えてくるから人が安く,マヤと比べても技術発展の方向性が偏った感じはした。少しずれるがメソポタミアに対するエジプトが比較的近い対比かもしれない。これに比べるとマヤは文字があって装飾品も繊細優美で,しっかりとした都市文明だなという印象になる。これだけいろいろと発展したのに鉄器も車輪も釉薬も無いのは不思議に思えてしまうが,それは旧大陸目線かもしれない。最後のアステカ王国はメソアメリカ文明の集大成になるが,地理的に当然ながらマヤよりはテオティワカンの影響の方が強そうに見えた。

今回の展示で気づいたのは釉薬が無いことの特異さである。鉄器や車輪が無い,文字もマヤ文字以外は無いか絵文字の段階というのは有名だし私も知っていたが,釉薬も無いというのは意外であった。3つの文明に共通して建築・彫刻・土器の成型技術が非常に高く,それぞれ同時代の旧大陸の文明と比べても遜色がない。にもかかわらず,である。鉄器が無いのも合わせると炉に関心が無かったのだろうか。インターネットで簡単に調べただけだと有力な情報は出てこなかったので,詳しい専門書を読まないとわからないのかもしれない。それにしても,土器だという認識で展示物を見ると,よくもまあ割れやすい土器でこれほどの造形を驚かされる。これを知ってしまうと縄文土器は世界史スケールでそこまで特異ではないのかもしれないと思わされた。と同時に,釉薬が鉄器や車輪ほど強調されない理由も気になった。釉薬が無いという言い方だと伝わりにくいかもしれないが,要するに陶器が無いというのは文明の比較として大きいと思うのだが,どうか。


  
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2023年08月12日

2023年6月に行った美術館・博物館(ブルターニュ展2つ,マティス展)

SOMPO美術館のブルターニュ展。偶然か作為かはわからないが(事情を知っている人がいればコメント欄でご教示いただけるとありがたい),2023年の6月に西美とSOMPO美術館でブルターニュ展がかぶった。ブルターニュはフランスの辺境で独自の文化を維持した地域であり,近代になって鉄道が通ると観光地として人気を博すことになった。そこには都会化し,過度に洗練化されたパリとは異なる,粗野で素朴で敬虔な人々と,波高く険しい断崖に代表される荒々しい風景が都会に疲れた人々を出迎えてくれるのであった……という説明だけで気づく人は気づくところで,数々の絵画を鑑賞して感じたのは,どう考えてもこれは身近なオリエンタリズムである。しかも距離が近すぎるがゆえに当事者たちが気づきにくいたぐいの。とするとそこを批評するのが展覧会の役目なのではないかと思うのだが,どちらの企画展もその方向性での批評性は高かったとは言いがたい。SOMPO美術館の方はブルターニュのカンペール美術館から借りてきた作品がほとんどであるから忖度が働いたのかもしれない。一応,SOMPO美術館は画家たちの注目がブルターニュ人の粗野なイメージに集まった点をクローズアップした展示になっていて,その方向性でゴーガンやポン=タヴァン派が登場する構成になっていた。ゴーガンだからこそ説得力がある。

これに比べると西美のブルターニュ展はまだ薄っすらとしたオリエンタリズム批判が見えていたように思われる。パリジャン目線のブルターニュを「国内的異郷」と表し,ミュシャのポスターや当時の観光案内等も展示し,またブルターニュの先にタヒチや日本があることはより明示的であった。また黒田清輝や藤田嗣治などブルターニュに赴いた日本人画家の作品を展示していた点は西美らしく,彼らの作品は特徴のないフランスの一地方を描いたものにすぎなかった。実際にはブルターニュの先に日本はないということを暗示した仕掛けなのかもしれない。これが深読みでないなら良い仕掛けである。しかしながら,やはり西美ならばもっと学術的な展示にできただろうと思う。

なお,旧称Twitterで検索すると,自分と同じ気付きを得た人はいないわけではないという程度に少数であった。私としては気にする方が過敏すぎるとは思われないものの,ブルターニュ展を聞いて心惹かれて美術館に行く層で,かつそれをTwitterに書く人となると,オリエンタリズムに関心がある人はそれほど重なっていないということなのかもしれない。それにしても少なく,正直に言えばやや残念である。ブログまで拡張すると東京藝術大学お嬢様部の人が全く同じ感想を書いていた。「もしドイツや英米の美術館が「日本美術における東北展」をやったら、描かれる対象についてだけではなく、東京に対する権力勾配や見られるものとしての東北など、かなり政治的な部分まで確実に踏み込むでしょう。」という指摘はお見事。




