2005年12月17日

テンペスト(後編)

見終わった瞬間眠くなったデレク・ジャーマンの「テンペスト」。めげずに今日もレポートの草稿代わりに考察してみんとす。まず、大橋教官が言っていたわけだが、監督のデレク・ジャーマン自身がゲイ。「ゲイ的演劇的センスが爆発している」らしいのだが、爆発しすぎて意味不明だった、というのが正直な感想。「シェイクスピア作品のアダプテーションというより(前衛)芸術映画として扱われることが多い」らしいのだが、おおよそにおいて芸術映画≒電波なわけで。

まず毎度注目のエアリエル。今回は白人男性で安心かと思いきや、やっぱりゲイ。で、今回はキャリバンもゲイ。というかこいつが最高にキモイ。常に「ゲハハ」笑ってるし、太ってるし。生理的に何かがヤバイ。原作には登場しない、キャリバンの母親のシコラックスも一瞬だけ登場するんだが、この女性も生理的にヤバイ。もちろん太ってらっしゃる。なんていうか、ヤバイ以外の形容詞を使いがたい。

こうなると全部疑わしい。キャリバンと行動を共にすることになる、ステファノーとトリンキュローもゲイっぽい。トリンキュローが原作と違って太っている。そういえば、前回見た南北戦争の「テンペスト」にはこの二人登場してないな。確かに考えてみると、大した役をしていない二人だから、必要ないといえばそうだ。これは比較した成果かもしれない。

プロスペローもどことなくゲイっぽい。というか若すぎて不自然。とても16の娘がいるとは思えない。ゲイ的センスといえば、エアリエルとファーディナンドという、作品でも若い男二人がしばしば裸体で登場する。そこまではまだ理解の範囲として、モザイクが時々ずれてナニが見えてしまっているのもゲイ的センスなのか。正直ゲイはもう飽きた。

さて、他の部分に突っ込みを入れてみる。まず基本的なところから。舞台は19世紀ヨーロッパの古城らしい。ただし、セリフはわりと原作に忠実。ときどき原作とは違うが。なんだかファーディナンドが原作よりも荒れっぽい気がする。これは仕方ないが、映像が古い。さすが80年制作。しかし、画面全体が暗くて見づらいのは芸術作品だからか。BGMも無い。テーマ的には最後の和解に重点を置いている。あそこだけ、やたら緻密で長かった。まとめるに、ゲイ的センスのためにいろいろ犠牲にした作品だなあと。まあこれで、完全に字数書けそうなので、今からがんばってみる。

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