2005年07月19日

虚構とは何か?

現代日本、いや現代世界ほとんどの国家は民主主義である(一応)。では、民主主義の根幹の考えは誰か作ったものか。それはロックである。ではロックはなぜ民主主義国家でないと良くないと考えたのか。それは人間は自然状態ではうまく生きられないからと、彼が考えたからだ。では、ここで考えたい。自然状態とは現実にあったか?いやあるはずがない。ロックの仮定なのだから。ロック自身もそれは認めている。つまり自然状態とは虚構である。その仮定に立脚するロックの思想全体が虚構であり、すなわち現代の政治体制は虚構である。一例でロックを出しただけで、マルクスでもウェーバーでもケインズでも何でもいい。誰にせよ、政治理論は虚構を元に作られている。

では経済は?もっと言わずもがな、といった様相を呈することは考えるまでもない。「神の見えざる手」とは何か?そんなものが現実に存在すると思うか?市場均衡は人間に感情が存在せず、国家や税金という概念が無いなど、限りなく理想的な世界でしかありえない。

文化なんて本当にいうまでも無い。小説にしろ演劇にしろ美術にしろ音楽にしろ、一つの現実とは違う別の世界を作り上げる作業であって、虚構性からはけして脱却できない。ノンフィクション小説にしたって、文字化された時点で全くの虚構性が無いとはいいがたいだろう。

つまり、人間が理性的に生きていく以上、そして想像力を働かせて生きている以上、現実は虚構に立脚しない限り存在することすらできないのである。人間は複雑なこの世界をそのまま直視できるほど、賢くはない。しかし想像力は無限である。だから単純化して考える。ここに虚構性が生まれる。単純化された世界はその時点で現実とは切り離され、人間の想像力によって別の世界として拡大する。こうして政治、経済、文化が生まれた。

すなわち、虚構に生きるということはけして現実を捨てるということではなく、現実の裏側に生きる、とでも言うべきだろう。またけして虚構の世界こそ、つまり現実の裏側こそが真実であるとも主張しない。現実とは、表裏合わせて初めて立体的に真の姿を現すものであると思うからだ。だから自分は虚構に生きる。あまりにも大きすぎるこの世界を、単純化された欠片の世界を通して、出来る限り多くの真実に肉薄してみたい。

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