都美術館のマティス展。言わずと知れたフォーヴィスムの大家。19世紀末・20世紀初頭頃の画家の個展で面白いのは,新ジャンルを切り開く以前,すなわち画家たちの修業時代の作品である。彼らは概ね写実主義(自然主義)辺りから印象派・ポスト印象派と単線的な美術史の発展をたどるのだが,マティスも例外ではなく,ポスト印象派から次第に個性を出してフォーヴィスムに向かっていく。これがもう少し後の時代のデュシャンやモンドリアンになると,学習過程が少し伸びてフォーヴィスムやキュビスムに一度かぶれてから自己流になっていく。それにしてもマティスの場合は思っていたよりも強くポスト印象派にかぶれていて,もろに点描だったりセザンヌだったりする作品が多かったのが面白かった。同時にセザンヌからフォーヴィスムに変わっていく過程も見て取れたのも本展の収穫であった。回顧展の面目躍如である。

下に貼った旧称tweetにも書いたが,自分としてはこの辺が勉強ではなく楽しみとして鑑賞できる限界ラインであるところ,マティス自身が「極限まで要素を削ぎ落として,どこまで絵として成立するか」を攻めて成立したのがフォーヴィスムらしく,図らずもマティスと感覚が近いのかもしれない。ただ,最近は自分もいろいろと見て理解度が上がってきたのか,歳を取って寛容性が上がってきただけなのか,確かにこれを極限と思わずに一歩踏み出すとキュビスムやモンドリアンになるわけで,守備範囲が広がってそこくらいまでは許容できるようになってきた自分もいるな……というような自己の振り返りになった点でも,このマティス展はなかなか思い出深いものになった。

一方でマティス自身も本当にフォーヴィスムが絵画の極限かという自問自答があったようで,大家となっても晩年に至るまでキュビスムを取り入れたりセザンヌに戻ってみたりとマイナーチェンジが忙しく,それを追っていくのは勉強になる以上に単純に面白かった。画家の様式を細かく追えるという点でも回顧展らしい回顧展だったと言えよう。会期は8/20まで。

  
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2023年08月08日

自分もYAMAPがなければ何度か遭難していると思う

・「私は10日遭難した きっかけは道標だった」(NHK)
・相次ぐ山岳遭難 「道標」で道を間違えるケースも 奈良(NHK奈良県のニュース)
・奈良・弥山 遭難事故の記録|小さな火、絶やさなかった10日間(YAMAP MAGAZINE)
→ 3記事合わせて読みたい。NHKの方に
>自己責任が原則の登山において、道標は遭難の言い訳にはならないと前置きしたうえで、今回の遭難はこの道標がきっかけになったと指摘します。
 とあるが,そうは言っても自治体の設置した看板の誘導ミスはさすがに例外だと思う。地方自治体によって程度に大きな差があるものの,けっこうな頻度で間違っていて,その都度YAMAPや山と高原地図と比較する羽目になるのは勘弁してほしい(私が今までで一番ひどいと思ったのは関八州見晴台)。自己責任の範囲を超えている。この遭難についても,地図をなくしていたり,スマホの地図アプリを入れていなかったりという過失はあるものの,道標の間違いが第一の原因と言っていい。だからこそ,他の自治体につながる道だからという理由で誤りがあると言いうるような道標を作り,責任逃れのコメントを出している五條市はひどい。無い方がマシな道標で,五條市に登山客を誘導するために人命を軽視していると言われても仕方がない。NHK奈良県のニュースの動画を見ると,YAMAPのデータによって他の登山者も散々この道標に迷わされていることがわかる。現在では正しい道も書き加えられているとのこと。
→ YAMAPの方の記事を読むとより詳細な状況が語られている。久々の登山で登山靴のソールが剥がれてしまったこと,迷ったら登るの鉄則に反して沢筋に下ってしまったことの二点が遭難を悪化させた原因だろう。一方でベテランなだけあって遭難時の対応は適切だった。食料が当初の予定が一泊二日だったにしては多かったこと,サバイバルシートを持っていたこと,焚き火を起こしたこと,飲み水を確保しやすいところに避難できたこと,コンパスを持っていっていたこと等は生還要因で,示唆に富む遭難記録である。


