2005年08月17日

書評『ローマ人の物語4・5 〜ユリウス・カエサル(上)(下)〜』塩野七生著 新潮社

尊敬する歴史的人物を三人挙げろ、といわれたら、自分はこう答える。曹操、織田信長、ユリウス・カエサル。三人とも開明的でかつ急進的すぎることはなく、新たな時代状況と古い時代の産物をうまく結び付けようとした。また私生活では「英雄色を好む」というとおり、奔放で典型的な英雄像という点で共通する。だからみていて飽きない。おもしろい。そんなカエサルを評する言葉は、どこの時代のどこの人の言葉を持ってきてもほめ言葉しか出てこない。以下、その一覧。

タキトゥス「神にも比されるべき才能」

モンテスキュー「カエサルは幸運に恵まれていたのだと人は言う。だがこの非凡なる人物は、多くの優れた素質の持ち主であったことは確かでも、欠点がなかったわけではなく、また、悪徳にさえ無縁ではなかった。しかし、それでもなお、いかなる軍隊を率いようとも勝利者になったであろうし、いかなる国に生まれようとも指導者になっていただろう」

バーナード=ショウ「人間の欠点ならばあれほど深い理解を示したシェークスピアだったが、ユリウス・カエサルのような人物の偉大さは知らなかった。「リア王」は傑作だが、「ジュリアス・シーザー」は失敗作である」

モムゼン「ローマが生んだ唯一の創造的天才」

イタリアの普通高校で使われる教科書「指導者に求められる資質は次の五つである。知性、説得力、肉体上の耐久力、自己制御の能力、持続する意志。カエサルだけがこのすべてを持っていた」

なかでもモンテスキューにほめられたのはすごい。彼は共和制主義者で、事実上の帝政創始者であるカエサルのことを非常に憎んでいたのだから。にしても、イタリアの教科書と日本の教科書を見ると、日本の教科書がとても見劣りしてみるのは自分だけではあるまい。当然自分も、カエサルはこれだけほめられてしかるべき人物だったと考えている。そんなユリウス・カエサルがまだローマを帝国化しようとは考えておらず、あくまで共和制の中で改革をしようとしていた時代の物語が上巻、それに行き詰まりを感じて独裁へと突き進むのが下巻である。しかし本巻を伝記とはせず、あくまで今まで通り「ローマ人」の物語として描いている。

シリーズのタイトルを「ローマ人」としたところがうまい、とあらためて思う。ローマという国家にしてしまうと、共和国なのか帝国なのかの区別で違うシリーズにしなければならなくなってしまう。その境目こそ、ユリウス・カエサルなのであり、このシリーズの2巻分を割く価値があると言えるだろう。


ローマ人の物語〈4〉― ユリウス・カエサル-ルビコン以前

ローマ人の物語〈5〉― ユリウス・カエサル-ルビコン以後