2005年11月08日
GLADIATOR
グラディエーターを見た。まず、史実と違うとか云々言う前に普通におもしろかった。歴史モノに欲しい要素、つまり合戦の圧倒的な迫力とか、男のロマンとか、そういうのを全部コンスタントに表現できていたのが勝因だと思う。個人的にほめたいのは、致命的な時代考証ミスがあまり無いということ、そして致命的な史実とのズレはおそらくストーリー展開上仕方ないものか、ある程度ローマ史に詳しくないと逆に不自然に感じてしまうものしかなかったので納得してみれたということだ。
たとえば主人公マクシムスが皇帝に戦勝の褒美を聞かれると帰郷を願い出たが、これは実際のローマであれば将軍をクビにしてくれと願い出ているようなものであり史実に忠実にするならばおかしい。しかし、現代人から見ればこれはヒューマニティの表現であり、不自然でないどころか主人公に親近感を持たせることに一役買っているだろう。詳しくは『ローマ人の物語11 終わりの始まり』で塩野七生が詳しい考察をしているので、興味をもたれた方はこの本を読んでから映画を観るとおもしろいと思う。
この映画は暗君コモドゥスに対する、彼に家族を殺された元将軍マクシムスの復讐劇なのだが、コモドゥスの描き方がおもしろい。コモドゥスの父は有名な最後の五賢帝、マルクス・アウレリウス帝であるが、コモドゥスには父ほどの力量は無かった。マルクス・アウレリウス帝のような清濁を合わせ飲む懐の広さも無く、純粋で精神が弱かった。父にも姉にも見放されていて、家族内でも孤立無援だった。
つまりピカレスクロマンに浸らせてくれるような悪役ではなく、むしろ彼自身歴史の被害者だったのではないかと思わせる描き方をしている。民衆のためにがんばってはいるのだけれど、何をやっても裏目に出る。野心や虚栄心は強いけど、それは父やマクシムス、特に姉に対する嫉妬の裏返しだったりするところも、確かに彼は悪に徹しているにもかかわらず、なんだか憎めない印象を演出していると思う。何より俳優さんの微妙に情け無さそうな顔がはまりすぎていた。むしろこの映画の見所はマクシムスではなく、コモドゥスではないかと思う。
たとえば主人公マクシムスが皇帝に戦勝の褒美を聞かれると帰郷を願い出たが、これは実際のローマであれば将軍をクビにしてくれと願い出ているようなものであり史実に忠実にするならばおかしい。しかし、現代人から見ればこれはヒューマニティの表現であり、不自然でないどころか主人公に親近感を持たせることに一役買っているだろう。詳しくは『ローマ人の物語11 終わりの始まり』で塩野七生が詳しい考察をしているので、興味をもたれた方はこの本を読んでから映画を観るとおもしろいと思う。
この映画は暗君コモドゥスに対する、彼に家族を殺された元将軍マクシムスの復讐劇なのだが、コモドゥスの描き方がおもしろい。コモドゥスの父は有名な最後の五賢帝、マルクス・アウレリウス帝であるが、コモドゥスには父ほどの力量は無かった。マルクス・アウレリウス帝のような清濁を合わせ飲む懐の広さも無く、純粋で精神が弱かった。父にも姉にも見放されていて、家族内でも孤立無援だった。
つまりピカレスクロマンに浸らせてくれるような悪役ではなく、むしろ彼自身歴史の被害者だったのではないかと思わせる描き方をしている。民衆のためにがんばってはいるのだけれど、何をやっても裏目に出る。野心や虚栄心は強いけど、それは父やマクシムス、特に姉に対する嫉妬の裏返しだったりするところも、確かに彼は悪に徹しているにもかかわらず、なんだか憎めない印象を演出していると思う。何より俳優さんの微妙に情け無さそうな顔がはまりすぎていた。むしろこの映画の見所はマクシムスではなく、コモドゥスではないかと思う。
Posted by dg_law at 13:48│Comments(0)│