・東北の男性と結婚した外国人女性たちの経験。「不可視化」の理由と託された言葉の数々。#移住女性の声を聴く(ニッポン複雑紀行)
→ 全然知らない話だった。00年代まであったとのことなので,かなり最近の話である。記事の最初の方を読んだだけでも失敗するケースが多いように思われる政策だが,上手くいった事例もそれなりにあって「一概には言えない」らしく,私にも偏見があったかもしれない。上手くいったところはちゃんと嫁側に丁寧に説明をして,来てもらう側の家庭も両親含めて納得して……という感じなのだろうか。確かに困っている人の事例ばかりを喧伝されるのも上手くいっている人たちが困ってしまうし,それでは誰も幸せにならない。
→ 記事中にも「日本と出身国の経済的な差がどんどん縮まっていく時期でもありました。」とあって,これが10年代になると東北への結婚移住が減った東北大震災と並ぶ二つの理由として挙げられていた。私が00年代まで結婚移住が存在していたことに驚いた理由がまさにこれで,00年代だとまだ韓国や中国から日本が魅力的に見えていたのだろう。日本に住んでいると00年代と10年代にそんなに違いがあったかと思ってしまうが,その頃に経済成長が著しかった中国や韓国から見た際には相対的な地位の変化が大きいのかもしれない。


・「近代五種」 馬術を除外し障害物レース採用 IOCに変更提案へ(NHK)
→ SASUKEを長らく見ているので,近代五種にSASUKEを参考にした障害物レースが採用されるかもしれず,IOCから欧州版Ninja Warrior(SASUKEの海外版の名称)が調査を受けたという話はけっこう前から知っていた。それでも本当に採用されたのは驚いた。なお,SASUKEのYouTubeチャンネルがそのテスト大会を取材している。これを見るとSASUKEよりはやや易しいがよく似ていて,最後が「反り立つ壁」である。SASUKEよりはやや易しいせいか,フランス版Ninja Warriorの選手が爆速で優勝していて笑った。
  
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2023年08月06日

マーク・ロスコも天地逆で気づけない作品が多そう

・巨匠モンドリアンの抽象画が75年以上にわたって逆さに展示されていたことが判明(GIGAZINE)
→ 所蔵している美術館の学芸員が気になって調べてみたところで発覚したらしい。モンドリアンの作品なら75年以上天地がひっくり返っていても誰も気づかなかったのは不思議ではない。どちらかというと,現代アートの作品は,作中の微細な仕掛けが作者の意図したものなのかの読解が非常に難しいということを再認識させられた事件だったのではないかと思う。本件について言えば,まず間違いなく,本作について「下部に線が密集していることで画中の安定感が……」というような解説をしてしまった専門家や美術ファンが何人もいたと思われる。間違いに気づいた学芸員の「正しい向きや間違った向きなんてものはないのかもしれません」というコメントは現代アートの面白さを示すと同時に,私の嫌いな現代アートのいい加減さも詰まっている。


・見分けが不可能な偽サイトがGoogle検索最上位に堂々と表示されてしまう、「i」をURLに含む全てのサイトが信用できなくなる極悪手法(GIGAZINE)
→ GIGAZINEのページ内にリンクが張られているえきねっとの詐欺もすごかったが,これもすごい。回避不可能ではないか。Google検索にせよYouTube広告にせよ詐欺や胡乱な広告が多すぎるのだが,審査が緩すぎるのか何なのか。ネット広告は代理店同士のつながりが複雑化していて責任の所在がロンダリングされているという話は昔から聞くが,Google検索くらいはGoogleが最終的な責任を持ってほしい。野放しすればGoogle広告の信頼性を毀損し,アドブロックを入れる正当性が高まるだけだと思うのだが,まだ胡乱な広告を放置するメリットの方が上回っている状況なのだろうか。


・「そのエコ、本当ですか?」企業に正面から聞いてみると……(NHK)
→ 良い報道だと思う。材料から石油を排したり材料を再利用可能なものにすれば環境に良いかというと輸送や洗浄・再生があるからそうでもないだろう……というのは薄々わかっていつつも指摘は難しい。私を含めて大衆は環境保全自体よりも,「グリーンウォッシュ」をしているだけなのに自分たちの方が倫理的に正しいという態度をとられる詐欺的な状況や,「やっている感」のために不便を強いられていることに苛立っていると思われる。だからこそ,こういう検証は有効だろう。


・南ア最大民族ズールーの王、正式即位 盛大な式典開催(AFP)
→ アフリカではたまに見る国家を持たない王族。ズールーは人口が約1,000万人とさすがに規模が大きい。それだけに即位は一筋縄ではいかなかったようで,関連記事を読むと継承権争いが起きており,即位直後に新王の顧問が殺されている。2021年3月に先代王が亡くなり,3番目の妻にして隣国エスワティニの国王の姉であった人物が摂政に就いた。しかし翌4月に摂政も急死,その際に遺言で自らの長男ミスズールーを次代の王に指名。これに他の異母兄弟が反発している中で2022年8月に即位,10月末に即位式となったようだ。聞けば聞くほど揉める要素しかない……  
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