2005年07月08日

書評『東大教授の通信簿』石浦章一著,平凡社新書

著者自身も教官である。自分もこの教官の講義は受けたことあるが、説明うまいし、人柄もいい人である。ちょっと怒りっぽいけど。内容は、まずなぜ東京大学にだけまだ教養学部が残っているかというと、学部改革が進んだからだとして具体的に説明している。その改革の一つで、生徒による教官の評価を行っている。生徒の実態をつかむとともに、自らの欠点を発見して今後の講義に生かすためである。

この本がおもしろいのは、その全校生徒による教官評価のデータが統計されて掲載されている、ということだ。それも学科別に。こうしてみると、理系の惨々たる状況が見えてくる。彼らの悲痛な叫びの一部に耳を傾けてみると…物理教官について「声が小さい」、化学教官「専門用語で話されても…僕らこの間まで高校生でしたよ?自分で調べる範疇を超えています」、生物教官「生物未履修の子もいたわってあげてください(理二)」等々。これに加えて、そう大して得意でもない言語に、第二外国語が入ってくるのである。

文系がいかに恵まれているかよくわかる。そりゃ外国語は大変だけど、必修が圧倒的に少ない。何より実験が無い。その他、このデータを元にどの学科が閉塞的か、とか一般的な学生の講義の好みとかが数字になって見えてくる。石浦教官の皮肉の入った筆も手伝って、けっこうおもしろい。これからも東京大学教養学部は改革を続けていく。理系の二外は2年まで必修だったものを1年だけにするそうだし、文系の準必修を増やし、もっと知識を増やす講義ではなく「研究方法」そのものを身につけるような準必修に変えていくそうだ。自分もそのほうがいいと思う。

トップを崩さないためには、それ相応の努力が必要……そう語りかけているかのような一冊である。

東大教授の通信簿―「授業評価」から見えてきた東京大学