2005年05月08日

向日葵は無かったけど

Gogh
今日は国立近代美術館にゴッホ展を見に行ってきた。最終日と知っていれば昨日行ったのだが、しかたあるまい。超混んでいた。一人で見ようと思っていたのだが、暇つぶしにメールを送った友人の一人からいっしょに見ようと返信が来たので、二人で見た。

ゴッホには極端な二面性があるように思う。生と死の二面性だ。「宗教とは生死にかかわる信仰一般のことである」とうちの教授は言っていたが、牧師になろうとして挫折したゴッホである。当然のテーマ設定と言えるかもしれない。

昼に描かれた絵は極端に明るい。生を象徴している。黄色の小麦畑が南フランスの大地に広がっている。今回は無かったが、向日葵は言うまでもなく太陽、そして生の象徴であることは言うまでもない。夜に描かれた絵は極端に暗い。死を象徴している。黒々とした糸杉がそびえ立ち、夜闇は青く、ゴッホ独特のタッチでどんよりとしている。黄色と青が補色関係であることも見逃せない。

今日いっしょに見た友人は昼のイメージのほうが強いらしいが、自分は夜のイメージ、すなわち死のイメージのほうが強い。それはやはり、上の「糸杉と星の見える道」の影響が強いのだろう。自分はこの絵がとても好きだ。
糸杉が中央に立ち、三日月と星も寂しげに輝いている。死の持つ、恐怖と平穏が入り混じったような印象を、強く受けるのだ。


そんな感じでゴッホ展を見てきたので、とても満足した。やっぱり生の絵はいい。与える印象が強い。また美術館に行こうと思う。次は西洋美術館のラトゥール展を考えている。

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