2006年01月31日

東急本店に用事は無いけれど

文化村のポーラ美術館展に行ってきた。なんでわざわざ国内間で移動するかなあと思わないでもなかったが、実際ポーラ美術館というと箱根なわけで、気軽に行けるものでもないことは確かだ。それにしてもやはり国内ではインパクトが薄いのか、日本人が偏愛する印象派展だったにもかかわらず中はガラガラに空いていた。平日夕方という時間帯の問題もあったのだろうが。

自分自身、印象派にはだいぶ食傷気味ではあったものの、それでもやはりおもしろかった。これだけ豪華な印象派展はオルセー以来な気がする。文化村で嬉しいのは、学芸員が絵画一枚一枚につけるコメントがうまいということだ。上手なコメントは、絵画のよさを引き立てる。

今回の展覧会は、印象派の時系列的な発展をテーマにかかげたらしい。まず目に入るのはコローやクールベといった写実主義の絵画たち。加えてマネの最初期の絵が見れる。こんなに写実的な絵が描けたなんて、とショックを受けた。ピカソの若い頃の絵を見たような衝撃である。ドガもあったが、相変わらずバレエの絵しか描いてない。もうどうにでもしてください。ルノワールの絵が大量に飾ってあった。小林康夫大先生は「ルノワールは新しい技法で古い様式を描いたからダメだ」とけなしていたが、自分はそれも大事なことだと思う。新しい技法なら新しい題材しか描いてはいけないのなら、それは創造性の破壊だ。

次に出てきたのがモネ。彼の作品も多かった。中でも目を引いたのは二枚の睡蓮。やはり睡蓮はすばらしい。どうしたらあの水面のゆらめきが描けるのだろう。それに、モネといえば汽車の絵だ。汽車の絵というのは煙が出るために空気にゆらめきが出るため、印象派としては格好の題材となる。ターナーがロマン派から印象派の先駆けになっていくのも、汽車の絵がきっかけだった。そして出てくるのが点描。点描もおもしろくて好きだ。ピサロ、スーラ、シニャックといったまあいつもの人たちの絵が飾ってあった。こうしてみると、やはりシニャックの色使いは独特だと思う。なぜ彼の描く樹はピンクで空は黄色なんだろう?

その次はセザンヌ。セザンヌは個人的にあまり好きな画家ではないが、彼の偉大なところは描く題材によって描き方を大きく変えているというところだろう。彼の風景画と静物画、人物画を見比べると、とても一人の人間が描いているとは思えない。どことなく共通点はあるのだが。その隣がゴーギャン。私的には印象派の中で一番どうでもいいのだが、今回彼に関して一つ発見したのはタヒチ前後で全く画風が違うということ。題材もロリコンじゃない。こうなると気になるのは、タヒチ直前の彼に何があったのだろうということだ。

最後はボナールが占めて終了。ここからフォヴィズムになりますよ、という雰囲気を残した終わらせ方がいい。作品数が100に達していないとは思えない密度だった。Tシャツが売っていた。絵が睡蓮だったので非常に悩んだが、3000円という値段に負けて買わなかった。2500円なら買っていたかもしれない。印象派に癒されたい人は、ぜひ行くと良いと思う。

文化村に徒歩で行けるのも今回が最後か、と思うと少々感慨深い。よく通わさせてもらった。どうせまた来るだろうけど、今度は電車だ。まあそしたら上野が徒歩になるんだけど。次の文化村展示は「スイスの風景画」だった。行くかどうかは、ちょっと迷っている。

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