2006年02月06日

マグノリア

名高き芸術映画。芸術の部分は電波と読み替えてもらってもいい。まずこの映画、主人公が何人かいて、不自然なタイミングで切り替わるのでしっかり見ていかないと今は誰の話なのかわからなくなる。一応メインはトム・クルーズが演じる講師なのだが、彼の主催するセミナーのタイトルは「誘惑してねじ伏せろ」。セミナーの内容は言わずとも想像がつくだろう。観客は皆ぶさいくな男たちである。この講演会の様子はまるで宗教のようで、ひょっとしたらそれを揶揄しているのかもしれないが、まさかトム・クルーズ自身が宗教にはまるなんて、この映画を作った時点では想像がつかなかったのだろうか。(映画は6年くらい前)

またこの映画はやたら皆Fuck!と言いまくる。映画中に200回くらいは聞いた。180分映画だから一分に一回聞いたと考えると、やっぱりこの数は大体正しいと思う。まあ登場人物は皆ありえない現象が起きて不幸になるので、仕方がないのかもしれない。しかし文句の言葉をFuckで統一したのはうまい。トム・クルーズのセミナーといい、この映画どこか退廃的であって、Fuckという汚い言葉は、それによくあっている。

何よりもこの映画を有名たらしめているのはやはり「カエルの雨」だろう。映画中にテレビの天気予報で「曇時々蛙」と出てくるが、何も知らずにこの映画を観た人は見逃すか、目の錯覚だと思うことだろう。だって、本当にカエルを降らすなんて、知っていても想像がつかなかったのだから。あのシーンは、とてもえぐい。多分一千匹単位でカエルを降らせているのだと思うが、当然アスファルトに当たればぐちゃっと音を立ててつぶれ、赤い血が吹き出す。かなりスプラッターな光景である。我が母は両生類が大嫌いだが「マグノリアは最悪の映画だった」と言っていたのもうなづける話だ。

このカエルの意味は何か。カエルであることに意味はあるのか。こういったことを考えさせるこの映画は、やはり芸術映画なのだと思う。180分なのでとてつもなく長いが、おもしろかったので映画好きなら観ても損は無いだろう。

ちなみに自分ではカエルだと表面がぬめぬめしていていかにもグロテスクなことに加えて、カエルの丸みが一番つぶれたときに血が吹き飛びやすかったからではないかと思っている。では、カエルが降ってきたこと自体の理由はというと、映画の退廃的な雰囲気にとどめとして、スプラッターな印象を加えたかったからではないかと思う。エロとグロはよく似合う面がある。もっとも、そのためにカエルの雨という演出をもってくるのは、ずいぶん奇抜だと思ったが。観たことある人はどう思ったか、ちょっと聞いてみたい。

なお、マグノリア(magnolia)とはモクレンという花のことで、薄ピンクの花を咲かせる、妖しげな雰囲気の花である。この映画のタイトルにはぴったりだが(その割に映画中にこの花は目立って出てこない)、花言葉が「威厳」というのは、あまりにも似合わない。

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